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 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇『作出のセオリー =天才アドレーアンに捧ぐ=』TDKロフト 素野 哲著(2007年7月31日、愛鳩の友社発刊) ◇◇◇  イレブン  2020年8月9日(日) 4:47
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2007年に発刊された『作出のセオリー=天才アドレーアンに捧ぐ=』は、実に画期的な名著です。作出論でこれほど深く論が展開された著作は他に類を見ません。著者素野哲氏は、この掲示板でも幾度か氏の主張を取り上げた事がありましたが、残念なことに7,8年程前に急逝され故人となられています。

この本の発行者である当時の愛鳩の友社明神庄吾社長は本書を評して、後書きに次のような言葉を記されています。

● 種鳩論の核心の一つになっている「アイ・バンド」の指摘などピジョン・ビジネスに携わる業者たちにはいずれ厄介なお荷物になることだろう。昨年ベルギーに出向いたとき、世界的に著名な愛好家のカタログを瞥見して驚いた。代表鳩の全身の写真と一緒に目まで載せているのに、虹彩の外側はカットされているのだ。つまり、アイ・バンドの有無は写真からは判定できない。活字文化というのは恐ろしいものである。3年の連載の間に誰からともなく話が伝わり、地球の裏側まで真実は伝播しているのである。まがい物を扱う人間にとってこれだけ恐ろしい著述はない反面、レース鳩の性能について探究する者には貴重この上ないのが本書である。

明神社長が後書きで指摘しておられるように、本書は、アイバンド論という目の理論を中心に据え、ミューレマンス系やヤンセン系などの当代一流の銘鳩を使って実際に作り上げた銘鳩たちの画像を駆使して明快な理論が展開されています。氏をして「ピジョン・ビジネスに携わる業者たちにはいずれ厄介なお荷物になることだろう」、「まがい物を扱う人間にとってこれだけ恐ろしい著述はない」とまで記させたほどの直裁的で真摯な内容になっています。これまで理論としては存在していても、ほとんど公開されることがなかった領域まで踏み込んでいる名著だとイレブンは思っています。

 現在連載している『Piet de Weerd 研究』では、ピートさんが「濃密な近親配合」の重要性を幾度となく強調していますが、本書では、そのことと同じ視点に立ち、更に深く理論展開されてます。そこで、『Piet de Weerd 研究』の重要な参考資料として、研究を進めていく考えです。まずは、親子配合、兄弟配合に関する記述を引用しておきます。

この引用の中で、特に下記の指摘が重要です。ピートさんも同じ観点でもこのことを述べていますし、「直仔×孫」「孫×孫」といった遠い関係にある鳩同士の近親の問題点を明確に述べている点は注目に値するところです。この記述からこの「作出のセオリー」では、Piet de Weerdの回想録の鳩理論を踏まえた理論展開がなされていることが伺えます。「モルダント(闘争心)」は、ピートさんの中心理論ですですから。

●1990年代に入る頃になると、親子掛けや兄妹掛けのいわゆる”インブリード”に対して近親の弊害を心配する気持ちはなくなっていました。極近親にしても大丈夫という自信さえありましたね。むしろ遠い関係にある鳩同士の近親の方が私の経験からいいますと、モルダント(闘争心)が無くなったり、鳩が小さくなるなど悪い結果を生む傾向があります。

 ■禁断の親子掛けを試みる■  □素野 哲  2020年8月9日(日) 5:16 修正
 ヤンセン、ミューレマンスが持てはやされる中当時、1坪鳩舎で注目を集めていた多摩中央の石渡正博さんが私の作出鳩を駆使して大活躍されています。1990年春には西東京三連合競翔会の200キロと400キロで総合シングル入賞を収め、連合会では共に優勝です。

 200キロで活躍した〃TOMクラック〃という灰の雄鳩は、ミューレマンスの代表鳩カデ″卜の曾孫とアウデ・ヴィットオーガー孫の”ド・924“直娘との交配から生まれています。300キロを上位で帰った灰胡麻の雄〃TOMモーゼス〃にも共通した血が絡んでいました。父親はモーゼスとミューレマンス近親の当り配合から誕生し、母親の”ジェルチェ”はド・924と純ヤンセン系との交配から生まれていました。

 TOMモーゼス同腹の直子にRgと地区Nで勇躍した栗胡麻の雄がいて、その名も”ド・レッド・ボーイ”。同腹の相方は長距離のエースピジョンとして有名な”マジョール”の孫娘でした。息子の栗の羽色は母親からきています。

 2年後には、このモーゼスの仝兄弟もRgで活躍しています。作翔者は例の”10000番”を種鳩に持つ篠田さんで、私か基礎鳩の一羽としている”オーガスト“のラインで最初に成果を挙げてくれた人でもありました。

 オーガストの母親がアウデ・ヴィットオーガーの親子掛けから誕生しています。尊敬するアドレアーンが親子掛けをやっているということを知って、確信はなかったのですが、私もやってみようと思いました。それで試したのがジュエルチエとその父親ド・924との親子掛けでした。ちなみにジュエルチエという愛称は純のヤンセン系で宝石のような素晴らしい雌鳩だったので付けた名前でした。

 でも、私を含め当時の愛鳩家には”近親”に対して親子掛け、兄弟掛けで血を戻す”インブリーディング”の概念は無く、直子孫掛け、親孫掛けあるいはイトコ同士という”インブリーディング”を近親と考えていた。それだけに不安と期待が入り混じる中で試したものです。そうして生まれた”ヨング・ジュエルチエ”は若鳩時に東葛連合会の戸部父子の鳩舎で一年間、過ごしました。結果は孫が次々に飛び出し、メインレースで上位入賞を収めていく。親子掛けでも成果を出してきたジュエルチエの持つ意味は大きかったですね。

 ■アウデ・ヴィツトオーガー 父娘掛け■  ◎親子掛けに確信を持つ    2020年8月9日(日) 5:20 修正
”オーガスト”をヤンセン兄弟から導入して、近親に対する概念は大きく変わりました。当初、この鳩の母親がアウデ・ヴィツトオーガー の父娘の親子掛けであることに気づいた時は意外に思ったものです。世界のヤンセンがずいぶん無茶なことをすると。それまでは親子掛けには弊害があって交配させるものではない、近親というのは関係の遠いイトコ同士や親孫くらいでやるものだと思い込んでいましたから。

 日本でも細川勢山系で有名な〃253号”で親子掛けが行われていますが、基礎となる鳩が年をとってきて、やむにやまれずやっていると理解していました。でも、一般的ではありません。アドレアーンにいたっては、もっといい雌鳩がいたはずなのに、何も娘と掛ける必要はなかったはず。けっして、やむにやまれず親子を掛けたのではなく何か意味があってやったのだろう、そう考えて私も試みることにしました。

 最初に試したのが、アウデ・ヴィツトオーガー の孫〃ド・924”でした。オリジナル・ヤンセンはたくさん持っていましたが、フェルストラーテからきた鳩はこの一羽だけ。ラインを繋ぐために娘”ジュエルチェ”との親子交配を試みてみました。すると素晴らしい鳩が出来た。生まれた子どもを東葛連合会の戸部父子鳩舎ヘー年間預け、ここでも次々に結果を出してくれました。

 1990年代に入る頃になると、親子掛けや兄妹掛けのいわゆる”インブリード”に対して近親の弊害を心配する気持ちはなくなっていました。極近親にしても大丈夫という自信さえありましたね。むしろ遠い関係にある鳩同士の近親の方が私の経験からいいますと、モルダント(闘争心)が無くなったり、鳩が小さくなるなど悪い結果を生む傾向があります。

 以前、こういうことがありました。あのベルギーの最強として有名だったミブソエル・ヴァンヘーから、アウデ・ヴィットオーガーの重近親という鳩を購入しました。ところが、見るとどうしようもないトリだった。「何でこんなトリを作っているのか」と聞くと、相手は「近親にするとそうなってしまう」と応えます。

 不思議に思って血統書を確認すると、遠い近親にしていました。私なりの見解を伝えて、アドバイスしました。自動車事故で亡くなる少し前のことでしたね。

 ○父娘掛けと兄妹掛け    2020年8月9日(日) 5:22 修正
 これまでお話してきたことで一つ、注意していただきたいことがあります。それは〃インブリード”や、直子孫掛けや親孫ひ孫掛け、あるいはイトコ同士といった遠い近親の”インブリード”を私が語る時には前提があるということです。ヤンセンのように血統が固定されたものでなくてはなりません。最初から血が割れている鳩にはいろいろな因子が絡んでくるので当てはまりません。親子掛けなどにすると、もっとダメになると考えた方がいいでしょう。

 では、なぜ”インブリード”が良いのか。以前もお話したことがありますが、基本的に息子は母親の因子を、娘は父親の因子を受け継ぎます。つまり、父親がチャンピオンなら、レーサーとして優れた因子は娘が受け継ぐ。母親がチャンピオンなら息子に引き継がれることになります。この基本的な考え方に沿って親子掛け、兄妹掛けについて私なりに話しを展開してみたいと思います。

 最初に親子交配(次頁・右図参照)からお話しましょう。Aという素晴らしい♂鳩がいます。このAに、AとB♀を交配し生まれたC♀を交配させるのが親子掛けです。この場合、私が考える基本的な法則からいいますとC♀はA♂の優れた因子を引き継いでいることになります。つまり、この親子掛けから生まれたDやEはAの血が濃い鳩として生まれてきます。

 ただ、気をつけたいのは父娘の交配からは選手としても種鳩としてもいい鳩が出来ますが、母息子掛けの場合、経験的にはクシャクシャしたトリが出来ます。種鳩としては最高の雄鳩が生まれますが、選手鳩としての良い雌鳩はできません。また、母息子掛けは雌が年上となりますから、これも以前、お話しました通り、優れた雄鳩は生まれますが、その雄鳩ほど良い雌鳩はできません。

 次に兄妹交配(同頁下記・左図参照)についてです。この兄妹掛けについては、F♂の因子は母親のBからきて、G♀の方は父親であるAからきています。つまり、FとGの配合は、持つ因子がAとBの配合と同じことになります。ですから、F♂とG♀の交配は両親が一緒で非常に血縁関係は近いのですが、弊害を心配する必要は全くありません。H♂は母方祖父のAの因子を受け継ぎ、I♀は父方祖母のBの因子を受け継ぐことになります。

(【出典】『作出のセオリー =天才アドレーアンに捧ぐ=』P110〜P114より引用) 

 ○前書き○全文(同書P10〜P12より引用)  □素野哲  2020年8月9日(日) 5:52 修正
 経済水準からすると、今日の日本は世界的にかなり裕福になりました。文明の発展と共に若者達はモバイル、ゲーム。ネット文明に浸り、戦後生まれの私など物の無い時代に育った世代からすると、過ぎた時間か懐かしく思われます。

 同好の士である愛嶋家が。互いに高齢化し、楽しい鳩談義と肉休の衰えが話題となる今日この頃です。「愛鳩の友」さんとの御緑があり、3年間に亘り連載を続けて参りましたが、この間に全国の皆様から沢山のご貿問、ご愚見を頂き心から感謝する次第です。

 鳩の趣味においてレースは勿論、作出における方法論について様々な試行錯誤が行われ未だ拡則として確立されていないのが硯実です。そんな中で、私独自の「作出のセオリー」として一冊に纏めるに当たり、改めて思うことがありました。拙著の副題にも込めました天才アドレアーン・ヤンセンヘの憧憬と深い尊敬の念がセオリー確立への大きな原動力となっていたということです。

 アドレアーンの凄さというのは自分で鳩を作ってみてわかります。ああ、よく出来たなと思った時にフッと思う。毎年そういうヒナは出来るのですが……、私自身が満足するようなそんなトリをアドレアーンは日常的に作っていました。本人は前面に出て有名になることはありませんでしたが、たとえばポンテーローザ、アイヤーカンブの05カンブハイスやヴァンダーフォスケなどのオリジンを作っていると思うと尋常ならざるものを感じます。

 また、「8大銘鳩」と言うのは総て選手鳩です。これらの鳩から、当たり前のようにアドリアーンは銘嶋を作り上げていく。選手鳩からすごいトリを作るには私の交配セオリーから言いますと優れた種鳩を作るための種鳩が必要となってきます。それを持っているからこそ出来ることでありますが、容易に真似の出来ることではありません。また、アドレアーンが科学的に交配論を考えていたわけでもなかった。生まれつき身についていた、まさに鳩の天才でした。自身のセオリーが確立される中で偉大なる愛鳩家アドレアーンヘの私の思いは深い感謝の念へと繋がっていきました。

 ようやく導き出したセオリーとは言え、わずか50年の経歴の私見に耳を傾けていただき、読者の皆様には本当に有り難い事と感じ入っております。いずれにしましても愛鳩家に忘れて欲しくない事は、自分が与えた新しい命を、一羽一羽大切に慈しんで欲しいという事です。より良い鳩を作るため、私も必要以上の淘汰をして参りましたが、愛鳩家として、これで良かったのか振り返れば寂しくも思われます。

 種鳩の選定そして理想とする配合の計画を立てている時は愛鳩家にとって至福の時ではないでしょうか。そんな時、心の片隅に拙説を思い浮かべて頂ければ嬉しい限りです。卵で生まれ、無事に孵化した時から愛鳩の一生か始まります。将来のチャンピオンを大切に育てて欲しいものです。

 そうすることから、私達は鳩文化をより高みに持ち上げていけるのではないでしょうか。私達が自信を持って、若者にこの鳩飼育を通じた楽しみ、喜びを体験するように勧めることか出来れば、世代を超えてどれ程素晴らしいコミュニケーションとなることでしょう。どんなに発達した文明でも、人の心を満たす事は不可能なのです。子どもが大人と一緒に楽しめるスポーツは鳩レースくらいだと思います。ヨーロッパでは親子、家族で鳩を飼育する文化が根づいております。誠にうらやましい限りです。

 私も子どもの頃、鳩界の先達に親切に教えを頂き、基本となる鳩知識を得られたものです。今でも心から感謝しております。時の過ぎるのは早く、我が身がその立場にいたるとは思いがけない事です。これからも諸先輩に恥ずかしくない様、日々研鎖を積み重ねていきたいと心に言い聞かせる次第です。

2007年7月7日 素野 哲

 ◎後書き◎全文 (同書P285〜P287より引用)  □明神庄吾  2020年8月9日(日) 6:13 修正
 書物を制作編集し、発行する者にはいつも大きな課題かある。狙ったテーマに即した良い書き手がいるかどうか、心当たりかなければいかにして書き手を発見することができるかどうかという問題である。ピジョンースポーツ界のようにマイナーな世界では実はそれが難問であり、挙句、こちらの思いに見合うだけの良書を作ることかできないという現実かある。発見、発掘か第一。の作業としてのしかかっている。

 本書「作出のセオリー」の場合、その点は比較的容易だった。著者・素野哲氏とは1986年以来面識があり、氏がレースで好成績を出すたびに声をかけて頁って取材してきた経緯かある。鳩を作出したり、飛ばしたりすることに熱心な愛好家は沢山いるが、それを理論化し表現する存在に恵まれない斯界にあって、類希な人材であるという認識は初期の段階からもっていた。思い起こすとかれこれ十数年前、氏に懇願し1990年2月号から5月号まで連載を試みたことかある。著者が気軽に応じてくれたまでは良かったが、「陽性因了」と「陰性因子」を幕軸に作出論を展闘する理論に編集部がついていけず、結果的には好記事にはならなかった。リライトか晦渋すぎて読名にも十分に理解してもらえなかったはずである。

 でも、著者は鷹揚だった。編集部の力不足を非難するどころか、一所懸命頑張ってくれたね、と労をねぎらってくれたものである。当時、月刊誌の編集人兼発行人だった私は、その失敗をいつかは償わなくてはならないと胸に刻んで新規蒔き直しのチャンスを待っていた。「運命の女神」というのはいつもつれない訳ではないらしい。素野氏の事業か一段落し、改めてライフワークに取り組む心境になった局面で私をいざなってくれた。2004年初頭のことである。ミューレマンス系やヤンセン系などスピードーバードの育成に勤しんでいた著者か方向転換し、長距離系のチャンビオン・ブリーダーを集め始めたのが再び縁を取り持つキッカケになった。折に触れて作出論を解説してくれる氏の好意に私はもう一度甘えようと決意したのである。

 同年5月号から新連載は始まった。失敗は二度と繰り返すまいと決意し、私はリライトの担当者に仮借ない指示を出した。。百行の文章のために千行分の取材を敢行するよう要請した。そうでもしないことには著者のメソッドは読者には伝わらないという不安感が私にはあった。そもそも陰陽二元論など西洋科学の範躊にはない。人跡未踏の領域に踏み込んでいる著者の理論の脈絡を理解するだけでも容易なことではない。まして活字媒体で読者に伝達するためには著者の尻尾にしがみついていかなくてはならない。そうしないことには卓抜な理論も空論として写りかねないのである。

 結論からいうと著者は実に根気よく導いてくれた。「馬の耳に念仏」を唱えるように再三再四繰り返し解説し、果てには図解にまで手を貸す始末。愛鳩の友杜のためいうより、日本のピジョン・スポーツ界のためと恐らく考えていたのだと思う。素野氏の優しい心根はいわずもがなだが、そのような大局観抜きに丸3年も付き合ってくれることなど論外だと自戒している。

 本著のテーマは作出論だが、実質的にはレース鳩概論といってもよい。並みの愛好家が見過ごすような微細な観察を集積し、天性の直感でセオリーヘと昇華していく。体系化された理論はもちろん重要だが、一言一句のコメントは愛好家たちにとって珠玉のようなものである。種鳩論の核心の一つになっている「アイ・バンド」の指摘などピジョン・ビジネスに携わる業者たちにはいずれ厄介なお荷物になることだろう。昨年ベルギーに出向いたとき、世界的に著名な愛好家のカタログを瞥見して驚いた。代表鳩の全身の写真と一緒に目まで載せているのに、虹彩の外側はカットされているのだ。つまり、アイ・バンドの有無は写真からは判定できない。

 活字文化というのは恐ろしいものである。3年の連載の間に誰からともなく話が伝わり、地球の裏側まで真実は伝播しているのである。まがい物を扱う人間にとってこれだけ恐ろしい著述はない反面。レース鳩の性能について探究する者には貴重この上ないのが本書である。著者の敬愛するアドレアーン・ヤンセンもあの世で微苦笑していることだろう。表紙を飾る天才の澄んだ目がすべてを物語っている。
                2007年7月7日      明神庄吾

 ■■『Piet de Weerd 研究』020■■  [ピート・デヴィート回想録020「誤った淘汰の結果」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年7月号 )  イレブン  2020年8月7日(金) 1:36
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並河靖の系統理論を「レース鳩の作出余話」でざっと概観すると、Piet de Weerd の回想録が連載され始めた当時の系統確立論、配合論の一般的な考え方がどの当たりにあったかと言うことが読み取れます。

今、連載中の『Piet de Weerd 研究』ではピートさんの近親配合や雑種強勢における退化の問題が深く追求されていますが、ピートさんが語っている論点は、単なる理論ではなく、ヤンセン系という事実の存在を前提に他の銘系の誕生と発展も踏まえて展開されていきます。

そこでの主張は、一言で言えば、近親配合であれ、雑種強勢であれ、バスケットによる淘汰を重視しなければ「退化」を免れないという厳密な事実です。そして、このことを踏まえていくと、濃密な近親配合にこそが銘血、銘鳩の誕生と継続に極めて重要な鍵があり、更に、雑種強勢も重要な意味を持ってくると言うことだと考えられます。

「レース鳩の作出余話」での並河靖の交配論と細かく比較していくとPiet de Weerd での回想録の洞察の深さがより鮮明に浮かび上がってくるのですが、ピートさんの話もかなり大切な部分になりましたので、ここはできるだけ一気に回想録の連載を進めたいと思っています。

イレブンは、今日より2週間ほど休日となります。コロナ第2波の影響で余り出かけることができません。若鳩の基礎訓練と掲示板での研究を楽しみに過ごす計画です。

 ■ 目 の 退 化 ■  (前月号より続き)  □Piet de Weerrd  2020年8月7日(金) 1:40 修正
 伝書鳩は数世代にわたって誤って淘汰されると、退化はプロセスの形を取ります。しばらくは成績の良かった鳩舎が、ベルギー人の言い方では「坂を転げ落ちるように」下降するのはどうしてでしょうか。それを知ることは非常に重要です。なぜなれば、それによって、作出者は補足淘汰や修正淘汰でどのような二次的形質に配慮し、それと同時にどのような不可欠な形質を無視したかを推測できるからです。

 しばらくは好成績を上げた後、突然低迷する鳩舎は、いずれも多かれ少なかれ濃密な近親交配を行っています。誤った淘汰と数多くの交配の結果生じる下降は、たいてい一度も上位に入ることができなかった、一般に”ネクタイ“と呼ばれる鳩舎に見られます。私の経験では、同族交配を繰り返した鳩舎での退化は、精一杯異血交配を行った鳩舎の退化と異なります。

 近親交配において誤った淘汰で退化した系統は、多くの場合滅びます。あまりに美しいので、私たちに鋳疑心を抱かせるような鳩がいます。オーナーは、美しく優秀で正常、三拍子そろっていると思います。彼は夏のレースで好成績を上げるだけでなく、冬の品評会でも輝くような鳩を作ります。その結果、あぶはち取らずになるのです。美しい形の頭部、優雅な鼻孔、オウムのような頭の輪郭、非常に繊細な目の縁、あるときは白墨のように白く、あるときはダークグレー、そのため目の縁がないようにさえ思えます。その下に「アイスキャップ」があります。というのは、頭のまわりの羽毛は頚部の羽毛よりも少し明るい赤かダークグレーで、まるで小さいキャップを被っているような印象を与えるからです。

 目は瞳孔が並の大きさか、むしろ小さいほうで、輝きはありません。その中に火花は潜んでいません。虹彩は、ひび割れの入った古い油絵のようにひからびています。目につくのは、白やニンジン色の目は少なく、たいてい鈍い栗色だということです。しばしば柔らかい羽毛はまだ豊富ですが、相互の関連が十分ではなく、「羽飾り」をばらばらにならないように結び付ける働きをする繊細なフックが不足しています。

 これらの純粋な品質に欠けているために、手や指先で触れると鳩は乾いてルーズな感じがします。これらは非常にささいなことですが、明らかな兆候です。良い鳩とはウエットな鳩なのです。

 骨格は非常に弱くなり、比重も減っていくように見えます。筋肉の実質はまだはっきり感じられますかでボリュームが不足しており、筋肉の成長が足りません。そして何よりも活力に欠けています。このような貧血性の動物の場合、やがて活力と精神力がなくなります。致命的な翼の理論に従い淘汰によって山から滑降しなければならない者は、鳩舎をエンジンのないグライダーでいっぱいにしています。私にとって問題は、どこで間違えたかを示すことです。この大きな誤りは、補足淘汰や修正淘汰に集中しすぎて、レース寵を軽視したことなのです。

   ■多様な交配と下手な淘汰の結果■    2020年8月7日(金) 1:44 修正
 多様な交配と下手な淘汰の結果、退化した鳩というのは、また様子が異なります。問抜けな表情をしたぶざまな鳩がたくさんいますが、”知性”と”方向感覚“を同一視するのは明らかに誤りでしょう。

 数多くのスピードのあるトリが”夢想家”とか”居眠り”とか、さらには”間抜け”とまで呼ばれました。中世に「リチャード獅子王」の名で歴史の舞台に登場した英国の王がいました。この意味深長な名前は、彼自身だけでなく国民も誇りとするところでした。その弟ジョンは、王が外国に数年滞在している時に何かの理由で兄を裏切り、後に「失地王ジョン」と呼ばれました。

 この名前の解釈は一つしかありません。チャーチルはジョンについて、彼独特の人げさな身振りとユーモアでこう言いました。

 「リチャードは、人々がライオンに賛嘆するに似た徳を備えていた。だが、ジョンのような性質を持った動物を、自然は生み出さなかったのである。彼は筋金人りの冷酷さのほかに、マキャベリのような咬さと柔軟性を備えていた。時に大変な痴癩を起こし、そんな時には目から火花が散り、顔面は蒼白になったにもかかわらず、冷たく非人間的な知性で残酷な行為を考え出しては実行した。彼の年代記を書いた僧侶たちは、その怒りっぽさ、貪欲、悪意、陰険、色欲を強調したが、別の書物では、彼はしばしば理性的であり、非常に有能で、時には寛大でもあったと書かれている」。

 ■誰が適切に判別できるか■    2020年8月7日(金) 1:46 修正
 裸眼に頼って、一体誰が適切な判断を下すことができるでしょうか。獣医をしている私の息子ヘンクは、動物の場合、それは人間よりも難しいと言います。

 交配によって退化した鳩の感触というのは固いので、強く引き締まった筋肉の愛好家をしばしば夢中にさせます。でも、その体には一片のしなやかさもありません。言わばデクの坊です。その羽毛は、概ねいいのですけれど。退化の兆候が一番ハッキリ分かるのは目です。瞳孔は大きく、愚鈍で夢想的な印象を与え、虹彩の色は薄くて黄か赤の単色が過ぎます。それはまるで、大量の水で薄めた牛乳を指して。青過ぎる“と言うのと同じ意味あいです。

 ビデオなどで実際に違いを見せることなしに説明するのは困難です。デザインが少なく。”相互関係“が不足しています。平均的なブリーダーは、これを繊細さとほぼ同じものだと理解しています。

 近親交配の弊害を生み出したブリーダーはたいていはタイプをより繊細にすることを、目標にしてきました。彼らは本当に医要なことがら即ち活力、パワー、激しさ、正確、血液量などをあまりに軽視しすぎました。なかには、暗い目は明るい目よりも品質の良い証拠だなどと信じる者さえいました。ヤンセン兄弟はそれについては全く別の考え方をしていましたし、自ら意識することなく有名なギョロ目のスペシャリストになったのです。そのことについての質問を向けると、その度に
「そうした事柄にはあまり注意しませんでした」
 という答えが返ってきたものです。

 交配による退化を生み出したブリーダーは多分、精力的な作業鳩のような印象を与える力強い鳩を望んだのでしょう。彼らが育種計画を持っていたかどうかは問わないでおきましょう。恐らく鳩に閔する基本的な知識がないために、どうしようもなかったのでしょう。こうした総ての事実を考え合わせると、近親交配者の場合は物理的要素が軽んじられ、交配者の場合は精神的要素が殆ど無視されたと結論できます。近親交配者はたいていの場合、かつては良い時期があったのを思うと、それは彼らが銘鳩を所有していたためだと考えられます。

 他方、大多数の交配者は、要求が高ければ高いほど、もっぱら無気力な鳩に餌をやったわけです。こうしたこともそれ程おかしなことには思えません。しかしながら私たちはそのような仮説には慎重にならなければなりません。

 私の考えでは、交配で淘汰に失敗して退化した鳩は、近親交配で退化した嗚と同じように力がありません。両者とも、かろうじて飛ぶことはできても、知性も持久力も不足しています。鳩で最も重要な特質は方向感覚です。

  ■■『Piet de Weerd 研究』021■■  [ピート・デヴィート回想録021「濃密な近親交配」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年8月号 )  イレブン  2020年8月7日(金) 3:51 修正
ピートさんは、いよいよこの回で近親交配による厳密な淘汰の問題に触れていきます。

いわゆる「理想的な眼」「理想的な喉」などの理論によると淘汰に基づいた近親交配が、悲劇的な結末をもたらした事実をもとに次のように述べています。

●近親交配で必要な措置とは、専門的知識に基づいて厳しい淘汰を実施すること、すなわち、活力に欠ける弱い鳩を取り除くことです。

●レースの成績こそ総てであり、唯一の基準なのです。残りは忘れて構いません。もう何度も言ったことではありますが。残りを少しでも気にすると、必ず後でその報いが訪れます。鳩を掛け合わせる時、血縁関係や、さらには年齢も考慮する必要はありません。とにかく鳩舎から最高の二羽、すなわち最高のオス鳩と最高のメス鳩を取り出すことです。

つまりここでピートさんの鳩理論の中でも極めて重要な位置づけとなっている「活力(バイタリティ)」の問題に焦点を当てて理論が展開されていきます。そして、さらにレースの成績=バスケットによる淘汰こそ最優先であり、このことは鳩を見極めていく「鑑識眼」の問題へと発展していきます。

では、できるだけそこまで一気に進みましょう。

 ■誰が適切に判別できるか■(前号より)  □Piet de Weerd   2020年8月7日(金) 3:54 修正
 アンカー教授は私がカポスファールに訪ねた時に長い質問リストを手にして多くのことを聞きましたが、そのことについてはものの3分も費やしませんでした。余りに自明過ぎて、時間の無駄だと思ったのでしょう。私は彼とその友人たちから300羽の鳩を引き取りました。

 アンカー教授は私に、
 「最も重要な欠陥は何か」
と、聞きました。私か率直に答えると、彼は非常に驚きました。すなわち、
 「方向感覚が不足している、少ない餌で太りつづける能力に欠ける、乾燥しすぎて十分ウェットでない」。

 ここでは交配の弊害と近親交配の弊害ははっきりとしたコントラストをなしています。が、実際にはその間に実に様々な中間段階やニュアンスがあり、いかなる種類の退化なのか判定することは殆ど不可能です。

 1920年代のはじめに、多くの鳩舎で品質が大幅に低下したことがありました。それはギゴットの目の理論に基づいて導き出された相互関係を追求したためでした。この理論はずいぶん後になってガイガーとビショップによりアングロサクソン系の国々に持ち込まれました。

 アントワープのヘルデリンストラートに住む老獣医、フランス・ファンリンデンの”喉のモデル“に基づいて作出したケースも知られています。これも同様に、致命的な結果を招きました。

 かくして、だまされたブリーダーの鳩舎では”理想的な目”や”理想的な喉”を見ることができました。しかし、鳩は全然入賞できなくなりました。つまり、あのように固く信じて作り上げた性質は、レース鳩に求められる性質とは、全く関係のないものだったのです。近親交配で必要な措置とは、専門的知識に基づいて厳しい淘汰を実施すること、すなわち、活力に欠ける弱い鳩を取り除くことです。

 ピジョンスポーツには先入観や同情は無用です。サッカーのリヌス・ミヒエルスが言ったように、それは戦争ではありません。が、過酷さは必要です。レースの成績こそ総てであり、唯一の基準なのです。残りは忘れて構いません。もう何度も言ったことではありますが。

 残りを少しでも気にすると、必ず後でその報いが訪れます。鳩を掛け合わせる時、血縁関係や、さらには年齢も考慮する必要はありません。とにかく鳩舎から最高の二羽、すなわち最高のオス鳩と最高のメス鳩を取り出すことです。

 ■ヤンセン兄弟は常に 我が道を歩んだ■  □   2020年8月7日(金) 3:56 修正
 ヤンセン兄弟はけっして濃密な近親交配を恐れませんでした。甥と姪、半兄弟と半姉妹、これより近い場合も幾度となくありました。彼らにとって重要なのは成績だけでした。しかし、成績とは直接関係のないもの、たとえば産卵が活発でないといった事実も正確に観察していたので、芽のうちに摘み取ることができました。しかし彼らはたとえそれらが速く飛ぶことができても、胸に格子縞やネクタイがあるのも好みませんでした(好む人などいないでしょうが)。それらの鳩は取り除かれました。ヤンセン兄弟にはそれができたのです。なぜならば、彼らは長年にわたり、そうした欠陥のない有能な鳩を多数作出していたのですから。

 彼らの鳩の品質やクラスについては実に多くのエピソードが語られてきましたが、それらはおおかた真実です。そのうち、私に最も強い印象を与えたのは、彼らが長年、恐らく今日に至るまで守っている習慣です。彼らは買手と値段の折り合いがつきさえすれば、卵でもヒナでも相手に好きなものを選ばせ、持って行かせたのです。

  「どれでも気に入ったのを持って行きなさい。気に入らないものは私たちに残していって構わないから」。

 素晴らしく卓越した系統の持主であればこそ、このように寛大に振る舞っても身を滅ぼす危険はないのです。

 私は一度、ルイとシャレルに、そうした習慣からくる”弊害”は、1933年から1983年まで絶えず近親交配をしてきたことによる弊害よりも大きいのではないか、と言ったことがあります。が、彼らはいっこうに気に留める様子はありませんでした。習慣も、近親交配のことも。彼らは自分たちの系統の”近親交配の許容性”を、それほど固く信じていたのです。

 ときどき噂にのぼったことですが、自分たちのすべてのストックをその有名な名前と一緒に売却する気はないか、という質問には、彼らは微笑むばかりでした。

 ヤンセンの系統ほど濃密で長い近親交配によって作出された系統が、他にあったでしょうか。私は知りません。私はついぞ見たことがないし、いわゆるピジョンスポーツの”発展途上国”においても思い浮かべることができません。

 かつて存在した最も有名な2つの系統、すなわちブリクーとデルバールも、濃い近親交配によって生まれたものです。私はブリクーの啓発的なエピソードによって本章を閉じたいと思います。ここで世界最良の競走馬について書きたいという誘惑もありますが、それは別の機会に譲ることにしましょう。原理は同じことです。。メンデルの法則‘は普遍的なのです。

 戦争前、ブリクーは有名な様々の系統を持っていました。なかでも代表的なのは、ブリュッセルのアンドレ・スライス、ブリュッセルーモーレンペークのフランソワ・ペーテルス、ブリンシュのエミールーカルリエ(ブリュッセルーフォルストの古い系統ロレごア)などです。しかし最高の鳩は、ロフトーマネージャーのベークマンが作り上げたグローテルスでした。

 ベークマンはブリュッセルの東にあるエッテルペークに酒場を持っていました。この店には医学生のプリクーも足繁く通い、ビールを飲んではビリヤードを楽しみました。もちろん彼は女の子に注意を払うことも怠りませんでした。

 ベークマンは、グローテルスから、当時最良の鳩”アウデ・ニオールト”のヒナを2羽もらいました。アウデ・ニオールトは同名の国内レースの優勝鳩でした。それほど長い距離ではありません。ブリュッセルの銘鳩”ヘンリ・グローテルス“は、このレースで5位に入賞しています。レースは非常に過酷で、放鳩日に帰還したトリはわずかに11羽きりでした。            (続く)

  ■■『Piet de Weerd 研究』022■■  [ピート・デヴィート回想録022「偉大なるブリクー」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年9月号 )  イレブン  2020年8月7日(金) 5:56 修正

  ■偉大な系統フローテルス■  □Piet de Weerd   2020年8月7日(金) 5:59 修正
――イギリスの有名な長距離レース鳩マーケット・ハルボローのJ・W・ローガン、セジリー・ヴァルハーハンプトンのJ・L・ベーカー、リバプールのJ・W・トフトはほとんどフローテルス(グロータース)だった

 私は『大空の競争馬』の中で、偉大な系統フローテルスについて書きました。フローテルスは一部はウーレンス(デルデレネ経由)、一部はフォース(ファンデルリンデン経由)だったと言われています。

 ブリクーは、ベークマンでフローテルスの”ニ一オールト”の孫と曾孫を手に入れることができました。曾孫の方は、ベークマンのオークションで買いました。この鳩に自由舎外をつけている時に行方不明になったので、ブリクーは孫を買入れましたが、こちらは前の鳩よりずっと優秀でした。既にかなりの高齢だったので、ジョリモンでヒナを3羽しか生みませんでした。オス2羽とメス1羽です。

 オスの1羽は明るいゴマの羽色で素晴らしいレーサーになりました。もう1羽のオスは、濁った脂っこいゴマで、少しスレート・ブルーが混じっていました。名前は”マラド=病人”で、ジョリモンの世界的に知られた系統の基礎鳩と見なされなければなりません。

メス鳩の方はブリンシュのカーリエに持って行き、そこで強力なベンダルム“や。サンバンサン‘の母親と掛け合わせました。口達者なために大臣と呼ばれていたプラスーフォンテナスのコルビジエは、このサンバンサンについて、これまで見たこともないほど強い翼を持っていたと常々言っていました。

 ■比類なきブリクー■    2020年8月7日(金) 6:04 修正
 ブリクー博士は”マラド“をその半姉妹と掛け合わせました。ハイン・サン・ピエールに住む友人の薬剤師ビーフィエツから買った鳩です。友人はその鳩をベークマンから買いました。当時ジョリモンとハイン・サン・ピエールは取るに足りない集落で、はっきりした境界もなく互いにくっついていました。

 そんな集落から明るい羽色と暗い羽色をした2羽のオス鳩、いずれも比類ないレース鳩と種鳩、すなわち系統の基礎鳩が出現したのです。ブリクー博士はさらに2回の導入をしましたが、その成果あって彼は才能ある鳩の識者として名声を博しました。ジェマッペのルソー兄弟オークションで小さい灰色の”白馬”を買いました。ホイグネーのコリン経由ラボゼー在住レジューヌ博士の系統でした。この系統は2羽の迷い込み鳩を源鳩としていました。迷い込みが、カーリエの系統とのクロスによって素晴らしい鳩を生んだのです。

 ブリクー博士はまたワルコートのバクレーン兄弟と、それぞれヴェルヴィエールのバンセンヌとブリュッセルのフローテルス(グロータース)の系統の二羽の赤褐色と青白色のオス鳩を、自分の系統の2羽のメス鳩と交換しました。博士は交換した鳩から4羽のヒナを作りましたが、彼はそれらをかつて自分が脚環を嵌めたうちで最も高貴な鳩と呼びました。名前は”クラヴァッテ”(ネクタイまたはループタイの意味)、”ジャンボー“ ”プティ・ルス”、”ルス・ヨウ・ブラン“でした。後の2羽はメス鳩です。

 クラヴァッテとシャポーは卓越したレーサーで、その姉妹は二十世紀前半を通して最高の種鳩でした。ルス・ヨウ・ブランは、カーリエのオス鳩とクロスしました。このカップルから”三銃士”が生まれました。プティールスは1922年にダックス・ナショナルで5位に入りましたが、マラドとその姉妹から生まれた、小型でもガッシリした黒いゴマのオス鳩とクロスしました。

 このカップルから、ブリクーの名前を不滅にした鳩が生まれました。先ず第一に”ジュール・セザール“。小さい赤のオス鳩で”プリムス・インター・パレス“ (すべての中で最上のもの)と称賛され、ボルドー・ナショナルで優勝しました。げれども、ダックス・ナショナルで4000羽中2位に1時間も差をつけて優勝した”ボン・エカイエ”の方がもっと優秀だったのではないでしょうか。この時ブリクー博士は1位と2位を獲得しましたが、放鳩当日に帰還した鳩はなんと4羽に過ぎなかったのですから。

 プティールスは第3のフォックスで、ボルドー・ナショナル2位とダックス・ナショナル16位に入りました。

 サンバンサンの成績は、ボルドー・ナショナル2位と10位、リュッティッヒのサンバンサン・ナショナル7位です。
 この他、”プリューム・ノワール“、”ラウクロット“ ”タッシュ・ブランシュ“ ”ル・ファボリー”などがいました。ブリクーの友人、たとえばカーリエ・シオン、スタッサールト、デューレイ、カロミン、シェルマン、トレメリー、パロット博士、ヘントゲスもこの奇跡のカップルの直子を持っていました。

 ブリクー博士は”プティールス“のヒナを自分の”ルス。ヨー・プラン”の三銃士と掛け合わせました。こうして彼は数多くのチャンピオンを育てましたが、多くの識者は”最も高貴な系統”と、口を揃えて言いました。

 アーネスト・デューレイはこの系統の最高の鳩すなわちJソユールーセザール‘の全兄弟二羽を持っていました。ファンーデューンはこの鳩を手に入れるためにあらゆる手段を尽くしましたが、博士はついに首を縦には振りませんでした。

 ブリクー博士は自分の系統を10年間の濃密な近親交配で育てましたが、それはアーレンドンクのヤンセンのお手本となったかもしれません。1930年7月20日、彼は同じ日に2つの国内レースに参加しました。ポーでは3・7・11・19・21・22・84・96・100・115・165位を獲得しました。放鳩当日に帰還したのは5羽だけでした。コルトリュクのアングレーム・ナショナルでは優勝・2・9・10・18・22・64・68位を獲得しました。彼の友人シリルーデミルは同じレースで3位に入りました。最初の3羽は後続に25分の差をつけました。

 2週間後、彼は最強のチームをブリュッセルのアングール・デザース・ナショナルに出場させ3・4・5・6・7・8・9・18・27・31位に入賞しました。

 私はヒュースケンスとファンリールが1950年に、アングレームと、アンテンテ・ペルシュ主催のリブールヌ(リボルヌ)で大活躍したのを覚えています。最後に彼らは数羽の鳩を携えてリエージュに進み、記憶に間違いがなければ、優勝と3位を獲得していたと思います。”ゾデッケ”と”ゼスティーン”という鳩でした。このゼスティーンの父親は私の鳩舎にいた”スデック”で”ブリクセム“ (稲妻の意味)とは兄弟でした。

 スデックはデルバーの”バロン”の姉妹と交配して、ワッケンのアルペルト・バーケラントの鳩舎にバルセロナ・インターナショナルで2位をもたらしました。スデックとバロンは、いずれもウィールスベーケにある私の鳩舎から行ったトリです。

 ブリクー博士は、時々リエージュのレースにも参加しました。たとえば、29年6月22日に2551羽が参加したナショナル・レースが行われました。気温は高く、強い北東の風が吹き、博士にとっては決して有利な条件ではありませんでした。しかし、優勝・7・8・24・45・92・93・138・152・176位を獲得しました。

 同じレースで友人のシリル・デミルは甥や姪、時には父親や娘、母と息子を掛け合わせて作ったブリクーの鳩だけで2・6・10・23・40・75・240・265・279位に入りました。ペスト・テンに実に6羽がブリクーの血だったのです!

 この赤い機関車にはとても太刀打ちできないことを人々は認めないわけにはいきませんでした。

  ■■『Piet de Weerd 研究』023■■  [ピート・デヴィート回想録023「定量的性質の遺伝性」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年10月号 )  イレブン  2020年8月7日(金) 6:07 修正

  ■定量的性質■  □Piet de Weerd   2020年8月7日(金) 6:35 修正
 『大空の競走馬』のなかで、私はバスケットと鑑識眼について1章を割きましたので興味のある方はどうかご覧ください。そこに書かれている原理は、今でも決して古くなっていません。
 その本の215ページに掲載した衆知の図表と解説文を、本書のどこかに採録するつもりでいます。その理由は、鳩における定量的性質の遺伝について、今日、人々がどう考えているかを語りたいからです。このテーマはちょっとした流行になっていますが、ピジョンスポーツでは本格的な研究は未だ始まってもいないのです。

 科学者であり専門家でもあったハンガリーのカポスヴァールに住むアンカー教授ならできたでしょう。肥育用の豚で成果をあげた方ですが、残念ながら数年前に亡くなりました。アメリカのイサカに住むキートン教授も同様です。私はイギリス・サリー州のウェイブリッジに船と鉄道を乗り継いで旅して、キャプテンカイガーの「アイサイン物語」を聞き、コネティカット州のオレンジでは鳩における近親交配のスペシャリストであるホイットニー博士の説に耳を傾け、そして鉄のカーテンの向こう側、ブダペストとカポスヴァールに赴いて豚における定量的性質の遺伝のスペシヤリスト、アンカー教授の話を聞いたのです。

 アンカー教授は、通常の豚よりも肋骨が一本多い豚を作り出すのに成功しました。が、どうも経済的には大失敗だったそうです。

 また、南アフリカ・トランスヴァールのプレトリアに飛んで、ボンスマ教授とも会いました。彼は牛と、牛の生存環境の改善にかけては世界の第一人者でした。ヤン・ボンスマは実践的な鑑識眼を持ったスペシャリストで、競走馬に関する偉大な識者、ミラノ郊外の北イタリア山中に住むフレデリコーテシオや、バリードイルの有名なアイレン・ヴィンセント・オブライェンと同じタイプでした。

 彼らの方法を説明しようと試みるには、もともと不可能なものの説明を試みるようなものです。世界には優秀なピアニストがたくさんいますが、ウラディミール・ホロヴィッツやピエール・アラン・ヴォロンダートの水準に達することは普通人には不可能です。才能のない人間には、いささか酷なことですけれど。他方、感情的な聴衆が演奏の中に見たと信じている魔法が、ハッタリ屋や、いわゆる 「現代芸術家」の口実になっているというのも事実です。

 かくして人間の世界は多様極まりないものとなるのです。もちろん、ちっぽけな鳩の世界においてもしかりです。

 ニューヨーク州イサカにあるコーネル大学のウィリアム・T・キートン教授のもとにも飛びました。そこで話題になったのは”方向感覚”です。私は淘汰について何点か示唆しました。

 思考の飛躍を多くの人間か犯します。私たちもちょっとハンガリーまで飛んでいきましょう。実際、私はロシア版ボーイング727、トゥポレフで飛んだのです。目的は、アルフォンス・アンカーを訪問することでした。その折り、私たちはドナウ川沿いのブダペストと、バラトン湖に近いカポスヴァールで、数十羽の鳩について詳しく語り合いました。教授はこれらの鳩について、国際刑事警察機構が集めている犯罪者に関する記録のごとき詳細な資料を持っていました。

 彼はファレールやマリーがまだ生きていた時代から、デスメットーマタイス系について特別の研究をおこなってきました。この遺伝学者ほど完璧な鳩の資料を持ち、ほとんど毎日のように増やし続けている人間に出会ったことはありません。しかも彼が鉄のカーテンの向う側の人間、つまりアウトサイダーだったことを考慮にいれなければなりません。
 ハプスブルグ家の中将の孫に当たる彼ならば”ジプシー男爵”のようにもなれたでしょうし、いつも無数の鳩がいたコルトレイク地方を故郷のように感じることができたでしょう。余りに早い逝去は残念でなりません。

 私たちはドナウ川の岸辺に建てられたフン族の王アッティラの等身大より大きい記念碑の前に立ちました。アンカーは私に、ハンガリー語はフィンランド語に最も近く、中世初期のモンゴル語やスレイマン時代のトルコ語まで遡ると教えてくれました。ピジョンスポーツでは、ドイツ語、英語、フラマン語で手紙のやり取りをするが、フラマン語が一番難しいと、彼は語っていました。

 一年に一度しか国外に出ることを許されないこのコスモポリタンは、デスメット・マタイス系を研究しただけではありません。彼はこの系統のトリを相当数、持っていました。それらは1歳から8歳まで、あるいはそれ以上の年齢に及んでいました。ヒナあるいはイヤリングで、これらの鳩はハンガリーに渡ったのだそうです。この一点のみをとっても、それらの起源や品質について懐疑的にならざるをえません。淘汰されることもなく、これらの鳩はごく若い時分に、老朽化した農家の巨大な屋根裏部屋に押し込まれたのです。

 農場には数匹のみすぼらしいハンガリー・シェパードがうろついていました。犬は老いさらばえていましたが、その使命は、私なら何の価値も置かないような農場を守ることでした。近づけば噛むことは分かっていました。図々しい犬どもは、見たところ何にも興味がないようです。あるとすればせいぜい、ひなたで寝そべることくらいでしょう。吠えることもなく、ただ噛むのです。
 農夫は60絡みのガッシリした体格の男では何も知りませんでした。

 アンカーはデスメット・マタイスを世界で最良の鳩と見なしており、私にそれ以上の鳩を挙げてみろと言いました。私なら”ズワルトバンド“の方を高く買うと一言いました。それから”アイザレン“と”スティール“の名も挙げました。アーレンドンクのヤンセン兄弟の”パンゲ”や”メルクス“も忘れずに。

 私は”ズワルトバンド“をよく知っていましたし、何度か掴んだこともあります。あの輝かしいデブリエンドのオス鳩。”シュプルート“もそうです。これはムーレのデスメット・マタイスが自分の系統と掛け合わせました。交配は大成功でした。

 私たちは、定量的性質の遺伝性についても話し合いました。定量的性質について話した後です。アンカー教授は、この分野の研究に熱心に取り組んでいました。科学の分野では珍しいことでもありませんが、彼は類推に基づき、定量的性質は外面的な特徴と関連があると言いうると信じていました。

 定量的性質とは、幾つかの、時には多数の遺伝因子によって規定され、全く、あるいは殆ど表面に出ない総ての性質を言います。彼は鳩における定量的性質を2つの主要グループに分類しました。さらにグループAを、
 @一般的活力
 A抵抗力
 Bいわゆるフォーム
の三つに分けます。アンカー教授は私か書いた記事を30年以上も前に読んだが、その内容は頭から離れないと言います。

 「それについてある人は60パーセント理解し、別の人は20パーセントしか理解しません。といっても、そういった数字を含んだ定義はどこにもありません。それどころか、全く理解しないことを自慢にしているとおもえる人さえいるのです」。

 淘汰には、一般に受け入れられている基準があります。これらの基準は平均に対して当てはまります。しかし”クラックーcrack”と呼ばれる生まれながらのチャンピオンは平均的な鳩ではありません。チャンピオンは、身体的な観点でも平均から外れているのです。私たちが用意したコルセットにはめ込むことはできません。チャンピオンは”背中を丸める鳩”や”半端な鳩” ”背なしの鳩“の中にいるものです。賢さと性格を判断することを身につけた者は、先入観や偏見なしにバイタリティーを感じとることができます。彼は、その点で他の人々に大差をつけます。テシオやヴィンセント・オブライェンは、馬の世界でそれができました。サッカーではマット・ブスビー、エルンスト・ハッペル、リヌス・ミシェル。オートバイレースで言えばギョーム・ドリーセンス、シリル・ギマール、ペーター・ポストがそうでした。 (続く)

  ■■『Piet de Weerd 研究』025■■  [ピート・デヴィート回想録025「鑑識眼とは何か」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年12月号 )  イレブン  2020年8月8日(土) 4:30 修正
この『Piet de Weerd研究』の連載を開始したのは、2020年6月19日(金)でした。約1ヶ月半ほどで、25回まで進みました。回想録全体の1/4に当たります。正確に言えば『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳の1/4の内容です。


この25回までが、Piet de Weerdの回想録における主要な系統理論となりますが、2004年8月20日に発刊された『銘血・銘鳩 伝説の愛鳩家ピート・デウェールトの回想録』では、この25回までの内容はほとんど省かれています。

 2004年8月と言えば、イレブンは、レース鳩再開に向けて一生懸命鳩舎を作っていた頃です。記憶では、発刊間もない頃にこの本を購入したと思うのですが、何度読んでも、よく理解できない分かりにくい本だなあ、と思ったことを覚えています。

 しばらくするうちに『愛鳩の友』1995年2月号から連載された「伝説の愛鳩家ピート・デヴィート回想録」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》を読むことができるようになり、その内容を見て驚嘆のしてしまいました。ピートさんがとんでもないほど見識が深い人物であることに初めて気付いたのでした。

 今回連載した第25回までの回想録の内容無しでは、ピートさんが回想録で伝えようとしていることはほとんど理解することは出来ないと思っています。25回以降の内容もここまでにピートさんが問題提起している配合論の理解抜きではピートさんの真意を掴むこともできないでしょう。

 今回の『Piet de Weerd 研究』を始めたことで、10数年ぶりに改めてこの回想録の内容をじっくり再読することが出来ました。お陰でいくつもの新たな発見ができイレブン自身の勉強になりました。

まだ全体の25%程ですが、これからも、毎週週末に定期的に連載して行きたいと思っています。何よりもイレブン自身の研究になっています。

 ■バスケットと鑑識眼■  □Piet de Weerd  2020年8月8日(土) 5:09 修正
(前号よりの続き) 当時、ホースレースの世界では知性と資本がガッチリ手を結び、理想的な協力関係を築き上げていました。もし、このアイルランド人が違うアドバイスをしたなら、誰か別のホースブリーダーがこの子馬で幸運を狙うことになったでしょう。ダーウィンはこの老大家の才能を”鑑識眼”と呼びました。そして、彼は遠い将来も鑑識眼に代わるものはないであろうと予言しました。

 ところで、他人より多くの”洞察力”を持ち合わせた人々がいます。レオポルド・モーツァルトは、真先に自分の息子が天才であること、歴史上最も偉大な芸術家の一人であることを見抜いたのです。

 失踪して行方の分からなくなった雄馬”シェルガー”の写真を見たウィンセント・オブライェンは、それ以上何も質問しません。そして1983年、その馬が”ジョン・ヘンリー“という名でレースに出ているのを発見しました。しかも、馬はこっそりと去勢されていたのです。

 子供を生まない優秀なレース鳩と、レースではバスケットによってふるい落とされる優秀な種鳩ではどちらが良いかという質問は、有能なブリーダーにとってそれほど応えにくいものではないでしょう。レース鳩の命運は当の鳩だけのものですが、種鳩には子孫全体の命運がかかっているのです。

 ●遺伝素因と環境と●    2020年8月8日(土) 5:12 修正
 配合値と飛翔値を示した上のグラフには、横に12個の欄が並んでいます。番号をつけた各々の欄で、黒い部分は表現型が成立(発現)する際に、遺伝素因に由来する大きさを表し、斜線の部分は環境の影響の大きさを表します。

 レース鳩としての適性は、黒と斜線部とを併せた欄の高さで表されます。ABの水平な線は飛翔能力線とみなすことができます。黒い部分すなわち遺伝素因は、既に胚の段階でヒナに備わっています。これは、生涯にわたって殆ど変化しません。特に1・2・3・4・5の番号の鳩のことを、人々は
 「運が悪い」
と言います。これに対して、斜線部は可変値で、使翔者の腕ひとつで大幅に改良することも、全く駄目にすることもできます。活力の増加、健康な成長、戦術(ウィドウ・システム、ビタミン投与など)によって著しく高めることができ、従って飛翔能力を改善することができます。それにより、価値の低い系統の鳩、要するにあまり良くない鳩はABの線を越えて、最良の鳩になれるのです(2・4・6)。

これに対し優れた系統の鳩でも処理が間違つていたり適切でなかったりすると、月並みを越え’(″ことができません(10・H・12)。これらの鳩の飛翔能力はAB線を下回っているのです。
 しかしながら、配合の点では優秀な鳩2・4・6は、月並みの鳩10・11・12に比べてずっと劣ります。なぜならば”黒”は遺伝しますが”斜線”はヒナに伝えることができないからです。

 垂直線CDは、配合値線と見なされます。この線より右側は良い鳩です。この点については、バスケットはひどい過ちを犯しました。バスケットは番号2・4・6および9の鳩を残すよう指示しますが、配合に使えるのは9番だけです。

 この例から、鳩の成功には有能な作出および使翔者の占める割合がいかに大きなものかが明らかになります。優秀なエキスパートの手にかかれば、1番から8番までの月並みな鳩も、9番から12番までの鳩よりも良い成績を上げることが可能なのです。

 ●ダーウィンの教え●    2020年8月8日(土) 5:14 修正
 鑑識眼は後天的に獲得された資質です。エキスパートの間でも、知識や淘汰の能力には大きな違いがあります。私は、非常に多くの知識を持っていて、これ以上学ぶことは何もないと信じている人間を見たことがありません。テシオやウィンセント・オブライアンやヤン・ボンスマは、生涯にわたって完成を目指し、たゆまず努力しました。

 「卓越したブリーダーになるのに十分な、精確な眼や判断能力を備え持った人間は、千人に1人もいない。そうした資質に恵まれ、自分のテーマを長年かけて学び、不屈の忍耐をもって生涯をこれに捧げるならば、彼は成功し、多くの偉大な改良をなし遂げるであろう。これらの資質のいずれが欠けても、彼は間違いなく失敗するであろう。有能なブリーダーになるのに必要な天性の能力と、長年の実践を信じる者は殆どいないだろう」。
 チャールズ・ダーウィン

 ■ヤンセンとその他の有名な系統■    2020年8月8日(土) 5:15 修正
 ヨス・ドゥーゼーウは、エイントホーフェンに住むオランダーレース鳩協会機関紙・NPOの発行者で、その広報活動により世界最大の長距離レース、サンバンサン女王杯レース(約1000キロ)のスポンサーになっていました。彼はある時、私にこう尋ねたことがあります。

 「あなたがそもそもアーレンドンクのヤンセン系にそれほど高い価値を認めるのはなぜですか。この系統が鳩レースの世界で無比であるというのはどういうわけですか。もしあなたが2ダースの最良の系統の表を作ったとしたら、ヤンセンもそれに入りますか」。

 この質問がきっかけとなって、私はヤンセン系の品質をベルギーとオランダの他の最良のオールラウンドな系統の種と比較してみようと思い立ちました。そのような表は考えられません。テニス界やチェスの世界には実際に存在しており、E10査定と呼ばれています。私も歴史上最高のオートバイレーサーの表を見たことがありますが、そこに載っていたいわば20世紀のスーパー・ベルノーです。

 しかし、今世紀最高の24の系統は何かとなると、議論の余地があるでしょう。私自身、この議論に50年以上も積極的に加わっています。このような議論は何も生み出しはしませんが、非常に興味のある話題です。

●最良の系統とは●

 私の意見では、ジョリモンのブリクー博士が筆頭に来ます。私は彼の鳩をヤンセンの鳩と比較してみるつもりです。彼の後継者にはアーネスト・デュレイ(エコーシネス在)、シリル・デミル(ハイネ・サンパウル)、アルトゥール・カラミン(シャテレ)、オスカール・ブライモン(クーイレ)、アルフレッド・マスール(ラ・ルヴィエール)、ヘクトール・デズメ(ヘラールズベルゲン)、ネストール・トレメリー(オウデンブルグ)、グサヴィエ・デュモン・ドゥシャサール(ヴィレール・ベルヴァン)、シャルル・ロシニョール(マルシェンヌ・オウーポン)、グレゴワール・シェルマンヌ(シャトリノー)、アルトゥール・ファンデンエインデ(リュス)、ジローム・スターサル(アンデルレヒト)、フランツ・ヘントゲス(リュクサンブール・ボンヌヴォワ)、その他、大勢います。

 私か知っている最も有名な二羽のブリクーバードは、バーゼクル在住ダンハイヴェ兄弟の”ローデ・バルセローネ‘と、オッティニエ在住アデリン・デマレーの”フヴァーレ・バルセローネ”です。後でこの2羽の外観を記述しようと思います。

 第2位(といっても十分、1位の値がありました)は、ロンスのモーリス・デルバールです。彼は1935年から1945年の間、ピジョンスポーツにおける重量級世界チャンピオンでした。パワーとテクニックとを併せ持ち、考えられるどんなライバルも叩き潰すことができました。デルバールは世界の至るところに鳩舎を持っていましたが、ヤンセンほど多くの鳩は飼っていませんでした。

 彼はかつてイギリスで空の国内チャンピオンシップを握っていましたが、その栄光を取り戻すためにありとあらゆる努力をしました。オランダではスタフ・デュサルダインが旗手でした。この無敵の系統の基礎の中心をなしたのは、世界的に有名なシュテーンペルゲンの系統ヤン・アールデンです。

 第3位は、ローヴェの愛鳩家アロイス・シュティッヘルボウトの一派です。その後継者として、ミッシェル・デュシャン・ファンハーステン(ローヴェ在)、レオポルド・ボスタイン(モールスレーデ在)、ヘラルド・ヴァンヘー(ヴェルヴィック)、マルセル・デスメ(ワーレンヘム)、アンドレ・ファンブルアーネ(ローヴェ在……彼について書くだけでも一章必要になぞほどです)、ヴェルエーケス(サン・ルイ)、ジュリェン・マタイス(ヴィヒテ)、ノルベルト・ノルマン(クノッケ)等の名前を挙げることができます。

 これには。海岸地方の”チャンピオン“、オウデンブルグのファンデルヴェルデ、シャルル・ヴァンデレスプト(オーステンデ)、ムーレのカットレイセ(=カトリス)とオスカール・デブリーント兄弟、エミール・マッテルネ(オーヴェルヘスペン)、それにアントワープのコルネール・ホーレマンズとヒュースケン・ファン・リェルが含まれます。

 ヘラールズベルゲン在住の ”クロスブリーダー“ ヘクトール・デスメは、ブリクーとホーレマンズの鳩を使い、偉大なる”ポインテール“ (=トップーフライター)の名声を馳せました。

 さらに、バッティスの有名なワローネン、ペーテルス・ボーフォール、デュレイとコミンヌで自分の系統を確立したアンダールーズのレイモンド・キュボット、ドールニクのラウル・ファンスピタール、そして彼を経由してレールネスのマルク・ローゼンス。彼らの最良の鳩はホーレマンズでした。

 これにデスメット・マタイスとヤン・フロンデラールスの名前も加えるべきだと言われたら、私は反対しません。彼らは中距離の世界チャンピオンでした。私の意図は、これらすべての系統について、それぞれ一つの原型を取り上げて、ヤンセンのバックグラウンドと比較することです。

 ●無比の系統    2020年8月8日(土) 5:16 修正
 そのほか理解の助けとして写真を載せ、また彼らを有名にしたレースの成績を抜粋します。私がなぜヤンセンの系統を無比だと言うのかという問いに対して、次のように答えることができます。ブリクー博士を筆頭に先にあげた世界的に有名などの系統も、ヤンセンのスーパーピジョンと掛け合わせたならもっと良くなっていたでしょう、あるいはもっと良くなることでしょう。この交配で最も期待できるのは、幾つかの重要な観点でヤンセンから一番遠い系統でしょう。
(この項続く)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇並河靖『レース鳩作出余話』(20)=交配について =  イレブン  2020年8月5日(水) 4:14
修正
並河靖の『レース鳩作出余話』は、次の内容で連載されました。

■(1)「悪天候克服性」
■(2)〜(14)「後代検定の重要性」
■(15)「相性について」
■(16)調査中
■(17)「種鳩の管理」
■(18)「何月生まれのヒナが最良か」
■(19)「巣立ちの時期と管理
■(20)〜(34)「交配について」
■(35)〜(49)「世界の鳩界事情と鳩の性能」

これをご覧になると分かるように大きな柱となっているのは、

●「後代検定の重要性」
●「交配について」
●「世界の鳩界事情と鳩の性能」

の3つです。戦後日本鳩界の発展の中で、並河靖の系統理論は実に大きな影響を与え続けてきました。名著「作出と競翔」を始めとして、各鳩界雑誌の連載や講演会など、並河靖ほどその情報発信を続けてきた存在は他にありません。
この『レース鳩作出余話』は、その並河理論のエッセンスとも言うべき内容が詰められているようにイレブンは捉えています。

特に15回にわたって連載された「交配について」は、有名な「オスマン氏の教訓」の詳細な論述から始まり、現在『Piet de Weerd 研究』で、問題になっている近親交配論と重なる内容の理論展開がされています。そしてこの並河靖が展開している交配論の考え方は、当時から現在に至るまで、実に大きな影響を与えていることが伝わってきます。

愛鳩の友誌でPiet de Weerd の回想録の連載が始まったのは、丁度、この『レース鳩作出余話』の連載が終了して10年ぐらい経ってからのことです。

イレブンはこの『レース鳩作出余話』の「交配について」と現在の『Piet de Weerd 研究』を比較することで、Piet de Weerdの理論をより深く理解できると考えています。

 ◇◇『レース鳩作出余話』(20)=交配について その1= (出典:『レース鳩』誌、1985年2月号より引用)◇◇    □並河靖  2020年8月5日(水) 4:17 修正
 ここで改めて本論に立ちかえって。実際に交配作出をどう進めるべきかを検討して行くことにしよう。

 鳩レースの持つ醍醐味として私達が最も大きい興味を持つことの一つは自分が考え、自分が選んだ交配で作り出した選手鳩を実際に飛ばせて優劣を争うことの出来る楽しみである。
 私達はこの楽しみがなければ、とても長い年月の間のレース鳩とのつきあいは出来なかったことと思う。
 自分が手塩にかけて作り上げた鳩をレースに参加させてその優劣を競うのであるから。この作出がうまく行われることが先ずレースに勝つための第一歩である。
 この文を読んで頂く方々は、日本中の超ベテランの方もおられる反面。今回入会された新人もたくさんおられることと思うので、話をわかりやすく初歩の方を常に頭において書き記しているために、今更らこんなことをと思われることも多いかと思われるか、何卒お目だるい点はお許しを頂きたい。

 既に先にも述べたことではあるが、その意味で最も初歩的な成功率の高い交配方法から話を進めることにする。その場合、私としては先ずイギリスの大競翔家であった故オスマン氏の初心者に対するアドバイスをお伝えしたい。
 彼は初心者の人達が鳩レースを始めるにあたってどのような腫鳩をどのように交配して作出したら最も成功が早いかを次のように教えている。

◇◇◇
 先ずそのレース地域で、最も成功している2鳩舎を選び、それぞれの鳩舎から晩生れの仔鳩(その年内に主翼羽を全部換羽出来ない7・8月頃に孵化した仔鳩)を数羽ずつ譲り受ける。そして翌春にはこの二鳩舎の鳩をA鳩舎の雄にはB鳩舎の雌を、またB鳩舎の雄にはA鳩舎の雌を、というように交互に交配してその作出鳩でレースに参加しなさい。
◇◇◇

 以上オスマン氏の述べた点はまことに簡単ではあるが、彼はそうすることによって、これらの先輩達の鳩を打ち負かすレース鳩を作ることが出来ると述べている。
 これには実に深い意味がある。この言葉の持つ意味は咬みしめればしめる程味があることに気付く。

 彼が名門のA鳩舎、B鳩舎の鳩を打ち負かすことの出来る鳩をこの交配で作り出すことが出来ると言っていることはA鳩舎、B鳩舎共に現在地域のトップに立っている鳩舎では簡単にAはBからの仔鳩は導入し難いし、Bも同様Aからの腫鳩の導入はいろいろの意味でむずかしいのである。

 それが初心者の場合には、何のこだわりもなく実行に移せるし、またA鳩舎、B鳩舎の立場にあっても初心者の求めであるが故に分譲しやすいからである。

 第2点としてはA鳩舎、B鳩舎それぞれの立場から考えても、A・B両鳩舎共に或る程度の近親交配がなされている可能性があるので、近交が重ねられるに伴う虚弱化か大なり小なり進んで来ていると考えられる。
 それがA×Bという異血の交配によって強健性が恢復される。ここに大きな利点が生れるわけである。

 第3の点はオスマン氏がわざわざその地域の第1等の鳩舎A・B2鳩舎を選ぶように言っている点である。
 鳩レースの場合、特にその地域地域によってそのレースのコースにはそれぞれ特殊性がある。従って他地城で如何に優秀な成績を挙げている鳩の血統を導入しても、その地域のレースコースにはなじまない場合もかなり多い。
 この点は、これからの私の記述でいろいろと論じ、考えて行きたい点であるが、外国産の名血同志を交配してもなかなか目的の優秀成績鳩が作られないのは、ここにその原因がある場合もかなり考えられる。私達は良き先輩のアドバイス等を得て、一応の成功を収めるとつい良い気になって、自分の足元が見えなくなってしまいがちである。

 イギリスでは日本程でないにしても、ベルギーやフランスでレースをしているように簡単には鳩は飛んでくれない。それはイギリス独特の濃いモヤの発生のために、帰路を見失うヶ−スがかなりあるからである。

 だからこそオスマン氏はその地域で成功を立派になしとげている鳩舎2鳩舎を選んで、そこから種鳩を入手するように忠告しているのである。
 自分の鳩の性能を向上させる目的でヨーロッパの先進国から種鳩を導入することは勿論大切である。しかし、同時に初心に立ちかえって、その地域での優秀鳩舎の血統の導入をも再考して見る必要があるのではなかろうか。
 このことはなかなか重大である。

 ◇◇『レース鳩作出余話』(21)=交配について その2= (出典:『レース鳩』誌、1985年3月号より引用)◇◇    2020年8月5日(水) 4:20 修正
 オスマン氏の初心者に対する指導の中で、その地域で最も好成績を挙げている2鳩舎から晩生れの仔鳩を種鳩として、それぞれ数羽を求め、これを交互に交配して作出するように指導している点について、第4番目に注目すべきことは晩生れの鳩、即ち年内に主翼羽の換羽を完了しないで、仔鳩時代の主翼羽を残している鳩を譲り受けるように言っている点である。あちらでは晩生れの鳩は、翌存の賭金レースに。極めて不利で間に合わないのであり、1年遊ばせてからでないとレースで良い成績か期待出来ないと言う効率の悪い点があること、したがって飼主としては在の第1番仔や2番仔とちがって譲りやすいことが、買う方の立場からすれば求めやすいことに通じる。

 また。もう1つ晩生れの鳩は、わざわざその両親鳩の仔鳩を晩くからでも作るだけの良さを、飼主としてはその両親鳩の交配に認め、その卵を捨てるのが惜くて作出した仔鳩であるから、その鳩舎としては選り抜きの第1級の交配からの作出であると言う買主には、まことに好都合な種鳩であると言い得る点である。

 日本の愛鳩家は、この点余り重視していないが、ヨーロッパの第1流の鳩人達はこの点充分に配慮をしているし、案外に安い値段で良い仔鳩を入手出来るチャンスであることはたしかである。

 さて、これで種鳩の交配は出来るわけであるが、そのそれぞれの交配のカップルについて、今迄述べた通りの後代検定を行うことになる。この際交配の当初からキメ細かな観察と記録が大切である。

 鳩レースで一つの結果が現れた時にその原因を確かめることが、良きにつけ悪しきにつけて大切である。そして、その原因は決して単一のものではないことか多くいろんなことが重なって一つの結果が現れるわけだから、このキメ細かな観察とその記録を書きとどめておくことが非常に大切となる。

 このオスマン氏の提言は初心者の方々に最も成功しやすい方策であるが、鳩というものはなかなか私達の思うようにはゆかないもので、その地域でしかも同じレースのコースを飛ばせて成功している愛鳩家の作出鳩であっても前に述べた相性の問題もあり、また譲り受けた鳩の遺伝能力の良否のこともあって、なかなか簡単には成功しないことも予恕される。私は今作出のことを主題にして述べているから、鳩の管理や飛ばせ方にまで触れる余裕はないが、この際非常に大切なことは種鳩を譲り受けた鳩舎での飼い方、飛ばせ方について充分な指導が受けられるように丁重に教えを乞うことが大切である。

 尚初心者の方々に対しては、私は先に後代検定の所でかなり過酷なテストを提言して来たが、本当に初めて鳩を飼われたち々に対してはもっと慎重に若鳩を取扱うようにお顧しておきたい。

 大切なことは若鳩はまだ小学生程度の発育過程にあると見るべきで、良く出来た仔鳩程充分にゆっくりその発育の完成を待つ必要があると理解しなければならない。

 私は非常にチグハグなことを述べているわけだが、若鳩という鳩は全くの子供であることは基本的に充分承知しておかねばならないことであり、その意味では若鳩の秋のレース参加を中止しておられる有名鳩舎のあることも知っておくべきことであろう。

 実際にヨーロッパ、殊にベルギーの第一流の鳩舎では、本当にその鳩に将来を期待している一歳鳩(若鳩だけでなく)にも極めて短い距離のレースにしか参加させないと言う嘔実も私達は允分に参考とすべきである。

 作出を述べているのにとんだ脱線をしてしまったが、これは非常に大切な点であるから充分に頭にとめておかねばならない。

 さて、一応の成功を収め得た場合、その後の作出をどのようにすれば良いかという問題である。また逆にどうしてもうまく行かなかった場介にはどう対処したらよいのかである。
 うまく行かなかった場合は、鳩舎の選択が不充分であったか、鳩の相性がよくなかったわけであるから、さらに充分にその地域第一等の鳩舎はどの鳩舎であるのかを検討して、再度第一歩からの出直しをする必要がある。

 この場合は出来得れば、さらにその鳩舎の最も好成績の鳩は何号と何号とである等の詳細までを調査して。その愛鳩家に自分の過去の失敗を事細かに報告して良い挿鳩の選定を、前に述べたように晩生れの若鳩から選んでもらうことである。

 好意を持って選んでもらえるならば、今度はキット良い種鳩が手に入ることと思われる。この点は非常にデリケートだが、昔の愛鳩家もこの事で随分と苦労をしている。有名ローガン氏は良い挿鳩を入手するために二頭立の馬車を提供しようと申し出ているし、ドクター・アンダーソンはシオンの鳩を入手するためにポール・シオン氏が興味を持っていた闘鶏(シャモ)の良いものをイギリスからお上産として持参したりしている。
何もこんな真似をする必要はないが、真に良い種鳩を入手することは言うべくしてむずかしいものである。

 ◇◇『レース鳩作出余話』(22)=交配について その3= (出典:『レース鳩』誌、1985年4月号より引用)◇◇    2020年8月5日(水) 4:24 修正
 オスマン氏提唱のその地城で成功している2鳩舎から晩生れの穐鳩をそれぞれ数羽ずつ譲り受けて交配作出する方法は非常に良い方法だから先ず成功されることと思うが、うまく鳩を飛ばせるためには飼い方、飛ばせ方も非常に大切であるから種鳩を譲り受けた鳩舎から充分な指導を受け、それを実行することに努めなければならない。

 どうしてもうまく行かない時には種鳩を求める地域の範囲を拡大して自分の目的としているコースに地形的に似たコースで、素哨しい活躍をしている鳩舎から同様に晩生れの鳩を前以ってお願いしておいて、数羽譲り受けて前から鳩舎にいる鳩と交配して見ることである。

 この場合、以前から飼っていた鳩がどうも全くうまく行かない場合にはさらにもう一鳩舎を選んで、その新しく導入した二鳩舎の鳩同志で新しいカップルを作った方がよい場合も考えられる。

 日本という国はアメリカやヨーロッパと異って随分山のけわしい地形であり、しかも雨が多く長く続く土地である。

 地形によって日本でも飛びやすいコースもあれば、どうしても山また山を越えなければ帰舎出来ないようなコースを飛ばせている地域もある。それぞれにその地域で好成績を挙げている鳩には性能上の特性が淆わっているはずである。この特徴は創造されるというよりも選択されて性能として固定したと見るべきであり、従って予めそのことを充分に承知して新規種鳩導入の鳩舎を選ぶことが大切である。

 私がなぜにオスマン氏の教訓を述べたかの最も大切な点はここにある。オスマン氏が鳩を飛ばせたイギリスでもヨーロッパ大陸から持たらされた種鳩のすべてがイギリスで同様の好成績を挙げてはいない。ご承知の通りイギリスでは海流の関係で英仏間のドーバー海峡附近に、モヤや霧が発生してレース鳩の帰還コースの厚い壁となってさえぎるから大陸を飛んで帰るのとは同じようには行かない場合も多分に現れる。好天候に良い成績で飛ぶだけの性能の持ち主では、この難関は突破出来ない場合から然おこり件るのである。日本にあってはさらに、それに輪をかけたような悪条件が重なる場合もおこり得るからである。何回も述べることであるが、ここが非常に大切な点であるから充分にご承知頂きたい。
 さて、A・B2鳩舎の睡鳩の相互の交配から一応の成功が収められた場合について、その後どのように交配を重ねて行けば良い種を考えてゆこう。

 数組のカップルの中で本当にこれはと思われる交配はせいぜい一組であるのが普通で、どれもこれもが素晴しいというようなケースは先ず稀である。

 だから、これでよいという交配を残して他は組合せを変更して引続き作出して見る努力を払うべきで、この際は成るべく短期で交配を切りかえて多数の交配を作ってその作出鳩をテストするように心がけなければならない。そうでないと徒らに長い期間をかけて無駄に終ることになりやすいからである。

 このようにしてA鳩舎、B鳩舎それぞれからの植鳩についての作出能力の評価が出来た時点になって、これからどのように作出方針を定めて行くかである。

 今、世界の鳩界で立派な成果を挙げた鳩舎がその後どうなったかを調べて行くと、大切なことはその時点でどの種鳩が本当に優秀であったかを見定めて、その鳩を中心に近親交配を行った鳩舎、これは場合によっては偶然にもラッキーに交配したのが近親交配でその中心の鳩が素晴しいものであったというケースも混っているかも知れないが、とに角、後世に何々系として永くその系統を尊重し継承された系統には必ずといっても良い程すべてのケースに近親交配が行なわれ、しかもそれが積み重ねられていることに気付く。

 逆に近交を避けて次々と異血を交配して行った鳩舎では何時の間にかその鳩群は世間並みの鳩になってしまって影をひそめてしまった場合が多い。

 ところが今度は近親交配によって、性能を固定し、一応の好成績を続け得た鳩舎でも。ある時点で適切な異血の導入を行って活力をよみがえらせる努力を払わない場合、即ち所謂閉鎖型の近親交配を重ねて行った場合には。たとえその鳩舎がかなり多数の鳩群を飼育していたとしても結果的には能力は下降の傾向を示して来る場合が多い。

 即ち、まだ今日の時点では競争動物であるレース鳩で全くの閉鎖型近交ではその性能の向上は望まれないし、また維持することも困難と考えざるを得ないのである。
 以上は通則である。今後の私達はこの通則を打破する研究努力を必要とするのは勿論であるが。一般論としてはこの通則にのっとって如何にうまく作出を行うかを考え、実行に移すことである。

 ◇◇『レース鳩作出余話』(23)=交配について その4= (出典:『レース鳩』誌、1985年5月号より引用)◇◇    2020年8月5日(水) 4:26 修正
 ここで私は交配・作出について現時点での結論とも言うべきことがらを述べたが、動物の育種遺伝学の基礎的な知識に関して解説をしておかないと充分なご理解を得られないのではないかとのことに気がついた。
 したがって、この方面の造詣の深い方々にはまことに初歩的な記載で申訳のないことではあるがご辛抱を頂きたい。

 近親交配とは字に示された通り近縁関係にある雌雄を交配することで学問的には同系交配とも呼ばれている.近親交配(以下近交と略称する)の中で親子交配.兄弟姉妹交配、祖父母と孫の交配は最高度、伯父姪、伯母甥、係同志の交配は高度.それより遠い血族間の交配を中度と区分したり、あるいは数量的に近交係数として高度のもの程数値が高くなる計算をする場合もある。

 近交は動物育種の第一歩で、近交を行うことによって遺伝因子が種々様々に組替えられ。今まで表現化されなかった因子組合せによって突然変異が出現し、目的とする優秀因子を嘸めた個体を作出、系統を分離、固定することが出来るのである。

 しかし、このように良い結果を得ることよりもむしろ重大な欠点をも同様に出現させる場合が多く、この中でも最も大きな問題は強健性の減弱である。一般に近交の程度が高度になるにしたがって、発育が遅くなり、体格が劣弱になり、罹病率が高くなり、死亡率も増加し、その極端な場合(例えば全兄弟姉妹交配を世代を重ねて行うような場合)には生殖不能になって系統が絶滅してしまうことになる。

 今、私達がレース鳩の作出にあたって優秀な性能を持った自己の系統を作りあげるためには、どうしても近交を重ねて優秀な遺伝因子を集積し、固定しなければならないが、その場合さけて通ることの出来ないものは強健性の減退である。

 この強健性の減退を防ぐ方法はないかという問題が当然考えられるのであるが、幸いに近代の動物遺伝学の実績を見ると白鼠、モルモット、二十日鼠等の実験動物にあっては、それに成功して百世代以上にわたる全兄弟姉妹交配を成功させている。

 したがって私達は自己の系統を作り上げるためには、先ず優秀な性能に目を向けると同時に、レース鳩の強健性についても充分な配慮と検討を行って種鳩の充分慎重な選択とその上に立った繁殖・作出と選抜にとり組まねばならないことをさらに改めて認識する必要がある。

 それから交配の相手を選ぶ場合にどの程度の近交になるか、あるいは近交をするかの問題である。近交の程度が進むにしたがって、優秀な遺伝因子の集倣は可能となるわけであるが、その反面先にも述べたように好ましくない遺伝因子も集禎され表面化して、強健性の減退は勿論、その他いろいろの好ましくない点が表面化することは覚悟しなければならない。その出現率は近交が高度となり、くりかえされることによってさらに激しくなる。近交のくりかえしで優秀なレース鳩を作り出すことは言うべくしてなかなかむずかしいという点を私達は充分に承知しなければならない。

 この近交でおこる欠点を除くためには何と言っても、その最初のスタートに優秀な系統で.しかもその中でも最も優れた鳩を基礎に近交をはじめるべきである点はご理解頂けたと思うが.この最初の基礎鳩の良否は近交系を作り上げ得るか否かの分岐点とも言うべき重大事である。

 その後の繁殖過程においては以上のことを充分にふまえて。常に劣悪な子孫の出現に注意し、作出の当初からいささかの虚弱化も認容することなく峻厳な淘汰を行う必要がある。この淘汰に関しては今までに詳細に述べてあるのでそれにしたがって頂きたい。

 そして最終的な選択は訓練やレースでの選別である。ただ、この場合も自分は何をレース鳩に求めているかをハッキリしておいて徒らに若い時代の成績だけで最終的な判断をするのではなく、やはり2歳、3歳、4歳、5歳というレース鳩の最も立派な成績の挙る時期に果してどのような成果が得られたかが、最終の判断となることをも承知しておかねばならない。

 しかし、その時点まで待っていたのでは何時までかかるかわからないことになるので私達はある時期、時点でそれぞれ個々の鳩についての評価を怠らないようにしなければならないが、この基本は常に頭に置くことである。

 レース鳩の作出で、私は近交という手段を避けて系統の造成は不可能と考えている。近交のくりかえしによる強健性減退阻止の課題は他の小動物で、すでに成功していることから考えて近い将来レース鳩でもキット可能のことと予想される。

 作出の窮極の問題はこの点にもあることは将来展望として忘れてはならない目標の一つである。

(つづく)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇並河靖『レース鳩作出余話』(24)=交配について その5= (出典:『レース鳩』誌、1985年6月号より引用)◇◇    2020年8月6日(木) 5:16 修正
 近親交配に対する対称的な交配として私達は異血交配を挙げなければならない。同系交配に対しては異系交配と呼ばれるものである。

 レース鳩の場合に通常行われる異血交配は、同じレース鳩の中での血統の異なった血縁関係のないもの相互の交配である。しかし、さらに進んでレース鳩に異品種の鳩を交配する場合も、異血交配(異系交配)の最も甚だしい場合であるが、この場合は他の動物でもそうであるように品種によっては生れた仔鳩は生殖不能になる場合があると言われている。

 それでは異血交配にはどのような特徴があるかと言えば、その最も大きいものは雑種強勢である

 生れた仔鳩は強健で成長が速く、大きさもしばしば両親を越える場合が多い。これはレース鳩にとってはまことに都合の良いことである。現実に大レースの優勝鳩や上位入賞鳩の血統を調べて見られるならば、この異血交配によって成功したと考えられる交配例が非常に多いことに気付かれる筈である。

 レース鳩の場合に強健であること、成長が速いことはまことに都合のよいことである。雑種強勢ということは異血交配の最も大きい利点である。
 しかしここで注意しなければならないことは、どの血統の鳩でも血統の異つた雌雄を交配すれば、すべて雑種強勢を結果するかと言えば、必ずしもそうとは限らないのである。稀には逆に相手によって劣弱な仔鳩を作ることがあること、すなわち、いわゆる雑種弱勢になることもある。

 私達は従って何系と何系を交配するならば、雑種強勢となって好結果が生れるかを今後の課題として充分に研究しなければならない。

 現実に家畜、殊に鶏等にあってはこの雑極強勢を利用して、発育成長の速い系統、多産の産卵鶏を作る系統がそれぞれの種鶏場で試験され造成されている。
 競争動物の場合と集団飼育の畜産の場合は勿論その目的も異りかなりのへだたりのあることはわかるが、それでもやはりこの雑種強勢という利点は充分に頭に入れて繁殖計画を考える必要がある。また、この雑種強勢をうまく利用するためには、先に述べた近親交配をうまく駆使して雑種強勢が強く発現する血統を育成することが先ず必要となるわけでもある。

 次に異血交配がもたらす利点のもう一つの大きいものは今迄の自己の血統では。如何に交配を重ね努力しても獲得することの出来ない形質、性能を新しく導入することが出来る点である。

 例えば、今迄持っていた血統ではどうしてもスピード性がもう一息充分でないので、常に上位入賞を逸している場合等ではやはりスピード性のある異血の導入交配が必要である。

 また、悪天候に対する克服力が劣って失踪をくりかえす血統に対しても、悪天候に対する順応の充分な血統の異血を導入交配が必要である。

 今ここで述べていることは問題をわかり易く説明するために一つの性能をあたかも単一の遺伝因子で出来ているかのような記述をしたが、この点はそう簡単なものではない。多数の遺伝因子のからみ合いで出来上った形質であるが、その遺伝の状態を見ているとこのように卒直、短的に述べた方がむしろ理解に役立つように思われる。

 形質改善のためには異血導入は一つの方法として是非試みるべき手段であるが、ここで注意しなければならないことは、スピード性を増すためにスピード鳩の血統を交配すると、スピードは改善の傾向が出て来ても今度は悪天候等にもろくも失踪してしまう欠点が発現する等の事例は当然おこり易い結果である。これは一例にすぎないが、なかなか育種ということはむずかしい。

 次に異血交配のもう一つの特徴は仔鳩の斉一性である。近交の場合はいろいろの仔鳩が出来る可能性が大きいが、異血交配の場合は出来た兄弟姉妹それぞれ大体似たりよったりの表型である。

 したがって私達は以前に述べた後代検定を行う場合に、異血交配を利用するならば、一組のカップルから多数の仔鳩を作らなくても、少数のテストでその両親鳩の遺伝的な性能を推測することが出来るわけである。

 また、他方一つの異血交配の組合せで非常に優れたチャンピオンを作出し得た場合には、これを継続することによって同様の好成績鳩を多数に作出することが可能である。
 ゴールデンーカップル等と称される有名鳩舎の代表的な種鳩のペアーも、このような異血の交配によって出来上っている事実が多い。
             (つづく) 
 (次は、異血交配を積み重ねて行った場合を考えてみましよう。)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇並河靖『レース鳩作出余話』(25)=交配について その6= (出典:『レース鳩』誌、1985年7月号より引用)◇◇    2020年8月6日(木) 5:18 修正
 今ここで現在のベルギー、オランダの鳩界、そして日本の鳩界の第一線で活躍している有名鳩舎の主流血統を調査して見ると、そのチャンピオン達の殆んど全部か異血交配で作出されていることに気付く。

 やはりレース鳩として幾多の難レースを克服して立派な成績を発揮するためには余程頑健な鳩でないと、殊に長距離レースを立派に飛び切ることは出来ない。

 長い年月の間レース鳩を飼育して見ると長距離レースを立派な成績で何年も続けて好記録を樹立したチャンピオン鳩達は実に長寿であり、まことに健康で何時までも若々しく溌刺としていることに気付く。そしてどんなに飼育条件が悪くても最後迄立派に生き永らえている。この一事を見ても優秀なチャンピオン鳩は逆に並はずれて健康であり、スタミナに富んだ鳩でないとそのチャンピオンとしての地位を獲得することは出来ないことが理解出来るわけである。

 だからこそ、多少なりとも体質的に虚弱さを持っている近交作出鳩自身では仲々チャンピオン鳩の座、殊に長距離レースのエース・ピジョンの座を射とめることは出来ないのが普通である。

 レースの参加鳩数が多くなり、レースが熾烈になればなる程、またレース参加回数が度重なればなる程このことはハッキリ現われるわけで、この点異血交配での作出鳩には持前の強健性という点で数段の強味がある。

 従ってレース主体に物事の運ばれるベルギーやオランダでは、一般的にはチャンピオン鳩作出のためには一にも二にも異血交配、殊に如何にして優秀な異血導入を行うかがレース鳩作出の最大のポイントになる。

 この点は日本鳩界でも同様であって一度異血導入をおこたるようなことがあったり、好ましい異血種鳩を手に入れることが出来なかった鳩舎では、何時の間にか成績表の上位から姿を消してしまう結果になる。レース鳩の作出のむずかしさと言わざるを得ない。

 さらにチャンピオン鳩達の血統書を遡って見て行くと、異血交配はチャンピすン鳩の両親鳩の交配だけでなく、その両親鳩をそれぞれ作出した祖父母鳩の交配も異血交配である場合が多い。

 その中でも経験的に言えることではあるが、レース鳩の作出の場合に大切な点は、母鳩たるべき雌鳩が健康な鳩であることの大切さは重大である。長年レース鳩を作出して来た有名鳩界人の意見としても。この点を強調される人が実に多い。
 殊に若くて体型体格の良い頑健な雌を種鳩として求める考え方は、経験豊かな愛鳩家の共通した願いである。この人達の一般的な意見としては雌の年令は5歳迄をとする意見が多いが、例外的に5歳以上の雌でも本当に優れた雌鳩ではかなり老令になってからでも立派なチャンピオンを作出しているケースがあることに驚く。私はこのような高年齢の雌でも尚且、立派なチャンピオン鳩を作り出したと言う健康な体質の遺伝をこそ、我が鳩舎に導入したいものだと思っている。
 交配の雌鳩については以上の通りであるが、かと言って雄鳩はどうでも良いと言うのでは決してない。

 遺伝学的に考えるならば性染色体に乗った遺伝質は、鳥類の場合では雄鳩からでないと仔鳩に伝えられないのであるから。その意味からしてだけを考えても雄鳩も軽々しくは決して考えられないものである。

 以上のように異血交配のくりかえしによって良いレース鳩を作出しようと言う考え方が、現在のヨーロッパをはじめ日本の鳩界でも一般的であるように見受けられるが、先にも少し述べたようにその異血交配の繰りかえしの中で果して最も好ましい血統の異血の種鳩を何時までもその都度導入し得るかと言えば、これはそう簡単に毎回うまく行くと言うこと自体非常に疑わしい問題である。

 殊にその鳩舎が或るレベル以上に達すると、近隣を見渡しても、更に日本国中に眼を転じても、これは仲々簡単には行かない問題である。その上に相性のことまでからまって来るから、いよいよもってむずかしいことになる。

 然し、仲々うまく行かなくても、私達は少々のことには目をつむってでも本質的にどの性能が自分の鳩群には欠除しているかを充分に承知して、その点をカバー出来るような異血導入を常に心がけて、公表された鳩レースの記録に特に注意をはらい、自分の新血導入を考慮に入れて、それぞれのレースの特色とその時の諸条件に対する鳩の飛び方を詳細にしらべるべきである。

 何事でもそうではあるが、鳩レースで一歩を遅れることは、その後の成績に甚だしい差をつけられることになる点を篤と腹におさめて、血眼になって好配合鳩を探索しなければならない。
             (つづく)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇並河靖『レース鳩作出余話』(26)=交配について その7= (出典:『レース鳩』誌、1985年8月号より引用)◇◇    2020年8月6日(木) 5:19 修正
 異血交配がチャンピオン鳩を作出する手段として非常に有効な交配方法である点に関しては異論のない所であるが、果して異血交配のすべての例に雑種強勢という好ましい現象が期待出来るかと言えば、全例そのようにうまく行くのではなくて、時には逆に離種弱勢というマイナスの現象をすら芯起する場合もあり、それぞれの交配例によって雑種強勢の起り方はまちまちであると考えなければならない。

 鶏の様な有用動物の場合、一群のヒナの強健性等の問題、発育成長の斉一の問題等で意図的に選び作られた腫鶏の交配によって群平均の成績の向上を図る場合には、この雑種強勢が有効に働く血統の選抜固定が計られて実用化されているが、レース鳩の様に個体を対象にした作出の場合には、目的が異るだけに余り大きい期待をかけて取組むことは自然むずかしいことになる。

 それから先にも述べたことではあるが、実際問題として新しく導入する異血統の腫鳩の良否によって、本来の血統は非常に大きい影響を受けることになるので、導入される異血統種鳩の選択と検討は充分慎重に行うべきであり、これが今後のその鳩舎の飛翔成績に大きな影響を持つことになる。

 それだけに種鳩の新しい導入には最大の関心を持ち、常に日本各地区中の優秀愛鳩家集団にあって抜群の好成績鳩、好成績鳩舎に対する検討を行い、更に世界の桧舞台での優秀鳩、優秀鳩舎にも着目して果してこれを自己の異血統腫鳩として導入するか否かの想定のもとにあらゆる面からの検討をする必要がある。

 「何だ。こんなことは自分等いつも考えていることだよ」と言われるかも知れないが、果して何人の愛鳩家が本気で異血導入の対象として諸誌面に発表されるレース成績、またその優入賞鳩の血統やこれらの基礎系統を真剣に吟味しておられるだろうか?私は常に想うのである。成る程、何百何千の鳩を飼育出来る情況下にある愛鳩家であれば、片っ端から立派だと思う鳩舎の優入賞鳩の作出種鳩を異血統鳩として導入検討すれば良い。しかし私達の管理能力や経済力にも自から限度があるはずである。
 何を対象に踏み切るか?この選択こそ、その鳩舎の将来の成功を左右する最初の関門である。

 日本人には明治維新以来文明開化の時代の流れの中でヨーロッパやアメリカのものに対する「上等舶来」的な考え方がどうしても潜在的に存在している。
 ベルギー等の優秀な血統の鳩であれば。どんなにか素晴らしい成績が挙げられるだろうかとの期待は大きい。したがって今日に到る間、実におびただしい数のレース鳩が、ベルギーはじめヨーロッパ諸国或はアメリカ等から輸入され。種鳩としてそれぞれの鳩舎で繁殖に供されている。しかし。その輸入鳩によって作出された仔鳩や孫鳩達のレースでの成績は、一部には立派な優入賞を獲得はしても反面現実には愛鳩家の期待を裏切ったものが実に非常に多い。それ程に輸入鳩の直系は、我が国のような地形の複雑な土地柄では好成績を挙げ難いのである。そしてまた、我が国の愛鳩家の様にセッカチに年若い鳩を遠い所から飛ばせる様なレース鳩の使い方は、ヨーロッパでは特殊なレース以外には行われていないのである。

 その辺の物の考え方も実に大切である。ヨーロッパ大陸でもイギリスでも一度汽車に乗って鳩の飛ぶコースを走って見られることである。そうすればどんなに日本と地形が違うかがおわかりになると思う。雨の降り方も違う。

 だからこそ私は充分に慎重にあらゆる面からあちらの優秀鳩、優秀鳩舎の成績を検討されること、殊に自分の異血腫鳩としての導入の可否を常に頭に置いて研究されることを優勝への第一歩として是非共おすすめしたい。

 国内のレース成績を見られる時でも同じである。この様な研究の蓄積が大きな収獲をもたらすものであることを篤と頭に入れておいて頂きたい。
 以上は戦前にはシオン系、グルネー系、E・ラング・ミラー系を導入テストし、戦後はスタッサル系、ジュール・ヤンセン系、ブリクー系。イギリスからはフュール・アイザクソン系、ノーマン・サウスエル系、ビクター・口ビンソン系、ウェリントン系、W・スチール系、アルタ・ベーカー系等々。そしてベルギーからはデルバール系、カトリス系、ベルレンヂ系、モナン系、ドマレー系、フアンブリアーナ系、デニス系、ローセンス系、ボスチン系、ケンペニール系、フアンスピタール系、インブラヒット系等。オランダからはクルート系、ウェルデン系、フェルフオーベン系等。アメリカからもモーリス・ゴードン系、マッコイ系、ヘラー系等を導入しテストした結果の提言である。
 想えば随分と遠回りをしたものである。

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇並河靖『レース鳩作出余話』(27)=交配について その8= (出典:『レース鳩』誌、1985年9月号より引用)◇◇    2020年8月6日(木) 5:21 修正

 このようにレース鳩の作出を考えて来ると実際問題としては中々大変であることに気付く。好ましい本当にその鳩舎にとってレース成績向上に大いに貢献してくれる異血統種鳩は中々見当らないし、入手出来ないものである。

 いろいろと研究し、努力し、やっと自鳩舎に迎えた異血の種鳩については先ず私達が本当に信頼し得る成果を挙げてくれるか、どうかについてのテスト即ち後代検定を出来るだけ早く実行することである。

 その方法については既に述べたから重複を避けるが、とに角実際に繁殖に使用して種鳩として充分に活用出来るか、どうかを早い時点で把握し、充分信頼出来るとなれば自鳩舎の第一級の種鳩と交配して本格的に繁殖に入る。

 ここまで文章で書くのはいとも簡単であるが、そのように真に信頼出来る血統はそう容易には見当らないし、これはと思ってテストして見ても快心の種鳩を得るということはまことにむずかしいものと覚悟しなければならない。このむずかしさが鳩レースのたまらない魅力でもあるのだから困ったものである。

 本当は至って容易いことではあるのだが、愛鳩家の皆がそれぞれの立場で研究して皆々優勝鳩を作るべくやっているのである。だからこれ等の競争相手に充分打ち勝てる鳩を作ろうというのであるからにはそう簡単には事は運ばれないのが普通であろう。

 今度は話をもとにもどして、我が家の基礎血統について暫く検討を加えて見よう。成る程今迄異血統の鳩を交配し、それが運良く成功を収めた場合、それを更に異血交配で続けて行くとして、果して我が血統の鳩達の遺伝因子上の優秀性は充分確信が持てるものであろうかと言うことである。

 なぜに私かこの様なことを書くかと言えば、いわゆる「当り交配による作出鳩」というものは、遺伝因子的に見て素晴らしいものを揃え持っているかと言う点に関してはまことに疑わしいという事実である。成る程レースでの成績は良かった。然しその直仔ちにそれだけの親に似つかねしい優秀な飛翔性を示す鳩がたくさんいるかと言えば、この点に関してはかなりのケースで否定的である。ここがまた鳩レースのむずかしい所であり、面白い所でもある。だからこれからこの点をしっかり考えて行こうと思う。

 その第一は個々の鳩の飛翔能力、即ちレース成績と遺伝能力即ち良い仔鳩を作出する能力は違うということである。同じ兄弟姉妹鳩の中でも最も優秀なレース成績を挙げたチャンピオン鳩が必ずしも最良の種鳩とはならないで、むしろその兄弟姉妹鳩の中の他の鳩の方が良い仔鳩を作出するケースも充分に考えられる。

 個体の表現型のみをたよりにして作出して行くと、遺伝因子型の上からは全く好ましくない鳩を唯成績が良かったと言うだけで重要視して失敗をまねくこともある。
 だから私は後代検定が良い鳩、良い系統を作る上で最も大切なことである点を強調して来た。これは兄弟姉妹鳩の間だけのことでなく、一つの血統の鳩群の中でも言えることである。

 好成績を挙げた鳩の血統を注意深く見れば気が付かれることだが、有名血統の鳩達の中でもそんなに素晴らしい飛翔成績ではなかった鳩の仔鳩にアッと驚く好成績鳩が作られたケースがそれである。

 だから自分の飼っている基礎血統の鳩の中で作出を行う中心的な種鳩を選ぶ場合には、その鳩の飛翔成績よりもむしろ後代検定成績の良いものを中心に自己の血統を造成して行くことが大切である。

 成る程、チャンピオン鳩の抒鳩がチャンピオン鳩になり、またその孫鳩も立派なチャンピオン鳩であると言う輝かしい系統の出現を私達は夢見ているのではあるが、このことにこだわり過るととんでもないことになる場合もある。

 私達は遺伝因子型の優れた種鳩を常に頭に置いて。着実に後代鳩の性能の比較を行い、その示す所に基いて自己の血統を作り上げることが大切である。

 ここで再度交配論にもどって、今ベルギーで第2次世界大戦後鳩界を沸き立たせた有名鳩舎が果してその後10年20年、そして今日までの間にどの様に変遷して行ったかを見直す時、その浮沈の原因を私達は最も参考になる資料として検討して行く必要を痛感する。
 幸なことに今私達はその問題を検討する為の資料を充分とは言えないながらも手に入ることが出来る。
 私達が鳩レースを楽しみとして少数の精鋭で作出を楽しみ、生れた若鳩で充分な戦いを展開するために、この努力は決して無駄にはならないと考えている。         (つづく)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】  ■■並河靖『レース鳩作出余話』(20)=交配について =(4)〜(8)の要点 ■■く    2020年8月6日(木) 5:41 修正
『レース鳩作出余話』の「交配について」は、全部で15回の連載で論述されています。その全体の構成は、大まかに分けると3章の構成になっています。

■1■(その1〜その3)……「オスマン氏の教訓」から見えてくる交配論の考察
■2■(その4〜その8)……近親交配と異血交配に関するする考察
■3■(その9〜その15)……世界の銘系における交配論の考察

そこでまずは、現在展開している『Piet de Weerd 研究』に関係がある内容「その8}までを、掲示板にレスしました。特に、その3〜その8の内容はそのまま、Piet de Weerd の回想録とリンクした内容になっているので並河靖の交配論の要点だけここで抜粋することにしました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

@ 今、世界の鳩界で立派な成果を挙げた鳩舎がその後どうなったかを調べて行くと、大切なことはその時点でどの種鳩が本当に優秀であったかを見定めて、その鳩を中心に近親交配を行った鳩舎、これは場合によっては偶然にもラッキーに交配したのが近親交配でその中心の鳩が素晴しいものであったというケースも混っているかも知れないが、とに角、後世に何々系として永くその系統を尊重し継承された系統には必ずといっても良い程すべてのケースに近親交配が行なわれ、しかもそれが積み重ねられていることに気付く。
 逆に近交を避けて次々と異血を交配して行った鳩舎では何時の間にかその鳩群は世間並みの鳩になってしまって影をひそめてしまった場合が多い。

 ところが今度は近親交配によって、性能を固定し、一応の好成績を続け得た鳩舎でも。ある時点で適切な異血の導入を行って活力をよみがえらせる努力を払わない場合、即ち所謂閉鎖型の近親交配を重ねて行った場合には。たとえその鳩舎がかなり多数の鳩群を飼育していたとしても結果的には能力は下降の傾向を示して来る場合が多い。

 即ち、まだ今日の時点では競争動物であるレース鳩で全くの閉鎖型近交ではその性能の向上は望まれないし、また維持することも困難と考えざるを得ないのである。
 以上は通則である。今後の私達はこの通則を打破する研究努力を必要とするのは勿論であるが。一般論としてはこの通則にのっとって如何にうまく作出を行うかを考え、実行に移すことである。(「交配について」その3より抜粋)

A近交は動物育種の第一歩で、近交を行うことによって遺伝因子が種々様々に組替えられ。今まで表現化されなかった因子組合せによって突然変異が出現し、目的とする優秀因子を嘸めた個体を作出、系統を分離、固定することが出来るのである。。(「交配について」その4より抜粋)


Bそれから交配の相手を選ぶ場合にどの程度の近交になるか、あるいは近交をするかの問題である。近交の程度が進むにしたがって、優秀な遺伝因子の集倣は可能となるわけであるが、その反面先にも述べたように好ましくない遺伝因子も集禎され表面化して、強健性の減退は勿論、その他いろいろの好ましくない点が表面化することは覚悟しなければならない。その出現率は近交が高度となり、くりかえされることによってさらに激しくなる。近交のくりかえしで優秀なレース鳩を作り出すことは言うべくしてなかなかむずかしいという点を私達は充分に承知しなければならない。

 この近交でおこる欠点を除くためには何と言っても、その最初のスタートに優秀な系統で.しかもその中でも最も優れた鳩を基礎に近交をはじめるべきである点はご理解頂けたと思うが.この最初の基礎鳩の良否は近交系を作り上げ得るか否かの分岐点とも言うべき重大事である。
(「交配について」その4より抜粋)

Cレース鳩の作出で、私は近交という手段を避けて系統の造成は不可能と考えている。近交のくりかえしによる強健性減退阻止の課題は他の小動物で、すでに成功していることから考えて近い将来レース鳩でもキット可能のことと予想される。

 作出の窮極の問題はこの点にもあることは将来展望として忘れてはならない目標の一つである。

(「交配について」その4より抜粋)

D 現実に家畜、殊に鶏等にあってはこの雑極強勢を利用して、発育成長の速い系統、多産の産卵鶏を作る系統がそれぞれの種鶏場で試験され造成されている。
 競争動物の場合と集団飼育の畜産の場合は勿論その目的も異りかなりのへだたりのあることはわかるが、それでもやはりこの雑種強勢という利点は充分に頭に入れて繁殖計画を考える必要がある。また、この雑種強勢をうまく利用するためには、先に述べた近親交配をうまく駆使して雑種強勢が強く発現する血統を育成することが先ず必要となるわけでもある。
(「交配について」その5より抜粋)

E形質改善のためには異血導入は一つの方法として是非試みるべき手段であるが、ここで注意しなければならないことは、スピード性を増すためにスピード鳩の血統を交配すると、スピードは改善の傾向が出て来ても今度は悪天候等にもろくも失踪してしまう欠点が発現する等の事例は当然おこり易い結果である。これは一例にすぎないが、なかなか育種ということはむずかしい。(「交配について」その5より抜粋)

F その中でも経験的に言えることではあるが、レース鳩の作出の場合に大切な点は、母鳩たるべき雌鳩が健康な鳩であることの大切さは重大である。長年レース鳩を作出して来た有名鳩界人の意見としても。この点を強調される人が実に多い。
 殊に若くて体型体格の良い頑健な雌を種鳩として求める考え方は、経験豊かな愛鳩家の共通した願いである。この人達の一般的な意見としては雌の年令は5歳迄をとする意見が多いが、例外的に5歳以上の雌でも本当に優れた雌鳩ではかなり老令になってからでも立派なチャンピオンを作出しているケースがあることに驚く。私はこのような高年齢の雌でも尚且、立派なチャンピオン鳩を作り出したと言う健康な体質の遺伝をこそ、我が鳩舎に導入したいものだと思っている。
 交配の雌鳩については以上の通りであるが、かと言って雄鳩はどうでも良いと言うのでは決してない。

 遺伝学的に考えるならば性染色体に乗った遺伝質は、鳥類の場合では雄鳩からでないと仔鳩に伝えられないのであるから。その意味からしてだけを考えても雄鳩も軽々しくは決して考えられないものである。

(「交配について」その6より抜粋)

G日本人には明治維新以来文明開化の時代の流れの中でヨーロッパやアメリカのものに対する「上等舶来」的な考え方がどうしても潜在的に存在している。
 ベルギー等の優秀な血統の鳩であれば。どんなにか素晴らしい成績が挙げられるだろうかとの期待は大きい。したがって今日に到る間、実におびただしい数のレース鳩が、ベルギーはじめヨーロッパ諸国或はアメリカ等から輸入され。種鳩としてそれぞれの鳩舎で繁殖に供されている。しかし。その輸入鳩によって作出された仔鳩や孫鳩達のレースでの成績は、一部には立派な優入賞を獲得はしても反面現実には愛鳩家の期待を裏切ったものが実に非常に多い。それ程に輸入鳩の直系は、我が国のような地形の複雑な土地柄では好成績を挙げ難いのである。そしてまた、我が国の愛鳩家の様にセッカチに年若い鳩を遠い所から飛ばせる様なレース鳩の使い方は、ヨーロッパでは特殊なレース以外には行われていないのである。

 その辺の物の考え方も実に大切である。ヨーロッパ大陸でもイギリスでも一度汽車に乗って鳩の飛ぶコースを走って見られることである。そうすればどんなに日本と地形が違うかがおわかりになると思う。雨の降り方も違う。

 だからこそ私は充分に慎重にあらゆる面からあちらの優秀鳩、優秀鳩舎の成績を検討されること、殊に自分の異血腫鳩としての導入の可否を常に頭に置いて研究されることを優勝への第一歩として是非共おすすめしたい。
(「交配について」その7より抜粋)

H自分の飼っている基礎血統の鳩の中で作出を行う中心的な種鳩を選ぶ場合には、その鳩の飛翔成績よりもむしろ後代検定成績の良いものを中心に自己の血統を造成して行くことが大切である。

 成る程、チャンピオン鳩の抒鳩がチャンピオン鳩になり、またその孫鳩も立派なチャンピオン鳩であると言う輝かしい系統の出現を私達は夢見ているのではあるが、このことにこだわり過るととんでもないことになる場合もある。

 私達は遺伝因子型の優れた種鳩を常に頭に置いて。着実に後代鳩の性能の比較を行い、その示す所に基いて自己の血統を作り上げることが大切である。
(「交配について」その8より抜粋)

(つづく)

 【『OPEL BOOK 2020』関連資料】◇◇並河靖『レース鳩作出余話』(1)=悪天候克服性= (出典:『レース鳩』誌、1981年4月号より引用)◇◇  イレブン  2020年8月4日(火) 5:33
修正
この『レース鳩作出余話』は、『レース鳩』誌において1981年4月より連載された並河靖の作出理論です。並河靖の体型的理論書としては、1971年3月に発刊された名著『作出と競翔』が有名ですが、この作出余話は、その10年後から執筆された始められました。

並河靖がどこかで述べていたのですが、『作出と競翔』の執筆を始める際、自身の関心の中心は「作出」だったが、愛鳩の友社の依頼に「飛翔技術」面も同様、力を入れた書いて欲しいとに依頼もあって、このタイトルになったという経緯があります。

『作出余話』は、その意味で並河靖が本当に書きたかったテーマに絞り込んで連載された内容です。タイトルが「余話」となっていますが、実際にこの内容に目を通すと、なかなかどうして、重厚克つ体系的に整理された優れた内容の論文になっています。

並河靖の論文は、『愛鳩の友』誌、『ピジョンダイジェスト』誌、に数多くの散見されるのですが、この『作出余話』は4年以上に亘って連載され、もっとも気兼ねなく執筆された主張点の明確な内容になっていると感じます。

日本鳩界の発展のなかで最も大きな影響を与え続けてきた並河理論の全貌がおおよそ把握できるのではないかと言ってもよい内容になっており、その影響は、現在の考え方にも受け継がれているように感じます。

そうした意味で現在連載している『OPEL BOOK 2020』『Piet de Weerd 研究』を進める上で、貴重な参考資料となると考え、随時掲載していくことにしました。レース鳩誌のかなり古い冊子からの出典なので、かなり貴重な資料だと思います。

全文をデータが手元にあるので全て掲載する予定ですが、第1回『作出余話』の内容は『OPEL BOOK 2020』の関係資料として掲載します。後に考察を加えていく予定です。

 ◇◇『レース鳩作出余話』(1)=悪天候克服性= (出典:『レース鳩』誌、1981年4月号より引用)◇◇  並河靖  2020年8月4日(火) 5:38 修正
 世界的な視野に立って鳩レースを見た時、そのレース成績を大きく左右する要素としてレース当日の天候の問題がある。

 世界地図をひろげて見ると、太平洋と大西洋の大きな海洋があるが、それらの大きな海洋の東側に当る国と西側に当る国とでは天候がずいぶん異る。日本のような太平洋を東側に持つ国はアメリカ東部のように大西洋を東側に持つ地域と共にレースーシーズン中に雨に降られることが可なり多いが、他方ヨーロッパ大陸のベルギー、オランダ、フランス。等の諸国やアメリカ西部の地域は私達が経験しているような厳しい雨天は非常に珍らしいといわれている。

 その上私達の日本の大半は山嶽地である。山の天気はよく調べられるとおわかりになると思うが、兎に角平地に比して雨になり易いし、又雨足も妊く続いて私達の想像も出来ない降雨を伴うことが多い。

 このような日本の土地柄を考えるならば、私達のヨーロッパで好成績を挙げている血統の鳩を折角大金を投じて輸入しても、案外使いものにならない場合のあることに対してもご理解頂けると思う。

 それはヨーロッパのレース鳩達は日本のような雨の多い、高い山脈にさえぎられたコースをレースするチャンスが少いからであり、引いては悪天候克服能力に乏しいからでもある。

 その昔、有名なイギリスの愛鳩家のローガン氏は態々ベルギーの大レース開催日が雨になった日を選んで、優勝鳩舎に出向いて、そのレースに雨中を勝った名鳩をその場で大金を投じて入手して帰ったというエピソードが語りつがれている。

 その結果、ローガン系の鳩は悪天候克服能力が非常に優れた鳩として世界的にも有名であった。

 然し、残念なことにはローガン系の鳩は休型的にはスピード性のある体型とは縁遣い鳩で、快晴のレースではとても上位入賞はむつかしいとされていた。

 然し、戦後鳩のスピード性は次第に改善向上し、ローガン系を持つ愛好家達もそれにスピード性に富む系統を交配し改良して行くことによって、この欠点は今日ではそれほど著明ではなくなって来ている。

 第二次の世界大戦前の鳩界ではベルギーの有名鳩舎の鳩の最大のバイヤーはアメリカであった。

 戦後はベルギー鳩界にとっての大きいお得意様は西ドイツであり最近は日本が上得意になりつつあるわけだが、戦前にベルギー鳩の優秀なものを沢山輸入したアメリカ東部では優秀なレース鳩の血統として残ったものにモーリスーゴードン系を代表的なものとして挙げることが出来る。

 ゴードン系の鳩はイギリスのオスマン氏から4羽の睡鳩を導入したのが原鳩であって、それに当時有名なベルギー優秀鳩のコレクターであったカーチス氏の所で長年ロフト・マネージャーとして働いていたと言われるビユッター氏のグルネー系を主流とする血統の鳩が交配されて最盛期のゴードン系が出来あがったとされているが、その夫夫の血統を吟味するといづれも悪天候克服能力を持っていると定評のある血統であったことか判明する。このことは私達が今後も充分に承知しておくべきことがらであると信じている。

 又、先に述べたローガン系の鳩としてアメリカ束部のバルチモアのオペル氏の系統の鳩は主流をマッコイ氏によって引きつがれたが同氏の鳩は分速800ヤード台のレースでは優勝するが。好天候のレースでは全く駄目だと言われた事実がある。

 このようにいろくと考えてくると私達は殊に日本のような山又山の地形のコースを飛ぶレースにあっては一応悪天候克服性の強い鳩にも充分注意し、その血統を自己の系統の中にも活用する配慮が大切であることは理解出来る。

 成る程、今日のレースはスピード・レースである。最近の天気予報は非常に発達して適中率も高くなって快晴の日のレースが多くなったことは確かである。

 しかし、万一にも悪天候に放鳩されるような場合、それが長距離であればある程、長年愛育し訓練して仕上げてきた好成績の選手鳩を全くもろくも失踪させてしまうというきわめて苦い経験を味わされることも皆皆承知である。

 スピードのある鳩は残念ながら鋭利な刃物のようにもろい、思わぬ所で失踪する。

 悪天候に強い系統では今日のスピード・レ‐スを戦うにはには曙天のレースへの上位入賞は先づ望めないとなると。果してどうしたらよいかである。

 それではスピード性のある系統と悪天候克服性の強い系統とを交配したら良いではないかという意見が考えられるが、世の中はそう簡単には行かない。

 先づその結果はいわゆる「どっちつかずの」性能のものになってしまって役に立たないことが多い この問題はレース鳩作出の基礎的な最も関心の大きい問題である。
 更に今後この点を理解すべく考えて行きたい。     

 【研究資料】◇◇◇『アメリカ鳩レース界の王者 ジム・ワイリーに聞く〈タレル・ラター記〉』◇◇◇(出典:『レース鳩』誌、1989年1月号〜3月号、短期連載記事より引用)  イレブン  2020年8月2日(日) 2:02
修正
 研究資料として、『レース鳩』誌、1989年1月号から3月号に短期連載された『アメリカ鳩レース界の王者 ジム・ワイリーに聞く〈ダレル・ラター記〉』を掲載します。

 この記事は、『アメリカレース鳩ニュース』の掲載された記事を当時の『レース鳩』が翻訳転載したものです。翻訳がチョット変なところもあるので意を介して読まないといけないところもありますが、(※「肛門」→「恥骨」など)現在連載中の『Piet de Weerd 研究』でテーマとなっている「近親交配論」や本サイトのテーマの一つの「アイサイン論」について、アメリカのトップフライヤーは率直に次のように語っています。

○「技術的には純粋種を得る唯一の方法は、おそらく兄弟姉妹を永久に交配し続ける事でしょう。遺伝学的に純粋な血統を作る唯一の方法はそれですが、これをした人はいないと思います。共通の祖先を持つ優れた鳩の血統を作り出した人は、”育種家”として表彰に値するというのが私の考えです。純粋種という用語は、全く誤った名称です」

○「系統交配とは、父と娘、息子と母。それから男の孫と祖母。孫娘と祖父等、家系を縦にかけ合せるものです。同系交配は兄弟と姉妹をかけ合せます。また、同族交配は姪、叔父。叔母。甥。いとこ同志、異父母の兄弟姉妹等が考えられます」

○「私の繁殖飼育計画では、アイサインは非常に役に立っています。もちろん、良いアイサインがあっても駄目な鳥も沢山います。でも、良い繁殖用鳩でこれがないものはまだ見た事はありません。優性遺伝のサインは、鳩の血統によって様々になるだろうと思います。アイサインを役に立てるには、自分のところの血統内での優れた特性を見つけ、それを利点として使っていかなければなりません」

○「繁殖飼育ロフトの中では、非常にはっきりしたアイサインを持っている事も必要です。私はアイサインはどこか1ヶ所だけがひどく発達しているのよりも、バランスのとれているのを好みます」

(※この記事では「アイサイン」とは、「眼」そのものの構造や質も指しているようです)


 30ペアーの種鳩、そして、選手鳩120羽という規模で、長年、『アメリカ鳩レース界の王者』として君臨してきたジム・ワイリーの語っている言葉には多くの示唆を得ることが出来るように思います。

 この記事を書いたダレル・ラター氏は、アメリカ鳩界の「名物ライター」だそうです。きっとアメリカ鳩界では、ピートさんのように有名な方なんでしょうね。

 アメリカ鳩レース界の王者 ジム・ワイリーに聞く〈タレル・ラター記〉』  □ダレル・ラター  2020年8月2日(日) 2:06 修正
◎16602ペンシルバニア州アルトーナ セカンド通り116E ダレル・ラター記◎

 42年余りもの長い年月、ジム・ワイリーは鳩レースというドラマチックな競技に魅せられてきた。彼は現在、米国のトップフライヤーの一人として有力愛好家特別グループのメンバーである。

 ジムの生活は2つの部分から成り立っている。ワンダ夫人が第一で鳩が第二であるが、実のところは双方ともこの競技での活動仲間であるから、この2つは一体化していると言ってもいい。鳩レースを共通の楽しみとしている家庭にあって、52才のジムはこの競技に精力を注ぎこみ、これからもますます深入りしそうな様子である。

 ジムの考えによれば、この競技で最も重要なのは競争心を持つことだ。全てのレースで勝つというのは無理な事だが、それでも毎回参加する事が肝要という。

 ジムが飛ばすのはヤンセン鳩、それもワイルアウェイーヤンセンー族である。その鳩の速度たるや抜群だ。それは一緒にレースをした誰に聞いても判る事だ。

 ボブ・クランダル(編注・鳩界に詳しいアメリカのライター)の強引な説得が功を奏して、ジムは重い腰を上げ本の執筆にかかった。彼の本には飛翔に適した資質等に関する必要な知識と、彼の愛好競技への入れ込みぶりが書かれている。この本は助言、忠告や方法論及び勝つため、そして勝ち続けるための総合的な指針を詳細に記し、これを集大成したものである。ワイリー氏は輝かしい実績を持つ名鳩レーサーで、彼には秘訣がある。

 今回のインタビューは。この競技について身をもって多くの人々に示唆を与えた一人の男性の、真の姿をお伝えするものである。

 少しばかり時間を割いて、”ゲートポールランド”の鳩の王者についてお読み頂きたい。そしてボブ、あなたがどこに居ようとも、この記事をあなたに捧げます。

 ■迷い鳩の原因は何か?■    2020年8月2日(日) 2:07 修正
【ラター】鳩との付き合いは何年位になりますか。
【ワイリー】42年程です。

【ラター】現在のあなたは、鳩の影響によるところか大きいと思いますか。
【ワイリー】その通りです。

【ラター】現時点でのあなたの経歴は、全て期待した通りになっていますか。
【ワイリー】そうですね。これまでのところは非常に努力のしがいかあったと思いますが、より高いものを目指しています。

【ラター】鳩レースはもっと盛んになると思いますか。それともすたれて行くとお思いですか。
【ワイリー】そうですね。すたれるとは思いません。盛りたてている人達がたくさんいます。今は、この競技に大きな関心が集まる直前の時期にあるのだと思います。

【ラター】現在この競技で、最も不愉快な事は何でしょうか。
【ワイリー】それは何もありません。しかし不愉快な大はいます。それは競争には努力がつきものだと言う事がハッキリ判っていない人の事です。こう言う人達は、本当の理由は自分の側にあるのに、コースやレース予定を変えたがったり、境界線を引きたがったりするのです。ほとんどの人は自業自得で不首尾に終っています。

【ラター】あなたの鳩との体験で一番素晴らしかったのはどんな事でしょうか。
【ワイリー】一つだけ選ぶのは難かしいですね。素晴らしい体験は沢山ありますから。一番面白かったのは、1982年のデキシー・サザン大会の時でしょうね。その時は構内に来賓が詰めかけている中で、パーフェクトゲームを達成し、上位5位を私か独占しました。

【ラター】鳩レーサーとしての、あなたの一番の強みは何ですか。
【ワイリー】競争心がある事だと思います。

【ラター】フライター、ブリーダーとしてのご白‥身を10点法で採点して下さい。そして理由も。
【ワイリー】 共に8点位でしょうか。かなり成功した気はしますか、現在が成功の極みのような感じは持っていません。繁殖飼育計画も。しっかりしたものでなかったら。現在のレベルを達成できなかったと思っています。

【ラター】あなたのクラブ、連合会の規模を教えて下さい。
【ワイリー】クラブのメンバーは約20名。連合会のメンバー数は約70名です。

【ラター】何か役職についておりますか。クラブの発展にあなたが果たした役割をどの様に評価なさいますか。
【ワイリー】私は北フロリダ連合会の代表です。フロリダ州協会々長を2度、それに1982年はデキシー・サザーン協会の会長をしました。私共のクラブは自分の地所を持っており、私が始めたプロジェクトで相当なお金が入りました。

【ラター】あなたの初恋の相手は鳩ですか。
【ワイリー】ワンダにあうまでは多分そうだったでしょう。鳩は私の初恋の相手でしたが、最後の恋人ではありません。

【ラター】この競技をする人で、あなたが好きな人を一人あげて下さい。
【ワイリー】鳩界で好きな人は沢山いて.一人だけ選ぶのは大変難しい事です。この競技の振興に関して言えば、ボブ・キニーが一番印象に残っています。

【ラター】米国一のフライター、ブリーダー、ライター(鳩に関する著述家)は誰だと思われますか。
【ワイリー】一番上手な人、というのは多分いるのでしょうが、それが誰なのかは知りません。どんなレベルでの競争であれ、毎年毎年トップの座を続けるクラブチャンピオンを非常に尊敬しています。
 国内の数多くのレースでいつも優勝し。また優れた鳩を繁殖飼育する人を個人的に一人知っています。ラルフ・マクレノズです。ジム・カリアもそうですね。
 最高のライターですか。私はボブ・クラソダルが大好きです。彼の文体もウイットもいいですね。その気になって読めば、彼の書く物のどれにも大切な情報が入っています。ボブ・キニーも好きです。彼の會く物には、ほとんどいつでもためになる情報があります。

【ラター】 同じ質問ですが、世界では誰が最高だと思いますか。
【ワイリー】世界となると、愛好家の事をそんなにょく知りません。
 グロソダレルはベルギーのフライターとして、一番安定した成績を上げているようですね。ヤンセン兄弟は60〜80年代を通して、『この競技の繁殖飼育面での最大の功労者だと思います。国際的なライターについては、よく判りません。

【ラター】一番好きな系統は何ですか。
【ワイリー】何と言ってもヤンセン種ですね。それは、ほとんどの距離のレースでヤンセンが一番競争心があるからです。それにヤンセンは非常に優性遺伝が強く。高い能力を維持しやすいのです。

【ラター】 輸入鳩の方がアメリカ鳩より優れていますか。
【ワイリー】それは答の出来ない質問ですね。アメリカ種よりも良い輸入鳩もあるし、また輸入鳩よりも良いアメリカ鳩もあります。
 ヨーロッパのチャンピオン5つから2羽を選び、アメリカのチャンピオン5つからそれぞれ2羽を選んで。同じ条件の元で同じロフトに向けて飛ばしたとしたら、おそらくアメリカの鳥の方がうまくやるでしょう。これはアメリカ鳩は前にここで試飛翔した事があると言う単純な理由によります。公正を期すために言うならば、もしこれをヨーロ″パでやってみたら、おそらく同じ理由で同じような結果になると思います。

【ラター】今日、数多くの鳩が行方不明になるのは何故だとお考えですか。
【ワイリー】管理のまずさです。

 ■アイサインは神話か■    2020年8月2日(日) 2:20 修正
【ラター】 前回は迷い鳩について質問しました。さて、それでは次に 「純粋種」という考え方を支持されますか。
【ワイリー】技術的には純粋種を得る唯一の方法は、おそらく兄弟姉妹を永久に交配し続ける事でしょう。遺伝学的に純粋な血統を作る唯一の方法はそれですが、これをした人はいないと思います。共通の祖先を持つ優れた鳩の血統を作り出した人は、。育種家”として表彰に値するというのが私の考えです。
 純粋種という用語は、全く誤った名称です。

【ラター】 輸入鳩で気に入ってるところは何ですか。
【ワイリー】優秀な輸入鳩をと優秀なアメリカ鳩に差は無いでしょう。言える事は、その鳩が好きかどうかです。

【ラター】 この競技の伝説的人物で最も尊敬しているのは誰ですか。
【ワイリー】「育種家」を最も尊敬しています。ポール・サイオン(※ポール・シオンのことと思われる。イレブン)、ヤンセン兄弟といった人です。これらの愛鳩家達は、永年にわたって、レース鳩の能力を向上させるような鳥の血統を作り出してきました。現在。有名になってきている品種のほとんどは、このような熱心な繁殖飼育家に負うところが大きいのです。

【ラター】 この競技に対する雑誌の影響力はどの位あるのでしょうか。
【ワイリー】 非常に大きいと思います。この競技については、雑誌か唯一の大きなマスメディアです。

【ラター】鳩飼育家の「肺疾患」が大きく取り上げられていますが、ご自身の健康について気になりませんか。
【ワイリー】もちろん気遣っています。状況を悪化させる原因となりかねないので、鳩小屋を挨っぽくしないようにしています。

【ラター】 お宅のロフトでは何かの予防接種をしておりますか。
【ワイリー】 若鳩も成鳩も全てPMV.パラミクソのワクチンを予防接種をしますし、若鳩には種痘をします。

【ラター】 現在。飛ばしている誰かと組めるとしたら、パートナーに誰を選びますか。
【ワイリー】リック・マーディスですね。彼が米国一のフライヤーかどうかは判りませんが、彼は粘り強い競争精神を持っているので、より高いレース能力を達成するよう、常に刺激し合えると思います。

【ラター】ところで。鳩界雑誌に望むテーマは何ですか。
【ワイリー】それはハウツー物です。上手なフライヤーの方法をもっと読みたいものです。写真や図を入れて、アイサインに関する詳しい記事が欲しいですね。

【ラター】 現在、雑誌は何冊購読していますか。
【ワイリー】3冊です。

【ラター】お宅にはレース鳩に関する本を何冊お持ちですか。そして最後に読まれたのはいつですか。
【ワイリー】現在は12冊程です。仲間には何百冊も貸し出しましたよ。一番最近の本はロイ・ダイク(Roy H. DYCK)の『それはあなた次第』(『IT'S UP TO YOU! And Other Essays on Racing Pigeons』※画像挿入イレブン)です。この本はイリノイ州エルジンで見つけました。

【ラター】 あなたにとって本当に良い鳩は、ドルで換算して幾らの価値がありますか。
【ワイリー】 これまでで一番高いお金を出したのは300ドルで、これは10年以上も前の事です。
 もし私がIから出直しするとしたら、一羽も鳩を持っていないとしたら。ゴールデン・ペアの子の若鳩に40〜600ドルを喜んで支払います。

【ラター】 これまでに支払った最高額は幾らですか。
【ワイリー】300ドルです。競売ではこれよりかなり高くつけた事があるのですが、落せませんでした。

【ラター】 クラブと連合会と両方でこれまでに勝ったレースは何回ありますか。
【ワイリー】 数年前に何回か勝ちを加えましたので60回を越えました。賞状は何百枚もいただきましたが、近頃は数えていません。

【ラター】 勝つ事はあなたにとってどの位重要ですか。
【ワイリー】 勝つ事は、私のやり方や繁殖飼育計画を採点する一つの方法です。勝つ事よりも競う事の方が私には重要です。他の人が良い成績をあげたら、お祝いを言うのにやぶさかではありませんが、自虐的にはなりたくありません。

【ラター】 勝利鳩舎となるのには、人と鳥のどちらがより重要だと思いますか。
【ワイリー】 鳩を飛ばすというのはチームプレーであり、私がコーチ鳩が選手なのだと考えています。私がどんなに巧みだったとしても、鳩の質によっては成功はおぼつきません。その反対に、良い鳩でもコーチが悪ければこれもあまり良い成績はあげられません。チャンピオンのレース能力は、優れた管理の下での優れた鳩によって作られるものです。

【ラター】あなたの鳩が他の鳩舎から出場して。その鳩があなたの鳩に勝ったらどんなお気持ちでしようか。
【ワイリー】 私の鳩が他の人の管理下で立派なレースをしたら嬉しいと思います。多分そのロフトが、私のクラブのロフトでない方が少し嬉しいでしょう。

 ■系統交配と同系交配■    2020年8月2日(日) 2:29 修正
【ラター】 ところで、アイサインは ”神話”だとお考えですか。
【ワイリー】 神話ではありません。私の繁殖飼育計画では、アイサインは非常に役に立っています。もちろん。良いアイサインがあっても駄目な鳥も沢山います。でも、良い繁殖用鳩でこれがないものはまだ見た事はありません。優性遺伝のサインは、鳩の血統によって様々になるだろうと思います。アイサインを役に立てるには、自分のところの血統内での優れた特性を見つけ、それを利点として使っていかなけれぼなりません。

【ラター】今、あなたの鳩舎にいる鳩はどの様にして手に入れたのですか。
【ワイリー】 15年前にファミリーを作ろうとしている時に購入しました。今はほとんど交換したり、友達から入手しています。

【ラター】 系統交配と同系交配について、どうお考えですか。
【ワイリー】系統交配とは、父と娘、息子と母。それから男の孫と祖母。孫娘と祖父等、家系を縦にかけ合せるものです。
 同系交配は兄弟と姉妹をかけ合せます。また、同族交配は姪、叔父、叔母、甥、いとこ同志、異父母の兄弟姉妹等が考えられます。

【ラター】 良い鳩には、何を求めておいでですか。
【ワイリー】 そう、はっきり聞かれるとどうも(笑)。質問の意味は多分、私が将来、良い鳩になると期待する鳩の特徴でしょう。レース能力さえ良ければ、どんな鳩でも構わないと言う愛鳩家はたくさんいます。
 私の個人的な好みで言えば、中型の鳥で、胸筋が非常に良く発達していて肛門が締った。背が力強く、そしてバランスと表情の良いのが好きです。繁殖飼育ロフトの中では、非常にはっきりしたアイサインを持っている事も必要です。私はアイサインはどこか1ヶ所だけがひどく発達しているのよりも、バランスのとれているのを好みます。

【ラター】 若鳩でもレースに出さずに、そのまま種鳩にする場合もあるのですか。
【ワイリー】 私の主要ペアの子でしたら、飛ばさないうちでも何羽でもスト″クします。特にどちらかの親よりも、良い素質を持っている場合はそうします。龍にもいれず。そのままストックする事もあります。それで期待がはずれた事はほとんどありません。レースチームからはずしてストックする鳩は、ちゃんとした遺伝子給源を持ち、眼が非常に強く血統を受け継いでいる事を示しており、レース能力が衰えてきているものです。

【ラター】フォームとは何でしょう。
【ワイリー】フォームとは肉体面。精神面での状態を含め最高の健康状態を表現するもの

 ■私の若鳩訓練法■    2020年8月2日(日) 2:31 修正
【ラター】 ワイリーさんの種鳩鳩舎の規模はどれ位ですか。
【ワイリー】幅8フイート、長さは16フイートで現在30つがいがいます。

【ラター】若鳩は何羽位おりますか。
【ワイリー】通常は120羽位です。我々の若鳩レースチームでは50羽から始めます。残りは売ったり。地域外のレースに出したり、競充用に寄贈したりします。新しくフライヤーになった人違に、若鳩を2、3羽あげて助けてあげるようにしています。

【ラター】あなたのレースチームに成鳩は何羽いるのですか。
【ワイリー】30〜40羽です。

【ラター】使っている餌の商標名は何ですか。
【ワイリー】ピュアグレインです。

【ラター】与える量はどの位ですか。
【ワイリー】その時の鳥の状態により餌の量は様々です。子育て中の鳥は子供に餌をやっている間は。食べられるだけ食べさせます。訓練の厳しさに応じて、若鳩と成鳩の餌の量は配合を変えています。

【ラター】飛ばし方はナチュラル方式ですか、それともウイッドウフッド(やもめ)方式ですか。
【ワイリー】ナチュラル方式です。その方が楽しいからです。鳥が本来の自然の周期をたどるのを見るのが楽しみです。いっかは。やもめ方式で飛ばすつもりです。

【ラター】若鳩は仲間と共に飛ばすべきでしょうか。それとも巣へ向けて飛ばすべきでしょうか。
【ワイリー】私は断固、とまり木に向けて飛ぼします。私達は、個々の能力ではなくチームの能力に基づく方式を使っています。

【ラター】さて、若鳥をどのように訓練するのですか。
【ワイリー】短距離レースに備える場合は、若鳥は月火水曜日には朝40マイル、夕方に20マイル、また木曜日の朝には60マイルの訓練をし、その後は移送や舎外運動の時期までロフトに入れておきます。中、長距離レースのための準備は。その鳥のそれまでのレース状況によって大きく異なります。

【ラター】ヒナをいつ親から離しますか。
【ワイリー】普通は翼の下の羽が生え揃った時です。

【ラター】若鳩はどんなロフトに入れてありますか。餌の与え方も一緒に聞かせて下さい。
【ワイリー】若鳩は、奥行き4インチ、幅9×9インチの箱型で、とまり木のついた6×8フィ−トのコーナーに収めてあります。
 餌は繁殖用鳩と同じく、ピュアグレイン・レース用の餌にべニバナを足したものです。これを親から離した後の1ヶ月間与え、その後はレース開始時までピュアグレイソ調整用餌に切り換えます。レース期間中は週の初めはあっさりした混合餌を与え、移送日に向けて餌を徐々に濃厚なものにしていきます。

【ラター】若鳩の羽の状態を、かなり重要な事と考えますか。
【ワイリー】はい、羽柄に血のある鳥は送り出しませんし、耳が完全におおい阻されていない場合も同じです。

【ラター】成鳩はどのように訓練するのですか。
【ワイリー】短距離レースは若鳩と同じです。もっと長いレースでは週半ばに60マイル程で放鳩します。レースに出なかった鳥は、週の初めに75〜100マイルの長い距離から放鳩します。

【ラター】ご自信の経歴等を少し教えて下さい。
【ワイリー】年令52歳、鳩仲間のワンダと幸せな結婚生活を送っています。この素晴らしい競技に積極的に加わってくれる妻を持っているというのは、私にとって非常に大切です。
 ワンダは鳥の世話をしますし、我々のクラブの熱心な会員です。私が鳩との付き合いを始めたのは12歳の時で、テネシー州ナッシュヴィルでした。1952年に家族でフロリダに引越するまでは、ナッシュヴィルで鳩を飛ばしていました。1962年にジャクソンヴイルで、大人として再びこの競技を始め、それ以来ずっと続けています。ナッシュヴィルではペル・ミード鳩クラブとナッシュヴィルレース鳩クラブに入って飛ばしていました。
 現在は大ジャクソンヴィル・レース鳩クラブ部で飛ばしています。1980年にフロリダ州レース鳩協会の会長を務め、1982年に再選されました。

【ラター】あなたの代表鳩の翔歴や血統を教えてください。
【ワイリー】私が持っていた繁殖用鳩の中で最高だったのは、何といっても「私の黄金の雌鳩」、AU−69−SOO−595B・B・Hです。7羽の雄とつがわせましたが、その仔は何度も優勝してくれました。
 私の今のロフトには、この595の子孫が31羽います。1987年の繁殖計画に使った28つがいのうちの24つがいが、この鳥の血を受け継いだものです。595の仔で優勝したのは主に雌ですが、595の仔は雄雌共に作った仔が優勝しており。これには雄も雌もいます。
 私が持っていたレース鳩で最高のものは「ラソナウェイ雄鳥」、AU−77−AJAX1922RR・C・Cでした。この素晴らしい鳥がレースをしたのは、若鳩としての一年間だけでした。しかし、2シーズンにこの鳥は1位か1位相当に7回なっています。

【ラター】 鳩にとって、血統書はどの位重要なものでしょうか。
【ワイリー】 鳥を買ったり遺伝子給源の集中度を決めたりする時には。非常に大切だと思います。鳩をつがわせてる時に、血統書をよく利用します。私が楽しみで飛ばすだけで、ファミリーを作ったり鳥を売ったりする気がなかったら、血統沓はそれ程重要ではなかったでしょう。

 ■健康、換羽、舎外について■    2020年8月2日(日) 2:33 修正
【ラター】 鳩の健康管理はどうしていますか。
【ワイリー】 私の所には厳格な保健プログラムがあり、鳥がストレス状態にあるとの兆侯がみられた場合には、投薬する前に診断に誤りがないかを確認します。

【ラター】 保健プログラムとはどんなものでしょうか。
【ワイリー】毎月、糞を検査し、その結果によって胞子虫病や寄生虫に対する処置をします。駆虫剤としては1ガロンに小匙1/4のテルミンティックを5日連続で使います。胞子虫病には、アンプロールとサルメットを交互に使用します。
 投薬量は天候や鳥が摂取すると考えられる水分の量によるので、一定ではありません。繁殖期と成鳩期、若鳩期の前には、必ず胞子虫病と潰瘍に対する処置を施すようにしています。成鳩期と若鳩期の前とレースシーズン中の週半ばの一日には予防措置として、ヘモプロテウスに対してプリマキンを使います。

【ラター】水に何かを加えることがありますか。
【ワイリー】鳩がレースを終って帰ってきた時には、蜂蜜とヴィタポールと一緒にニンニクを水に入れてやります。普通ヴィタミン剤は水でなく、餌に入れます。

【ラター】あなたの鳩で、若鳩として優れていたものは、成鳩としても優秀ですか。
【ワイリー】若鳩は何度もレースをさせているうちに、どれが優れているかが判ります。私の経験ですと、こういった鳥は一年仔としては最優秀ではありませんが、2才、3才鳥として非常によくやる事が多いのです。成鳩で最も優秀なのは、若鳩と一年仔の時はあまりレースをしなかった鳥ですね。   ’

【ラター】 長距離レースで勝つために何か忠告、助言をいただけますか。
【ワイリー】 私共のクラブは特に長距離志向ではありません。特に私の気性は400マイルまでの短中距離に向いています。500マイルでは偶然の成り行きで勝ったことはありますが……。私が長距離レースを専門にするとしたら、鍵となる点は休息時において高炭水化物高脂肪の餌を使うことと。雌と雄をその鳥独特の巣の位置にセットする事でしょう。

【ラター】 鳩を無理にでも運動させますか。
【ワイリー】時々はそうします。しかし、いつも決って旗を使ってさせるわけではありません。

【ラター】 抜けた羽で、鳥のどんなことが判りますか。
【ワイリー】換羽は通常、健康なしるしです。

【ラター】 あなたが理想とする鳩はどんな鳩ですか。
【ワイリー】 胸筋が立派で、背が強く、肛門の締った中型の鳩が好きです。姿形や動作に聡明さが表れていてしかも素晴らしいアイサインのあるそんな鳩です。

◎以上、全文引用終了◎  

 ■■『Piet de Weerd 研究』017■■  [ピート・デヴィート回想録017「誤った近親交配」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年4月号 )  イレブン  2020年7月31日(金) 3:10
修正
 ピートさんのレース鳩の配合における近親配合と異血配合の最大の課題である、『退化』の問題に関するする鋭い論究は、まだしばらく続きます。

 この問題は、、レース鳩誕生の時代から現代にいたるまで、全世界のレース鳩愛鳩家の間でも、長年、様々な議論が続いている大きな課題です。我が国の鳩界の歴史の中でも、そうした海外の影響をまともに受けながら、この問題については、未だ定見が確立されていません。

 ピートさんのこの回想録におけるこの問題に対する洞察は、実に深いものがあります。特に「退化は、近親配合でも、異血配合でも、その配合を続けていけば、共に起きる現象」との指摘は、重要な指摘だとイレブンは捉えています。

 ピートさんはその上に立って、銘鳩・銘血をを作り上げていく上で「近親配合」の重要性を、縦横無尽に舌鋒鋭く自身の鳩理論を展開していきます。

 イレブンは、ここから、いくつもの議論すべきテーマが浮かんでくるのですが、そのことはひとまず置いておき、まずは、ピートさんの回想録をじっくり目を通して行きたいと思います。

感想等があれば遠慮なくレスしていただければと思います。

 ・  □Piet de Weerrd  2020年7月31日(金) 3:15 修正
 それが正当であれ不当であれ、多くの人が恐れている。近親交配の弊害“あるいはいわゆる。退化“とは何か。この問いに答える時がきました。
 人は近親交配によって何を得ようとするのでしょうか。その場合のリスクとは何でしょうか。
 アーレンドンクのヤンセンにおけるように純粋でしかも卓越した交配能力を持った系統を見いだせる鳩舎は万に一つ、あるいはもっと少ないかもしれないという事実は、私たちを慎重にさせ、それについて軽率に考えることを戒めます。

 ■近親交配を許容しうる、有名かつ速い系統は総て”卓越した交配能力を有する系統“だ■    2020年7月31日(金) 3:17 修正
 本質的なポイントは、ボンスマ教授が「強力遺伝」と呼んでいるものです。ドゥーデン(注・ドイツ語辞典)で訳語を探してみましたが、みつかりませんでした。しかし私はそれが「優性」であると知っています。つまり自らのうちに卓越した交配能力を持っているように規定されていることです。

 多くの人は[強力遺伝]は、近親交配で偶然に現れるものに過ぎないと主張します。ボンスマ教授は、配合はある意味で宝くじの一等賞を引き当てるようなものだと言います。

「私たちは知らない。私たちはただ待つだけだ」
 強力遺伝と異型接合は必ずしも対立するものではありません。彼の言葉を再び引用すれば、
 「どんな集団でも、所望する動物が出現する時は個体が極めて大きな役割を果たす」。

 私がハムージークのライムント・ヘルメスを3年以内でドイツの国内チャンピオンにしたシステムも、そこに立脚しています。

 76年に私の鳩舎から生後6ヶ月の若鳩を譲りましたが、彼は私の勧め(淘汰)に従って、最初は6羽のメス鳩と、後から12羽のメス鳩と配合しました。卵は仮母に抱かせることにしました。ヘルメス鳩舎には常時50ないし60の仮母がいたのです。

 82年、そこには”ボンテ・ピート“の28羽の直子がいました。直子は残らず、レースでその価値を証明しなければなりませんでした。同年、ヘルメスは、自らの成功の93パーセントは”ピート“の素晴らしい強力遺伝のお蔭であると公表しました。

 私は生後3ヶ月になったピートを、アーレンドンクのカレル・モイレマン氏から買いました。母親”ブラウエ・ダイフィン“は、アドリアーン・ウォウテルス経由のヤンセンだろうと推測しました。が、ルイ・ヤンセンはその鳩は自分の鳩舎で生まれたと言い張りました。私は、それか”本物の”ヤンセンを飼つていた別の鳩舎から来たものであることを疑いません。いずれにせよそのトリはヤンセン・バードとはうりふたつでした。脚環から作出者名をチェックすることはしませんでしたが、いずれそうしてみようと思います。

 ”ボンテ・ピート“はレースには一度も参加しませんでしたが、その兄弟や姉妹のうち何羽かはチャンピオンになっています。私はピートが2本足の優性の奇跡として、ピジョンスポーツ史上に刻まれることと確信しています。

 最も広義の近親交配とは、ある集団における二つの個体間の平均的な血縁関係より近い動物同士を組み合わせることです。これは皆さんがとっくにご存じのこと、つまり近親交配には親を組み合わせることもあるということを意味します。
 そうなっているかどうかは系図を読むことで簡単に確認できます。もちろん、系図はちゃんとしたものでなければなりません。近年では系図が偽造されて、その価値が疑われるケースも増えているからです。

 どんな動物も2体の両親を持っていて、系統図では4体の祖父母、8体の曾祖父母へとさかのぼります。多数の世代を考慮に入れるならば、死んでいるものも生きているものも含めた先祖の数は、集団全体よりも多くなるでしょう。つまり、同じ個体が幾つもの系統図中に登場するわけです。言い換えるなら、さまざまな親等の近親交配があるのです。

 が、実際の作出では、血縁関係が少し離れていれば近親交配とは言いません。しかし、より狭義の近親交配なしに、どんな系統も下位系統も考えられません。近親交配は、植物であると動物であるとを問わず、どんな系統形成にも付き物なのです。

 私たちが近親交配という言葉の意味を明確に定義するためには、組み合わせにおいて2つの個体がどのような最低親等の血縁関係にあるときにそう呼ぶのか明らかにしておくことが必要です。

 レーナーによると家畜の繁殖では、組み合わせる2つの個体が先行する4世代に共通の親または先祖が1つ、またはそれ以上ある場合にのみ近親交配と言うそうです。近親交配の親等が小さければ、近親交配とはいいません。その場合は異血交配(ドイツ語Fremdzcht英語Outbreeding)と呼ばれます。


 鳩の世界でも同じことが言えるでしょう。ある動物の系図に書かれた先祖の数が少なければ少ないほど、近親交配の親等は近くなります。後続の世代で全兄弟と全姉妹を掛け合わせると、それによって生まれた子供は4組の祖父母の代わりに2組、8組の曾祖父母の代わりに4組、というふうになります。これを”先祖喪失“と呼びます。近親交配の最も近い親等は、4世代にわたって全兄弟と全姉妹を組み合わせるケースです。

  ■神々をないがしろにする者は目をくらまされる■    2020年7月31日(金) 3:18 修正
 オレンジ(ニューイングランド)在の獣医ホイットニーは、7代続けてヒュースケン&ファンリールの鳩と配合しました。バスケットによる淘汰を行いませんでしたが
「充分に純粋だからその必要はないと信じていました」
と、語っています。その頃彼は、商業目的のブリーディング・ロフトを設立しました。彼は博学な文筆家で、その著書には『どうやって犬の繁殖で金儲けするか』があります。

 さて7代の後、このビジネスマンの鳩たちが「道路を飛び越すことさえできなかった」ことを、自身で認めざるをえませんでした。

 彼の大量に売りさばいたガラクタを、私はアメリカの多くの州において長年かけて徹底的に叩きました。しまいにはちょっと紙切れをもらい、そこに”価値なし”とか”およそ何の価値もない“とか書き込んだものです。大金をはたいたオーナーで、私の判断が当たらなかったとクレームをつけた者は1人もいませんでした。

 近親交配の目的は、非常に高品質の純度を確保することです。近親交配を長期間続けると変異性が減少しますが、それはいわば純度の尺度です。変異性の減少する理由は、メンデルの分離の法則によって説明されます。

 ”分離の法則”とは、いずれも雑種の動物を組み合わせ、ある特定の遺伝子について見ると、4体の子供で2つの雑種のほかに2つの純粋種が現れることです。つまり比較の問題で言えば、雑種はますます少なくなるわけです。

 ここで注目すぺき論理的な現象は、まるで歓迎されぬ劣性形質(aa)が現れることです。これらは最初は変異性を減少させる代わりに増加させると同時に、ストックの品質を劣化させる恐れがあるのです。これらの変種は淘汰されて繁殖から除外され(少なくともそうすべきで)、劣性形質は取り入れられないので、純化のプロセスが進行し、変異性は自動的に減少を続けるのです。

 この場合、近親交配の親等と、繁殖に使用する各代の動物の数が、発達のおこなわれるテンポを決定し、淘汰はこの発達に方向性を与えます。

 理論的にはこの集団は、遺伝子の望ましい組み合わせという点で純粋です。これには何よりも”コンパス”の基礎をなす遺伝子がふくまれます。活力、その他の不可量物は、バスケットの受け持つ領分です。

 ブリクー、ホーレマンス、デルバール、ステッケルボート、アーレンドンクのヤンセン、すぐには思い浮かばないものの、その他の偉大なる系統は、総てこのようにして生まれたものです。それ以外の方法はありません。”論理的”という点を私は強調しましょう。実践は非常に多くの問題を伴っているために、人人は近親交配の問題点を指摘します。これには根拠のないわけではありません。

 実際に不断の試験配合と厳しい淘汰による以外に系統を純粋に保つことはできません。それぞれの新しい代でこれをおこなうのです。絶対的な純粋性は空想の産物です。そのようなものは実際には決して出現しません。なぜならば、多種多様な妨害因子が近親交配のプロセスに影響するからです。

 かなり信頼のおける識者の意見によると、一回の間違った受精が長年の仕事を台無しにしてしまうことがあります。近親交配はエリートブリーディングの方法です。

  ■■『Piet de Weerd 研究』018■■  [ピート・デヴィート回想録018「近親交配と退化」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年5月号 )  イレブン  2020年7月31日(金) 3:34 修正
重要な鳩理論が展開されているので、できるだけ一気に全文引用をしたいと思っています。

イレブンは、この回想録が「愛鳩の友」誌に連載された当時(1997年頃)どのような反応があったのかとても気に掛かります。丁度、この時期は、イレブンがレース鳩を中断していた頃なので、全く分からないのです。

日本鳩界にとって、この回想録で展開しているピートさんの配合理論は、当時、全く新しい視点からの展開だったはずなのですが……。

当時の鳩界誌を振り返る限り、どうも、よく咀嚼することもなく「スルー」していたような感じがするのですがどうなんでしょうね。

それが、当時の連載から20数年後の現在、この「スネークパパの部屋」で取り上げていてもとての新鮮に感じるのはそのためだと思います。

この回より、いよいよ「近親交配における退化」の問題に入っていきます。


 ■神々をないがしろにする者は目をくらまされる■(前号より続く)  □Piet de Weerrd  2020年7月31日(金) 3:38 修正
 ブリーダーと呼ばれている多くの人々のなかで、本当に卓越したブリーダーはわずかです。スト。クの数が少ない鳩舎で近親交配を応用するのは、ブリーダーが最大限の忍耐を要求されるという意味で非常に困難です。ヤンセン兄弟自身に、鳩のエキスパートと見られたいとの欲求はかけらもありませんでしたが、彼らが極めて優秀なブリーダーであったことに疑いの余地はみじんもありません。

 ブリーダーは基礎鳩の淘汰の名人でなければなりません。なぜならば、苛酷な近親交配で重要な遺伝子が失われる危険があるからです。そうすると、すべての希望を託した種鳩がだめになってしまいます。

 現代の競走馬の優秀なブリーダーは、同じ問題に直面しています。彼らは限界まで突き進むことができます。というのも彼らの「配合ストック」は純粋種の競走馬からなるからです。コンピューターや染色体のディスプレイ画面が用いられているにもかかわらず、競走馬の世界では。見識眼‘が非常に高く評価されています。子馬を判定できれば、大金持ちになれるのです。

 ここで良い知らせは、近親交配ではバスケツトが私たちに最も貴重な情報を与えてくれることです。チャンピオンであり続けるために、絶えず交配を重ねて淘汰することははるかに困難です。このやり方が可能なのは、最高の、できれば近親交配によって作られたストックを毎年新たに手に入れることができる場合だけです。私は、その原理がどうあろうとも、このことを理解しない交配家に出会ったことはありません。
 交配家にとって重要なのは、常に”修正”と”超越”なのです。

 では、実践においての近親交配による退化とは何でしょうか。以前、ドイツ語辞書ドゥーデンには「性の弱体化」と載っていたようですが、もう昔のことです。集団全体の品質の低下、すなわちいろいろな動物や植物に見ることができる後退です。退化は近親交配の弊害、すなわち「危険な雑種」あるいは変種の原因であること、またこのような変異は、最初の集団に存在していたはずの重要な遺伝子が欠落した結果、欠陥が忍び込んだ集団の発生を意味するということが次第に分かってきました。

 以上は、オランダの遺伝子の先駆者であるズースターペルグの老ハーゲドールン博士が言った説明です。私は昔彼と文通したことがあります。彼の娘は1953年に獣医学校を卒業して、ヘームステーデで開業しました。右に書いたことを出発点とすると、近親交配の弊害の本質を明らかにできるような一般的な規則を見つけ出すことはできません。しかし、異血導入によって改良が達成された数多くのケースを集めて調べるならば、次の重要な規則を導くことができます。

 「植物や動物の集団は、我々が最も関心があり、淘汰の最終目標でもある形質については決して退化しない」。

 赤い鳩が欲しくて、残りを体系的に処分すれば、色について嘆く必要はなくなるでしょう。色は退化しないでしょう。それどころか、誰もがその喪失を恐れている活力も近親交配で失われることはないでしょう。代ごとにバスケット、つまり放鳩籠により淘汰して、その維持をはかるならば。

 ■退化は相対的な概念■    2020年7月31日(金) 3:42 修正
 同族交配による退化は、私たちの淘汰の対象である形質には決して現れません。

 また、同族交配の弊害は、一般的に起こる現象ではありません。

 長期間近親交配を行っても退化しない系統や動物群がいます。ハーゲドルン博士は、ハツカネズミを30世代にわたって兄弟や姉妹同士の濃密な近親交配で作出したと語っています。この系統は平均的に繁殖力が非常に旺盛であり、かつ丈夫で成長が速く抵抗力の強い動物を輩出しました。

 近親交配の弊害とは”好ましくない遺伝子が純化”した結果です。つまり淘汰の際にこれらの遺伝子に注意しなかったために生じるのです。原則としてこれらの弊害が最も早く出現するのは、淘汰をまったく行わなかった場合です。たとえば、野生動物(ヨーロッパミンクやその他の毛皮獣)を養殖したり、たった一つの目立つ特徴にのめり込んで、残りは完全にないかしろにしたりする場合です。

 さらに、近親交配が極めて少ない場合、つまり原則として異血交配だけを行うケースでは近親交配による退化が最も早く広がり、最悪の結果を生むのも理解できます。逆に、ある動物群が純粋であればあるほど、近親交配の弊害は少なくなります。

 一連の研究の結果、ある特定のケースで非常に大きな影響をもつ遺伝子(いわゆる致死遺伝子)が存在し、これらの遺伝子が純化されない動物だけが成長できることが明らかになりました。交配を繰り返している動物群では、このような遺伝子の影響は予測可能な異常死をすぐに引き起こすでしょう。

 鑑賞用鳩では徹底した近親交配により、均質のトリを大量に作出することがあります。こうしたことはすべて、近親交配の結果である純粋性が、さらなる近親交配によって退化から守られることを示唆しています。近親交配を続けることによって、ある動物群は近親交配に対する抵抗力を獲得するのです。ヤンセン系はこの事実の極端な例です。

 近親交配の弊害の原因は、近親交配そのものではなく、好ましくない遺伝子の組み合わせをもった個体が発生することです。つまり近親交配においては有害な影響が独自の無害性を生み出すことがあるのです。

 ここで忘れてはならないのは、近親交配とは非交配にほかならないということです。私たちは近親交配によって何か新しいもの、積極的なものを系統に取り入れるのではなく、その逆に新たな変化が生じることがないようにするのです。

 近親交配により、いろいろな点でタイプの均質性が生じます。それと同時にバリエーションもなくなります。熟練した鑑識眼の持ち主ならば、1羽のヤンセン鳩あるいは100羽のヤンセン鳩を、いつでもすぐに見分けることができます。この点については他のどんな有名な系統も比較になりません。

 現在ある遺伝子のパッケージに、近親交配によって新しい遺伝子が加えられることはありませんから、近親交配を始める前に、私だちか組み合わせようとするものはすべて最初からストックの中にあるのだということを知っていなければなりません。その中に潜んでいないもの、あるいはすでになくなったものは、出現することもないのです。

 たとえば、純系のヤンセンからは、けっしてマダラの鳩は生まれません。赤のヤンセンを作出しようとするなら、二羽の淡青色から始めてはなりません。そこからは絶対に赤は出ないからです。

 近親交配の長所は、非常に早く高い純粋性が得られること、つまり何羽かの優良な個体に「蓄えられた」特質を系統全体に分布させることかできる点です。近親交配は非常に近い親類、たとえば全兄弟や全姉妹、あるいは親と子供の間で可能です。この最後に挙げた可能性は、多くの場合にとても有益なことがあります。

 非常に価値の高い個体から系統を確立しようとする場合や、一羽の傑出した種鳩から全く同じか、できるだけ近いトリを作り出そうとする場合(再生)は特にそうです。アンカー教授は、この作出法を兄弟や姉妹の掛け合わせよりもはるかに強く推奨しています。

 南アフリカのボンスマ博士は、家畜の養殖で子供の特質に極めて大きい影響を与える動物はわずかだということを強調しまた。ここで問題になるのは科学的な意味での。優性‘です。

 自分の良い品質をほとんどすべての子供あるいは、少なくともその大部分に遺伝させることかできる動物は”優性”です。等しく優良な(あるいは同じように優良に見える)豚の間に生まれた子豚の品質には、常に大きなばらつきがあります。それが他の大型家畜の場合よりも目立つのは、一回に生む子供の数がしばしばずっと多いからです。

 ■科学と実践が ヤンセンの正しさを立証■    2020年7月31日(金) 3:43 修正
 人工受精が登場した今、ヤンセンかあれほどの長きにわたり同族交配で傑出した成果を上げることができたのはなぜかを理解するためだけに、理論は必要とされます。

 鳩でも人工受精はあるのでしょうか。今後人工受精は行われるのでしょうか、あるいは少数の鳩舎ではすでに人工受精を行っているのでしょうか……。

 詳しくを私は知りませんが。原理的には可能でしょう。私はすでに30年前に記事や本で「技術的可能性」を示唆しました。

 考えられるのは、そして今後ますます増えるのは「ヘルメス方式」の応用です。私かこの方法にヘルメスの名前を付けるのは、彼こそが、たった1羽のオス鳩と多数のメス鳩を掛け合わせた最初の人物だからです。このような方法を実践するためには「偉大な」愛鳩家で、しかも十分な「資金」を持っていなければなりません。さもなけれは、3人か4人の作出者がチームを組んで仕事を分担することです。しかし、競馬に見られるようなシンジケートは、ピジョンスポーツではとても手に余るでしょう。

(この項、次号に続く)

 ■■『Piet de Weerd 研究』019■■  [ピート・デヴィート回想録019「有能な作出者とは」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年6月号 )  イレブン  2020年7月31日(金) 3:58 修正
 日本鳩界史においても、この近親論については、幾度もテーマにあがっています。

 イレブンが調べた限りでは、戦前の鳩界誌の『鳩』や『普鳩』においても取り扱われています。21世紀に入った後も、愛鳩の友誌で幾度も、特集や連載で取り扱われています。

 そのエキスパートはなんと言っても関口龍雄、並河靖、岩田孝七・誠三ご兄弟です。そのほか、論考としては余り残されていませんが、銘系勢山系を見事に受け継ぎ発展させた細川英次郎は相当の見識を持って系統の維持発展を進めていたように思います。

 近年では、素野哲の近親論が筆頭注目に値する内容でした。これらのことは、いずれじっくり、この『Piet de Weerd 研究』で取り扱う考えです。その際は、イレブンが手がけている源流系における実際も検証として研究を進めていく予定です。

 この「近親論」をめぐる議論は、特に、現在この掲示板で連載を続けている『OPEL BOOK 2020』で取り上げているオペル系との日本鳩界の出会いの衝撃や20世紀末のヤンセン系ブームの到来などの機会にこの「近親交配」の問題を考えざるを得ない事態にも遭遇しています。

 しかし、現在でも、ピートさんがこの回想録で指摘している課題を乗り越えたところで議論がされているようには思えません。今でも、単に、系図上の取り合わせのレベルで近親論が語られる風潮から、イレブンはそのように感じています。

 ■科学と実践が ヤンセンの正しさを立証■(この項、前号よりの続き)  □Piet de Weerrd    2020年7月31日(金) 4:06 修正
 ピジョンスポーツに携わるメンバーの数こそ減りましたが、毎年作出される若鳩の数やナショナルおよびインターナショナルーレースに出場する鳩の数は減っていません。
 私はドイツの愛鳩家やレースの主催者に対し、たとえば彼らの「選手権」の運営のしかたなど、多くの点に敬意を表していると、事あるごとに言ってきました。ただ、二つの点で不満があります。第一に、七百キロを越えるレースがあまりに少ないこと、第二に若鳩を対象とした400キロ以上のレースが足りないことです。

 さらに彼らは、イギリスの競馬やベルギーのピジョンスポーツを見て、これらのホビーを維持するためになぜ金銭や賭け金が必要なのかを学ぶべきでしょう。アマチュアリズムほど、美しく純粋なものはありません。しかし、目と耳をもつ者ならば誰でも、パンとギャンブルは古代ローマから現代に至るまでその魅力を少しも失っていないどころか、その反対であることを理解できるはずです。

 非常に純粋な種鳩から淘汰(これ以外の方法ではできません)によって独自の系統を確立するというのは、容易なことではありません。そのためには系統に関する深い知識と作出者の高い能力が必要です。

 アーレンドンクのヤンセン兄弟のことは、誰であれ、好むと好まざるとにかかわらず、称賛せざるをえないでしょう。ベルギーの酒場で人々は、「やつらの尻には羽が生えている」と言いあいます。

 幸いにも、小型家畜のそれぞれの系統には一握りの有能な作出者がいれば、それで十分です。その他の人々は彼らに仕事をまかせ、大金をポケットに入れて、ヤンセンやその後誕生した「傍系」……たとえば”ド・クラック“、ドクター・リンゼン、ブラーデルのヤンセン「デ・スメット」(元タバコ職人)、グロンスフェルトのニック・ヤンセン、ブリュッセルのアルペルト・ファン・カウヴェンベルク、エッセン・ルールのベルント・アハターマンなどから鳩を買い入れることができるのです。

 永遠の異血導入、つまり絶えざる交配は、多くの愛鳩家にとって最も合理的でリスクの少ない配合方式です。この方式で中心的な役割を果たすのは不純性を覆い隠すことです。

 一般に、有能な作出者にとって、彼らがすでに卓越したストックを持っているならば、近親交配こそさらに進歩するための最良の道だと言えます。しかし、初心者が近親交配を行うのは、良い作出者からすでに長年近親交配を重ねてきた信頼できるスットクを手に入れることができた場合に限るべきです。たいていの初心者は、誰もその由来と純度を保証できないトリからスタートします。このようなストックでできるのは、不良な子供をできるだけ少なくすることだけです。これは一般に異血導入、つまり同じ系統で血筋の違う鳩を組み合わせることによって達成されます。

 ■デルバーの認識■    2020年7月31日(金) 4:08 修正
 非常に多くの作出者がヤンセン鳩、ブリコー博士、オスカー・デヴリーント、フランス・ビューレンスの鳩、あるいはコルトリュクのシルヴェール・トーイェ、そして今またモ・デルバーの鳩で成功をおさめたのはなぜでしょうか。この点についてはモーリスが、それも35年前に次のように言っています。

 「私は近親交配しか行いません。それも単純に父と娘や母と息子ではなく、半兄弟や半姉妹とクロスするのです。私の経験では、系統交配で良い若鳩が得られるのはせいぜい10パーセントですが、近親交配だと少なくとも60パーセント期待できます。私の系統を持つている友人と交換することもよくあります。今年も、アスペラーレのヘクトール・ベルレングー(ベルランジエ)と12羽の若鳩を交換しました。私は時々他の系統の若鳩で実験して、それらの鳩の能力を私のトリと比べてみます。交配から生まれる10パーセントの良い鳩をばかにするつもりはありません。が、もしそれに成功したら、すぐにまたそれらの鳩を自分の系統と掛け合わせます」

 たいていの場合、潜在的にはバイヤーと呼ぶべき人々は、交配であろうと近親交配であろうと頓着しません。彼らはとにかく賞をたくさん取っている有名な鳩舎から若鳩を買います。その際、よく観察すると、これらの鳩舎は多数の鳩を持ち、毎週のように寵入れ、つまりバスケットによる淘汰をしているから好成績を上げているにすぎないのではないか、と考えたりはしません。レースの7割方は、南西の風、つまり追い風の中でおこなわれます。従って、短距離や中距離ではパワーと持久力は必要とされません。どんな鳩でも集団の中の有利な位置にっければ、上位入賞の可能性があるのです。

 特別の知性(すなわちコンパス)を備えた本当に優秀な鳩を持っていない場合、人々は比較的小さい集団の鳩をほとんど毎週のように放つのです。

 再度言うことですが、オランダには「金儲けの王」という呼び名にふさわしい作出者がいつのときもいました。彼らはどんなレースにも、多数のレーサーを出場させます。事情を知らない人は、彼らはいったいどこから毎週これだけの鳩を持ってくるのか不思議に思うほどです。普通なら一度飛んだトリは、翌週は休ませます。しかし、大量投入のチャンピオン鳩舎は、次の週もその次の週もレースに出します。そして長ったらしい簑入れリストの最下段に移動した鳩が次回、再び賞を取るのです。もちろん、これにはいくらかの誇張がありますけれど、大羽数を投入するチャンピオンが多くの賞を獲得するのは、ひとえに「ローテーション」のおかげだと言いたいのです。

 スポーツとして見れば、彼らが他の愛鳩家に追いつくためには大変な努力が必要です。これらの量産ブリーダーは、若干の賞賛すべき例外を除けば、概して評判が良くありません。彼らの多くは、若鳩を売って金儲けしようとするのです。それらの若鳩の品質がどのようなものであるかは、以上の文章を読んだ読者ならおわかりでしょう。「有名な系統」から鳩を買い入れたのに一度も勝てないというケースが後を絶たないのはそういうわけなのです。そうした鳩は通りを飛び越えることさえできません。有名なフライターが有名でいられるのは、若鳩を大量に売ることができる間だけです。賭けでは一銭も儲けられません。私は百フラン(ときには数百フラン)かせいだアントワープの有名なチャンピオンの計算書を見たことがあります。自分の賭け金を差し引くとほとんど利益は残りませんでした。彼はニシンを釣るのにクジラを餌にしていたのです。

 しかしながら、若鳩を売るための宣伝として、公正で正直なレースにまさるものはありません。近親交配と異血交配のいずれで作出されたかはどうでもいいのです。ピジョンスポーツとはそういうものなのです。

 ■エピソードと意見■    2020年7月31日(金) 4:11 修正
 退化という本題に戻りましょう。私かすぐにエピソードで脱線してしまうのは、読者や聴衆がそれを私に期待しているか、少なくとも気を悪くはしないだろうと思うからなのですけれど。

 日常的な語法では。退化‘とは、けっして輪郭のはっきりした概念ではありません。この言葉は、通常は退化した個体における変化そのものを連想させます。そうした変化によって個体は、その系統の標準に比べ、精神的および肉体的成長や繁殖力の点で劣ります。虚弱体質、発育不良、奇形、斑点(退化の徴候)、神経愚鈍、繁殖力の低下、などがあげられるでしょう。これらの現象も退化という言葉で言い表せます。
 退化の概念に古典的な定義を与えたのはモレルでした。彼は「生物の退化の表象は、種の存続に必要な要素を内包した原型に対する変異の表象と切り離すことはできない」と言っています。

 つまり、退化によって種の存続が危険に陥る、ということです。モレルによれば、退化の本質的な特徴のひとつは遺伝です。つまり退化した生物の子孫では劣等生か増大するのです。通常は、このような変化も退化という言葉で表現しようとします。退化は、後続世代で次第に増大する。プロセス‘とみなされるのです。そのため、この言葉が否定的な意味をもつことは避けられません。

 人間の場合は、なによりも犯罪のことを思い浮かべます。しかし近年の解釈では、劣性形質(またはその素因)が同型接合体をなすときに退化と判定します。このような退化によって、いろいろな病的な変化が引き起こされます。

 ある鳩のカップルか劣性形質、たとえば盲目の素因を持っているとしましょう。盲目因子をb、盲目因子がないことをBとすると、両親はBbとなります。雑種第一世代では、遺伝子の組み合わせはBB、Bb、bb、となります。このうちbbの遺伝子型をもった鳩が盲目です。もちろん、このトリはすぐ淘汰されます。そうすると、BBとBbだけ残ります。この場合、簡単な計算により、次の世代でbbが生まれる可能性は増加せずに減
少することがわかります。二羽のBBを掛け合わせると、bb鳩が生まれることは絶対にありません。BB鳩とBb鳩の組み合わせでbb鳩が生まれることもありません。二羽のBb鳩を掛け合わせた場合のみ、bb鳩が出現する可能性があるのです。その比率は、正常な鳩三羽に対し盲目の鳩一羽です。

 もし先祖の個体に生殖細胞に退化を示す変異がなければ、子孫にも退行的変異は出現しません。この場合、退化は問題になり得ないのです。退化という概念を文字どおり受け取ってはなりません。たとえば、bの因子は鳩の場合に出現することはほとんどないのです。目のいい家畜と言えば、一番は鳩です。このことは、ある動物群が我々にとって非常に関心の高い、あるいは系統の存続を左右するような性質の点で退化することはないという理論を裏付けるものです。私はこれまで何度か盲目の鳩について読んだことがあり、それについて人々が語るのを聞いたこともあります。しかし、そのような鳩を見たことはついぞありません。ドゥゼー(Dusee)の「ブラインド」はヤマネコのような目をしていました。そして五週間以内にサンーヴァンサンNとタックスNの優勝をさらったのです。

 ■目 の 退 化■    2020年7月31日(金) 4:12 修正
 では目の悪い鳩はいないのでしょうか。おそらく山ほどいると思います。瞳孔が大きくシャープな円形をし、特に前側、つまり嘴の両サイドで虹彩と瞳孔の境界がはっきりし、虹彩は水色一色で、模様や「不均一性」などがない等々の条件にあてはまる鳩だけを掛け合わせたとしても、成功するとは限らないのです。

 そうやって生まれた若鳩を初めて舎外すると、早くもそのうち何羽かは戻ってきません。それが目のせいかどうかは議論の余地があるでしょう。ただひとつ経験から言えることは、これは系統の存続を左右する退化の形式にかかわる問題だということです。目の悪い鳩がいることは疑いありませんし、いろいろな観点で良い鳩や平均的な鳩よりも、悪い鳩のほうがずっと多いのです。

 しかし、ピジョンスポーツの長所は、レース籍が容赦なく選別してくれることです。その賛否については優に一章書けるでしょう。本書でもこの点には度々触れています。いつでもどこでも第一の条件である合理的な淘汰によって、後続世代における劣等生の増大という意味での退化が生じることは、科学的に説明できません。

 退化のプロセスだけではなく、反対のプロセスもあります。再生です。系統または血筋の自発的な「改良」は科学的に説明できません。せいぜい遺伝子の働きによって説明もしくは把握できると仮定するだけです。 (次号に続く))

 《系統研究》【OPEL BOOK 2020】007   第1章 オペル系系統調査公開資料の全て ○全文引用資料(7) 対談『アメリカ系研究 オペル系』 小栗和雄 ゲスト 中沢勝巳 (出典:『鳩友』1971年10月号)  イレブン  2020年7月28日(火) 9:02
修正
ブルドックオブオペル号を始め、オペル系や他のアメリカ系の銘鳩たちを数多く導入されたことで有名な小栗和雄氏が鳩界雑誌『鳩友』誌(1971年10月号)に掲載された対談論文です。今回の掲載は、「アメリカ系研究」として、連載された内容の第1回分です。2回以降につては現在調査中です。

 この対談論文の価値は、オペル系の代表鳩9117号の追跡系図が作成されていることと、それをもとに、9117号がオペル主流系の中で群を抜くスピード性を持つ異血的な存在だったのではないかという独自の見解が語られている点です。

 更に、J.L.Opeleがとった系統確立の方法は、当時のアメリカの主要な系統の確立と維持の方法と同じ手法であったということが解明されている点もこれまでにない視点からの研究となっています。

 この対談論文の中でもたびたび『オペル・ブック』のことが話題に上がっています。当時、多くのオペル系愛好家が『オペル・ブック』を手にして、いろい思索を深めていたことが伝わってきます。

 【イレブン挿入資料】ブルドックオブオペル号  イレブン  2020年7月28日(火) 9:28 修正

 ■最愛の恋人はレース鳩■    2020年7月28日(火) 9:30 修正
 オペル氏は、メリーランド州ボルチモア市に住むようになった1912年、MCCAのクラブに入会、61年に死去されるまで妻を持たず、鳩一筋に打ち込み、アメリカ人独自の国民性に基づく、厳しい淘汰による鳩作りを行ないました。1961年の夏、72才で死去された後は、氏の愛鳩群は、遺言により、オペル系の後継者、ビール兄弟の鳩舎に引き継がれ、今日に至っています。

 ■日本鳩界の立て役者■    2020年7月28日(火) 9:32 修正
 オペル氏の鳩は一1950年頃.初めて我が国に輸入され、既に24年、不死鳥オペル系として、長距離.悪天候レースの上位入賞鳩の多くに、その血筋が少なからず混入されていることに、驚異を感ぜざるを得ません.

 オペル氏の鳩が初めて輸入された当時、日本の鳩界は在来種を基本に、胸の厚い、腰の硬く低い鳩、恥骨の閉まった、主翼副翼の立派な鳩でなければ飛ばないものと、先輩諸兄に教えられ、そのような姿、型をした鳩を追っていたのです.

 そのような我が国競翔界に現われたオペル氏の鳩を、輸入鳩が珍しい時代とはいえ、誰一人として銘系、銘鳩とは思わなかったでしょう。日本では300粁ないし600粁レースの帰還鳩を、なかなかの銘鳩扱いにしていたのに引き換え、オペル氏の血統書には、600マイル(1000粁)15回、700マイル、すなわち、約1150粁5回などは、まるで飛ぶのがあたりまえのように記載してありました。

 また、私達が一番恐れていた近親交配の弊害にもかかわらず、オペル氏の鳩は、全鳩数十回にわたる近親交配により作出されており、その関係もあってか、鳩はガタガタ?という感じでした。

 しかし、ガタガタとは、当時の私達だけが思ったことでしょう。現在になってみると、鳩は身体で飛ぶものではなく。頭、血筋で飛ぶもの、とまるでオペルの鳩に教えられているかのようです。

 そして今日、日本鳩界が、1000粁以上のレースでも、安定した帰還率を示すようになりつつあるまでに成長した、その陰には、オペル系輸入の成功が、大きな力となったと言っても過言ではないでしょう。

 ■グレートバード オペル9117号について■    2020年7月28日(火) 9:34 修正
 今回はアメリカ系、特にオペル系にうるさいオペル系研究家、京都の中沢勝己氏をお招きし、今一度、9117号の偉大さをふりかえってみましょう。

 アメリカと言えばオペル、オペルと言えぱ9117号と言われるように、オペル飼育者は勿論、初心者の競翔家の方々もご存知のオペル系代表鳩ですが、案外、ベテラン競翔家の方々でも、名前だけは知っているものの、果してどのような構成により作出され、数々の銘鳩を後世に残したか、理解できない方もありましょう。

 オペル系確立に至るまで、詳しく記載したオペルブックがありますので、今回はそれを参考にして、特に初心者の方々に少しでも良くオペル系を知ってもらうため、オペル系の銘鳩を一羽ずつ取り上げ、回をおってやさしくお話ししたいと思います。

【小栗】 中沢さん。あなたは相当深いところまでオペル系を研究され、追求されているようですが。最近ではあなたとオペル系の話をしていると、「老いて子に敦えられ。浅瀬を渡る」のたとえのような感じがしますよ。

【中沢】 小栗さん仕込みで、中途半端な系統研究では満足できず、オベル系に限らず、どの系統も深く研究するようになり、困っています。

【小栗】中沢さんは、オペルブックをまるで暗記でもしているようですね。

【中沢】初めはなかなか難しい本だと思いましたが、最近では全部、頭の中に入ってしまいましたよ。読めば読むほど面白い本ですね。初心者の方々には少し難しいかもしれませんが…。

【小栗】 私も同感です。今回、オペルブックを参考にしながら、やさしく、おもしろくをモットーとして、しかも、オペルの銘鳩一羽ずつを取り上げ、お話していただきたいと思います。
 オペルと言えば9117号ですね。中沢さんは、9117号がオペル系を作ったのだろうか、それとも、それ以前にオペル系は出来ていたのだろうか、どちらとお思いですか。

 ■系統と血統の違い■    2020年7月28日(火) 9:36 修正
【中沢】 系統と血統、一般にはごっちゃに考えている方も少なくありませんが、近親交配等により何代かを経たもの、つまり、系統ということになりますと、オペルの源鳩といわれるオールド・スレート号がありますが、一般の人のように、オールド・スレート号を源鳩として、近親交配等により完成されたのが、オペル系と考えるのは少し大胆ですね。しかし、オールド・スレート号があってこそ、オペル系が誕生したと考えてもよいでしょう。小栗さんはどのようにお考えですか。

【小栗】これに関しては、私は、あなたよりもっと厳しいですよ。系統と称するには、9117号の直仔で有名な、任秀夫氏所有のキープセーク号(オペル氏の形見の意味)の時代の鳩から、オペル系の鳩と言ってよいと思います。キープセーク号の兄弟には多くの銘鳩がいますし、9117×1751の配合を、オペル氏は最期まで、一度として変えることがなかったのですからね。 私は15才の時、このキープセーク号を任鳩舎で見ましたが、任氏はじゃんじゃん雌を換え、仔を取っていました。随分タフな鳩でしたよ。それが昨年の夏、急死してしまい、びっくりしました。 中沢さんは9117号の母方の祖父母、つまり、34年5770×36年9800の血筋が好きですね。

 ■正統オペル系の血筋を引く9117号■    2020年7月28日(火) 9:37 修正
【小栗】 5770×9800の交配は、8450、8451、899、900、そして34などの多くの銘鳩を作出しています。日本に輸入された本筋のオペルで、この血を引いていない鳩は、一羽もいないと思います。その当たり配合、それもオールド・スレートの近親交配になっての、当たり配合により作出された、8451に異血をもって来たことが、9117号を作り出した原因と思いますが・…

【中沢】 それで、小栗さんは日本人が誰も見たことない9117号は、いったいどのような体型をした鳩であった、と想像されますか。

【小栗】 祖先の系統と交配方法から考えますと、体型の立派な鳩で、今のオペルとは少し感じの違った、むしろ、ヨーロッパの香の残っている鳩だったと思います。いや、違いないと思います。500マイルを15回も飛び、その内3回優勝しています。
 それより、1100メートル台の分速を2回も出しているでしょう。これはオペルのスピードじゃないと思います。異血交配から来た、ハンセンか何かのスピードだと思います。

【中沢】 それで小栗さんは、オペル系は他の系統と割った方が、スピードが出るとお考えですか。

【小栗】 それは割った方がスピードが出ますし、手っ取り早いと思います。しかし、これは異血鳩を選ぶのが難しいです。危険が待っています。固定された系統に、異血、また異血とだんだん割っていくほど、だんだんスピードの出る鳩が出来ますし、鳩も立派になって行きます。しかし、反対に帰還率は悪くなって行きます。そこで、ヨーロッパではあまり見られない、アメリカ独自の鳩作りの図を、簡単に描いてみたいと思います。(左図参照)私の見た血統書の中で、オペル、ハフナー、グラニットなどはこの方法により、白身の築いた系統を守りながら、昨年は良かったが今年は駄目だ、というようなことのないように、常に努力をしながら、鳩作りをしています。
 後々の自鳩舎の成績を考えずにレースに勝つことは、案外、簡単なことだと思います。常に他鳩舎から色々の鳩を導入しながら、多数の系統の混入した鳩を沢山作出して、レースに参加していれぱなんとかなります。が、それでは鳩を作出し、レースに参加する興味もなければ、競翔家とも言えないでしょう。したがって、オペルを自分の系統にしなければならない、と思います。

【中沢】 それでは、小栗さんは近親交配が好きですか。

【小栗】好きか、と言われると困りますが、色々とあるんです。
 まず、勝てる鳩を何代も作らなければならない必要が、次に来ているかもしれませんね。オペルだってそうでしょう。MCCAの団体においては、雨が降っても風が吹いても、予め定められた日時に放鳩することだってあるのですから。どんな悪天候でも帰って来る鳩を作出する。その必要性から、悪天候に帰還率の高いスピード・オペル系が作り出されたものと思います。ここで再び9117号に話を戻し、9117号の父鳩、ジョーンコック号について、少し話していただきたいと思うのですが。

【中沢】 この鳩につきましては、自身の記録を高く評価したいと思います。500マイル以上13回、700マイルを3回も飛んでいるんです。これだけの回数を飛んでいるということは、すばらしい身体を持った鳩だったろうと思います。
 それと、血は薄いですが、近親交配のオペルに掛け合わすには、もってこいの鳩です。ジョーン・コック号は、イギリス、ベルギー、アメリカの、その時代に最も良く飛んだ系統を、寄せ集めて出来上った最良の嶋である、の一言に尺きると思います。

【小栗】 不死鳥、オペル系とは、近親交配により悪質な遺伝因子を取り除くことによって、体力、能力共に高度なものに固定、築かれたものと信じて疑いません。
 次回は、9117七号×1751号の交配により作出された銘鳩の数々と、日本で活躍したオペル系鳩を紹介いたします。
(※以下資料調査中)

 ヤンセンバード 最高の目  サウスタイム  2020年7月27日(月) 0:00
修正
お久しぶりです。

ピート デウェールト回想録大変おもしろい記事ですね。

ピートさんがおっしゃっている特に私が見たヤンセンバードのなかで最高の目をしていた鳩がコーヒーブラウンの目と言う記述です。

想像がふくらみますが、アサインの幅は広くひとみの回りを360度墨でまかれ、c/aがルーペで確認できたのではないでしょうか。

ラストヤンセンの写真を拝見しましたが、残念ながら1羽もそのような鳩は残存しておりません。

このみの問題ではなく深い理屈が存在していると思います。



 コーヒーブラウンの目の眼とはいわゆる”真鍮目”に属する眼  イレブン  2020年7月27日(月) 2:53 修正
ピートさんがここで触れているヴァンダー・フォスケのコーヒーブラウンの目とは、広島で言われている、いわゆる”真鍮目”に属する眼だと考えていいとイレブンは思っています。そして、それは、それぞれの系統によって微妙な違いがあるものと捉えています。

このスネークパパの部屋では「バイオレットの金巻き眼」「バイオレットのプラチナ巻き眼」といった表現で何度も登場しています。

スネーク理論では、この目を原鳩の眼、基礎鳩の眼と解釈しています。この目のもう一歩奥にあるのが、いわゆる、「色無し眼」「ブラックアイ(黒眼)」(ファンブリアーナのスチール号)といったものだとイレブンは考えています。

イレブンが知る人(S氏)が、小林勇鳩舎の基礎鳩383193号(777×619)をこの目だっとという証言を直接聞いた事があります。S氏は丁度「消し炭のような眼」という表現をなされていました。S氏が3年ほど前にイレブン鳩舎に訪問された際のことです。S氏は現在は鳩を止められていますが、「目利き」として九州では結構名が通っていた方です。

サウスタイム様がおっしゃるように、ここには、「このみの問題ではなく深い理屈が存在している」とイレブンも考えています。

現在、展開している回想録は、ピートさんの系統理論の一番面白い部分です。イレブンは、丁度16年前、鳩を再開するときに、この掲示板でイレブン編「ピート・ デウェールト回想録語録集」http://snakepapa.littlestar.jp/inf101930b/inf10.cgiという連載を数年間に亘って書いていた時期があります。この時に、学んだことが、源流系の作っていく上での基礎理論となっており、現在もこの理論を土台にして研究を進めています。

刺激的な内容なので、再読しながらイレブンもまたいろいろ思索を廻らしながら掲示板にアップしています。まだ、半分位しかアップしていませんので、しばらくは楽しめると思います。また、感想を頂ければ嬉しいです。

左画像:3代目ムロタ羽幌号の眼、佐々木進作、初期イレブン鳩舎基礎鳩、ムロタ系源鳩【ムロタ羽幌号】の3重近親鳩

右画像:ムロタ稚内1号の直仔の眼、ムロタ作、初期イレブン鳩舎基礎鳩、ムロタ稚内1号×黒真珠号(ムロタ稚内3号の母)

  ■■『Piet de Weerd 研究』011■■  [ピート・デヴィート回想録011「想い出に残る鳩」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年10月号 )  イレブン  2020年7月23日(木) 13:52
修正
先週の土曜に、もうすぐ梅雨明けと書き込んでいましたが、週が明けると一転してこの連休中も豪雨の心配があるとのこと。梅雨明けはまだしばらくお預けとなりました。訓練に行くことも出来ませんので、自宅待機です。

折角ですのでこの連休中に『Piet de Weerd 研究』をできるだけ進めることにしました。

この章では「 ”ヴァンダー・フォスケ”はそれまで私の見たヤンセン・バードの中で最高の目をしていました。コーヒー・ブラウンの目……。」という記述からピートさんが、目の鑑定をしっかりしていることも明らかになっています。

 これからが、ピートさんの系統理論が一気に展開されていきます。連休中にアップした記事についてはレスを追加していくので、掲示板下の方に新しい記事が追加されますのでご確認ください。

 ■R・V・ステーンベルヘンは”ラッペ”を知っていた■    2020年7月23日(木) 13:54 修正
 アーレンドンク生まれのリック・ファン・ステーンベルヘンは、若い時にしっかり鳩レースを観察して、後に自身でもやってみるようになったに違いありません。鳩レース日和に酒場の主人にこう尋ねてみます。
  「一体、誰が一番だった?」
 主人はこう答えたものでした。
 「誰が一番かって? 聞くまでもないことさ。やつがまた何分もリードしているよ。あんたも掛金を積んでおけば、今頃はいい気分だったろうに」
 私は、”アウデ・ヴィットハ−””ラッペ”いずれもよく知っていました。いずれ劣らぬ怪物でした。

 「あなたの一番欲しい鳩は?」
と聞かれたら、私はためらうことなくこの二羽か、あるいは51年生まれの”バンゲ”それに67年生まれの”メルクス”を挙げたことでしょう。戦後生まれのこれらの鳩は私の好みにピッタリでしたから。全く流線型の美しいボディーをしていました。それは私にとってはさして重要なポイントではないのですがこれらの場合は別でした。

 人間とは妙なものです。クィーブランを飛び立った”ラッペ”は2位に11分の差をつけてゴールしたことがありました。手ごわいライバルはと言えば、殆ど総てがラッペの兄弟でした。一羽が帰り着くと、まるでロザリオの祈りのように他のトリが次々に到着します。十歳になったラッペを何とか手に入れたいと思ったのですが、私の頼みは聞き入れてもらえませんでした。相当な金額を申し出たのですが、無駄でした。

 1945年、のちにラッペのように数多くの優勝をさらうことになる”ヴァンダー・フォスケ“が誕生しました。39年生まれのキッネ色のオスがその父親、母親は36年生まれの”ディッケ・ダイフィン”すなわち33年生まれの”アウデ・ウィットハー”の全姉妹です。

 このメス鳩を、私はオウメンス・ファン・テュインの依頼で購入したのですが、47年にハーデイクでコクシジウムに罹って死んでしまいました。ヴァンダー・フォスケの母親は10月生まれのレートバードでした。ヤンセンは早くも16週になったところで作出にとりかかりました。まだ日照の少ない時期でした。やがて二個の卵を産みましたが、これがアーレンドンクで産んだ最初で最後の卵となりました。というのも、このトリはその直後に訓練に参加させられたからです。
 卵は一個のみ孵化しました。この卵からそれまで手にした最高の雌鳩が誕生したのですそれは”スホーネ・リヒト“よりも格段に優れていました。両方のトリをよく知っている私には、そう断言できます。

 ”ヴァンダー・フォスケ”はそれまで私の見たヤンセン・バードの中で最高の目をしていました。コーヒー・ブラウンの目……。

 私自身もこんなトリを59年か60年に、ラフェルスに住むアルベルト・ファンデルーフレースから購入したことがあります。ファンデル・フレースの栗は、ヴァンダー・フォスケの水準をそれほど下回ってはいなかったと思うのです。

 ■H・ヴェルナッッツア大当たり■    2020年7月23日(木) 13:54 修正
 このメスは、サンフランシスコに近いラファイエットに住むトスカーナ出身のヘンリーヴェルナッツァに売られました。彼は、”カプリ”というブランドのサラミ製造業者です。製品はイタリアの国旗を真似て赤・白・緑の三色の包装がしてありました。私かハワイから帰国した時、サンマテオ空港に出迎えてくれたのを覚えています。

 東フラマンのヴェルデンで、この栗のメスと、ホノーレ・ファン・デ・ミューレンブロークのドス灰のオスとの間に生まれた娘は、当時、ネヴァダ州のどこかで開催された400マイル若鳩レースで2位に26分もの差をつけて優勝しました。

 私は、この栗色の娘が夕日に映える山の絶壁を背に、長い滑空で次第に近づいてくる様子を昨日のことのように思い浮かべることができます。この優勝鳩はアメリカの多くの新聞に掲載されました。この例に限らず、ファンデル・フレース栗のメスの直子や孫が、合衆国の総ての州で300羽も優勝した事実が報道されたのです。

 また別のヤンセン・バードは、ヤン・アールデンの”アウデ・49”と、ファンデル・フレースのゴマのメスとのペアから生まれました。私はこの鳩に”コー・イー・ノール”という名前をつけました。

 さて、ファンデル・フレースの鳩はアントワープ州のオルレアン若鳩レースで一万羽中の優勝を獲得したトリの妹でした。
 私はボストンのジョン・スパーリアの依頼で”コー・イー・ノール“を彼の元に送りました。やがてエンジニアのハロルド・グーキンが購入しました。核物理学の研究を終えたばかりの男でした。

 私は彼の鳩舎で”コー・イー・ノール“とヘラールドベルヘンに住む友人カミール・デューラントのメスの血を引くヤンセンーバードとを交配しました。このペアも一躍有名になり、エンジニアはピジョンスポーツ界に足を一歩踏み入れた途端に成功者としてもてなされることになったのです。まさにアメリカン・ドリームを叶えた何千人のなかの一人というわけです。

 ■より多くのチャンスをヤンセンで■    2020年7月23日(木) 13:55 修正
 オランダにもヤンセン・バード、すなわちその子孫は何千羽といます。別のラベルを貼ったヤンセンもたくさんいます。戦後間もなく、ヤンセン・バードは特にエイントホーフェンとその周辺のティルブルフ、ブレダ、それらの間にある小さい村落や集落に広まりました。南に下った地点にあるアーレンドンクから流れる何本かの太いラインに乗って。

 たとえその間に、ヤンセンの持つ多くの資質が水増しされたにせよ、もはや役には立たなくなったにせよ、ヤンセンという血統を知る者なら一目で判ります。ヤンセンの秘密は近親交配にあります。誰もが知っていることで、何人も否定することはできません。

 長い年月のうちには大当たりをとった者が数多く登場しました。ある鳩舎は近親交配をおこない、別の鳩舎はその方法をとりません。しかし、血統が純粋であればあるほど、素材の価値は新しい血の導入によりいっそう高まるのです。

 ■配合システム■    2020年7月23日(木) 13:56 修正
 随分昔の話になりますが「ブリーディングシステム」というタイトルの本の一章を引き受けたことがあります。難解だと言う人もいましたが、幸運にもベストセラーになりました。とはいえ、この本からは学ぶべきたくさんのことがあります。大抵の本がそうであるように、この本も次第に内容が古くなっていきます。でも、遺伝理論に関しては決して古くさくはなりませんし、ブリーディング・システムはその不可欠な要素をなしています。

 「基本的かつ簡明であること」、これが私の心構えです。配合システムという課題について、これから私のお話することは、ある人にとっては面白くても他の人にとっては退屈なものかもれません。どうか、興味のない部分は読み飛ばしてください。

 ドウシャンブル氏の定義によれば、配合システムとは人間が家畜の品質を維持し改善する目的でその繁殖に作用する種々の方式を呼びます。その方式とは、血筋の異なるもの同士の組み合わせ”アウト・ブリーディング“と、血縁同士の組み合わせ”イン・ブリーディング“とに大別されます。つまり、単なる”交配”と、”近親交配”です。

 理論上は、遺伝構成が異なる個体の掛け合わせは総て”交配“ということになります。しかし我々愛鳩家は、系統の異なるトリを組み合わせることを”交配“と呼んでいます。さもないとどんな種鳩のカップルも”交配“になってしまうでしょう。交配は、子孫の潜在的な変異性を増大させていきます。その変異性を隠蔽しようとするのが、メンデルの優性の法則です。最初に見た時に掴んだそのトリの特徴よりもはるかに多くのものが、交配によって引き出されるのです。

 ■飛ぶ色のパレット■    2020年7月23日(木) 13:56 修正
 色の要因を取り上げるなら、いわゆる。ブロンズ色“の鳩は、飛ぶ色のパレットである
ことがわかります。そこからは、ブルーからスレートまで、赤からベールトーンまで、あるいは白い剌のあるものやないもの、ありとあらゆる色が生まれます。しかし、羽色ほども具体的にはとらえがたい他の要素について事態ははるかに複雑です。これらの場合には次世代になってメンデルの分離がおこなわれます。

 これらは淘汰に関しての根拠を色々さし示してくれるでしょう。回転の軸たる必須条件です。おおくの雑多な要素は、その軸の周辺をグルグル回っているだけなのです。交配は困難をきわめる作業分野です。淘汰とは、良質な植物のみを残して雑草を刈り取るための草取り鎌のようなものです。

 大部分の愛鳩家は幸運を期待して交配をおこない、これからもそんな交配を繰り返していくでしょう。その理由は何よりも、近親交配や戻し交配にたいする、私に言わせれば何ら根拠のない不信感だと思います。でも、これらの方式は他のどんな家畜でも、ごく普通におこなわれていることです。人工受精と組み合わされる場合もあります。

 牛と馬を例にとりましょう。馬は鳩と同じく、レースに用いる点では競技動物と言えます。平均的な作翔者(なんと言っても、この人たちあってのピジョンスポーツですから、彼らについての悪口は余り言いたくありません)は、専門知識を駆使して一羽の基礎鳩を作出し、しかる後に数世代をかけて駄鳩揃いの鳩舎を作り上げてしまうのです。鳩の作出は、デタラメなやり方ゆえに余り評判がよろしくありません。

 が、それでもピジョンスポーツが続けていけるのは何故でしょう。それは、レースが本当に必要なものをフルイにかけてくれるからなのです。

  ■■『Piet de Weerd 研究』012■■  [ピート・デヴィート回想録012「Dr.リンゼンの教訓」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年11月号 )  イレブン  2020年7月24日(金) 1:34 修正
いよいよピートさんは、この連載第12回目から、レース鳩における「遺伝」の問題に切り込んでいます。そして、優れたレース鳩のタイプは実に多種多様であることや、その多様性の中で、どのタイプであったとしても共通して重要なのは「活力」にあること。

 さらに、レース鳩の「配合」の問題では,両親より優れた鳩が次々と生まれてくるような「”超絶”配合」により誕生した銘鳩たちにより、代々とその優秀な遺伝子が受け継がれていくようになってるという事実をヤンセン・バードの歴史から述べていきます。

この章からは、特にピートさんが 言わんとしていることを、じっくり咀嚼して自分なりに整理していく必要があるように思っています。

  ■ミーリーは美しくない■    2020年7月24日(金) 1:34 修正
 ミーリーのようなまだらの羽色は美しくはありませんが、猛禽類がこれに狙いをつけることさえなければ差し支えないでしょう。そんな話は私の知る限りでは、ありませんけれど。

 レース鳩の配合は、品評会用のウサギの掛け合わせとは少し違います。単に、レース鳩とウサギという品種の違いというわけではありません。何と言っても、メンデルの法則は総ての動物に当てはまる普遍的な法則です。

 鳩は、レースには絶対に欠かせない精神的および肉体的な資質によって淘汰されますがウサギにとってこれらの要素は意味がありません。速く飛ぶこと、場合によってはそれをできるだけ持続できること。速く飛びさえすれば、赤い翼であろうが灰色であろうが、長い翼であろうが短かろうが、そんなことは取るに足りないことです。

 ■活力こそ不可欠 流線型かどうかは重要ではない■    2020年7月24日(金) 1:58 修正
 ある複雑な要因、成功の原動力とも言うべきものが背景あるいは根底にあります。多くのものを生じさせまた修正し、そして絶対に欠かすことのできないもの、それが”活力”です。レース鳩のタイプは実に多種多様ではありますが、それはさして重要な違いではないという事実に、門外漢はいつも驚くもののようです。かつて話題になった。理想的なレーサーのタイプ“について言えば、私の見るところ、レース鳩に関しては最初の数百年間はそれほどの進歩は遂げなかったようです。

 病院やサナトリウム、高級レストラン向けに食用鳩を供給している。”パルメット・ピジョンプラント“の経営者、アメリカ人ウェンデル・L・レヴィは、その著書「ザ・ピジョン」(※注イレブン)の中で、最も多くの家畜の系統が、組み合わせ交配から生まれたことを証明しています。その中には確かにレース鳩も含まれているのです。私は「魅惑の翼」の中でこのことについて書き、800年前のサラディンやヌールエディンといったアラブ人にまでさかのぼりました。

※注イレブン:『THE PIGEON』,1941年に発刊され幾度も再刊され続けているレース鳩研究の古典的名著、 世界中のレース鳩の遺伝の研究は、著書『THE PIGEON』を踏まえて論じられています。分厚い本で、重厚な内容となっていますが、どこかでこの本の内容に触れたいと考えています。

 ■”超越”交配■    2020年7月24日(金) 2:01 修正
 ベルギーのレース鳩が誕生したのは1789年以降のことです。成果の現れるのはとても早いが稀にしか現れないのが、いわゆる超越交配です。これによって最良の両親にも優る組み合わせが生じるのです。それほど速くない両親から非常に速い子を作出する、といったのがその例です。

 事情に通じた愛鳩家のために言えば、この両親の遺伝子型は、たとえばAAbbおよびaaBBです。交配により特にAABBの組み合わせが生じますが、これは両親いずれにも優ります。ただし遺伝子が累積(増幅)効果を持つことが前提です。これらの因子はホモ接合体として現れるので、有利な因子の組み合わせは常に子孫に受け継がれます。

 後で論じるつもりですが、ここで先取りして言えば、ヤンセン鳩が最後の三十年間にあれほど好まれたのは、交配が簡単にできたからです。近親交配された一部の鳩のみならず他のあらゆる距離の強力なレース鳩、とりわけ長距離レーサーとも掛け合わせることができたからです。これらの鳩は種鳩としては必ずしも良くないことが判っていました。言い換えれば、レース鳩としては優秀でも繁殖しないトリを持っていたら、ヤンセンのトリと掛け合わせればそれで良いのです。

 ■リンゼン博士に対する好意から 私自身が淘汰■    2020年7月24日(金) 2:03 修正
 ヘルモント在のピート・リンゼン博士は毎年、ドイツの選手権で会うたびに、私に自分の鳩を淘汰してくれないかと頼んできました。既に書いたように、彼は20羽の優秀な長距離鳩を導入しましたが、町を横切ることのできる鳩を一羽も作れないでいたのです。ずっと断ってきたのですが、会う度に彼は強く迫るので、遂に一月のある日、私は彼言うところの「どうしようもない」長距離鳩を見に行くことにしました。

 鳩は大きなカゴに入れられました。どこに問題があるのか、何か不足しているのか、時間をかけてじっくりと調べました。その場には確か6人ばかりいましたが、皆、緊張していました。仕事にかかる前に博士は。

  「必要な鳩とそうでないのとを正直に言って欲しい」
と、私に告げました。不必要な鳩はその場で淘汰すると言うのです。彼の忍耐は限界に達していたのです。

 私は鳩を掴んで調べ、彼に言いました。
「なかの一羽をプレゼントしてもらおうとは思いません。でも、これらの鳩から500キロでチャンスのあるトリを引くことができると思います。そのためにはお手持ちの最良のクラック・バードが6羽必要です。できればメス鳩が」

 博士自身、そうしたことも考えたことがあったと言います。が、実現させるには至らなかったのでした。自分の手に入れた高価なトリから長距離バードを作り、素晴らしく速いヤンセン・バードからはスピード・バードを作りたいと考えていたのです。

 しかし、彼はためらうことなく私のアドバイスに従いました。それでなければ私か訪問した意味がなくなります。私は30羽のヤンセン・バードを掴み、6羽を選びだして、それらに1番から順に番号をつけました。

 1番は”ピッケル・ダイフ“で、記憶違いでなければそれはレーセル在のクラック作の”ズーン・トゥヴィンティフ“の孫娘でした。かつて博士が所有していた中で最高のクラック・ヤンセン・バードです。

 対する6羽の長距離鳩にも通し番号をつけました。こうすれば、組み合わせは最終的にはとるに足らないことになります。私はこれまでに何千組というカップルを作ってきましたけれど、いわゆる組み合わせの適性というものを考えたことはありません。

 リヌス・ファンデル・ラーレのレッドに1番を付けたと記憶しています。コー・ニッピウスのホーレマンスの血が4分の1入ったトリでした。優れたレーサーではありましたが作出上、何のメリットもありませんでした。

 こうしたことはピジョンスポーツ界では日常茶飯事といってよいでしょう。欠陥を抱え過ぎている、充分にウエットではない、あるいは少ない餌で太るという大事な資質に欠けているなどなど、問題を引き起こします。

 ティールトの老スタニスラウス・ファンデン・ボッシュは、当時、このことを既に知っていました。彼のことについてはこれからも書くことになるでしょう。

 ”ロード・マリヌス”は個性と闘争心を溢れさせていましたけれど、回復力に欠けていました。レースのインターバルで疲労回復に長い時間が必要なトリであると、すぐに気付きました。もし気がつかなかったならば鳩を淘汰しようとは決して思わないでしょう。そういった鳩を毎週あるいは2週間に1回レースに出していくと、まもなく弾力性が失われて失踪してしまいます。レースポイントを加算していくドイツのシステムでは、こうした鳩では好成績は望めません。走ることのできないサッカー選手と同様です。ピート・カイゼル、ファン・ハーネヘム、ファンデル・ケイレンなどの選手は英国リーグでは全く通用しないでしょう。

 ◆◆ピート・デウェールトとの一問一答(10月号参照)◆◆    2020年7月24日(金) 2:06 修正
【Q】ヴァンダー・フォスケの両親について、もう一度教えてください。
【A】“ヴァンダー・フォスゲWonder Voske (ミラクル・フォックス・ヘンの意、フォックス=レッド)45−411053は、39年生まれのレッド・コックと、36年生まれのディッケ・タイプの娘でヘスヘルプトと呼ばれていたメスとの間に生まれました。このディッケ・タイプは35年生まれの“ラッペ”の全妹です。
 ※10月号にヴァンダー・フォスケの母親がディッケ・タイプ、とあるのは誤り
 若鳩の時代に、ラッペぱラーデと呼ばれていました。 Lateは遅生まれを意味します。 100から200Kのレースで、ラッペは60回の入賞を果たしました。
 以前、私はビール醸造業者のショーダース(ヘレントホウト在)について述べました。この人物とは古くからの知り合いで、すでに1935年には彼の家を訪ねています。ということは、私のアドバイスを受けたスカーラーケンス氏が、その著“ヤンセン・ブックの取材にヤンセン一家を訪れるよりも40年も前のことになります。
 多分、はじめは32年生まれのシャーリーがその基礎鳩だったのでしょう。作はミラー・ゴッセンス、ショーダースのトリを集めていたこの人物は、私の親友でした。シャーリーの直子が33年生まれの“アウデ・ヴィットハー”Oude Witoger (オールド・ホワイト・アイの意)です。私はアウデ・ヴィットハーをよく知っており、その孫鳩を譲り受けました。父親は34年生まれのロースタールトです。
 ロースタールトは優秀なレーサーで、その娘も入手しました。これはオウメンス&ファンテュインのために、ティースト・エイセン(ドゥリークスケ・ヤンセンの娘マリーの夫)の鳩舎から導入したトリです。
 以上のことは既にこの連載でも取り上げられていることと思います。オランダ語の原文が、フランス語、ドイツ語、英語……恐らく中国語版も出ることでしょうが累積されていってしまう結果となります。ですから折にふれて事実を繰り返すことが必要です。


【Q】シャーリー、フォス、ヘスヘルプテと色々な羽色が登場しましたが。
【A】ヤンセン・バードのおよそ80%は灰ゴマです。これは近親配合の結果でしょう。シャーリーは、今日もなお、愛鳩家に好まれている色です。
 ヘルメス鳩舎の基礎となっている私の“ピートは50%ヤンセン、シャーリーの羽色を持つトリです。長距離の系統にこの色を見つけることは、ごく稀なことです。
 フォスつまりレッドについて、シャレル・ヤンセンは私に“26年生まれのオス鳩フォスがその源だ”と言つていました。このトリは、アントワープから20キロほどいったベルラール(リエルの近く)に住む、アルフォンス・コーレマンスから人手したものでした。実に見事な暗い栗色の目をしていました。瞳孔をきりりと絞るトリでした。この特性を最も受け継いでいたのが“ヴァンダー・フォスケ”と言えましょう。


【Q】.30年代以降の鳩で、あなたが気に入っていたヤンセン・バードの中に“バング・ファン・51”が含まれていましたね。
【A】51−6117447のリングをはめたこのトリは、大まかに言えば最高のトリでした。その父親ぱ”フォス・ファン49”、母親ぱヴィッティクスゲViteske 46−4513893です。49年生まれのフォスは、かのヴァンダー・フォスケの息子です。
 1958年、私がラフェルスに住むアルベルト・ファンデル・プレースを訪問した時、彼はフォス・ファン・49の3羽の全兄弟を持っていました。その中の1羽から誕生した娘、つまりヴァンダー・フォスケの孫娘を私はサンフランシスコに住むH.ヴェルナッツァに譲つたのです。
 このファンデル・プレースのメス鳩がやがて全米中に知れ渡るベスト・ブリーダーとなったのです。


【Q】評価の高いヤンセンのペアは
【A】“ブラウエ”48−6445161どスホーン・リヒト51−6163692でしょう。
 ドイツの鳩レース協会会長エリック・ハイネマンを伴って、このペアのトレード交渉にー家を訪れた時のこと。ルイ・ヤンセンは微笑みながら、たとえ氏のメルセデスベンツをプレゼントされても譲るわけにはいかないと答えました。
 49年か50年のことです。私はジョルジュ・ファブリーのためにIペアをセレクトしました。このペアからやがて、有名なポルトス、ファボリ一等が誕生しました。それらとは全姉妹に当たるトリを、ファブリーはヤンセン一家にプレゼントしました。一家が選んだぺアリングの相手は、ブラウエ・ファン48とスホーンリヒトの直子だったのです。
 この近親交配は大成功でした。ペアはヤンセン一家に“ハルフェ・ファブリー”Halve Fabry(ハルフェはハーフの意)を誕生させることになったのです。 60年のことでした。
 その娘62−6130361は小さな、折れた羽を持ってはいましたが、素晴らしいトリでした。10歳のこのメスを、ヨス・クラックは是非、手に入れたいと思いましたが、かないませんでした。専用の小さな鳩舎を与えられていたそのメス鳩の子供が“ドンケレ・スティール”63−6510753です。世界的に有名な“メルクズ67−6282031が、その息子です。
 ドンケレ・スティールの父親“スティール・ファン・55”ぱバング”(臆病の意)51−6117447の息子です。スティール・ファン・55は、私の友人ハン・ヴアッセン(ロッテルダム在)にトレードされたのですが、その体型がどうも彼の好みには沿わなかったようです。やがてデスカイマーカー氏に25,000BFで転売されました。57年、ヴァッセン氏が亡くなったとの知らせを、私はヨハネスブルグで受けました。


【Q】アメリカのボストンに住む愛鳩家に、あなたは”コー・イー・ノール”との愛称を持つヤンセン・バードを送ったとありましたが。
【A】コー・イー・ノールKoh-I-Noorとは、世界に誇る3大ダイヤモンドのひとつにつけられた名前であり私の代表的なブリーダーの1羽でもありました。81年のサンバンサンN約30,000羽中10位を獲得しています。

  ■■『Piet de Weerd 研究』013■■  [ピート・デヴィート回想録013「優先遺伝という切り札」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年12月号 )  イレブン  2020年7月24日(金) 3:55 修正
世界中を駆け回り、幾多の銘系の盛衰を目にしてきたPiet de Weerdの系統理論には、実績に裏打ちされた確かさと重さがあります。この章においても、いくつもの私たちが心に留め、思索を巡らせなければならない理論が登場します。

特に次の言葉は極めて重要な指摘だと思っています。

「我々がなすべきことは、交配および基礎系統の一つへと戻し交配することです」


 ■”ビッケル・ダイフ”の祖父に見る優性遺伝■    2020年7月24日(金) 3:56 修正
 リンゼン博士が所有していたくだんのレッドのベアリング相手を”ビッケル・ダイフ“にしたのか、その姉妹にしたのか記憶は定かではないのですけれど、すぐに全オーストーブラバント(東ブラバント州)の400キロレースでの優勝鳩を誕生させました。さらに長距離用にと淘汰を進めると、600キロにまで飛翔距離か延びました。ここまで来ると、純枠なヤンセン・バードをも凌ぐ勢いです。

 が、それ以上、良い鳩が生まれなかった理由は、リンゼン博士が長距離バードとしては2流のトリを導入していたためです。もし彼が、75年の、あるいはさらに幸運に恵まれたなら81年か83年のサンバンサン優勝鳩を手に入れることができていたなら、事情は全く違っていたことでしょう。

 リンゼン博士のケースはほんの一例に過ぎません。私は五大陸のうち4つの大陸から優秀な長距離鳩を迎え入れました。これらにヤンセンの血をクロスしただけで、直子は行動半径を拡張したものです。ヤンセン・バードの恩恵の一つは、おそらく卓越した方向感覚であると思います。これはヤンセン・バードの体内に「遺伝によりしっかりと埋め込まれた」資質なのです。

 私の信ずるところその特性は、他の殆ど総ての系統に比べ、コースを維持する能力に優れている点にあるのです。

 もちろんこの能力は疲労困憲すれば減退します。純ヤンセン系のチャンピオンは、過酷な天候や高温、逆風のもとではまるで水を得た魚のようでした。とりわけ青空と照りつける太陽を好みました。彼らはその条件下で充分にウェットだったのです。

 が、限界距離を越えて飛ばすと、その代償は余りに大きなものでした。体に過度な負担がかかり、悪い結果を色々と引き起こします。その限界はレースによって異なります。タックスやサンバンサンといったレースを、まるで教会の尖塔の回りを旋回するかのごとく軽やかにこなすことすらあるのです。それは先頭の鳩のスピードに負うようです。

 超越の可能性を秘めた組み合わせ交配の問題点は、非常に長い時間を要すること、そして後続世代における淘汰が容易とは言えない点です。ピジョンスポーツ界の高名なライターは皆、近親交配の長い伝統のある二つの異なる系統のチャンピオン同士をクロスするのが理想であると言います。

 たとえば、ヤンセンの51年生まれの”バンゲ“に、ミシェル・デスカン・ファナステンの”ブラウエ・アングレーム・ダイフィン”(313)などは、まさに夢の組み合わせでしょう。そのような組み合わせは、私の頭の中のファイルから1Iダースほども引き出すことができます。

 私ならば確実性と容易性のために、いつもヤンセン・バードを使ったことでしょう。経験の教えるところによれば、交配を多く重ねたグループの配合値は、近親交配により作出されたトリの配合値よりずっと劣ります。

 さて、我々がなすべきことは、交配および基礎系統の一つへと戻し交配することです。しかる後どうすべきかは、交配の結果が否応なく私たちに語ってくれるでしょう。作出者の大抵がしていることはといえば、たとえば”バンゲ“と”アングレーム・ダイフィン“のカップルから生まれた若いオス鳩を、他の系統の雌鳩チャンピオンに掛け合わせるといった類のことです。これだと遺伝子材料が多様になり、劣勢状態で不都合な偏向や欠陥の生じる確率が高くなりますけれど、いずれにせよ試してみる価値はあるでしょう。(※注イレブン)

※注イレブン:宮沢系は、この失敗をおかした代表例です。そして、この考え方は、今も鳩界に根強く存在しているように思っています。その背景に、近親交配に対する必要以上の恐怖感が盛んに主張された時期が日本鳩界の歴史の中にあったことが影響しているように考えています。

 ■優性遺伝と雑種強勢■    2020年7月24日(金) 3:57 修正
 私の古い友人であるジャン・ボンスマ博士は、アフリカのプレトリア大学の教授で、世界的に有名な家畜の権威です。彼いわく、あらゆるゲームの切札は優性遺伝である。

 イスラエルのロバート・ジャイス博士とは57年、彼のベツレヘム時代に知り合いました。彼はその著書「レース鳩でリラックス」の中で次のように記しています。
  「能力を高めるためには鳩を近親交配しなければならないという多くの愛鳩家の抱く考えはナンセンスである。近親交配した動物六頭のうち五頭は、好ましくない劣性形質が現れるため処分しなければならないことが、遺伝理論により確認されている。近親交配が、動物群の遺伝的構成の中に既に存在しているもの以外、何も生みだしえないことは疑う余地もない。
 私かアメリカで学生生活を送っていた頃、農学部では豚をできるだけ濃密な近親交配によって交配用のスト。クを確保し、トウモロコシを近親交配で作った時のように雑種強勢を引き出そうとした。トウモロコシの場合はいわゆる雑種トウモロコシの生産量が30パーセント増えて強い印象を与えた。
 35年、アメリカで100の優秀な豚の血統を用いて実験が開始された。うち残ったのは40年にはわずか37、53年にはわずか27、そして60年には先に述べた理由で実験は中止となった。
 以上の家畜育種計画を通して明らかなのは機能的に目的にかなった動物を作るためには雑種強勢を用いなければならないことである。私にとっても、家畜における優性遺伝はいくら高く評価しても充分ではないことがはっきりした。それぞれのグループで各人が希望する動物を作り出すのに大きな役割を果たしている。
 さらに注目すべきは、優性遺伝を持った動物は稀であり、それは近親交配によっては絶対に得られないということである。このような動物は、時に血統が不明である。イギリスではある種の役馬の基礎馬の系図は、最初の所有者が間違えて記入したため、今日ではこの種類のほとんどの名馬の系統は疑わしいとさえ言える。
 最も重要なことは、鳩は能力によって淘汰しなければならず、そして子孫の淘汰こそが、
いつ遺伝子の組み合わせを開始すべきか教えてくれるということである。その時には、その組み合わせを守るべきである」

 私は10歳か11歳の頃、ペニングがピーター・マリッツとトランスワールの農民の体験について書いた本を読んだ時、その地を自分の足で歩くことになろうとは夢にも思いませんでした。それは25年前、鳩の選別を目的とする旅でした。この分野では私はパイオニアであったのです。

 ブレダのボンスマ教授は何度か私のもとを訪れましたが、ある時、私は彼をアーレンドンクのヤンセン家に連れて行きました。彼はその時「物凄い感銘」を受けたのでした。

 ■品種改良とは■    2020年7月24日(金) 3:58 修正
 ブダペストのアンカー教授が私に語ってくれた話です。彼は年に一回、カボスヴァール農業大学の国営養豚プラントのために新しい血を求めて、シュレ・スヴィッヒ・ホルシュタインに出かけました。生物学者や農業技師と一緒に、新しい遺伝子のストックを探す目的です。必要とあらば、同僚のボンスマ教授の役馬のように、血統不明のものでも構わなかったのです。

 ピジョンスポーツ界では、性能さえ証明されたなら、たとえ迷い込み鳩でもためらうことなく自分の系統内に取り込んだものです。これほど切望される優性遺伝(あるいは強力遺伝)とは、科学では優性形質を持った子孫を生む能力と定義されます。優性遺伝とは経験に属することがらであり、結果が出て初めてそれとわかるものなのです。

 ある動物に実証された優性遺伝が未だ擦り切れていない時、それは貴重な財産となります。そうした問題は牛の人工受精では、あれやこれやのチャンピオン鳩舎におけるよりも簡単に解決できます。鳩の場合には未だその域にまで達していないのです。
 以上に述べたことから明らかなように、交配による品種改良に取り組む科学者は、二つの要因について研究しなければなりません。一つは超越交配、もう一つは雑種です。父ヤンセンもその息子たちも、この問題を深く考えたことは一度もありませんでした。彼らは平凡な人たちだったのです。けれども彼らにとっていずれの要因が決定的な意味を持っていたかという問いは興味があります。

 ボンスマ教授の母国語で「バスタークラーク」すなわち雑種強勢の話から始めるのが1番でしょう。

 レース実績による淘汰であれば、大抵はヘテロ接合体か雑種のトリがセレクトされることになります。なぜなら、純粋種のトリよりもこれらの方が速く飛ぶことができるからです。が、その指示に無条件に従えば、それで済むというものではありません。多数の不可量あるいは不可測な値、たとえば方向感覚などを考慮しなければならないからです。

 とはいえ、速く飛ぶことを軽視し過ぎると誤った道に進む危険性が非常に高くなります。多くの場合、交配による淘汰は困難です。大小を問わず、幾多の強豪鳩舎においてすらなかなか成果を上げられないでいるのが実情のようです。

 ■再びハーフ・ファブリーのこと■    2020年7月24日(金) 3:58 修正
 ヤンセン兄弟は自分たちの鳩をファブリーと掛け合わせて大成功をおさめました。かの「ハーフ・ファブリー」は、リエージュで育てられ、1年目にレースに参加してアーレンドンクで数多くの賞を得たのです。私はハーフ・ファブリーの母親を知っていました。50年1月31日にグラシス通りにあるファブリー鳩舎で私自身が掛け合わせたカップルから生まれたものです。オス親「フランク」とメス親「ヒロイン」のペアです。

 たった1つのカップルを組むために、私はファンーテュインを伴いリエージュに行きました。パリでの父ファブリーとの約束を果たすためにです。このカップルから6羽のヒナが残りました。その中に”ポルトス””ファボリー“そして”バーフ・ファブリー“の母親が含まれていたのです。

 52年、私はこれらの若鳩がどんな風に成長したのかを確かめに出かけました。ヤン・ファン・ヘローフェン、フーブ・コルスミットが同行しました。老薬剤師(=ファブリー)は私に鳩を手渡しました。コルスミットは脚環番号をマッチ箱の余白に書き付けます。2歳鳩はリエージュの大地の上を飛び回っていました。

 ハーフ・ファブリーの父親のことを私は知りません。ファブリー父子がアーレンドンクで買ったオス鳩が、特別のヤンセン・バードだったとは思いません。”トラーヘ”と呼ばれていたそのトリもやはり”ブラウエ・ファン48”と”スホーン・リヒト”から大量生産されたうちの1羽だと思います。大量生産によって、全系統の基礎に据えるべき良質で有益なトリが生まれたのです。

 この一連の過程から生みだされたことは何だったのでしょう。雑種強勢それとも超越でしょうか。おそらくその両方でしょう。両方の因子が一つの型に現れたからといって何の不思議がありましょうか。

  ■■『Piet de Weerd 研究』014■■  [ピート・デヴィート回想録014「近親交配の勇者たち」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年1月号 )  イレブン  2020年7月24日(金) 11:09 修正

  ■ヤンセン兄弟は一貫していた■    2020年7月24日(金) 12:30 修正
 私がこれを書くのは、ヤンセン兄弟が交配をしたのは実際のところ、この時だけだったからです。”ハーフ・ファブリー“が良いレース鳩であることがわかったとき、純系の優秀な一羽のヤンセン・バードと戻し交配されました。結果はご承知のとおりです。それはヤンセンが戦後おこなった交配の数少ない成功例のなかでも、群を抜いていました。

 ”ヤンセン・ファブリー“のラインは、61年生まれの主翼に傷を負った小さなメス鳩から始まりました。それはヤンセン家の裏庭にある特別小さな鳩舎で飼われていたのです。クラックに言わせると、これ以上の鳩を、ヤンセン兄弟はそう多くは持っていなかったと言います。私かリエージュで試みたカップルから誕生した65年生まれの”アウデ・ヴィットハー”の体内にも、ファブリーの血が流れていました。

 20年後に私はロサンジェルス郊外パサデナにあるサンタ・アニタ競馬場に行きました。全米最高の競馬場です。テキサスの石油王のキャビンの中で、オクラホマの農民の息子で競走馬専門の獣医をつとめるシャッタ・グレゴリーと、世界最速、最高の馬の系統改良について語ったものです。ジャックは鳩を飼っており、それが縁となり私との親しい付き合いが始まりました。

 彼は私にある馬の写真を見せました。彼はその馬の共同所有者で、幾らかの出資をしていたのです。識者たちの期待は大変なものでした。私が、濃密な近親交配の産物かと訊ねると、ジャックは次のように言いました。

 もちろんだ、そうでない馬などいない。けれども、それはだんだん危険になっていく。今日でも明日でも、もし何か一つの要素がなくなったらそれでおしまい……つまりジャック・グレゴリーは、異血交配が避けられなくなったと言うのです。それは雑種強勢や超越を追い求めるためではなく、獲得したハイレベルをひとえに持続させるためなのです。

 ボンスマ教授は劣性遺伝子の出現または隠蔽について語りました。彼はそれで交配と近親交配の現象を完全に説明できると思いました。教授の考えでは、濃密な近親交配はたいてい始めには悪い影響を生むが、交配は好影響を生むという事実も、それで説明できるはずでした。実際にその通りかもしれません。

 生きている系統は、生命そのものと同様にダイナミックです。それは絶えず試され、環境の淘汰要因やレース結果によって変化します。さらに、ある要素は伸ばすけれども別の要素は押さえるという作出者の好みによっても変わります。淘汰は遺伝子という庭の中で、草取り鍬か一箱の毒物を手にして、滅ぼそうとする雑草を探すのです。

 ■有名なトウモロコシの実験■    2020年7月24日(金) 12:32 修正
 ボンスマ教授は、これらの原則をトウモロコシの品種改良に一貫して応用した、古典的な例について報告しました。アメリカ人のイーストとジョーンズは、あるトウモロコシの品種に劣性遺伝子が出現するまで、12世代にわたって近親交配をおこないました。

 それから彼らはその品種を純粋な12の系統に分けました。穂の丸いものと平たいもの、穂の長いものと短いもの、穂当たりの種子の数の多いものと少ないもの、穀粒の大きいものと小さいものです。退化現象の原因となった変種も明らかになりました。根の奇形のためにまっすぐ立つことができずに小さいままのもの、穂に奇形のあるものなどです。それらを選別して取り除くと病気はなくなりました。

 最後に最良の系統を集めて、再び互いに掛け合わせました。すると、まもなく最初の系統の良い特質を総て備え、しかも好ましくない劣性遺伝子を取り除いた新しい品種が誕生しました。これらの劣性遺伝子は、ほとんど総てのトウモロコシ畑で時折現れる異常の原因です。この新しい品種はその後は純粋に、つまり近親交配によって育種しました。これこそ常に、我々のあらゆる努力の目標でなければなりません。我々の場合で言えば、常により良い子供を産む、より高いレベルの鳩を作ることです。

 20世紀を通して発展したピジョンスポーツにおいて、近親交配の輝かしい持続的な成果、近親交配の弊害(退化)、雑種強勢、超越交配、異血導入などについて、アーレンドンクのヤンセン系ほど貴重な材料を提供してくれる系統はほかに知りません、無数の愛鳩家はヤンセンのシステムに健全な嫉妬を抱きながらも、近親交配の弊害を恐れて、自分の鳩舎に応用しようとしない、そんな印象を私はぬぐい去ることができません。
クラックは恐れなかった

 ヤンセンの処方に盲目的に従うことはなかったにしても、大筋において受け入れ、そしてほぼ同じ成果をあげた愛鳩家に、クラック=ヨス・ファンリンプト、ニック・ヤンセン、アルベルト・ファン・カウウェンベルクなどがいます。近年では、ナップヴァンペーのチャンピオンになったミッデルハルニスのコール・ドゥッペルトがそのいい例です。彼は手に入る限り最高のクラック・バードを方々から入手し、目を見張る成果をあげました。

 もう一例をあげましょう。ヴェーメルディングのピーテルスとその協力者のファン・エス、またバールナッソウやヴァルケンスワールト、ブーデル等の国境沿いの地区には、強いレースマンが多数います。フリーメン在のピエト・ファンデルーロウも忘れてはなりません。数え上げていったらきりがありません。脱線の多い私の話ではありますが、その不協和音をも楽しもうとする方も大勢いることを、私はよく知っています。

 私はヤンセンについて書いた最初の人間ですが、最後の人間ではないでしょう。まず最初に、近親交配の弊害を押さえ、さらには完全に消滅させることを意味する、美しい響きの南アフリカ語”バスタークラーグ”についての定義を試みます。

 ピジョンスポーツにおける偉大な支配者はポール・シオン、ジョルジュ・ファブリー、ヘクトール・デスメット、ジェラール・ファンネ、それに彼らの信奉者たちです。これから彼らに語ってもらいますが、まだ生きているヤンセン兄弟のルイとシャレルが、どこかで耳にしてほくそ笑むことでしょう。
 *注 この回想録ドイツ語版が書き下ろされたのは83年。シャレルーヤンセンは96年3月5日、82歳で永眠した

 ■雑種強勢とは何か■    2020年7月24日(金) 12:34 修正
 この学術用語は、1914年に学者のシュル(SHULL)によって初めて使われました。彼はこの言葉で、異型接合または不純性の結果生じる促進効果を表現しようとしたの
です。シュルは、遺伝モデルの不純性によりF1(=第二世代)において多くのファクターの発達が可能になったと信じました。彼は異型接合自体を活発な成長の刺激物とみなしましたが、それについて詳しい説明を加えることはできませんでした。

 雑種強勢の原因は特定の刺激物にあるとする仮説も多く存在します。しかしながら″バスタークラーグ“という複雑な現象についてたった一つの説明が成り立つものかどうか、疑問です。おそらく雑種強勢という言葉は、極めて多様な原因に基づく現象を総括したものであって、これらの現象はそれぞれ独自の説明を要するでしょう。今日、シュルの理論は決して放棄されたわけではありませんが、現在はむしろ、発達は様々のファクターの非常に有利な組み合わせの結果であるという見方が主流です。

 有利な効果をメンデルの遺伝の法則のいろいろな可能性によって解釈しようとする努力もおこなわれています。でも、ピジョンスポーツの世界にあってこれは難題です。ボンスマ教授はとっくに諦めました。彼が追求しているのは、多くの愛鳩家と同じく、純粋なヤンセンを買って自分の鳩と交配させ、"バスタークラーグ“によって特定の機能的に優れたトリを作ることです。

 交配したヤンセンが、純粋なヤンセンより速く飛ぶことはピジョンスポーツ界の常識で
す。私か戦後すぐに書いた言葉を引用すると
 「世界中で、ヤンセンの銘鳩によって改良または改善されない系統を私は知りません」ということになります。が、あの時どうして
 「とりわけヤンセンのメス鳩によって」
と付け加えなかったのでしょうか。それは、ミラノ郊外の北イタリアの山地、ラーゴ・マジョーレで競走馬を飼育しているフェデリコ・テシーオが既に戦前に実践していたことを、当時はまだ知らなかったからです。

 「現在も将来も、最良の競走馬を作ろうとする者は、最高のステイヤーの資質を持ったオス鳩、すなわち非常に重い重量をできるだけ速く、長い距離を運ぶことのできるオス馬を、最速のメス馬と掛け合わせなければならない」

 ■偉大なイタリア人の法則■    2020年7月24日(金) 12:35 修正
 その逆では駄目なのです。彼はその理由を私に一度も語りませんでした。アイルランドのバリードイルの実力者ヴィンセント・オブライェンが、それについてどのような意見を持っているか聞いてみたいものです。あるいは、世界中の誰よりも多くのレースで優勝したアーデルスタントの騎手レスター・ピコットは、どう考えるでしょうか。

 ボンスマが求めているような機能的に優れた動物とは、交配の結果ただちに機能する動物のことですから、ルイとシャレルは今では重労働はできませんが、潤沢な資金を持っている者は彼らの鳩で簡単に利益を得ることができるのです。もちろんヤンセンといえども、良い鳩ばかり作り出しているわけではありません。

 たとえばそれぞれの顧客にとって有益な優れた鳩を20パーセント作るとしましよう。

 この20パーセントから愛鳩家は誰でも利益を得ることができます。機能的に優れた鳩を作るためであれ、自分自身が速く飛べる鳩を持っていて超越を狙うためであれ、です。

 シュルが雑種強勢について書いた最初の明確な説明は拡張され、その内容は変化して、最初のものよりも曖昧になりました。雑種強勢と近親交配はそれぞれ対立する現象を指していると思われがちですが、この二つの概念は対立するものではないということを指摘しなければなりません。近親交配の反対は交配つまり雑種化です。けれども、雑種化はボンスマ博士が無邪気にも”バスタークラーグ”と呼んだものと必ずしも結びつきません。

 私はこの術語を用いないわけにはいきません。なぜならば、それはオランダ語圏ではエーデルワイスのように純粋で珍しい言い回しだからです。多くの経験が教えるところによれば、雑種強勢の有利な効果を子孫に発現させるチャンスを試してみるべきでしょう。その場合は”バスタークラーグ”が超越交配のプロセスの出発点となるでしょう。しかしこのプロセスは、いついかなる時も競走の結果に基づく過酷な淘汰を必要としているのです。というのはレースの結果は、系統を活力旺盛に保つ重要なファクターだからです。他の小動物を飼育している者は、私たちを羨んでいます。私たちにはバスケットという天の恵みがあるのです。

  ■■『Piet de Weerd 研究』015■■  [ピート・デヴィート回想録015「退化について」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年2月号 )  イレブン  2020年7月25日(土) 5:55 修正

 ■優秀な系統の交配■    2020年7月25日(土) 5:57 修正
 誰もがずっと前から確信していることだと思います。交配するペアを互いに特徴づける数多くのファクターを可能な限り残すためには、ある特定の観点で、互いにできるだけかけ離れた近親交配の系統を選ぶのが望ましいのです。そうすることによって、うまく相互に補完しあうファクターを組み合わせるチャンスが大きくなることでしょう。

 この理論を実践する愛鳩家は今後もなくなることはないでしょう。彼らが目指すのは、ヤンセンーバードと並んで、近親交配を重ねた速い系統を一つでも見つけることです。
 たとえば、ヤンセンとステッケルボート。あるいはボンスマ教授が断言する優性遺伝を持った鳩。それらがどこから来ようと関係ありません。1000キロレースを、少なくとも分速1000メートルで飛ぶことのできるトップレーサーが、ますます強く求められているのです。

 ■メダルの裏側……”退化“■    2020年7月25日(土) 5:59 修正
 さて私たちは”バスタークラーグ”の何であるかを知っています。次のテーマは、言わば一枚のメダルのもう片側のようなものです。つまり、交配によるものであれ近親交配によるものであれ、”退化”についてです。

どんなに積極的に異血導入をおこなっても、合理的な淘汰なしには必ず下降するものだということを忘れてはなりません。それはひたすら下に向かう、出口しかない混沌のようなものです。世間でよく言われている”異血導入“は、誤解を招きやすい言葉です。人々はこの言葉に全く誤った”新しい意味”を持たせています。

 たとえば、血統の遠いトリを交配した後は、血統の近い鳩で近親交配した時よりも長く罰を受けずに近親交配が続けられる、と信じられています。が、近親交配の許容性は、何よりまず淘汰の問題、つまり鳩の作出で繰り返し語られてきたアルファでありオメガなのです。

 昔、ベルギーについて書いた一人の男がいました。頭の切れる男で「マスター」というペンネームを使っていました。本名はアヒエル・デメイヤー(Achiei Demeiyer)といい、ゲント近郊のローテンフレで学校の教師をしていました。

 私は以前、彼の書いた一つの記事を手元に持っています。それは、いかに多くの人がこの問題について常に考えていたかを物語っています。

 「親類関係にある鳩を長く一緒に飼うのは絶対に避けなければならない。第1代カップルと第2代カップルのヒナが最も純粋であることは、いまさら証明する必要もないことであろう。欲望は新鮮であればあるほど強力に発揮されるからである。
 極端な近親交配も慎重に避けるべきだ。それゆえ、もともと親類の両親の子供は、慎重を期して再度同じ血筋と組み合わせるべきではない。ただし、血統が非常に離れていえば別だ。この場合には、言うなれば血縁関係は消滅している。さもないと、没落の道をたどるのは必至のことである」

 以上のような見解を正しいと見なす愛鳩家はまだ大勢います。それどころか、どれほど慎重に組み合わせを選択しても、近親交配の欠点は次第に増え、遂には完全な退化につながるとさえ信じています。これは絶対に誤った考えです。

「欲望は新鮮であればあるほど強力に発揮され」子孫により多くのバイタリティーを与えるだろうという考えは、とくにすたれました。受胎と生殖に関する古い考えは捨てられ、それに代わってメンデルの説明が登場したのです。

 ”活力”という概念も、種々の遺伝子によって形成された多数の形質に分解されます。このテーマについて分かりやすい論文を書いた老ハーゲドールン博士は、次のように言っています。

「もし二種類の品種や系統を掛け合わせたら、それによって生まれた雑種は、両親の系統に共通に見られなかった総ての因子について不純である。一般にそれらの因子の数は非常に多い。その結果、二種類の雑種を組み合わせると、極めて多種多様な子供が生まれる。しかしながら、これらの雑種を戻し交配することもできる」

 まさしくヤンセンは、そうしたのです。しかも、”ハーフ・ファブリー“で、自分たちか何をしているか知らずに、です。

 これを理解するためには、動物の細胞内で遺伝子は長い系列、つまり染色体に配列されていることを知らなければなりません。雑種は染色体の半分を両親の一方から受け取り、他の半分を両親の他方から受け取ります。この雑種か自分で生殖細胞を作ると、これらの染色体はその都度二つの生殖細胞に分配されます。この分配、いわゆる還元分配でどの染色体か一方の生殖細胞に入り、どの染色体か他方の生殖細胞に入るのかは偶然によって決まります。

 一般に、雑種に由来する生殖細胞は、父方の品種の染色体と母方の品種の染色体に対応する染色体を半分ずつ持つことになるでしょう。さて、雑種をこれらの品種のいずれか一方で戻し交配すると、他方の品種と共通する染色体をほぽ四分の一しか持たないストックか得られます。

 このような戻し交配を繰り返すと何が生まれるか、容易に想像できます。戻し交配された系続か自動的に再び現れるのです。その際に、異系の新しい優性形質を幾つか認めることができます。(この項、続く)

  ■■『Piet de Weerd 研究』016■■  [ピート・デヴィート回想録016「シオンの”交配”」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年3月号 )  イレブン  2020年7月25日(土) 6:13 修正

  ■有名な作出家ギッツ■    2020年7月25日(土) 6:14 修正
 ”交配“は正しい方法ではないのに、老愛鳩家ギッツ(Gits)が長年アントワープのピジョンスポーツ界の頂点に君臨できたのはなぜなのだろうか、関心の高い愛鳩家はしばしばそう問います。

 私はそれについて、ローゼンタールのピート・デーブライン(Pietje de Bruin)と話したことがあります。彼は裕福な材木商で、ベルヘン・オプ・ソームに住むヨーセン(Joosen)とフェルナンド・スフル(Fernand Schul)の中間期に活躍したレースマンでした。食肉販売業者ヤン・デッカース(Jan Dekkers)が1928年にローマーNで優勝した時も、同郷のピートはまだチャンピオンの地位にとどまっていました。

 ピートは自分の伯父の家を表敬訪問したことのある、リールの伝説的な人物カレル・ウェッゲ(Karel Wegge)を知っていました。カレルはあちらこちら歩き回ることでも知られていました。1896年には、デュッセルドルフの連盟品評会の審査委員を務めています。
 ピートはギッツについて、私に次のように答えてくれました。
 「あの男は私と全く同じように、自分の心をとらえた最良の鳩がいればどこにでも出向いていって手に入れようとするのです。彼が一番良く買ったのは、何年も続けて好成績を上げたレースマンからでした。その鳩が交配によるものなのかどうか、そんなことは彼にとってどうでもいいことでした。大事なのはその鳩が自分の好みに合うかどうかでした。ギッッはある程度の知識は備えていましたので、良い鳩を手に入れました。必要とあれば大金を支払うこともありました。どうしても欲しいとなれば、必ず手に入れなければ気が済まないのです」

 ■ブリクー博士は言う、シオンは世界最高のフライター■    2020年7月25日(土) 6:16 修正
 ピート・デ・ブラインと同時代の古典的な作出家の例は、フランスの木綿王、ムーヴォーに住むポール・シオンです。ブリクー博士は彼を”世界一のフライター”と呼びました。でも、そう呼ぶことが彼にとって都合がよかったからでしょう。競走馬の世界でも活動していたシオン家は、この国で最も裕福な一人に数えられていました。元来、大富豪の家系で、その後、マルセル・ブザックが同じスタイルで財産を築きはじめました。

 シオンは次のように記しています。

 「ピジョンスポーツでの私の先生は、リラの有名人ルイ・サランビエール博士(Dr.Louis Salembier)で、私は今でもその思い出を名誉に思っています。私かレース鳩に関する、また交配に関する知識を獲得するに際して最も力を与えてくれたのが彼なのです。お蔭で50年にもわたり、長距離で常に好成績をおさめることができたのですから、彼の名前は忘れられるはずもありません。
 大変に気前の良い人で、そのために第一次大戦前には、数えきれないほどのアマチュアが、最高品質の鳩を手にすることができました。この偉大なる愛鳩家は、実に多数のチャンピオンを所有していました。フランスのみならず、ベルギーの傑出したレースマンの成果を、素直に認める姿勢をくずしませんでした。真の銘鳩を追求するためには系統の交配が必要だと確信していたのです。
 それで、毎年、冬になると私にこう言ったものです。”ポール、昨シーズンたくさん賞をとったあそこの鳩舎を訪ねてみようじゃないか“。
 気に入った鳩に出くわせばそれを買い取って交配しました。1914年の7月31日は宣戦布告の日です。私はたまたま彼と一緒にオプドルプ村のファンデンボッシュのところに鳩を見に出かけていました。お目当てはボルドーから唯一羽、当日帰還を果たしたトリでした。
 こんな風に繰り返される遠出により、私は長距離レースの偉大なチャンピオンの骨格を判定し、評価を下すチャンスを数多く与えられました。いつだってそれらのトリは、フランス、ベルギーの基準に合致していました。
 ルイ・サランビエール博士から巣立った私は、交配に次ぐ交配が必要であるという考えに至り、自分のコロニーの強化を期待できそうな鳩は、決して取り逃がしませんでした。そのタイプは、私か交配しようとする鳩の夕イプと同じでなければいけません。が、その鳩が長距離に通用する鳩であることを確かめることを怠るわけにはいきません。交配により、私かそのトリに何を期待するのかといったプランを練らなければいけません。
 交配は総ての愛鳩家が会得すべき技術で、多分。目“も、大きな役割を果たすのだと思っています」

 決して年をとらないように見えた、礼儀正しく、好感の持てるこのフランス人は、デルバー、ドルディン、ラウセル各氏などの証言によると、ベルギーで十数年にわたり毎シーズン、たくさんの若鳩を買いました。その作出者は、フランス脚環と私製環とを受け取ることになっていました。

 シオンは常に最良の愛鳩家のもとで、最高のカップルのヒナを買いました。彼はこれらの若鳩を、ツールソン近くのムーヴォーに建つ”ピジョン宮殿”に運び、例外なくそれらをレースに投入しました。彼はバスケットを徹底的な淘汰のために活用し、その年の終わりには自分の高い要求にかなわなかったトリは総て処分しました。
 標準的なタイプを、彼は好んだのです。シオンは、フランス・ベルギーにおけるレース鳩の基準を提唱した一人です。
 1907年のパリだったと思います。シオンは1872年の生まれ。最初の大きな成功は1898年のマドリッドからのレースでした。ここで彼は初の国際優勝を手にしたのです。同じ年に、彼はカレル・ウェッゲの跡継ぎから26羽の若鳩を買いました。カレルはその前年に他界していました。

 シオンは理論に深入りすることはありませんでした。実践こそが総て。近親交配によって自分のトリの質が後退したと信じてからというもの、二度と近親交配をしなくなりました。

 ヤン・アールデンはシオンを私よりよく知っていました。彼は30年代に、シオンからバスケットー杯に詰め込んだ鳩を導入しました。その殆どは茶とシルバーの羽色でした。しかし当時はもう、シオンの元にいいトリは残されていませんでした。長年にわたりフランス・チャンピオンとして君臨したシオン。息子ロベールのロフトマネージャーは、誇らしげに私に語りました。シオンは一生の間に星の数より多い賞を獲得した。しかし、彼はレースのたびごとに荷車一杯の鳩を送り込みもしたのです。

 鳩の一杯つまった凄い鳩舎を持っていたのは否定できない事実で、少しでも見込みのありそうな鳩は徹底的に飛ばしたのです。ですからここには理論化する糸口はみつかりそうにありません。

 二人の偉大なフランス人、サランピエールとシオンの考えは、今でも至極、健在です。

 近親交配家より百倍も多くの交配家がいます。ベルギーのプロフェッショナル、G・ヴァンヘーがその強力な後継者です。しかし、状況はより困難になっています。なぜならベルギーでは競争は激しさを増すばかりだからです。百もの系統を使った氏の成功は偉大です。これには、アーレンドンクのヤンセンの系統のメス鳩、すなわち”パトリック”の母親が貢献しました。

※ヴァンヘー父子は1962年に初めてヤンセン鳩舎を訪問、この時二個の卵を手に入れる。”アウデリヒテ・ファン50”と”バンゲ・ファン59の娘”のペアから誕生したものだった。孵化後、ヴァンヘーは自分の脚環を装着、うち62−34367988のリングをつけたメスが”パトリック”の母親となる。
 パトリック(64-3100031)は、68年ペリキューN1024羽中4位、リモージュN3613羽中19位等の際立った成績を残す。

  ■■『Piet de Weerd 研究』017■■  [ピート・デヴィート回想録017「誤った近親交配」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年4月号 )  イレブン  2020年7月26日(日) 15:12 修正

 ・    2020年7月26日(日) 15:15 修正
 それが正当であれ不当であれ、多くの人が恐れている。近親交配の弊害“あるいはいわゆる。退化“とは何か。この問いに答える時がきました。
 人は近親交配によって何を得ようとするのでしょうか。その場合のリスクとは何でしょうか。

 アーレンドンクのヤンセンにおけるように純粋でしかも卓越した交配能力を持った系統を見いだせる鳩舎は万に一つ、あるいはもっと少ないかもしれないという事実は、私たちを慎重にさせ、それについて軽率に考えることを戒めます。

 ■近親交配を許容しうる、有名かつ速い系統は総て”卓越した交配能力を有する系統“だ■    2020年7月26日(日) 15:51 修正
 本質的なポイントは、ボンスマ教授が「強力遺伝」と呼んでいるものです。ドゥーデン(注・ドイツ語辞典)で訳語を探してみましたが、みつかりませんでした。しかし私はそれが「優性」であると知っています。つまり自らのうちに卓越した交配能力を持っているように規定されていることです。

 多くの人は[強力遺伝]は、近親交配で偶然に現れるものに過ぎないと主張します。ボンスマ教授は、配合はある意味で宝くじの一等賞を引き当てるようなものだと言います。

「私たちは知らない。私たちはただ待つだけだ」
 強力遺伝と異型接合は必ずしも対立するものではありません。彼の言葉を再び引用すれば、
 「どんな集団でも、所望する動物が出現する時は個体が極めて大きな役割を果たす」。

 私がハムージークのライムント・ヘルメスを3年以内でドイツの国内チャンピオンにしたシステムも、そこに立脚しています。

 76年に私の鳩舎から生後6ヶ月の若鳩を譲りましたが、彼は私の勧め(淘汰)に従って、最初は6羽のメス鳩と、後から12羽のメス鳩と配合しました。卵は仮母に抱かせることにしました。ヘルメス鳩舎には常時50ないし60の仮母がいたのです。

 82年、そこには”ボンテ・ピート“の28羽の直子がいました。直子は残らず、レースでその価値を証明しなければなりませんでした。同年、ヘルメスは、自らの成功の93パーセントは”ピート“の素晴らしい強力遺伝のお蔭であると公表しました。

 私は生後3ヶ月になったピートを、アーレンドンクのカレル・モイレマン氏から買いました。母親”ブラウエ・ダイフィン“は、アドリアーン・ウォウテルス経由のヤンセンだろうと推測しました。が、ルイ・ヤンセンはその鳩は自分の鳩舎で生まれたと言い張りました。私は、それか”本物の”ヤンセンを飼つていた別の鳩舎から来たものであることを疑いません。いずれにせよそのトリはヤンセン・バードとはうりふたつでした。脚環から作出者名をチェックすることはしませんでしたが、いずれそうしてみようと思います。

 ”ボンテ・ピート“はレースには一度も参加しませんでしたが、その兄弟や姉妹のうち何羽かはチャンピオンになっています。私はピートが2本足の優性の奇跡として、ピジョンスポーツ史上に刻まれることと確信しています。

 最も広義の近親交配とは、ある集団における二つの個体間の平均的な血縁関係より近い動物同士を組み合わせることです。これは皆さんがとっくにご存じのこと、つまり近親交配には親を組み合わせることもあるということを意味します。
 そうなっているかどうかは系図を読むことで簡単に確認できます。もちろん、系図はちゃんとしたものでなければなりません。近年では系図が偽造されて、その価値が疑われるケースも増えているからです。

 どんな動物も2体の両親を持っていて、系統図では4体の祖父母、8体の曾祖父母へとさかのぼります。多数の世代を考慮に入れるならば、死んでいるものも生きているものも含めた先祖の数は、集団全体よりも多くなるでしょう。つまり、同じ個体が幾つもの系統図中に登場するわけです。言い換えるなら、さまざまな親等の近親交配があるのです。

 が、実際の作出では、血縁関係が少し離れていれば近親交配とは言いません。しかし、より狭義の近親交配なしに、どんな系統も下位系統も考えられません。近親交配は、植物であると動物であるとを問わず、どんな系統形成にも付き物なのです。

 私たちが近親交配という言葉の意味を明確に定義するためには、組み合わせにおいて2つの個体がどのような最低親等の血縁関係にあるときにそう呼ぶのか明らかにしておくことが必要です。

 レーナーによると家畜の繁殖では、組み合わせる2つの個体が先行する4世代に共通の親または先祖が1つ、またはそれ以上ある場合にのみ近親交配と言うそうです。近親交配の親等が小さければ、近親交配とはいいません。その場合は異血交配(ドイツ語Fremdzcht英語Outbreeding)と呼ばれます。


 鳩の世界でも同じことが言えるでしょう。ある動物の系図に書かれた先祖の数が少なければ少ないほど、近親交配の親等は近くなります。後続の世代で全兄弟と全姉妹を掛け合わせると、それによって生まれた子供は4組の祖父母の代わりに2組、8組の曾祖父母の代わりに4組、というふうになります。これを”先祖喪失“と呼びます。近親交配の最も近い親等は、4世代にわたって全兄弟と全姉妹を組み合わせるケースです。

  ■神々をないがしろにする者は目をくらまされる■    2020年7月26日(日) 15:52 修正
 オレンジ(ニューイングランド)在の獣医ホイットニーは、7代続けてヒュースケン&ファンリールの鳩と配合しました。バスケットによる淘汰を行いませんでしたが
「充分に純粋だからその必要はないと信じていました」
と、語っています。その頃彼は、商業目的のブリーディング・ロフトを設立しました。彼は博学な文筆家で、その著書には『どうやって犬の繁殖で金儲けするか』があります。

 さて7代の後、このビジネスマンの鳩たちが「道路を飛び越すことさえできなかった」ことを、自身で認めざるをえませんでした。

 彼の大量に売りさばいたガラクタを、私はアメリカの多くの州において長年かけて徹底的に叩きました。しまいにはちょっと紙切れをもらい、そこに”価値なし”とか”およそ何の価値もない“とか書き込んだものです。大金をはたいたオーナーで、私の判断が当たらなかったとクレームをつけた者は1人もいませんでした。

 近親交配の目的は、非常に高品質の純度を確保することです。近親交配を長期間続けると変異性が減少しますが、それはいわば純度の尺度です。変異性の減少する理由は、メンデルの分離の法則によって説明されます。

 ”分離の法則”とは、いずれも雑種の動物を組み合わせ、ある特定の遺伝子について見ると、4体の子供で2つの雑種のほかに2つの純粋種が現れることです。つまり比較の問題で言えば、雑種はますます少なくなるわけです。

 ここで注目すぺき論理的な現象は、まるで歓迎されぬ劣性形質(aa)が現れることです。これらは最初は変異性を減少させる代わりに増加させると同時に、ストックの品質を劣化させる恐れがあるのです。これらの変種は淘汰されて繁殖から除外され(少なくともそうすべきで)、劣性形質は取り入れられないので、純化のプロセスが進行し、変異性は自動的に減少を続けるのです。

 この場合、近親交配の親等と、繁殖に使用する各代の動物の数が、発達のおこなわれるテンポを決定し、淘汰はこの発達に方向性を与えます。

 理論的にはこの集団は、遺伝子の望ましい組み合わせという点で純粋です。これには何よりも”コンパス”の基礎をなす遺伝子がふくまれます。活力、その他の不可量物は、バスケットの受け持つ領分です。

 ブリクー、ホーレマンス、デルバール、ステッケルボート、アーレンドンクのヤンセン、すぐには思い浮かばないものの、その他の偉大なる系統は、総てこのようにして生まれたものです。それ以外の方法はありません。”論理的”という点を私は強調しましょう。実践は非常に多くの問題を伴っているために、人人は近親交配の問題点を指摘します。これには根拠のないわけではありません。

 実際に不断の試験配合と厳しい淘汰による以外に系統を純粋に保つことはできません。それぞれの新しい代でこれをおこなうのです。絶対的な純粋性は空想の産物です。そのようなものは実際には決して出現しません。なぜならば、多種多様な妨害因子が近親交配のプロセスに影響するからです。

 かなり信頼のおける識者の意見によると、一回の間違った受精が長年の仕事を台無しにしてしまうことがあります。近親交配はエリートブリーディングの方法です。

 一昨日の夜は、弟と「田村」を一本空けました。  イレブン  2020年7月26日(日) 4:51
修正
イレブンの兄が、現在、仕事で千葉の方に居るため、東北の方にあちこち出かけておいしいお酒を送ってくれます。

一昨日の夜は、福島の銘酒「田村」を送ってくれていたので、弟と二人で一本空けました。東北の人は、本当においしい日本酒を飲んでいるんだなあ、とほとほと感心しました。

まだまだいい日本酒が沢山あるそうです。九州の焼酎もそうですが、メジャーデビューしていない地元で愛され続けている銘酒がやっぱり沢山あるんだなと兄と話したところです。日本文化の素晴らしさですね。

 コロナ第2波の兆しもあり、この4連休、STAY HOMEな過ごし方を心がけています。

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