先週の土曜に、もうすぐ梅雨明けと書き込んでいましたが、週が明けると一転してこの連休中も豪雨の心配があるとのこと。梅雨明けはまだしばらくお預けとなりました。訓練に行くことも出来ませんので、自宅待機です。
折角ですのでこの連休中に『Piet de Weerd 研究』をできるだけ進めることにしました。
この章では「 ”ヴァンダー・フォスケ”はそれまで私の見たヤンセン・バードの中で最高の目をしていました。コーヒー・ブラウンの目……。」という記述からピートさんが、目の鑑定をしっかりしていることも明らかになっています。
これからが、ピートさんの系統理論が一気に展開されていきます。連休中にアップした記事についてはレスを追加していくので、掲示板下の方に新しい記事が追加されますのでご確認ください。
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■R・V・ステーンベルヘンは”ラッペ”を知っていた■ □ 2020年7月23日(木) 13:54 |
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アーレンドンク生まれのリック・ファン・ステーンベルヘンは、若い時にしっかり鳩レースを観察して、後に自身でもやってみるようになったに違いありません。鳩レース日和に酒場の主人にこう尋ねてみます。 「一体、誰が一番だった?」 主人はこう答えたものでした。 「誰が一番かって? 聞くまでもないことさ。やつがまた何分もリードしているよ。あんたも掛金を積んでおけば、今頃はいい気分だったろうに」 私は、”アウデ・ヴィットハ−””ラッペ”いずれもよく知っていました。いずれ劣らぬ怪物でした。
「あなたの一番欲しい鳩は?」 と聞かれたら、私はためらうことなくこの二羽か、あるいは51年生まれの”バンゲ”それに67年生まれの”メルクス”を挙げたことでしょう。戦後生まれのこれらの鳩は私の好みにピッタリでしたから。全く流線型の美しいボディーをしていました。それは私にとってはさして重要なポイントではないのですがこれらの場合は別でした。
人間とは妙なものです。クィーブランを飛び立った”ラッペ”は2位に11分の差をつけてゴールしたことがありました。手ごわいライバルはと言えば、殆ど総てがラッペの兄弟でした。一羽が帰り着くと、まるでロザリオの祈りのように他のトリが次々に到着します。十歳になったラッペを何とか手に入れたいと思ったのですが、私の頼みは聞き入れてもらえませんでした。相当な金額を申し出たのですが、無駄でした。
1945年、のちにラッペのように数多くの優勝をさらうことになる”ヴァンダー・フォスケ“が誕生しました。39年生まれのキッネ色のオスがその父親、母親は36年生まれの”ディッケ・ダイフィン”すなわち33年生まれの”アウデ・ウィットハー”の全姉妹です。
このメス鳩を、私はオウメンス・ファン・テュインの依頼で購入したのですが、47年にハーデイクでコクシジウムに罹って死んでしまいました。ヴァンダー・フォスケの母親は10月生まれのレートバードでした。ヤンセンは早くも16週になったところで作出にとりかかりました。まだ日照の少ない時期でした。やがて二個の卵を産みましたが、これがアーレンドンクで産んだ最初で最後の卵となりました。というのも、このトリはその直後に訓練に参加させられたからです。 卵は一個のみ孵化しました。この卵からそれまで手にした最高の雌鳩が誕生したのですそれは”スホーネ・リヒト“よりも格段に優れていました。両方のトリをよく知っている私には、そう断言できます。
”ヴァンダー・フォスケ”はそれまで私の見たヤンセン・バードの中で最高の目をしていました。コーヒー・ブラウンの目……。
私自身もこんなトリを59年か60年に、ラフェルスに住むアルベルト・ファンデルーフレースから購入したことがあります。ファンデル・フレースの栗は、ヴァンダー・フォスケの水準をそれほど下回ってはいなかったと思うのです。
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■H・ヴェルナッッツア大当たり■ □ 2020年7月23日(木) 13:54 |
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このメスは、サンフランシスコに近いラファイエットに住むトスカーナ出身のヘンリーヴェルナッツァに売られました。彼は、”カプリ”というブランドのサラミ製造業者です。製品はイタリアの国旗を真似て赤・白・緑の三色の包装がしてありました。私かハワイから帰国した時、サンマテオ空港に出迎えてくれたのを覚えています。
東フラマンのヴェルデンで、この栗のメスと、ホノーレ・ファン・デ・ミューレンブロークのドス灰のオスとの間に生まれた娘は、当時、ネヴァダ州のどこかで開催された400マイル若鳩レースで2位に26分もの差をつけて優勝しました。
私は、この栗色の娘が夕日に映える山の絶壁を背に、長い滑空で次第に近づいてくる様子を昨日のことのように思い浮かべることができます。この優勝鳩はアメリカの多くの新聞に掲載されました。この例に限らず、ファンデル・フレース栗のメスの直子や孫が、合衆国の総ての州で300羽も優勝した事実が報道されたのです。
また別のヤンセン・バードは、ヤン・アールデンの”アウデ・49”と、ファンデル・フレースのゴマのメスとのペアから生まれました。私はこの鳩に”コー・イー・ノール”という名前をつけました。
さて、ファンデル・フレースの鳩はアントワープ州のオルレアン若鳩レースで一万羽中の優勝を獲得したトリの妹でした。 私はボストンのジョン・スパーリアの依頼で”コー・イー・ノール“を彼の元に送りました。やがてエンジニアのハロルド・グーキンが購入しました。核物理学の研究を終えたばかりの男でした。
私は彼の鳩舎で”コー・イー・ノール“とヘラールドベルヘンに住む友人カミール・デューラントのメスの血を引くヤンセンーバードとを交配しました。このペアも一躍有名になり、エンジニアはピジョンスポーツ界に足を一歩踏み入れた途端に成功者としてもてなされることになったのです。まさにアメリカン・ドリームを叶えた何千人のなかの一人というわけです。
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■より多くのチャンスをヤンセンで■ □ 2020年7月23日(木) 13:55 |
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オランダにもヤンセン・バード、すなわちその子孫は何千羽といます。別のラベルを貼ったヤンセンもたくさんいます。戦後間もなく、ヤンセン・バードは特にエイントホーフェンとその周辺のティルブルフ、ブレダ、それらの間にある小さい村落や集落に広まりました。南に下った地点にあるアーレンドンクから流れる何本かの太いラインに乗って。
たとえその間に、ヤンセンの持つ多くの資質が水増しされたにせよ、もはや役には立たなくなったにせよ、ヤンセンという血統を知る者なら一目で判ります。ヤンセンの秘密は近親交配にあります。誰もが知っていることで、何人も否定することはできません。
長い年月のうちには大当たりをとった者が数多く登場しました。ある鳩舎は近親交配をおこない、別の鳩舎はその方法をとりません。しかし、血統が純粋であればあるほど、素材の価値は新しい血の導入によりいっそう高まるのです。
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■配合システム■ □ 2020年7月23日(木) 13:56 |
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随分昔の話になりますが「ブリーディングシステム」というタイトルの本の一章を引き受けたことがあります。難解だと言う人もいましたが、幸運にもベストセラーになりました。とはいえ、この本からは学ぶべきたくさんのことがあります。大抵の本がそうであるように、この本も次第に内容が古くなっていきます。でも、遺伝理論に関しては決して古くさくはなりませんし、ブリーディング・システムはその不可欠な要素をなしています。
「基本的かつ簡明であること」、これが私の心構えです。配合システムという課題について、これから私のお話することは、ある人にとっては面白くても他の人にとっては退屈なものかもれません。どうか、興味のない部分は読み飛ばしてください。
ドウシャンブル氏の定義によれば、配合システムとは人間が家畜の品質を維持し改善する目的でその繁殖に作用する種々の方式を呼びます。その方式とは、血筋の異なるもの同士の組み合わせ”アウト・ブリーディング“と、血縁同士の組み合わせ”イン・ブリーディング“とに大別されます。つまり、単なる”交配”と、”近親交配”です。
理論上は、遺伝構成が異なる個体の掛け合わせは総て”交配“ということになります。しかし我々愛鳩家は、系統の異なるトリを組み合わせることを”交配“と呼んでいます。さもないとどんな種鳩のカップルも”交配“になってしまうでしょう。交配は、子孫の潜在的な変異性を増大させていきます。その変異性を隠蔽しようとするのが、メンデルの優性の法則です。最初に見た時に掴んだそのトリの特徴よりもはるかに多くのものが、交配によって引き出されるのです。 |
■飛ぶ色のパレット■ □ 2020年7月23日(木) 13:56 |
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色の要因を取り上げるなら、いわゆる。ブロンズ色“の鳩は、飛ぶ色のパレットである ことがわかります。そこからは、ブルーからスレートまで、赤からベールトーンまで、あるいは白い剌のあるものやないもの、ありとあらゆる色が生まれます。しかし、羽色ほども具体的にはとらえがたい他の要素について事態ははるかに複雑です。これらの場合には次世代になってメンデルの分離がおこなわれます。
これらは淘汰に関しての根拠を色々さし示してくれるでしょう。回転の軸たる必須条件です。おおくの雑多な要素は、その軸の周辺をグルグル回っているだけなのです。交配は困難をきわめる作業分野です。淘汰とは、良質な植物のみを残して雑草を刈り取るための草取り鎌のようなものです。
大部分の愛鳩家は幸運を期待して交配をおこない、これからもそんな交配を繰り返していくでしょう。その理由は何よりも、近親交配や戻し交配にたいする、私に言わせれば何ら根拠のない不信感だと思います。でも、これらの方式は他のどんな家畜でも、ごく普通におこなわれていることです。人工受精と組み合わされる場合もあります。
牛と馬を例にとりましょう。馬は鳩と同じく、レースに用いる点では競技動物と言えます。平均的な作翔者(なんと言っても、この人たちあってのピジョンスポーツですから、彼らについての悪口は余り言いたくありません)は、専門知識を駆使して一羽の基礎鳩を作出し、しかる後に数世代をかけて駄鳩揃いの鳩舎を作り上げてしまうのです。鳩の作出は、デタラメなやり方ゆえに余り評判がよろしくありません。
が、それでもピジョンスポーツが続けていけるのは何故でしょう。それは、レースが本当に必要なものをフルイにかけてくれるからなのです。
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■■『Piet de Weerd 研究』012■■ [ピート・デヴィート回想録012「Dr.リンゼンの教訓」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年11月号 ) イレブン 2020年7月24日(金) 1:34 |
修正 |
いよいよピートさんは、この連載第12回目から、レース鳩における「遺伝」の問題に切り込んでいます。そして、優れたレース鳩のタイプは実に多種多様であることや、その多様性の中で、どのタイプであったとしても共通して重要なのは「活力」にあること。
さらに、レース鳩の「配合」の問題では,両親より優れた鳩が次々と生まれてくるような「”超絶”配合」により誕生した銘鳩たちにより、代々とその優秀な遺伝子が受け継がれていくようになってるという事実をヤンセン・バードの歴史から述べていきます。
この章からは、特にピートさんが 言わんとしていることを、じっくり咀嚼して自分なりに整理していく必要があるように思っています。
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■ミーリーは美しくない■ □ 2020年7月24日(金) 1:34 |
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ミーリーのようなまだらの羽色は美しくはありませんが、猛禽類がこれに狙いをつけることさえなければ差し支えないでしょう。そんな話は私の知る限りでは、ありませんけれど。
レース鳩の配合は、品評会用のウサギの掛け合わせとは少し違います。単に、レース鳩とウサギという品種の違いというわけではありません。何と言っても、メンデルの法則は総ての動物に当てはまる普遍的な法則です。
鳩は、レースには絶対に欠かせない精神的および肉体的な資質によって淘汰されますがウサギにとってこれらの要素は意味がありません。速く飛ぶこと、場合によってはそれをできるだけ持続できること。速く飛びさえすれば、赤い翼であろうが灰色であろうが、長い翼であろうが短かろうが、そんなことは取るに足りないことです。
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■活力こそ不可欠 流線型かどうかは重要ではない■ □ 2020年7月24日(金) 1:58 |
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ある複雑な要因、成功の原動力とも言うべきものが背景あるいは根底にあります。多くのものを生じさせまた修正し、そして絶対に欠かすことのできないもの、それが”活力”です。レース鳩のタイプは実に多種多様ではありますが、それはさして重要な違いではないという事実に、門外漢はいつも驚くもののようです。かつて話題になった。理想的なレーサーのタイプ“について言えば、私の見るところ、レース鳩に関しては最初の数百年間はそれほどの進歩は遂げなかったようです。
病院やサナトリウム、高級レストラン向けに食用鳩を供給している。”パルメット・ピジョンプラント“の経営者、アメリカ人ウェンデル・L・レヴィは、その著書「ザ・ピジョン」(※注イレブン)の中で、最も多くの家畜の系統が、組み合わせ交配から生まれたことを証明しています。その中には確かにレース鳩も含まれているのです。私は「魅惑の翼」の中でこのことについて書き、800年前のサラディンやヌールエディンといったアラブ人にまでさかのぼりました。
※注イレブン:『THE PIGEON』,1941年に発刊され幾度も再刊され続けているレース鳩研究の古典的名著、 世界中のレース鳩の遺伝の研究は、著書『THE PIGEON』を踏まえて論じられています。分厚い本で、重厚な内容となっていますが、どこかでこの本の内容に触れたいと考えています。
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■”超越”交配■ □ 2020年7月24日(金) 2:01 |
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ベルギーのレース鳩が誕生したのは1789年以降のことです。成果の現れるのはとても早いが稀にしか現れないのが、いわゆる超越交配です。これによって最良の両親にも優る組み合わせが生じるのです。それほど速くない両親から非常に速い子を作出する、といったのがその例です。
事情に通じた愛鳩家のために言えば、この両親の遺伝子型は、たとえばAAbbおよびaaBBです。交配により特にAABBの組み合わせが生じますが、これは両親いずれにも優ります。ただし遺伝子が累積(増幅)効果を持つことが前提です。これらの因子はホモ接合体として現れるので、有利な因子の組み合わせは常に子孫に受け継がれます。
後で論じるつもりですが、ここで先取りして言えば、ヤンセン鳩が最後の三十年間にあれほど好まれたのは、交配が簡単にできたからです。近親交配された一部の鳩のみならず他のあらゆる距離の強力なレース鳩、とりわけ長距離レーサーとも掛け合わせることができたからです。これらの鳩は種鳩としては必ずしも良くないことが判っていました。言い換えれば、レース鳩としては優秀でも繁殖しないトリを持っていたら、ヤンセンのトリと掛け合わせればそれで良いのです。
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■リンゼン博士に対する好意から 私自身が淘汰■ □ 2020年7月24日(金) 2:03 |
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ヘルモント在のピート・リンゼン博士は毎年、ドイツの選手権で会うたびに、私に自分の鳩を淘汰してくれないかと頼んできました。既に書いたように、彼は20羽の優秀な長距離鳩を導入しましたが、町を横切ることのできる鳩を一羽も作れないでいたのです。ずっと断ってきたのですが、会う度に彼は強く迫るので、遂に一月のある日、私は彼言うところの「どうしようもない」長距離鳩を見に行くことにしました。
鳩は大きなカゴに入れられました。どこに問題があるのか、何か不足しているのか、時間をかけてじっくりと調べました。その場には確か6人ばかりいましたが、皆、緊張していました。仕事にかかる前に博士は。
「必要な鳩とそうでないのとを正直に言って欲しい」 と、私に告げました。不必要な鳩はその場で淘汰すると言うのです。彼の忍耐は限界に達していたのです。
私は鳩を掴んで調べ、彼に言いました。 「なかの一羽をプレゼントしてもらおうとは思いません。でも、これらの鳩から500キロでチャンスのあるトリを引くことができると思います。そのためにはお手持ちの最良のクラック・バードが6羽必要です。できればメス鳩が」
博士自身、そうしたことも考えたことがあったと言います。が、実現させるには至らなかったのでした。自分の手に入れた高価なトリから長距離バードを作り、素晴らしく速いヤンセン・バードからはスピード・バードを作りたいと考えていたのです。
しかし、彼はためらうことなく私のアドバイスに従いました。それでなければ私か訪問した意味がなくなります。私は30羽のヤンセン・バードを掴み、6羽を選びだして、それらに1番から順に番号をつけました。
1番は”ピッケル・ダイフ“で、記憶違いでなければそれはレーセル在のクラック作の”ズーン・トゥヴィンティフ“の孫娘でした。かつて博士が所有していた中で最高のクラック・ヤンセン・バードです。
対する6羽の長距離鳩にも通し番号をつけました。こうすれば、組み合わせは最終的にはとるに足らないことになります。私はこれまでに何千組というカップルを作ってきましたけれど、いわゆる組み合わせの適性というものを考えたことはありません。
リヌス・ファンデル・ラーレのレッドに1番を付けたと記憶しています。コー・ニッピウスのホーレマンスの血が4分の1入ったトリでした。優れたレーサーではありましたが作出上、何のメリットもありませんでした。
こうしたことはピジョンスポーツ界では日常茶飯事といってよいでしょう。欠陥を抱え過ぎている、充分にウエットではない、あるいは少ない餌で太るという大事な資質に欠けているなどなど、問題を引き起こします。
ティールトの老スタニスラウス・ファンデン・ボッシュは、当時、このことを既に知っていました。彼のことについてはこれからも書くことになるでしょう。
”ロード・マリヌス”は個性と闘争心を溢れさせていましたけれど、回復力に欠けていました。レースのインターバルで疲労回復に長い時間が必要なトリであると、すぐに気付きました。もし気がつかなかったならば鳩を淘汰しようとは決して思わないでしょう。そういった鳩を毎週あるいは2週間に1回レースに出していくと、まもなく弾力性が失われて失踪してしまいます。レースポイントを加算していくドイツのシステムでは、こうした鳩では好成績は望めません。走ることのできないサッカー選手と同様です。ピート・カイゼル、ファン・ハーネヘム、ファンデル・ケイレンなどの選手は英国リーグでは全く通用しないでしょう。
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◆◆ピート・デウェールトとの一問一答(10月号参照)◆◆ □ 2020年7月24日(金) 2:06 |
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【Q】ヴァンダー・フォスケの両親について、もう一度教えてください。 【A】“ヴァンダー・フォスゲWonder Voske (ミラクル・フォックス・ヘンの意、フォックス=レッド)45−411053は、39年生まれのレッド・コックと、36年生まれのディッケ・タイプの娘でヘスヘルプトと呼ばれていたメスとの間に生まれました。このディッケ・タイプは35年生まれの“ラッペ”の全妹です。 ※10月号にヴァンダー・フォスケの母親がディッケ・タイプ、とあるのは誤り 若鳩の時代に、ラッペぱラーデと呼ばれていました。 Lateは遅生まれを意味します。 100から200Kのレースで、ラッペは60回の入賞を果たしました。 以前、私はビール醸造業者のショーダース(ヘレントホウト在)について述べました。この人物とは古くからの知り合いで、すでに1935年には彼の家を訪ねています。ということは、私のアドバイスを受けたスカーラーケンス氏が、その著“ヤンセン・ブックの取材にヤンセン一家を訪れるよりも40年も前のことになります。 多分、はじめは32年生まれのシャーリーがその基礎鳩だったのでしょう。作はミラー・ゴッセンス、ショーダースのトリを集めていたこの人物は、私の親友でした。シャーリーの直子が33年生まれの“アウデ・ヴィットハー”Oude Witoger (オールド・ホワイト・アイの意)です。私はアウデ・ヴィットハーをよく知っており、その孫鳩を譲り受けました。父親は34年生まれのロースタールトです。 ロースタールトは優秀なレーサーで、その娘も入手しました。これはオウメンス&ファンテュインのために、ティースト・エイセン(ドゥリークスケ・ヤンセンの娘マリーの夫)の鳩舎から導入したトリです。 以上のことは既にこの連載でも取り上げられていることと思います。オランダ語の原文が、フランス語、ドイツ語、英語……恐らく中国語版も出ることでしょうが累積されていってしまう結果となります。ですから折にふれて事実を繰り返すことが必要です。
【Q】シャーリー、フォス、ヘスヘルプテと色々な羽色が登場しましたが。 【A】ヤンセン・バードのおよそ80%は灰ゴマです。これは近親配合の結果でしょう。シャーリーは、今日もなお、愛鳩家に好まれている色です。 ヘルメス鳩舎の基礎となっている私の“ピートは50%ヤンセン、シャーリーの羽色を持つトリです。長距離の系統にこの色を見つけることは、ごく稀なことです。 フォスつまりレッドについて、シャレル・ヤンセンは私に“26年生まれのオス鳩フォスがその源だ”と言つていました。このトリは、アントワープから20キロほどいったベルラール(リエルの近く)に住む、アルフォンス・コーレマンスから人手したものでした。実に見事な暗い栗色の目をしていました。瞳孔をきりりと絞るトリでした。この特性を最も受け継いでいたのが“ヴァンダー・フォスケ”と言えましょう。
【Q】.30年代以降の鳩で、あなたが気に入っていたヤンセン・バードの中に“バング・ファン・51”が含まれていましたね。 【A】51−6117447のリングをはめたこのトリは、大まかに言えば最高のトリでした。その父親ぱ”フォス・ファン49”、母親ぱヴィッティクスゲViteske 46−4513893です。49年生まれのフォスは、かのヴァンダー・フォスケの息子です。 1958年、私がラフェルスに住むアルベルト・ファンデル・プレースを訪問した時、彼はフォス・ファン・49の3羽の全兄弟を持っていました。その中の1羽から誕生した娘、つまりヴァンダー・フォスケの孫娘を私はサンフランシスコに住むH.ヴェルナッツァに譲つたのです。 このファンデル・プレースのメス鳩がやがて全米中に知れ渡るベスト・ブリーダーとなったのです。
【Q】評価の高いヤンセンのペアは 【A】“ブラウエ”48−6445161どスホーン・リヒト51−6163692でしょう。 ドイツの鳩レース協会会長エリック・ハイネマンを伴って、このペアのトレード交渉にー家を訪れた時のこと。ルイ・ヤンセンは微笑みながら、たとえ氏のメルセデスベンツをプレゼントされても譲るわけにはいかないと答えました。 49年か50年のことです。私はジョルジュ・ファブリーのためにIペアをセレクトしました。このペアからやがて、有名なポルトス、ファボリ一等が誕生しました。それらとは全姉妹に当たるトリを、ファブリーはヤンセン一家にプレゼントしました。一家が選んだぺアリングの相手は、ブラウエ・ファン48とスホーンリヒトの直子だったのです。 この近親交配は大成功でした。ペアはヤンセン一家に“ハルフェ・ファブリー”Halve Fabry(ハルフェはハーフの意)を誕生させることになったのです。 60年のことでした。 その娘62−6130361は小さな、折れた羽を持ってはいましたが、素晴らしいトリでした。10歳のこのメスを、ヨス・クラックは是非、手に入れたいと思いましたが、かないませんでした。専用の小さな鳩舎を与えられていたそのメス鳩の子供が“ドンケレ・スティール”63−6510753です。世界的に有名な“メルクズ67−6282031が、その息子です。 ドンケレ・スティールの父親“スティール・ファン・55”ぱバング”(臆病の意)51−6117447の息子です。スティール・ファン・55は、私の友人ハン・ヴアッセン(ロッテルダム在)にトレードされたのですが、その体型がどうも彼の好みには沿わなかったようです。やがてデスカイマーカー氏に25,000BFで転売されました。57年、ヴァッセン氏が亡くなったとの知らせを、私はヨハネスブルグで受けました。
【Q】アメリカのボストンに住む愛鳩家に、あなたは”コー・イー・ノール”との愛称を持つヤンセン・バードを送ったとありましたが。 【A】コー・イー・ノールKoh-I-Noorとは、世界に誇る3大ダイヤモンドのひとつにつけられた名前であり私の代表的なブリーダーの1羽でもありました。81年のサンバンサンN約30,000羽中10位を獲得しています。
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■■『Piet de Weerd 研究』013■■ [ピート・デヴィート回想録013「優先遺伝という切り札」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年12月号 ) イレブン 2020年7月24日(金) 3:55 |
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世界中を駆け回り、幾多の銘系の盛衰を目にしてきたPiet de Weerdの系統理論には、実績に裏打ちされた確かさと重さがあります。この章においても、いくつもの私たちが心に留め、思索を巡らせなければならない理論が登場します。
特に次の言葉は極めて重要な指摘だと思っています。
「我々がなすべきことは、交配および基礎系統の一つへと戻し交配することです」
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■”ビッケル・ダイフ”の祖父に見る優性遺伝■ □ 2020年7月24日(金) 3:56 |
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リンゼン博士が所有していたくだんのレッドのベアリング相手を”ビッケル・ダイフ“にしたのか、その姉妹にしたのか記憶は定かではないのですけれど、すぐに全オーストーブラバント(東ブラバント州)の400キロレースでの優勝鳩を誕生させました。さらに長距離用にと淘汰を進めると、600キロにまで飛翔距離か延びました。ここまで来ると、純枠なヤンセン・バードをも凌ぐ勢いです。
が、それ以上、良い鳩が生まれなかった理由は、リンゼン博士が長距離バードとしては2流のトリを導入していたためです。もし彼が、75年の、あるいはさらに幸運に恵まれたなら81年か83年のサンバンサン優勝鳩を手に入れることができていたなら、事情は全く違っていたことでしょう。
リンゼン博士のケースはほんの一例に過ぎません。私は五大陸のうち4つの大陸から優秀な長距離鳩を迎え入れました。これらにヤンセンの血をクロスしただけで、直子は行動半径を拡張したものです。ヤンセン・バードの恩恵の一つは、おそらく卓越した方向感覚であると思います。これはヤンセン・バードの体内に「遺伝によりしっかりと埋め込まれた」資質なのです。
私の信ずるところその特性は、他の殆ど総ての系統に比べ、コースを維持する能力に優れている点にあるのです。
もちろんこの能力は疲労困憲すれば減退します。純ヤンセン系のチャンピオンは、過酷な天候や高温、逆風のもとではまるで水を得た魚のようでした。とりわけ青空と照りつける太陽を好みました。彼らはその条件下で充分にウェットだったのです。
が、限界距離を越えて飛ばすと、その代償は余りに大きなものでした。体に過度な負担がかかり、悪い結果を色々と引き起こします。その限界はレースによって異なります。タックスやサンバンサンといったレースを、まるで教会の尖塔の回りを旋回するかのごとく軽やかにこなすことすらあるのです。それは先頭の鳩のスピードに負うようです。
超越の可能性を秘めた組み合わせ交配の問題点は、非常に長い時間を要すること、そして後続世代における淘汰が容易とは言えない点です。ピジョンスポーツ界の高名なライターは皆、近親交配の長い伝統のある二つの異なる系統のチャンピオン同士をクロスするのが理想であると言います。
たとえば、ヤンセンの51年生まれの”バンゲ“に、ミシェル・デスカン・ファナステンの”ブラウエ・アングレーム・ダイフィン”(313)などは、まさに夢の組み合わせでしょう。そのような組み合わせは、私の頭の中のファイルから1Iダースほども引き出すことができます。
私ならば確実性と容易性のために、いつもヤンセン・バードを使ったことでしょう。経験の教えるところによれば、交配を多く重ねたグループの配合値は、近親交配により作出されたトリの配合値よりずっと劣ります。
さて、我々がなすべきことは、交配および基礎系統の一つへと戻し交配することです。しかる後どうすべきかは、交配の結果が否応なく私たちに語ってくれるでしょう。作出者の大抵がしていることはといえば、たとえば”バンゲ“と”アングレーム・ダイフィン“のカップルから生まれた若いオス鳩を、他の系統の雌鳩チャンピオンに掛け合わせるといった類のことです。これだと遺伝子材料が多様になり、劣勢状態で不都合な偏向や欠陥の生じる確率が高くなりますけれど、いずれにせよ試してみる価値はあるでしょう。(※注イレブン)
※注イレブン:宮沢系は、この失敗をおかした代表例です。そして、この考え方は、今も鳩界に根強く存在しているように思っています。その背景に、近親交配に対する必要以上の恐怖感が盛んに主張された時期が日本鳩界の歴史の中にあったことが影響しているように考えています。
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■優性遺伝と雑種強勢■ □ 2020年7月24日(金) 3:57 |
修正 |
私の古い友人であるジャン・ボンスマ博士は、アフリカのプレトリア大学の教授で、世界的に有名な家畜の権威です。彼いわく、あらゆるゲームの切札は優性遺伝である。
イスラエルのロバート・ジャイス博士とは57年、彼のベツレヘム時代に知り合いました。彼はその著書「レース鳩でリラックス」の中で次のように記しています。 「能力を高めるためには鳩を近親交配しなければならないという多くの愛鳩家の抱く考えはナンセンスである。近親交配した動物六頭のうち五頭は、好ましくない劣性形質が現れるため処分しなければならないことが、遺伝理論により確認されている。近親交配が、動物群の遺伝的構成の中に既に存在しているもの以外、何も生みだしえないことは疑う余地もない。 私かアメリカで学生生活を送っていた頃、農学部では豚をできるだけ濃密な近親交配によって交配用のスト。クを確保し、トウモロコシを近親交配で作った時のように雑種強勢を引き出そうとした。トウモロコシの場合はいわゆる雑種トウモロコシの生産量が30パーセント増えて強い印象を与えた。 35年、アメリカで100の優秀な豚の血統を用いて実験が開始された。うち残ったのは40年にはわずか37、53年にはわずか27、そして60年には先に述べた理由で実験は中止となった。 以上の家畜育種計画を通して明らかなのは機能的に目的にかなった動物を作るためには雑種強勢を用いなければならないことである。私にとっても、家畜における優性遺伝はいくら高く評価しても充分ではないことがはっきりした。それぞれのグループで各人が希望する動物を作り出すのに大きな役割を果たしている。 さらに注目すべきは、優性遺伝を持った動物は稀であり、それは近親交配によっては絶対に得られないということである。このような動物は、時に血統が不明である。イギリスではある種の役馬の基礎馬の系図は、最初の所有者が間違えて記入したため、今日ではこの種類のほとんどの名馬の系統は疑わしいとさえ言える。 最も重要なことは、鳩は能力によって淘汰しなければならず、そして子孫の淘汰こそが、 いつ遺伝子の組み合わせを開始すべきか教えてくれるということである。その時には、その組み合わせを守るべきである」
私は10歳か11歳の頃、ペニングがピーター・マリッツとトランスワールの農民の体験について書いた本を読んだ時、その地を自分の足で歩くことになろうとは夢にも思いませんでした。それは25年前、鳩の選別を目的とする旅でした。この分野では私はパイオニアであったのです。
ブレダのボンスマ教授は何度か私のもとを訪れましたが、ある時、私は彼をアーレンドンクのヤンセン家に連れて行きました。彼はその時「物凄い感銘」を受けたのでした。
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■品種改良とは■ □ 2020年7月24日(金) 3:58 |
修正 |
ブダペストのアンカー教授が私に語ってくれた話です。彼は年に一回、カボスヴァール農業大学の国営養豚プラントのために新しい血を求めて、シュレ・スヴィッヒ・ホルシュタインに出かけました。生物学者や農業技師と一緒に、新しい遺伝子のストックを探す目的です。必要とあらば、同僚のボンスマ教授の役馬のように、血統不明のものでも構わなかったのです。
ピジョンスポーツ界では、性能さえ証明されたなら、たとえ迷い込み鳩でもためらうことなく自分の系統内に取り込んだものです。これほど切望される優性遺伝(あるいは強力遺伝)とは、科学では優性形質を持った子孫を生む能力と定義されます。優性遺伝とは経験に属することがらであり、結果が出て初めてそれとわかるものなのです。
ある動物に実証された優性遺伝が未だ擦り切れていない時、それは貴重な財産となります。そうした問題は牛の人工受精では、あれやこれやのチャンピオン鳩舎におけるよりも簡単に解決できます。鳩の場合には未だその域にまで達していないのです。 以上に述べたことから明らかなように、交配による品種改良に取り組む科学者は、二つの要因について研究しなければなりません。一つは超越交配、もう一つは雑種です。父ヤンセンもその息子たちも、この問題を深く考えたことは一度もありませんでした。彼らは平凡な人たちだったのです。けれども彼らにとっていずれの要因が決定的な意味を持っていたかという問いは興味があります。
ボンスマ教授の母国語で「バスタークラーク」すなわち雑種強勢の話から始めるのが1番でしょう。
レース実績による淘汰であれば、大抵はヘテロ接合体か雑種のトリがセレクトされることになります。なぜなら、純粋種のトリよりもこれらの方が速く飛ぶことができるからです。が、その指示に無条件に従えば、それで済むというものではありません。多数の不可量あるいは不可測な値、たとえば方向感覚などを考慮しなければならないからです。
とはいえ、速く飛ぶことを軽視し過ぎると誤った道に進む危険性が非常に高くなります。多くの場合、交配による淘汰は困難です。大小を問わず、幾多の強豪鳩舎においてすらなかなか成果を上げられないでいるのが実情のようです。
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■再びハーフ・ファブリーのこと■ □ 2020年7月24日(金) 3:58 |
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ヤンセン兄弟は自分たちの鳩をファブリーと掛け合わせて大成功をおさめました。かの「ハーフ・ファブリー」は、リエージュで育てられ、1年目にレースに参加してアーレンドンクで数多くの賞を得たのです。私はハーフ・ファブリーの母親を知っていました。50年1月31日にグラシス通りにあるファブリー鳩舎で私自身が掛け合わせたカップルから生まれたものです。オス親「フランク」とメス親「ヒロイン」のペアです。
たった1つのカップルを組むために、私はファンーテュインを伴いリエージュに行きました。パリでの父ファブリーとの約束を果たすためにです。このカップルから6羽のヒナが残りました。その中に”ポルトス””ファボリー“そして”バーフ・ファブリー“の母親が含まれていたのです。
52年、私はこれらの若鳩がどんな風に成長したのかを確かめに出かけました。ヤン・ファン・ヘローフェン、フーブ・コルスミットが同行しました。老薬剤師(=ファブリー)は私に鳩を手渡しました。コルスミットは脚環番号をマッチ箱の余白に書き付けます。2歳鳩はリエージュの大地の上を飛び回っていました。
ハーフ・ファブリーの父親のことを私は知りません。ファブリー父子がアーレンドンクで買ったオス鳩が、特別のヤンセン・バードだったとは思いません。”トラーヘ”と呼ばれていたそのトリもやはり”ブラウエ・ファン48”と”スホーン・リヒト”から大量生産されたうちの1羽だと思います。大量生産によって、全系統の基礎に据えるべき良質で有益なトリが生まれたのです。
この一連の過程から生みだされたことは何だったのでしょう。雑種強勢それとも超越でしょうか。おそらくその両方でしょう。両方の因子が一つの型に現れたからといって何の不思議がありましょうか。
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■■『Piet de Weerd 研究』014■■ [ピート・デヴィート回想録014「近親交配の勇者たち」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年1月号 ) イレブン 2020年7月24日(金) 11:09 |
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■ヤンセン兄弟は一貫していた■ □ 2020年7月24日(金) 12:30 |
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私がこれを書くのは、ヤンセン兄弟が交配をしたのは実際のところ、この時だけだったからです。”ハーフ・ファブリー“が良いレース鳩であることがわかったとき、純系の優秀な一羽のヤンセン・バードと戻し交配されました。結果はご承知のとおりです。それはヤンセンが戦後おこなった交配の数少ない成功例のなかでも、群を抜いていました。
”ヤンセン・ファブリー“のラインは、61年生まれの主翼に傷を負った小さなメス鳩から始まりました。それはヤンセン家の裏庭にある特別小さな鳩舎で飼われていたのです。クラックに言わせると、これ以上の鳩を、ヤンセン兄弟はそう多くは持っていなかったと言います。私かリエージュで試みたカップルから誕生した65年生まれの”アウデ・ヴィットハー”の体内にも、ファブリーの血が流れていました。
20年後に私はロサンジェルス郊外パサデナにあるサンタ・アニタ競馬場に行きました。全米最高の競馬場です。テキサスの石油王のキャビンの中で、オクラホマの農民の息子で競走馬専門の獣医をつとめるシャッタ・グレゴリーと、世界最速、最高の馬の系統改良について語ったものです。ジャックは鳩を飼っており、それが縁となり私との親しい付き合いが始まりました。
彼は私にある馬の写真を見せました。彼はその馬の共同所有者で、幾らかの出資をしていたのです。識者たちの期待は大変なものでした。私が、濃密な近親交配の産物かと訊ねると、ジャックは次のように言いました。
もちろんだ、そうでない馬などいない。けれども、それはだんだん危険になっていく。今日でも明日でも、もし何か一つの要素がなくなったらそれでおしまい……つまりジャック・グレゴリーは、異血交配が避けられなくなったと言うのです。それは雑種強勢や超越を追い求めるためではなく、獲得したハイレベルをひとえに持続させるためなのです。
ボンスマ教授は劣性遺伝子の出現または隠蔽について語りました。彼はそれで交配と近親交配の現象を完全に説明できると思いました。教授の考えでは、濃密な近親交配はたいてい始めには悪い影響を生むが、交配は好影響を生むという事実も、それで説明できるはずでした。実際にその通りかもしれません。
生きている系統は、生命そのものと同様にダイナミックです。それは絶えず試され、環境の淘汰要因やレース結果によって変化します。さらに、ある要素は伸ばすけれども別の要素は押さえるという作出者の好みによっても変わります。淘汰は遺伝子という庭の中で、草取り鍬か一箱の毒物を手にして、滅ぼそうとする雑草を探すのです。 |
■有名なトウモロコシの実験■ □ 2020年7月24日(金) 12:32 |
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ボンスマ教授は、これらの原則をトウモロコシの品種改良に一貫して応用した、古典的な例について報告しました。アメリカ人のイーストとジョーンズは、あるトウモロコシの品種に劣性遺伝子が出現するまで、12世代にわたって近親交配をおこないました。
それから彼らはその品種を純粋な12の系統に分けました。穂の丸いものと平たいもの、穂の長いものと短いもの、穂当たりの種子の数の多いものと少ないもの、穀粒の大きいものと小さいものです。退化現象の原因となった変種も明らかになりました。根の奇形のためにまっすぐ立つことができずに小さいままのもの、穂に奇形のあるものなどです。それらを選別して取り除くと病気はなくなりました。
最後に最良の系統を集めて、再び互いに掛け合わせました。すると、まもなく最初の系統の良い特質を総て備え、しかも好ましくない劣性遺伝子を取り除いた新しい品種が誕生しました。これらの劣性遺伝子は、ほとんど総てのトウモロコシ畑で時折現れる異常の原因です。この新しい品種はその後は純粋に、つまり近親交配によって育種しました。これこそ常に、我々のあらゆる努力の目標でなければなりません。我々の場合で言えば、常により良い子供を産む、より高いレベルの鳩を作ることです。
20世紀を通して発展したピジョンスポーツにおいて、近親交配の輝かしい持続的な成果、近親交配の弊害(退化)、雑種強勢、超越交配、異血導入などについて、アーレンドンクのヤンセン系ほど貴重な材料を提供してくれる系統はほかに知りません、無数の愛鳩家はヤンセンのシステムに健全な嫉妬を抱きながらも、近親交配の弊害を恐れて、自分の鳩舎に応用しようとしない、そんな印象を私はぬぐい去ることができません。 クラックは恐れなかった
ヤンセンの処方に盲目的に従うことはなかったにしても、大筋において受け入れ、そしてほぼ同じ成果をあげた愛鳩家に、クラック=ヨス・ファンリンプト、ニック・ヤンセン、アルベルト・ファン・カウウェンベルクなどがいます。近年では、ナップヴァンペーのチャンピオンになったミッデルハルニスのコール・ドゥッペルトがそのいい例です。彼は手に入る限り最高のクラック・バードを方々から入手し、目を見張る成果をあげました。
もう一例をあげましょう。ヴェーメルディングのピーテルスとその協力者のファン・エス、またバールナッソウやヴァルケンスワールト、ブーデル等の国境沿いの地区には、強いレースマンが多数います。フリーメン在のピエト・ファンデルーロウも忘れてはなりません。数え上げていったらきりがありません。脱線の多い私の話ではありますが、その不協和音をも楽しもうとする方も大勢いることを、私はよく知っています。
私はヤンセンについて書いた最初の人間ですが、最後の人間ではないでしょう。まず最初に、近親交配の弊害を押さえ、さらには完全に消滅させることを意味する、美しい響きの南アフリカ語”バスタークラーグ”についての定義を試みます。
ピジョンスポーツにおける偉大な支配者はポール・シオン、ジョルジュ・ファブリー、ヘクトール・デスメット、ジェラール・ファンネ、それに彼らの信奉者たちです。これから彼らに語ってもらいますが、まだ生きているヤンセン兄弟のルイとシャレルが、どこかで耳にしてほくそ笑むことでしょう。 *注 この回想録ドイツ語版が書き下ろされたのは83年。シャレルーヤンセンは96年3月5日、82歳で永眠した
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■雑種強勢とは何か■ □ 2020年7月24日(金) 12:34 |
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この学術用語は、1914年に学者のシュル(SHULL)によって初めて使われました。彼はこの言葉で、異型接合または不純性の結果生じる促進効果を表現しようとしたの です。シュルは、遺伝モデルの不純性によりF1(=第二世代)において多くのファクターの発達が可能になったと信じました。彼は異型接合自体を活発な成長の刺激物とみなしましたが、それについて詳しい説明を加えることはできませんでした。
雑種強勢の原因は特定の刺激物にあるとする仮説も多く存在します。しかしながら″バスタークラーグ“という複雑な現象についてたった一つの説明が成り立つものかどうか、疑問です。おそらく雑種強勢という言葉は、極めて多様な原因に基づく現象を総括したものであって、これらの現象はそれぞれ独自の説明を要するでしょう。今日、シュルの理論は決して放棄されたわけではありませんが、現在はむしろ、発達は様々のファクターの非常に有利な組み合わせの結果であるという見方が主流です。
有利な効果をメンデルの遺伝の法則のいろいろな可能性によって解釈しようとする努力もおこなわれています。でも、ピジョンスポーツの世界にあってこれは難題です。ボンスマ教授はとっくに諦めました。彼が追求しているのは、多くの愛鳩家と同じく、純粋なヤンセンを買って自分の鳩と交配させ、"バスタークラーグ“によって特定の機能的に優れたトリを作ることです。
交配したヤンセンが、純粋なヤンセンより速く飛ぶことはピジョンスポーツ界の常識で す。私か戦後すぐに書いた言葉を引用すると 「世界中で、ヤンセンの銘鳩によって改良または改善されない系統を私は知りません」ということになります。が、あの時どうして 「とりわけヤンセンのメス鳩によって」 と付け加えなかったのでしょうか。それは、ミラノ郊外の北イタリアの山地、ラーゴ・マジョーレで競走馬を飼育しているフェデリコ・テシーオが既に戦前に実践していたことを、当時はまだ知らなかったからです。
「現在も将来も、最良の競走馬を作ろうとする者は、最高のステイヤーの資質を持ったオス鳩、すなわち非常に重い重量をできるだけ速く、長い距離を運ぶことのできるオス馬を、最速のメス馬と掛け合わせなければならない」
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■偉大なイタリア人の法則■ □ 2020年7月24日(金) 12:35 |
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その逆では駄目なのです。彼はその理由を私に一度も語りませんでした。アイルランドのバリードイルの実力者ヴィンセント・オブライェンが、それについてどのような意見を持っているか聞いてみたいものです。あるいは、世界中の誰よりも多くのレースで優勝したアーデルスタントの騎手レスター・ピコットは、どう考えるでしょうか。
ボンスマが求めているような機能的に優れた動物とは、交配の結果ただちに機能する動物のことですから、ルイとシャレルは今では重労働はできませんが、潤沢な資金を持っている者は彼らの鳩で簡単に利益を得ることができるのです。もちろんヤンセンといえども、良い鳩ばかり作り出しているわけではありません。
たとえばそれぞれの顧客にとって有益な優れた鳩を20パーセント作るとしましよう。
この20パーセントから愛鳩家は誰でも利益を得ることができます。機能的に優れた鳩を作るためであれ、自分自身が速く飛べる鳩を持っていて超越を狙うためであれ、です。
シュルが雑種強勢について書いた最初の明確な説明は拡張され、その内容は変化して、最初のものよりも曖昧になりました。雑種強勢と近親交配はそれぞれ対立する現象を指していると思われがちですが、この二つの概念は対立するものではないということを指摘しなければなりません。近親交配の反対は交配つまり雑種化です。けれども、雑種化はボンスマ博士が無邪気にも”バスタークラーグ”と呼んだものと必ずしも結びつきません。
私はこの術語を用いないわけにはいきません。なぜならば、それはオランダ語圏ではエーデルワイスのように純粋で珍しい言い回しだからです。多くの経験が教えるところによれば、雑種強勢の有利な効果を子孫に発現させるチャンスを試してみるべきでしょう。その場合は”バスタークラーグ”が超越交配のプロセスの出発点となるでしょう。しかしこのプロセスは、いついかなる時も競走の結果に基づく過酷な淘汰を必要としているのです。というのはレースの結果は、系統を活力旺盛に保つ重要なファクターだからです。他の小動物を飼育している者は、私たちを羨んでいます。私たちにはバスケットという天の恵みがあるのです。
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■■『Piet de Weerd 研究』015■■ [ピート・デヴィート回想録015「退化について」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年2月号 ) イレブン 2020年7月25日(土) 5:55 |
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■優秀な系統の交配■ □ 2020年7月25日(土) 5:57 |
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誰もがずっと前から確信していることだと思います。交配するペアを互いに特徴づける数多くのファクターを可能な限り残すためには、ある特定の観点で、互いにできるだけかけ離れた近親交配の系統を選ぶのが望ましいのです。そうすることによって、うまく相互に補完しあうファクターを組み合わせるチャンスが大きくなることでしょう。
この理論を実践する愛鳩家は今後もなくなることはないでしょう。彼らが目指すのは、ヤンセンーバードと並んで、近親交配を重ねた速い系統を一つでも見つけることです。 たとえば、ヤンセンとステッケルボート。あるいはボンスマ教授が断言する優性遺伝を持った鳩。それらがどこから来ようと関係ありません。1000キロレースを、少なくとも分速1000メートルで飛ぶことのできるトップレーサーが、ますます強く求められているのです。 |
■メダルの裏側……”退化“■ □ 2020年7月25日(土) 5:59 |
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さて私たちは”バスタークラーグ”の何であるかを知っています。次のテーマは、言わば一枚のメダルのもう片側のようなものです。つまり、交配によるものであれ近親交配によるものであれ、”退化”についてです。
どんなに積極的に異血導入をおこなっても、合理的な淘汰なしには必ず下降するものだということを忘れてはなりません。それはひたすら下に向かう、出口しかない混沌のようなものです。世間でよく言われている”異血導入“は、誤解を招きやすい言葉です。人々はこの言葉に全く誤った”新しい意味”を持たせています。
たとえば、血統の遠いトリを交配した後は、血統の近い鳩で近親交配した時よりも長く罰を受けずに近親交配が続けられる、と信じられています。が、近親交配の許容性は、何よりまず淘汰の問題、つまり鳩の作出で繰り返し語られてきたアルファでありオメガなのです。
昔、ベルギーについて書いた一人の男がいました。頭の切れる男で「マスター」というペンネームを使っていました。本名はアヒエル・デメイヤー(Achiei Demeiyer)といい、ゲント近郊のローテンフレで学校の教師をしていました。
私は以前、彼の書いた一つの記事を手元に持っています。それは、いかに多くの人がこの問題について常に考えていたかを物語っています。
「親類関係にある鳩を長く一緒に飼うのは絶対に避けなければならない。第1代カップルと第2代カップルのヒナが最も純粋であることは、いまさら証明する必要もないことであろう。欲望は新鮮であればあるほど強力に発揮されるからである。 極端な近親交配も慎重に避けるべきだ。それゆえ、もともと親類の両親の子供は、慎重を期して再度同じ血筋と組み合わせるべきではない。ただし、血統が非常に離れていえば別だ。この場合には、言うなれば血縁関係は消滅している。さもないと、没落の道をたどるのは必至のことである」
以上のような見解を正しいと見なす愛鳩家はまだ大勢います。それどころか、どれほど慎重に組み合わせを選択しても、近親交配の欠点は次第に増え、遂には完全な退化につながるとさえ信じています。これは絶対に誤った考えです。
「欲望は新鮮であればあるほど強力に発揮され」子孫により多くのバイタリティーを与えるだろうという考えは、とくにすたれました。受胎と生殖に関する古い考えは捨てられ、それに代わってメンデルの説明が登場したのです。
”活力”という概念も、種々の遺伝子によって形成された多数の形質に分解されます。このテーマについて分かりやすい論文を書いた老ハーゲドールン博士は、次のように言っています。
「もし二種類の品種や系統を掛け合わせたら、それによって生まれた雑種は、両親の系統に共通に見られなかった総ての因子について不純である。一般にそれらの因子の数は非常に多い。その結果、二種類の雑種を組み合わせると、極めて多種多様な子供が生まれる。しかしながら、これらの雑種を戻し交配することもできる」
まさしくヤンセンは、そうしたのです。しかも、”ハーフ・ファブリー“で、自分たちか何をしているか知らずに、です。
これを理解するためには、動物の細胞内で遺伝子は長い系列、つまり染色体に配列されていることを知らなければなりません。雑種は染色体の半分を両親の一方から受け取り、他の半分を両親の他方から受け取ります。この雑種か自分で生殖細胞を作ると、これらの染色体はその都度二つの生殖細胞に分配されます。この分配、いわゆる還元分配でどの染色体か一方の生殖細胞に入り、どの染色体か他方の生殖細胞に入るのかは偶然によって決まります。
一般に、雑種に由来する生殖細胞は、父方の品種の染色体と母方の品種の染色体に対応する染色体を半分ずつ持つことになるでしょう。さて、雑種をこれらの品種のいずれか一方で戻し交配すると、他方の品種と共通する染色体をほぽ四分の一しか持たないストックか得られます。
このような戻し交配を繰り返すと何が生まれるか、容易に想像できます。戻し交配された系続か自動的に再び現れるのです。その際に、異系の新しい優性形質を幾つか認めることができます。(この項、続く) |
■■『Piet de Weerd 研究』016■■ [ピート・デヴィート回想録016「シオンの”交配”」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年3月号 ) イレブン 2020年7月25日(土) 6:13 |
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■有名な作出家ギッツ■ □ 2020年7月25日(土) 6:14 |
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”交配“は正しい方法ではないのに、老愛鳩家ギッツ(Gits)が長年アントワープのピジョンスポーツ界の頂点に君臨できたのはなぜなのだろうか、関心の高い愛鳩家はしばしばそう問います。
私はそれについて、ローゼンタールのピート・デーブライン(Pietje de Bruin)と話したことがあります。彼は裕福な材木商で、ベルヘン・オプ・ソームに住むヨーセン(Joosen)とフェルナンド・スフル(Fernand Schul)の中間期に活躍したレースマンでした。食肉販売業者ヤン・デッカース(Jan Dekkers)が1928年にローマーNで優勝した時も、同郷のピートはまだチャンピオンの地位にとどまっていました。
ピートは自分の伯父の家を表敬訪問したことのある、リールの伝説的な人物カレル・ウェッゲ(Karel Wegge)を知っていました。カレルはあちらこちら歩き回ることでも知られていました。1896年には、デュッセルドルフの連盟品評会の審査委員を務めています。 ピートはギッツについて、私に次のように答えてくれました。 「あの男は私と全く同じように、自分の心をとらえた最良の鳩がいればどこにでも出向いていって手に入れようとするのです。彼が一番良く買ったのは、何年も続けて好成績を上げたレースマンからでした。その鳩が交配によるものなのかどうか、そんなことは彼にとってどうでもいいことでした。大事なのはその鳩が自分の好みに合うかどうかでした。ギッッはある程度の知識は備えていましたので、良い鳩を手に入れました。必要とあれば大金を支払うこともありました。どうしても欲しいとなれば、必ず手に入れなければ気が済まないのです」 |
■ブリクー博士は言う、シオンは世界最高のフライター■ □ 2020年7月25日(土) 6:16 |
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ピート・デ・ブラインと同時代の古典的な作出家の例は、フランスの木綿王、ムーヴォーに住むポール・シオンです。ブリクー博士は彼を”世界一のフライター”と呼びました。でも、そう呼ぶことが彼にとって都合がよかったからでしょう。競走馬の世界でも活動していたシオン家は、この国で最も裕福な一人に数えられていました。元来、大富豪の家系で、その後、マルセル・ブザックが同じスタイルで財産を築きはじめました。
シオンは次のように記しています。
「ピジョンスポーツでの私の先生は、リラの有名人ルイ・サランビエール博士(Dr.Louis Salembier)で、私は今でもその思い出を名誉に思っています。私かレース鳩に関する、また交配に関する知識を獲得するに際して最も力を与えてくれたのが彼なのです。お蔭で50年にもわたり、長距離で常に好成績をおさめることができたのですから、彼の名前は忘れられるはずもありません。 大変に気前の良い人で、そのために第一次大戦前には、数えきれないほどのアマチュアが、最高品質の鳩を手にすることができました。この偉大なる愛鳩家は、実に多数のチャンピオンを所有していました。フランスのみならず、ベルギーの傑出したレースマンの成果を、素直に認める姿勢をくずしませんでした。真の銘鳩を追求するためには系統の交配が必要だと確信していたのです。 それで、毎年、冬になると私にこう言ったものです。”ポール、昨シーズンたくさん賞をとったあそこの鳩舎を訪ねてみようじゃないか“。 気に入った鳩に出くわせばそれを買い取って交配しました。1914年の7月31日は宣戦布告の日です。私はたまたま彼と一緒にオプドルプ村のファンデンボッシュのところに鳩を見に出かけていました。お目当てはボルドーから唯一羽、当日帰還を果たしたトリでした。 こんな風に繰り返される遠出により、私は長距離レースの偉大なチャンピオンの骨格を判定し、評価を下すチャンスを数多く与えられました。いつだってそれらのトリは、フランス、ベルギーの基準に合致していました。 ルイ・サランビエール博士から巣立った私は、交配に次ぐ交配が必要であるという考えに至り、自分のコロニーの強化を期待できそうな鳩は、決して取り逃がしませんでした。そのタイプは、私か交配しようとする鳩の夕イプと同じでなければいけません。が、その鳩が長距離に通用する鳩であることを確かめることを怠るわけにはいきません。交配により、私かそのトリに何を期待するのかといったプランを練らなければいけません。 交配は総ての愛鳩家が会得すべき技術で、多分。目“も、大きな役割を果たすのだと思っています」
決して年をとらないように見えた、礼儀正しく、好感の持てるこのフランス人は、デルバー、ドルディン、ラウセル各氏などの証言によると、ベルギーで十数年にわたり毎シーズン、たくさんの若鳩を買いました。その作出者は、フランス脚環と私製環とを受け取ることになっていました。
シオンは常に最良の愛鳩家のもとで、最高のカップルのヒナを買いました。彼はこれらの若鳩を、ツールソン近くのムーヴォーに建つ”ピジョン宮殿”に運び、例外なくそれらをレースに投入しました。彼はバスケットを徹底的な淘汰のために活用し、その年の終わりには自分の高い要求にかなわなかったトリは総て処分しました。 標準的なタイプを、彼は好んだのです。シオンは、フランス・ベルギーにおけるレース鳩の基準を提唱した一人です。 1907年のパリだったと思います。シオンは1872年の生まれ。最初の大きな成功は1898年のマドリッドからのレースでした。ここで彼は初の国際優勝を手にしたのです。同じ年に、彼はカレル・ウェッゲの跡継ぎから26羽の若鳩を買いました。カレルはその前年に他界していました。
シオンは理論に深入りすることはありませんでした。実践こそが総て。近親交配によって自分のトリの質が後退したと信じてからというもの、二度と近親交配をしなくなりました。
ヤン・アールデンはシオンを私よりよく知っていました。彼は30年代に、シオンからバスケットー杯に詰め込んだ鳩を導入しました。その殆どは茶とシルバーの羽色でした。しかし当時はもう、シオンの元にいいトリは残されていませんでした。長年にわたりフランス・チャンピオンとして君臨したシオン。息子ロベールのロフトマネージャーは、誇らしげに私に語りました。シオンは一生の間に星の数より多い賞を獲得した。しかし、彼はレースのたびごとに荷車一杯の鳩を送り込みもしたのです。
鳩の一杯つまった凄い鳩舎を持っていたのは否定できない事実で、少しでも見込みのありそうな鳩は徹底的に飛ばしたのです。ですからここには理論化する糸口はみつかりそうにありません。
二人の偉大なフランス人、サランピエールとシオンの考えは、今でも至極、健在です。
近親交配家より百倍も多くの交配家がいます。ベルギーのプロフェッショナル、G・ヴァンヘーがその強力な後継者です。しかし、状況はより困難になっています。なぜならベルギーでは競争は激しさを増すばかりだからです。百もの系統を使った氏の成功は偉大です。これには、アーレンドンクのヤンセンの系統のメス鳩、すなわち”パトリック”の母親が貢献しました。
※ヴァンヘー父子は1962年に初めてヤンセン鳩舎を訪問、この時二個の卵を手に入れる。”アウデリヒテ・ファン50”と”バンゲ・ファン59の娘”のペアから誕生したものだった。孵化後、ヴァンヘーは自分の脚環を装着、うち62−34367988のリングをつけたメスが”パトリック”の母親となる。 パトリック(64-3100031)は、68年ペリキューN1024羽中4位、リモージュN3613羽中19位等の際立った成績を残す。 |
■■『Piet de Weerd 研究』017■■ [ピート・デヴィート回想録017「誤った近親交配」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1997年4月号 ) イレブン 2020年7月26日(日) 15:12 |
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・ □ 2020年7月26日(日) 15:15 |
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それが正当であれ不当であれ、多くの人が恐れている。近親交配の弊害“あるいはいわゆる。退化“とは何か。この問いに答える時がきました。 人は近親交配によって何を得ようとするのでしょうか。その場合のリスクとは何でしょうか。
アーレンドンクのヤンセンにおけるように純粋でしかも卓越した交配能力を持った系統を見いだせる鳩舎は万に一つ、あるいはもっと少ないかもしれないという事実は、私たちを慎重にさせ、それについて軽率に考えることを戒めます。
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■近親交配を許容しうる、有名かつ速い系統は総て”卓越した交配能力を有する系統“だ■ □ 2020年7月26日(日) 15:51 |
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本質的なポイントは、ボンスマ教授が「強力遺伝」と呼んでいるものです。ドゥーデン(注・ドイツ語辞典)で訳語を探してみましたが、みつかりませんでした。しかし私はそれが「優性」であると知っています。つまり自らのうちに卓越した交配能力を持っているように規定されていることです。
多くの人は[強力遺伝]は、近親交配で偶然に現れるものに過ぎないと主張します。ボンスマ教授は、配合はある意味で宝くじの一等賞を引き当てるようなものだと言います。
「私たちは知らない。私たちはただ待つだけだ」 強力遺伝と異型接合は必ずしも対立するものではありません。彼の言葉を再び引用すれば、 「どんな集団でも、所望する動物が出現する時は個体が極めて大きな役割を果たす」。
私がハムージークのライムント・ヘルメスを3年以内でドイツの国内チャンピオンにしたシステムも、そこに立脚しています。
76年に私の鳩舎から生後6ヶ月の若鳩を譲りましたが、彼は私の勧め(淘汰)に従って、最初は6羽のメス鳩と、後から12羽のメス鳩と配合しました。卵は仮母に抱かせることにしました。ヘルメス鳩舎には常時50ないし60の仮母がいたのです。
82年、そこには”ボンテ・ピート“の28羽の直子がいました。直子は残らず、レースでその価値を証明しなければなりませんでした。同年、ヘルメスは、自らの成功の93パーセントは”ピート“の素晴らしい強力遺伝のお蔭であると公表しました。
私は生後3ヶ月になったピートを、アーレンドンクのカレル・モイレマン氏から買いました。母親”ブラウエ・ダイフィン“は、アドリアーン・ウォウテルス経由のヤンセンだろうと推測しました。が、ルイ・ヤンセンはその鳩は自分の鳩舎で生まれたと言い張りました。私は、それか”本物の”ヤンセンを飼つていた別の鳩舎から来たものであることを疑いません。いずれにせよそのトリはヤンセン・バードとはうりふたつでした。脚環から作出者名をチェックすることはしませんでしたが、いずれそうしてみようと思います。
”ボンテ・ピート“はレースには一度も参加しませんでしたが、その兄弟や姉妹のうち何羽かはチャンピオンになっています。私はピートが2本足の優性の奇跡として、ピジョンスポーツ史上に刻まれることと確信しています。
最も広義の近親交配とは、ある集団における二つの個体間の平均的な血縁関係より近い動物同士を組み合わせることです。これは皆さんがとっくにご存じのこと、つまり近親交配には親を組み合わせることもあるということを意味します。 そうなっているかどうかは系図を読むことで簡単に確認できます。もちろん、系図はちゃんとしたものでなければなりません。近年では系図が偽造されて、その価値が疑われるケースも増えているからです。
どんな動物も2体の両親を持っていて、系統図では4体の祖父母、8体の曾祖父母へとさかのぼります。多数の世代を考慮に入れるならば、死んでいるものも生きているものも含めた先祖の数は、集団全体よりも多くなるでしょう。つまり、同じ個体が幾つもの系統図中に登場するわけです。言い換えるなら、さまざまな親等の近親交配があるのです。
が、実際の作出では、血縁関係が少し離れていれば近親交配とは言いません。しかし、より狭義の近親交配なしに、どんな系統も下位系統も考えられません。近親交配は、植物であると動物であるとを問わず、どんな系統形成にも付き物なのです。
私たちが近親交配という言葉の意味を明確に定義するためには、組み合わせにおいて2つの個体がどのような最低親等の血縁関係にあるときにそう呼ぶのか明らかにしておくことが必要です。
レーナーによると家畜の繁殖では、組み合わせる2つの個体が先行する4世代に共通の親または先祖が1つ、またはそれ以上ある場合にのみ近親交配と言うそうです。近親交配の親等が小さければ、近親交配とはいいません。その場合は異血交配(ドイツ語Fremdzcht英語Outbreeding)と呼ばれます。
鳩の世界でも同じことが言えるでしょう。ある動物の系図に書かれた先祖の数が少なければ少ないほど、近親交配の親等は近くなります。後続の世代で全兄弟と全姉妹を掛け合わせると、それによって生まれた子供は4組の祖父母の代わりに2組、8組の曾祖父母の代わりに4組、というふうになります。これを”先祖喪失“と呼びます。近親交配の最も近い親等は、4世代にわたって全兄弟と全姉妹を組み合わせるケースです。 |
■神々をないがしろにする者は目をくらまされる■ □ 2020年7月26日(日) 15:52 |
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オレンジ(ニューイングランド)在の獣医ホイットニーは、7代続けてヒュースケン&ファンリールの鳩と配合しました。バスケットによる淘汰を行いませんでしたが 「充分に純粋だからその必要はないと信じていました」 と、語っています。その頃彼は、商業目的のブリーディング・ロフトを設立しました。彼は博学な文筆家で、その著書には『どうやって犬の繁殖で金儲けするか』があります。
さて7代の後、このビジネスマンの鳩たちが「道路を飛び越すことさえできなかった」ことを、自身で認めざるをえませんでした。
彼の大量に売りさばいたガラクタを、私はアメリカの多くの州において長年かけて徹底的に叩きました。しまいにはちょっと紙切れをもらい、そこに”価値なし”とか”およそ何の価値もない“とか書き込んだものです。大金をはたいたオーナーで、私の判断が当たらなかったとクレームをつけた者は1人もいませんでした。
近親交配の目的は、非常に高品質の純度を確保することです。近親交配を長期間続けると変異性が減少しますが、それはいわば純度の尺度です。変異性の減少する理由は、メンデルの分離の法則によって説明されます。
”分離の法則”とは、いずれも雑種の動物を組み合わせ、ある特定の遺伝子について見ると、4体の子供で2つの雑種のほかに2つの純粋種が現れることです。つまり比較の問題で言えば、雑種はますます少なくなるわけです。
ここで注目すぺき論理的な現象は、まるで歓迎されぬ劣性形質(aa)が現れることです。これらは最初は変異性を減少させる代わりに増加させると同時に、ストックの品質を劣化させる恐れがあるのです。これらの変種は淘汰されて繁殖から除外され(少なくともそうすべきで)、劣性形質は取り入れられないので、純化のプロセスが進行し、変異性は自動的に減少を続けるのです。
この場合、近親交配の親等と、繁殖に使用する各代の動物の数が、発達のおこなわれるテンポを決定し、淘汰はこの発達に方向性を与えます。
理論的にはこの集団は、遺伝子の望ましい組み合わせという点で純粋です。これには何よりも”コンパス”の基礎をなす遺伝子がふくまれます。活力、その他の不可量物は、バスケットの受け持つ領分です。
ブリクー、ホーレマンス、デルバール、ステッケルボート、アーレンドンクのヤンセン、すぐには思い浮かばないものの、その他の偉大なる系統は、総てこのようにして生まれたものです。それ以外の方法はありません。”論理的”という点を私は強調しましょう。実践は非常に多くの問題を伴っているために、人人は近親交配の問題点を指摘します。これには根拠のないわけではありません。
実際に不断の試験配合と厳しい淘汰による以外に系統を純粋に保つことはできません。それぞれの新しい代でこれをおこなうのです。絶対的な純粋性は空想の産物です。そのようなものは実際には決して出現しません。なぜならば、多種多様な妨害因子が近親交配のプロセスに影響するからです。
かなり信頼のおける識者の意見によると、一回の間違った受精が長年の仕事を台無しにしてしまうことがあります。近親交配はエリートブリーディングの方法です。
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