◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 連載を始めるにあたって〜『口伝・鳩学事始』と『蘭学事始』に思うこと 〜 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
丁度1ヶ月前の10月2日、本掲示板の読者であられるMIT氏のメールでの対談の中で話題に上がっていたことを考えるために、『口伝・鳩学事始(その2)』を掲示板に掲載しておりました。その記事を伊藤凱三氏が目を通されたことが きっかけとなり、先日の日曜日、伊藤氏に直接、電話でお話する機会がありました。伊藤氏は27年前の連載記事の掲載を懐かしんでおられるようでした。
その折り、以前から、いつかは『口伝・鳩学事始』の連載全文をこの掲示板に掲載したいとの思いがありましたので伊藤氏にその旨をお話ししたところ、すでに鳩界誌上で公表された内容なので一向に構わないとのことでしたので、これを機会に掲示板で連載内容の全てを公開引用研究することにしました。
イレブンは、これまで様々な論文等を掲示板に公開してきましたが、基本的にご健在の方で連絡がつけれる方には、礼を失してはいけないとの思いから、必ず事前にお断りの連絡を取るよう心がけてきました。(ちなみに、一昨年、連載した「OPEL BOOK 2020」連載の際は、スネークパパさんを通じて任氏にその旨をお伝えしてから連載を始めました)
今回、研究連載を始める引用資料「伊藤凱三『口伝・鳩学事始』」は、この掲示板立ち上げた十数年前から、イレブンの書斎に1冊のファイルとして整理して大切に保管している資料のひとつでした。伊藤凱三氏といえば、鳩界の名匠として、全国に、多くのファンやお弟子さん達がおられます。イレブンの周囲にも、伊藤凱三氏との深い人間関係をお持ちの方が数多くおられます。
その方達の間で、これまで、1995年1月から『愛鳩の友』誌で連載された『口伝・鳩学事始』の内容のことが幾度も話題に上がることがありました。また、この連載の原文をお持ちでない方や、読まれたことない方が結構居られる事も感じていました。
そうした意味で、イレブンの思いの中には、いつの日にかこの掲示板に『口伝・鳩学事始』をアップし、日本鳩界の財産として多くの方にいつまでも目に触れることの出来る珠玉の名文として残す必要があると考えておりました。
イレブンとしては、この資料の内容の素晴らしさはもとより、タイトルである『口伝・鳩学事始(はとがくことはじめ)』そのものにも特に魅力を感じていました。おそらく、このタイトルは、記事の編集を担当された「愛鳩の友」社のスタッフのお一人がつけられたものだと思いますが、そのセンスのよさが際立っています。
ご存じのように、このタイトル『口伝・鳩学事始』は、杉田玄白の『蘭学事始』を捩ったタイトルです。
福沢諭吉は、明治2年に再版された「蘭学事始再版序」にこの杉田玄白の『蘭学事始』を再版出版することとなった経緯についてこのように述べています。
「蘭学事始の原稿は素(もと)より杉田家に存して一本を秘蔵せしに、安政二年江戸大地震の火災に焼失して、医友又門下生の中にも曾(かつ)て之これを謄写(とうしゃ)せし者なく、千載の遺憾として唯(ただ)不幸を嘆ずるのみなりしが、旧幕府の末年に神田孝平氏が府下本郷通を散歩の折節(おりふし)、偶(たまたま)聖堂裏の露店に最いと古びたる写本のあるを認め、手に取りて見れば紛(まぎれ)もなき蘭学事始にして、然(しか)も斎(いさい)先生の親筆に係り、門人大槻磐水(おおつきばんすい)先生に贈りたるものなり」
つまり、杉田玄白が安政二年に記した原本2冊のうち、一冊は安政の大地震で消失し、残りの一冊が偶然、神田孝平が「聖堂裏の露店」で発見した時のエピソードを書き残しています。そして、その現存する唯一の原本を読んだ感想を次のように記しています。
「我々は之を読む毎に、先人の苦心を察し、其剛勇に驚き、其誠意誠心に感じ、感極きわまりて泣かざるはなし」 また、編集者、著述家として著名な松岡正剛氏は、かつて、この 『蘭学事始』に触れた文章の中で、次のように述べています。
「玄白の『蘭学事始』は、その内容もさることながら、最初は学問にとりくむ気概にふれたくて読んだ。まだ蘭学というものが世に知られていないころ、たった三人の青年が蘭学にとりくみ、そこでこつこつと始めたことを50年後にふりかえる、本書の内容はそういうものだが、この玄白83歳のときの回顧談は一度読んだらそれぞれの場面が焼き付いて、いつまでも忘れられないものがある。」
更に、そんな忘れられない一場面として、蘭学の事始めとなった『コンストウォールド』(術語)という辞書の翻訳の作業の名シーンに関わる記述に触れ、そこで登場する前野良沢が養父の伯父の宮田全沢から受けた教えの言葉を紹介しています。次の言葉です。
「人というものは、世の中から廃れてしまうとおもような芸能こそ習っておき、いま人が捨てているような事を学ぶべきなのである」
更に、有名な千住骨が原でおこなわれた夜の腑分けに立ち会う場面で、
「腑分けの帰途すぐに、玄白と良沢と淳庵は『ターヘル・アナトミア』に着する決意を夢中で述べあい、論じあい、翌日は良沢の家で相談が始まる。ここからの、『解体新書』に向かっての編集方針の確立ともいうべきが興味深いのである。」
と内容の紹介が続きます。イレブンはこの玄白の『蘭学事始』に書かれているこれらのエピソードを読むとき、戦後の広島鳩界の胎動期とも言える時代に、名人柳浦の元で、英国で出版されていた『THESECRET OF EYE-SIGN』や『A Practcal Approach to the Study of Eye-Sign』を机の上に置き、日ごとその解読と研究を行っていたという伝説の勉強会のことが浮かび上がってきます。
その勉強会に名を連ねていた人物の中に、石田実男とともに藤田雅明(通称オマンさん)がいたと伝聞されています。
この『口伝・鳩学事始』が「愛鳩の友」誌に連載されたのは、オマンさん没後10回忌にあたります。このオマンさんの愛弟子伊藤凱三氏は、この連載を始めるにあたって、「名匠の実践講座その1」で、次のように記されています。
「今年は、ちょうど我が師「千粁屋(せんきろや)」藤田雅明さんの十回忌にあたります。師の冥福を祈りつつ教えていただいたことを記事にしていきたいと思っております」
氏の『口伝・鳩学事始』の連載にかけられた思いの深さをこの一文から感じ取ることが出来ます。
今回、愛鳩の友誌で連載が始まった1995年1月から、27年後、2022年11月に 『口伝・鳩学事始』の完全復刻引用研究として、連載を始めることになりました。 杉田玄白が回顧談である『蘭学事始』は書いたのは、玄白83歳の時だと言われています。この時、玄白はその心情を「未だ世にあるの絶筆なりと知りて書きつづけしなり」と記しています。
昭和15年生まれ(1940年)の伊藤凱三氏も現在丁度杉田玄白と同じ年齢になられていることに何か不思議なものを感じています。
この完全復刻引用研究の連載にあたっては、資料『口伝・鳩学事始』だけでなく、この前身でもある「今月の管理」での連載内容や公表されている伊藤凱三氏作出の銘鳩達の画像も可能な限り編集して折り込みたいと考えております。
ついつい前置きが長くなりました。では、早速、連載を開催しますね。お楽しみに!! |
| ◆◆鳩界巨匠・名人珠玉選集◆◆:【完全復刻引用研究版】伊藤凱三『口伝・鳩学事始=名匠の実践講座その1=』No:002(『愛鳩の友』誌[1995年1月号P152〜p154より引用]) イレブン 2022年11月3日(木) 5:35 |
修正 |
いよいよ【完全復刻引用研究版】伊藤凱三『口伝・鳩学事始』の連載を始めます。
この完全復刻の引用研究では、『口伝・鳩学事始』だけでなく伊藤凱三氏のそのほかの記述文や作出鳩の画像等も随時、編集を加えながら進めて行くことになります。多くは、すでに公表された文章の引用研究ですので、可能な限り資料の「出典」を明示し、イレブンの考察を随時加えながらの編集となります。
掲示板の良さでもありますが、いつでも内容を書き加えたり、削除することが出来ますのであくまで編集中の文章としてお読みいただけばと思っております。 では、始めますね!
◇◇◇◇名匠の実践講座その1 講師=伊藤凱三 ◇◇◇◇◇◇◇
九州には知る人ぞ知る、すごいフライターがいた。北九州中央支部の(名匠マイステル)」伊藤凱三氏だ。氏の、卓抜した鳩作りとツボを心得た使翔法には定評がある。今号から、伊藤氏が40年に及ぶ鳩との付き合いから体得した、体験的実践論に基づく管理方法を少しづ’つ披露していただこう。第一回は、伊藤氏の師匠の話に始まって、作出諭の入口まで、読者をいざなう。
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| ・ ■■■■ 2022年11月3日(木) 5:37 |
修正 |
あけましておめでとうございます。 今月号より、「愛鳩の友」読者の皆様にご指導を賜りながら、鳩に関する私の考えを述べていく所存でおります。
さて、「一年の計は元旦にあり」という言葉どおり、今年はやさしい顔を作って鳩舎に出入りするよう心掛けたいと希望を持っております。また、年1回の総合優勝、品評会で部門別の一席を取ること、無記録のワカ鳩から種鳩を2羽選出できることを合わせて願っております。
■左画像(イレブン挿入):藤田雅昭作翔(オマンさん作畢生の銘鳩)【ブチブル号】64-477800BCW♂ 1000K4位 ※関連資料2参照 |
| ◇◇◇◇◇◇◇ 脈々たるウソツキの系統 ◇◇◇◇◇◇◇◇ ■■■■ 2022年11月3日(木) 5:38 |
修正 |
今年は、ちょうど我が師「千粁屋(せんきろや)」藤田雅明さん(註I)の十回忌にあたります。師の冥福を祈りつつ教えていただいたことを記事にしていきたいと思っております。
故・藤田氏には、もうひとつアダ名がありました。「オマンさん」といい、むしろ本名よりこちらのほうが親しまれておったかも知れません。この愛称は、我が師が「万にひとつもほんとうのことを言わない」というところからきていたのだと思います。
そもそも、師匠の先生にあたります、京都の故・堀場飾郎さんが、鳩を「ウソの中から」勉強されたようです。
堀場さんが本格的に鳩を始めたのは、西川系の確立者である西川宗七さんに卵を二個もらってからのことです。卵でもらったものだから、どのトリが親かを知りたい。そこで西川さんの鳩舎を何べんも訪ねるんですが、聞くたびに違うトリを「あれが親だ」と教わったんだそうです。すぐに本当のことを教えず、そうやって勉強させていったということなんでしょう。
たとえ、先生の言うことが素人にはいい加減に聞こえても、最後の結果としてはそのほうが上達の早道のようです。
そういう流れをオマンさんもずっと受け継いできています。私も、「大ほらふきです」と自己紹介させていただくことがよくあります(註2)。ですからこの連載にしても、ぴたりぴたりとあてはめて申し上げるよりも、「この人はちょっとウソを書いているな」というくらいの方が、色々な見方ができるようになります。あんまりあてはめると、それがウソになってしまいます。半分くらい信じていただくくらいのほうがいいように思います。
※註1 藤田雅明氏 85年1月没。氏が急逝前に作出した「フジタ45号」のラインで伊藤氏は89年春のSCを制している。
※註2 小誌82年12月号より一年間、「今月の管理」欄を執筆。冒頭あいさつに「九州一の大ほらふきで通っております」とある
※左上画像(イレブン挿入):オマンさん作の銘鳩「フジタ45号」
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| ◇◇◇◇◇◇◇◇ 卵のカラにヒントがある ◇◇◇◇◇◇◇ ■■■■ 2022年11月3日(木) 5:40 |
修正 |
さて今月は、作出をにらんでの準備期間として、しなくてはならないこと考えなくてはならないことがたくさんあります。順序立てて話していきましょう。
オスメスの組み合わせなどを考える前に、昨年の孵化の時のことを思い出して欲しいのです。ヒナが孵って出ていったあとの、卵のカラの観察が大事です。孵化したあとのカラの内側に、血液とか濃緑色のガンデン状のものがくっついていたら、要注意です。
まず血がつくのは、オスとメスを分離させておいた期間が長すぎて、メスのホルモンのバランスが崩れたことが考えられます。鳩舎によって、三番子を引いたあとに分けたり、秋まで子をとってから分けたりといろいろあるでしょう。私のところでは、分けておくのは二か月以内くらいがちょうどいいです。とにかく、分離期間の長さがメスに合わないと、そういう結果となって出てきます。
それから、メス鳩が太り過ぎ、脂肪が付き過ぎた場合でも、カラに血が付着します。たいていの種鳩鳩舎は、十分運動ができるほどには広くないでしょうからこの場合はエサを調節してやります。 緑色のものがあったときは、クスリのやりすぎです。トリコモナスやコクシジウムの予防のために投薬することは一般的ですが、何事もしすぎるのはいけません。クスリで失敗する人は多いようですので、自戒してください。
一番子のカラに血などが付いていることが多いです。たとえば水俣病でも、主に第一子に発生していたように聞いています。長男、長女が毒にあうんですね。鳩でも同じことです。
という訳で、一番子だけでもカラを一年間はとっておくと、良い反省材料になると思います。そのときにマジックでカラに親の脚環番号などをメモしておくことを忘れずに。
話が出ましたついでに、クスリのことにも触れておきましょう。一番いいのはレース鳩専門の獣医に相談することです。それから今述べましたように、卵のカラの付着物で判断することです。
種鳩には、主翼の8枚目が抜けたあたりからビタミン剤をやるといいです。一年間の疲れと換羽期の消耗で、鳩に疲れが出はじめるころですので。ここでクスリを使って体力をつけてやると、尾っぼのほうのトヤも順調にいきます。
ビタミン剤は人間用の「ポポンS」を体重比を計算して与えます。人間の体重50キロとすると、鳩が500グラム、だいたい100分の1。量的にはさらに人間の規定量の4分の1から5分の1で効果が出ます。大まかに言いますと、飲水器にポポンSを備えつけのスポイトに半分くらい混ぜて飲ませます。
ビタミン剤が多過ぎますと、筋肉がゆるんで病気になりやすくなります。鳩は腸が短いので、クスリの調節はとても難しいものです。フンがゆるむようでしたら、やりすぎです。
また、コクシジウムのクスリが効いたかどうか見分けるにも、フンをよく観察します。谷岡ヤスジのマンガに出てくるとぐろを巻いたウンコの絵を想像してください。くるくると先細りの渦巻きに盛り上がったその先っちょに、ちょっと白いカルシウム分が付くようになったら、クスリはそこでやめます。
私はクスリは極力使わないようにしております。元気の良い鳩に与える人もおりますが、私の鳩舎では病気の鳩にだけしかやりません。病気の鳩は徹底的に治します。
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| ◇◇◇◇◇◇◇◇ 選鳩眼でワカ鳩を種鳩に ◇◇◇◇◇◇◇ ■■■■ 2022年11月3日(木) 5:42 |
修正 |
いよいよ配合論に入ります(註3)。まず、種鳩の選定です。
私の、配合に対しての基本の信条がひとつあります。ゴードン系の確立者である故・モーリスーゴードンの言葉にこういうのがあります。
「種鳩は長距離を3回以上帰還した鳩にしなさい。それよりも、ワカ鳩を種鳩にしなさい。もしワカ鳩の子が飛ばなかったときには、鳩の飼育をやめなさい」 これをを私なりに解釈してみました。
[長距離三回]というのは、。内面的なスピード“がある鳩のことなのではないか。長距離というのは、鳩に「早く帰ろう」という意志がないことにはトリは帰れません。たとえ元気一杯でも帰りたいという気持ちが弱いトリよりは、体に多少欠陥はあってもその意志が強ければ帰ってこれるものです。帰巣心の強さ、つまり内面的なスピードです。
また「ワカ鳩を種に」というのは、若さのバイタリティを求めてのことだと思います。メスのワカは、6か月くらいでも卵を産みます。このときとれた初卵などは最高の卵です。掛け合わせたオス親のいかんに関係なく、いいヒナがとれるものです。
さて私はこの記事の冒頭、「無記録のワカ鳩2羽を種鳩にできますように」と申し上げました。レースに一度も出さずにタネにおろすためには相当な選鳩眼が要求されます。けれどもそこをくぐり抜けて、優秀な若い種鳩を手に入れることができたら、それは鳩舎の宝になることを保証いたします。そういう種鳩を一羽と言わずもう一羽、持てるように頑張りましょうということです。
それから最後にある「ワカの子が飛ばなかったら、鳩をやめなさい」というくだりですが、これが選鳩眼ということだと思うのです。センスがないままに、人生の時間やお金をムダ遣いすることはないという教えでしょう。
これが種鳩選びの目安です。
次に、掛け合わせるポイントとなる、色の話をいたします。私か「色」と言うときは、単に羽色のことだけではありません。一羽の鳩は羽根、目、そして目のフチの全体に、共通の色みを持っているものです。これは体中に流れている血液の関係です。私は、色と血液は深い関係を持っていると考えており、外観から見た色は、内面の、つまりは血液の状態を表していると言えます(註4)。
色の表現としては、黒、白(灰)、濃い、淡い(うすい)、明るい、暗い、そして茶色・:とこのくらいでしょうか。くりかえしますがこれは黒ゴマ、灰二引という羽色の表現にとどまりませんので、間違わないようにしてください。
さて、色の話を始めますと、難しく、またおもしろくてどうしても長くなってしまいます。次号ではこの続きをもう少しお話ししましょう。 ご質問は何なりと編集部宛でお寄せください。
※註3 「配合とは飼育している種鳩を最大限に活用すること。お金持ちを負かす優越感があじわえます」(前出「管理」83年2月号)
※註4 編集部注。「色」の話はホントウに難しい。伊藤流鳩学の真髄ここにありという感じです
(名匠の実践講座第1回目終了) |
| 『口伝・鳩学事始=名匠の実践講座=』の日本鳩界鳩理論史上の位置づけと今後の編集方針 イレブン 2022年11月5日(土) 20:44 |
修正 |
この『口伝・鳩学事始=名匠の実践講座』の完全復刻研究の進め方をいろいろと考えていたのですが、その前に、『口伝・鳩学事始』の鳩理論史上の位置づけをイレブンなりに整理した上で取り組むことにしました。
まず、この『口伝・鳩学事始』は、文章としての特質として、表題に示されているように「口伝」に基づいた文章となっていることです。
この本文の内容は、伊藤氏の五体に刻み込まれたの数々の鳩理論をテーマごとに愛鳩の友社の担当者の方が編集した内容となっています。
この連載では、内容が理解しやすいように主にイラストなどの図案化した資料の挿入や適宜に注釈を加えるなどといった丁寧な編集がほどこされています。
日本鳩界の鳩理論の形成は、元の始まりからすると大正10年から2年間のほどの仏国から招いたクレルカン中尉が指導した講義から始まります。それ以前の日本には、鳩理論はおろかレース鳩自体が存在していませんでした。クレルカン中尉は当時のフランス陸軍随一の軍鳩の指導者でしたから、中野陸軍通信隊では、当時のヨーロッパの第1級の鳩理論が展開されていたと考えられます。
そして、その2年後から始まった民間払い下げを機に、一般民間人の間での伝書鳩の飼育が始まり、民間での鳩理論の形成が始まりました。ここで大きな役割を果たしていくのが、当時の鳩界誌『鳩』や『普鳩』でした。
イレブンは、確か5年ほど前、この戦前の鳩界雑誌の内容を調査したことがあります。戦前発刊されたこれらの鳩界誌は、国立国会図書館に収蔵されており、その閲覧は、直接、出向くか、資料閲覧室等が備えてある公立図書館を通じてインターネットで閲覧することが出来ます。
そこから閲覧し、必要な資料はコピー代等を支払えば資料として手に入れることも出来ます。イレブンは、ここで入手したファイル数冊分のデータを書斎に保管しています。
それらの資料をに目を通し、戦前の鳩理論の形成過程を概観すると、系統研究、飛翔技術研究、翼や骨格等の研究、配合理論や餌、管理に関する研究など、現在の鳩理論と変わらぬテーマで、かなり学究的な論文が登場していることがわかります。その事実に、イレブンとしては少々驚きを感じたことを記憶しています。
当然その雑誌等には、陸軍中野通信隊の軍人経験者等の名前も登場するのですが、主力となっているのは、民間の愛鳩家たちでした。現在にもその名を残す方として有名なのは、勢山庄太郎、関口龍雄、並河靖等の日本を代表する愛鳩家です。
さて、ここで『口伝・鳩学事始=名匠の実践講座』に話を戻します。
イレブンが、何故、伊藤凱三氏が1995年から1年間誌上連載を行ったこの『口伝・鳩学事始=名匠の実践講座』の日本での鳩理論形成史上の位置づけにこだわっている理由を説明いたします。
それは、先ほど説明した、クレルカン中尉の講義や戦前の鳩界雑誌等によるの鳩理論形成の流れ、すなわち、文字として文章に表された鳩理論とは、別に、口伝口承による鳩理論の形成の流れがあるということです。
このことを考えるのに、一番特徴的なのは「目の理論」です。様々なジャンルを持つ鳩理論の中では、「目の理論」こそがもっとも文章化されることがすくなかった理論だとイレブンは考えています。
イレブンの考えでは、我が国で一番最初に目の理論が語られていたのは、陸軍中野通信隊で行われていたクレルカン中尉の講義だったと考えています。その理由は、クレルカン中尉が来日した1920年3月には、すでにヨーロッパでは、目の理論に関する書物が発刊されており、系統研究の重要な手がかりとして重要テーマになっていたからです。仏国随一の鳩研究の第一人者であったクレルカン中尉が目に関する深い知識を持っていたと考えるのは、至極当然なものと考えます。しかし、当時の通信隊のテキストには、そうした目の理論の形跡は残っていません。
あくまで推測ですが、目の理論については、クレルカン中尉自身が、口伝口承の様式で伝えていたのだろうと考えています。そして、このことが、後々の世まで我が国において「目の理論」が文字のよる伝播ではなく、「口伝口承」の中で、語り継がれることになっていった遠因のように考えております。このことを支える事実として、2つの伝え聞いた話があります。
一つには、クレルカン中尉が語った目の理論を書き残した文書を実際に見たという伝聞です。クレルカン中尉が口述した目の理論を講義を受けていた、当時の陸軍の軍人の人が書き残した文書の存在が実際にあったという話を聞いたことがあります。
もう一つは、イレブン自身がもう、30年以上前に直接聞いた話です。地元の愛鳩家であり、イレブンの大学の先輩にあたるS氏が旅先で偶然、昔軍人として軍鳩の管理に携わっていた人物に出会い、その人との会話の中で幾度も「目の理論」が語られていたという話です。その旅先とは、イレブンの記憶では、関東の方だったと記憶しております。(このS氏は随分以前にレース鳩の飼育を止められていますが、現在もイレブンはお付き合いをさせていただいています。)
いわゆる「都市伝説的」な逸話に近い話ですが、口伝伝承の流れの存在を説明する為には、こうした伝聞を積み重ねるしか有りませんのでご了承くださいね。
さて、戦後の鳩界史上で「目の理論」に注目が集まり、鳩界雑誌上の話題として注目され始めたのは、イレブンが、かつて連載した『超長距離時代の群像』で考察したとおり、鳩王号をはじめとする数々の超長距離鳩を次々と生み出し、時代を席巻した「広島鳩界」の登場からです。
何故、戦前、関東にある中野通信隊でクレルカン中尉が口述していたとされる「目の理論」が遠く中国地方の広島・呉地方に伝わり、鳩理論として確立していたのか。
詳細はいずれ、検証資料に基づいた考察をしたいと考えておりますが、ここで重要なのが、戦前の日本鳩界の主力勢力が大阪・京都中心とした関西のいわゆる勢山庄太郎をはじめとする旦那衆たちの存在です。そして、中野通信隊で最重要種鳩を収容していたいわゆる「Z鳩舎」の鳩を闇ルートで、関西に流していた旧帝国軍人岩田巌の存在です。戦前の日本鳩界の勢力は明らかに関西がレース鳩の中心となっていました。日本鳩界初の鳩界雑誌『鳩』を出版していたのは大阪の地でした。その発起人の一人として勢山庄太郎の名前が資料として残っています。更に、戦前の鳩の輸入業者も関西に数店存在していました。
1945年の終戦の年、米軍の日本全土を焼き尽くす焦土作戦により日本中が焼け野原になった中、いち早く鳩レースを開催し復興の歩みを始めたのも、大阪・京都を中心とした関西地方の鳩界でした。
さて、戦後の関西鳩界と広島鳩界をつないだ主要な人物と考えられるのが、堀場飾郎、広谷正喜、そして、柳浦名人と連なっていた人たちでした。
堀場飾郎は、広島の鳩の放鳩の立会人として長く関わっており広島鳩界の恩人として尊敬と信望を得ていた人物です。(※堀場飾郎先生とは、イレブンが若い頃、直接京都のご自宅に数回お邪魔してお話を聞いています)
広島鳩界の大御所広谷正喜については、「超長距離時代の群像」の中にも度々登場していますし、氏が『愛鳩の友』誌上で連載していた論文「銘鳩を数多く見て鳩を見る目を育てよう。”これでよい”という限界はない」は、本サイトの「鳩界・巨匠・名人珠玉選集」に収録しています。細川英次郎郎、関口龍雄など当代第一級の多くの人物との深い交流を持っていました。、
名人柳浦の存在を鳩界誌上初めて公開されたのは、スネークパパさんの論文「スネーク系確立への道」でした。名人柳浦は細川英二郎、並河靖、岩田孝七、誠三の岩田兄弟、関口龍雄といった著名な関西関東の鳩舎を訪問し種鳩を導入していた人物です。こうした人物との交流の中で英国で出版されていた目に関する書物の存在を知り何らかの方法で入手していたと考えられます。そして、その名人柳浦と親しい友人関係にあったのが、伊藤氏の師匠千キロ屋のオマンさんとなる訳です。
極めてざっくりとした鳩界鳩理論史の説明となってしまいました。広島鳩界で形成されてきた、口承口伝の鳩理論形成の重要人物千キロ屋オマンさん(藤田雅昭)の愛弟子伊藤凱三氏は広島鳩界の口伝伝承の正当な系譜に連なる人物となるわけです。。その伊藤氏が、文書として体系的に整理された形で、初めて公表されたのがこの『口伝・鳩学事始』だと捉えています。少々大仰な言い方になっていますが、率直にイレブンは、このように日本鳩界に流れる口承口伝の鳩理論が活字として文章化され、しかも、豊富な競翔実績に裏打ちされて築き上げられてきた鳩理論であるところに『口伝・鳩学事始』の価値の大きさを感じます。
伊藤氏は、ご自身がこうした口伝口承の系譜に連なっていることを「脈々たるウソツキの系統」と連載冒頭に語っておられます。その「口伝口承」の様式は、「『本当のことをいわない』で「大事なこと=秘伝」を伝える」といわれているのですから、この『口伝・鳩学事始』を読んでいく上で、大切なことは、語られている一言一言の奥に秘められている真意を自分で熟考していく構えが必要だということだとイレブンは捉えています。
その意味で、この鳩界巨匠・名人珠玉選集として取りあげる「【完全復刻引用研究】伊藤凱三『口伝・鳩学事始』」では、毎回の講座ごとに伊藤凱三氏が語る「要文」を整理しながら、連載を進めて行く考えです。
そして、その「要文」の一文、一分に関連する資料の挿入や考察を加えながら、イレブン自身の理解を深めて研究していきたいと考えております。
基本的な研究スタンスがハッキリしましたので、それでは、『口伝・鳩学事始』の完全復刻引用研究版の編集の構成を整理しておきます。
■巨匠・名人珠玉選集:【完全復刻引用研究版】伊藤凱三『口伝・鳩学事始』の編集構成■
毎回の実践講座ごとに以下の構成で編集していきます。
@「『口伝・鳩学事始』名匠の実践講座」の全文引用 A 関連資料@「今月の管理」(1983年連載)の全文引用 B その他の関連資料の掲載 C「要文語録」の編集 D 考察
腰を据えて研究連載に取り組む予定ですので、結構時間がかかるかも知れません。これを機会に、しっかり伊藤鳩学を学びたいと思っております。様々なご意見、感想等を遠慮なくお聞かせください。
以上 |
| 【関連資料1】■ 春季の百キロレース優勝は千キロ優勝につながる ■ 伊藤凱三 「今月の管理 西日本地方 1月 」(愛鳩の友1983年1月号p338〜P339) 伊藤凱三 2022年11月6日(日) 4:59 |
修正 |
あけましておめでとうございます。今年の目標はクラウン賞獲得です。
私の鳩は自由舎外で、強風でないかぎり、一年中出ております。朝夕満腹主義です。市販の中クラスの飼料ですが太陽光線にあてて乾燥させて与えます(カルシウム増加)大麦は体温が下がりますので一割しか入れておりません。 春季訓練は致しません。上位入賞するには50キロより手前での放鳩訓練、また中間訓練は百害あっても一利もないと思います。有視界飛行になり疲れるだけだと思います。
関門海峡は8メートル前後の下降気流か一日中ありますので、西側の方向判定の良い放鳩地を見つけて下さい。そして本州に距離を伸ぱしていくと、近くでの失踪がなくなります。朝早くに出るもやとトピ、タカ、海鳥のいないところで放鳩して下さい。
春季は100キロ優勝が1000キロ優勝につながりますので調子を100キロレースに合せております。
最初の帰還コースが決まると最後まで同じコースで帰ります。短距離レースを手技きしますと私に目標を置いている会員に申しわけないので頑張っています。誰か3ヵ月間調子が落ちない方法がありましたら内緒で教えて下さい。
若鳩は元旦から。バスケット訓練と同時に野菜、根物、野草、ピーナツ、ゴマ、大豆(必ず煎大豆にして下さい)など喰べさせる訓練もしております。また同時に嘴、鼻ゴブの湿った鳩、眼光のない、毛吹きの悪い脂粉りのらない、肉付き、足指の血色が悪い鳩は病原菌と寄生虫の駆除を徹底してやります。
元気の良い鳩には薬は絶対やってはいけません。体のバランスが崩れます。良い鳩でも遅れて帰りません。また長距離を何回も帰らなくなります。特に長距離を何回も生命がけで帰ってくる鳩は沢山の良い事を教えてくれます。鳩は正直で帰って来ないのは飼主がうらぎっているからです。(反省‐‐・)
先輩は、みんな薬で失敗しているようです。分量を良く聞いて間違いないようにやって下さい。 |
| 【関連資料2】1000k総合12位(広島中央連合会6位)【プチブル号】64-477800 BCW♂作出使翔者 藤田雅昭(愛鳩の友66年10月号「これが1000k鳩だー広島地区の1000k鳩を分析する」P68より) ■ 2022年11月6日(日) 5:37 |
修正 |
「■翔歴■40年春700k 翌日、1000k1ヵ月目、41年春600 k翌日。
■系統■ 大体、在来系らしい。
□父:【無環ブル号】弟、直仔700k、800k, 1000k2回(祖母:56-335334【ネクタイ号】堀場作、仔、孫に700K、800K、1000K多数)
□母:37-135896森沢氏作、400K5位.仔600k 700k、孫農林杯(祖父36- 126007B森沢氏作、600k、直仔1000k、堀場系.祖母59- 26309、森沢氏作、8501系×勢山系きれいな石目鳩)
■特徴中型の小■目付き悪し。根性がある
■状態■持寄り時は抱卵一週間め。道路で自助車にはねられ、’調子か悳かった。
■備考■作翔者の藤田氏は、干粁屋店主、通称お万さんという人気者である。 「愛鳩広島」に彼いわく「配合は恋愛から、雛は取りません。卵はみな友達へただし有料。鳩舎は地球の上のバラック建て、店の中が鳩小屋で巣箱もなく、勝手に住みついている。舎外をしても電線にとまり、自転車、タクシーによくはねられ、犬や猫にも追われ、人間につかまるし、手の付けようなし」と。
しかし、同じ鳩で前年は後日帰りとは言え、1000kを都合二回帰している彼の言葉は、どこまで信じてよいものか?」
(『愛鳩の友』1966年10月号「これが1000K鳩だ -広島地区の1000k鳩を分析する-」P68より引用) |
| 【関連資料3】■■「千粁屋 藤田雅明」■■(『鳩友』1971年8月号P114より引用) ■ 2022年11月6日(日) 5:56 |
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 この店は,1954年に干粁屋の名前をつけて開店したというから、17年の歴史をもっていることになる。
販売している主な系統は、アイザクソン、ロビンソン、五万系などが主体になっている。そして品種改良につとめ、また販売にもつとめている。
店主の藤田氏は、1965年度に1000粁に成功し、その後3年連統して成功したのである。だから鳩舎としても名高ぐ、その後もずっとつづけて、店とレースを両立させている。要するに藤田氏は広島きってのベテラン鳩舎でもあり。ベテラン鳩店でもある。
氏自身が持っている鳩も。中国地方から外に出して大いに飛ばしてみてくださいとの話である。
また、当舎の鳩を購人したら必ず一流鳩舎になれる、とは藤田氏がいつも強調しているところである。
とくに地形的に恵まれない地方の方がたには、すすめたい鳩がたべさんいるということです。
小数精鋭主義を方針としているため、鳩もこの線に沿って飼育しており、100羽ぐらいの鳩に自信と信念をもって、販売にまたレースにのぞんでいる。
広島鳩界の産みの親といわれている石田実男氏によれぱ、鳩の種類は京都では堀場系、大阪では細川・勢山系が多くなっている。
広島では、勢山、今西、五万など広島在米の系統のものが多く、いずれもそれなりに活躍しているという。千粁屋さんの名声も山陰山陽にとどろいている。
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| ◆◆伊藤凱三『口伝・鳩学事始』【実践講座1】要文語録集◆◆ ■伊藤凱三■ 2022年11月6日(日) 6:06 |
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@「一年の計は元旦にあり」という言葉どおり、今年はやさしい顔を作って鳩舎に出入りするよう心掛けたいと希望を持っております。また、年1回の総合優勝、品評会で部門別の一席を取ること、無記録のワカ鳩から種鳩を2羽選出できることを合わせて願っております。
Aすぐに本当のことを教えず、そうやって勉強させていったということなんでしょう。たとえ、先生の言うことが素人にはいい加減に聞こえても、最後の結果としてはそのほうが上達の早道のようです。そういう流れをオマンさんもずっと受け継いできています。私も、「大ほらふきです」と自己紹介させていただくことがよくあります。
以下続く |
| 【考察】『口伝・鳩学事始=名匠の実践講座その1』 イレブン 2022年11月6日(日) 6:08 |
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