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ようこそ、「スネークパパの掲示板」へ。お気軽に投稿いただければうれしいです。(『スネークパパの部屋』管理者イレブン)

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 2020年 撮影の季節 源流系♀種鳩 【源流モンスターGG号】  イレブン  2020年12月7日(月) 21:26
修正

 2020年 撮影の季節 源流系♀種鳩 【源流343号】  イレブン  2020年12月7日(月) 21:30 修正

 イレブン流「一人で出来る眼の撮影法」  イレブン  2018年11月29日(木) 4:43
修正
源流系帝王ラインの目の画像です。現在、2018年11月撮影の画像で作成しているところです。

源流系では、目は配合を決める重要ポイントです。今年はカードにして配合を考えています。

目の画像は「イレブン流一人で出来る眼の撮影法」を使っていつも一人で撮影しています。目の研究をしていく上で眼の画像の撮影が「一人で」「いつでも」「すぐに出来る」技術を持つことはとても重要だと思います。



★★「イレブン流一人で出来る眼の撮影法」★★

@デジカメ:リコー「GRデジタル」を使います。1cmマクロ機能がポイントです。
A「GRデジタル」のリモコンを使います。※最重要ポイント
B両手で鳩を持って撮影します。
Cリモコンを口にくわえて、スイッチを押します。

一番のポイントは、口にくわえてスイッチを押せる「スイッチ」です。
二番目に重要なのは、マクロ撮影が得意なデジカメを使うことです。

やっと種鳩の目の撮影が終わったので現在編集作業に入っています。連載はチョット中断です。

 GRデジタルのリモコン  イレブン  2018年11月29日(木) 4:51 修正
GRデジタルは2005年発売の古いデジカメですが、撮影能力は今でも話題になるほどの名器です。ヤフオクで探せば出てきます。結構な値段がします。

イレブンがこのデジカメにこだわっているのは、画像左のリモコンが使えるからです。このリモコンは製品名は「CA-1」です。両手を使わないと撮影できない鳩の眼の撮影の最大の課題は、スイッチです。このリモコンだと、口にくわえて舌を使ってスイッチが押せます。舌を使うと焦点を合わせる微妙な調整も可能です。

このスイッチが使えるデジカメのであれば他のデジカメでも目の撮影はちゃんと出来ます。リコーの古い機種のデジカメしか使えません。最近の機種のデジカメで口にくわえてスイッチが押せる機種があればそれでもいいと思います。

目の撮影で一番のポイントはリモコンのスイッチです。

※注意:GRデジタルシリーズでも初代「GRデジタル」だけです。他の機種は使えないようです。必ず使えるリモコンを確認して下さい。GRデジタル以外では、リコーCXシリーズでも使える機種があります。ただし、必ず1cmマクロ機能がある機種にして下さいね。

★目の撮影は1CMマクロ機能でないと撮影できません。

★リモコンの次世代機である「CA-2」が使える機種の場合、1cmマクロ機能がない機種があるようですので購入される際はよく調べて下さいね。

 イレブン流一人で出来る眼の撮影法 補足  イレブン  2020年12月4日(金) 4:40 修正
見つかりました。

機材さえそろえれば結構簡単な方法です。いつでも
自分の愛鳩の眼の撮影ができるのでとても便利です。

最近、鳩の自然体画像の撮影をスマホ撮影で何度か取り組みました。

左画像上もそのひとつです。下がイレブンのデジカメで撮影した画像です。

最近のスマホはものすごく画像が鮮明なので綺麗に撮影できるのですが、デジカメやスマホの撮影特有の歪みがどうしても出てくるようですね。これは、レンズが小さいため、どうしても不自然な歪みがでるのだそうです。特に画像の周辺部分当たりにその歪みが出るようです。

鳩の撮影の場合、表情のところがどうしても丸く歪んでしまい、本当の姿と微妙な違いが出てきます。一眼レフだとそうならないのですが…。

実は、イレブンが使っている「RICHO GR DIGITAL」は、デジカメにも関わらず、この「歪み」が出ない機能になっています。一眼レフ並みのデジカメと言われている理由の一つです。

本当は、一眼レフのデジカメで、口にくわえて撮影できるようなスイッチがある機種であれば、その方がいいと考えています。

イレブンは、この方法を編み出すまでに3〜4年ほどかかったような気がします。明日、天候がよければ♀種鳩達の眼画像を撮影する予定です。

 セッテイングはこんな感じです。  イレブン  2020年12月6日(日) 6:43 修正
撮影日和でした。

 こんな日の午前中がベストです。  イレブン  2020年12月6日(日) 6:44 修正

 2020年 撮影の季節 源流系♀種鳩 【源流ピンクパール号】  イレブン  2020年12月6日(日) 21:05 修正
源流シロクロ号×源流パール号

 写真撮影カメラシステムを知りたいのですが  MIT  2020年12月1日(火) 10:09
修正
初めましてMITと申します。

写真撮影はお一人で行われているのでしょうか?
撮影機材等をお教え頂ければ幸いです。

 返事遅くなって済みません!  イレブン  2020年12月4日(金) 4:24 修正
MIT様

折角の質問を頂いていたのに返事が遅くなりました。申し訳ございません。
ここ一週間ほど、原稿の仕事に追われていたもので掲示板を見る余裕がありませんでした。

お尋ねの件ですが、この掲示板に掲載している源流系の鳩達の画像は全てイレブン一人で撮影しています。

眼の画像も一人撮影です。撮影方法や使っている機材についてこの掲示板のどこかで書いたことがあったので探してみますね。

 ソフトバンク日本一 4連覇優勝!!  イレブン  2020年11月25日(水) 22:25
修正
日本シリーズでストレート勝ち、4連覇優勝!!
ソフトバンクの大活躍で、毎年、最高の気分で日本シリーズを観戦出来ています。

本当に圧倒的な強さですね!

 撮影の季節2020 源流系岩田ライン2代目基礎鳩 【源流16号】  イレブン  2020年11月23日(月) 16:06
修正

 撮影の季節2020 源流系帝王系ライン2代目基礎鳩 【源流ゴジラU号】  イレブン  2020年11月23日(月) 11:10
修正

 ・  イレブン  2020年11月23日(月) 11:11 修正

 撮影の季節2020 源流系帝王系ライン基礎鳩 【帝王6869号】  イレブン  2020年11月22日(日) 17:51
修正

 ・  イレブン  2020年11月22日(日) 17:54 修正

 撮影の季節2020 源流系岩田ライン2代目基礎鳩 【秘蔵岩田U号】  イレブン  2020年11月22日(日) 17:43
修正

 ・  イレブン  2020年11月22日(日) 17:47 修正

 撮影の季節2020 源流系帝王系ライン基礎鳩【帝王68号】  イレブン  2020年11月22日(日) 17:25
修正

 ・  イレブン  2020年11月22日(日) 17:32 修正

  ■■『Piet de Weerd 研究』032■■  [ピート・デヴィート回想録032=後半=「スティッヒエルバウトの系源」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年7月号 )  イレブン  2020年11月19日(木) 5:18
修正
 この「Piet de Weerd研究」では、9月18日からデルバール系の話題を続けてきました。ちょうど2ヶ月に亘って関連資料を加えながら調べて来ました。しかし、デルバール系関係の資料は数多くあるので切りがありませんので、次の話題に移ることにしました。

 ピートさんの話は、デルバール系から ステッケルバウト系に展開していきます。2ヶ月ぶりのピートさんの語り、チョット懐かしく感じますね。今回は、ステッケルバウト系の成り立ちからステッケルバウト系を使った数々の競翔家たちの活躍へと回想録の話題が続きます。

関連資料については、ステッケルバウト系の話題が一区切りした段階でまとめて掲載したいと思っています。『Piet de Weerd 研究』は、しばらく、回想録中心に連載します。

 ・    2020年11月19日(木) 5:18 修正
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 ヤンセンとの交配で大きな成果を上げてきた銘系の一つがスティッヒエルバウトだ。この系統をピートーデウェールトが、自らのシリーズにおける第三の「世界チャンピオン」に挙げ、その系源。系統的鳩の特徴を語る。スティッヒエルバウトのチャンピオンはデルバーの全盛期のチャンピオンに劣らず完璧だと言う。

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 ■アロワ・スティッヒエルバウト現象■  Piet de Weerd   2020年11月19日(木) 5:20 修正
 私は自分のシリーズから第3の「世界チャンピオン系」について語ります。私はスティッヒエルバウト系を選びましたが、カットレイセ系を取る人も多いでしょう。しかしアーレンドンクのヤンセンとの交配の成果という点では、大きな違いはないと言えるでしょう。ヤンセンはどんな系統とも掛け合わせることができたのです。むしろどの系統と配合しなかったかと問うべきでしょう。

 多くのナショナルチャンピオンは好調期が幕を閉じると、以前にヤンセンを導入しなかったことを悔いたものです。その一人、ハイネマンはフランクフルトに住むドイツ鳩レース連盟会長でした。60年代半ば、彼は私にこう言いました。

 「君の言うことを聞いて、アーレンドンクで同腹のヒナを何羽か買っておくべきだった」 私はハイネマンを彼の何人かの友人と一緒にヤンセンの所に連れて行き、いわばその食欲をそそりました。しかし彼は食べようとはしなかったのです。

 アロワ・スティッヒエルバウトは下層階級の出でした。彼についての噂は1945年以来聞いて知っていましたが、個人的に会ったことは一度もありません。私か彼について知っていることは、ボステイン、ラベーウ、マルセル・デスメット、ヴァンブルアーン、マットン、デシャン=ヴァンハーステン、ヴァンヘー、ヴァネーツケ、リクールなどから聞いたことを書き留めておいたものです。デルバーからも聞いたことがありますが、彼は60年前の青年スティッヒエルバウトについてよく知っていました。またヴェルホーヴェン、ドゥボワス、ヴェルベーケ、ヴァンーリトセンボルク、デニーズ、ジュリアン・マテイス、デプラーテレ=デロルゲ、このほかときどき鳴レースに熱中した人々からも聞きました。

 ●スティッヒエルバウトの系源    2020年11月19日(木) 5:21 修正
 スティッヒエルバウトは亜麻で金儲けしましたが、彼の有名な系統の起源は1922年、アロワがラウヴェのチャンピン、アルフォンス・デムローから2羽の鳩を手に入れたときに始まります。アルフォンスはマルセル・デムローの父親です。マルセルは「ロータス」という異名を持ち、オスカー・カットレイセと親交がありましたが、それ自体大いに勧められることでした。

 アルフォンス・デムローはウェストウテル (ポーペリンゲ)のミシェル・ファッヘの鳩を持っていました。それは非常に起源の古い華麗な系統で、ジュリアン・コミンの鳩にも比べることができましたが、ハードな長距離向きでした。ファッヘ兄弟はホップを栽培していました。当時ビールにホップを入れると味がよくなり、しかも値段が安かったのです。彼らは20羽以上も優勝鳩を生み出した腫鳩のカップルを持っていました。

 1983年バルセロナの優勝者、ホウエング・アイメリースのパウル・ジルモンは、ヴァンプルアーン=ゴーリンのペアを持っていましたが、これも見逃すことはできませんでした。その当時、スタセヘムにアロワの叔父のカミエル・クリスティアーンスが住んでいました。彼は、おそらく全くの偶然からでしょうが、実に素晴らしいボルドーレーサーを持っていました。そしてスティッヒエルバウトはその直子を叔父からもらうことができたのです。もちろん彼は大喜びしました。

 1927年、メルクセムの教会(今も残っています)で石炭を売っていたヴィンセント・マリエンの系統の鳩がこれに加わりました。マリェンは、当時アントワープの鳩レース界で無冠の帝王でした。ヴィヒテのジュリアン・マテイスは、マリエンのロフトマネージャーだったジェフ・ホーレマンスの所に行って 「トーレンリッガー」の親戚を手に入れ、レースで好成績を収めることができました。

 1930年には、ラウヴェにほど近いウェヴェルヘムのヴァンデカンデラーレという人物からラガー・ブロンデール系の鳩を手に入れました。それは中距離の名手でした。最後に、ラウヴェのアルマンド・デクレルクの有名なボルドーレーサーを交配しました。

 それらの交配はデルバーの処方に従って行いましたが、幸連な結果を生みました。こうしてどのようなストックが自分の手中にあるかにアロワが気づいたとき、鳩を買うのをやめたのは当然でした。彼は交配者から近親交配者になったのです。こうした事情のおかけで、半世紀たった今日アロワは数少ない名人の一人に数えられています。その名前は彼が最高レベルにまで高めた鳩舎によって世界中に知られるようになりました。

 ●スティッヒエルバウトの特徴    2020年11月19日(木) 5:23 修正
 鳩舎の名声には隣人で食肉業者のデシャン=ヴァンハステンも独自のやり方で寄与しました。後にはカミェル・ドンケルスも成果を達成しました。彼らは全く異なる鳩やタイプにスティッヒエルバウトの方式を適用したのです。ヤンセンの鳩がブリクーやデヴリーントの鳩と類似しているのとは逆に、スティッヒエルバウトの鳩とは大いに異なっていました。

 ドッティヒニースのアルベルトードウハント市長やスコットランドのコーニール・ホーレマンスの鳩は、私の知る限り、いわばその中間でした。オランダとベルギーの多くの鳩舎で、ホーレマンスとヤンセンの組み合わせは大きな成果をもたらしました。

 このようにスティッヒエルバウトは近親交配者でした。彼の鳩は無骨でも巨体でもありませんでした。それらのトリはまるで競争馬のように長身で細み、繊細でスマートでした。たいていダークチェックで、ときどき白い尾羽が見られ、目は完全に丸く、灰色または白色というよりチョコレート色ないし栗色でした。羽はそれほど豊満ではありませんでした。そのためによく誤解されて、貧弱とか貧相と書かれましたが、そのなかのチャンピオンはデルバーの全盛期のチャンピオンに劣らず完璧だったのです。

 スティッヒエルバウトがかつて持っていた最良の鳩は、「アウドーボルドーチェ」(31−3313677)、「フーデーブレーケ」(34−3236983)、「フーデーズワルチエ」(34−32369787)、それに「オプヘブラーゼネ」(36−3117434)でした。

 「ボルドーチエ」はボルドーレースに1回だけ出て、イーペルで11位に入りましたが、本来なら「アングレーメケ」と呼ぶべきでした。というのは、「ボルドーチエ」はそれ以前にアングレームに出場するたびに入賞したからです。アングレームラウヴェ13位、アングレーム・モースクローン27位、アングレーム・イーペル3位、アングレーム・モースクローン15位、アングレ・ムーブルッヘ31位、アングレーム・イーペル21位と、少なくとも6回入賞しました。「ボルドーチエ」または『アウドーズワルト』は、「フレーゲ」と・[ズワルテ]という二種類のトリの母および祖母と交配しました。
 「フレーゲ」は決してしくじったことのない鳩でした。このトリはアングレームとボルドーに25回入賞し、そのうち15回は10位内に入りました。「ズワルテ」はアングレームとボルドーで19回入賞し、10位内は8回、そのうち3回は優勝でした。
 この2羽の奇跡の鳩の違いはほとんどありませんでした。両方とも最上級のトップレーサーで、レースに出れば決まって入賞したので、家を変えるほどの大金でも掛けることができました。この2羽は、西フランドルのプロビンシャルレースで2年間続けてフソリーズ2のチャンピオン」でした。

この項次号へ続く

 ■■『Piet de Weerd 研究』033■■  [ピート・デヴィート回想録033「L.ボステインのこと」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年8月号 )  イレブン  2020年11月20日(金) 4:07 修正
ピートさんは、この回でL.ボステインが戦後ベルギーでどれほど偉大な競翔家であったのかを紹介しています。

L.ボステインは日本に来日したこともあるので、関連資料としても来日時の記事などをあとで掲載する予定です。

それにしても、L.ボステインさんの若い頃は、結構美男子だったんですね。日本では、太ったL.ボステインさんしか知られていませんでしたのでチョット驚きました。

 ・    2020年11月20日(金) 4:13 修正
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 アロワーステッケルバウトは代表種鳩アウドーズワルトの近親交配から比類ない俊鳩オプヘブラーゼネを誕生させ、この雌鳩には五万フランの高値がついた。このステッケルバウトの種鳩の価値を最初に見抜いたのが、モールスレーデのレオポルド・ボステインだった。アウドーズワルトの孫と自身の最高鳩を交配している。

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 ■ 高値のついたオプヘブラーゼネ■  Piet de Weerd   2020年11月20日(金) 4:15 修正
※この項前号より続き

 アロワースティッケルバウトは、ブリーディングでは年齢や近親交配を全く気に掛けませんでした。「アウド・ズワルト」は「フレーゲ」および「スワルテ」と長年にわたって交配しました。この近親交配からは、避けがたいガラクタと並んで、比類ない鳩も生まれました。

 そのひとつが1936年の「オプヘブラーゼネ」(膨れた)でした。なぜこんな名前をつけたかと言うと、この雌鳩はあるとき餌袋に空気をいっぱい入れ、まるで風船のようになって鳩舎に戻ってきたからです。このトリは1946六年、コルトレイクのオーディションで、経費込み5万フランという高値で売られました。
 「オプヘブラーゼネ」はヴァンテームシェという、ウアーレンヘムの若い農夫に買われました。

 競売リストに載っていた賞歴はアングレーム・プロビンシャル20位、アングレーム・コルトレイク4位、アングレームP6位、アングレーム・コルトレイク優勝、アングレーム・ウアーレンヘム3位、アングレーム・プロビンンヤル10位、アングレーム・コルトレイク2位、アングレーム・ブロビンシャル25位、アングレーム・コルトレイク3位、ポアティエ・ウェルフィク17位などでした。
 それから2年間にアングレーム10回入賞、そのうち7回は10位内という成績を収めました。
 有名な「アウド・ズワルト」とその直子との間に生まれたヒナは至るところで買われました。たいていの買い主は、それらの鳩で入賞を果たすことができませんでした。賢い者たちは、ただちにそれらを自分たちの最良の鳩と交配させました。しかし最も成功したのは、スティッケルバウトと掛け合わせて良いストックをすでに持っていたブリーダーたちでした。

 ■ボステインの爆撃■    2020年11月20日(金) 4:17 修正
 モールスレーデのレオポルド・ボステインは、スティッケルバウトがいかに高価な種鳩であるかを認識した最初の人間でした。

 彼は戦争前からスティッケルバウトと亜麻の取引きをしていましたが、畑に出ているよりも長い時間を鳩舎で費やしました。二人は戦争が終わったら一緒にレースをやる契約まで結びましたが、いろいろな事情から実現に至りませんでした。

 ボステインは、「フレーゲ」とその母親の 「アウド・ズワルト」との間で生まれた直子を買いました。それは「ヨング・レーケ」と名づけられました。ポールことレオポルドはこう評しました。

 「それはきゃしゃな鳩だった。肩幅が狭くて羽毛が少なく、年のわりには老けていて、本物のじいさんといった感じだった」。

 「ヨング・ブレーケ」は「戦前の鳩」だったので、ただちに鳩舎に送り込まれ、訓練もしなければ、レースにも出ませんでした。もちろん賞を取ったことは一度もありません。

 ポールはこの鳩を自分の持っている最良の雌鳩と掛け合わせました。そのなかにモールスレーデの近くのダディゼーレに住むまディール・タルペの鳩がいました。タルペはタバコ屋で、その鳩舎はヴァンプルアーンでいっぱいでした。もちろんガラクタが生まれるのは避けられませんが、良い鳩もいました。そのなかでも最良の鳩は、「ボレ」と「クレイネ」の半兄弟でした。

 「ボレ」は1944年生まれでした。レースに参加した6年間に、「ボレ」はリブルヌN2位、アンタント・ペルシュ主催ポーN3位をはじめ、パリ以南のレースで数多く入賞しました。全盛期の1948年には、おそらくベルギーで最高の長距離レーサーだったで
でしょう。

 ■ポーN1位から4位まで独占■    2020年11月20日(金) 4:18 修正
 1950年、ボステインはあの記念すべきポーレースに6羽の鳩を出場させました。
  「ジーケ」、「ボレ」、「ブラウヴエ」、フノヤレル」、「クレイネ」、それと経験を積ませるために出した新顔一羽でした。そしてそれまでのピジョンスポーツの歴史に例を見ないことが起きたのです。

 放鳩の翌朝7時半、まずシャルル・ヴァンデレスプトのハーフ「シャレル」が宿舎に戻りました。その20分後に「クレイネ」、それから10分遅れて「ボレ」、さらに15分
後に「ドゥレン・ブレウエ」が帰還しました。彼らはナショナルレースで1位から4位まで独占したのです。5位はカットレイセの鳩でした。

 その日、私はそれらの鳩を見ようとムーレに向かいました。ボステインの「ジーケ」はトレメリー系の青ゴマで、前年にサンーバンサンNで8位に入った実績がありますが、まだ帰還していませんでした。
  「ジーケ」は1時間後、散弾を浴びて血まみれになって戻りました。尾はほとんどなくなっていたので、打たれたのはそんな遠くではないでしょう。ナショナル34位でした。

 最後に新顔が110位に入りました。つまりボステインは6羽の鳩で、優勝、2位、3位、4位、34位、110位を占めたのです。

 妻のジュリアは発する言葉もなく、ポールはいつものように自分で巻いたタバコを口のすみにくわえていました。

 ナンバー2と3は、スティッケルバウトの「ヨング・ブレーケ」の直子でした。レオポルド・ボステインはこのトリを、カットレイセやデヴリーントの鳩を掛け合わせ、ハードな長距離系のトップレーサーを生み出したのです。レースがハードであればあるほど良いというトリたちでした。彼はナショナルレースで空前絶後の成績をおさめました。

 あるピレネーレースの前の晩遅く、ポールは外に出て星のきらめく空を見上げました。絶好のレース日和でした。彼は満足げにこうつぶやきました。

 「明日ボステインの鳩が飛ぶ。奴らの調子が良ければ、ライバルにとって厳しいレースになるだろう。」

 それはけっして自惚れではありませんでした。それはピジョンスポーツを熟知した男の確信でした。

 彼は本業の亜麻よりも、はるかに多くの時間を鳩に費やしました。でも、彼はそれは後悔していませんでした。たとえもう一度生まれ変わることができたとしても、彼は同じようにしたでしょう。もし彼がヴァンヘーのように自営業者で経済的に自立していたら、彼に勝てる者などいなかったでしょう。彼はテオーヴァンデヴェルデに匹敵する男でした。つまりチャンピオンの中のチャンピオンでした。

 ■奇跡の鳩「ベノニ」■    2020年11月20日(金) 4:20 修正
 ここで皆さんに70年代と80年代に登場した有名なボステインの血統を紹介しましょう。

 最初にチャンピオンの「ベノニ」63−3278267。「べノニ」はベンジャミンの別称です。ベンジャミンはロードレーサーで、驚くべきことにリク・ヴァン・ローイを破って世界チャンピオンの座を獲得しました。1963年のことだったと思います。

 「ベノニ」は生まれたときからその名前で呼ばれていましたので、ポールには一種の予感めいたものがあったに違いありません。ベノニは旧約聖書に出てくるヤコブの息子の名前でもあります。多くの人々がベノニの知性と独創性に驚嘆しましたが、それは何代も受け継がれた遺伝でした。独創性のある鳩は、簡単に自分たちのコースを見つけることができます。

 いかなる状況でも鳩舎に帰る道を見つけることのできる鳩が最良の鳩だと言ったとしても。単なる言葉の遊びではありません。ボステインの「ベノニ」はそういう鳩だったのです。

 ■ボステインの奇跡のカップル■    2020年11月20日(金) 4:22 修正
 「べノニ」の父はデヴリーントとカットレイセから生まれた「スホーネ・ブラウヴェ」62-3299581でした。母は格別の銘鳩59−3379965でした。ラべーウの「フーテ・ブラウヴエ・リブルヌ」(47−3081354)と、1950年ポーINで優勝したボステインの「シャルル」との間に生まれました。

 「スホーネ・ブラウヴエ」はブリュッセルのオークションでグザヴィエ・デュモン・ドウ・シャサール氏に売られました。私はこのオークションの目録を作成し、トゥルンハウトのシャン・ドウ・ソメールに、「デュレ・ブラウエン」ではなく「ボレ」を買うよう勧めました。それは朝鮮戦争の最中で、緊迫した雰囲気が漂っていました。というのもマッカーサー元帥が原爆を投下しようとしていたからです。

  「べノニ」 (63−3278267)の賞歴は、ドゥルダン604羽中57位、クレルモン420羽中10位、クレルモン377羽中29位、ドゥルダン優勝、クレルモン375羽中2位、ドゥルダン322羽中14位、ドゥルダン861羽中35位、リモージュN2862羽中8位、ペリグIN2524羽中62位、モントバンN966羽中50位、ブリーフ3080羽中8位、モントバンー145羽中118位、ボルドーIN16192羽中97位、サン・バンサンN3115羽中35位、ドゥルダン376羽中30位、ブリーフN2876羽中35位、ポーIN1401羽中優勝。

 「べノニ」は最初の100回のナショナルで10回入賞し、10位以内に3回入り、約43万フラン獲得しました。

  ■■『Piet de Weerd 研究』034■■  [ピート・デヴィート回想録034「ボステインの銘鳩」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年9月号 )  イレブン  2020年11月22日(日) 5:35 修正

 ・    2020年11月22日(日) 5:36 修正
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 フランス国境に近い村、ヌーヴィルに住むデュケスノイの系統の導入がボステインの飛躍を促した。純系デュケスノイのBWの鳩ととりわけ優秀な雌鳩の1羽、ベノニの姉妹を交配し、予測を越えた素晴らしい鳩が誕生した。生まれた直子の「30」はナルボンヌN優勝、モントバンN26年26位に入賞している。

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  ■優勝鳩の大量生産■  Piet de Weerd   2020年11月22日(日) 5:37 修正
 [パスポート]67−3296047。父はデスカンプス=ヴァンハーステンの「エイゼレン724」、母は「ベノニ」の全姉妹で有名な濃紺のホワイトフェザー「700」です。

 「パスポート」という名前はでボステインの兄弟が所有していたフランスの競争馬から取られました。賞歴はシャトロー803羽中5位、ブリーフN276羽中58位、ポーIN1401羽中3位、サン・セバスチャンIN924羽中11位、サン・セバスチャンN9位、ポーIN37位、ビアリッツIN18位。この鳩はレースで実に何十万フランも稼いだのです。

 [カウゼ]は「パスポート」の兄弟で「700」と同じ母から生まれました。賞歴は、サンーバンサンN2645羽中6位、ポーIN1232羽中12位、ビアリッツIN987羽中10位、ポーIN1416羽中15位。稼いだ賞金は36万フラン。

 「カオール」68-33211518の賞歴は、ドゥルダン661羽中17位、シャトロー1605羽中67位、アングレームN1506羽中68位、カオールN1076羽中26位、サン・セバスチャンN778羽中54位、ドゥルダン554羽中4位、そしてポーIN1416羽中3位です。

「123」68−3321123は「ベノニ」の全兄弟です。賞歴…アングレームN1506羽中87位、アングレームIP1084羽67位、アングレームIP826羽中36位、ブリーフN2836羽中54位、アングレームIP649羽中72位、アングレームIP664羽中27位、チュールNI9693羽中80位、サン・バンサンN2765羽中2位。

 「ビル」は短距離では最強でした。リングナンバー72−3282555.戦績はカオールN2825羽中2位、モントバンN15位。この2つのレースの間隔はたった2週間しかありませんでしたが、いずれのレースも凄まじい暑さのなかを分速900メートルで飛びました。ポアティエIP2286羽中54位、チュールN3148羽中53位、カオールN4372羽中37位などです。このトリは、チビで体重もそんなにありませんでした。

 「ルフェック」69−3180023はカトリスの血が50%人っていました。賞歴…クレルモン1717羽中24位、トゥールIP1105羽中11位、シャトールー1381羽中33位、ポアティエ1305羽中58位、リュフェックN2099羽中優勝、アングレームIP1040羽中42位、カオールN4109羽中6位など。

 「サン・バンサン」71−3351194は、「123」(68−3321123)と「パスポート」の妹(68−3321136)の息子です。賞歴…サンーバンサンN優勝、ポーIN1682羽中16位、サン・バンサンN(フルーレ)48位など。

 最後に「スラッペン」(ゆるんだ)。これはおよそ堅さというものを感じさせないトリでした。戦績はサン・バンサンN2765羽中10位とポーIN一1682羽中優勝。

 ■「チコ」と「ベノニ」■    2020年11月22日(日) 5:38 修正
 レッケムからフランスの国境に入ってすぐ、パリに続く自動車道路沿いにヌーヴィルという村があります。そこにデュケスノイという男が住んでおり20年ほど前にピジョンレースで活躍していました。彼は「メシャーン卜」62−068154で有名になりました。

 このトリはかつてリモージューN(フランス/ベルギー)で2位に40分の差をつけて優勝したことがあります。これを知っていたポール・ボステインは、この系統の鳩を何羽か手に入れることに成功しました。

 ボステインはこれを自分の系統と交配させて、途方もなく強力なレーサーを作り出しました。そのなかの一羽が「30」(71−3335030)でした。この鳩はナルボンヌNで優勝し、モントバンNでは26位に入賞しました。「30」は、純系デュケスノイの黒のホワイトフェザーと、数多くの優秀な雌鳩のうちの1羽で「ペノニ」の全姉妹70−3050551との間に生まれました。

 つまり「30」の母親は、「パスポート」の母、あの濃紺のホワイトフェザー「700」の全姉妹です。

 ボステインがかつて持っていた最も有名なトップレーサーは「チコ」74−3400228でした。これは雌のような顔付きをした灰の鳩、粗雑なところが全然ないトリでした。これはベノニ63−3278268の息子「ベノニ世」と、ドルトムント近郊シュヴェルテに住むDr・シュルテ経由で買い戻したドイツの雌鳩から作られました。この雌鳩にはヴァンデヴェルデの血も入っていました。
 「ベノニ二世」が初めてレースに出場したのは3歳鳩になってからです。それまで一度も飛んだことがなかったのに、この雄鳩はリモージューナショナルで4500羽中なんと2位に入ったのでした!
 「ベノニ二世」は残りの生涯を種鳩鳩舎で送りました。「ベノニ二世」のリングナンバーは71-3335297でした。

 「チコ」の母親は、灰の雌鳩71−3335059で、デュケスノイの「ブラウエ・ブロア」の娘68−3168312でした。「ブラウエ・ブロア」はまだ若鳩のとき、フロアで行なわれた西フランドルのプロビンシャルで優勝したトリです。「チコ」の母方の祖母は65−3090997で、「ベノニ」および「パスポート」の母親の全姉妹でした。これらの姉妹のうち最良の鳩が、前出の「700」で、それに続くのがこの[997]です。けれども他の六羽の全姉妹も、この二羽に負けず劣らず優秀でした。
 要するに、その後の結果は、これらの雌鳩と配合した雄鳩如何だったのです。

 ■幸運な百万長者■    2020年11月22日(日) 5:43 修正
 これらの雌鳩は、ボステインを「幸運な百万長者」にしました。彼は言葉の本当の意味で世界チャンピオンになったのです。彼はまたアメリカ人のチックーブルークスが言うように、「ドル金貨のように健康な肉体の持ち主」でもありました。

 「チコ」74−3400228の賞歴は、チュールN3位、アルジェントンN優勝、ブリーフN五五七一羽中優勝、アルジェントンN35位でした。チュールNではわずか数センチメートルの差で優勝を逃しました。さもなくば、3つのナショナルを制することになったのです。

 「チコ」の全兄弟に、「ヨング・バルセロナ」74−3400062がいました。「ヨング・バルセロナ」は数多くのレースに出場して、ポアティエIP1874羽中16位、アングレームIP1849羽中89位、ポーIN2187羽中10位で12万8000ベルギーフラン、ナルボンヌINでは4位に入賞して12万3000ベルギーフランを獲得しました。

 「ムスタング」74−3400277は「パスポート」の全兄弟の直子です。この雄鳩はバルセロナINで10503羽中24位に入賞し、一年後のバルセロナINでは6147羽中57位に入りました。この2回のレースで、「ムスタング」は43万ベルギーフランを稼ぎました。ムスタングの父親(72−3282912」は、生後四週間でルッデルフォールデのある愛鳩家に買い取られました。

 彼はこの雄鳩でたくさんの良い鳩を作り、3年後にそれらをブリュッセルでオークションにかけました。このときボステインが約30万フラン「ムスタング」を買い戻したのです。それ以下の値段では無理でした。

 その後、このトリはブレダのDr・ドウーウェールトに売られました。Dr・ドウーウェールトは「パスポート」の別の全兄弟「6.40」の娘も持っていました。ブレダで[ムスタング]はNL78-7828763とクロスしました。この雌鳩は1981年サンーバンサンで約3万羽中オランダの鳩としては2位に入りました。飛翔速度は分速768メートルでした。

 1981年9月、病気から回復した私は、モールスレーデにあるボステインの種鳩鳩舎
で、好きな鳩を12羽選んで買いました。そのなかで最良のトリは74−3335274で。
 「ベノニ」と66−3308657との間に生まれた雌鳩です。後者は純系ステッケルバウトで「パスポート」の父の兄弟と「ベノニ」の最も有名な姉妹で「パスポート」と「コウセ」の母「700」(64−3267700)との掛け合わせから生まれた娘でした。このように、わずかなエリートファミリーが大きな国内レースを支配するのです。

 ステッケルバウトとボステインが戦前から親しくしていた友人に、ウェーフェルヘムのジュールーヴェルモーとビッセヘムのダニエルーラペーウがいました。ヴェルモーは体が弱く、若くして亡くなりました。彼の最も有名な「ファッヘ」は、ポーベリングのミヒエ
ルーファッヘとアロワーステッケルバウトとの交配によって作出したものです。

 「ファッヘ」は30年代にボルドーとアヽイグレームで優勝、またオーステンデのシャルル・ヴァンデレスプトが優勝したボルドーIN(ベルギー/オランダ)では2位に入りました。

  「ファッヘ」はステッケルバウトの「フーデーブレーケ」の娘と配合し、このカフフルから36−3273116が生まれました。この雌鳩はラペーウの鳩舎で「ブラウエーヴェルモー」と名付けられました。ジュールーヴェルモーは1949年サンーバンサンN(コルトレイク)で優勝を手にしました。

 ヴァンブルアーンの「ターザン」は、数年後サン・セバスチャンNで優勝しました。鳩は午前10時という遅い時間に放たれましたが、その日の午後10時には帰還したのです。かつてスペインからその日のうちにベルギーに帰った唯一のトリでした。

 ダニェル・ラベーウはヴェルモーの最良の鳩の全姉妹を4羽持っていました。アンドレ・ヴァンプルアーンは、短距離で26回優勝したヴェルモーの有名な「88」の同腹の姉妹「89」を入手しました。そして多くの人々がアンドレの華々しい成功をねたみました。
 
「ねたみ」とは醜いものです。私は一度ウェーフェルヘムの飲み屋で、人々が彼の系統の基礎鳩である1932年の「スティール」は、ステッケルバウトの2個の卵から生まれたものらしいと噂しているのを耳にしたことがあります。

 ■ラベーウ、偉大なチャンピオン■    2020年11月22日(日) 5:44 修正
 ラベーウも、成功者の一人です。ここでラベーウについて特筆したいのは、彼は自分の同僚(亜麻の栽培)や友人(鳩の育種)よりも近親交配の強い信俸者だったことです。
 ラベーウはコルトレイクの玩具製造業者ヨス・ーヴェルホイエから遅生まれ雄鳩を一羽譲り受けました。ヴェルホイエは当時長距離で鳴らしていました。一度、ブリュッセルで行われたアングレームNで1、2位を独占したことがあり、それで有名になったのです。というより、人々を仰天させたと言ったほうがよいでしょう。自分が優秀な鳩を持っていると信じていた多くの人が、その結果にひどいショックを受けました。

 ベルビエで綿製造業を営むレニエ・グルネイは、鳩レースの偉大なチャンピオンでしたが、ヴェルホイエの系統の鳩を交配用に手に入れようと、自分の車に乗ってコルトレイクに行きました。このとき、ブルネイも自分の鳩も何羽か持って行きました。これらの鳩はコルトレイクで「リエージュの短い嘴」と呼ばれました。        (次号へ続く)

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