HOME検索
ようこそ、「スネークパパの掲示板」へ。お気軽に投稿いただければうれしいです。(『スネークパパの部屋』管理者イレブン)

■■イレブンへの連絡先■■ メール:hal9000jp@ace.ocn.ne.jp ■■■■
名前
題名

内容
画像1
画像2
画像3
画像4
修正キー (英数8文字以内)

   ky  2021年10月22日(金) 7:13
修正
このキングオブ稚内号の目を何と解釈しますか?
実物も何回も掴ませてもらいました。

 アイサインの退化  イレブン  2021年10月22日(金) 22:07 修正
種鳩としての資質に問題があると考えます。

 キングオブ稚内号について興味があります  MIT  2021年10月23日(土) 18:47 修正
実物を三重で見られたのですか? 仙台ですか?
どのような鳩でしたか?

 超長距離鳩の眼  参考資料:  2021年10月21日(木) 21:22
修正

 ■研究用資料:《研究ノート》【The Sport of Pigeon Racing】byDr. W. ANDERSON(P18~P35 )■ 翻訳版003 ■  CHAPTER U  「THE ARMADALE LOFTS」(第2章 「アルマデールロフト」) ■  Dr. W. ANDERSON   イレブン  2021年10月11日(月) 21:48
修正
CHAPTER Uの「THE ARMADALE LOFTS」(第2章 「アルマデールロフト」)は、Dr. W. ANDERSONさんの鳩舎の名前のようです。ANDERSONさんは、この章で自鳩舎の代表的な翔歴を詳細に説明しています。そして、そうした記述をした理由をこの章の最後に次のように述べています。

●「この章は、これらの偉大な戦士たちと、彼らが成し遂げた数々の素晴らしい偉業に捧げるものであり、彼らの勇気を永久に記録し、彼らの奉仕に感謝するものです」

イレブンはこの文章を読んだとき、ANDERSONさんのこうした姿勢が多くの愛鳩家にこの本が受け入れ、読み続けられてきた理由のように感じました。そして、A.S.Jonstonさんが書きまとめた名著『OPEL BIRDS』とも相通じる愛鳩家としての姿勢の気高さを感じました。イレブンは、A.S.JonstonさんやJ.Louis.Opelさんの書斎には、きっとこの『The Sport of Pigeon Racing』が並んでいたと思っております。

代表活躍鳩の画像や貴重な鳩舎画像などの資料も含まれていますのでこの章も掲示板に掲載することにしました。

代表活躍鳩の画像では、当時の長距離バードの基本形が読み取れます。また、ANDERSONさんの鳩は、雌鳩の活躍が多いようです。鳩舎はWシステムのようですが、Nシステムでも飛ばしていたのでしょうか?

  CHAPTER U  「THE ARMADALE LOFTS」  Dr. W. ANDERSON  2021年10月11日(月) 21:54 修正
アルマデールロフトは、1904年に、旧友であるゴバンの故ジョージ・ハミルトン氏から購入した鳥で設立された。

彼は1902年にSkibereen(アイルランド)で開催された最後のスコティッシュ・ナショナル・レースで優勝し、1903年にはバースで開催された最初のスコティッシュ・ナショナル・レースで優勝した。この鳥はデルモット家の鳥で、バナー・オブ・アインズデールの23番と24番、そしてボスウェルのJ.B.クラークの血を引いています。

それ以降のアーマデイル・ロフトのレース活動の概要は以下の通りである。
1905. 私はArmadale and District Homing Societyで若鳥のレースを始め、Dumfriesからの最初のレースで2位になりました。Millomまでのレースではいくつかの好成績を収め、その年の若鳥レースでは新メンバーの中で平均1位となりました。

1906. Shrewsburyまでのレースでいくつかの好成績を収め、そのレースではクラブ7位となりました。また、Millom:ヤングバード・レースでブルーパイドのコックで好成績を収めました。その後、彼をジョセフ・マカパインに預け、彼はナショナルレースに何度も出場した。

1907. この年、私は医学生になっていたので、1909年に資格を得るまでレースを断念せざるを得ませんでした。1910年、父の診療を手伝うためにアーマデールに戻りました。この年、私はG・ハミルトンから別のペアを購入し、現在のロフトマンであるジョン・マカルパインからは数ペアのスタンホープを購入したが、彼は当時とても良いレースをしていた。その後、J.L.ベーカーの "リトル・ワンダー "の孫2頭と、この有名なチャンピオンの妹1頭を購入した。

1908. 私はレースを再開し、スコティッシュ・ナショナル・フライング・クラブに参加し、レンヌ(545マイル)で14位となりました。また、内陸部のレースでも多くの好成績を収めました。(レンヌでの優勝馬をCambus langのMr.Dan Adamから購入し、私のロフトで飼育しました。)
私はいくつかの良い賞を獲得し、1911年の優勝機で再びレンヌからタイム・インしました。

1912. レンヌで行われたS.N.F.C.のレースで6位に入賞したJ.マカルパインの馬を繁殖しましたが、これは失敗に終わりました。1914年には再び24位となりました。

1914. 私は、レンヌのS.N.F.C.で7位と13位、ボーンマスのイースト・オブ・スコットランド・レースで7位と13位のオープン賞を獲得しました。1914年の秋、そして1914-18年の世界大戦が始まった頃、私はスコットランドのナショナルレースやその他のフェデレーションレース、オープンレースで優れた成績を収めていたジョン・マカルパインの鳥の全ストックを購入しました。その鳥たちは、J. J. Barrett、Whitmore of Dudley、J. L. Baker of Sedglevなどの古いStanhopeの血を主に受け継いでいました。
その日以来、ジョン・マカパインが私のロフトマンとなり、過去30年間の私の成功の多くは、彼の揺るぎない仕事と熱意によるものでした。後年、私は彼の息子であるウィリアムに多くを託しました。彼はファンシーに関する膨大な知識を持ち、鳩に対する素晴らしい記憶力を持つ青年でした。
その後、私は親友の故J.L.ベーカーから数羽を購入し、トフトの孫である'13 "と'247 "を加えました。また、ブラックバーンのチャドウィックからハンセンのペア2羽を、ブラックバーンのスレーターからウェッジを購入しました。また、オスマン大佐からは彼の優秀な鳩「ポリスマン」の息子を譲り受け、J.W.ローガン氏とは2羽の雌鳥を交換した。ここに挙げた鳥たちは、現在私のロフトにいる古い系統の基礎となっており、1929年までの私の成功のほとんどをもたらした。

1914-18年の戦争中、レースはかなり制限されていました。最初の大会は1917年にソールズベリーで開催され、私は1位と4位に入賞しましたが、スコットランド・ナショナル・フライング・クラブは戦時中に2回のナショナル大会を開催しました。このレースではわずか15羽がタイムアタックしただけだった。1918年の2回目はウェーマスで行われ、ここでも私は1位と2位(息子と母親と一緒に)、10位、11位、15位となりました。
私はこれらの年の間、現役でした。1917年と1918年に私はサロニカに滞在し、ピジョン・セン・アイスを担当していたガーネイのスペシャリスト、フレッド・ショーによく会いました。

1919. レースが再開されると、私はウェーマスで開催されたS.N.F.C.のレースに出場し、7位、9位、20位、22位、23位に入賞しましたが、この日は24羽しか帰れませんでした。クラブレースでは、ロッカビーで1位、シュルーズベリーで1位、フェデレーションで3位、ウースターのフェデレーション・チャンピオンシップ・クラブレースで1位、そしてすべてのプールで優勝、ボーンマスのチャンピオンシップ・クラブで2位と3位、サウスポートのナショナルレースで11位と20位、オールドバード・アベレージとラングバード・アベレージ、そしてアベレージを獲得しました。
アベレージ(すべてノミネートされた鳥が対象)。

1920. レンヌで1位、ゴールド・カップで優勝。また、このレースで5位、1位、16位、19位、23位を獲得しました。
ヤングバード・レースでは、ロッカビー、マンポート、ミロムの3つのレースで10シリングのノミネーションを獲得し、サウスポートでは1位、2位、3位、フェデレーション・カップとヤングバード・カップではノミネーションの鳥で1位、ヘリフィールドではセクションS.N.F.C.YB.レースで15位を獲得しました。

 ANCIEVT AND MODERN.( 古代から現代まで)    2021年10月11日(月) 22:05 修正
■左画像:Dovecote at Linlithgow Palace.( リンリスゴー宮殿の鳩舎)

■右画像:Dovecote at Wallhouse, near Bathgate.(バスゲート近郊のウォールハウスにある鳩舎)

 ■■■    2021年10月12日(火) 2:37 修正













左画像:Dovecote at Boghead House. Bathgate. (ボグヘッド・ハウスのドーブコート。バスゲート)

右画像:Present System in use, showing Straight <<Fly-In?, Entrances on Top Storey. These open outwards, and can be controlled by Light Cords from the Ground. (Photo taken December,1940.)
(現在使用されているシステムは、最上階にあるまっすぐな「フライイン」の入り口を示しています。これらは外に向かって開いており、地上からのライトコードでコントロールできるようになっています。(写真は1940年12月撮影。)

 ■■■  ■■  2021年10月12日(火) 2:56 修正
左画像:Dr. Anderson's Central Loft at Armadale before Widowhood Entrances were adopted(Wシステム用入口が採用される前のアーマデールのアンダーソン博士の中央ロフト)

右画像:ome of the Trophies won by the Armadale Lofts.(Armadale Loftsが獲得したトロフィーの一部)


 ■LUE NAMES HEN.■  ■■■  2021年10月12日(火) 3:09 修正

ブルー・ヘン SU.27.WL1336. レンヌの545マイルを3回、ナントの608マイルを3回飛びました。ナントでは608マイルを3回、スコットランド・ナショナル・ファイアリング・クラブで飛行。

1932年、ナントで優勝(オープン20位:セクション11位:速度771)。
1933年にはナントでオープン3位、セクション1位、速度843、1934年にはナントで入賞を果たしています。

スタンホープ、ギルソン、ローガンブルームの組み合わせ。

 ■GUINEA GOLD■  ■■■  2021年10月12日(火) 3:18 修正
GUINEA GOLD.

ブルーチェク。1918-フロウン・ウースター。1919年-サウスポートとボーンマス:優勝16ポンド、オープンレース。1920年 サウスポート、そしてレンヌでS.N.F.C.のナショナル1位、135ポンド、金杯を獲得。

146の種牡馬、Red Cheq. 1142. 4333x446のトフト:13x347の4333:Old Gits Cockと182x229の子の446。

146のダム。1914はRed Cheqから。1910年一オスマン×スタンホープ・ヘン(ジョンストンのウディングストンの血)。

 ■ SION.■  ■■■  2021年10月12日(火) 3:25 修正
SION.
"マリー・スチュワート" 1930年 1st Shrewsbury; 1931年 Rennes:タイムイン; 1932年 9th club Cheltenham: 2nd club: 2nd L.C.S, 1932年 第9回クラブ チェルトナム:第2回クラブ:第2回L.C.S.、第29回スコティッシュ・ナショナル・ナント:60Sマイル、1933年 第1回クラブ、第1回フェド:チェルトナム(ハードレース):第2回L.C.S.、第17回スコティッシュ・ナショナル・ナント:60Sマイル、1934年 第2回クラブ:第131回スコティッシュ・ナショナル・ナント:60Sマイル:176はナントに3回出走し、毎年S.N.F.C.レースで入賞した数少ない鳥の一羽です。
種牡馬 Blue Cheq. Pied 531は、私のオリジナルのSionペアから交配されたもので、アメリカのC.Heitzman氏に高額で売却されました。

※ C.Heitzman sion
https://www.heitzmansions.com/octnov-21-sions.html

Dam. Mealy 29, from a direct imported pair from M. Paul Sion.

 ■ STANHOPE HEN.■  ■■■  2021年10月12日(火) 3:27 修正
STANHOPE HEN.
ブラック・チェク。ヘン、SU.26.WL75. 非常に安定したレーサーです。グランビル(496マイル)を飛んで入賞した後、S.N.F.C.でレンヌに3回行き、9位、202位、204位に入賞しました。9位、202位、204位。この国で最も優れた長距離走の血を引いており、A.C.クリスティのボルドー・コックの孫娘でもある。


 ■THE DOL HEN■  ■■■  2021年10月12日(火) 3:30 修正
THE DOL HEN.
Red Cheq. ヘン。SHU.36.WL2933。1936年、223マイルを飛行。
1938年、ラナークシャー・ソシアル・サークルのオープン・レースで1位(飛行距離:515マイル)。
1939年、S.N.F.C.とレンヌへ。
1940. Dorchester "Smash:Davでは鳥は帰らなかった。
その後、ストックとして保管。両家の長距離優勝者の血を引く。
1920年にボーンマスで行われたオープンレースでは、当日タイムインしたのは2羽だけで、優勝したのはアーマデールのワトソン兄弟とアーマデールのホワイトフィールド兄弟でした。
翌年の1921年には、ワトソン兄弟が、先に述べたボーンマスの1stオープンの優勝者と一緒に、レンヌで開催されたスコティッシュ・ナショナルを制しましたが、これは実に素晴らしい成績でした

 1921年→1930年  ■■■  2021年10月12日(火) 21:21 修正

1921年、私はレンヌのS.N.F.C.で4位、9位、11位に入賞し、164ポンドを獲得しました。Armadale and District Hommg Societyでは、Kendalで1位、Millomで1位、Shrewsburyで1位となり、指名された鳥の Combined Average を獲得しました。

1922年、A.D.H.S.では、3位ロッカビー。7th Grange-over-Sands:4th Lancaster:3rd Wigan:6th Shrewsbury:1st and 3rd Worcester、そして18th Rennes:S.N.F.C.を獲得した。

1923年:A&D.H.S.で、2位ロッカビー:3位マンポート、1位ミロム:4位カーカム:1位シュルーズバン、1位、5位、7位グロスター、2位ボーンマスとすべての平均値、22位レンヌS.N.F.C.に参加。

1924年:A&D.H.S.で、ロッカビー1位、2位、3位、マンポート11位、ミロム1位、リザム1位、3位、シュルーズバン11位、ウースター6位、グロスター3位、ボーンマス3位、クラブ1位、グランビル12位の成績を収め、3つのアベレージを獲得。S.N.F.C.でレンヌからの6羽をタイムアウトさせたが、賞金を逃した。

1925年、A.&D.H.S.では、ロッカビーで4位、マリポートで2位、ミロムで2位、ライサムで7位、シュルーズベリーで3位、ウースターで1位、2位、3位、オープンで6位、クラブ・グランビルで1位となった。また、S.N.F.C.のレンヌで54位と59位に入賞した。

1926年:A&D.H.S.では、1位ロッカビー、Sthマリポート、3位ミロム、9連隊、3位ライサム、14連隊。1926年:A & D.H.S.では、第1ロッカビー:第1マリポート:第3ミロム:第9連隊、第3ライサム:第14連隊:第4シュルーズバーブ:第11連隊、第1ウースター:第4連隊。Sth BournemouthではOld BirdとCombined Averagesで優勝:60th Rennes S.N.F.C.でもある。

1927年にはA.D.H.S.でロッカービーと第2連隊で2位、第9連隊で2位となりました。
ペンリス 10日 Kendal. 第11回リヴサム 第2回シュルーズバン、第12回フェド... 7日 ウースター 第9回ウェブマス スコットランドのFIvins Clubと。20日 レンヌで81位と143位

1928年、A.D.H.S.で、7位ロッカービー、10位ペンリス、10位オクセンリオルム:15位プレストン、14位シュルーズベリー、10位ウースター、8位ウェーマス、1位クラブ、18位オープン・グランビル、S.N.F.C.のレンヌのレースでは3羽がタイムアウトしましたが、入賞リストには載りませんでした。
1928年、私の優秀な雌鳥 "590 "は、英国ナショナルF.C.のサン・セバスチャンを878マイル飛んだ。彼女はそれまでにレンヌを4回飛行し、英国ナショナルF.C.のレースで60位と81位に入賞していた。

1929年、A.&D.H.S.で、ロッカビーで2位、4位、10位、4連覇、ペンリスで3位、9位、11連覇:オクセンリオルムで2位、3位、4位、2位、3位、4位、プレストンで2位、5位、シュルーズベリーで9位、ウースターで8位、ウェーマスで7位、グランビルで1位、レンヌで9位と、スコットランド・ナショナル・レースで活躍。

1930年、A&D.H.S.では、ロッカビーで3位と8連覇、ペンリスで5位と10連覇、オクセンリョルムで4位、スタフォードで12位、チェルトリアムで12位、ウェーマスで13位などの成績を収めました。S.N.F.C.ではレンヌが204位。Aimadale Central Federation Clubでは、1930年に以下の順位を獲得しました。ロッカビー1位、フェド2位、ペンリス3位、ランカスター2位、3位、ウィガン2位、シュルーズベリー1位、3位。若鳥:ペンリス1位、2位、3位、4位、ランカスター1位、2位、3位、ウィガン1位、3位、4位。

 1931年→1940年  ■■■  2021年10月12日(火) 21:24 修正
1931年の獲得順位は 10位 Lockerbie、2位と7位 Penrith、20位 Oxenholme、15位 Preston、1st Club and 2nd Fed. 1931年は、10位ロッカービー、2位と7位ペンリス、20位オクセンホルム、15位プレストン、1位クラブ、2位フェデレーション、2位スタフォード、2位ウェーマス、1位グランビル。SNFのレンヌでは202位と273位でした。
ローストフトのフレッド・クルイックシャンク氏と私は、1931年のシーズンにホーム&ホームマッチを行い、大変興味深い結果となりました。1929年、私たちはそれぞれ10個のリングを1ポンドで指名しました。

1931年には、鳥が2歳になってから試合を行いました。この試合は1931年6月18日に行われました。1931. 鳥は天候に関わらず、午前6時にそれぞれのロフトに放たれることになっていました。私は5羽、クルックシャンク氏は4羽を送りました。結果が示すように、この日はこのような試合に適した日でした。私は午後4時48分に3羽まとめて、クルックシャンク氏は午後5時12分に3羽まとめてタイムアウトしました。

1932年、A.D.H.S.で獲得した順位は、9位ロッカビー、3位と4位プレストン、7位、9位、11位オクセンホルム、10位スタフォード、9位チェルトナム、9位ウェブマス。9位 ウェブマス 3位 6位、7位グランビルでした。若鳥では、6位ロッカビー、2位、3位と6位ペンリス、2位と3位フェド、1位と4位オクセンホルム、2位とSthプレストンで、3つの平均値を獲得しました。Lanarkshire Social Clubでは、1位Gretna、12位Oxenholme、5位Wkrrington:1位と2位Nantes。ヤングバード:1位、2位、3位グレトナ:1位、2位、4位ペンリス、4位オクセンホルム、ヤングバードカップを獲得。スコットランドN.F.C.レンヌ大会では73位、250位、287位、ナント大会では20位、29位。

1933年:A.&D.H.S.で1位、3位、9位 ロッカービーで1位、その他。ペンリス、12日オクセンホルム、4日プレストン:16日シュルーズベリー、1日、7日、9日チェルトナム、1日フェド、1日ウェーマス(この日の唯一の鳥)。若鳥:6位ロッカビー、1位ペンリス、6位オクセンホルム。3位と6位プレストン。4位と10位のスタッフォードでは、アサインがすべてのアベレージトロフィーを獲得しました。レンヌのS.N.F.C.では3羽でタイムアウト。ナントS.N.F.C.(608マイル)では、オープン3位、17位、110位、セクション1位、4位、30位。

1934年、A.&D.H.S.では、ロッカビーで1位、2位、第4連盟:ペンリスで5位、6位、オクセンホルムで2位、第4連盟:プレストンで5位、9位、第11連盟:シュルーズベリーで7位、9位。第4・5回 ウースター: 第1・10回 チェルテンリアムと第4連隊}。} 第1・10回 ウェイマスと第1連盟、チャレンジカップ S.N.F.C.レンヌ:第50回、第61回、第258回。61位と258位、ナント81位と131位

若鳥では、11位ロッカービー、2位ペンリス、4位フェド、5位オキセティホルム、1位プレストン:オールドバードとコンバインドアベレージで優勝。また、ウェスト・ロジアン・フェデレーション・スペシャル・レース(プレストン)では、4位:5位:6位:11位:12位:14位:15位に入賞しました。

1935年には、A.&D.H.S.で、4位ロッカビー:1位、2位ペンリス:1位:2位:9位:など。オクセンホルム: 1位、3位、5位など。プレストン: 2位 シュルーズバン: 16位 ウースター: 2位 4位・12位 チェルトナム: 3位・7位 プール: 10位・24位 フェド: 1位・2位・3位・4位 スコティッシュ・ナショナル・レンヌ・レースでは、解放の日に10位、15位、22位、27位、37位、63位となった。ナントのレースでは、オープンの48位と71位、セクションの24位と33位。これら2つのS.N.F.C.レースで、私は323ポンドを獲得しました。イングランド・ナショナル・フライング・クラブのサン・セバスチャン・レースでは、2羽目と3羽目がスコットランドに渡りました。
今年のヤングバードレースでは、16位Lockerbie、11位Penrith、3位、7位、8位Oxenholme、1位、10位、11位Prestonとなりました。Lanarkshire Social Circle Clubでは、Oxfordで1位と2位、Salisburyで1位、Granvilleで2位と4位、Openで3位と9位。3位 レンヌ ナントでは2位と4位。Ybunsの鳥。1位、2位 グレトナ: 5位 ペンリス: 8位 オクセンホルム: 4位 ランカスター: 全レースのベストアベレージを競うフィフティギニアカップ、オールドバードアベレージを競うモーガントロフィーを獲得。そしてDailv Express Cup for Two-Bird Average Granville raceを獲得しました。

1936年:A.&D.H.S.では、ロッカビーで1位、2位、6位、ペンリスで1位、7位、第1連盟で5位、7位、Sthオクセンホルムで2位、4位、9位、プレストンで4位、7位、第1連盟で1位、2位、3位、5位、7位、9位、シュルーズベリーで1位、4位、5位、6位。第1回 第5回と第12回Fed.
幼鳥: 第1回ロッカビーと第1回連盟: 第9回ペンリス: 第15回オクセチリョルム: 第10回と第15回プレストン
S.N.F.C. ナント・レース:オープン101位、セクション34位。この時も私はイングリッシュ・ナショナルF.C.のサン・セバスチャンから2羽目と3羽目をスコットランドに持ち帰りました。
Lanarkshire Social Circleクラブでは、Lancasterで3位、4位、5位、Rugbyで1位、Oxfordで13位、Salisburyで19位、など。「ペンリス5位、ランカスター1位、2位、グレトナ1位、2位、SthオクセンホルムでYbung Bird A\'erage Cupを獲得した。

1937年、A.&D.H.S.では、8位Riccarton、1位・4位Hexham、3位・4位・7位・Sth Bishop Auckland、1位・2位Thirsk、1位・2位Grantham、4位・5位Newhaven。Ybung Birdsは、12位Riccarton、1位Hexham:3位、6位Bishop Auckland、1位Thirsk、1位、3位、5位、6位Doncasterで、Old Bird、Young Bird AverageとCombined Axerageを獲得しました。
レンヌのS.N.F.C.はオープン145位と328位、セクション19位と112位、ナントのS.N.F.C.はオープン15位、36位、46位、136位、170位、セクション7位、16位、23位、54位、67位となりました。
Scottish Western Mid-week Club(4羽制限)では、ペンリス1位・2位、プレストン1位、スタッフォード1位・2位・3位、スタフィバード2位、チェルトナム2位。ヤングバード:1位、2位、3位ペンリス。
ラナークシャー・ソシアル・サークルでは、1位と4位グレトナ、11位ペンリス、5位ランカスター、16位プレストン、16位スタフォード、Sthラグビー、11位オックスフォード、11位サリスバン、5位ドル、8位レンヌ、2位ナント、4位と6位。若鳥:2位、4位、5位 グレトナ:2位:3位、4位 ペンリス:3位 オクセンリョルム:2位、4位 ランカスター 全レースのベストアベレージを競うフィフティ・ギニア・カップを受賞。

1938年:A.&D.H.S.が1位、2位、3位 ロッカビー(第1連盟)、1位、2位、3位、5位 ペンリス(第2連盟)、1位、2位 オクセンホルム(第1、2連盟)、3位、12位 プレストン(第6連盟)。第3・12回プレストンと第6回フェド:第1・3回ウースターと第2・7回フェド:第14回シュルーズベリー、第27回チェルトナム、第2回プールと第10回フェド、イブンの鳥、第1回ペンリスと第2回フェド。
S.N.F.C.と一緒に出場したレンヌのレースでは、オープン157位、セクション52位を獲得しました。ナント・レースでは、オープン139位、セクション46位。

With L.S.C., 3, 4, 5 Penrith, 3, 4, 6 Lancaster, 3, 5, 6 Preston, 1, 2, 3 Stafford, 6 Rugby, lst: 3位、11位、12位 オープンドルレース vel.763(500マイル)、17位 レンヌ、5位 ナント ヤングバード、2位グレトナ、1位と6位オクセンホルム、4位と5位と6位ランカスター。以下のトロフィーを獲得:フィフティ・ギニア・ゴールド・カップ(全レースのベスト・アベレージに対して4年ぶり3度目の優勝)。ヤングバード・アベレージ・カップは3度目の受賞。テネント・トロフィー:最も過酷なレースの勝者(Dol, vel. 763. モルガン・トロフィー、デイリー・レコード・ローズ・ボウル、そしてドル・レースでのベスト・アベレージに対するデイリー・エクスプレス・トロフィー。

1939年、A.&D.H.S.と共に。1、2、4位ロッカビー(第1連盟)、4位ペンリス、3、5位オクセンホルム、1、3位プレストン(第1、5連盟)、2、5、12、13位シュルーズベリー(第6連盟)、1、16位ウースター(第2連盟)、1、15位チェルトナム(第1連盟)。4位、5位、S位、9位 プール。若鳥は、ロッカビーで2位と5位、ペンリスで1位と5位、オクセンホルムで1位と5位、プレストンで5位、オールドバードアベレージとコンバインドアベレージで優勝。
S.N.F.C.では、レンヌでオープン21位、セクション11位、ナントではオープン3位、6位、122位、セクション20位、29位、47位に入賞しました。
L.S.C.では、第4グレトナ、第19ペンリス、第2ランカスター、第9プレストン。第2スタッフォード 第1ラグビー部 6日、9日 オックスフォード 19日、25日サリスバン、1日、16日、21日レンヌ、2日、5日、10日ナント、7日:Sth、17日Dol。ヤングバードでは、第5回グレトナ、第4回ペンリス、第13回オクセンホルム、第2回と第3回ランカスターで、全レースのベストアベレージを競うクラブチャンピオンシップ、第1回レン
ヌのW.アランソンカップなどを獲得しました。

1940年には、A&D.H.S.で、ダンフリース1位、7位、11位、ペンリス1位、3位、7位など、ランカスター1位、3位、4位など、A&D.H.S.では、ダンフリース1位、7位、11位など。ランカスター:第1回、第5回、他 カークハム:第1回、第5回、第10回、他 シュルーズバン;および第1連隊、第1回、第5回、第7回 ウースター;および第1連隊、第3回、第4回、第6回、第8回
チェルトナム、第5回、第7回 スウィンドン: 第1回、第3回 ドーチェスター・スマッシュ: 第5回、第7回 Fed.: 第1回、第2回、第3回 クライストチャーチ: 第1回、第2回、第3回 若鳥: 第6回Dumfries: 第4回Penrith: 1位、2位、5位、その他。ランカスター:Fed.1位、3位、5位、9位 カークハム:Fed.1位、2位、3位 カークハム(2戦目):Fed.1位、2位、3位
L.S.C.では、10位 グレトナ: 3位: 5位と7位 ペンリス: 8位 ランカスター、2位 プレストン: 3位と5位 スタッフォード: 5位: 11位: などなど。ラグビー: 6位 オックスフォード: 4位: 6位: 7位: など サリスバンでは、ベストアベレージ・ノミネートバードのゴールドカップを獲得。

 1941年→1947年  ■■■  2021年10月12日(火) 21:29 修正
1941年、A.&D.H.S.では、8位Dumfries、1位:6位と10位Penrith、1st Fed.:4位Lancaster、1位Kirkham、2nd Fed.:Sth Worcester、6位と8位Worcester、6位と11位Cheltenliam。

1942年、A.&D.H.S.と、2位と3位ダンフリーズ。第1・13回ペンリスと第1連隊、第2・3回ランカスターと第2連隊:第5回:Sth:など。Preston: 15th Worcesterと10th Worcester(第2レース)、2nd Cheltenham: 3rd Norton FitzwarrenとSth Fed. Ybunsの鳥。第3回と第11回ダンフリーズと第11フェド:第1回と第3回ペンリスと第1回と第4フェド:第1回ランカスターと第6フェド:第12回プレストン。ノミネートされた3羽のオールドバードアベレージ、コンバインドアベレージ、ヤングバードアベレージを獲得。
L.S.C.では、第5回ダンフリース、第1、3、S.ペンリス、第1、3ランカスター、第1、2:第4、5プレストン、第18回ウースター、第7回ウースター(第2レース)、第1、3、'/thチェルトナム、第7、10、14ノートン・フィッツワレン。興味深いのは、このクラブでは7羽が上限だったことで、第1レースに出場した7羽はすべてO.B.の最終レースでタイムを記録しました。ヤングバードは、14th Dumfries、1st Penrith、2nd Lancaster:6th Preston。

1943年: A.&D.H.S.(8羽制限)では、11、12位ダンフリース、5、6位ペンリス、2位:5位:7、9位:など。ランカスター: 第6回と第10回: 第1回プレストンと第2回: 第2回: など

第5回:第6回、第10回 ウスター 第5回:第9回、第12回 連盟、第3回:第4回、第6回 ウスター(第2レース)、第7回、第8回 連盟:第1回、第6回 チェルトナム、第3回 連盟。4位ストーク・キャノンなど。Ybunwの鳥。12th Dumfries: 10th Penrith, 11th Lancaster: 3rd Preston.
1944年はA.D.H.S.(10羽制限)で、第1・11回ダンフリーズ、第1・4回スリーバード・クラブ、第2連盟、第1・3・10回ペンリス。ランカスター第1回:第3回、第9回 プレストン第1回:第3回、第9回 3バードクラブ、第1回フェド。 1位: 13、14日 ウスター、1st Fed: 1位 ウスター(2戦目): 3バードクラブ、3rd Fed: 2位: 5、6日 チェルトナム、7日 ストークキャノン。ヤングバード: 13th Dumfries: 2位: 8位: など。ペンリス:第3回スリーバードクラブ:第4回:第9回、第12回ランカスター:第2回、第4回プレストン、第1回スリーバードクラブ:など:オールドバードアベレージ、コンバインドアベレージを獲得。

1945年: A.D.H.S.(10羽制限): 第9回ダンフリース: 第5回と第9回ペンリス: 第12回オクセンリオルム: 第1回と第10回プレストンと第3連盟: 第1回、第3回、第5回、第9回シュルーズベリーと第1三鳥クラブ、第3回と第6連盟。第1、3、4、5回 ウスターと第3、7、Sth Fed.:第1ウスター(第2レース)と第3 Fed.、第4チェルトナム、第3ドーチェスターと第3 Fed.。幼鳥:第1回ダンフリース、第S回グレトナ、第12回ペンリス、第4回オクセンホルム、第3回プレストン、第3回Fed.

1946年、A.&D.H.S.とともに、第9回ダンフリーズ、第7回ペンリス、第1回・第3回ランカスター、第1回スリーバード・クラブ、第2回フェド、第2回・第4回プレストン、第1回スリーバード・クラブ:第1回・第3回スタフォード、第5回・第9回フェド、第5回・第6回・第7回ウースター、第2回:第3回・第4回スウィンドン、第3回・第S回・第14回フェド、第2回・第3回・第4回:第7回:第8回・第9回・第10回ドーチェスター、第1回ヘイスティングス。若鳥では、2位ダンフリーズ、2位と9位グレトナ:9位ペンリス:3位ランカスター:1位:3位:6位:7位:Sthと9位プレストンとマクネアカップスペシャルなど:と7位と12位Fed.
2バード・チャンピオンシップ・クラブでは、1位およびすべてのプールとノミネートで1ポンド。
S.N.F.C.ヘイスティングスのレースでは、オープンで63位と191位、セクションで35位と11位となり、4つのエントリーすべてでタイムを記録しました。
1933年、ウェスト・ロッジアン・フェデレーションは、フェデレーションのチャンピオンシップに毎年特別賞を提供しました。この賞は1946年までに13回争われており、私はそのうち6回優勝、3回準優勝しています。

1947年の優勝 スコットランド・ナショナル・レンヌ・サンジャック・レース。第10回、第22回、第23回、第53回、第27回、第53回、第54回、第134回オープン(2689羽)。Armadale & D. H.S. (スコットランドで最も強いクラブの一つ)では、3バードCh.クラブとW.L.Fed. Old Birds; 1st, 2nd, 3rd Club, 2nd, 4th, 6th Fed. Dumfries; 1st, 6th Club, 1st, 11th Fed. ペンリス;1st, 6th, 7th, 8th Club Lancaster;1st, 2nd, 5th, 8th Club, 1st, 2nd 3-Bird C.C. and 11 Fed. プレストン;第2、4、6クラブ スタフォード;第3、4、5クラブ、第2 3-Bird C.C.および11 Fed. ウスター;3、4、5、6クラブ、2nd 3-Bird C.C. Cheltenliam;2、3、4、6、7、Sth、10、11クラブ Dorchester;10th Combine 2-Bird C.C. Dorchester、4th Combine 2-Bird C.C. Guernseyで81ポンド獲得。
ヤングバード:5th Club, 12th Fed. ダンフリース;3、5、6クラブ、9フェド。Gretna; 1st and 2nd Club, 9th Fed. ペンリス;3、4、5クラブ、2nd 3-Bird C.C. ランカスター;1、2、3、5、7クラブ、1、2、6 Fed. オープンレース プレストン クラブOBアベレージ、インランドアベレージ、ヤングバードアベレージ、コンバインドアベレージ、ノームバードのマクネアカップを獲得。また、W.L.フェデレーションのベスト・インディビジュアル・アベレージも獲得しました。
以上が、1904年にアーマデール・ロフトが設立されて以来の記録であり、決して完全なものではありません。この43年の間に、多くの素晴らしい鳥たちが、多くの素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。

この章は、これらの偉大な戦士たちと、彼らが成し遂げた数々の素晴らしい偉業に捧げるものであり、彼らの勇気を永久に記録し、彼らの奉仕に感謝するものです。

◇以上、CHAPTER II終了◇

 2021年作出鳩  イレブン  2021年10月11日(月) 2:52
修正
2021年秋 200Kレース★連合会4位入賞★21YT00321 BC♂

■父:ゴールデン3代目号※帝王3代目号直仔


■母:源流ピンクパール号(帝王シロクロ号×源流パール号※帝王3代目号の実妹)

 21YT01706  イレブン  2021年10月11日(月) 2:54 修正
2021年秋 100K 200k

■父:19帝王レッド号(7780×9390)※帝王稚内3号重近親

■母:源流343号200K記録(源流秘蔵岩田号×源流カルメギ号[帝王3代目号直仔])

 21YT01715  イレブン  2021年10月11日(月) 2:57 修正
/
2021年秋 100K 200k

 21YT01717  イレブン  2021年10月11日(月) 2:58 修正
/
2021年秋 100K 

 21YT0467  イレブン  2021年10月11日(月) 3:01 修正
・源流系SSライン基礎配合作出鳩。

■父:【源流SSプラチナ号】元平田基哉鳩舎種鳩※銘鳩トップガン号の孫(ゴールドリッチ号重近親)

■母:700K当日帰り2羽中優勝【源流SSクイン号】※3代目スネークスター号8重近親

 21YT00480  イレブン  2021年10月11日(月) 3:04 修正
命名【源流SS黒翡翠号】源流系SSライン基礎配合作出鳩。明年、源流クーガー号に配合する予定です。

■父:【源流SSプラチナ号】元平田基哉鳩舎種鳩※銘鳩トップガン号の孫/
ゴールドリッチ号重近親作出鳩

■母:700K当日帰り2羽中優勝【源流SSクイン号】※3代目スネークスター号8重近親

 21YT00332  イレブン  2021年10月11日(月) 3:06 修正
/2021年秋 100K 200k

 2021年秋 200Kレース★連合会4位入賞★ 参加41羽 4日目18時 現在26羽(帰還率63.9%)  イレブン  2021年10月2日(土) 22:18
修正
今日は、200Kレースの持ち寄りでした。今年は、珍しく鳩痘に数羽かかったので、リタイヤさせ参加は41羽となりました。

明日のレースは、風向きがあまり良くないので苦戦が予想されます。気温も高くなるらしいです。最近好条件レースが続いていたのでどういう結果になるでしょう。

 ★イレブン鳩舎連合会4位入賞★ 21YT00321BC♂ 4月14日生 (ゴールデン3代目×ピンクパール号)  イレブン  2021年10月3日(日) 6:35 修正
今日はどんな展開になるでしょう。

■7:30分放鳩との連絡が先ほどありました。[7:58記入]

■イレブン鳩舎連合会4位入賞★ 21YT00321BC♂ 4月14日生 (ゴールデン3代目×ピンクパール号)[22:03]

連合会4位入賞することが出来ました。時計審査が16時だったので当日の正確な羽数は,不明ですが、審査時点では、3割程度でした。抜けるような晴天の秋空でしたが、気温も高く、予想されていたとおり、久々の難レースとなりました。

元々、イレブンの地元では、秋の200Kは毎年帰還率が悪いレースです。しかし、イレブン鳩舎ではこのレースを後日でも苦労して帰った鳩が、結構翌年の春の長距離で活躍しています。

イレブン鳩舎の当日は、20羽帰還しました。帰還率は48.7%でした。
後日でなんとか5羽以上拾えればと思っています。

【200Kレース 自鳩舎トップ10】
@【連合会4位】[分速1115.259m]21YT00321 BC ♀(ゴールデン3代目×ピンクパール)※帝王3代目号重近親配合

A【連合会12位】[分速1094.500m]21YT00324 BC ♀(秘蔵岩田U×帝王1331号)※秘蔵岩田号3重近親配合

B【連合会28位】[分速907.314m]21YT00314 BC ♀(源流日本海号×帝王5717号)※父:秘蔵岩田号自身×孫

C【連合会39位】[分速856.014m]21YT00333 BC ♀(モスクワU号×モスクワパール号)※モスクワ号3重近親:(モスクワ号自身×孫)×モスクワ号の直仔

D【連合会40位】[分速855.833m]21YT01712 BC ♂(黄眼号×源流1918号)※帝王95ゴールデンアイ号の5重近親配合(帝王1918号の3重近親)

E【連合会48位】[分速820.577m]21YT00303 BW ♀(源流モンスターキッド×源流477号)※秘蔵岩田号の孫×直仔

F【連合会51位】[分速796.249m]21YT0343 DC ♂(源流メタリック号×帝王カルメギ号)※帝王3代目号の孫

G【連合会59位】[分速745.703m]21YT00313 RC ♀(帝王キープセーク号×帝王5718号)※帝王9390号の孫

H【連合会62位】[分速712.412m]21YT00350 RC  ♀(帝王キープセーク号×帝王5718号)※帝王9390号の孫

I【連合会64位】[分速672.911m]21YT00311 DC  ♂(源流ダンディ-号×モスクワレガシー号)※銘鳩モスクワ号の孫

こうして自鳩舎トップテンを見てみると、難レースになるとやはり活躍しているのは、岩田ライン、オペルライン、そしてモスクワラインが顕著ですね。帝王3代目ラインは、毎回確実に自鳩舎上位に食い込んできます。

もう一つの傾向は、結構強い近親配合が活躍している傾向も現れています。
難レースでは、頭脳のよさが問われるのかも知れません。

 翌日帰還5羽  計25羽帰還  イレブン  2021年10月4日(月) 21:03 修正
翌日、仕事から帰って確認したら、5羽帰還していました。次の5羽です

【翌日5羽帰還】
@【自鳩舎21位】[2日目07:28]21YT00334 B ♂(モスクワU×モスクワパール号)※モスクワ号3重近親:(モスクワ号自身×孫)×モスクワ号の直仔

A【自鳩舎22位】[2日目07:47]21YT00301 B ♂(モスクワU×モスクワパール号)※モスクワ号3重近親:(モスクワ号自身×孫)×モスクワ号の直仔

B【自鳩舎23位】[2日目08:59]21YT01718 BC ♀(源流日本海号×帝王5717号)※源流秘蔵岩田号の直孫


C【自鳩舎24位】[2日目10:53]21YT01706 B ♀(19帝王レッド号×源流343号)※源流秘蔵岩田号の直孫

D【自鳩舎25位】[2日目15:28]21YT01713 BC ♂(帝王8402号×帝王GNクイン号)※帝王1633号の直子×孫(帝王3代目号の直仔) 



 2021年秋レース参加鳩データ:眼画像@  イレブン  2021年9月26日(日) 22:10
修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像A  イレブン  2021年9月26日(日) 22:11 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像B  イレブン  2021年9月28日(火) 4:23 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像C  イレブン  2021年9月28日(火) 4:24 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像D  イレブン  2021年9月28日(火) 4:25 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像E  イレブン  2021年9月28日(火) 4:28 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像F  イレブン  2021年9月28日(火) 4:29 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像F  イレブン  2021年9月28日(火) 4:30 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像G  イレブン  2021年9月28日(火) 4:32 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像H  イレブン  2021年9月28日(火) 4:34 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像I  イレブン  2021年9月28日(火) 4:35 修正

 秋レース参加鳩データ:眼画像J  イレブン  2021年9月28日(火) 4:37 修正

 ■研究資料■: EYESIGN 関連動画  イレブン  2021年9月25日(土) 4:05
修正
@■THE 3 DUST LAYERS IN RACING PIGEONS EYES■
https://www.youtube.com/watch?v=6zlnuJ5cLo0&t=79s

A■レース鳩の目とその秘密-&#127468;&#127463;英語版&#127482;&#127480;■
https://www.youtube.com/watch?v=kQxQpzDoB4Y


B■RACING PIGEON , LONG DISTANCE EYE SECRET 1■
https://www.youtube.com/watch?v=d2JHoxGTZcc

C■Eijerkamp Pigeon Selection Criteria 2019■
https://www.youtube.com/watch?v=nuUpQsBIypk&t=35s

 2021年秋100Kレース 参加49羽 放鳩 08時00分 翌日18 時現在帰還鳩47羽 (帰還率95.9%)  イレブン  2021年9月19日(日) 3:29
修正
昨夜、100Kレースの持ち寄りでした。49羽参加です。
今回は、夏場がずっと雨が続き訓練があまり出来ていません。先週の連合会80キロ訓練に参加していませんので、30キロから100kの出場です。

天候は、台風明けで、風向きも良いようです。審査の時間が4時になりましたので早めの切り上げです。

愛鳩達の帰りを楽しみに待ちたいと思っています。

現在研究を進めている『The Sport of Pigeon Racing』の最後の「結論」に記されていたDr. W. ANDERSONさんの言葉がとても気に入りましたのでここに紹介しておきますね。趣味としての「鳩レース」の楽しみについて、誠に要を得ている文章だなと思いました。

●「 これから鳩レースを始めようとしている若者に言いたいのは、多くの時間を費やすことになるだろうが、その時間は有意義なものになるだろうということだ。物質的な報酬は少ないかもしれません。他の人が失敗したところを成功させることができれば、それは価値ある報酬となるでしょう。

彼が繁殖の複雑な問題の一つを解決することができれば、あるいは彼の調査がスポーツへの関心を高める観察につながれば、彼は自分の犠牲に対して十分に報われるでしょう。

報酬は賞金や銀杯では測れないことを常に忘れないでください。私もトロフィーを手にしたことがありますが、私の思い出はそれらではありません。それは、年月を経ても、戦争を経ても途切れることのない友情であり、成功の甘さと落胆の苦さであり、私の野心が徐々に達成されていくことであり、また、幸運の気まぐれによって与えられた、あるいは与えられなかった恩恵である。」(『The Sport of Pigeon Racing』P189-P190「「Conclusion(結論)」より引用 )

今日は、「幸運の気まぐれによって与えられた、あるいは与えられなかった恩恵」を実感できるレース日です。


■昨日、掲示板をご覧の方から次のようなメールを頂きました。ご本人の承諾を得ましたので掲載しますね。(9月20日16:30記入)

○「今日の掲示板は、鳩の楽しみ方の文章紹介でしたが、私も良い文章と思い同感しました。

アンダーソンさんは、ベルギーの方ですか?鳩文化の高さを感じました。
鳩の研究の文献や資料を掲示板で紹介して頂き楽しみに拝見しています。

今後若い世代の方が鳩レースに興味を持ち鳩を研究される場合、イレブンさんが集められている資料は貴重なものになると思います。

今は、日本以外の世界の国々は空前の鳩ブームです。世界的に鳩人口の増加やレース鳩飼育羽数も増加し沢山のレースが開催されるようになっています。

何故日本だけが衰退しているのか?

一昨年ベルギーに行く前までは、レースにお金を懸けることが日本は禁止されているから鳩レースが衰退していると思っていましたが、ベルギーで話を聞くとお金を掛けてレースをするのは、衰退しているとの事でした。

今もレースにお金を掛けるのは年寄り達が毎週開催される近場の短距離レースが中心だそうです。

日本も今のやり方ではなく、若い人が興味を持つような情報を発信して次の世代へ日本の鳩文化を繋げていけたらと思います。応援しています」

◇イレブンからの返信◇

○「アンダーソンさんはイギリスの方です。第13章ベルギーの古い血統と家族に次のような言葉が記されていました。

『結局のところ、血統だけに惑わされてはいけない、レースの成功を伴わなければならない。ファミリー(私の友人であるトレシダー博士がよく言っていた「ダイナスティー」)を確立するためには、最後までレースを続ける必要があり、長いレースの中で、最終的にストックとして使用される鳥を選ぶ必要があります。
私は若いファンシャーに、どんなにファンシー誌で宣伝していても、ブリーダーであってレーサーではないファンシャーから基礎株を購入することは、絶対に避けることを強くお勧めします。
私の経験では、長距離レースで成功を収め、将来のレーサーを生み出すためにそのようなストックに依存しているファンシャーが、ストックを購入するのに最適な人物です。交配のためのピジョンを選ぶとき。私は、慎重なブリーダーであるファンシャーと取引していることを知りたいのです』

アンダーソンさんのこの本が日本で紹介されなかった理由は、こうした記述が随所に出てくるからです。日本の業者を敵に回すような内容だからです。

海外の著書を調べていくとこうしたことから、日本鳩界が置かれていた状況がはっきり見えてくるように思っています。「翻訳」の壁が取り除かれた時代になってきたので、これから可能な限り、こうした情報発信を続けたいと思っています。イレブン」

 自鳩舎トップ帰還鳩は、20YT03614BC♀でした。  イレブン  2021年9月20日(月) 1:54 修正
自鳩舎トップ帰還鳩20YT03614BC♀は 今春 700キロ後日帰還鳩でした。

【自鳩舎トップ10】
@【連合会20位】[分速1304.670m]20YT03614 BC ♀(源流ダンディ号×源流クイン900号)

A【連合会21位】[分速1303.851m]21YT00306 BCW ♂(ゴールデン3代目号×ピンクパール号)

B【連合会70位】[分速1260.363m]21YT00318 BC ♀(2代目源流留萌キング号×源流461号[秘蔵岩田×クイン])

C【連合会71位】[分速1259.600m]21YT00335 DC ♂(源流ダンディ号×モスクワレガシー号)

D【連合会72位】[分速1258.593m]21YT00311 DCW ♂(源流ダンディ号×モスクワレガシー号)

E【連合会74位】[分速1256.812m]21YT00312 S  ♀(源流キープセーク号×帝王5718号)

F【連合会77位】[分速1245.768m]21YT0343 DC ♂(源流メタリック号×帝王カルメギ号)

G【連合会79位】[分速1243.279m]21YT01719 BCW ♂(源流ゴジラ号×源流16号)

H【連合会99位】[分速1180.660m]21YT00324 BC  ♀(秘蔵岩田U号×帝王1331号)

I【連合会105位】[分速1163.475m]21YT00339 B  ♂(ゴールデンモンスター号×クイン2世号)


 @【連合会20位】[分速1304.670m]20YT03614 BC ♀(源流ダンディ号×源流クイン900号)  イレブン  2021年9月20日(月) 14:50 修正

 ・20YT03614 BC ♀の眼    2021年9月20日(月) 14:53 修正

 A【連合会21位】[分速1303.851m]21YT00306 BC ♂(ゴールデン3代目号×ピンクパール号)  イレブン  2021年9月20日(月) 14:56 修正
※下画像「左眼」の間違いです。

 B【連合会70位】[分速1260.363m]21YT00318 BC ♀(2代目源流留萌キング号×源流461号[秘蔵岩田×クイン])  イレブン  2021年9月20日(月) 15:03 修正
・・

 C【連合会71位】[分速1259.600m]21YT00335 DC ♂ (源流ダンディ号×モスクワレガシー号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:05 修正
・・

 D【連合会72位】[分速1258.593m]21YT00311 DCW ♂(源流ダンディ号×モスクワレガシー号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:08 修正
・・・

 E【連合会74位】[分速1256.812m]21YT00312 S  ♀(帝王キープセーク号×帝王5718号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:11 修正
・・・

 F【連合会77位】[分速1245.768m]21YT0343 DC ♂(源流メタリック号×帝王カルメギ号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:24 修正
・・

 G【連合会79位】[分速1243.279m]21YT01719 BCW ♂(源流ゴジラ号×源流16号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:25 修正

 H【連合会99位】[分速1180.660m]21YT00324 BC  ♀(秘蔵岩田U号×帝王1331号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:26 修正
・・

 I【連合会105位】[分速1163.475m]21YT00339 B  ♂(ゴールデンモンスター号×クイン2世号)  イレブン  2021年9月20日(月) 15:27 修正
・・

 ■研究用資料:《研究ノート》【The Sport of Pigeon Racing】byDr. W. ANDERSON■ 翻訳版001 ■ はじめに ■  イレブン  2021年9月15日(水) 15:46
修正
夏バテでしょうか。8月後半から、ちょっと疲れ気味で掲示板のお休みが続いていました。

連載を再開していた【OPEL BOOK2020】の方は、原著【OPELlBAREDS】の全翻訳が終わったところで中断しています。実は、日本で発刊された「オペルブック」には原著【OPELlBAREDS】以外のデータが挿入されており、その経緯がよく分からないため、前に進めなくなっていました。日本オペル研究会発刊の「オペルブック」そのものをどうしても確認する必要があるのでしばらく調査期間をとって調べていと思っています。原本をお持ちの方はイレブンまでお知らせ頂くと助かります。

さて、Dr. W. ANDERSON著の『The Sport of Pigeon Racing』の翻訳作業を開始します。このDr. W. ANDERSONの『The Sport of Pigeon Racing』は、長年に亘り、版を重ねて出版され続けてきた超ロングランヒットの名著です。初版の発行は、現在までの調査では、1947年のようです。(関口龍雄著『鳩ととも70年』のP291「参考文献」では、「1929年」発刊となっている。現在調査中)

『The Sport of Pigeon Racing』は、世界中の愛鳩家が長年にわたって手にしてきたいわば教科書のよう存在の本だったようです。

W. T. RIMER.という方がこの本の序文として次のようなことを書いています。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


●古くからの友人であるアンダーソン博士から、彼の著書『The Sport of Pigeon Racing』に序文を書いてほしいと頼まれたとき、私は快諾しましたが、同時に、これほどまでに世界的な経験を持つファンシャーが書いた本に、どのような序文が必要なのか疑問に思いました。彼の数多くの記事、路上やショーペンでの長い成功体験、そして何よりも大陸の最高の鳥たちを輸入していることが、彼の知識の豊富さを十分に証明しています。

しかし、彼の自宅やロフトで何時間も一緒に過ごし、スポーツのあらゆる側面について意見を交換してきた私が、アンダーソン博士のことを、彼の多くの友人の誰よりも、いや、おそらく誰よりもよく知っていると主張するのは、不思議なことではありません。

細心の注意を払って保管された記録、レース用鳩の構造と飛行特性の両方を綿密に研究したことが、彼の本に記載されている様々なテーマに具現化されている知識の基礎を説明しています。

私は特に「ベルギーの様々な系統の歴史」の章を読者の皆様にお勧めしたいと思います。この章では、私が長い間抱いてきた意見を裏付けるものとなっています。ベルギーのファンシャーは、ごく少数の例外を除いて、大規模な交配に頼っており、「純粋な系統」が成功に不可欠であるという私たちの原則とは全く対照的なものとなっています。

ファンシャーは作られるものではなく、生まれるものであり、私たちはアンダーソン博士にこの才能を具現化してもらっている。アンダーソン博士は、構造上の欠陥を見抜く素晴らしい手と、鋭い観察眼、そして最大の財産である直感力を持っています。この偉大な才能は、英国の系統を改良するのに役立った大陸の鳥を選ぶ際に、彼にとって非常に大きな価値を持っています。

私はこの本を、このスポーツを学ぶすべての人に推薦します。また、若い世代の人たちは、この本を読み、印をつけ、学び、その内容を心の中で消化することをお勧めします。

著者に成功を!そして、この本がピジョンレースというスポーツの標準的な本として認識されることを確信しています。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

この序文に

○私は特に「ベルギーの様々な系統の歴史」の章を読者の皆様にお勧めしたいと思います。この章では、私が長い間抱いてきた意見を裏付けるものとなっています。ベルギーのファンシャーは、ごく少数の例外を除いて、大規模な交配に頼っており、「純粋な系統」が成功に不可欠であるという私たちの原則とは全く対照的なものとなっています。

とありますが、「このベルギーのファンシャーは、ごく少数の例外を除いて、大規模な交配に頼っており、『純粋な系統』が成功に不可欠であるという私たちの原則とは全く対照的なものとなっています」との一文こそが、オスマン、ローガンと続いた伝統的な英国鳩界の鳩理論のベースとなっていった考え方です。この考え方は、米国にも引き継がれ、オペル系、ゴードン系を誕生させていきました。そして、それらの系統を巧みに生かし我が国に1970年前後から20年間近くに亘る超長距離時代を形成したようにイレブンは考えています。

しかし、この名著『The Sport of Pigeon Racing』の存在が我が国で話題になったことはイレブンが知る限り一度もないようです。おそらく、時代の先人達の多くは、この著書を手にしていたように思えるのですが、鳩界全体に紹介されたり、雑誌で翻訳されることもなかったようです。唯一、関口龍雄先生の著書の参考文献としてこの著書の名前が登場しています。

そうした意味で、この翻訳文の内容を引用しながら、Dr. W. ANDERSONの理論をこの掲示板で研究するのも意義あるものと思っています。興味をお持ちお方だけ、目を通していただければと思っています。

さて、最初に、「目次」を見て、この著作の概要を見てみたいと思います。

 【The Sport of Pigeon Racing】byDr. W. ANDERSONの目次    2021年9月16日(木) 3:35 修正
□ Contents □
I. ピジョン・レース
II. アーマデール・ロフト
III. ベルギーへの初訪問
IV. ベルギーの代表的なファンシャー
V. 私が知っていて訪問したイギリスのファンシャーたち
VI. レース鳩のロフトを設立する方法
VII. レース用鳩の種類について、特に表面的な解剖を参考にしたメモ
[. コンディション
IX. 繁殖
X. 遺伝とその品種改良への応用
XI. 寡婦性(またはヴーヴァージュ)について
XII. 眼球の研究と眼球理論
XIII. ベルギーの古い血統または家系
XIV. オリエンテーション
XV. ピジョンショー
□長距離レースの記録□
1894年から1947年までのスコットランドのナショナルレースの優勝者
□Conclusion(おわりに)


 「目次」からの考察  イレブン  2021年9月16日(木) 3:53 修正
さて全190ページのDr. W. ANDERSONの『The Sport of Pigeon Racing』の目次構成を見てみると、Dr. W. ANDERSONの親しい友人であるW. T. RIMERさんが序文で触れている「ベルギーの様々な系統の歴史」の章は、第13章に掲載されているようですね。

この本の翻訳は、いずれ全文翻訳をして、イレブンの研究用書庫に保管する予定ですが、この『研究ノート』では、興味があるところから抜粋して引用する考えです。

さて、先ほどの13章の一つ前に「12章 眼球の研究と眼球理論」が掲載されていますね。この世界中の愛鳩家の教科書的存在だった古典的名著の中にすでに「目の理論」が当然のごとく掲載されています。関口龍雄先生の「古今東西、愛鳩家は眼をみる」の一言が脳裏に蘇ってきました。

さて、次回の「研究ノート」は、この第12章の引用翻訳に取りかかりたいと考えています。お楽しみに!

 ■研究用資料:《研究ノート》【The Sport of Pigeon Racing】byDr. W. ANDERSON(P141~P1 )■ 翻訳版002 ■  CHAPTER XII  「THE STUDY OF THE EYE AND THE EYE THEORY」(第12章 「目の研究と眼球理論」) ■  Dr. W. ANDERSON  2021年9月16日(木) 22:02 修正
私は頻繁に海外を訪れていたので、「眼の理論」の大いなる愛好家たちと出会う機会がありました。これらの愛好家の間では、専門家にも様々な流行があり、この問題に対する見解が大きく異なることは、鳩の愛好家として、また医療従事者として興味深いことでした。

目に関する書類上の知識は、通常、悲しくも欠如しているということを、私は強く印象づけられました。このことは、ヨーロッパ大陸や最近の国内で広く出版されている無数の記事やカラーの図面を熟読したときにも証明されました。

個人的には、本当の意味での目の "ファディスト "になることは許されませんでしたが、非常に興味があり、この問題に関しては心を開いて、可能な限りの情報を集めようとしてきました。

多くの場合、カラー図は鳩の目とは絶望的に似ておらず、うまく描けてもいません。科学者と呼ばれる人たちから、この色の目はこの距離では確実にうまくいく、この色は別の距離では確実にうまくいくと聞き、また、交配の結果が正確に集計されていることを知り、私を楽しませてくれます。

 ■何百もの有名な優勝鳩や多くのチャンピオンを見てきて■     2021年9月16日(木) 22:07 修正
私は様々な機会に、特に長距離レースの有名な優勝者や多くのチャンピオンを見てきましたが、そのような優れた鳩や「エース」と呼ばれる鳩には、ある種の目の特徴が非常によく見られるという事実に感銘を受けました。

これらの点について私の印象を述べる前に、まず最初に強調しておきたいのは、目について真剣に考える前に、議論の対象となっている鳩やデモンストレーションに使用される鳩は、他の多くの必要な資質を持っていなければならないということを明確に理解しなければならないということです。

(1) 良好な血統であること、長距離の成功者の血統であること。

(2)理想的な(あるいは少なくとも良い)体形をしていること。

(3)健康状態が良好であること。

鳩がこれらの前提条件を備えているならば、その品質と能力を評価するために、鳩の目をさらに貴重な助けとして考慮することは有益です。この意味をより明確にするために、次のような経験をしました。

数年前、私はある偉大なファンシャーを初めて訪問しましたが、彼は目の理論に関していかなる良いことも信じないと言っていました。私はこの問題について心を開いていましたが、もし研究として、私が上に列挙した必要な要素を用いて実施されるならば、私の意見ではこの理論には多くの利点があると伝えました。彼は、自分の鳩を選ぶときにも、交配に使う鳩を選ぶときにも、眼自体には何の意味もないと言った。そこで私は、昔の狩猟時代に鷹が被っていたような小さなフードで頭を覆ったり隠したりしている鳥を購入することに同意するかどうかを尋ねた。彼は自分の立場にはっきりと疑問を持っていました。最終的に私は、デモンストレーションのために、彼の鳥を見て、彼の最高の鳩を選んでくれないかと頼まれた。経験豊富なファンならば、これは決してうらやましい仕事ではありませんが、例外的な状況下で、私は快く承諾しました。全部で60羽ほどの鳥は、扱いやすいようにカゴに入れられ、あっという間に私の要求に合った4羽を選び出した。彼は、これらの鳥が間違いなく彼の最大の勝者であったことを認め、その後も好印象を持ち、目の理論の改宗者になったと思います。

別の機会に、私の友人である故ポール・シオン氏をトゥルコイングに訪ねた際、私の家のロフトでシオンの血を維持するために、彼の有名なロフトから数羽を選ぶように頼まれたことを覚えています。M.Sionは、彼のやや不機嫌な、しかし常に友好的な方法で、私が選択の能力を著しく向上させたことを教えてくれました。とはいえ、彼は名誉ある人物であり、偉大なスポーツマンでもあるので、私が選んだ鳥はたいてい手に入れることができました。
                                ◇142-143
私がこの2つの出来事を引用したのは、目の研究には非常に重要なものがあるという私の謙虚な意見を示すためであり、また、私が選択する際に目の知識に大きく導かれたからです。

目の実際の色については、個々の愛好家が好みを表明することはあっても、ほぼすべての色が良いと確信しています。私は、レモン色や非常に白い「フィッシュ」アイなどの弱い色は、病気や貧血によるものであれ、多くの場合、近親交配によるものであれ、常に捨てています。色に加えて、良い目には輝きがあり、ほとんど金属のような硬さや明るさがあります。これを表現するのは難しいのですが、良い鳩にはよく見られます。

繰り返しになりますが、ファンシャーがレースや家族を作る際には、その鳩の系統について十分な知識を持っていることが常に必要です。よくあることですが、コロニーが非常に混ざっている場合は難しく、初期の世代では目の研究に役立つ情報はほとんどありません。例えば、ウェッゲスは多くの色合いや種類のパールアイを示し、ハンセンヌはレッドアイとパールアイを示し、しばしばバイオレットの色合いになります;ガーネイは豊かなナッツブラウンと栗色の目が多いです。シオンはレッドアイと、このファミリーの特徴であるいわゆる "ブラック "アイを時折見せる("ブラック "アイは実際には青みがかっており、ゲイのパイドやホワイトによく見られる "ブル "アイと混同してはならない);ブリクーはオレンジレッドとレッドが一般的である。

目をさらに研究する際には、不規則または卵形の瞳孔は欠陥とみなされることに注意すべきである。

この段階では、目の解剖学の初歩的なアイデアをファンシャーに提供するのが最善でしょう。なぜなら、この問題に関してファンシャーを助ける努力がほとんどなされていないからです。ここで紹介する図面や断面図は、レースで好成績を収めた鳩の目から作成したものです。また、デモンストレーションのために、いくつかのオリジナル写真も加えられています。

 ■鳩の目の解剖学的構造について■    2021年9月17日(金) 5:41 修正
眼球とそれを保護するまぶたについての説明は、2つの部分に分けて行うのが最適です。

まず、ファンシャーの肉眼で見える外見の一般的な説明があり、次に、死んだ鳥の眼を肉眼で観察したり、レンズや顕微鏡を使って観察したりして、解剖することで見えるものがあります。

生きている鳩の目を見るとき、ファンシャーは開いたまぶたの間にある目のほんの一部しか見ることができない。つまり、虹彩と呼ばれる色のついた部分と、瞳孔と呼ばれる中央の黒い部分である。

虹彩の左右の直径は約4分の1インチ(7mm)で、真ん中に穴の開いたコインのような形をしています。この穴が瞳孔であり、黒い円に見えるのは、円形の穴から眼球の暗い内部を見ているためで、光を反射しないために漆黒に見えるのである。

虹彩は眼球の外縁部に付着しており、この付着部には、通常は暗褐色を帯びた細い線があり、まぶたを大きく開くと色のついた部分のすぐ外側に見えます。

虹彩の内側の縁、つまり瞳孔を区切る縁は、自由で接着されていない縁である。虹彩には2組の細い筋繊維があり、1組は付着した外縁から付着していない内縁に向かって放射状に伸びている。

これらの筋繊維が収縮すると、すなわちサイズが小さくなると、内縁が外縁に向かって引っ張られ、虹彩が狭くなり、その結果、瞳孔(中央の穴)が大きくなるのである。

この動きは虹彩の拡張と呼ばれ、光が乏しいときに行われます。その効果は、拡大した瞳孔から目の内部へより多くの光を通すことであり、その結果、暗い日や夕暮れ時など、光が乏しい物体をより明るく見ることができるようになります。

虹彩にある第2の筋線維は、同心円状に走っており、収縮したり長さが短くなったりすると、虹彩の自由端が小さくなり、その結果、瞳孔が小さくなります。この動きは虹彩の収縮と呼ばれ、太陽光などの明るい光の中で行われ、目の内部に入る光の強さを弱める効果があります。

このように目に入る光の強さをカットすることは、鳥が明るすぎる光で「目がくらむ」のを防ぐために不可欠である。

目の奥の内部には、セレン細胞のような小さな光感受性細胞が並んでいるが、セレンの代わりに視覚紫という物質が入っている。視標紫に光が当たると、紫の物質が弱まり、影響を受けた部分が別の物質に変化して、目の細かい神経を刺激し、写真画像を脳に伝えます。

強すぎる光は、視覚的な紫色が再構成されるよりも急速に弱まってしまうため、鳥は一時的に目がくらんでしまう。

虹彩の動き、つまり瞳孔の大きさは、神経によって自動的に制御され、ちょうどよい量の光が視覚の紫に伝わるようになっている。視紅が光を受けて破壊されると、目の奥の内部に豊富に存在する血流中の化学物質の助けを借りて、細胞内で常に形成されている視紅がさらに補充される。

 ■Eye of a Pigeon Cross-section.■  画像資料  2021年9月17日(金) 5:48 修正
目の断面図

 IRIS. (アイリス)-顕微鏡で見たストリップの詳細(50倍)    2021年9月17日(金) 14:45 修正
上図は断面図の外観。黒い内側の層は光を通さない裏地で、脈絡膜と連続している。

図の上の部分は色素を含む層で、虹彩に明るい色を与える。
中央部(左の瞳孔に近い部分)は薄く、色素顆粒が少ないため、この部分の色はあまり強くない。
外側の色が濃いのは、周辺の厚い部分に色素顆粒が多く含まれているためである。

下の図は、Irisの前面の表面図である。虹彩の表面を形成する細胞が蜂の巣状になっていることと、大きなソーセージ状の色素細胞が見られる。この眼では、色素は茶褐色で、薄い部分は肉眼では黄色く見え、厚い部分はオレンジがかった赤であった。


 ■画像資料 「LEGEND」解説    2021年9月17日(金) 16:26 修正
Sclera(強膜)……眼球の外側を覆う透明な膜です。
Cornea (角膜)は透明で、強膜の延長線上にある。
Iris(虹彩)は円形の収縮性シートで、その中心には穴(瞳)があります。瞳孔の大きさは、虹彩の動きによって変化する。
Choroid (水晶体)はゼラチンのようなレンズで、光を網膜に集める。靭帯で固定されている。
Retina (脈絡膜)は強膜と水晶体の内面を覆う黒い膜で、これにより後房は瞳孔を通過する光を除いて遮光される。瞳孔が黒く見えるのはこのためで、これはアイリスの穴に過ぎない。
網膜は、半球状の灰色の層または光感受性細胞である。それぞれの細胞は、水晶体によって焦点を当てられた光のスポットの強度を記録し、それによって(神経を介して)脳内に画像を構築します。

水晶体の前にあるAnterior Chamber(前房)は、水のような液体で満たされています。
水晶体の後方にあるPosterior Chamber(後房)は、ゼリー状の透明な物質で満たされている。

虹彩をよく見てみると、3つの円があり、簡単に見分けることができます。最もわかりやすいのは、外側の強い色の円である。ハトによって実際の色は異なり、明るいレンガ色、明るいオレンジ色、強いテラコッタ色、深い紫やバイオレット色をしているものもある。肉眼でよく見ると、色は虹彩の表面から立ち上がる無数の小さな突起に含まれているように見え、ミニチュアスケールのねじれた山脈を連想させます。

この強い色の部分の内側には、あまり目立たない色の円があり、この円もハトによって異なる色を示す。外側の色が鮮やかなレンガ色の鳥では、内側の色は通常赤と白の混ざった色をしており、外側の色が鮮やかなオレンジ色の鳥では、内側の色は黄色味を帯びている。

よく観察してみると、明るい外円から穏やかな内円へと、不規則ながらも徐々に変化していることがわかる。穏やかな色の理由は、特定のエリアにある小さな突起の数が少なく、そのために色が弱く見えるからである。

最も内側の円は、前述の他の2つの円に比べて非常に狭く、またその色は鳩によって異なりますが、一般的にその大部分はスチールグレーの色調ですが、原則としてその範囲の可変部分に沿ってダークブルーからほとんど黒に近い暗い色を示しています。

優れた鳩の目を研究している愛好家の間では、多くの鳩が虹彩の最も内側の円にこの暗色の帯を顕著に示していることは、実際に観察されている問題です。

このような理由から、最も内側の円は「相関の円」と呼ばれています。これは、この円に顕著な暗色の帯があると、高い知性と勇気に相関があると考えられていたからです。

非常に鋭い観察者であれば、相関の円の内側に細い髪の毛のような黒い線を確認することができますが、多くの人の目にはそれが見えません。この細い線は単に虹彩の縁であり、これ以上言及する必要はない。

上記の説明では、強い外側の色の円と、穏やかな内側の色の円の2つの色の円についてのみ言及しています。いくつかの目では

しかし、色の強さは、一定の面積あたりの色のプロセスの数に依存し、その数は瞳孔に近づくにつれて減少するので、この区別には意味がありません。
虹彩の円についての説明を要約すると、虹彩には次のような3つの異なる円があると言えます。

(1)外側:強い色の円。
(2)内側の色の円:穏やかな色調の円。
(3)最内周のスチールグレーの細い円と、その暗色の帯である1'correl/1の円。


 ■鳩の目の内部について■    2021年9月17日(金) 16:42 修正
鳩の目の構造は、図を見ていただくのが一番わかりやすいと思います。眼球は、ボールのような正確な球形ではなく、ボールを両極で圧縮したような形をしています。中央の開口部である瞳孔を持つ虹彩は、眼球の前部3分の1と後部3分の2の間に仕切りのように位置しており、虹彩の前に前房、虹彩の後ろに後房と呼ばれる2つの別々の部屋を形成しています。前房は水のような液体で満たされ、後房はゼリー状の物質で満たされており、もちろんどちらも光を透過する。

水晶体は、より硬いゼリー状の塊で、通常の拡大レンズのような形をしており、虹彩のすぐ後ろに位置し、瞳孔の部分を覆っている。瞳孔を通った光はすべて水晶体を通過し、水晶体は目の内側にある網膜に光を集めます。

[The Bodv]. 強膜と透明な角膜の接合部のすぐ後ろ、強膜の内側にある円状の組織の名称です。その位置のため、眼球の外側からは見えず、眼球を横に切って初めて見ることができます。

水晶体を後光のように取り囲む非常に小さな組織として現れ、細かいシート状の組織によって水晶体を中央に保持している。
[懸垂体-水晶体の靭帯]
繊毛体には、顕微鏡でしか見えない微細な筋繊維が含まれている。これらの筋線維は繊毛筋と呼ばれる。繊毛の働きは、サスペンサ-靭帯を引っ張ることである。この靭帯が働くと、水晶体が扁平になり、水晶体の「度数」や「焦点距離」が変化します。これは、さまざまな距離にある物体を目の奥の網膜に焦点を合わせるために必要なことである。

先日、ロンドンで開催されたOld Comrades Showに行った際、時計用のメガネをかけた真面目そうな「専門家」が何人か展示物を見ていた。調べてみると、鳥の目の毛様体筋を探して「比較」しているとのことで、大変面白く感じました。

前述の説明では、生きている鳩では絶対に不可能であることを示している。したがって、このいわゆる絶対的な選択方法は、控えめに言っても、とんでもないことである。明らかに、「目の専門家」は、ハトの目に関する要素的な知識さえほとんど持っていないのである。
[Pecten(ペクテン)]。これは、それぞれの目の前、下の部分にある平らな帯状の暗色の組織に与えられた名前である。これは、目の後ろから前に向かって水平に伸びている。その機能はまだ十分に説明されていない。

網膜は無数の光感受性細胞で構成されており、光の明るさに反応して、各細胞に付いているネンネに沿って光の強さを伝え、このネンネが視神経を形成して、光の印象を脳に伝えます。網膜は、脈絡膜と呼ばれる第2の層の上にあります。脈絡膜は黒く着色されており(カメラの背面が黒く塗られているのと同じ)、眼球を養うための血管が通っています。脈絡膜の外側には強膜と呼ばれる硬い膜があり、眼球に硬さを与えています。

前房の前面は角膜で形成されています。角膜は透明な凸状の膜で、光を水晶体に焦点を合わせる役割を果たしています。


 ■目の理論」の結論■    2021年9月17日(金) 16:52 修正
虹彩の構造(色素のある部分と相関のある円)について述べてきたことと、遺伝について述べてきたことから、色素の存在と相関のある円は両方とも遺伝的な要素であることがわかる。これらは、すでに述べた法則に従って、親から子へと伝達される。

我々のレース鳩の家系では、虹彩の色が良く、相関円がはっきりしている鳩が良い勝負をすることが多いという観察された事実があるので、子孫を調べてどのような特徴を受け継いでいるかを確認する際には、その遺伝に虹彩の色と相関円が含まれているかどうかに注意すべきである。要するに、強い虹彩の色と相関関係のあるサークルの存在は、その鳥が優れたレース鳩の望ましい特性のいくつかを獲得していることを示しています。

もちろん、良い鳩を作るには1つ以上の特性が必要であり、他の多くのポイントも探さなければなりませんが、他の特性に関して2つの鳩がマッチしている場合、説明されているように、より良い前兆を示している方が、通常、専門家や鋭い観察者によって選ばれます。

白鳩や目が赤いゲイパイドの交配は絶対に避けてください。これらはアルビノ(虹彩に色がない)と呼ばれ、日光の下では非常に限られた距離しか見ることができません。アルビノの状態は明らかに遺伝的欠陥であり、そのためには避けなければならない。

また、若い鳩の目の色は、必ずしも1歳になったときの色と同じではないことを覚えておくとよいでしょう。目の色と相関関係の輪は、成長と年齢とともに改善されます。

多くの優良な家系では8&#12316;9歳頃から相関円が減少し始め、老齢になるとほとんど見分けがつかなくなります。

多くのファンシャーは目の位置が重要であると強く主張します。彼らは、くちばしと頭から引いた直線が目の下を通らなければならないと要求します。このことは、真剣に勉強している人には興味のあることかもしれませんので、言及しておきます。

他のファンシャーは、目の特徴から選択し、それに応じて交配します。また、レッド、オレンジレッド、オレンジは良いパールアイと交配することができます。

フィッシュアイやホワイトパールアイが交配によって生じた場合、パールアイの鳩同士は交配しないことをお勧めします。

ホワイトパールアイの場合は交配しないことをお勧めします。
繰り返しになりますが、虹彩の実際の色は重要ではなく、特に外周部の色がしっかりしていれば問題ありません。相関の輪は、瞳孔の縁に色のついた層がないために起こりますが、色のついた層は瞳孔の縁に向かって不規則に先細りになっているので、相関の輪の中には、他の部分よりも強調されている部分がしばしばあります。

目を時計の文字盤に例えると、いくつかのポイントがあります。例えば、片方の目の相関円は、ある特定の場所で最も顕著になりますが、3と6の間(およそ)で最大の強度を示し、もう片方の目は6と9の間(およそ)で最大の強度を示します。他の目では、相関の円がその完全な形で簡単に見ることができます。

繰り返しになりますが、これは、その祖先や先祖の間で多くの優れたレーサーに見られる特性を鳥が受け継いでいることを示す限りにおいてのみ重要です。

もうひとつ、繰り返しになりますが、目全体に見られる明るさと "光 "は、鳩の健康状態を非常によく表しています。鳩は人間と同じように、目の状態に健康状態が正確に反映されるのです。

以上のように、これらの特徴の価値を評価することは、まだ最終的なものではありません。しかし、優れた品質の鳥を提供してきた系統では、これらの特徴がより顕著であり、目の色とマークは、子鳩がこれらの優れた系統の品質をどの程度受け継いでいるかを示すものであると言えるかもしれません。

レース用の鳩は純血種ではなく、前述のように多くのタイプから発展したものであり、目の特徴は、交配によってファンシャーが望む品質を獲得した典型的なものであるか、あるいは、そのような品質がない場合には、交配することが望ましくないタイプに戻っていることを示している可能性があるのです。

 CHAPTER XII  「THE STUDY OF THE EYE AND THE EYE THEORY」(第12章 「目の研究と眼球理論」)の考察  イレブン  2021年9月17日(金) 17:06 修正
CHAPTER XII  「THE STUDY OF THE EYE AND THE EYE THEORY」(第12章 「目の研究と眼球理論」)の全文を翻訳しました。1947年発刊の『The Sport of Pigeon Racing』が長年に亘り、版を重ねながら世界中の愛鳩家の教科書的位置を得ていた理由が、この第12章の翻訳文に目を通すだけでも理解出来ますね。

Dr. W. ANDERSONさんがお医者さんだけあって、キチンと解剖学に基づいた『眼』の理論が展開されています。そして、その研究の結論部分は、極めて明晰な論理展開で括られており、平易明快です。

これだけの理論が、普通に展開されていることを知ると、我が国での鳩理論がいかに情報鎖国状態に置かれているのかを痛感せざるを得ませんね。

まず、Dr. W. ANDERSONさんは、レース鳩の目から読み取れることを、結論の冒頭に次のように述べています。

●虹彩の構造(色素のある部分と相関のある円)について述べてきたことと、遺伝について述べてきたことから、色素の存在と相関のある円は両方とも遺伝的な要素であることがわかる。これらは、すでに述べた法則に従って、親から子へと伝達される。

ここで「色素の存在と相関のある円は両方とも遺伝的な要素である」と記されているようにレース鳩の目は「遺伝低な要素」を示していることをはっきりと述べています。そして、「虹彩」部分とこの「スネークパの部屋」でこれまで幾度の話題に指してきた「相関の輪」(C/A)がそれを示す重要な情報となることを端的に述べています。

そして更に「レース鳩の家系では、虹彩の色が良く、相関円がはっきりしている鳩が良い勝負をすることが多いという観察された事実があるので、子孫を調べてどのような特徴を受け継いでいるかを確認する際には、その遺伝に虹彩の色と相関円が含まれているかどうかに注意すべきである」と「虹彩の色が良く、相関円がはっきりしている鳩が良い勝負をする」という事実があることをはっきりと述べています。

ここがDr. W. ANDERSONさんの理論の注目すべきところだとイレブンは思っています。実は、このことを述べるためにこれまでの前章章で述べていることが全部関わっているのです。これから、この目の理論に関わる章をこの掲示板で引用して行きますので、お楽しみに!

 動画資料【Bracia Janssen z Arendonk】(アーレンドンクのヤンセン兄弟)  イレブン  2021年9月15日(水) 4:05
修正
https://www.youtube.com/watch?v=QA9a7JxgjEg

Janssen z Arendonk鳩舎のカラー映像です。かなり見応えがありました。


※掲示板の読者の方から、早速、次のようなメールを頂きました。

●インタビューしているのは、若いころのA・ロードホフさんのようですね。後からロードホフ鳩舎が出てきますが、今は改装して種鳩鳩舎になっているのではと思います。ロードホフさんは、以前ナチュラル社のブリーディングロフトのロフトマネジャーをされていました

イレブンは、インタビューしている人が誰だか全く分かりませんでした。ナチュラル社関係の方だったんですね。

こうした情報を頂くと大変ありがたいです。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47  過去ログ全 2505件 [管理]
スネークパパの部屋