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 ■イレブンの「Epigenetics」」研究ノート■005◇◇◇◇第1章「巨人の肩から遠眼鏡で」=3 パラダイムの転換なのか =◇◇◇◇◇【出典:仲野徹『エピジェネティクス――新しい生命像をえがく』、2014年5月20日発行、岩波新書、P23より引用)】  イレブン  2021年1月4日(月) 6:59
修正
この「イレブンの「Epigenetics」」研究ノート」では、その研究のテキストとして現在、仲野徹の『エピジェネティクス――新しい生命像をえがく』を取り上げています。

当初は、ポイントとなる文章の抜粋で進めようとしていたのですが、それがムリだということに気付き、第1章のほぼ全文を引用して進めています。

これからエピジェネティクスの研究を進める上で、基本となる考え方や捉え方が述べられているので省略や要約が難しいと感じたからです。

逆に言えば著者の仲野徹先生がこの第2章の最後に述べられているようにこの部分を正確に理解することが出来ればこの研究の世界の面白さが容易に理解できるようになることになります。その文章を最初に引用しておきますね。

●エピジェネテイクスとは『染色体における塩基配列をともなわない変化』、もう少し専門的にいえば、「ヒストンの修飾とDNAメチル化による遺伝子発現制御」である。とっつきにくく感じられるかもしれないが、この定義の意味が理解できると、かつてガリレイが望遠鏡をつかって月の表面や土星の環を詳細に観察したように、それまでぼんやりとしか見えなかった生命現象の景色が、手に取るように鮮明に見えてくる。

少々、難しい内容が続きますが、「それまでぼんやりとしか見えなかった生命現象の景色が、手に取るように鮮明に見えてくる。」ことを楽しみに目を通して頂ければと思っています。


  3 パラダイムの転換なのか?  仲野徹  2021年1月4日(月) 7:01 修正
 ■カール・ポパーと反証可能性■

 科学哲学といえば、まず名前か挙がるのは、カール・ポパーである。ドイツのハイデルベルクにあるヨーロッパ分子生物学研究所に留学中、ポパーの講演を聴いたことかある。残念ながら、日本語で聴いたとしても難しい内容を英語で聴いたのであるから、かなりちんぷんかんぷんであった。欧米人にしては非常に小柄で、90歳近い晩年のポパーであったか、多くの分子生物学者を相手に「あなた方の実験結果は決して「真実」を示すものではない」とエネルギッシュに語りかける姿は印象的であった。

 いまや科学哲学の古典ともいえる『科学的発見の論理』(恒星社厚十閣)などを通じて、ポパーの考えは、非常に多くの科学者に影響を与えた。その中の一人に、行動の刷り込み現象の研究で知られるノーベル医学生理学賞受賞者、コンラート・ローレンツもいた。

 ポパーとローレンツはともにウィーン生まれで、かつて一緒に遊んでいた幼なじみであった。ともに名をなしてから再会したとき、ポパーが、子どものころ一緒にインディアンごっこをしたことがあるという話から切り出して、そのことを覚えていなかったローレンツが驚愕したという話を読んだことがある。科学におけるエピソードの中でも大好きなものの一つなのだが、こういうちょっとした小ネタを聞くと、神様がいて、時々いたずらをしているのではないかという気がしてしまう。

 そのポパーが最も重視したのは、ある仮説が実験結果や観察結果によって反論できるかどうかという[反証可能性]である。ポパーは、反証可能性があるかどうかということを、科学と疑似科学を分ける試金石と考えた。逆にいうと、どんな考えも吸収してしまうような仮説、たとえばポパーが激しくやり玉にあげたマルクス主義などは、科学的な仮説とは言えない、ということになる。

 この反証可能性という考え方で重要なのは、普遍言明である。普遍言明(仮説、あるいは理論)の正しさを証明するには。個別の単称言明(実験結果、あるいは観察結果)による反論を退けなければいけない。たとえば、これを説明する例としてよく挙げられるものに「カラスは黒い」という命題がある。この命題の正しさを証明するためには、いくらたくさんの黒いカラスを探し出してきても駄目で、理論の補強にはならない。むしろ逆に、たった一羽であっても白いカラスを見つければ、そのたった一つの単称言明によって、「カラスは黒い」という普遍言明は退けられるのである。

 このように、白いカラスか見つかれば、「カラスは黒い」という普遍言明は正しくないといわざるをえなくなる。とはいえ、そのことは、「世の中のカラスのほとんどが黒い」という厳然たる事実に対して、何ら影響を与えるものではない。それと同様に、「ゲノムですべての遺伝情報が説明できる」という仮説の正しさを証明しようとしても、エピジェネティクスという現象によって退けられてしまうのである。

 しかし、だからといって、エピジェネティックな現象がゲノム情報よりも重要であるとか、エピジェネティックな情報はゲノム情報に取って代わるものであるということを意味するわけではない。つぎに、エピジェネティクスはパラダイム転換をもたらすほどのインパクトのある概念なのか、という疑問か生まれる。

 ■トーマス・クーンとパラダイム転換■    2021年1月4日(月) 7:02 修正
 ポパーと並んで有名な科学哲学者といえば、トーマス・クーンだ。ターンの名前は知らなくとも、クーンが提唱した「パラダイム」という言葉はとこかで聞いたことがおありだろう。パラダイムとは、クーンの著した科学哲学の古典『科学革命の構造』(みすず書房)で用いられた言葉である。

クーンは、現在よく使われているような広い意味でパラダイムという言葉を使ったわけではない。クーンが提唱したパラダイムという概念は、科学者を含む・同時代のほぼすべての人が信じきっている理論的枠組み、とでもいうべきものである。たとえば、かつては大動説というパラダイムがあった。いまから見るとおかしな考えだが、その時代には、最高に知的な人たちもその考えを完全に支持していたのだ。

 仮説は反証によって棄却される、というのかポパーの考えであった。それに対してクーンの考えるパラダイムは、たとえ反証が示されても簡単に崩れ去ることはなく、反証を取り込んだかたちで理論を再構築しつづけ、維持されていく。たとえば、天動説のパラダイムでは当初、惑星の逆行運動をうまく説明することができなかったが、その不自然な運動を説明するために周転円の考えを導入したことでパラダイムとして生き残れたというように。

 時代にひろく受け入れられている「通常科学」は、パラダイムを維持する慣性力をもつ。しかし、パラダイムに反する「異常科学」の挑戦を受けつづけると、パラダイムは次第に維持しきれなくなっていく。そして、その挑戦にいよいよ持ちこたえられなくなったとき、次のパラダイムへと転換か起こる。これか、クーンによるパラダイムの概念である。

 クーンは、もともと物理学を学んだこともあって、物理学の歴史にもとづいてパラダイムの概念を提唱した。生物学の分野でも前成説から後成説への転換、体液説から細胞病理説への転換など、パラダイム転換の例はある。しかし、歴史的に見て、生物学では物理学ほどに大きなパラダイム転換は多くない。

 エピジェネテイクスという学問分野も、遺伝学やゲノムといったパラダイムが転換して現れたものではない。遺伝学やゲノム、あるいは、遺伝子と表現型の関係をより詳しく調べる中で見つけられ、進歩してきた学問分野と考えるのが妥当である。期待をかけるあまり、エピジェネテイクスをパラダイム転換であるかのように論じる人もいるか、その点については注意が必要だ。この問題については、最終章でくわしく考えてみたい。

 ■関係性のレベル■    2021年1月4日(月) 7:02 修正
 エピジェネテイクスは、従来のパラダイムを否定するものでもなければ、新しく取って代わるものでもない。では、エピジェネティクスは、現代の生命科学においてどのように位置づけられるのだろうか。生命現象とエピジェネテイクスとの関係性は、おおまかにいえば、次のようなカテゴリーに分けることかできる。
@エピジェネテイクスだけでほぼ説明できる現象
Aエピジェネティクスも関与している現象
Bエピジェネティクス以外では説明か難しい現象
Cエピジェネティクスが関与している可能性がある現象
Dエピジェネティクスは関与していない現象

 @は、ある現象にエピジェネティクスが深く関与しており、エピジェネテイクスの概念だけでほぼ説明できる現象である。次章で解説する「ゲノム刷り込み」という現象は、これにあたるといってよい。

 Aには、記憶や学習といった現象があてはまる。記憶や学習では、神経回路の形成や電気的なメカニズムが重要である。しかし、第3章で説明するように、エピジェネテイクスによる制御も関係していることかわかってきている。すなわちエピジェネティクスだけでは説明しきれないが、エビジェネティクスも関与していると考えられる現象である。

 Bは、少なくとも、現時点における生命科学のパラダイムでは、エピジェネテイクス以外のメカニズムは考えにくい。という現象である。序章で紹介したオランダの飢餓と生活習慣病などはこのカテゴリーにあてはまる。CとDについては、突然変異による遺伝性疾病の発症など、いろいろな例をあげることができるだろう。

 第3章と第4章では、エピジェネティクスに関連する現象をいろいろ紹介するが、それらの現象とエピジェネテイクスとの関係性にはこのような濃淡があることを少し頭にいれておいてもらいたい。そうでないと、エピジェネテイクスというものを過大評価、あるいは過小評価してしまうことになる。このことについては、あらためて第5章で考察する。

 ■ 巨人の肩に乗って?■    2021年1月4日(月) 7:03 修正
 ニュートンの法則というパラダイムを打ち立てたアイザック・ニュートンは、ライバルであったロバート・フック宛ての手紙にこう書いたという。

 「もし私が遠くまで見えたとしたら、それは、巨人の肩に秉ったからです」。

 実際のニュートンはあまり謙虚な人ではなかったようだが、この「巨人の肩に乗って」という言葉は彼の謙虚さを示すものとして、しばしば引用される。ただし、この言葉はニュートンのオリジナルではなく、12世紀、フランスはシャルトルのベルナールが語った言葉らしい。

 それはさておき、近年のエピジェネティクス研究の進展ぶりには目覚ましいものがある。研究者によっては、ニュートンと同じような「巨人の肩に乗って」という感慨をもつ人もいるかもしれない。そうではなくて、少し違う印象をもっている。むしろ、「巨人と同じ目の高さで望遠鏡を使って覗いている」といったような感じだろうか。

「より高い場所から眺め、より遠くの景色まで見えるようになった」というよりも、レンズをとおして「より鮮明に見えるようになった」というイメージなのだ。第3章、第4章では、いろいろ不思議な生命現象の景色をエピジェネティクスの望遠鏡で眺めて、「うわぁ、こんなに面白いのか」と驚き楽しんでもらいたいと思っている。

 ただし、望遠鏡にはデメリットもある。拡大して見ることによって、景色の全体ではなく、景色の一部しか見えなくなってしまう点だ。エピジェネティクスの望遠鏡によって鮮明になった生命現象の景色は数々あるが、その望遠鈍で生命現象のすべてが鮮明に見えるようになるかどうかは、いまのところわからない。エピジェネティクスが生命現象の謎を解く重要な鍵となることは間違いないか、今後の研究の進展を待たなくてはならないだろう。

 エピジェネテイクスとは『染色体における塩基配列をともなわない変化』、もう少し専門的にいえば、「ヒストンの修飾とDNAメチル化による遺伝子発現制御」である。とっつきにくく感じられるかもしれないが、この定義の意味か理解できると、かつてガリレイが望遠鏡をつかって月の表面や土星の環を詳細に観察したように、それまでぼんやりとしか見えなかった生命現象の景色が、手に取るように鮮明に見えてくる。

 ■イレブンの「Epigenetics」」研究ノート■004◇◇◇◇第1章「巨人の肩から遠眼鏡で」=2 エピジェネティクスとは何か=◇◇◇◇◇【出典:仲野徹『エピジェネティクス――新しい生命像をえがく』、2014年5月20日発行、岩波新書、P16より引用)】  イレブン  2021年1月3日(日) 6:54
修正
このエピジェネティクスの理論を正確に理解するためには、どうしても遺伝学の専門的な領域に踏み込むことが必要です。

簡単に言ったらどんなこと、と言うようなところで理解できればいいのですが、かえってそのような理解をしてしまうと多くの誤解をしてしまう危なさがあります。

このエピジェネティクスと言う分野の研究は、現在も世界的規模で凄いスピードで研究が進んでいるのですが、余り一般的な新聞やテレビなどの情報の中で登場することはありません。それは、その基本的な定義を説明するのが簡単ではないため、一般的な情報に載せる難しさがあるためだと言われています。

イレブンも、このエピジェネティクスの理論を理解するのにどうしても遺伝学の専門的な用語を使いこなす必要があるので、ここで引用していく文章を何度も読み返しながら一歩一歩研究を進めているところです。掲載している上の図の意味がやっと理解できるようになってきたところです。

関心をお持ちの方だけ、目を通して頂ければという気持ちで掲載していますことをご了承願います。

 2 エピジェネティクスとは何か  仲野徹  2021年1月3日(日) 7:02 修正
■ワディントンの慧眼■

 エピジェネティクスの”エビ(epi)”とは、「後で」や[上に]という意味のギリシヤ語の接頭辞、ジェネティクスは遺伝学を意味する英語である。つまり、エピジェネティクスとは、遺伝子の上にさらに修飾か付加されたものについての学問である。……といいたいところであるし、意味としてはそれで概ね正しい。しかし、実際の語源は違う。20世紀の中頃。「エピジェネシス(後成説)」と「ジェネティクス」の複合語として、イギリスの発生生物学者コンラッド・ワディントンによって提案された用語なのだ。

 ことわっておきたいのだが、エピジェネティクスとは、ひとつの概念であると同時に、その概念が関係する現象、ひいては、学問分野をさす言葉でもある。また、[エピジェネティックなメカニズム」というように用いられる場合は、「エピジェネティクスという現象か関与する」という意味の形容詞である。なかなか良い訳語がないので、すこし多義的につかっていくことをお許しいただきたい。

 発生学という分野には、「前成説」と「後成説」かあった。前成説とは、精子あるいは卵子の中に、生まれてくる子の「小さいひな形」が予め存在しており、生物の発生はその小さなひな形が時間とともに大きくなる過程である、と考える説である。それに対して後成説は、そのような小さいひな形などというものは存在せず、生物の体はまったく形のないところから新しく作り上げられてくる、と考える説である。

 前成説では、精子か卵子の中にホムンクルスのような小人か存在すると考えなければならない。ところか、そう考えると。ホムンクルスの精子か卵子の中にもホムンクルスがあって、そのまた中に………というように、無限に小さなホムンクルスが存在することになってしまう。少し考えただけで、前成説は誤りであるとわかるだろう。

 残るは後成説だが、一つの受精卵からなぜあのように様々な細胞ができてくるのか、そのメカニズムはまったくわかっていなかった。それを説明するためにワディントンの考えついたアイデアが、エピジェネティクスであった。神経細胞や血液細胞のような細胞か「それぞれの表現形を示すようになる過程において、遺伝子がその産物とどのように影響し合うのか」。それが、エピジェネティクスの概念のエッセンスである。

 エピジェネティクスという言葉か最初に発表されたのは、1942年。遺伝子の発現調節機構はおろか、遺伝子がDNAであることすらわかっていなかった。そんな時代に作られた概念であるから、なんだかぽんやりとした定義であることは致し方ない。ワディントンもそう思ったのかどうか知らないが、1957年、「エピジェネティック・ランドスケープ」という概念的な地形図を考案して、あらためて説明を試みている。

 エピジェネティック・ランドスケープでは、ボールが細胞を、ボールの位置か細胞分化の状態をあらわしている。あくまでも概念としてではあるか、図中のいちばん向こう、ボールが最も高い位置にある状態が全能性の状態(どんな細胞にも分化できる状態)である。全能性の状態からの変化は、図中の向こう側から手前側、高い位置から低い位世へとボールが転がり落ちてくることであらわされる。図中のいちばん手前、最も低い位置にあるボールは、場所に応じてそれぞれ神経細胞や血液細胞など、最終的に分化した細胞をあらわしている。

 いったん分化した細胞は、通常、別の種観の細胞にはなれない。このことは、エピジェネティック・ランドスケープの手前側にある谷に落ち込んだ細胞(特定の介化状態にある細胞)は、隣の谷(違う分化状態)には容易に移れないことによってあらわされている。また、細胞分化のプログラムか未分化から分化への一方向にしか流れないのは、ボールは高い位置から低い位置へ転がり落ちるだけで、逆向きには上がれないことによってイメージできる。

 このように考えると、核移植実験におけるリプログラミングという現象の特異さ、困難さかよくわかる。リプログラミングとは、分化した状態の細胞から全能の状態の細胞に変えることであるから、ランドスケープの図でいえば、低い位價から高い位世へと、ボールを逆戻りさせることだ、核移植によるリプログラミングもIPS細胞の作製も、同じように、いわば重力にさからうようなものであり、いかに驚くべきことであるかがわかるだろう。

 しかし、である。この図では、エピジェネティクスの「ジェネティクス(遺伝学)」の部分か勘案されていない、「エピ(後成)」の部分の直感的な理解には役立つが、ワディントンが言ううところの「遺伝子がその産物とどのように影響し合うのか」の説明には不十分だ。

  ■もうひとつの定義■    2021年1月3日(日) 7:04 修正
 エピジェネティクスの定義は、ワディントンによる提唱以来、少しずつ変わってきている。現代的な意味でのエピジェネティクスは、デビット・ナンニーの考えをとりいれたほうが、わかりやすいかもしれない。

 ナンニーは、ワディントンとは独立に、ジェネティック・システム(DNAに規定される遺伝システム)と対比するものとして、パラジェネティック・システムというものを考えていた。しかし、言語学的な理由から。それを「エピジェネティック・システム」という言葉に置き拠えて発表することになった。

 ワディントンは、エピジェネティクスを、発生という動的な現象から発想していた。それに対してナンニーは、動的というよりむしろ安定的で、分裂しても分裂しても細胞の性質が維持されるメカニズムとして考えていたようである。そして、より物質的な観点からエピジェネティクスをとらえていた。分化した細胞の性質は安定しているのだから、エピジェネテック・システムもかなり安定的なものであり、その分子機構は核の中に存在するだろう、ときわめて正しく考察している。

 このように、エピジェネティックな状態は発生・分化の過程では変化するが、分化か終了した段階になるときわめて安定的なものになる。研究者によって考え力が微妙に違うし。歴史的にも様々な考えがあるが、それらのことを考慮にいれて、2008年には、

 ●エピジェネティクスな特性とは、DNAの塩基配列の変化をともなわず、染色体における変化によって生じる、安定的に受け継がれるうる表現型である。

という定義が提案されている、現時点では、これかエピジェネティケスに対する最大公約数的な定義と考えていい。

 「安定的に受け継がれる」ではなく「安定的に受け継がれうる」であることに注意してほしい。細胞か最終的に分化した段階(ボールか谷底で落ち着いた段階)では、エピジェネティックな状態は変わらず、分化した形質か安定的に受け継がれていくようになる。それに対して、分化していく途中の段階(ポールか転がり落ちている段階)では、少しずっではあるか、エピジェネティックな状態か変化していく。細胞は、少し手前のエピジェネティックな状態を維持、あるいは記憶しながら分化していくのである。このように、細胞分化の過程では変化するが、細胞分化か終わると安定的に維持される、ということが、エピジェネティックな状態の重要な特性である。

 エピジェネティクスは、ほ乳類だけに存在する現象ではない、進化的に見ると、その分子的な基本メカニズムは、昆虫や植物はおろか、単細胞生物物である酵母やアカパンカビにも存在する。このように普遍的な生命現象としてのエピジェネティクスを理解する上でもっとも重要なことは、細胞が分裂しても引き継がれうる、DNAの塩基配列によらない情報が存在するという事実である。遺伝情報は、挟い意味では、ゲノムの塩基配列に書き込まれている。そして、学問分野としてのエピジェネテイクスが注目するのは、そこにさらに上書きされた情報なのである。

 ■イレブンの「Epigenetics」」研究ノート■003◇◇◇◇仲野徹「序章 ヘップバーンと球根」◇◇◇◇◇【出典:仲野徹『エピジェネティクス――新しい生命像をえがく』、2014年5月20日発行、岩波新書、P2〜P7より引用)】  イレブン  2021年1月2日(土) 5:21
修正
昨年10月30日に、遺伝学からの研究として、『イレブンの「Epigenetics」」研究ノート』を立ち上げました。

まだよく分からないところもあるのですが、徐々に全体像が見えてきました。この研究ノートには、「Epigenetics」関連の文献から、イレブンが大切だと感じた記述を抜粋して書き留めていく考えです。

そして、レース鳩の作出論の観点から考察を加えながら進めていければと思っています。

イレブンは、このエピジェネティクスという遺伝学の新しい視座から明らかになりつつある理論と、これまで鳩界で語られてきた様々な作出論を結びつけていくことが出来るのではないかと考えているところです。

但し、どうしても遺伝学上の専門用語を踏まえて行くことになるので、全くの専門外のイレブンにとってはチョットややこしい研究となりそうです。

この『イレブンの「Epigenetics」」研究ノート』は、これから2021年の研究の一つとして本格的に力を入れていこうと考えています。興味をお持ちの方は目を通して頂ければと思っています。もし、この方面の専門知識をお持ちの方がおられれば、是非ご教示頂けばと思っています。よろしくお願いします。

   ■第二次世界大戦末期のオランダで■  仲野 徹  2021年1月2日(土) 5:25 修正
 1944年の冬、オランダは記録的な寒さに見舞われた。時は第2次匿界大戦末期。悪いことにドイツ軍による食糧封鎖が重なった。その結果、オランダ西部の住民は、一日あたり1000キロカロリー以下しか摂取できないという飢餓状態に陥り、11万人以上が亡くなった。当時15歳のバレリーナだった、あの『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンもこの飢餓を経験し、チューリップの球根の粉で作った焼き菓子を食べてまで生き延びた一人である。ほんとうのところはわからないが、ヘップバーンが華奢な体型で健康に恵まれなかったのは、この飢餓の影響があったのではないかと考える人もいる。

 その飢餓のさなかに妊娠している女性もたくさんいた。赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる期間はおよそ9ヵ月であり、発生の特徴から胎生前期、胎生中期、胎生後期に分けることかできる。胎生後期に飢餓を経験した赤ちゃんの出生時体重は極度に低かった。そして、十分に栄養がとれるようになってからも、小さく病弱な子が多かった。

 それに対して、胎生前期に飢餓を経験した赤ちゃんは、・中期・後期に成長か追いつき、おおむね正常な体重で生まれてきた。しかし、飢餓から半世紀がたち、詳細な疫学的解析がおこなわれ、驚くべきことがわかった。胎生前期に飢餓を経験した人は、高血圧、心筋梗塞などの冠動脈疾患、2型糖尿病などといった生活習慣病の罹患率が高かったのである。さらに、統合失調症など神経精神疾患にかかる率も高いという。

 どう考えても不思議だ。生まれる前におかれた環境の状態が、50年もたってから健康に影響するというのである。戦時下における飢餓という特殊な状況が関係しているのだろうと思われるかもしれない。しかし、決してそうではない。バーカーという英国の疫学者が、平時であっても、胎児期の環境が後の健康状態に影響を与えるという報告をおこなっている。

 バーカーは、ふとした思いつきから、生まれたときの体盾と、半世紀たって中年になってからの疾患との関係についての疫学調査をおこなった。その結果、ある相関か明らかになった。生まれたときの体重が低いほど、高血圧や糖尿病といった生活習慣病のリスクか高いというのだ。

 この現象は、胎児期に十分な栄養かなかった場合、できるだけ栄養を取り込むように「適応にしてしまったからではないか、と解釈されている。お母さんのおなかの中にいたときのまま低栄養に適応した状態が継続しているのに、大きくなってから普通に栄養を摂取してしまうと、相対的に栄養が過剰な状態になってしまう、という説明である。

 この二つの現象を理解するには、何らかのかたちで、何十年にもおよぶ「記憶」が体に刻み込まれていたと考えるしかない。あるいは、「体の中のどこかの細胞に記録されていた」と言ったほうがより正確だろう。しかし、そのように長期間にわたって細胞の中で安定的に維持されるものとは、いったい何なのだろうか。

 遺伝?違う。この現象は親から引き継がれたものではない。遺伝的な形質は、母親と父親から、それぞれ卵子と精子を経由して、子どもへと受け継がれていくものである。しかし、さきほどの2つの疫学調査の結果は、胎児期の環境、すなわち卵子と精子か受精した後の環境によって決定されたものである。したがって、この現象は親から子へと遺伝的に受け継がれたものではない。

 では、胎児期の低栄養状態によってDNAの塩基配列に異常を来したのであろうか?これも違う。ある種の化学物質や放射線がDNAの塩基配列の異常、すなわち突然変異をひきおこすことは知られている。しかし、たんに栄養状態が悪いからといって、DNAに突然変賢が生じることはありえない。

 では、いったい何なのだろう?遺伝でもない。.DNAの塩基配列の変化でもない。‘しかし、細胞における何かか書き換えられ、それか長期間にわたって維持されうるメカニズムか存在する。そのメカニズムとは何なのだろうか?それこそが、この本のテーマ。エピジェネティクスなのである。

 ■エピジェネティクスの守備範囲■    2021年1月2日(土) 5:26 修正
 エピジェネティクスは、胎生期における栄養状態と生活習慣病の関係だけでなく、生命の維持そのものに根源的な現象であることがわかっている。たとえば、たった一個の受精卵から200種類以上もある細胞か分化して、われわれの体ができてくる。それは、真っ白な状態から、それぞれの細胞に特有なエピジェネティック状態が書き込まれていく過程でもある。また、そのようにして分化した細胞から、どんな細胞へも分化か可能な多能性幹細胞である。IPS細胞へとリプログラミングされるという現象は、エピジェネティックな状態がふたたび白紙にもどされるということなのである。

 病気についても、生活習慣病だけに関係しているわけではない。がんの発症にもエピジェネティクスか重要であることがわかってきている。それどころではない。ある種のがんは、エピジェネティックな状態を変化させる薬剤によって治療することが可能であり、すでに臨床的に用いられているほどだ。

 学習や記憶というのは神経活動であるから、神経細胞の電気的な興奮が重要である。しかし、それだけではない。最近の研究では、エピジェネティックな状態の変化が必要である、ということも明かになってきている。いってみれば、細胞レベルでのエピジェネティックな『記憶』は、一般的な意味での記憶にも必須なのだ。さらに、プレーリーハツカネズミという動物では、婚姻関係の成立にまでエピジェネテイクスが重要な役割を果たしていることが報告されている。

 ほ乳類だけでなく、昆虫や植物でもエピジェネティクスは重要な働きをもっている。ミツバチでは、ロイヤルゼリーか与えられた雌だけが女王バチになり。それ以外は働きバチになる。この現象にもエピジェネティクスが深く関係している。夏の暑い日に涼しさを与えてくれるアサガオ。斑や絞りといった模様かできるメカニズムも、じつはエピジェネティクスなのだ。

 こうした不思議な生命現象はなぜ起こるのか?本書ではそのメカニズムかよく理解できるように、中味を工夫した。第1章では、まず、核移植実験の例などをあげながらエピジェネテイクスの概念を説明していく。つづく第2章では、エピジェネテイクスの分子生物学について解説する。分子生物学というと難しそうに思われるかもしれない。しかし、本書では面白い現象を理解するのに必要最低限のことだけを、正確さを損なわずにできるだけやさしく説明してあるので、おつきあいいただきたい。いわば、ここまでが基礎編になる。

 第3章は、ロイヤルゼリーと女王バチ、ネズミの婚姻関係など、いろいろな生命現象について詳しく紹介し、分子レベルでの説明をおこなっていく。そして、第4章は、がんや生活習慣病といったさまざまな病気において、エピジェネテイクスがどのように関係しているかについてのお話である。第5章では、非コードRNAやエピゲノムといった新しい領域について説明し、そこまでの話すべてを受けて、エピジェネテイクスについて、もう一度考え直してみる。そして、最終章では、エピジェネティクスというものの生命科学における位置づけから、その将来像について考えてみたい。


◇イレブン◇
※画像挿入
※関連情報
女王バチへの分化を誘導する因子ロイヤラクチンの発見
鎌倉 昌樹
(富山県立大学工学部 生物工学研究センター
http://first.lifesciencedb.jp/archives/2957

 2021年 明けましておめでとうございます。  イレブン  2021年1月1日(金) 6:53
修正
 皆様、2021年 明けましておめでとうございます。

 今年こそは、皆様方にとっても、イレブンにとっても、明るい希望が開ける1年でありたいと願っております。先が見えない、様々な不安が時代だからこそ、夢や希望を持って生きることが大切になってくると思います。

 レース鳩という趣味は、絶えずそうした夢や希望を持っていける楽しみがあるところが素晴らしいと思ってます。

 今年も一段と源流系の確立に向けて更なる精進と研究の深化に向かって努力していく決意です。
 本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

さて、昨夜大晦日の夜は、定番中の定番、NHK紅白歌合戦を観ました。初めての、無観客ステージでの開催でしたがとても素晴らしい内容でした。掲示板をご覧の皆様もきっと多くの方がご覧になったことと思います。こうした時代の中での開催だけに、人々に元気を与えるような歌が沢山あったように思います。

イレブンは、かつて終戦前後の歴史に関わる研究をしたことがあるのですが、このNHK紅白歌合戦の原型が最初に行われたのはなんと終戦の年の1945年の12月31日だったそうです。終戦僅か4ヶ月後に歌合戦が開催されていたのを知りとても驚いたことがあります。

昨夜の無観客紅白歌合戦を観ながらそんなことを思い出しました。

今年は、静かなお正月となることと思いますが、皆様、良いお年をお過ごし下さいませ。

令和3年 元旦 イレブン

 2020年 大晦日の朝  イレブン  2020年12月31日(木) 7:53
修正
パンデミックで世界が一変してしまった2020年。12月31日の朝は、うっすら雪化粧でした。

このコロナ禍の状況は、マラソンで例えると、まだ10キロ地点だそうです。まだ先は長いようです。

そんな中で、日本中が「静かな年末年始」を迎えることも、これまで経験したとがありませんね。イレブン家も自宅で静かに過ごす予定です。

寒い朝でしたが、今朝も選手鳩達は元気に飛び立っていきました。しばらくは、帰って来ません。コンデションは上々のようです。

皆様、良いお年をお迎え下さいね。

 ■■『Piet de Weerd 研究』038■■  [ピート・デヴィート回想録038「M.デスメットの栄光」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1999年1月号 )  イレブン  2020年12月27日(日) 8:33
修正
様々な意味で多くの人々に長く記憶に残されていく2020年もあと僅かになりました。この『Piet de Weerd 研究』を始めたのは、2020年6月19日です。緊急事態宣言が解除されて間もない頃でした。

この半年ほどの間にピートさんの回想録も38回までたどり着きました。月間連載の3年分ほどです。関連資料をできるだけ収集しながらすすめているので遅々として進まないのですがイレブンとしては、結構楽しみな研究となっています。当分は、掲示板に書きっぱなしですが時間がとれるようになったら、キチンと整理したいと考えています。

交通事故で64才で亡くなったマルセル・デズメットに対するピートさんの評価は、デルバールと並ぶほどの評価の高さです。この回でもピートさんは、「濃密な近親交配」の重要性を指摘しています。以下に抜粋しておきますね。

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●しかしながら、玄人ならば多分マルセル・デスメットを推すでしょう。マルセル・デスメットは長距離ではおそらく最も多くの賞をさらいました。それはステッケルボートの卓越したクラスと、マルセル・デズメットがそれらの鳩を使った交配の賜物にほかなりません。同様のことはドイツのハインツ・フルゴニ、ベルギーのエミール・ドウーウェールトにも言えます。

●私たちはヤンセンについて語り、とりわけ近親交配について見てきました。ヤンセンは独占しませんでした。そもそも鳩の育種に特許などというものはありません。

●アロウ・ステッケルボートも同じく大成功をおさめました。近親交配によって活力が失われていると信じている者は間違っています。淘汰されたものは生き残り、いっそう強化されるのです。

●”ローセレ”はドゥヴリーントの”ズワルテバンド“やデマレットの”ヴァーレ・ブリクー“(※イレブン:ミュニエ号のこと)と同レベルの鳩でした。種鳩としても両銘鳩と同様に傑出していました。リングナンバーは48−3447865でした。この気性の荒い鳩は、つかんだときに「腹と背に肉がなく翼が薄い」銘鳩の原型でした。ギブアップするくらいなら死んだほうがマシというファイターで、どんな天候のもとでも、どれほど強風が吹こうと、いつも先頭を飛びました。

 ・  □   2020年12月27日(日) 8:46 修正
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 1952年、ワーレヘムのマルセル・デスメットはベルギーチャンピオンの座に輝いた。主に長距離で活躍した彼の強みはステッケルボート系のトリを卓越した手腕で交配し、優秀なレーサーを作出したことにある。”ローセレ“”タンメ“そしてバルセロナIN優勝の”バルセロナ”いずれ劣らぬ銘鳩たちである。

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 ■マルセル・デズメット。気高きチャンピオン■ (前回の続き)  Piet de Weerd   2020年12月27日(日) 8:48 修正
 ”カスタール“は1975年バルセロナINで8301羽中優勝、1980年ペルピニャン1053羽中優勝を果たしました。

 ジュリアンは50年代にレースをバルセロナー本に絞り始めました。それによって彼は成果を上げただけでなく、世界的な名声も獲得したのです。その生涯で達成した最高の結果は、1969年のバルセロナレースです。

 それは困難なレースでした。2日目の夜までに8217羽中24羽しか帰舎しませんでした。放鳩は7月11目午前7時40分でした。このとき、2羽の鳩が分速800メートル以上で飛びました。それらは私が、一番好きなタイプのトップレーサーでした。

 この2羽は3位に1時問も差をつけました。1羽はデスメット=マタイスに由来するマールケ・ケルケム在住オプソール・デメリエールの”バロン”、もう一羽はヘリネス・レ・ペック在住レオポルト・クドゥーのトリです。

 私はフィリップスの代理人で、ワシントン州はミシガン湖に近いフォンド・ドゥ・ラックに住むアメリカ人のロバート・キングを、雪と氷をついて自宅に訪ねたとき、クードゥのこと話しました。それから二人はパートナーシップを結び、成功を収めたのです。

 バルセロナINでジュリアン・マタイスは6位、10位、28位、58位に入賞しました。彼の有名な”ランゲ・バルセロナ”63-3108131は4位でした。この鳩はそれまですでにアングレームでは5回入賞し、バルセロナでも5348羽中5位の成績をおさめていました。

 その父はミッシェル・デスカンプス=ヴァンハステンの”アウデ・アイゼレン”54−3037704と、”ベイテル“の娘56-3019229のペアから生まれた”アイゼレン“59-3433852です。

 ”ランゲ・バルセロナ”63−3108131の母は、オーステンデに住むマウリス・ヴァンデヴェルデのサン・バンサンN優勝鳩と、ジュリアン・マタイスのカオールN優勝鳩の娘とのクロスによって生まれました。この鳩は、オークションで記録的な落札価格で日本に売られました。このときジュリアンは85歳でした。

 私は50年代以前にさかのぼるつもりはありません。当時、フランドルにはデスメットという名のブリーダーが3人いました。ヘラールズベルヘンのヘクトール・デスメット、ワーレヘムのマルセル・デスメット、そしてワーレヘムに近いノーケレに住むヴァレール・デスメット=マタイスです。皆さんが私にどの鳩が一番好きだったかと聞かれても、答えるわけにはいきません。

 しかしながら、玄人ならば多分マルセル・デスメットを推すでしょう。マルセル・デスメットは長距離ではおそらく最も多くの賞をさらいました。それはステッケルボートの卓越したクラスと、マルセル・デズメットがそれらの鳩を使った交配の賜物にほかなりません。同様のことはドイツのハインツ・フルゴニ、ベルギーのエミール・ドウーウェールトにも言えます。

 私たちはヤンセンについて語り、とりわけ近親交配について見てきました。ヤンセンは独占しませんでした。そもそも鳩の育種に特許などというものはありません。

 アロウ・ステッケルボートも同じく大成功をおさめました。近親交配によって活力が失われていると信じている者は間違っています。淘汰されたものは生き残り、いっそう強化されるのです。

 ■ 非凡なローセレとその仲間たち ■    2020年12月27日(日) 8:49 修正
 1952年のベルギーチャンピオン、マルセル・デスメットがかつて作った最高の鳩は、私の意見では”ローセレ”です。目の縁(ふち)が赤ないし桃色で、見た目は良くも美しくもありませんでした。

 ”ローセレ”はドゥヴリーントの”ズワルテバンド“やデマレットの”ヴァーレ・ブリクー“(※イレブン:ミュニエ号のこと)と同レベルの鳩でした。種鳩としても両銘鳩と同様に傑出していました。リングナンバーは48−3447865でした。この気性の荒い鳩は、つかんだときに「腹と背に肉がなく翼が薄い」銘鳩の原型でした。ギブアップするくらいなら死んだほうがマシというファイターで、どんな天候のもとでも、どれほど強風が吹こうと、いつも先頭を飛びました。

 以下に”ローセレ”の輝かしい黙歴を掲げます。リモージュN2165羽中63位、ブリーブN1921羽中3位、破滅的なチュールNでは4212羽中72位、シャトローN6900羽中5位。このときは鳩舎に入るうとしなかったために、デスメット=マタイスの”クラーレ”に優勝を奪われてしまいました。ブリーブN1423羽中89位、リモージュN1323羽中34位、ブリーブN3465羽中17位、カオールN2293羽中3位。このレースで放鳩当日に帰還した鳩は3羽だけで”ローセレ”は夜10時過ぎに真っ暗闇のなか帰舎しました。リボルヌN1900羽中2位、天気が悪く、雨と霧に悩まされたレースでした。そしてアングレームN51位。

 ”ローセレ”はカルカソンヌNで優勝して自動車を獲得した”バールト”と、”スレヒトペンネ”の全兄弟です。いずれ劣らぬ銘鳩でした。父親はニウウェンホーヴェ・ワーレヘム在住デスメット兄弟のステッケルボートです。この兄弟は当時長距離の強豪として鳴らし、”ドクス“を作出したレミ・ハデイネがその系統を確立する際も助言を与えました。

 この系統からウィールスペーケ在住ヴァンデンブルッケ・ドゥウェールトの”ネロ”が輩出しました。”ネロ”はナショナルで優勝2回、2位と3位各1回という戦績を残しました。

 ”ローセレ”の母親はアロワ・ステッケルボートの純系です。”ブレーケ”34-3236983と、その母”アウト・ズワルチェ”32-3313677という、かつて存在した最高のカップルのひとつから生まれました。
 ”タンメ“48-3447829も素晴らしいレーサーでした。ステッケルボートとドゥヴリーントの配合によって作られました。賞歴はリボルヌN4524羽中7位、リモージュN1948羽中48位、カオールN2313羽中10位、ブリーブN1423羽中59位、リモージュN1328羽中13位です。その間に、ボルドーから2位に半時間の差をつけてコルトレイクに帰還しています。

 マルセルは1957年にアンタント・ペルジュのナショナルチャンピオンになりソワール杯を受賞、その翌年にはクレヘムセンターの準ナショナルチャンピオンになりました。1959年、彼は2羽の鳩をバルセロナに送り、優勝と51位を獲得。優勝した鳩は。”ローセレ”の従兄弟で、1時間ぶっちぎりでした。マルセルはヘイゼヘム在住ブルッセール牧師およびファンブリアーナとの交配で大成功をおさめました。

 マルセルの鳩と才能をもってすれば、長年にわたり全国の上位10位内にランクされたとしても不思議ではありませんでした。しかし、1971年4月10日、交通事故による早すぎる死がそれを妨げました。64歳でした。彼は鋼鉄の肉体を持った頑強なスポーツマンでした。

 友人としては、デルバーにも匹敵しました。誰かが彼のもとにやってきて良い鳩をねだると、いやとは言えませんでした。1959年にバルセロナINで優勝したとき、私はお祝いを言うために彼のもとに行きました。そのときマルセルはおよそ次のような言葉で私に謝りました。

 「ピート、当時僕が君をちっとよく知っていたら、この母鳩(”ローセレ”の妹)は君に譲っていただろう。この鳩がまだ若いときに君が何度も頼むので、僕は良い鳩だということが分かったのだ」。

 マルセル・デスメットはそういう男だったのです。あの呪わしい事故のことを聞いたときはショックでした。

 マルセル・デスメットは私のために、ロッテルダムのハンス・ワッセンのために、そしてデルフトのアート・アルセムヘーストが系統を確立するために、ありとあらゆる労を惜しみませんでした。そこで私は、以下に彼の鳩について重要なデータを記したいと思います。
 彼が所有していたステッルボートの母は、1943年の雌鳩で、”アウト・ズワルト” ”フーデ・ブレーケ””フーデ・ズワルテ“そして”オプヘブラーゼネ”にさかのぼります。4羽とも直系の先祖です。リングナンバーはステッケルボートについて書いた箇所に掲げました。

 マルセルはデスメット兄弟を経由して”才プヘブラーゼネ”の直子を手に入れましたが、この鳩は後にワーレヘム近郊のヴェイヴェ・サンテロアに住むマウリス・ヴァンテームセ
牧師のもとに行きました。

 それは1943年の黒鳩でした。この鳩は、私たちが便宜上マルセルの基礎鳩と呼ぶ雌鳩と配合しました。このカップルが作られたのは1944年で、その後数年間一緒でした。そして”ローセレ”48-3447865や、最良の種鳩”ヘブーケン・ペン”44-319647を生みました。私かあまり好きでなかった”プラッテコップ“51-3369057は、ラウヴェの市長ルドルフ・ヴェルフーヴェの鳩舎のチャンピオン鳩、いわゆる”パウ・ファン・ラウヴェ“から出ています。

 マルセルの別の有名な鳩は”ケールケ”50-3047089でした。母親は”43“と同じですが、父親は”ブルッセール”すなわち”コミン”でした。この母親はやはり別の雄鳩との間に、青い雌種鳩を生みました。その子供がアンドレ・ファンブリアーナの53年の有名な”ウィッテリュッヘ”です。彼は常に慎重で、よく吟味しないで買うようなことはめったにありませんでした。

 ”タンメ“48-3447829は4分の3がステッケルボートで、4分の1がドゥヴリーントでした。この雄鳩は”コッピ雌“51-3369353と12年問カップルでした。ルドルフ・ヴェルフーヴェとマルセル・デスメットは一緒に、この雌鳩をなんとかアンドレ・ファンブリアーナから手に入れたのです。

 この雌鳩は”コッピ“と46年の”フーデ・ズワルテ”の娘との間に生まれました。その姉妹は、ヘラールズベルヘンのヘクトール・デスメットのもとであの比類ない”クレイネ・アスフラウウェ”を生みました。
  ”ケールケ“50-3047089は、私の意見では卓越した品質の鳩ではありませんでした。といっても、モントバーンNで6位に入賞したことがあります。

 父親はロベルト・レ・フェビューレの鳩舎の有名な”ブレーケ・パストール”すなわちブルッセール=コミン系でした。私はこの鳩を何回かつかんだことがあります。”ケールケ“は”ローセレ”の母、すなわち43年の”アウト・ステッケルボート“との問に、チャンピオンを生みました。

 兄弟の”ヨング・ケールケ“51-3369038は”ローセレ“の姉妹(私はこの雌鳩が欲しくてでヴァンデンブルッケに・「もし手放す気があるなら、幾らでも払う」と言ったことがあるくらいです)との問に”クラック”53-3301111を生みました。

  ”クラック“の賞歴は、カオ−ルN1709羽中4位、リボルヌN48位、サン・バンサンN979羽中18位などでした。”クラック“は”スホーネ“52-3196506と配合しました。
 ”スホーネ“はマルセル・デスメットの古い基礎鳩の兄弟と、金メダルを獲得した”口-セレ”の姉妹との間に生まれました。この雌鳩は再三話題になりました。その子供を買い、あるいはプレゼントしてもらった人達はみな満足しました。

 バルセロナINでバーレルヘーゲルに住ロベルト・レ・フェビューレの2位に時間の差をつけて優勝した”バルセロナ”55-3369038は、上述した”ヨング・ケールケ”54-3369038から生まれました。“ヨング・ケールケ“はステッケルボートの”ヴィットオーク“51-343681の娘との間に”クラック“を生みました。

”ヴィットオーゲ“はステッケルボートの”ヨンゲ・ビヒター”の兄弟”クレヨネ“から生まれました。
  ″ヴィットオーグ”は、オーステンデ在住シャルル・ファンデルエスプトの鳩舎で生まれました。その父親はバルセロナ“46-3099935、ヴァンデヴェルデ=シオンでした。
 
私はこの”バルセロナ”の母親をヴァンデンブルッケのために買いました。この雌鳩は最初はいびつな卵を産み、それから殼の柔らかい卵を産み、やがて全く産まなくなりました。”バルセロナ”は1950年にバルセロナINで6位に入賞しました。
 ”ヴィットオーグ“の母親はヘラールズベルヘンのヘクトール・デスメットが、リュクサンブール在住フランツ・ヘントゲスの非常に古い雄鳩と、ドクター・ブリクーの雌鳩を掛け合わせて作出したものです。このブリクーの雌鳩が生んだ娘は、デールレイクのアングレーム・プロヴィンシャルで高温と逆風に耐えて優勝しました。放鳩当日に帰舎した唯
一の鳩でした。
シャルルーファンデルエスプトはこの雌鳩の半兄弟を二羽もっていました。色は赤とベールトーンでした。この兄弟はサンーバンサ
ンN三位、バルセロナーN十六位、カルカソンヌN四七位、ポーN二三位、サンーセバスチャンN七位などの成績を上げました。


 源流系選手鳩 20-03606  B♂ (ゴールデンモンスター号×クイン2世号)  イレブン  2020年12月19日(土) 17:09
修正

 ・  イレブン  2020年12月20日(日) 6:01 修正
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 ・  イレブン  2020年12月20日(日) 6:01 修正
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 ・  イレブン  2020年12月20日(日) 6:02 修正
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 ・  イレブン  2020年12月20日(日) 6:03 修正
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 ・  イレブン  2020年12月20日(日) 6:04 修正

 ・  イレブン  2020年12月20日(日) 6:05 修正
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 ■■『Piet de Weerd 研究』037■■  [ピート・デヴィート回想録037「60年代を飾った強豪たち」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年12月号 )  イレブン  2020年12月19日(土) 6:14
修正
ピートさん回想録は、1960年代の数多くの強豪達の活躍を語ることで、ステッケルバウトの銘血の伝播を語っていきます。

それにしても、ピートさんがここで紹介していく銘鳩達の桁外れの記録内容には驚いてしまいます。レース鳩の世界において銘血の力の重要性がひしひしと伝わってきます。

まだしばらく、ステッケルバウト系の話題は続きます。

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●最近、1983年サン・バンサンNは破滅的なレースだったと報じた記事を読みました。しかし、実際にはトルンにあるラリュー・ヴァンードールンの鳩舎には夜27羽中20羽が戻り、ヘンフストデイクのベルトゥス・ヴェイネッカーでは14羽、ステーンベルヘンのシャレルチェ・ドゥ・ウェールトでも同様に14羽帰舎していたのです。

●夜間をはさむ1000ロメートルーレースを破滅的なレースなどと呼ぶべきではないでしょう。レースは青空のもとで行われ、天候の異変もなかったのですから。このレースが多くの出場鳩にとって困難だったとすれば、それはそれらの鳩に肉体的な条件が欠けているからです。彼らは山を降りるエネルギーはありあまるほど持っていても、山を昇る力に不足しているのです。

●1981年と1983年のサンーバンサンでは、数多くのヤンセンが入賞タイムで帰還しました。交配組も近親交配組もですが、そのほとんどが交配組だったのは当然です。その年は、交配によって生まれた鳩は近親交配より千倍も多かったのですから。これは統計の問題です。

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 ・    2020年12月19日(土) 6:22 修正
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 西フランドル連盟で連続3回チャンピオンに輝いたミッシェル・デスカンプスト=ヴァンハスデンは、盗難により致命的なダメージを受けた。しかし、その後も彼は銘鳩を次々と生み出している。長距離レースの無冠の帝王ことポール・ボスティンはデスカンプスの最良の友人の一人であった。

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 ■銘鳩の宝庫■  Piet de Weerrd  2020年12月19日(土) 6:23 修正
 ミッシェル・デスカンプス=ヴァンハステンは1955年に2歳鳩、3歳鳩、4歳鳩を全部盗まれました。たいていの人はこんな不幸に遇えば生き延びられないでしょう。しかし、彼の2番目の鳩舎は、次々と銘鳩を生み出す宝庫だったのです。

 ミブノエルは「西フランドル連盟しで連続3回チャンピオンになりました。3回王座に着けばもう皇帝です。この輝かしい進軍は1960年まで続きました。最後の年、彼はアンタント・ベルジュの国内長距離選手権で優勝しました。その当時彼がもっていた最高の種鳩は。クレイネ・クレヲチ54-3292353で、幾分青ゴマでした。これは、”ヨング・ペイテル“の全兄弟で、リモージュ60-3045153(1963年フランコ・ペルジュ・リモージュ優勝)、Jフング≒フスウェイン≒ ″ヴィットガー”を生みました。

 ミッシェルの60年代における最良の友に、偉大な鳩のエキスパート、ポール・ボスチンがいました。

 60年代の始め、アウデ・アイザレン54-3037704はバルセロナ雌”50-3060621とクロスして大きな成果を生みました。このカップルから生まれた最良の鳩にアイザレンフ24“と、ジュリアン・マタイスの鳩舎を財界的に有名にしたJフング・バルセロナ‘の父がいます。

 この2羽の兄弟と姉妹はファンネのもとに行きました。彼は大変な情熱と厚い札束をもって、良い鳩を探し回っていたのです。

 ヴェレーツケは”724“を買いました。が、このとき彼が支払った金額からすれば、むしろ贈り物にもらったと言うべきかもしれません。

 ”アイザレン724”は1960年ボルドINで2350羽中3位になりました。この困難なレースで”724”より速く飛ぶことができたのは、カトリスの”フィガロ“とデスメット=マタイスの”ドライアー”だけでした。同じ年、”724“はダクスNで870羽中11位、そしてリブルヌINではついに1080羽中優勝を果たしました。それにより”724“はその年のナショナル・エースピジョンとアンタント・ペルジュのチャンピオンになりました。1962年アングレームNでは、この雌鳩は1761羽中8位に入りました。

 ヴェレーツケは”724“のほかに”フィガロ“も買い取りました。オークションがあったとき、私はちょうどブリュッセルにいました。でも、私は”フィガロ”も”90”も買いませんでした。買おうと努めることさえしませんでした。それらの鳩は偉大さの片鱗も
なかったし、そのうえサルモネラ菌をやどしているという噂がとびかっていました。それは本当だったかもしれません。でもでヴェレーツケはまったく意に介さなかったのです。そうしたことは、ピジョンスポーツの世界ではよく起こります。

 ポールーボスチンは”724“の直子を二羽手に入れ、彼の最良の種鳩でベノ元の妹。700“とクロスしました。。700“はボスチンを70年代長距離レースの無冠の帝王にした鳩です。

 ポールは私に白分か所有している。リモージュ“63-3405484(ミッシェル・デスカンプスに由来する純系ステッケルボート)と、カトリスの雌鳩62-3002538のペアから生まれた青の娘をくれました。私はこのトリをエッセン・ルール在住のア(夕Iマンに売りました。

 これには面白い話があります。その雌鳩はペルントーア(ターマンのもとで、私か1年前に持っていったカウェンペルフのつがいから生まれたヤンセンと配合されました。このペアから雄鳩0544177-83が生まれ、第9地区(会員5500人)のマットフェルトに住むディーツ兄弟に贈られました。

 この雄鳩は、”コメート“ (彗星)と名付けられ、平均4000羽が出場したレースで7回の優勝を果たしました。1979年には同地区のエースピジョン(卜とフチャンピオン)となり、同時にドイツ全国伝書鳩連盟のコンテストでもチャンピオンになりました。ア(夕Iマンは鳩はもっぱらブレグにある私の鳩舎から買っていました。

 その結果、ヤンセンとボスチンの配合がドイツ中に広まったのです。ヤンセンとのクロスは、世界いつでも、どこでも勝利をおさめ、その数は実に限りがありません。

 最近、1983年サン・バンサンNは破滅的なレースだったと報じた記事を読みました。しかし、実際にはトルンにあるラリュー・ヴァンードールンの鳩舎には夜27羽中20羽が戻り、ヘンフストデイクのベルトゥス・ヴェイネッカーでは14羽、ステーンベルヘンのシャレルチェ・ドゥ・ウェールトでも同様に14羽帰舎していたのです。

 夜間をはさむ1000ロメートルーレースを破滅的なレースなどと呼ぶべきではないでしょう。レースは青空のもとで行われ、天候の異変もなかったのですから。このレースが多くの出場鳩にとって困難だったとすれば、それはそれらの鳩に肉体的な条件が欠けているからです。彼らは山を降りるエネルギーはありあまるほど持っていても、山を昇る力に不足しているのです。

 1981年と1983年のサンーバンサンでは、数多くのヤンセンが入賞タイムで帰還しました。交配組も近親交配組もですが、そのほとんどが交配組だったのは当然です。その年は、交配によって生まれた鳩は近親交配より千倍も多かったのですから。これは統計の問題です。

 ほかにもステッケルボートの近親交配で業績を残したトップブリーダーがいます。マルセル・デズメット、ヘラルド・ファンネ、アンドレ・リータール、デネイス兄弟、ヴァンテームセ牧師です。ヴァンテームセ牧師はプール地域に優秀な鳩を売り主したが、ゼーグミュラーはそれらの鳩で世界的に有名になりました。

 純粋なステッケルボートで数年間好成績を残した愛鳩家に、ラウヴエに住むフランス・クローツとレミ・ドゥボワがいます。フランスは1943年の”アウデ・ブレーケ”の息子を持っていました。その賞歴はアングレーム優勝、ボルドー優勝、サンーバンサン2位などです。

 が、フランスの”ボレ”はもっと優秀で、強敵を押さえて勝利をおさめた有名な長距離レースは5つを下りません。たとえば、ドールダン(ヘルーヴエ)1109羽中優勝、オルレアン(ルーセラーレ)1000羽中優勝、これらは強力なフライターたちが競って名を揚げようとする有名なレースです。

 ドッテネイスのアルベルト・ドゥハンとエルソーのエミール・デュポンはこれに成功しました。ヴァンブルアーンが彼の”フーデ・ズワルテ“で2位になったとき、フランスは鼻の差で優勝しました。

 フランスは、Wシステムの雄鳩を何度も負かしたことがある俊足の”トゥール雌“も持っていました。レこへ ・デウボワはアングレームで活躍していましたが、ヘラルド・ファンネの訪問を受け、持っていた最良の鳩をすべて彼に譲りました。これについてはいずれ書くつもりです。

 ワーレヘムのマルセル・デスメットは私の良き友人の一人でした。彼は”コーセル”より数年若い妹を持っていました。生後5ヵ月でした。なかなか良さそうなトリでした。私はシェフ・ヴァンデンブルッケに、この鳩を買うよう勧めましたが、何かの理由でうまくいきませんでした。

 マルセルはその鳩を売る代わりに、ある大きなレース――たしかアングレームだったと思いますが――に出場させて金メダルを獲得しました。ところが鳩はそれっきり飛ばなくなりました。その年の冬一緒に夕食を取ったとき、マルセルは私に「あのとき売っておけば良かった」と言いました。その後、マルセルはこの雌鳩のブリーダインクで成功しました。マルセルは気前のいい男だったので、もし当時まだその鳩を持っていたら私にくれたでしょう。といっても宣伝のためではありません。たしかに当時私はたくさんの新聞に書いてはいましたが。

 私かマルセルと出会ったとき、彼はイレーネという18歳の娘と結婚したばかりでした。
 私は父親のジュール・デスメットも知っていました。彼は90歳に手が届こうとする老人で、スタチエ・ストラートに住んでいました。私はこの父親から昔のブリーダーについてたくさんのことを知りました。当時、彼の話に耳を傾けようとするものは誰もいません
でしたが、それらは今では黄金伝説となっています。

 ■マルセル・デスメット 気高きチャンピオン■    2020年12月19日(土) 6:26 修正
 ジュール・デスメットは少なくとも3人のナショナルチャンピオンが正しい鳩を選びだすのを手助けました。

 一人はワーレヘムに住む友人で同僚でもあるアルフォンス・ブロンデール。ブロンデールはジュールと同じように、くず鉄の商いで金持ちになりました。

 あとの2人はヴィヒテに住むジュリアン・マタイスとその息子のマルセルです。ジュリアンは1983年、96歳で亡くなりました。彼には兄弟と姉妹が1人ずついましたが、2人とも100歳になりました。

 ジュリアン・マタイスは尊敬すべき高齢にもかかわらず、終生その名声を汚すことはありませんでした。彼は95歳になっても、第1次世界大戦の前のことや、1914年に自分の伝書鳩が全部ドイツ軍に差し押さえられたときのことを何時間でも語ることができました。

 「フォンークルックとかいう右翼の指揮官だった。粗暴でぞっとするような男だったと、マルヌでそいつを殴ったガリエニが言っていた。自分は一度も見たことはないが……」。

 ジュリアン・マタイスは、いついかなるところでも最良の鳩を買いでボロボロになるま
で交配しました。

 彼はコッペンス、デロムバールデやヨス・ヴェルホイエから鳩を買い、レオ・ベカールト、ドッテネイスのアルベルト・ドウハン、メルクセムのヨゼフ・ホーレマンスから、そしてコルネール兄弟からも買いました。コルネールからは純粋なヴィンセント・マリェンスを手に入れました。ヴァンデヴェルデとコミンヌの鳩は以前から持っていました。

 ジュリアンはとにかく気に入ったものは片っ端から買い、そのためには天国でも地獄でもでかけて行く男でした。頭が丸く、上腕は短く、筋肉が発達し、広い背中と胸を持ったほぼ標準的な体格の鳩を好みました。あたかもウナギのような筋肉を求めました。彼はひたすら筋肉を追求しました。なぜならば、鳩は筋肉で仕事をするからです。

 脚がとてつもなく太い”フォーロイト”は、”アウデ・スラッペン“に由来するものでした。このトリはブリーフNで2回優勝し、しかも2回目のときは2位に40分もの差をつけて帰還したのです。

 「フォーロイト」のような比類ないクラスを手に入れる前に、ジュリアンがクロスした偉大な長距離系の数は十三を下りません。このクラスは”バルセロナ”73−3025064と、アントーンとリリアンヌ・カルペールの”カスタール”76-3089112に受け継がれました。      (次号に続く)

   サウスタイム  2020年12月13日(日) 23:14
修正
イレブン様

いつも楽しくブログを拝見しております。

ここ数日のあいだに過去のブログ@~
Bまで読み多くの気付きがありました。 

特に竜王5号を関東のかたが広島まで足を運び
記事にしていた内容は超長距離時代を知らない
私にとって大変興味がわきましたし、なにより
探し求めていた答えを発見することができました。

それは、鳩の背中の広さについてです。

私の地元で80年代から90年代ごろまで多くの
実績を出していた岩田孝七氏作の鳩が大変背幅
が広くその事について飼い主に聞きましたら広島
では鉄板とよばれいい鳩の証だと教えて下さいました。

しかし、具体的に背幅が広いと何が良いのか聞いて
いなかったために答えを知るまで大分時間が掛かりま
した。

これからも宝探しのごとくブログを読んで行きたいと思います。

最後に源流SSプラチナ号の目まるで宝石のような
魅力的な輝きを放っておりますがssが名前に着いて
おりますので勢山系ですか?

素晴らしいのひと言につきます。

 源流プラチナSS号   イレブン  2020年12月14日(月) 4:55 修正
過去ログを見ていただきありがとうございます。全てに目を通すとかなりの時間がかかるかと思いますが、貴重な資料としてそのまま掲載しています。
「鉄板」の理論は、岩田系愛好家の方々の中で語られている重要な理論の一つですね。イレブンもいろんな方から教えて頂いたことがあります。

源流プラチナSS号は、平田基哉鳩舎で種鳩として大切にされていた広島在来銘血の結晶で出来ている銘鳩です。その銘血の根幹は、勢山庄太郎の勢山系すなわちSSです。このSSの銘血の鳩質をそのまま体現してしている銘鳩だと思い「SS」の2文字を付けています。

勢山庄太郎の勢山系の銘鳩達について、かつて細川英次郎が「本当に素晴らしい鳩たちだった」としみじみ述懐していた記述が残っています。

日本陸軍が、命運をかけてフランス軍から、現在の金額で十数億円以上の費用を導入したのが、1000羽の鳩たちでした。そして、その時、一緒に来日した、クレルカン中佐が自分用の鳩として持ってきて、特別鳩舎であるZ鳩舎で飼っていた鳩達がSSの源です。

当時の仏蘭西軍は第1次大戦の戦勝国で、「世界一の鳩達が揃っていた」とも云われています。クレルカン中佐はその仏蘭西軍の軍用鳩関係の将校のトップにいた人物です。日本陸軍は、このクレルカン中佐に、年間5000万〜7000万円程の給与を支払っていました。

イレブンは、この「SSプラチナ号」の目を見た時、ファンデウェーゲン鳩舎の”ド・ピゾン”を思い起こしました。

明年、700K当日優勝の源流SSクイン号と配合する計画です。

 源流系SSライン最高基礎鳩 【源流SSプラチナ号】  イレブン  2020年12月13日(日) 11:14
修正
源流系SSライン最高基礎鳩      
【源流SSプラチナ号】10DA40460PB♂

 ・・  イレブン  2020年12月13日(日) 11:22 修正
・・

 ・  イレブン  2020年12月13日(日) 11:25 修正
明年の源流秘蔵岩田号配合鳩

 【参考資料】オペル系銘鳩【キープセーク号】  イレブン  2020年12月13日(日) 11:27 修正

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