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ようこそ、「スネークパパの掲示板」へ。お気軽に投稿いただければうれしいです。(『スネークパパの部屋』管理者イレブン)

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 大河原松風系 杉本系 オペル系  深澤 昌樹  2020年7月1日(水) 0:09
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何はともあれ大河原松風系…納得の結果を静岡の愛鳩家のもとに残されています。杉本33号 94号 67号 写真で拝見させていただく限り容姿端麗ですね!
オペルブック 64ページの内容とても興味深いです。当時 並河靖先生は、海外の書物をいち早く取り寄せられておられるのが、、、これまた凄いですね
英国の愛鳩誌 スクイル もあの当時取り寄せてられているので、、そしてご自分で解読されて日本の愛鳩家に知識を広められたこうせきは流石ですね!

 「系統」を大切にしていた時代  イレブン  2020年7月1日(水) 5:41 修正
イレブンは、日本鳩界に超長距離時代という輝かしい歴史が存在したのは、レース鳩の「系統」を重視する考え方が底流にあったからだと視ています。

 超長距離鳩が「容姿端麗」なのは、その鳩の「系統」がちゃんと表に出ているからだと考えています。そこに、今も、人を惹き付ける「超長距離鳩」の魅力があるのでしょう。

 最近こうした鳩を余り見かけないようになっているのは、レース鳩の系統としての「雑種」化が進みすぎ、無表情な鳩たちが多くなっているからだとも考えています。

 スネークパパさんは、このことを絵の具に例えて全ての色を混ぜ合わせていけば最後は必ず「灰色」になるとよくおっしゃっていました。イレブンは、その最もわかりやすい事実を、世界的銘鳩を全て混ぜ合わせた結果、何も残せなかった、かの「宮沢系」がよい証拠だと思っています。イレブンは、そうした意味での「宮沢系」の検証をいつか取り組んでみたいと思っていますが、その最大の原因はいたずらに「近親交配による虚弱化」を恐れた系統理論の結果だと考えています。

 ともあれ、日本鳩界が、レース鳩の系統を重視して来た事実は、4年ほど前、国立国会図書館に所蔵されている戦前の鳩界雑誌である「鳩」及び「普鳩」に目を通したとき、更にハッキリとしたものになりました。

 ちなみに、この「鳩」及び「普鳩」を見るには、地元の市民図書館の資料閲覧室等のPCから、デジタルデーターとして閲覧印刷が出来ます。今はどうか知れませんが、4年前までは「鳩」及び「普鳩」は一般のパソコンからは閲覧できない部類のデータとして公開されていました。かつて、勢山庄太郎の画像を記事をこの掲示板で公開したのも、その時の調査で見つけた資料でした。興味がある方は、地元の公立図書館へお出かけください。だれでも見ることが出来ます。

 さて、その戦前の鳩界誌に目を通すと、その頃から並河靖の論文が数多く連載されていました。他にも関口龍雄先生を始め、幾人もの系統研究家の方達が執筆されていました。こうした雰囲気の中で日本鳩界の礎が形成され、それが、日本在来系や超長距離時代の銘鳩達を生み出したのだと考えています。

 おっしゃるとおり並河靖の貢献度は、戦前からとても大きいものがあります。これらのことは、どこかでキチンと整理して書くつもりです。

「英国の愛鳩誌 スクイル」について詳しく教えて頂けませんか。 


 オペル系特集 やったー!  深澤 昌樹  2020年6月29日(月) 23:18
修正
大河原松風系 系統確立者、、、結末はどうなったのでしょうか、、、
佐藤金太郎氏と板倉陽之助氏との痛み分けでしょうか、、、
オペル系の特集 待ってました!
小生の飼育しているオペルは、2017年の産まれた鳩で水かきの足の鳩(灰♀)が、、今年も1羽 灰の♀左足に水かき、、、が生まれました。先日お送りしました石目の灰の♂の系列に水かき足が産まれます。また、悪く出ると筋萎縮性側索硬化症の鳩が産まれます。筋肉が固くなり飛べなくなります。餌を与える前に喜んで興奮するとてんかん発作を起こしたりもします。床に仰向けになって羽ばたくんです。起こしてやりますけど
逆によく出ると北海道から静岡へちゃんと帰還します。賢いので飼い主が鳩を捕まえないと解るときは全く逃げません。余分な動きをしません、、、要は逃げる必要がない時はにげません。鳩舎内の状況を理解しています。
本当に飼っていて頼もしいです。てな感じです。

 オペルの鳩の賢さは大きな特徴ですね。  イレブン  2020年6月30日(火) 22:22 修正
確かに、オペルの鳩の賢さは大きな特徴ですね。飼い主の気持ちを読み取っているような気さえします。

大河原松風系の系統確立者の問題は、その資料に目を通すと、佐藤金太郎氏のほうに分がありそうです。ただこの問題に触れていくとキチンとした関東在来系の知識が必要です。少々時間がかかりそうなので、一時保留しておくことにしました。

 戦前からの銘系松風系そのものをじっくりとり扱う中でこの問題にも触れたいと思います。関西の勢山系と関東の松風系といった大きな流れの中に日本在来の銘鳩達がぞろぞろと名を連ねてきます。それだけに、いずれ、どこかで、腰を据えて銘系松風系の調査研究に取り組む考えです。

 杉本33号  KY  2020年6月25日(木) 21:55
修正
一世を風靡した杉本修三鳩舎の資料があればアップしていただければと思います。特に33号の画像が見つからないので宜しくお願いします。

 アイザクソンオペル系の銘鳩鳩王号のラインで時代を席巻した杉本修三鳩舎  イレブン  2020年6月26日(金) 4:28 修正
アイザクソンオペル系の銘鳩鳩王号のラインで時代を席巻した杉本修三鳩舎についてはいつかキチンと資料を掲示板に上げるつもりで資料を集めておりました。取りあえず、手元にある資料をアップしますね。後で資料を追加していく予定です。

 ・  イレブン  2020年6月26日(金) 4:31 修正

 ・  イレブン  2020年6月26日(金) 4:32 修正

 ・  イレブン  2020年6月26日(金) 4:34 修正

 杉本33号稚内1400k飛翔時の現役時代の画像・祖母RCHグラード号の画像    2020年6月27日(土) 14:31 修正
73
年に稚内1400総合優勝した年の画像です。体全体からエネルギーが迸っています。

 【関連資料】鳩王号    2020年6月29日(月) 3:47 修正
・鳩王号余市1200キロ優勝時撮影画像。(鳩王号の画像で現役時代の一番若い頃の画像)

 ■■『Piet de Weerd 研究』003■■  [ピート・デヴィート回想録003《『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年2月号 )及び「あこがれのピートとの会見」三好友康  イレブン  2020年6月27日(土) 3:25
修正
今回連載を始めた『Piet de Weerd 研究』は、ピートさんに関連する資料を蓄積し、その資料を基に考察を加えていくという手法をとっていくことにしました。中心となる資料の引用は『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳』です。『愛鳩の友』で10年間にも亘る連載記事でしたので、この連載も結構時間が掛かると考えていますが、出来れば、1年間位ででほぼ資料引用を終え、その後に、気長に考察を加えていければと思っています。

掲示板の話題とは別に毎週週末に連載していく予定です。

今回の【回想録003】はピートさんがヘンリー・ヤンセンと最初に出会った1943年にまつわる話です。(※画像記事に「1938年」とあるのは誤植です)記事の中にヤンセン系の基礎鳩やカナリヤ時代からのヘンリー・ヤンセンの天才性が窺えるエピソードが興味を引きます。

関連資料として三好友康さんが1991年1月の渡欧の歳、ピートさんと会見した記事を入れています。ちなみに、三好友康さんはイレブンが大学生のころ岡山まで出かけてお会いしたことがあります。三好さんは、鳩にうるさい中国鳩界でも、早くからその鑑識力には定評がある方でした。日本を代表する「目利き」の方だったと思います。その三好さんとピートさんが並んでいる画像は、何か印象的ですね。

三好さんの質問に答えたピートさんの含蓄ある一言。

「世界中の鳩を見て回るのか一番の方法。そのなかから自分なりにつかみとるもので、口で教えてもわかるものではない」

これが全ての真実かもしれません。

 【研究資料】 回想録003 《 『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』の翻訳版より全文引用》    2020年6月27日(土) 3:36 修正
■貧しいながらも大家族に囲まれて暮らすヘンリー・ヤンセン。戦争が終わり平和が訪れた時、アーレンドンクの村はカナリヤ、そして鳩の時代を迎えていました。

 ■カナリヤを求めて    2020年6月27日(土) 3:46 修正
 アーレンドンクはかつてオランダのファルケンスワルトと並ぶ鷹狩で有名な村でした。鷹を飼う事が人々の間で流行し、それ故この地域の人は鳥に対する知識が豊かで、作出の方法や鳥の訓練の技術を体得していました。

 その後、自転車競技が人気となった折、アーレンドンクの人々も素早くその流行を取り入れました。地元のリヅク・ファン・ステーンペルヘンが三たびロード・チャンピオンに輝き、ビンダやメルクスとともに世界記録夕イにつけたのです。

 その頃、ヘンリー・ヤンセンは優れたカナリヤを求め、自転車で村から村へと走り回りました。彼はカナリヤの歌声が大変好きで、それが流行となった頃には、その羽色の美しさにも魅せられていました。

 息子のフォンスとフランスは父ヘンリーが優れたカナリヤを選ぶ洞察力に長けていた事を私に語っています。

 人工灯に照らされていたために主翼から換羽が始まったトリや、鳴きそうもないトリ、
瓶入りの顔料か何かで着色されたものなどは決して相手にしませんでした。彼はその羽色が遺伝によるものでないトリを直ぐに見分けました。なかには市場に店を広げ、拡大鏡を使っても見分けられないような実に巧妙な二セ色のカナリヤを売ってる者がいましたが、ドリスケ・ヘンリー・ヤンセンの目を騙す事は出来なかったのです。

 彼はカナリヤを近親交配させ、最良の成果を得る事に成功しました。それらのトリは大変優れた「歌い手」でありまた、素晴らしい羽質を持っていました。

 ヘンリーは常に周りからのアドバイスを真剣に受け入れようと努力しました。そう、彼
はそういう人物だったのです。決して話し上手な人間ではありませんでしたが、彼はそれで良しとし、決して自分の信念を曲げるような事はしませんでした。

 カナリヤを作出する上においては、いかにより美しく歌えるかどうかが大変重要な点でその評価の基準となるものがありました。色カナリヤの場合、羽色とそのバリェーションがまさにその核心的部分で、さらに、トリの持つバイタリティーと作出能力も注意深く評価されました。卵を産まないようなトリは論外で、それが鳩であったとしたら即刻レースから外されていた訳です。

 アントワープ、ヘルデール通りに住んでいたフランス・ファン・リンデンはカナリヤの交配法の研究を戦争終結後、独自に始めました。彼のやり方は決して学術的ではなかったのですが、いつも「まさに図星をさす」ような的を得た結果を得ていました。1860年代に実験されたメンデルの法則はいささか原始的ではありましたが、後のカナリヤの羽色の研究と比較しても実に秩序立てられた物です。彼はまた遺伝因子についての研究も推し進めました。もちろんその時、アーレンドンクで行われていた研究を彼は知る由も無かった訳ですが、実はリンデンとヘンリーの両者は交配法について殆ど同じ結論に達していたのです。

 ■第二の記念すべき年    2020年6月27日(土) 3:47 修正
 1919年という年はヤンセンの血統の歴史において第2の記念すべき年だと考えられます。第一次世界大戦が終結し、鳩の新しい時代が始まったのです。当時フォンスとフランスはまだ少年でしたが弟たちの面倒を見て小遣いを稼ぐ年頃には成長していました。
 そして二人の娘が誕生しました。その一人は後にティスト・アイッセン氏に嫁いだマリ−、そしてもう一人の娘は最後まで結婚する事もなく、最初は母と共に、また母の死後はただひとりでヤンセン家の家事の全てをこなしました。その人、イルマは彼女自身が70歳の年になるまで、独身で過ごした兄弟の面倒も見ました。さらにイルマは膨大な量の鳩の書類を管理し、全ての書状を書く事さえもこなしたのです。

 最初のヤンセンの血統が誕生したのが1919年です。さて、それはいったい何処から来たものなのでしょうか。それは一人の兵士から、年の頃は20歳の若者でした。最初に血統に関わり合った最初の人物、兵士ヘラルドはアンデルレフトのピエール・デクノップの持っていたスタッサールの血統のトリを大戦後の数年間保持していました。当時兵士であったフォンス・ヤンセンは1919年に一度、そして別の2つの血統のために1933年にもヘラルドを訪ねています。1933年フォンスは税務署での集金役をしていましたが、後に、それまでとは趣を異にする税関に勤務を始め、オランダとベルギーの国境を管理するバールーヘルトーグの税関の係官となりました。

 彼はベルラーのアルフォンス・ド・フォン・セールマンスを訪ねました。(後にジェフ・ファンデン・ーボヅシュの所の強豪レースマンとして名を馳せたエドワード・セールマンスや世界的なビリヤード・プレイヤーのレイモンド・セールマンス等と混同しないよう)ところで、これら同姓のセールマンスには多くのダイヤモンド工がいました。彼らは当時のスローガン「職人の熟練技能は名人芸」に歌われた通りの熟練の技術者でした。彼らはまた、大酒飲みで、ケンペンの鳩飼いと同様、馬のようにビールをあおりました。

 ちょっと話が脱線してしまいましたが、その頃一般的に一番賢い鳩飼いと言うと、より多くのお金を稼いだ者を意味しました。

 1933年、フォンスはヘレンホウトのスフーテルスよりトリを入れました。ヘレンホウトは後年、自転車競技の帝王となったステーンベルヘンの成功者リック・ファン・ルーイの住まいのあったところです。スフーテルスは酒の醸造業を営んでいて、彼は近親交配を許容しうる鳩質をもった鳩群を所有していたのです。ここが大切なポイントです。これはひとつの血統が固有の血統としての名を持つ価値があるかどうかを判断する重要な基準でありかつ必須条件でもあったのです。
 
この優秀な血統を持つ鳩群は、ヘンリー・ヤンセンと彼の息子達の努力によって急成長を遂げたのです。



 今年、1983年(※2)まで28年間、私はヤンセンの記事を書き続け特にドイツにおいて熱狂的な支持を受けてきました。

 また、バールーヘルトーグのシャルル・ファン・ローンやエドモンド・ファン・デル・フラースから「ヴェールデ・スタティー」のフォンス・ヤンセンの面前でアーレンドンクの数羽の鳩の査定評価を頼まれてから38年もの歳月が流れました。

 私はこれらの鳩の中から最高のトリを選びだし、さらに交配のカップルを決定するよう依頼されたのです。

 ナッソーやヘルトーグなど、あの辺りはオランダとベルギーの国境がジグザグのようになっていて、私は町がいったいどこでどうなっているのかよく分からなかったものです。そこにウォーテルスという名の農夫がいて、彼は戦時中、ヤンセンやホーレマンのトリを
伝承している鳩飼いでした。彼を訪問したとき、私は実際に彼のトリを何羽も掴んでみる事ができたのです。



(つづく)

 ・    2020年6月27日(土) 4:15 修正
口その後ピート・デ・ウェールトはオランダ、ティルブルグのヤン・ファン・ヘローヴェン、そしてヤンと一緒に事業をしていたコルフェルスウェグの精肉業者ナジェー・ホールステンを通じてヤンセンのトリを手に入れます。
 さて、ピートの鳩を選ぶテクニックはどうやって磨かれていったのでしょうか。(次号へ続く)

 ◎世界中で翔ぶピートのヤンセン◎(挿入資料)  イレブン  2020年6月27日(土) 4:30 修正

 ■あこがれのピートとの会見■ 三好友康  イレブン  2020年6月27日(土) 4:50 修正
 今年の1月17日、三好友康さんは飼鳩以来のあこがれだったピート・デビードとの会見を実現させた。フライング・ダッチマンの異名を取る彼は。プリーディング・コンサルタントとして世界中を渡り歩き。数々の実績を残している。

 三好さんが子供の頃、ピートはすでに世界一の鑑定家としてその名をとどろかせていたという、
 「直接、鳩をつかみなからのアドバイスもしてもらいました(写真)。話を聞いて。自分の考えにまちかいはなかった、との裏付けを取ることもできた。「よくそれだけ勉強したな」との言葉も頂戴しました」
 ピートとの会見は大きな成果があったようだ。

 「でも、質問を投げればもっと具体的な答えが帰ってくると期待した部分もあります。『いい鳩を採す方法はあるか』と聞くと、『世界中の鳩を見て回るのか一番の方法。そのなかから自分なりにつかみとるもので、口で教えてもわかるものではない』といわれました。世界屈指のセレクション能力を持つといわれるピートでさえそうなんです」

 おそらくそれが真実なんでしょう。数式のような答えはない。とあらためて思いました」
 平凡な結論。しかし一見、単純に見えるその答えは多くの示唆に豊んでいる。
 三好さんは、その人に会うことによってしか得られないものがあるという。ピートとの会見も、長いピジョン・ライフにおける大事な出会いのひとつとなった。
 ピートはこれからも世界を渡り歩くのだろうか。

 「カラスよけ」を製作中です!  イレブン  2020年4月20日(月) 2:42
修正
休日の過ごし方が「STAY HOME」となり、一番に考えたのが、鳩舎の手入れでした。昨日から、「カラスよけ」の製作に取りかかりました。これは、イレブンが現在の鳩舎を手作りで作り始めた頃、スネークパパさんから教えて頂いた猛禽対策です。これを到着台のところに乗せるわけです。

最近、イレブンの近所でもカラスが多くなり、鳩舎のそばまで来ることが多くなってきたのでこれを作ることにしました。最初は作っていたのですが、雨対策が不十分だったので10年と持たなかったように記憶しています。今回は、その反省を生かして、長持ちするように作る計画です。

 ・  イレブン  2020年4月20日(月) 2:44 修正
最大の課題は、どうやってここに運ぶかです。思案中です。

下画像は、「初代カラス避け」です。防水処理が出来ていて無かったの、長持ちしませんでした。

 ・  イレブン  2020年4月20日(月) 3:09 修正

 『カラス避け』設置完了  イレブン  2020年6月27日(土) 12:33 修正
4月中頃から構想準備?!していた「カラス避け」をやっと設置しました。どうやって上に上げるかが課題でしたが、結局、はしごをかけて登ってあげました。

今回は長持ちするように、防水処理を徹底したので、長持ちしてくれると思っています。

 杉本33号  KY  2020年6月26日(金) 23:13
修正
杉本33号の母親の”7459号”(鳩王号xRCH”グラード号”)を盛岡に導入した当時新人であったAさん、その孫がGP1000K当日総合4位入賞(打刻するのが大幅に遅れた為に実質の総合優勝)ビックリしたものでした。
因みに同氏は”杉本34号”も導入しました。

 銘血の力は、本当にすごいですね。  イレブン  2020年6月27日(土) 4:53 修正
杉本33号の母親の”7459号”が盛岡に行っていたんですか。知りませんでした。

 杉本33号  KY  2020年6月26日(金) 7:16
修正
早速ありがとうございますこの血統は当地盛岡でも一世を風靡した血統ですが資料を破棄してしまい残っていません。画像を私のブログにも使わせてください。

 今後も、スネークパパの部屋の記事は全てご自由にお使いください!  イレブン  2020年6月26日(金) 20:43 修正
杉本33号のラインは盛岡でも活躍していたんですね。アイザクソンオペル系の裾野の広がりは計り知れませんね。

 大河原松風系  深澤昌樹  2020年6月25日(木) 21:42
修正
写真の鳩がD C 94P B02538です。
(稚内GN1200K 静岡地区優勝)
父親は、85BS3589 佐藤金太郎作です。
母親は、スリーグランド号の直子孫がけです。
鳩のベテラン方々がD C 94P B02538号の
眼がとても良いと褒めていました。
ボディーは、キール高め 、主翼は副翼が幅広い鳩でした。

 貴重な画像、ありがとうございます。  イレブン  2020年6月26日(金) 4:52 修正
稚内GN総合優勝【94PB02538】の貴重な画像ありがとうございます。

野性味の溢れるトリですね。稚内超長距離鳩が持つ独特の雰囲気がにじみ出ていると思いました。

表情のアップ画像から、幅のあるアイサインがハッキリと見えますね。「目がとても良い」とのベテランの評価があったとのことなので、この画像では分かりませんが、これだけのアイサインの幅があるので、以前からこの掲示板で話題となっている「C/A」がすごかったんだろうとイレブンは解釈します。

イレブンがこの鳩の画像を見たいと思ったのは、佐藤金太郎さんが「形見」としていた父親の影響がどの程度出ているのかを知りたかったためです。この野性味の溢れる黒胡麻鳩の画像からいろんなことが推測できそうです。
ありがとうございました。

お手数をおかけしました。他にものこれらのラインの画像があれば遠慮無く投稿していただければと思います。今イレブンが使っているこの掲示板は、今の調子で投稿していっても、20年近くは余裕があるので大丈夫ですよ。

 麗峰系  深澤昌樹  2020年6月24日(水) 23:24
修正
小生の質問に答えてくださり誠に有難うございます。
スリーグランド号(麗峰系x小林勇オペル系)の直子孫にクロスして大河原松風系で稚内GN優勝した杉山康二氏の配合に納得致しました。こう言う配合の巡り合わせは偶然と言うよりも運命だった様な気がします。小生が昨年19年ぶりにレース再開していきなり昨今静岡から数年間帰還のなかった東日本CHでの翌日帰りの鳩もそのスリーグランド号の末裔にオペルをクロスして成功でしたが小生が意図して配合したものでは有りませんでしたが、これも何かの運命により引き寄せられてなされた気がしてなりません。添付は、スリーグランド号直子孫に大河原松風系をクロスして1200キロ優勝したとき準優勝鳩は、麗峰系確立者の渡辺好夫氏でした。これも あの負けず嫌いの好夫氏があえて麗峰系の枝葉に花を待たせてくれたようなイタズラを鳩の神が仕組んだようにも思えます!

 貴重な研究の機会、ありがとうございます。  イレブン  2020年6月25日(木) 3:16 修正
深澤昌樹様

 こちらこそ、麗峰系、そしてスリーグランド号のラインと、これまで、イレブンの研究対象ではなかった新たな系統研究の機会を教えて頂き感謝しております。

 実は、先ほどからイレブンは、今日の深澤様が提供頂いた資料を見て、少々驚いている所です。それは、1200KGN優勝鳩【94BP02538】DC♀の母親に父親の【85BS3589DC】に「佐藤金太郎作大河原松風系」の名が記されていたからです。

 それは、陽光系を調査する過程で、1970年に入って「愛鳩の友」誌上でこの「大河原松風系」の系統確立者を巡って大きな論争が起こっていた資料を手にしていたからです。詳細は省きますが、ここに登場する中心人物が板倉洋之助と佐藤金太郎の両氏なのです。

 この資料を読み解くと、1200KGN優勝鳩【94BP02538】DC♀の誕生が大きな銘血の「戻し交配」の流れとそこに系統的「相性」の問題が働いていることを暗示しているからです。深澤様がおっしゃるように「イタズラを鳩の神が仕組んだよう」な実に興味深い事実です。

しかし、このことは重要な研究テーマを含んでおりますが、その内容が関東在来の銘血の歴史までさかのぼることになる研究となるので、「オペル系研究」に取りかかろうとしている今はチョット差し控えさせて頂きます。

 唯、このことはいずれ取り扱うことになるテーマですので、当面この【94BP02538】DC♀を理解するための資料として、佐藤金太郎作翔の銘鳩【日本25−10325】と【そよ風55号】の資料だけ掲示板にアップしておきますね。


※もし1200KGN優勝鳩【94BP02538】DC♀の画像がありましたら掲示板にアップして頂けませんか。

 【貴重資料】【日本25−10325】佐藤金太郎作翔  イレブン  2020年6月25日(木) 3:37 修正

 ・  イレブン  2020年6月25日(木) 3:38 修正

 ・  イレブン  2020年6月25日(木) 3:40 修正

 【貴重資料】【そよ風55号】48−1945  イレブン  2020年6月25日(木) 3:51 修正

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