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 緊急情報【森田さん解説“特別警報級”台風10号 今後の進路は?】  イレブン  2020年9月5日(土) 2:01
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かつて経験のないほどのスーパー台風が刻一刻と近づいています。イレブンは、計り知れない程の被害に遭うことを覚悟して、今日と明日、最善の対策・準備をするつもりです。

鳩飼いの私たちは、鳩舎のことは、自宅の安全と同様に本当に心配になります。鳩舎自体が吹き飛ぶことも想定した対応も必要かも知れません。

天気予報士で有名な森田正光さんの解説をアップしておきます。おそらく台風が過ぎ去っても、しばらく、停電が続くだろうと考えています。この掲示板も停電となればしばらく更新できなくなります。

皆様、くれぐれも、ご無事でいて下さいね。台風通過後に、お互い元気にこの掲示板でお会いできればと願っています。  イレブン

■森田さん解説“特別警報級”台風10号 今後の進路は?

https://news.yahoo.co.jp/articles/44ae8e35dac3102eda8f098f22304d6a9735f04f

 『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ ミュニエ号編資料A 『銘鳩ミュニエ号 の全て=不滅の銘鳩遂に日本へ=』◇◇◇◇ 【出典:『愛鳩の友』誌、1965年11月号P64より引用)】  イレブン  2020年9月4日(金) 2:50
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ミュニエ号編資料Aは、1965年11月号の『愛鳩の友』誌に掲載された「銘鳩ミュニエ号のすべて」です。

この記事は、我が国にブリクー系の世界的な銘鳩であるミュニエ号が導入されてもっともまとまった内容として紹介された最初の記事です。

この記事には、岩田考七がミュニエ号を掴んだのが2度目のバルセロナレース持ち寄り日に、持ち出し1位時間前のことだったということや、当時のドマレー鳩舎のwシステムや餌の配合率、給仕方法が詳細に記述されており、極めて資料性の高い記事となっています。Wシステムを最初に行ったのがDr.ブリクーです。ドマレー鳩舎は、そのブリクー系の正当系列に属する鳩舎です。ドマレー鳩舎に、そのDr.ブリクーのWシステムの手法が、伝承されている可能性もあるのではないかと考えると、更に興味深い資料として読むことが出来ると思います。

この後、関連資料としては、1973年に3月号から5月号までの3か月間連載された「ミュニエ号の死を悲しむ」も資料として追加する予定です。現在、国立国会図書館に資料を依頼しているところです。一ヶ月ほどかかると思いますが、資料が届き次第掲載する予定です。

 さて、この資料『銘鳩ミュニエ号 の全て=不滅の銘鳩遂に日本へ=』に目を通すと、ミュニエ号をどの程度、当時の日本鳩界が理解していたかということも見えてきます。

ここからわかることは、どうも、ミュニエ号をブリークー系の銘鳩という認識は、持っていなかったようですね。「系統は、父親は純ブリーク系で、母親は純トレムリーだと言っていました。」とありますから、ひょっとしたら、異血配合から誕生したF1の銘鳩という認識だったかもしれませんね。トレムリー鳩舎がブリクー後継を代表する鳩舎だとの認識があれば、ブリクー系のもどし配合によるブリクー系の銘鳩として認識できていたと思いますが、そのことに気付くのは、ずっと後のことです。

「『ファーレ・デマレット』(※ミュニエ号のこと)は私ならばブリクーの全系統の中で最も欲しいと思う鳩です」と語っているPiet de Weerdとの認識の差が、これほどの「不滅の銘鳩」の銘血を今日に残すことが出来なかった問題の本質ではないかとイレブンは感じています。

 ■ 世界最高の記録鳩誕生■    2020年9月4日(金) 2:51 修正
 銘鳩″ミュニエ号″BELG58−2106364シルバー♂は、1958年、ベルギーのアデラン・ドマレー鳩舎で、銘鳩ブロンカート号(BELG57−223334栗胡麻♂、ドマレー氏作出使翔.200粁から500粁まで28回入賞)を父とし、ルージュ・デュ・ノテール号(BELG52−2341542粟胡麻、ドマレー氏作出、トレムリー系)を母として生まれた。

彼の名を世界的なものに高めたのはいったいなんだったのだろうか?
 それは、1963年のバルセロナ・インターナショナル2度目の総合優勝樹立に成功してからのことである。総合優勝したのはいうまでもなく銘鳩″ミュニエ号″である。
 このミュニエ号号は、それまでにも、

1961年 マルセーユ・インターナショナル882粁 3500羽中総合10位。1062年バルセロナ・インターナショナル1051粁 3300羽中総合優勝。

 などの成績を残しているが1羽の鳩が、その規模かちいっても、伝続からみても世界で最も権威あるレースとして知られているこのレースで、2年連続して、総合優勝したということは史上空前の出来事として大いにたたえられるに至ったのである。

 こうして一羽の鳩が成し遂げた大記録はもはやドマレー鳩舎を、いままでのような平凡な鳩舎にはしておかなかった。全く無名の一愛鳩家にすぎなかったアデラン・ドマレー氏は、この再度の総合優勝を境にして、一躍、世界のアデラン・ドマレー氏になったのである。

 ここに、当時(1963年)渡欧していて、しかもバルセロナ・インターナショナルの送り出しの日の、発送1時間ほど前にドマレー鳩舎を訪問していた岩田孝七氏からの、そのときの模様を知るのにちょうどいい資料があるので次に紹介しよう。

 「ファンプリアーナ鳩舎を辞したその足で、わたしは次にドマレー鳩舎に行ってみました。その日は、バルセロナ・インターナショナル(……一部文面不明のため省略:調査中)
しいのには驚きました。
 例の昨年のこのレースの総合優勝鳩をです……。
″インターナシ’ナル優勝鳩をまた発送するから……あと一時間もないから、早く見てくれ″
 と言われ、遠慮なく見せていただくことにしました。
 ですから、昨年の優勝鳩の発送直前の鳩の状態などについてよく観察することができました。状態は非常によかったので、きっと帰るだろうと思っています」
 また、当時の2106367号(ミュニエ号)についての感じを次のように伝えている。
 
 「昨年優勝したというその鳩は、灰栗のりっぱな雄でした。軽い鳩でした。大きくあ りません。長めのからだをもった胸の浅い鳩で、どちらかと言うと綺麗な鳩でした。
 そして、すこしおでこです。
 系統は、父親は純ブリークで、母親は純トレムリーだといっていました。
 このトレムリー鳩舎というのは、昨年か一昨年かのバルセロナ・インターナショナルに一度に8羽記録したことのある鳩舎だそうで、そこの粟鳩の雌を導入して作出したものだそうです。両親も見ましたが、実にいい鳩でした。母鳩はトレムリーの栗胡麻で、父鳩は灰だったと思います」

 ■200万円でベルギ−のデボス氏が購入■    2020年9月4日(金) 2:52 修正
(……一部文面不明のため省略:調査中)をくわえてだまって見ているはずはなかった。
 普通、バルセロナ・レースで総合優勝した鳩は毎年百万円前後でトレードされるのが近年の常識になっていた。ところで、この2年連続して総合優勝したドマレー鳩舎の″ミュニエ号″がどのくらいの値段で、どこの鳩舎にトレードされるかということは、世界の競翔家の注目するところであった。

 日本でも、いくつかの鳩舎が積極的な交渉を進めていた。一番めに交渉をはじめたのはさきに、バルセロナ参加直前にドマレー鳩舎を訪れて″ミュニエ号″自身を直接見て帰国した名古屋の岩田孝七氏であった。

 これにやや遅れて″ギャマン号″を日本に輸入した大阪の大田誠彦氏が交渉を開始し、つづいて東京の2、3の有名鳩舎も購入交渉を開始した。

 が、結局日本の鳩舎は″ミュニイエ号″輸入の実は結ばれずに、ベルギーの財閥であるデボス氏の手に渡ってしまったのである。あるベルギー消息通の某氏の話では、定価推定は約200万円ということである。

 その後、同じベルギーの上院議員が、このデポス氏に買った価格にさらに2000ドル(邦価で約73万円)のプレミャをつけるから譲ってほしいと交渉したそうであるが、これはデポス氏にあっさりけられてしまったという。

 ■すてきれなかった大田誠彦氏の夢■    2020年9月4日(金) 2:53 修正
 大阪の大田誠彦氏といえば、日本はおろか世界の鳩界に銘鳩収集家として知られている御仁である。
 2年連続バルセロナ征覇の偉業を成しとげた″ミュニイエ号″輸入の夢はそう簡単に消えるものではなかった。

 そこで大田氏は、こんどは鉾先を転じてデボス氏攻略に乗り出したのである。
 そして、再三再四交渉した結果ついにデボス氏も大田誠彦氏の執念に負け、大田氏に譲ることを約したのである。こうして夢にまで見た銘鳩″ミュニエ号″を入手することに成功した大田誠彦氏は、入手当時の思い出とともに、その英姿についての批評を次のように伝えて来ている。


「だいぶてこずりましたが、今春の4月5日に実現できました。
 わたしは、過去にわたしが輸入した数々のヨーロッパのチャンピオンと比較してどうだろうか? と、いろいろ、とりとめもない想像をしていましたが、わたしが想像していたとおりの、気品に満ちあふれた、すばらしい鳩でした。
 やや、おでこ気味の頭部から尾翼部にかけての幅広い背線の美しさは、かつての数々のチャンピオンにない、すばらしいものです。
 胸筋、腹部は、よく引き緊まり、長い竜骨は恥骨の中まで通っており、竜骨と恥骨との間隙も、もちろん、ほとんど皆無といった状態です。
 腹部一般の状態は、大幡久弥氏の所有しておられるソーヤック号に大変よく似ています。
 目色は、灰粟という羽色によくマッチした、ダークがかった金目で、大変魅力的です。
ミュニエ号に匹敵する目の持主は、ギャマン号以外におそらくないでしょう。
 ミュニエ号が1961年のマルセーユ・インターナショナル・レース822粁で総合10位、1962年のバルセロナ・インターナショナル・レース1051粁で、参加3300中、ジョージ・ファングリムベルゲン鳩舎のバルセロナU号(この鳩は1962年2位、1964年1位)を押さえて総合優勝、さらに翌1963年、バルセロナ・インターナショナル・レースで3599羽中総合優勝という大記録をあげた最大の要因は、頭脳的なことはもちろんですが、外部的には、そのすばらしく幅広く長い翼にあると私は考えています。
 豊富な羽毛、よく締まった軽い体、気品のある理知的な鋭い目。ミュニエ号を総体的に批評すると、要するに、こういうことだと思います」

(現在、″ミュニエ号″は大田氏のもとを離れ、東京の宮沢和男鳩舎に収容されている)

 さて、ここにベルギー駐在の朝倉晃仁氏から大田誠彦氏にあててドマレー鳩舎の管理方法を伝えてきている資料があるので紹介しておこう。

 ■ドマレー鳩舎の管理方法■    2020年9月4日(金) 2:54 修正
『ドマレー鳩舎では、その年によって多少の違いはあるようですが、普通2月中旬から下旬にかけてその年の、それぞれの配偶鳩を決定し、作出を開始します。そしてその配合でよい仔が作出された場合はその翌年も同一配合を行なう場合もあります。

 一例をあげると、前年、たいへんよい成績であったレース鳩が、雌鳩を変えたためにレース成績がガタ落ちした例もあります。そこでふたたび前年の雌鳩と配合させたら、トタンにモリモリ稼いでくれた……という例もあります。反面、新しい雌鳩を配合させたために、レース鳩が断然光ってきたという例もあります。”悪妻は百年の不作”ということわざがありますが、鳩の心うちはなかなかデリケートのようです。

 さて、第1次作出では2羽の仔鳩を取り育てさせます。
 第2次作出では、卵を10日〜12日間だかせた後、この卵を前年の遅生まれの鳩に引き継がせ、卵と雌鳩を、レース鳩(雄)から完全に分離してしまいます。そして雌鳩はハレムに、雄鳩は自分の巣房に収容し、雄鳩の舎外時は雌鳩のはハレムは雄鳩からは見えないように遮蔽します。

 通常舎外は朝5時半ごろと、夕方6時ごろの2回行ない、40分から1時間程度自由舎外させています。
 Wシステムによってレースに参加する雄鳩、仔鳩作出中の雌、雄鳩、また換羽期間中の飼料は別表Aのとおりであり、朝の舎外から帰舎した後、6時25五分ごろには、これを少量あて与えます。正午ごろ別表Cを少量与えます(レースシーズン中)。そして夕方四時半ごろAを満腹するまで与え、残った餌は引き上げてしまいます。その後、6時ごろから約1時間ぐらい舎外させ、帰舎したとき麻の実を少量与えます。またこの麻の実は換羽期には多少増やします。
 ハレムにいる雌鳩には別表Bを朝少量、夕方じゅうぶんに与えます、もちろん同性愛鳩が出ることはさけなければなりませんから、雌鳩には雄鳩より軽い食餌を与えるのですが、といって、他でよくいうように大麦を50%も60%も与えると雌が弱くなってしまうから、ドマレー鳩忿では、ハレムの雌鳩たちにはほかよりも比較的よい飼料を与えています。
 換羽期が終って冬期にはいるとBに約25キログラムの大麦を加えたものをよく混ぜて朝・夕の2回、同じ要領で与えています。

 食塩を皿に入れて。鳩舎内にっねにおきます。野菜は与えて悪いということはないが、この必要も又ありませんので、年中、特に野菜をやるということはありません。米もよいのですが、当地では良質なものがないので与えていません。換羽期は、菜種を少し増量するとよいといっています。

 鳩舎の清掃は、鳩が舎外に出ている間に朝夕2回行なっています。つねに清潔にして、吟味した飼料を与えることが肝心だとドマレー氏はいっています。

 さて、レースになりますと、1才鳩もレース鳩もWシステムでレーシに参加させます。持寄りの夕方、持寄りの龍に入れる5分から10分前に巣房内の巣皿をおもてにかえします。その後2、3分間レース雄鳩を雌鳩にあわせますが、その後、雄が雌鳩に愛のささやきをかわし、あわやという寸前に雄鳩をつかんで籠に入れます。

 だいたいの鳩舎ではシーズン中は雌はいつさい舎外させていないようですが、ドマレー鳩舎では雄を持寄りに出した後、雄鳩の配偶鳩を1週1回だけ30分〜45分ぐらい舎外させているといいます。レース当日は雄の巣房にその鳩の配偶鳩を入れます。そして雄鳩がレースから帰ったら、レース距離およびその鳩の疲労度を考慮して、30分〜2、3時間を一緒にしておくことは他鳩舎と同じですが、ドマレー鳩舎では、その年決めた雄鳩の配偶鳩にかぎって、待機させるのがよく、代替鳩は結果的によくないということです。
 長距離レースにはだいたい2、3週間休ませたレーサーを参加させますが、雄鳩がレースから帰舎したら配偶鳩と30分から1時間ぐらい一緒に舎外させています。
 なお、通常レースから帰った雄鳩には落ちついたところでじゅうぶん吟味した餌を与え、部屋を暗くして休息させます。

 もちろん帰った直後に与える飲料水にはプドー糖を混ぜます。またレースに参加させる鳩には持寄り一日前にかならず水浴させています。

 ◇配合◇(単位kg)
A:きび100g。小麦30g。アメリカ豆30g。イギリス豆20g。白えんどう25g。えんどう25g。
 からすえんどう5g。サフラワ5g。菜種5g
B:きび30g。小麦25g。えんどう25g。イギリス豆20g。からすえんどう20g。
C:サフラワ号5g。菜種3g。えんどう5g。
D:麻の実              』

 8月最後の日曜日、絶品ところてんを食べに行きました。  イレブン  2020年8月31日(月) 4:59
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テングサを干すところから作った「ところてん」です。昔、子供の頃食べていた記憶が蘇ってくる絶品でした。

 ・  イレブン  2020年8月31日(月) 5:00 修正

 ・  イレブン  2020年8月31日(月) 5:02 修正

 ・  イレブン  2020年8月31日(月) 5:44 修正

 『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ ブリクー系畢生の銘鳩ミュニエ号資料編@ 画像資料『ミュニエ号 ベルギーから日本へ』」◇◇◇◇ 【出典:『愛鳩の友』誌、1965年11月号より引用)】  イレブン  2020年8月28日(金) 4:52
修正
現在の『Piet de Weerd 研究』は、Piet de Weerd さんの回想録のブリクー系編とも言うべきところになっています。そこで、この資料編では、憧れの銘鳩「ミュニエ号」の関する資料を可能な限り掲載する予定です。

それは、何よりもピートさんが、このミュニエ号について「『ファーレ・デマレット』(※ミュニエ号のこと)は私ならばブリクーの全系統の中で最も欲しいと思う鳩です」と述べているからです。

しかも、ミュニエ号の2回目のバルセロナ優勝当日にドマレー鳩舎にいって直接掴んで記録確認したのがピートさんだったということも回想録で明らかになりました。

余談ですが、この2度目のバルセロナに参加する持ち寄りの直前(持ち寄り当日数時間前)、ドマレー鳩舎に立ち寄りこのミュニエ号を掴んだのが日本の岩田考七だったことも考えるとなんだか不思議な繋がりを感じさせます。

ここで、ミュニエ号に関するピートさんの回想部分を全て引用しておきたいと思います。ピートさんがどのようにミュニエ号を鑑定していたのかが分かる貴重な記述です。ピートさんが、回想録の表紙にミュニエ号の画像を選んだ理由が分かるような気がしました。


●「ファーレ・デマレット」(※ミュニエ号のこと)は私ならばブリクーの全系統の中で最も欲しいと思う鳩です。このオス鳩は、大きな「デカラジュ」(羽の間の透き間)のある長い翼を持っています。彼は激しく攻撃的な気性をした並ぶもののないトップレーサーでした。ヤンセンはこのような鳩を持っていませんでした。ヤンセンの鳩はいずれも体型が短く、豊かな筋肉をしていました。

●このオッティニーの「飛行機」は、私にデブリーントの「ズワルテバント」を思い出させます。それは何よりも筋肉によってです。脚環番号は58−21006367で、1962年と1963年にバルセロナNで優勝しました。第1回目の優勝では、このトリは西ヨーロッパ全体で40分の差をつけました。1963年のとき、当時キュルゲム・センターの所長を務めていたファン・タインは、ブレダのバロニーラーンに住むレース主催者に電話して、1時間半も前に1羽の鳩が鳩舎に戻ってきましたが、2羽目はまだ見えないと伝えました。そして、私にその鳩がどれだか言い当てられるかと聞きました。彼は私を迎えるために娘のオルガをアントワープによこしました。当時彼女は新しいパッカードを運転していました。正午を少し過ぎた頃、私たちはオッティニーのル・ドゥ・ブランーリに到着しました。

●アデリン・デマレットは鉄道員でした。彼は家の裏庭にある階段付きの小さい鳩舎の上に立って、心配そうに青い空を見つめていました。その表情は、自分の鳩か打ち立てた世界記録など彼にとってはどうでもよいかのような印象を与えました。「ファーレ・ブリクー」はあまりに力強く、荒々しい飛び方をしたために、両翼の外側の風切羽が上方に湾曲してしまっていたのです。トリは以前は金色が混在した栗色の目をしていましたが、今では淡いチョコレート色ないしクリーム状の白味を帯び、瞳孔の緑は青みがかった褐色をしていました。血色と虹彩の色は、それまで見たこともないほどに、すっかり消え失せていました。

●トリはあれほど厳しく過酷な時間を経た今でも、その卓越したクラスの徴候をみせていました。この肩幅の広い巨大な闘士は、嘴の先を軽くつまんだだけで激しく抵抗しましな彼は非常に短気で、そういったことが全く我慢ならなかったのです。

●この鳩は、ディッケブスに住むダニェル・デフォスに売られました。この男は「太ったキッネ」のニックネームを持っていましたが、それもそのはず体重が280ポンドもあったのです。それから約一年半の後、この鳩は最後に極東に売られました。(※注イレブン:銘鳩ミュニエ号のことです)

●私だったら、このような鳩をどんな相手と掛け合わせたでしょうか。ヤンセン系の鳩で言えば、1951年の「ショーン・リヒト」か、1958年のメス鳩でしょう。このメス鳩というのは、1964年の聖霊降臨祭にヘイスト・オプ・デン・ベルクのユージーン・ミーレマンスから買ったもので、1年後に再びヤン・フロンデラエルスに売りました。

以上[ピート・デヴィート回想録028「伝統継承と進歩」より引用]


この『Piet de Weerd 研究』関連資料: ミュニエ号編では、しばらく時間をかけて、次の資料を掲載する計画です。

@画像資料「ミュニエ号 ベルギーから日本へ」
A「銘鳩ミュニエ号のすべて」
B大田誠彦「PIGEON CULTUREF〜H」

 画像資料『ミュニエ号 ベルギーから日本へ』@    2020年8月28日(金) 5:17 修正

 画像資料『ミュニエ号 ベルギーから日本へ』A    2020年8月28日(金) 5:18 修正

 画像資料『ミュニエ号 ベルギーから日本へ』B    2020年8月28日(金) 5:19 修正

 《系統研究》【OPEL BOOK 2020】008   第1章 オペル系系統調査公開資料の全て ○全文引用資料(8) 『オペル系は永遠に生きている 《その2》』 任秀夫 (出典:『愛鳩の友』1965年1月号)  イレブン  2020年8月24日(月) 3:24
修正
久しぶりに《系統研究》【OPEL BOOK 2020】に戻ります。現在進めている「第1章 オペル系系統調査公開資料の全て」では、その資料の収集を国立国会図書館とやりとりをしながら進めています。特にこの時期、コロナ禍の影響の関係で、国立国会図書館の対応が、通常より数倍時間が掛かっているそうです。


先日、任秀夫氏の「『オペル系は永遠に生きている』その2」のコピーがやっと送ってきました。この 『オペル系は永遠に生きている』は、当初左図のような計画で執筆が開始されていたようですが、執筆途中に任秀夫氏の急遽の鳩飼育の中止という事態が発生し、当初の連載計画の変更を余儀なくされていたようです。そのあたりの事情について任秀夫氏は最終回の冒頭で、

「前4回にわたって、オペルという人物、そのオペル氏が作り出した″不滅のオペル系″の威力、その驚くべき長距離の記録、そして鳩の死後この系統を受け継いだビール兄弟の活躍などについて筆をすすめてきたが、本誌の前月号で読者の皆さんもご存知のとおり、小生の一身上の都合で飯よりも好きだった鳩の飼育を、一時休まなくてはならないことになり、オペル系の輸入鳩全鳩を含めて、小生の苦心して輸入してきた鳩のすべてを愛鳩の友社を通じて処分しなければならなくなり、この”最終回”を書く筆もにぶり勝ちである。」

と記されていました。「前4回」とあるので、当初の計画ではこの連載は4回で終わる計画だったようですが、最終的には5回の連載となったことが分かります。しかし、どうも2月号の掲載予定だった「3 オペル後継者の残り」、「4 偉大な銘鳩」、「5日本オペル研究会」は、掲載がされていなかったことが、今回の国立国会図書館とのやりとりで明らかになりました。「総索引」をもとに調査し直して再度依頼する予定です。

いずれにせよ、オペル系の研究については、この特別読物「オペル系は永遠に生きている」で明らかにされた情報と『オベル・プック』の2つしか現存していません。

 しかも、その『オペル・ブック』は「オペル系に関する1948年頃までの資料」(『オペル系は永遠に生きている』その1より)なので、オペル系の研究を進めて行く上で、この特別読物「オペル系は永遠に生きている」の連載ての全資料は何としてもそろえたいと思っています。

こうした事情もあり、遅々とした歩みになっていますが、しばらく時間がかかることをご容赦願います。では、早速先日届いた「オペル系は永遠に生きている 《その2》」を全文掲載しますね。

 ◇◇◇◇  □任秀夫  2020年8月24日(月) 4:26 修正
 偉大なアメリカの大競翔家J.L.オペル氏は、1961年のある夏の日にこの世を去った。
 しかし彼が残した″オペル系″は彼の死後もその後継者たちによって受け継がれて競翔界の第一線にある。
 「わたしは死んでもオペル系はまだ死なない」
 と云い残したオペル氏の予言のとおり、彼の系統は不滅のものとして現在に栄えている。

 日本にもこの系統の愛好者は多く、第一番にこの系統を採り入れて成功した名古屋の岩田兄弟鳩舎をはじめ、更に岩田氏からこの血を導入した日本国中の愛好者たちは、この系統がいかに偉大なものであったかを、直接知らされているはずである。

 前回は、オペル氏がどのようにしてこの系統を作りあげたかを述べた。今回は、オペル・ブック著者とオペル系の後継者をご紹介して、さらにこの系統への認識を深めていただくことにしょう。

 ■■■オペルブック著者・ジョンストン氏■■■    2020年8月24日(月) 4:29 修正
 私は残念ながら生前のオぺル氏と直接交友する機会を持つことはできなかった。だが、オペル氏の親友の一人である故A・S・ジョンストン氏とは再三にわたって文通し、また直接の指導をあおぐことができた.

 また、このジョンストン氏は″オペル・ブック”の著者でもあったために特にオペル系についての知識は豊富で、この人との交通によってかなりくわしく”オペル系″を知ることができたのである.

 ”オペル系〃が、オペル氏の死後も正しく伝えられているのは、この故オペル氏の先輩にあたる、A・S・ジョンストン氏が、オペル系の存在のために″オペル・ブック″をこの世に残したからに他ならない.

 私はこの系統をさらに詳細に調査するため、アメリカに留学中の弟(任秋夫氏)をA・ジョンストン鳩舎へさしむけたが、まったく残念なことに、そのわずか2〜3週間前にジョンストン氏は死去されてしまった。

 ………こうとなってしまっては、あとはそれ以前2年間にジョンストン氏と交わした手紙をもλにし、さらに”オペル・ブック”を研究し、また現在の後継者であるG・Gビール氏兄弟の指導をまつ以外に、この系統をきわめる方法はないことが痛感された。

 ジョンストン氏は、私への何回かの手紙の中で大要つぎのように述べている。私はこの手紙の中にジョンストン氏の好意がにじみ出ているのが感じられ、81才で亡くなった彼の冥福を祈るものである。

 ■ジョンストン氏の手紙■    2020年8月24日(月) 4:30 修正
 『私(故A・S・ジョンストン氏)は故J・Lオぺル氏とは51年間の親友であり、オペル氏が死去する直前に2〜3度会うチャンスを得たことは今なお喜びとしています。

 オペル氏は、鳩に関しては何でもかんでも知っている、ベテランの愛鳩家でした、1926年に一度鳩を売る広告を出して、彼の飼育する鳩の数羽を手放したことがありましたが、あとでそのことを深く後悔し、その後どんなに有名になっても鳩を売ることを好まなかったというほどの、いわば変り者でした.

 事実、その後は死去されても鳩を売ることなく、ビール兄弟に引き継がせたのでした。そのほかのオペル氏によって作出使翔されたところの宝石にも似たすばらしい鳩たちは、多くの愛鳩家に贈られました。

 オペル氏は、けっして自分の鳩を自慢することなく、自分の思った鳩を作り出すことに満足していたのです。中でもオペル氏を満足させたのは、無数の長距離レースでの優勝歴の中で、何と言ってもチャータヌーガー・ナショナル・レースに優勝・入賞したときであったでしょう。”オペル・ブック″を出版したのは、すべて私のアイディアでしたが、この本を発行する許可を得るために、オペル氏に何回も何回も会って説得したもので、彼はこのように宜伝めいたことをするのが全く嫌いでした.しかし、一九四九年に″オ.ペルーブック″が刊行される運びになったとき、オペル氏はそれを大変喜んでくれました。私の苦心のかいがあったのです。私には、64頁のこの本は今後決して書き変えたり、書き加えたりしてはならないと私に言い残しました。

 わずか64頁の小冊子ですが私とオペル氏が二人がかりで、昔からのぽう大な記録を振り返りながら編集したもので、大変な努力を必要としました。

 オペル氏は、かつて日本に鳩を送ったことはありません。彼の系統がアメリカの他の鳩舎からは回って行ったかも知れませんが。

 しかし、もしオペル氏が生きており、日本でもオペルの鳩が飛んでいるということを聞けば、私以上に喜んだことでしょう。他の異なった地形の国でテストされることは大変意義の深いことです。

 私は、故オペル氏の後継者であるG・Gビール氏に、日本にオペルの鳩を送るように何回も助言しました。こうして日本に送られたオペルの鳩は、きっと2〜3年後にオペル本来の能力を発揮し、オペルの過去を知る以上に、日本のオペル愛好者に新しい記録と喜びを与えてくれるでしょう。

 ビール兄弟は大変忙しい人たちですが、暇さえあれば「日本オペル研究会」やこの系統の飼育者への良き手助けをしてくれるに違いありません。

 私のような老人の話より若い現役のビール兄弟に今後のアシスタントをお願いすることです。 日本の皆さんへ    A・Sジョンストン 1964年4月』

 これが、故ジョンストン氏からの最後の言葉になろうとは予期もできなかった。

 こうしてオペル氏が一生涯をかけて作りあげたオペル系−ジョンストン氏が世に出したオペル系は、今後日本の愛鳩家の手によって、さらに新記録へ、新記録へと挑戦に挑戦を重ねて保存されて行くことでしょう。ジョンストン氏が紹介してくれたビール兄弟鳩舎をつぎに発表しよう。

 ■■オペル後継者・ビール氏兄弟■■    2020年8月24日(月) 4:32 修正
 このビール兄弟鳩舎の訪問記は、私の弟(任秋夫氏)からの手紙をそのまま発表することにしよう。

「6月10日(昨年)より夏休みに入り、兼ねてより念願のビール兄弟を訪問しようと決心し、まずはロスアンゼルスから問い合わせのための長距離電話を掛けてみた。どんな返事がもらえるものかと心配していたが、案に相違して先方は私の訪問をこころよく承諾してくれ、ワシントンの空港まで迎えに行くと言ってくれた。

 早速6月13日の午前中にワシントンに到着する航空便をさがしたが、丁度13日午前0時50分発のコンチネンタル・エアーライン会社の大型ジェット機を予約することができた。

 同機は午前6時にシカゴで到着、そこで午前8時発のユナイテッド・エアーライン会社の双発機に乗り替えてワシントンに午前11時32分に着陸した。

 ワシントン国際空港には、グレン・ビール氏夫妻と子供のマーク君が出迎えてくれた。同氏とは一年以上もの間、親しく文通をしてきたが、会うのはこれがはじめてで、さすがに嬉しかった。

 氏はもの静かな、きりっとした好紳士で、婦人や子供も大変に友好的で、さっそく車でワシントン市内の名所・旧跡を案内してくれた。国会議事堂、記念塔、ホワイト(ウス、美術館、博物館と見物させてもらっているうちに、私が中学生だった頃に、東京見物をした時のような感動がこみあげ、さすがアメリカの首都だけはあるなと思った。

 約2時間の市内見物のうち、ビール一家の住んでいるワシントンの北20キロのロウレル市に向かつた。

 彼の家は、まだ新築したばかりのすこぶるモダンな中流家庭風の平家のレンガ造りで、まわりは広びろとした芝生におおわれている。

 約5坪ばかりの彼の鳩舎は、家から20メートルほど離れた裏庭の隅にあり、その後方は市の所有する5エーカーばかりの雑木林がある。林の中ほどには小川が流れていて、まことに自然に色どられた理想的な立地条件を有し、鳩も自由にのびのびと芝生の上でたわむれ合っている。

 令兄のグレン・ビール氏と、令弟のラッセル・ビール氏とは隣り合わせに住んでいて、二人の家も鳩舎も、ともに芝生の地続きである。

 グレン・ビール氏は、ワシントン市の海軍局に勤務しており、ラッセル・ビール氏はロウレル市の郵便局の局長をしていて、ともに大変忙しい人たちである。
 
同夜は、弟のラッセル・ビール氏も加わって、ことのほか歓待され、いろいろと鳩の話しに花が咲き、ねむ気を忘れるほどだった。

 以下は、この時のビール兄弟がオペル氏の回顧談として語ってくれたものである.

 ビール兄弟が鳩を飼いはじめたのは、1919年で、彼らの父がそれ以前、十数年にわたってやはり鳩を飼っており、現在のグレン・ビール氏の鳩舎は父親が建てたもので、この兄弟は生粋の愛鳩家ということができよう。

 そんなわけで、1926年までは、父親の名前でレースに参加していた 彼らが、はじめて故オペル氏に会ったのは1928年であったが、オベル氏から最初に鳩をわけて貰ったのは1940年でその後、オベル氏が1961年の8月に死ぬまで、最も親しい友人として共に鳩飼育・レース参加に励んできたのであった。

 当時のオペル氏は、MCCAクラブ (モニュメソタル・シティ・コンコース・アソシェシーションの略)の書記をしており、同クラブの最もすぐれた競翔家であった.

 故オベル氏の鳩に対する情熱とその偉大な業績は、″オペル・ブック″の作者であり、オペル氏の51年間にわたる最愛の友人であり、そしてオペル系の原鳩である″オールド・スレート号″をオベル氏に提供したシド・ジョンストン氏をして彼の偉大な業績をたたえしめたのである.

 故オペル氏は、大変謙虚で誠実な人で、自分の鳩が達成したすばらしい記録のかずかずを決して誇ることなく、また、自分の信頼に足る、ごくわずかな愛鳩家以外には決して鳩を分け与えようとしなかったため、多数の愛鳩家が氏の鳩を求めて得ることができなかった。

 オペル氏は、常に「鳩は私の恋人であり、人生の喜びを与えてくれる唯一のものである」と言い、終生を一度も結婚することなく独身で過ごしており.変人と思われるほどに鳩一すじに生き、自分の鳩の改良、記録更新に一生を棒げた人である.

 したがって、オペル氏には、あとを継ぐべき子供もなく、ビール兄弟を自分の樹立したオペル系の信頼に足る後継者として、自分の死後すべての鳩を引き取ってくれるよう遺言をしたのである。

 そこで、約150羽の中、主に種鳩々舎の鳩はグレン・ビール氏に引き取られ、選手鳩、若鳩々舎の鳩はラッセル・ビール氏の鳩舎に収容された 以来、オペル氏の生前に氏の鳩を幾度も求めて得られなかった多数の愛鳩家が、このことを伝え聞いて、いかようの価格でも良いから是非オペルの鳩を分けてくれ――と、ビール兄弟に懇請にくるが、兄弟ともどもオペル氏の遺言を堅く守つて頑として応じなかったし今後もその積りであると語っている.

 そして一昨年 (1963年)末に日本に送った鳩は.特にシド・ジョンストン氏が、もしオペル氏が生きていれば、自分の鳩が気候、地理条件の異なる他国にあってどのような成果をあげ得るかを必ず試すであろうから、多数はいけないが少数の鳩を日本に送ってはどうかと言われたので特に送ったもので、本当に例外なのだと繰返し言われる。

 日本の多数の同好者の依頼をうけて、再度のオペル鳩購入のために、はるばる訪れて来たのに、これは先に一本釘を剌された型になつてしまい、とうとう同夜はその件を切り出すことができなかった 息子マーク君の一部屋を提供してもらって、ベットに横になるとさすがに疲れが出て、購入の交渉は相当難航しそうだなあと思いながら、グッスリとねむりにおちた。

 翌日の日曜日は、両兄弟の所有する代表的な鳩を、もれなく紹介され、心ゆくまで多くの見事な鳩を観賞することができた。

 両兄弟とも、そのすべての鳩がオペル系であり、MCCAクラブにおいては常にトップークラスに位置し、年平均それぞれ約25羽の鳩を500マイル以上の距離から飛び帰すことに成功している。 これは同クラブ主催のレースやあるいは十数クラブが一緒に行なうコンコース・レースにおいて出場羽数が一人につき5羽が、時として10羽と定められていることを考え合わせると、実に無駄なく参加させた鳩を帰しているということを意味するのである。

 しかも天侯の良し悪しにかかわらず定められた日時において放鳩されるので、全休の帰還率が2割か3割というのも常のことなのであるから、オペル系の帰還率の高さ、悪天候に対する強さは抜群であるといってよかろう。
 途中になったが、来月号ではビール氏に聞いたオペル氏の作出法などから筆を進めてみたいと思っている。     (以下次号)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ イレブン編「Dr.Bordeauxの配合論」@◇◇◇◇ 基礎鳩A:【オード・ベークマン】6重近親鳩【No.85】の系図考察  イレブン  2020年8月21日(金) 5:33
修正
イレブンは、ここ数日をかけて、1952年11月16日、ブリュッセルにおいて行われたブリクー.Jr主催「ブリクー全鳩処分」となった競売リストにあげられた種鳩40羽、若鳩48羽の全鳩88羽分の「系図」を作成し1冊のファイルにしてみました。

イレブンは、今日から仕事なので丁度、「夏休みの自由研究」となりました。お陰で、いろんな事が見えて来ました。

Dr.Bordeauxの「濃密な近親交配」は、イレブンの想像を超えたものでした。その1例をあげておきます。記号数字は先日アップしておいた「ドクター・アーサー・ブリクー鳩舎の配合例」に基づいています。

基礎鳩A:【オード・ベークマン】6重近親です。

このような濃密な近親交配をDr.Bordeauxは躊躇なく実施しています。「ドクター・アーサー・ブリクー鳩舎の配合例」はPiet de Weerdの近親論の主張のエビデンス(evidence)となっている事が伝わってきました。



 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ イレブン編「Dr.Bordeauxの配合論」A◇◇◇Dr.ブリクー全鳩競売リスト種鳩1〜20の系図分析   イレブン  2020年8月22日(土) 4:34 修正
Dr.Bordeauxの配合論を「Dr.ブリクー全鳩競売リスト」の掲載鳩の系図を作成したことで、次の点が明らかになりました。

@Dr.Bordeauxの近親配合の基準は、親子配合と異父兄弟・異母兄弟配合である。

ADr.Bordeauxはこの基準配合を更に複雑に組み合わせた「濃密な近親配合」によって作出している。

BDr.Bordeauxは、この「濃密な近親配合」によって作出した鳩をレースで使い、成績優秀鳩を種鳩として使用している。(無記録種は極僅か)

上記のことがわかりやすいように種鳩1〜20に絞って分類してみました。「※注イレブン:重要参考種鳩」と記入している種鳩の系図も、掲載しておきます。

 【 Dr.ブリクー全鳩競売リスト種鳩1〜20の系図分析】  イレブン  2020年8月22日(土) 4:46 修正
【親子配合】
●2 : 【45−1715631】 B C ♀ A×D
●4:【ショーネ・ゲショルプテ 48−518722♀】A×D

【異父兄弟・異母兄弟配合】
●6:【グロート・ゲショルプテ 48−468973 ♀】K×D
●8【:48−411817 R♀】L×G
●9:【コード・ロゼ 49−461919♂】No.13×No8
●12:【49−461920 R♀】No.3×No.8  (No. 9 の姉妹)
●13 :【グロート・ゲショルプテ 49−361101】Aの直仔×No.2(A×D)
●18:【50−542812 RWFT ♀】No.3×No.8

【(自身×親子配合)×異父兄弟・異母兄弟配合】
●17 : 【クライネ・クラヴァッテ 50−429630♂】No.5×No.6
●19 :【クライネ・ズワルト 50−429649】No.5×No.6

【自身×親子配合】
●5:【ベークマン 49−536279】 A×No.4 ※注イレブン:重要参考種鳩

【直仔×親子配合】
●15 : 【レイト・ブラウエ ♀】H×(Aの娘)
●16:BCWFT ♀ Aの直仔×N0.4 純ベークマン

【親子配合の直仔×親子配合】
●20 :【50−429638 B C ♀】・No11×No2種鳩専用  ※注イレブン:重要参考種鳩

【自身×異父兄弟・異母兄弟配合】
●7:【クライネ・ベークマン 49-461905♂】A×No.6 ※注イレブン:重要参考種鳩 

【異血(同系】×親子配合】
●10 : 【デイッケ・ゲショルプテ 49−361104♀】ゲショルプテ・ダービー×No.4

【異血(同系】×異父兄弟・異母兄弟配合】
●14 : 【49−536299 B ♀】No.1×No.6 

【異母兄弟配合作出鳩の親子配合】
●11 : 【グロート・クラヴァツテ49−461913】No.7(A×No.6)の兄弟 【ディッヶ・ベークマン】×No.6 ※注イレブン:重要参考種鳩


 【重要参考種鳩】系図  イレブン  2020年8月22日(土) 5:01 修正

 ・  イレブン  2020年8月22日(土) 5:05 修正
・・

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ 素野理論「作出のセオリー」からの考察  イレブン  2020年8月22日(土) 5:48 修正
Dr.Bordeauxの配合論を種鳩の系図を作成して見ていくと親子配合と異父・異母兄弟配合が基準となっていることが明確に伝わってきます。

これから、ピートさんの回想録に出てくる銘系の一つひとつを同じ手法を使って研究を進めていく考えです。

そこで、考察の重要な手がかりを教えてくれるのが素野さんの「作出のセオリー」です。いずれ、どっしりと腰を据えてこの『Piet de Weerd 研究』を進めたいと考えています。その際の関連資料の一つとして上記の資料を掲載しておきます。素野理論は、Dr.Bordeauxの手法を理解していく上で、重要な手がかりに成ると考えています。

 【当歳1000Kへの挑戦2020】  イレブン  2020年8月19日(水) 22:08
修正
秋レース参加予定の本年作出選手鳩の眼を撮影しました。

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:09 修正

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:10 修正

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:12 修正

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:14 修正

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:16 修正

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:18 修正
・」

 ・  イレブン  2020年8月19日(水) 22:21 修正

 ジュール・シーザーの両親について  薩摩どん太  2020年8月19日(水) 2:35
修正
こんばんは、イレブン様

久しぶりに掲示板拝見しました。
随分ブリクー特集みたいになりましたね〜
飛ばなきゃ意味がありませんが(笑)

イレブン様のスネーク源鳩も元を辿ればオペル氏が導入したローガン系があまりにも飛ぶので系統を躍起になって調べてDr.アンダーソンが導入したポールシオンのブリクー(Cattrijsse(カトリスもブリクー基礎)ライン×純ブリクーとDuray)が基礎。と記憶しています。
間違ってたらすみません。


ところで、ジュール・ガレス著(ギャレッツと言います)のブリクーの特集の中でジュール・シーザーの両親が不明とありますね。


Jules Cesar(ジュール・シーザー)
B21-477203

代表成績は1位 nat. Bordeaux


父親は、Donkere Beeckman(ドンケレ・ベークマン)
母親は、Petite Rousse  (プティ・ルージュ)5位 nat. Dax

Petit Roux (プティ・ルークス)B20-1169402
Belle Rouge(ベル・ルージュ)
Derby   (ダービー)B24-2615224

共にジュール・シーザーの全兄妹です。
これらの成績は知ってのとおりです。

シーザーの息子はポワリューPoilu B40-3002110(ポワールと言います)

ポワールは、ファンデ・エスプトの“ナポレオン”の息子“ヴィトーグスケ”へと配合されていきます。

私が思うに大戦前のブリクーがモレナールを作出した時から1920〜1930年代にかけてブリクーと【ファンデ・フェルデ】【ファンデ・エスプト】【コーニール・ホーレマンス】【トレムリーとコミンヌ】【カトリス】【シオン】など当時のベルギー代表鳩とシオン鳩が絡み合ってます。

オペルさんの鳩は、これらの系統とまとまった後ですね。

私はギャレッツの史実も正しいと思いますが、ブリクーにとってはウェッゲの鳩をどう配合すればいいかテストしていますので、まだ著書以前の系統を調べないと、飛ぶための優性、劣性の判断ができないと思っています。

何より飛ぶことが第一ですから、イレブンさんも頑張ってください。




 Jules Cesar(ジュール・シーザー)関連情報ありがとうございます!  イレブン  2020年8月19日(水) 16:28 修正
薩摩どん太様、Jules Cesar(ジュール・シーザー)関連情報ありがとうございます。

現在ブリクー系の研究に入っています。Jules Cesar(ジュール・シーザー)の両親もご存じなんですね。さすがですね。

ここ数日、ブリクー鳩の競売リストを元にそれぞれの種鳩の系図作りにはまっています。その系図を調べていくと、イレブンには、ブリクー博士がウエッゲ鳩の再生を目指して鳩を作っていたのではないかと考えています。このことは系図調査が一段落したら整理してまとめる考えです。また、その時いろいろ教えてくださいね。

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ Jules Gallez『ベルギーの系統とその歴史』ジュール・ガレス著(The history of the belgian strains by Jules Gallez)第[章「ドクター・アーサー・ブリクー・ジョリモン」◇◇◇◇ 【出典:『チャンピオン』誌、1977年9月号より引用)】  イレブン  2020年8月17日(月) 15:13
修正
前回に引き続き、Jules Gallez『ベルギーの系統とその歴史』でのブリクー研究資料を掲載します。今回は、前回の続き第[章「ドクター・アーサー・ブリクー・ジョリモン」です。

1947年、突然の死によりブリクー博士が亡くなった後、息子ジョリモンに引き継がれたブリクー系の銘鳩たちは、5年後1952年に全鳩が競売にかけられました。その際の「競売リスト」及び「図表:ドクター・アーサー・ブリクー鳩舎の配合例」と「Dr.ブリクーの一問一答の記事」が今回の主な内容です。特に系統研究の資料としてこの「競売リスト」及び「図表:ドクター・アーサー・ブリクー鳩舎の配合例」は重要かつ貴重な資料です。このことについて、Jules Gallezは、次のように書いています。

●一部の読者にとっては、これらの競売りストや別図を見ることほどつまらないことはないであろう。しかし、ある一部の読者にとってはこれほど興味深く重要な資料はないであろう。後者のような読者は何回も何回もこれらの資料を読み返すことによってブリクーの配合方法を研究することであろう。

Jules Gallezが言っているように、この競売リストをじっくり読んでいくとピートさんが世界最高の系統と太鼓判を押したこのブリクー系の系統形成過程が見えて来ます。Piet de Weerd が指摘しているようにヤンセンが近親交配nお手本としたと考えられるDr.Bricouxの呆れるほどの「濃密な近親交配」の事実が浮かび上がってきます。

イレブンは、この関連資料を書き込みながら幾度も立ち止まってこの種鳩リストを読み返しています。気になる種鳩には、「※注イレブン:重要参考種鳩」と書き込んでいます。これらの種鳩については、後ほど系図を作成して掲示板にアップしたいと考えています。

 ■ まえがき ■  □Jules Gallez  2020年8月17日(月) 15:15 修正
ブリクー系として知られるDr.アーサー・ブリク−によって確立された銘血は、その時代の流れを三期に大別することができる。

 第一期の時代は、ベークマン(Vekemans)、バクレーヌ、ジュール・ヤンセン、ウエーゲ系の流れるポール・シオン系などを基礎系統として確立されている。

 そのフリクー系の血筋は、ネストール・トウレムリー、アーサー・キヤラメン、デュモン・シヤサール等に多く流れていった。特にトウレムリーやキヤラメンは純粋なフリクー系の直系の多くを導入していった。そして、彼らはプリクー系の導入と同時に今まで飼育していた全鳩を処分し、純粋なブリクー系だけを飼育した。

 したがって、第一期の時代のブリクー直系の継承者はトウレムリーとキヤラメンのただ二人だけであった。
 時代系譜は、第一次大戦後(1918)より第二次大戦(1940)までの時代である。

 第二期の時代は、1940年の悲惨な事件より始まる。
 それは、フランス軍がペルギーの鳩が軍事目的のために通信鳩としてドイツ軍の手に陥ちるのを避けるためにおこなったレース鳩の一斉大虐殺であった。

 1940年、激しくなった戦火の中をブリク−は安全な場所へと疎開した。そして敵凋間後、我が衣へもどったブリクーを待っていたのはフランス軍によって殺されてしまった銘鳩の死骸だけであった。

 プリクーの受けたショックは非常に大き<、のちにそのショックガ彼の死を早めた原因かもしれないと人々に語り伝えられていった。

 トウレムリーとキヤラメンは恩師であるプリクーのために鳩舎再雇を手伝った。両鳩舎の代表種鳩を基礎鳩として、プリクーは新たな系統確立のために専念した。

 それらの基礎鳩は、プリクーの第一期の時代の系統をおもな流れとしていることは言うまでもないことである。
 時代系譜は、1940年からブリク−が73オで死去した1947年(?)までである。

 ■■■ 第 三 期 の 時 代 ■■■    2020年8月17日(月) 15:16 修正
第三期の時代は、1947年(?)のブリクーの死後から1952年におこなわれた全鳩処分の競売までの期間である。

 その間のブリクーの後継者は息子のブリクーJr.であった。しかしながら、プリクーJr.は事業が非常に忙しく十分な管理をすることができなかった。
 そのため、ブリクーJr.は大部分をハンドラーに委託して鳩舎維持をしていた。

 どんなにすぐれた血筋の鳩でも、豊富な経験と知識をもつレースマンに管理されたとしても優秀な成績をおさめるとはかぎらないのである。

 したがって、いかに優れた血筋の鳩でも管理するレースマンが知識や経験が不十分な場合には、なおさら成功を望むことはむずかしいのである。

 これが、プリクーJr.に全鳩処分を余議なくさせた事由であろう。
 これより紹介する全鳩処分の競売リストは、ブリクーによってなされた配合を研究する上で非常に参考となるであろう。

 ■ブリクーの全鳩処分■    2020年8月17日(月) 15:29 修正
ブリクーの全鳩処分は、1952年11月16日、プリュツセルにおいておこなわれた。
 ブリクーJr.によって主催されたその競売では、種鳩40羽、若鳩48羽が売りにだされた。
 それら88羽の基礎鳩は先月号で詳しく紹介した、つぎのA〜Lの12羽である。

 【 Dr.ブリクー晩年の基礎鳩】    2020年8月17日(月) 15:31 修正
●A:【オート・ベークマン】
 トゥレムリーのポー優勝鳩のポー・ヘンから作出された。ベークマン系。1951年に死んだ。
●B:【ド・ラング】 ♀
 ネストール・トゥレムリー作
●C:【ズワルト・プリクー】♂
 C×B、このペアーはブリクー鳩舎の基礎。
●D:【オート・ロスト】
 Aの娘
●E:【グレイ・キャラメン】
 父鳩のクライネ・ゲショルプテはキャラメン鳩舎の最高種鳩で、ベルギー・ナショナル21レースのうち20レースを入賞した銘鳩。
●F:【ホワイト・ノーズ34−2239609】BCP♂  ジュール・ヤンセン作
●G:【ロスト・ズワルトスタール】
 コード・グリズル・トゥレムリー×ショーネ
●H:【グリズル・シャトロー】
 A×(A×D)
●|:【レッド・ヘン】
 アス(B×C)×J
●J:【ナイス・レッド】
 (トゥレムリ一系×E)×D
●K:【ゲショルプテ】
 A×グリズル・トゥレムリー
●L:【グロート・ヴォス】
 グリズル・トゥレムリーの孫×E
 また他のプリクー系の代表鳩には、
●【グロート・ロード29−227600】 ブリクー作
 【父】【ド・ポワリュー】:【ジュール・シーザー】の仔
 【母】【ヌーヴエ・ゲショルプテ】:ジュール・シーザー】の姉妹
●【ジュール・シーザー】ジュール・ヤンセン作 残念ながら詳しい系統は不明
●【ド・ポワリュー】
 ゛ジュール・シーザー″の直仔……等々がいた。

     2020年8月17日(月) 15:34 修正
【競売で売られ種鳩40羽のリスト】

 競売で売られ88羽の全リストを紹介することはぼう大なページ数を必要とするので、ここでは種鳩40羽について紹介しよう。

●1:【オート・ローデン40−604318】

翔歴:アングレーム・ダービー83位、同レースN5位、ボルドー73位、リポルヌ4位、ポワティエ84位、アングレームN8位、ラ・ソートレーヌ21位、ボルドー20位、リボルヌ15位
 父鳩は32年生まれの【ズワルト・スタール】
 母鳩は有名な【ジュール・シーザー】の孫娘である【デイッケ・ロスト】
 ・オート・ローデンは14、39、68、69、86の父鳩

●2 : 【45−1715631】 B C ♀

 ・A×D ※注イレブン:重要参考種鳩
 ・ 13、20、22、57、58の母鳩

●3:【オート・ロスト 48−468965♂】

 ・F×G アングレームを主翼を骨折したままで帰還した。
 ・9.12、18、40、51、52、63、64、67の父

●4:【ショーネ・ゲショルプテ 48−518722♀】 ※注イレブン:重要参考種鳩

 ・A×D
 ・5、10、16、53、56、75、88の母鳩

●5:【ベークマン 49−536279】 ※注イレブン:重要参考種鳩

 ・A×No.4 代表的なベークマンのタイプ 第一級の種鳩 
 ・翔歴:51年モンサン・マルサン65位、ドールダン39位.アングレーム56位52年ボ  ルドー50位(ケガをして帰還)、リモージュ35位.25位、20位

●6:【グロート・ゲショルプテ 48−468973 ♀】

 ・K×D
 ・7、11、17、19、25、27の母鳩

●7:【クライネ・ベークマン 49-461905♂】 ※注イレブン:重要参考種鳩

 ・A×No.6  アメリカに売られた
 ・翔歴:50年ノーヨン63位、ポンステ18位
    51年:ノーヨン43位、シャトロー81位
    52年:コンパーニエ43位、トゥリー95位、オルレアン108位.シャトロー43       位、152位、リモージュ49位、ドールダン・シャル}レ85位.コルベイ       ル30位他多数入賞した第一線級のレーサー、種鳩である.
 ・29,30、31、46.47、76、77の父鳩

●8【:48−411817 R♀】

 ・L×G 非常に美しい種鳩
 ・9、12、18、39、54、55の母鳩

●9:【コード・ロゼ 49−461919♂】

 ・No.13×No8
 ・翔歴:50年ポン・ジョリモン43位
     51年:コルベイル45位、オルレアン104位、シャトロー59位
52年:トゥリー49位、オルレアン52位、ブルワ104位、トゥリー198位、コ ルベイル28位、29位
・49、50、78、79の父鳩

●10 : 【デイッケ・ゲショルプテ 49−361104♀】

 ・【ゲショルプテ・ダービー】×No.4
・46、47、76、77の母鳩

●11 : 【グロート・クラヴァツテ49−461913】

 ・No.7(A×No.6)の兄弟 【ディッヶ・ベークマン(アメリカに売られた)】×No.6
 ・翔歴:50年ポン・ジョリモン57位
     51年:ポン・ジョリモン56位、オルレアン131位、リモージュ80位

●12:【49−461920 R♀】

 ・No.3×No.8  (No. 9 の姉妹)
・61、62、73、74の母鳩

●13 :【グロート・ゲショルプテ 49−361101】

・Aの直仔でアングレームで失踪した【グロート・ゲショルプテ】×No.2
 ・翔歴:50年無記録
     51年:シャトロー21位
52年:コンパーニエ18位、ポン・ジョリモン33位、ドルダン49位、オルレ       アン80位
・38、85の父鳩

●14 : 【49−536299 B ♀】

 ・No.1×No.6 
 ・28、32、34、36、70、71の母鳩

●15 : 【レイト・ブラウエ ♀】

  ・H×(Aの娘)
  ・翔歴:50年無記録
      51年: 5月に失踪 9月に帰還
52年:トゥリー120位、ブルワ(三連合合同)29位、シャルルルワ53位

●16:BCWFT ♀

   ・Aの直仔×N0.4 純ベークマン
   ・29、30、31の母鳩

●17 : 【クライネ・クラヴァッテ 50−429630♂】

   ・No.5×No.6
・翔歴:51年無記録
   52年:ノーヨン9位、コンパーニエ53位、ポンジョリモン30位、ドール         ダン56位、シャトロー77位、ドールダン28位、コルベイル9位、11         位、16位
   ・33、.35、41、42、80、81の父鳩

●18:【50−542812 RWFT ♀】

  ・No.3×No.8
・43、82の母鳩

●19 :【クライネ・ズワルト 50−429649】

  ・No.5×No.6
・翔歴:51年無記録
     52年:ノーヨン75位、コンパーニエ79位、ポンサン43位他 後に足を折り        引退
●20 :【50−429631 B C ♀】.  ※注イレブン:重要参考種鳩
 
 ・No11×No2種鳩専用
 ・33、35、41、42、80、81の母鳩

●21 : 【グリズル・ウィツトペン】

 ・父鳩はメキシコに売られた【コード・クライネ・グリズル(Gの直仔)】母鳩はJ
 ・翔歴:51年無記録
    52年:ポンジョリモン10位..オルレアン148位、アングレーム24位、リモージ ュ10位、11位、18位
 ・32、34、36、43、86の父鳩

●22【:50−429640 B C ♀】 ※注イレブン:重要参考種鳩
 
  ・No11×No.2

● 23 : 【ライト・コック)

 ・N0.21の兄弟
 ・翔歴:51年無記録
    52年:ボルドー50位、リモージュ66位

●24 : 【50−7004 B ♀】

 ・ウィンデ・オーゼン兄弟から逆導入 純ブリクー
 ・59、60、87の母鳩

●25:BC♂ ※注イレブン:重要参考種鳩
 
 ・No.17の兄弟, No.5×No.6
 ・N0.24とペアーになり59、60、87の父鳩

●26:R♀

 ・父鳩は1951年最高の種鳩でNa9の兄弟、母鳩はJの娘
 ・40、49、50、78、79の母鳩

●27 : 【グロート・リヒテ・ゲショルプテ 51−410979♂】

  ・No.5×N0.6 Na17の兄弟
  ・65、66の父鳩

●28:【50−429634 B C ♀】

 ・No.9×No.14
 ・44、45、83、84の母鳩

●29 【: ショーネ・ズワルト・ウィツトペン♂】
 
 ・No.7×No.16 No.a30、31と兄弟
 ・75.88の父鳩

● 30:BC♀

 ・No7×No.16
・80の母鳩

●31:【51−410977 BLKWFT♂】

 ・No7×No.16
 ・72の父鳩

●32 : 【グリズル・ヘン】

 ・No21×N0.14、 N0.34、36の兄弟 
 ・72の母鳩

●33 : 【51−505066 B C ♀】 純ベークマン ※注イレブン:重要参考種鳩

 ・N0.17×No.20
・57、58の母鳩

●34 :【 ディツケ・ブラウエ】

 ・No21×N0.14
 ・68、69、86の母鳩

●35:BC♂ 純ベークマン

 ・N0.17×No.20
 ・70、71の父鳩

●36 :【クライネ・プラウエ 51−505342♀】

 ・No21×N0.14
 ・51、52、63、64、67の母鳩

●37 : 【51−505071 B C ♂】
 
 ・No.11×B♀(失踪)

●38 :【 ズワルト 51−505068 ♀】

 ・No.13×【ジョルジュ・ヴァーイェンベグル】
 ・65、66の母鳩

●39 : 【クライネ・ロード 51−416306♂】
 
・No.1×N.8
・61、62、73、74の父鳩

●40 : 51−410971 R ♂
 
・No.3×No.26
・48、54、55の父鳩

 以下48羽の若鳩(別図参照)

 一部の読者にとっては、これらの競売りストや別図を見ることほどつまらないことはないであろう。

 しかし、ある一部の読者にとってはこれほど興味深く重要な資料はないであろう。後者のような読者は何回も何回もこれらの資料を読み返すことによってブリクーの配合方法を研究することであろう。

 以上の資料を紹介したことには、つぎのような目的も含まれている。

(1)1940年以降、ブリクー系はプリクー自身によって再度確立されたが。ブリクーJr.により維持され、その後全ベルギーはもとよりヨーロッパ各地に流れた系統を明確にするためである。

(2)プリクーの代表基礎鳩の系統が。1940年以前のものと同一系統であることが実証できる。
 また、フランス軍に殺されてしまった戦前のブリクー系の長距雌鳩の代表として有名なジュール・シ−ザーの名前かあげられる。

(3)1940年以前、また1944年以降、ブリクーは基礎系統を異血交配させていた。ベークマン、バクレーヌはグルネー、ハンセーヌ系などと同様に銘血であった。ブリクーはトゥレムリー、キャラメンなどの系統を異血として導入していた。
 テオ・ファンデフェルデと同じオーデンベルグ市に住んでいたトゥレムリーは多くのフアンデフェルデ系を導入していた。また、トゥレムリーはブリクー系を導入するために全鳩を処分してしまう以前は、フアンデフェルデ系とベークマン系の異血交配によつて成功していた。

(4)ブリクーが鳩を少しでも速く飛ばすために興奮剤を与えていたという噂は事実無根であろう。
 彼が、そのような噂をされるほど成功をおさめたのは当時のうちでもWシステムの使翔者として第一任者であったためであろう。また、ブリクーが銘鳩ばかりを所有していたと断言するのは、いささか奇異に感じるので、誰もがおどろくほどWシステムのレースマンとして熟達していたと解釈するのがいちばん自然であろう。

(5)プリクーが基礎系統と交配させる場合、他の異血を配合させているということが明白である。

(続く)

 【『Piet de Weerd 研究』関連資料】◇◇◇◇ Jules Gallez『ベルギーの系統とその歴史』ジュール・ガレス著(The history of the belgian strains by Jules Gallez)第Z章「ドクター・アーサー・ブリクー」◇◇◇◇ 【出典:『チャンピオン』誌、1977年8月号より引用)】  イレブン  2020年8月16日(日) 3:09
修正
今回、『Piet de Weerd 研究』関連資料として引用する文献は、Jules Gallez著『ベルギーの系統とその歴史』(The history of the belgian strains by Jules Gallez)です。

これは、『チャンピオン』誌1977年3月号より長期にに渡って翻訳連載されたレース鳩研究文献の古典的な名著の一つです。今後も『Piet de Weerd 研究』関連資料として、その都度引用していく予定です。

著者Jules Gallezは、レース鳩研究の第一人者に数えられる人物です。氏については、次のような解説文がありましたので紹介します。

●Jules Gallez:ジュール・ガレスは真の歴史家でした。『ベルギーのレーシングピジョンの歴史』と 『101メソッドシリーズ』の著者。これらのコレクションは、ピジョンレーシングゲームで最もよく守られている「秘密」のいくつかをまとめたものです。多くの愛好家は、これらの秘密を探すために生涯を費やしています...そして、彼らはジュール・ガレスの著作を熱心に読み続けているのです。(TCCロフト-サイト:http://tccloft.blogspot.com/ の記事より引用)

このJules Gallezのブリクー系研究の調査資料は、第一級の資料的な価値があるとイレブンは思っています。

 ・  イレブン  2020年8月16日(日) 3:10 修正

 ■まえがき■  □Jules Gallez  2020年8月16日(日) 3:39 修正
第二次大戦(1939〜45)以前のもつとも有名かつ偉大なレースマンは、いったい誰であったろうか。

 それは疑いもな<、ベルギーはもとより全ヨーロッパにおいても、D「。アーサー・ブリクーをおいて他にないであろう。当時の数多いレースマンの中でもレース鳩の配合、作出技術やレースでの成功においてD「。アーサー・プリクーよりも偉大な人を見いだすことはむずかしいであろう。フリクーほどすばらしい成功をおさめた人はいないのである。フリクーの成した業績に比肩しうる成功をおさめた者を見い出すことはできないのである。

 Dr.アーサー・フリクーの突然の死後およそ10年間は、彼を手本としようとするレースマン達を非常に困惑させた。というのは、フリクーの鳩レースにおける輝かしい成功の基礎となった作出、レース、配合のテクニックや秘訣を紹介する書物が一冊もなかったからである。なぜなら、プリクーのそういったものはすべて誰にも明かされることがなく、プリクー自身の記録もなかったからである。

 アーサー・プリクーの死後、鳩舎の維持をしたのはフリクーJr.であったが、フリクー存命中の系統、鳩質を維持することができなかったのは残念なことである。

 Dr.アーサー・ブリクー系を大きく分類すると、三期に分けられる。

 第一期、第一次大戦後より第二次大戦までの系統、つまり1919年〜1939年の20年間の系統で、フリクー自身の手で確立された。

 第二期、1940年の悲しい事故の後、再度プリクーによって建でrされた系統である。

 第三期、1947年頃(不明)の突然のプリクーの死後、鳩舎の管理を受け継いだのは、息子のフリクーJr・であった。しかし非常に残念なことに、彼の息子はそれほど鳩レースに興味をもっていなかった。というのも、息子は事業面において活躍をしていたので十分にレース鳩の研究をするほどの時間がなかったのである。

 結論を先に言えば、Dr.アーサー・ブリクーは、1919年〜1939年の20年間を君臨した、疑いもなく鳩レースのチャンピオンなのである。

 ■■■ 第 一 期 の 時 代 ■■■    2020年8月16日(日) 3:42 修正
アーサー・ブリクーは、大学で医学を学んでいる頃に鳩レースに興味をもちはじめた。その後、50年経ったのちも、彼はいみじくもこう述べた。
 ゛私の鳩レースに対する情熱は、この50年間不変のものであった……″と。

 ブリクーの名前が世間で注目を浴びるようになり四半世紀もの間、彼の名声を不動のものとしたのは第一次大戦後であった。

 第一次大戦中でさえ、ブリクーはNレースや長距離レースにおいて数々の賞を勝ちとっている。

 1930年〜1939年の10年間で優勝14回、2位12回、上位20位以内124回の記録をしているのである。

 ブリクーの優勝、上位入賞したレースの数があまりにも多くすばらしい成功をおさめていたので、多くのレースマンはブリクーが鳩に興奮剤を与えていたのではないかといううわささえ流れた。

 ブリクーが成功し、有名になり始めたのは、基礎系統としてベークマン系とセリエール系を導入したことに発する。後に、ブリクーはヴァルクールを流れたバクレーヌ系やジュメッペを流れたルーズ一系も追加導入している。

 彼はまた、フランスのチャンピオン、ツールコワンのポール・シオンとも若鳩を何羽か交換している。さらに、ブリクーにはグルネー系や初期のブリクー系の最高基礎種鳩の゛ジュール・シーザー″、゛ホワイト・ノーズ″などのジュール・ヤンセン系が導入されていることが古い記録に見られる。しかし、ヽ`ジュール・シーザー”などの系統や記録がのこっていないのは非常に残念なことである。

 また、ブリクーの最高雄種鳩にはカレル・ウェーゲの流れが導入されていることも明らかである。

 そして、その最高雄種鳩の血筋はジュール・ヤンセンにも流れている。

 上記のそれぞれの異血は、プリクー自身によって配合されすばらしい結果をもたらした。ブリクーは近親交配もしたが、異血交配を重要視していた。

 直系や連続的な近親交配は失敗の傾向を示したという。プリクーによれば、異血をあまり入れないでいるとその系統が衰退してしまう。それは、近親交配が強く見られる系統を異血として導入する際には特に重要な事実なのである。一般的には、ある系統を導入する際はその系統の鳩をレースでテストしてから作出にとりかかるべきである、ということであった。

 ブリクーはレース鳩におけるもっとも重要な鳩質は何であるかという質問を受けるといつもこう答えたものである。

゛私は決して体質の弱い鳩や呼吸器系の弱い鳩を認めない。私のもっとも好みの夕イプは筋肉質の鳩で羽毛がやわらかで豊富にある鳩である。さらに長距離鳩としては副翼が十分に発達しているということが絶対条件である。副翼の短いタイプは中距離レースにもあまり向いていない。″ 

 プリクーの好みのタイプは長距離レース用のものである。プリクーは。短距離レースは長距離レースに参加させる前の単なる訓練としての意味でしか興味をもっていなかった。

 上記は真の偉大なる名声を勝ち得た、他に比肩しうることのできない偉大なレースマン、ベルギーの鳩史上において重要な役割を果たした世界的に有名なドクター・ブリクーの経験による代表的な言葉の一部である。

 プリクーの記録や成功は深く追求され研究された秘訣による結果としてのみもたらされていると信じる我々すべてのレースマンにとってよい教訓となることは必至である。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇    2020年8月16日(日) 3:55 修正
第一期の時代のブリクー自身によって確立された系統はスコットランドのDr.アンダーソン、ベルギー、アイゲンブラッヶルのデマネ(1953年5月死去)、オーデンブルグのネストール・トゥレムリー、シャトレのキャラメン、大富豪でヴィエール・ペルヴィンという城の主であるデュモン・シャサールなどにプリクー直系として流れている。
 ネストール・トゥレムリー、キャラメンについては後章で詳しく述べることにして、ここでは他の三者が導入したブリクーの代表種鳩について紹介しよう。

 ■ Dr.アンダーソン ■    2020年8月16日(日) 3:55 修正
Dr.アンダーソンはブリクーの最高基礎種鳩である゛ジュール・シーザー″の流れを非常に多く導入している。゛ジュール・シーザー″はジュール・ヤンセンの系統であるが、詳しい系統などは古い記録にも残っていないのは非常に残念である。

●゛ブリグース・プライド″RC♂35-2236039

 Dr.ブリター自身によって作出された最高種鳩で当時は300ポンドの雄種鳩として有名であった。
 この雄種鳩ばジュール・シーザー″の近親系で作出された。 Dr.アンダーソンは、この種鳩の直仔は二羽だけしか人に売らなかった。他の直仔はアンダーソン自身で確保しておき、晩年におこなわれた競売で初めて手離した。

●゛チャンピオン・ルイ″RC♂ 37−815

 Dr.アンダーソン作翔、レンヌ545マイルでクラブ5回優勝、地区3回優勝の銘鳩。 (系統図参照) この銘鳩の父方の祖父は有名な゛ブラック・ドクター゛で母方の祖先に゛ジュール・シーザー″が見られる。また母方の祖母゛メラニー″の祖先にはウェーゲ系が見られる。

● ゛ブラック・ドクター″ブリクー作 27−263654 BLKC ♂

 29年:アングレームN・ダービー44位
 30年:ボルドー1位、アングレーム7位
 31年:ボルドー9位、ポー32位、アングレーム19位他入賞
 32年:アングレーム32位他入賞
 33年:タックス68位
 34年:ポーN 108位他入賞の記録をもっ銘鳩。

 系図資料:【チャンピオン・ルイ号37-815RC♂ Dr.アンダーソン作翔】    2020年8月16日(日) 4:03 修正

 【画像資料】ブリグース・プライド号    2020年8月16日(日) 4:06 修正

 ■ デマネ(1953年5月死去)■    2020年8月16日(日) 4:08 修正
デマネはベルギーのRFC(ローヤル・フライング・クラブ)の理事をしており、レース面で多く成功していた。
 デマネは。1939年に死去したギョーム・スタッサールとも親交を得ておりスタッサール系を基礎としていた。また、モーリス・アミール系も基礎系統として導入していた。ブリュッセルのモーリス・アミールにはDr、ブリクーの初期の系統が流れていた。
 それは、デマネの代表種鳩である゛グラマー″の系統図を見るとはっきりする。

 ■ デュモン・シヤサール ■    2020年8月16日(日) 4:10 修正
 1940年までの初期ブリクー系は。三期、二大別したプリクー系の中でももっともすばらしく純粋な銘血である。そのブリクー系の代表鳩の一部はヴィエール・ペルヴィンという城の主で大富豪のザヴィエール・デュモン・シャサールによって導入された。

 デュモン・シャサールはプリクー系を多く導入したばかりでなく、自ら作出したブリクー系を多く世に出していた。デュモンによって主催されたプリク一系の競売の売上金は慈善事業に寄附された。

 以下は、デュモン・シャサールが系統確立のためにブリクー系を詳細に研究した古い記録に残っていたものである。ブリクーの代表種鳩が判明できる。

(1)クライネ・ゲショルプテ・ブリクー

 1930年におこなわれたブリクーの競売で購入。
 この鳩はDr.ブリクーのチャンピオン・レーサーの一羽で数多くのレースに入賞した5年間の中で、ポーナショナル優勝を記録している。
 父鳩ばコード・グレイ・ブリクー″23−2024739 母鳩ばサンバンサン″(純ブリクー)である。
 また、この鳩ばジュール・シーザー″の全姉妹で あるOデュモン鳩舎の代表雌種鳩゛コード・ズワ ルト゛44−1213は、この鳩の孫鳩である。

(2)ロード・リボルヌ 28−303973

 父鳩ばゲショルプテ・シオン゛ポール・シオン 直系で母鳩ばショーネ・ロード″ジュール・シーザーの姉妹
 翔歴:1930年:アングレームN・ダービー24位
 アングレームN(コルトレーク)1位
 アングレームN(ブリュッセル)4位
 31年:リボルヌ1位
 32年33年アングレームN(ブリュッセル)1位
 ボルドーN(アンダンテ・ベルジ)1位
 ゛ロード・リボルヌ″ばグレイ″39−91374の父鳩
で、゛グレイ″はデュモン鳩舎の代表種鳩になった前述の゛コード・ズワルト″44−1213の曽々祖父である。

(3)コード・ロード・ブリクー 29−227541

 父鳩ばズワルト・ペン″ジュール・シーザーの兄弟、母鳩ばコード・ゲショルプテ″タックスN7位入賞 コード・グレイ×有名なサンバンサン
 翔歴:1931年:ナショナル・ダービー9位
 アングレームN2位、アングレームNI位
 32年:トゥリー1位、アングレームN4位
 32年:トゥリー1位、アングレームN4位
。33年:オルレアン3位、アングレーム2位
    アングレームN(全ベルギー)64位
 ゛コード・ロード・ブリクー″ばオート・ブリクー″37−201942という1940年のフランス軍による悲惨な大虐殺を逃がれた唯一羽の雌鳩の父鳩である。

(4)ボルドー・ブリクー 1931年生まれ

 Dr.ブリクーのベークマン系直系
 翔歴:1934年:ボルドー2位
 36年:ビアリッツ1位
 37年:シャトロー1位
 38年:サンバンサン1位
 39年:タックス17位
 ゛ズワルト・ブリクー″37−201942の祖父。
 ゛ズワルト・ブリクー″は1940年にトゥレムリーの゛ラング″とペアーにされた。

(5)グロート・ロード 29−227600 ブリクー作

 ゛ドリーム″の兄弟O父鳩はブリクーの゛ド・ポワリュー″で゛ジュール・シーザー″の直仔・母鳩ばヌウーヴエ・ゲショルプテ″で゛ジュール・シーザー″の姉妹である。
 ゛グロート・ロード″は、1933年全ベルギーの最優秀雌種鳩という記録をもっている。
 他のDr.ブリクーの代表種鳩ばホワイト・ノーズ″BCP合34−2239609 ジュール・ヤンセン作純ジュール・ヤンセンで、ノーヨンからサンバンサンまで入賞し、コニャック1055羽中13位、アングレーム7位、サンバンサン13位、ピンシエ13位に入賞した鳩などである。

 ■■■ 第 二 期 の 時 代 ■■■    2020年8月16日(日) 4:12 修正
アーサー・プリクーの競剔生活は、銘鳩を作出し多くの優入賞鳩を作出する偉業を果たしえた、絶え間なくレース鳩を改良することにのみ費やされた。
 プリクーの晩年はいささか悲しい物語である。

 時は1940年、大多数の人々にふりかかった悲惨な大混乱の中でブリクーも疎開者の一人となって逃げた。数週間後、再び我が家へ戻ったブリクーはかつて経験したことのない激しい悲しみに打たれた。それは、ブリクーの疎開中にフランス軍は、彼の全人生を傾けた生きがいの銘鳩をすべて殺してしまっていたのであった。

 プリクーのうけたショックは想像を絶するもので、それが彼の死を早めた原因かもしれないのである。

 その後、何ヶ月たってもブリクーは自分の一番好きな趣味を再び開始しようとする気配さえみせようとはしなかった。それほど、プリクーは気が抜けてしまったのである。

 しかし、幸運なことにブリクーにはフランス軍によって殺されてしまった銘鳩の子孫や、初期のブリクーの代表種鳩を導入していた親友が二人いた。

 彼らはオーデンブルグのネストール・トウレムリーとシャトレのアーサー・キャラメンであった。

 彼らは意気消沈したプリクーを訪れ、レースを再開できるよう彼らの鳩舎からブリクーの欲する種鳩を喜んで提供しようと申し出た。彼ら二人の親切な申し出とブリクーの天才的な才量によって、ブリクーは新たな系統確立に再度着手することができた。

 トゥレムリー、キャラメンの両鳩舎の種鳩はブリクー自身の経験と才能で厳選され配合された。

 そして、それらプリクー自身の手で選び抜いた最高の種鳩から輩出された鳩によってブリクーは再び数々の成功をおさめはじめたのである。

 ■ブリクー晩年の基礎種鳩 ■    2020年8月16日(日) 4:14 修正
ブリクー晩年の基礎種鳩は、1940年にブリクーの銘鳩がフランス軍に殺されてしまい、トゥレムリーやキャラメンが鳩舎再建を助けるため提供したもので、言うまでもなくブリクー初期の代表種鳩を彼らが導入したものである。つまり、第二次大戦以前のブリクー自身が確立した銘血が再度逆導入されたのである。それらは………

●A:オード・ベークマン

 ブリクー初期の基礎系統で、トゥレムリーのポー優勝鳩のボー・ヘンから生まれた銘鳩である。オード・ベークマンは1951年に死亡。

●B:ド・ラング

 トゥレムリー作 二才鳩時、数多くの入賞記録をもつ。1940年、Cとペアーにされブリクーの代表ペアーとなった。

●C:ズワルト・ブリクー

 父鳩ばコード・ロード″、母鳩はボルドーN入賞した鳩である。BXCのペアーはブリクー鳩舎の代表ペアーとなった。

●D:グレイ・キャラメン

 父鳩は有名な゛クライネ・ゲショルプテ″、母鳩はブリクー自身によって厳選されだグレイ・キャラメン″である。
 ゛クライネ・ゲショルブデはプリクーがキャラメンにあげた卵から生まれた鳩で、アングレーム、リボルヌ、ボルドー、ポー、サンバンサンなどの長距離21レース中20回入賞した銘鳩である。

●E:オート・ロスト
 ゛オート・ベークマン″Aの直娘。

●F:ホワイト・ノーズ B C P 34−2239609

 ジュール・ヤンセン作 純ジュール・ヤンセン
 この鳩はトゥレムリー、キャラメンのどちらからブリクーに導入されたのかは定かでない。しかし、ブリクーが戦前に導入し、二者のうちどちらかに譲ったことは確かである。

●G:ロスト・ズワルトスタール♀

ゴード・グレイ・トゥレムリーの直仔×ショーネ

●H:グレイ・シャトロー

A×(A×D)の直仔 ※注イレブン:親子配合となっています。

●I:レッド・ヘン

父鳩ばアス″(゛アス″はB×Cの直仔)母鳩ばナイス・レッド″J

●J:ナイス・レッド

・父鳩ばエアブレーン・トゥレムリー″XE 母鳩ばD″

●K:ゲショルプテ

 A×゛グレイ・トゥレムリー″の娘

●L:グロート・ヴォス

 ゛グレイ・トゥレムリー″の孫
 母鳩ばE″

 幸運にもブリクーに比屑しうる成功をおさめることができたレースマンはネストール・トゥレムリーとキャラメンである。なぜなら、二人はブリクー系を導入する以前にも優秀なレースマンであったが、プリクー系を基礎として導入してからはめざましい活躍しはじめたのである。

 キャラメンは、アングレームとボルドーを上位入賞しだモザイク″どブラウエ″という銘鳩をもっていたが、プリクー系を基礎として導入すると同時にちゅうちょすることなく全鳩を手放してしまった。

 また、ネストール・トゥレムリーも名の知れたレースマンでフアンデフェルデ×グルネーの゛マデロン″、バクレーヌ系の゛モーレナール゛という銘鳩と第一級クラスの鳩ばかりを飼育し、トゥレムリー系確立のために努力していた。

 しかし、プリクー自身より直接導入する機会を得ると同時に、トゥレムリーはプリクー系によって独自の系統を確立しようと決心した。そして、純粋なブリクー系だけを飼育するため、トゥレムリーはキャラメンと同じようにいままで飼育していた鳩を全鳩競売に出し処分してしまったのである。

 つまり、第二次大戦以前の純粋なブリクー系およびプリクーが基礎としていた代表権鳩の直系や自身を受け継いだのはネストール・トゥレムリーとキャラメンのただ二人だけだったのである。そして、彼らが受け継いだブリクーの直系がふたたびプリクーに逆導入されたのである。そして…………

 上記の種鳩A〜Lを基礎として、ブリクーは1940〜1947年頃に第二期のDr.アーサー・ブリクー系を確立したのであった。

 ■■■ 第 三 期 の 時 代 ■■■    2020年8月16日(日) 4:15 修正
アーサー・ブリクーの突然の死後、全鳩は息子のブリクーJr.によって管理された。

 第三期(1947 ? 〜52)は、プリクー自身が確立した系統を維持すること、さらには改良することもとても困難であった。というのは、息子のプリクーJr、が父と同じような鳩レースの経験および深い知識をもっておらず、そのうえブリクーJr.は事業に多くの時間を費やさなければならなかったためにパンドラ一に鳩舎管理を任せてしまっていた。そして、父の友人でもあったレースマンからアドバイスを受けながらかろうじて鳩舎を維持した。

 1952年11月16日、ブリクーJr.によってブリクー鳩舎の全鳩88羽が競売に出された。この競売によってプリクー系の全鳩は、銘血プリクー系を求める全世界の愛鳩家の手に渡っていった。

 しかし、それらの鳩が第二次大戦以前のプリクー自身によって確立された、ブリクー系の鳩とはおよびもつかないものであったことは非常に残念なことである。

 ■なぜ全鳩処分されたか■    2020年8月16日(日) 4:16 修正
 みずからの名前が、確立された血統の銘として世に出る前には、その血筋より幾多の優秀な子孫が輩出されていることが第一条件である。

 しかしながら、鳩質の優れた鳩が十分な経験と知識によって管理されたとしても必ずすばらしい成績をおさめる銘鳩となるとは言いきれない。

 また、優秀な血筋の鳩でも豊富な知識と経験をもたないレースマンに管理された場合にも成功はあまり望むことはできないのである。しかし、その同ヒ鳩が熟練したレースマンの手にかかった場合には、前者と違いその優秀な系統の名声が維持されるのである。なぜなら、・使翔するレースマンの能力が50%作用し、残りの50%は鳩自身の優秀性が作用しているからである。言葉を変えれば。経験豊かでないレ−スマンはハンドラーの助けをかりるが、熟練したレースマンは、自分がパンドラ一に自ら指図したことのみを手助けさせるのである。

 以上のことがブリクー自身とブリクーJr.との大きな差であったのである。そして、プリクーJr.は全鳩を処分しなければならなくなってしまったのであろう。

 次号では、1952年におこなわれたブリクーの全鳩処分のリストとブリクーのレース方法やその秘訣を詳しく紹介する予定である。

 それらは、ブリクーの配合方法や作出方法を研究する上で大いに役立つことであろう。

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