故モーリス・デルバールの血統また鳩は、世界の愛鳩家にとってポピュラーなものの一つです。先月号で触れたように、デルバール鳩舎の歴史は古く、ベルギーで脚環が発行される以前、第1次世界大戦が勃発する4年前の1910年(明治43年)頃にはレースを開始しています。
ベルギー国内では、ヘクトール・ベルレンジが、デルバール系を継承してバルセロナで目ざましい成果を挙げました。またドーバー海峡を越えた英国では、J・W・ラングストンがシンデレラというポー・グランドーナショナルレースの優勝鳩を作っています。またわが国では、京都の並河 靖さんが三厩ナショナル800キロレースで、62年に総合優勝を遂げました。バロンの孫にあたるこの優勝鳩が日本鳩界におけるデルバール系初の成果です。またベルギーの隣国、オランダでも優れた長距離系が育まれました。
これら偉大な功績を残したモーリス氏が逝去して、かれこれ10年近くの歳月がながれました。デルバール系はその歴史の長さと優秀な因子をもって、2次的鳩舎、3次的鳩舎と継承、分派され、広く世界各地で多くの活躍を生みだしています。先月号に引き続きデルバールを論じていくなかで、今回は故モーリス・デルバールの血統が、オランダ長距離系に与えた影響を考えてみたいと思います。
現在、ヨーロッパの長距離界におけるオランダの愛鳩家の成果は目ざましく、ピジョン・スポーツ発祥の地ベルギーに迫り、圧倒する勢いであることは、近年の長距離レースの成績が如実に物語っています。この現象の背景には、オランダの愛鳩家の多くが、長距離レースに強い指向性をもっていることをまず挙げねばならないでしょう。もうひとつはデルバールをオリジナルとするヤン・アールデン系が広く分派し、有力な鳩舎を多数生みだしたことを指摘できます。
近年、日本鳩界で人気の高いヤン・アールデン系は、第2次世界大戦後のオランダ鳩界が生んだ長距離の名系です。近年の長距離レースであげる成績の素晴らしさが、人気の要因でしょう。私か初めてオランダ鳩界を訪問したのは71年のことでした。それに先立ち、オランダのチャンピオンを導入した最初は1966年のベアトリックス(注@)であり、翌67年にジャンヌを、翌々68年にはK.O.ニッピスの作出鳩を求めました。この当時、オランダ鳩界はおろか、オランダ鳩に眼を向ける日本の愛鳩家はほとんどおりません。
先述の3鳩舎は、間接的にデルバールの影響を受けています。ちなみに導入から間もない69年秋、東海・近畿合同グランド・ダービー江別1100キロで故田中巳之助鳩舎(当時東海連合会)が、ベアトリックスの孫で翌日5羽帰りの総合2位に、また71年の春にはニッピスの血とウェスターハウスとの交配により、近畿連盟の長距離レースで目ざましい名鳩が誕生しました。中本治芳鳩舎が作出し、宮田健児鳩舎(守口連合会)が使翔した69MM7279号です。このゴマのオスは71年の春、西日本GN1300キロを翌日帰りで総合21位(近畿3位)に入賞した後、2週間後の江別1100キロで翌日3羽帰りの中、総合優勝を遂げました。これら2羽は日本鳩界におけるヤン・アールデン系活躍の皮切りであり、鳩界の注目を大いに集めたものでした。
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