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 撮影の季節2020:源流系選手鳩 20-03215B♂ 20年3月8日生  イレブン  2020年11月9日(月) 22:06
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■父:源流系2代目基礎鳩【源流モスクワU号】(1500K記録【銘鳩モスクワ号】×(源流3690号:銘鳩モスクワ号の孫)※銘鳩モスクワ号自身×孫

■母:源流系SSライン基礎鳩【源流SSシルバースター号】(源流金姫キング号×源流スミレ号)※700キロ当日優勝源流SSクイン号実姉

(翔歴)
20年秋:100k、200k

 ■■【『Piet de Weerd 研究』関連資料】■■◇◇◇◇ デルバール系資料B 『大田誠彦 世界の有名鳩舎訪問−ベルギー編−『世界に君臨するデルバール系−巨匠デルバール(Maurice Delbar)氏の偉大さに敬服−』◇◇◇◇ 【出典:『ピジョンダイジェスト』誌、1974年11月号P10より引用)】  イレブン  2020年11月6日(金) 4:24
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日本鳩界で、モーリス・デルバールと最も親しい関係にあったのは、大田誠彦です。今回、取り上げたデルバール系資料Bは、その大田誠彦が6度目のデルバール鳩舎を訪問した際の訪問記です。

デルバール系のことだけでなく、デルバール系を作り上げたモーリス・デルバールの人柄や鳩に対する姿勢、そしてその家族の事など大田誠彦が4日間の滞在を通して感じ取った世界的巨匠の実像が伝わってくる貴重な内容となっています。

 ピートさんの回想録と読み合わせるとデルバール系へのより一層の理解が深まる内容ではないかと思います。

ちなみに、イレブンは、この大田誠彦がデルバール鳩舎から直接導入したマドマゼル号を確か岡山の三好さんのところで見せてもらった記憶があります。中型の小ぶりの羽質の素晴らしい金目の見事な雌種鳩でした。45年ほど前のことですが、今でもその記憶がキチンの残っているので不思議です。木刀型の骨格構成をした軟らかい鳩でした。

重要な記述が幾つもあるので、抜粋して、以下に整理しておきます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

●家族の長としてのデルバール氏、鳩界の巨匠としてのデルバール氏、そして鳩舎で鳩と対話をしているデルバール氏。そのどれをとっても氏の人格を思わせる、人に尊敬の念を抱かせずにはいない何かがある。
 特に一愛鳩家として鳩舎で鳩をみる氏の鳩に対するあふれんばかりの情熱と鳩に対する愛情は、同じく鳩を飼育する者として私に深い感銘を与えた。鳩を兄る眼が自分の子供を見る眼と同じなのである。およそ60年鳩飼育を続けていて、いまだその情熱に衰えをみせていないのだから驚きである。鳩舎に入ると眼つきがかわるのだ。

●デルバール鳩舎の鳩群は実に見事にデルバール氏好みに統一されている。中型か中型の小の大きさで。飛翔に適した流線型タイプの鳩だ。
 余り長目ではない全体的に丸味を帯びた、いわば雌型タイプの鳩が多く、優美という言葉がピッタリだ。ドクター・ブリクーの説によれば、優秀な鳩とはキールが短かく、全体的に丸い鳩、ということだがその表現はデルバール鳩舎の鳩群をさしていっているともいえるほど適切だ。

●デルバール鳩舎の鳩群はいずれも優美で優しい感じの鳩に揃えられているため、ある意味では闘争的な迫力に満ちたエネルギッシュさという点では物足らない感じを抱く人があるかもしれない。
 こういうデルバール氏の鳩の選別の仕方に私はファンブリアーナ鳩舎とは対照的な印象を受けた。ファンブリアーナ氏の鳩の選別は性能オンリー主義で、多少キールが曲ってようと足が歪んでいようと飛びさえすればよいという徹底した実利主義を貫ぬいている。デルバール鳩舎にもかつては精悼でたくましい感じのする鳩も相当数いたようだが、現在はさらにデルバール氏の好みが強まってるようで、そういう鳩はみかけることができなかった。

●世界で嘱望されている鳩だけに、デルバール鳩舎では年間約800羽のヒナをとるが第一番仔はおいてあとの600羽位は他鳩舎に譲渡される。

●戦後のデルバール鳩舎でのナショナル優勝を数えてみると”54−エカイエNo.7号”によるアングレームN優勝、”ブルー・バリオレ号”によるブリーフN優勝、そして昨年のごフースーテレヌにグによる約6000羽参加のラ・スーテレヌN優勝という3回である。

●デルバール鳩舎の主力種鳩であった”No1号″”No6号″”エタロン号”はすでに10才を超える年令になっており、デルバール氏は種鳩陣に新しい血液を送るため、”プティ・ブルー号″”ラ・ステレーヌ号″等の名レーサーを種鳩専用に使うことになった。ただ”アングレーム号“だけはサンバンサンレースに参加させた後に種鳩にまわすそうだ。

●何といっても今回のデルバール鳩舎訪問で痛感したことは、デルバール氏の鳩は長寿であるということ。つまり、雌鳩の場合、相当年をとっても立派に作出可能な状態を維持しているのだ。

●私の鳩舎でも、デルバール系のプティエカイェの孫でバルセロナーNレース2回入賞を果たした、マドモアゼル号(58年生まれ)が、72年までの13年間立派に仔を引いた経験がある。

●デルバール鳩舎では、ブルーNo1号(58年生まれ)の同腹であるエタロン号が、なんと16歳の高齢にもかかわらず、今でも作出可能な状態で、直仔を引いている。このような実例が示す通り、長期間にわたって作出できることがデルバール系の特長ではなかろうか。これはやはり、完ぺきな飼育管理がもたらすものと思われる。老鳩でも、分離するときには分離しているのだ。

●今年のバルセロナレースで第1マーク鳩に賭け賞金を獲得したと喜ぶデルバール夫人、若鳩の個人訓練を、150、200キロまでさせる役目を侍っているご子息のミッキー氏と家族全員が親爺さんのデルバール氏の鳩へ賭け鳩飼育を楽しんでいるだけあって、デルバール氏はもとより家族全員が私との別れを心から惜しんでくれ、私もいざ同家を去る段になると非常に心残りがした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

上記の抜粋文の中で特に、

●何といっても今回のデルバール鳩舎訪問で痛感したことは、デルバール氏の鳩は長寿であるということ。つまり、雌鳩の場合、相当年をとっても立派に作出可能な状態を維持しているのだ。

の記述には、懐かしい記憶を蘇らせてくれました。

15年前、この掲示板でピート・デウェート回想録語録集の連載を始めた時の最初のテーマに関わる内容を大田誠彦が書いていたからです。

このことは、Piet de Weerd 回想録の次の記述を取り上げたところから始まりました。

●「最後に、デルバーが、どのような作出方針でこれらのワンダーバードを生み出したか検討するのは興味のあることです。彼はどのようなメス鳩と配合して、このような成績を達成したのでしょうか。その作出には、ほとんど失敗がなかったことがおわかりでしょう。
 ここで注目すべきは、一度、そのような鳩を手に入れたものにとって、近親交配は交配よりも容易であり、しかも、近親交配は交配よりも良い鳩を生み出す確立が高いということです。
父親の学校で経験を通して学んだモーリス・デルバーは、多くの場合、すでに、良い鳩を生んでいることの確認できる、かなり高齢のメス鳩と掛け合わせました。」 (【ピート・デヴィート回想録031「デルバーの基礎鳩」】『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》、『愛鳩の友』1998年6月号 )

このときの掲示板の内容の詳細は、「ピート・デウェールの回想録」語録集(前編)に納めている『第1集 「異血配合」と「近親配合」 =ファンデウェーゲンとモーリス・デルバール= 』http://snakepapa.littlestar.jp/inf101930b/inf10.cgiをご覧頂ければと思います。

また、この時の議論の中心となっていた「年上の雌鳩」配合論については、イレブン編「ファンブリアーナ系研究ノート」での「第8章ファブリアーナ系の超銘鳩達」で論述した「■イレブン的解釈■ ことわざ『新しい靴を買う前に古い靴は捨てるな』」の項で詳しく考察を加えてています。興味がある方は、以下をご覧下さい。

■イレブン編「ファンブリアーナ系研究ノート」■http://snakepapa.littlestar.jp/inf101930e/inf10.cgi

 ・  大田誠彦  2020年11月6日(金) 4:25 修正
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 今回のベルギー訪問記は世界の名門デルバール鳩舎である。私にとっては6度目の訪問であるが今までにない充実した素晴らしいものであった。世界の全愛鳩家の畏敬の的として君臨するデルバール氏のさすが巨匠と呼ばれるにふさわしいその飼育態度、愛鳩家精神。 今回の訪問記によりデルバール氏の偉大さを多少なりとも読者諸氏に伝えることができれば幸いである。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ■6度目の訪問は 通訳なしで単身乗り込む■    2020年11月6日(金) 4:36 修正
 先月号で紹介したように今回のヨーロッパ旅行の最大目的であった”ウォークマ'ン号b”とその一連の系統・ベーカー系の鳩群をみるという念顧を遂に果した私は、その結果が期待以上のものであったことに大きな満足感を抱き、今回の私のヨーロッパ旅行に幸先のよいものを感じながら、ベルギーでの最初の訪問先であるデルバール鳩舎へ向かうこととなった。

 ロンドンを発ち、スイスのジュネーブを経てベルギーのプラッセルに到着したのは6月28日の午後12時であった。バルセロナレース速報のおりにも紹介したが、そこで私はデルバール氏と氏の三男の嫁にあたり、先般デルバール氏が来日の際に同行したテレーサ夫人の迎えを受けた。

 デルバール氏とは7度目の対面、またデルバール鳩舎訪問は6度目という私にはブラッセルからやや西南地点70キロにあるデルバール鳩舎までの道のりは、すでになじみ深い、なつかしいものである。

 それに加えて日本にデルバール氏を招き共に過した日々、また台湾へ同行した日数も合せると約25日間、デルバール氏と四六時中行動を共にし、氏の人となりを私なりに理解し、さらに尊敬と畏敬の念を深くした私にとって.デルバール氏の運転によりルネ町までの約2時間のドライブは今までにない感動と喜びを感じさせるものであった。

 こうしてヨーロッパ鳩界に並ぶ者なき巨匠とうたわれ名実共に名門鳩舎の名をほしいままにする大御所の、デルバール氏からみれぱ息子よりもまだ若い日本の一愛鳩家と、心から再会を喜び合い交歓できるということは鳩を媒介とした異国間の、しかも年齢も社会環境もまるで違う者同士の固い結びつきに、趣味としていやそれ以上に生涯の伴侶としての鳩飼育生活というものの重味が、今さらのように感じられたのであった。

 またデルバール鳩舎と同じルネ町にあるホテル滞在中も、デルバール氏の3人のご子息夫妻を交えた晩さん会に招待され、家族をあげての歓待を受けてるととなった。こういう4日問のデルバール家との付き合いの中で私はベルギーの家庭生活というものの一端を身をもって味わうことにもなったことは、私の今までのヨーロッパ旅行において初めての経験であり、一家の首長としてのデルバール氏を知ることとなったのも興味深かった。

 私は今回の旅行で特筆すべき思いきった手段として、通訳なしで一人で鳩舎訪問をするという、いささか冒険じみた試みをした。人と人とが理解し合える最上の策は、お互いが直接にぶつかりあうことであるが、何にせよ言葉の違う者同士では、通訳なしに意志を通じ合うことはまず無理だ。にもかかわらず私があえてこのような暴挙?に出たのは、過去5回デルバール鳩舎を訪問はしているものの何かもう一歩私にとってものたりないという感があったからだ。

 鳩のことは鳩舎に入らせてもらえれば大体わかる。鳩舎でどのような管理をしているか、これも実際にみればおおよそはわかる。しかしそれを超えた何かもう一つ、人間的なふれあいとでもいおうか、これはやはり互いが互いにじかに接すること以外には得ることのできないものではなかろうか。

 こういう考えのもとに今回の旅行は通訳なしにやってみようと決断し、出発間際まで鳩用語、簡単な日常会話などフランス語の勉強にかなりの時間をさいてきた。しかし実際に言葉を交わすまでは、お互い意志が通じあうかどうか不安であったがそれは取りこし苦労だったようだ。

 同家の人々に一方で賓客として、また一方で家族の一員として厚遇されたことは、単身言葉の障害をおして訪れたことへの大きな収獲であったといえよう。4日問のデルバール家滞在で私は過去の旅行においては得ることのできなかった素晴らしいものを得たように思う。この貴重な体験は今後もおりにふれて皆さんに紹介していくつもりである。

 さて世界の巨匠デルバール氏の家族評であるが、これはもう親愛と尊敬を一身に受ける素晴らしい夫ぶり父ぶりであった。デルバール氏の人となりを簡単に言えば豪快、律義一徹な紳士、そして鳩キチ・ナンバーワンといえよう。

 これらの性格は染色工場の経営者として手腕をふるってきた氏の経歴を思えば成程と頷けるが、鳩舎で鳩の世話をする態度にもまた長年染色業にたずさわってきた職歴が物をいい、繊細で審美的要素が強い。以下鳩舎におけるデルバール氏を紹介してみよう。

 画像資料:プティブルー号とマリジャーン号    2020年11月6日(金) 4:38 修正

  ■年を経ていよいよ鳩飼育に情熱を燃やす 神経質なほどの飼育ぶり■    2020年11月6日(金) 4:51 修正
 私は4日間デルバール氏をさまざまな角度からながめることができた。

 家族の長としてのデルバール氏、鳩界の巨匠としてのデルバール氏、そして鳩舎で鳩と対話をしているデルバール氏。そのどれをとっても氏の人格を思わせる、人に尊敬の念を抱かせずにはいない何かがある。

 特に一愛鳩家として鳩舎で鳩をみる氏の鳩に対するあふれんばかりの情熱と鳩に対する愛情は、同じく鳩を飼育する者として私に深い感銘を与えた。鳩を兄る眼が自分の子供を見る眼と同じなのである。およそ60年鳩飼育を続けていて、いまだその情熱に衰えをみせていないのだから驚きである。鳩舎に入ると眼つきがかわるのだ。

 デルバール鳩舎の今日にいたる世界的名声は、この飽くことのない情熱と愛情がうみ出したものなのであろう。一羽一羽の鳩に接する時には全神経を傾けるのだ。たとえば鳩が自分の単箱に入るまで決してつかもうとはしない。生半可な妥協はしないのである。それでもいうことをきかず巣箱に入ろうとしない鳩には、ききわけのない子供を叱るように大きな身体をおこらせて鳩に説教しどうしても巣箱に入らせずには承知しない。傍目には神経質すぎるほどだ。

 そういう神経質な面はこと鳩飼育にかけて徹底して貫ぬかれている。完壁な設備の整えられた鳩舎はこの上なく清潔で、飼料もデルバール氏によって吟味されたよく磨かれたものが与えられている。

 また作出時期には定期的にオーレオマイシンとかビタミン剤等の混合剤が投与され、鳩の健康状態に応じて薬品の定期投与もなされている。鳩の健康管理は従って申し分ない。ということはいいかえればデルバール氏は一羽一羽の鳩を完全にその健康状態から日常態度、性癖等くまなく知りつくしているのである。

 前にも少し触れたことだがバルセロナレース、モントバーンレースを私はこのデルバール鳩舎で見学したのだが、鳩舎に帰還した鳩の姿がまだ20メートルも離れているというのに、帰ってきた順にその鳩の名をいいあてるのだから、まさに敬服に価する。自鳩舎の鳩を完全に把握しているのだ。このようにデリケートな飼育管理ぶりをみせるデルバール氏のもっとも顕著な表れは鳩の体型に遣憾なく示されている。

 ■優美この上ない鳩群 理想美をあくまで追求■    2020年11月6日(金) 4:52 修正
 デルバール鳩舎の鳩群は実に見事にデルバール氏好みに統一されている。中型か中型の小の大きさで。飛翔に適した流線型タイプの鳩だ。

 余り長目ではない全体的に丸味を帯びた、いわば雌型タイプの鳩が多く、優美という言葉がピッタリだ。ドクター・ブリクーの説によれば、優秀な鳩とはキールが短かく、全体的に丸い鳩、ということだがその表現はデルバール鳩舎の鳩群をさしていっているともいえるほど適切だ。

 特にデルバール氏は胸と羽根に関してはうるさく、それだけにデルバール系の鳩の羽根の素晴らしさと胸の線の美しさは申し分ない。また丸味を帯びた鳩というのはスタンダードクラスの基準からいえばやや難点はあるかもしれないが、デルバール氏は自分の好みを譲らない。

 従ってデルバール鳩舎の鳩群はいずれも優美で優しい感じの鳩に揃えられているため、ある意味では闘争的な迫力に満ちたエネルギッシュさという点では物足らない感じを抱く人があるかもしれない。

 こういうデルバール氏の鳩の選別の仕方に私はファンブリアーナ鳩舎とは対照的な印象を受けた。ファンブリアーナ氏の鳩の選別は性能オンリー主義で、多少キールが曲ってようと足が歪んでいようと飛びさえすればよいという徹底した実利主義を貫ぬいている。

 デルバール鳩舎にもかつては精悼でたくましい感じのする鳩も相当数いたようだが、現在はさらにデルバール氏の好みが強まってるようで、そういう鳩はみかけることができなかった。レース鳩飼育者にはいろいろなタイプの人がいるものだが、デルバール氏に関する限りは見てよし飛んでよしの理想の鳩をめざす美の追求者といえよう。世界でも美しい鳩と定評ある名系統にシオン系、ドルダン系があるが、両者をきれいな鳩と呼ぶのに対し、デルバール系の鳩は優美というのにふさわしい鳩といえる。

 ■世界で嘱望されるデルバール系 近親で固定された優美な血統■    2020年11月6日(金) 5:02 修正
 さてこういうデルバール氏であるから作出に対してもなかなか厳しく、神経をとがらせている。なにしろ世界に誇るデルバール系は各国各鳩舎が指をくわえて待ちかねているのである。

 デルバール氏にとって鳩の売買は無論商売ではない。しかしデルバール系がどこへ行っても実に兄事な活躍ぶりをみせているという動かしがたい事実は、世界の各鳩舎にいやでもデルバール系導入の熱をかき立てる。先月号でも紹介したとおり他国の鳩を導入しないことにおいて頑くなまでの態度を固守するマッサレラ鳩舎ですら、デルバール系の鳩だけはデルバール氏に懇請して導入している。

 前回のマッサレラ鳩舎訪問の中でも紹介したとおりアイリッシュNレースで総合優勝した”メリーアン号”は1/2デルバール系であり、かっての名チャンピオン鳩であるJ・Wこラングストン鳩舎の”シンデレラ号” ”シンデレラ・シスター号″等もデルバール系で、保守的な国イギリスにおいても、デルバール系だけは例外なのである。

 イギリスの愛鳩家はデルバール系の鳩以外はベルギーの鳩ではないと極言しているほどだ。むろんイギリスだけではない。ドイツ、オランダ。アメリカと世界各国で大活躍を示し。レースでの総合優勝鳩の血統をみていくと、残念ながら当のデルバール鳩舎自体よりも他鳩舎で総合優勝のタイトルを獲得しているデルバール系の鳩の方が多いのである。これはやはりデルバール系の鳩が種鳩としていかに優秀であるかを示しているに他ならない。

 このように世界で嘱望されている鳩だけに、デルバール鳩舎では年間約800羽のヒナをとるが第一番仔はおいてあとの600羽位は他鳩舎に譲渡される。

 このような状態にありながらもなおデルバール氏が、配合、作出に神経の細かいところをみせるのは、誰にみせてもどこへ行ってもいい鳩だと称贅されるような鳩を作りたいという氏の飼育態度のなすところといえるだろう。

 それではなぜデルバール系の鳩は他鳩舎へ行ってもそれほどの優秀性を発揮できるのだろうか。それには何といってもデルバール系が近親で固定されているということがあげられよう。

 デルバール系の鳩は殆ど同血同士の交配により作出されており、全くの異血を導入することはまずない。異血を入れるとしてもせいぜい1/4までである。またデルバール氏は以前ドイツのある鳩舎に譲った鳩で、レースでめざましい活躍をした鳩の直系を譲り受けていた例があるが、このように異血導入とはいってもオリジンはすぺて自鳩舎の系統だ。

 デルバール氏のレース参加にあだっての持論は、自鳩舎のオリジンをいかにうまく活用し飛ばすか、であり自分の思ったとおりの夕イプの鳩でレースに臨むことが氏のレース鳩飼育の根本なのだ。

 従ってデルバール系に全然違った系統の鳩をもってくることはまず考えられないことなのだ。デルバール氏のこういう信念のもと、吟味に吟味を重ねた交配・作出の結果できあがったデルバール系の鳩は、余すところなく自己の血統の優秀性を、世界のいたるところで発揮させるわけである。

 それに加えてデルバール系の鳩の特長として、種鳩としても長く使えることがある。鳩として老令の域に入ってもなお優秀な作出能力を発揮できることは作出者にとって大きな魅力といえよう。

(つづく)

 ■最近のレースでも著しい活躍 種鳩群を一層強化■    2020年11月7日(土) 3:23 修正
 では次にデルバール鳩舎の最近のレースにおける戦況をみてみよう。前述したようにデルバール系の鳩は、デルバール鳩舎よりも他鳩舎において総合チャンピオン鳩の数が多いようである。

戦後のデルバール鳩舎でのナショナル優勝を数えてみると”54−エカイエNo.7号”によるアングレームN優勝、”ブルー・バリオレ号”によるブリーフN優勝、そして昨年のごフースーテレヌにグによる約6000羽参加のラ・スーテレヌN優勝という3回である。私が初めてこの鳩舎を訪れたのは1968年であるが、世界的名門鳩舎の名声は過去も現在もかわりはないが。レース成績としては最近になってかなりよくなってきているようだ。

戦後活躍した47年生の”ボン・ブルー・No13号”とその直仔である52年生の”バロン号”等のはなばなしい活躍ぶりは、デルバール鳩舎の名と共に即座に思い出されるものであるが、それらに続く名レーサーが続々出てきている。先にあげたごラ・スーテレヌ号″は今回バルセロナにもナチュラルシステムで参加し入賞している。またこの4〜5年の間にデルバール鳩舎で一番賭金を多く獲得した”プティーブルー号″、昨年と今年2年連続カオールN六位入賞をはじめモントーバンの悪天レースにも入賞、サンセバスチアンーアングレームの各レースにも好成績を記録している”アングレーム号”など、デルバール鳩舎の期待に見事に応え戦果をあげている。

 これら最近活躍しているレーサーの血統をみると”No1号”とその直仔”No6号″の血統が目立つ。またパール9号や現在日本に導入されている”プティブルーNo14号″の血統などがあげられるようだ。

 デルバール鳩舎の主力種鳩であった”No1号″”No6号″”エタロン号”はすでに10才を超える年令になっており、デルバール氏は種鳩陣に新しい血液を送るため、”プティ・ブルー号″”ラ・ステレーヌ号″等の名レーサーを種鳩専用に使うことになった。ただ”アングレーム号“だけはサンバンサンレースに参加させた後に種鳩にまわすそうだ。

 このように優秀でしかも若い名鳩が種鳩陣に加わることはデルバール鳩舎だけでなく、世界各国の愛鳩家にとってもまた大きな楽しみであり、いよいよデルバール系の鳩導入熱に拍車がかけられそうである。
 
 そこで私も負けてはいられない。デルバール系の鳩が日本でも極立った活躍をみせており。その優秀性は充分に実証されているのだから、私としてもデルバール系の鳩は喉から手が出るほど欲しい。引く手あまたのデルバール系であるため。デルバール氏もおいそれとは鳩の譲渡に応じてはくれないのだが、今回は特別に同鳩舎訪問の記念として”プティ・ブルー号″の母鳩と、60年生まれの”No6号“の直仔でデルバール氏が持に力を入れている、ボルドーレース入賞記録を持つ68年生の”ブルー・プリユムブラシユ号″(灰白色)を譲ってもらうことにした。

 ベルギーにおいてもここ2〜3年とみに鳩レース熱が高まっており、レース参加羽数の増加と、賞金賭率の増額など、ちょっとしたブームをまきおこしている。また大鳩舎とよばれるところの増築、新築が相次いでいるおりから、鳩の導入熱も相当なものでベルギー国内においてさえその交流の激しさは驚くばかりである。

 こうした中で私がこれらの2羽の名鳩をデルバール鳩舎から譲り受けることができたのは全く幸連なことであった。デルバール鳩舎を訪問してデルバール氏より多くのものを学んだばかりか、貴重な鳩まで手に入れた私の喜びを察していただきたい。

 重複するようだが、何といっても今回のデルバール鳩舎訪問で痛感したことは、デルバール氏の鳩は長寿であるということ。つまり、雌鳩の場合、相当年をとっても立派に作出可能な状態を維持しているのだ。私の鳩舎でも、
デルバール系のプティエカイェの孫でバルセロナーNレース2回入賞を果たした、マドモアゼル号(58年生まれ)が、72年までの13年間立派に仔を引いた経験がある。

 デルバール鳩舎では、ブルーNo1号(58年生まれ)の同腹であるエタロン号が、なんと16歳の高齢にもかかわらず、今でも作出可能な状態で、直仔を引いている。このような実例が示す通り、長期間にわたって作出できることがデルバール系の特長ではなかろうか。これはやはり、完ぺきな飼育管理がもたらすものと思われる。老鳩でも、分離するときには分離しているのだ。

 さて、本年度のデルバール鳩舎で最も傑出した鳩といえば、2年連続カオールNレースで総合6位に入賞した、ブルーNo1号の孫に当たるアングレーム号であろう。この鳩は、私の見たところ、中型ですべてにわたってまとまりの良い鳩で申し分なく、デルバール系のタイプをしている。持に胸筋の具合は素晴しい。

 また、同じカオールNレースで総合優勝を遂げたのは、デ・ノール父子鳩舎のデルバール系である。この事実に私は、他鳩舎に行ってなお強し、の感を強くした。

 なお、本年度バルセロナーNレースにおけるデルバール鳩舎の成績を記してみると、15羽参加し、翌日8羽、3日目3羽、計11羽の入賞鳩を得ている。ここでも他鳩舎に比べ、抜群の帰環率を示している。参考までに11羽の帰環率のマーク順を記すと、1,2、6、5、10、9、4,11、8、7、3で、氏の選鳩眼の確かさがわかる。

 さてこうして4日閻のデルバール鳩舎訪問を終えていよいよ同鳩舎を辞することとなった。今年のバルセロナレースで第1マーク鳩に賭け賞金を獲得したと喜ぶデルバール夫人、若鳩の個人訓練を、150、200キロまでさせる役目を侍っているご子息のミッキー氏と家族全員が親爺さんのデルバール氏の鳩へ賭け鳩飼育を楽しんでいるだけあって、デルバール氏はもとより家族全員が私との別れを心から惜しんでくれ、私もいざ同家を去る段になると非常に心残りがした。

 同家を訪れてこれはどの歓待を受けたのははじめてであり、家族とこれはどうちとけ合ったのも、私が一人で同家を訪問するという冒険から得た結果であろう。今後は1年に1度はお会いしましょうとデルバール氏と固い約束を取りかわし、デルバール氏という人を知れば知るほど尊敬と畏敬の念が深まることにさすが世界の巨匠と今さらのようにその偉大さに厚い敬意を払いつヽスケジュールに追われるまま同家に別れを告げることになった。

(以上)

   KY  2020年11月5日(木) 7:00
修正
ありがとう御座いました。この鳩の持つ遺伝力に関する問でした、直仔のGP飛んだ鳩を拝見しますと交配する雌がポイントとなるようです。あくまでも私見ですがこの目では大半の子供はあまり飛ばない、ただし少数でわあるが飛び抜けた鳥が出るその鳩は配合鳩の
雌の目に出たときです、しかし確率的に非常に少ない。今まで鳩を飛ばしてきた私の経験から統計的に導き出した結論です、申し訳ありません勝手なことを、あくまでも私の私見です。

 KY様、貴重なご意見ありがとうございました。  イレブン  2020年11月6日(金) 4:20 修正
KY様、貴重なご意見ありがとうございました。

いつも独り言に近い掲示板なので、こうした率直なご意見を頂けると本当にありがたいことだと思っております。これからもよろしくお願いしますね。

もともと、このスネークパパの部屋を立ち上げようとした意図は、レース鳩の研究をネット上で公開することで、多くの方となにがしかの接点を持ちながら研究が出来ないものだろうかという思いでたち立ち上げたものでした。

その材料としてレース鳩の眼は、格好の対象だと考え、これまで、相当数の画像を掲示してきました。こうして掲示していくことで、今回のように、掲示板にご意見いただいたり、お電話でお話が出来たりして、イレブンの研究も大きく深めることが出来てきました。これからも、掲示板をご覧頂いている皆様からも率直なご意見を遠慮なく頂ければと思っております。

※掲示板に掲載している【帝王6867号】は九州GP総合9位の鳩ではありません。帝王パパさんが、ゴールデン3代目号の種鳩作出用に配合されて作出された鳩です。イレブンの説明が誤解を招くような書き方になっていたようですね。後で修正しておきますね

   KY  2020年11月4日(水) 13:34
修正
14YA09868BC種鳩として見た場合よく分からないので解説していただければと思います。また直仔の長距離レース帰還状況はいかがでしょうか?

 源流系帝王ライン基礎鳩【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂  イレブン  2020年11月4日(水) 20:38 修正
KY様 お久しぶりですね。

【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂についてのお尋ねですね。

>種鳩として見た場合よく分からないので

とのことですが、眼の粒子に関してのご意見でしょうか?

【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BCはかなり極限にいる鳩なので、ひょっとしたらそのような観点からの遺伝力に関わるご意見だと推測しておりますが……?違っていたらお知らせ下さいね。

イレブン鳩舎の種鳩には、結構、使い方が難しい種鳩が多いので、【帝王ゴールデン3代目号】のような眼はとても貴重だと考えています。こうした眼が配合として必要な場面が多いのです。

イレブンの考えでは、種鳩として考える場合、どのような配合が出来るかというところに大きなポイントがあるように考えています。その鳩舎の主力系統や種鳩全体のレベル・傾向によって、必要な鳩は、自ずと違ってくるものだと考えています。そうしたことから、イレブン鳩舎にとってはこの目が重要な存在となっています。

単体の種鳩として判断する場合であっても、眼はその重要な判断材料となるのですが、イレブンの場合、その遺伝力を、眼の粒子の種類、眼の粒子の輝き、眼の構造、眼の透明度などを基準に判断しています。

こうした考えからイレブン鳩舎ではこの【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BCを金のベタ眼の極限にいる種鳩として評価し大切に使っているところです。

ちなみに【帝王ゴールデン3代目号】の直仔は、帝王ロフトにて九州GP総合9位入賞しています。 

 14YA09868BC♂の父【帝王3代目号】  イレブン  2020年11月4日(水) 20:55 修正
【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂は、帝王系最高基礎鳩の【帝王3代目号】の直仔です。

源流系の帝王ラインでは、この【帝王3代目号】のラインが中軸となってます。

@源流パール号→【帝王3代目号】の妹
A帝王ゴールデン3代目号→【帝王3代目号】の直仔
B帝王カルメギ号→【帝王3代目号】の直仔

 【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂の直仔@A  イレブン  2020年11月4日(水) 21:01 修正

【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂の直仔の成績

■帝王ロフト:九州GP総合9位入賞
■イレブン鳩舎:2021年春に、村上1000kに左画像上から@〜Dの5羽を参加させる予定です。(※途中で失踪ければの話ですが…。)

 今年の春はコロナ禍で500キロでレースが中止となった為、まだ自鳩舎では500キロまでしか検証できていません。ちなみに500キロレースでは、この【帝王ゴールデン3代目号】の直仔は2羽の参加で1羽記録、1羽後日で2羽とも帰還しています。

〈2021年村上GP参加予定鳩〉
@19-05329 BC♂
A19-05359 DC♀
B20-03609 DC♂
C20ー03610 BCW♀
D20ー03646 B♂

明年春にはイレブン鳩舎での直仔の長距離の成績が明らかになると思います。

 【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂の直仔BC  イレブン  2020年11月4日(水) 21:10 修正

 【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂の直仔D    イレブン  2020年11月5日(木) 5:00 修正

 源流系帝王ライン基礎鳩 【帝王6867号】  イレブン  2020年11月5日(木) 5:03 修正
この【帝王6867号】は【帝王ゴールデン3代目号】14YA09868BC♂の直仔です。帝王パパさんが種鳩用に作出された鳩で、源流系帝王系ラインの基礎鳩として使っています。


イレブンは、【帝王ゴールデン3代目号】を無記録で種鳩に落として使われ、直仔を九州GP総合9位に入賞させたり、更に、この【帝王6867号】のような種鳩を作出され、、【帝王ゴールデン3代目号】の持ち味を最大限に引き出されている帝王パパさんの手腕の素晴らしさにほとほと感じ入った次第です。

配合相手が難しい面もありますが、イレブンは、【帝王6867号】のような鳩を作出することができるのが、この【帝王ゴールデン3代目号】の極限に近い金のベタ眼の持つ力だと考えています。

KYさんのお考えをご教示いただければ幸いです。


 ・  イレブン  2020年11月5日(木) 5:07 修正

 ■■【『Piet de Weerd 研究』関連資料】■■◇◇◇◇ デルバール系資料A 『木村徳広氏の外国鳩舎めぐりA」=歓待してくれたデルバール=◇◇◇◇ 【出典:『愛鳩の友』誌、1973年6月号P120より引用)】  イレブン  2020年11月3日(火) 3:22
修正
この資料は、津軽系系統確立である木村徳広がデルバール鳩舎を訪問した際の印象を率直に述べた記事です。

モーリス・デルバールの鳩舎の様子やその人柄を見たまま、感じたことをそのまま語っているので実像がよく伝わってきます。

 以下は、本文からの抜粋です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

●「デルバールさんの人柄から受ける感じからしても、このところ急に日本で有名になったという鳩舎と違って、やっぱり世界のデルバール鳩舎だという貫録が、デルバールさんの体からこう、発散している風に受けるわけです」

●やっぱりデルバールさんも長く飼ているわけだから、こういうタイプの鳩でこういう眼の色にでたとなれば、そういうのは自分の将来の選手鳩として置いといて、駄目そうなのを売るんじゃないかと思うんだけども、オレは悪い鳩は売らないと言ってるわけだよ(笑い)。そこんとこがちょっとわからないわけだ。


●完成されたデルバールの記録鳩とかは別にして、若鳩として日本にきた鳩はどうやハネだ鳩じゃないかという気がするんだよ。デルバールばかりじゃなくて他でもそうじゃないかと思うんだけど。その点はなんともいえない。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 『木村徳広氏の外国鳩舎めぐりA」=歓待してくれたデルバール=  木村徳広  2020年11月3日(火) 3:31 修正
■木村■ デルバール鳩舎は一日かけてゆっくり見学しようということで、普通の日は2つ見たり3つ見たりだったりで非常に忙しかったわけですが、この日はデルバール鳩舎だけということで、午前10時頃にデルバールの家につきまし た。それで、デルバールさんの家 に入って応接間に通されたわけですけれど、デルバールというのは 日本にも相当、戦後ですが日本にも入ってきてて、なにか初めて行ったんですが、日本人ということで親しみ深いような感じを受けて気持良く歓待してくれたわけです。

 鳩舎に入るというんで上衣の上に着る作業着ですね、それを貸してくれました。それまでに回った鳩舎では作業着を貸してくれて、ゆっくり鳩舎を見せてくれるということはなかったわけですが、それだけにデルバールさん自身も歓迎してくれるし、それだけ日本でも鳩を買っているわけだからサービスも良いということなんでしょうかね(笑)。応接間に入るとすぐにコーヒーをだしてくれて、そこで話を聞いて鳩舎を見せてくれたわけです。

 デルバールさんの人柄から受ける感じからしても、このところ急に日本で有名になったという鳩舎と違って、やっぱり世界のデルバール鳩舎だという貫録が、デルバールさんの体からこう、発散している風に受けるわけです。私も実際にオリンピアードの会場を見て、入賞している鳩がたくさんいるけどその中で系統はなんでしょうか、と出品した人に聞くと、何分の1か仮に4分の1とか、2分の1とか、8分の1とかはデルバールの鳩が入っているんだよ。

 開催されたのはドイツだったんですが、ドイツの鳩を飼っている人も観光バスみたいな大きなバスでデルバールの鳩舎に鳩を仕入れにくるという話も聞いていたけれど実際にドイツでもデルバールの鳩が相当に活躍しているわけですよ。そんなようなことで、大貫録というか、大競翔家であるというような感じをデルバールさん自身から受け取りました。
 
 それならデルバール鳩舎は変っているかというとそうでもなくて、広い工場の上の屋根裏の鳩舎で飼っている。まあ、屋根裏といっても日本の屋根裏とは違うからね。屋根の高さの急勾配で非常に大きな屋根だし、その面積も相当に広いわけです。その中で今までの鳩舎と同じような1坪半ぐらいの鳩舎で、ここには今年やるのが18羽入っていると。それは皆なWシステムの鳩ばかりなわけですよ。

 それで、デルバールといえばナンバー14号だとか、ナンバー1号だとか、デューパール9号だとかは日本で有名になっているわけです。その鳩の子供もウチ(木村鳩舎)にいるわけですから、そういうのも見せてもらいました。だけどね、私がつかましてもらった
のが12号だったか何だったか、わからないんだよ(笑い)。

□デルバール鳩舎の鳩の数は?

■木村■相当いますよ。2、300羽はいるんじゃないですか。鳩舎自体も、デルバールは大きな染色工場を営んでいるわけですけれで、その工場のありとあらゆるところに鳩小屋があるわけですよ。それで、屋根裏の選手鳩、種鳩は別にして、下の方にも全然舎外していないような鳩がたくさんいるんですが、それでも売る鳩はいないというんだ。ここで考えたのはね、行ったのは2月なんだけど、3月とか4月の鳩は全部売らないんじゃなくて巣立ちした時点でもう鳩がわかるみたいなんだよ。それは普通に飼っている人もわかるんだけど、本当に飛ぶか飛ばないか、頭の中までわからないから、やっぱりデルバールさんも長く飼ているわけだから、こういうタイプの鳩でこういう眼の色にでたとなれば、そういうのは自分の将来の選手鳩として置いといて、駄目そうなのを売るんじゃないかと思うんだけども、オレは悪い鳩は売らないと言ってるわけだよ(笑い)。そこんとこがちょっとわからないわけだ。

 私のところに来にきたのは3月頃のが来ているわけだ。これは輸入業者が入れた中から有名な鳩の子供だけを譲ってもらったわけだけれどね。その価格と、その兄弟のなれているヤツがいるわけだ。それを売ってくれと言っても売らないから、なにか俯に落ちないところもあるんですよ。可成り名を遂げた鳩はたくさんいるんですが、これから飛ばそうという鳩でWシステムに入っている鳩は売らないですよ。その兄弟は日本にきている。

 完成されたデルバールの記録鳩とかは別にして、若鳩として日本にきた鳩はどうやハネだ鳩じゃないかという気がするんだよ。デルバールばかりじゃなくて他でもそうじゃないかと思うんだけど。その点はなんともいえない、現にそういう鳩がきていても良い血筋を引いているから飛んでいるんだな。

□親子3代に継がれるデルバール系□

■木村■デルバール鳩舎の鳩は一般的からいくと翼が短かくて、腰がないように見うけられるんですが、手持ちはすごく良い鳩ですね、手持ちが良いということは胸が薄いわけで。要するに品評会にむく体型なわけである。だけれど一般的に見た場合には主翼が短かい。それで胴づまりなように見えるわけです。で、そういう鳩ばかり選んで送ってくるということじゃなくて、むこうにいるのもそうなんです。自慢している鳩も皆なそういう鳩なんですよ。

 だからデルバール系というそれで良いんだということが自分の眼で確かめてこられたわけです。それで、鳩舎を全部見てから、その街の一番有名なレストランに連れて行ってくれて御馳走してくれたわけです。そういう鳩舎はまだ後4日程回ったけれど一度もなかった。特別にデルバールがやってくれたんでしょうね。そこで3時間位、鳩の話しかすることがないんだから、やってるわけです。

□デルバールというのはどんな人?

■木村■体はえらく細いんだけど背が高いんだよ。自分では商売の方も息子さんに任せて、毎日背広をきちっと着てネクタイをしめている人だね。本当の社長さんなんだね。だから大貫録だな。最近はいろんな鳩舎ができているけれど、親子3代、今度の息子で3代目になるという古い歴史もあるし、デルバール系といえばアメリ力でも有名だし、イギリスでも有名だし、結局全世界のデルバールなんだな。

(以上)

 ■■【『Piet de Weerd 研究』関連資料】■■◇◇◇◇ デルバール系資料@『ベルギーの系統ととその歴史』〈PART 21〉[The History 0f the Belgian straine PART 21]Jules Gallez著 『モーリス・デルバール・ロンセ市−世界的な名声とともに−』Jules Gallez◇◇◇◇ 【出典:『チャンピヨン』誌、○年○月号(※調査中)P41より引用)】  イレブン  2020年11月1日(日) 4:42
修正
Piet de Weerdが、2番目に取り上げた銘系デルバール系は、日本鳩界にとっては、ファンブリアーナ系にならぶ、大変馴染みの深い系統です。

 日本人でモーリス・デルバール鳩舎に直接訪問した愛鳩家も多く、鳩界雑誌でも幾度も取り上げられた銘系です。世界的な巨匠モーリス・デルバール自身も、幾度も来日していることもあり、我が国に大きな影響をあたえた存在です。

 ブリクー系の次にピートさんがこのデルバール系を取り上げたのは、ここでも濃密な近親交配によって系統の基礎が形成されているからです。

 この『Piet de Weerd 研究』関連資料では、回想録でピートさんが語っていることをより深く理解するために、関連する資料を可能な限り収集・蓄積することを目的にしています。デルバール系については、現時点でもかなりの資料が揃っています。これから、結構時間がかかると思いますが、全てを掲載する予定です。

 最初の資料は、系統研究の定番『The History 0f the Belgian straine』 PART 21]Jules Gallez著からの引用です。基礎鳩群の詳細な資料が掲載されており、研究の基礎的な資料として重要な文献です。

モーリス・デルバールがどのように「濃密な近親交配」をして系統確立の基盤を形成していったのか、この資料をもとに、ブリクー系で行った系図作成をして調査研究をする予定です。(※関連資料を一通り掲載した後に予定しています)

※なお、デルバール系については、PART 21〜PART 22の2回のわたって掲載されているはずですが、PART 22が見当たらず、現在調査中です。見つかり次第、後でこの頁に追加・編集します。

 『モーリス・デルバール・ロンセ市−世界的な名声とともに−』Jules Gallez・  Jules Gallez・  2020年11月1日(日) 4:47 修正
 モーリス・デルバール氏が、1914〜18年の第一次世界大戦以前にすでに名声を博していたということは、興味ぶかいことです。

 彼はその有名な父親の理論上の後継者であり、650Kから1100K(406マイルから687マイル)の数多いレースで成功をおさめてきたのです。

 この大戦前の作出鳩群にメッヒュレン近郊のプッテに住むデプレーター氏の鳩群が交配され、デルバール鳩舎の基礎鳩群が形成されたのです。

 これをもとにして彼は、1920年から39年にかけて、また第2次世界大戦直後の1期間、彼にもっとも輝かしい翔歴を育てあげたのです。

 モーリス・デルバールが、1940年以前におこなった交配はとても小規模なものでしたが、つぎのような鳩群で、多大な成功をおさめるにいたったのです。

 ■ 基 礎 種 鳩 ■    2020年11月1日(日) 5:16 修正
■ 基 礎 種 鳩 ■

@■AA■゛ウィツトペン″B 26-2204993 B C W■

◎有名なヤボット、ヴィットーホ、ヴィットノイスらの兄弟。すばらしいレーサーであると同時に種鳩でもある。

 この鳩の成績はつぎのとおりである。ブレトイル8位 シャンディリー6位、ノヨン48位 カンブレー3位 ドールダン1位、コンピエーニュ16位、オルレアン3位、リブクール2イ立 ドールダン95位、クレイル62位、クビー4位、カンブレー103位 ブレトイル10位、リブクール7位、クビー4位 コンピエーニュ64位 ブレティニー52位 ブレトイル19位、クレイル29位 ヴァンドーム5位 カンブレー4位、ドールダン32位、アングレーム22位、カンブレー16位、アングレーム4位、オルレアン169位、ブ`レトイル22位、クレルモン44位、クビー11位。

 これらの入賞記録は、ほとんどのレースが1000羽以上参加するロンセの゛ローカル・ユニーク″(ユニーク酒場=鳩クラブ)で勝ちとったものである。
 なおAAはBBの父鳩である。

A■BB■゛グーデ・クヴエーカー″(すばらしい種鳩)B26(28年生まれ)4199357 B ♂ AAとMMの直仔。

◎一度もレースしていないが、すばらしい種鳩でCC、DD、EE、FF、GG、HH、PP、QQおよびRRの父鳩である。

B■CC■ ゛クライネ・ブラウエ″(小さな灰)B27(29年生まれ卜4177004 B ♂ BBとNNの直仔。

◎傑出したレーサーであると同時に種鳩でもあった。

 パリ通過レース、ドールダン、オルレアン、ヴァンドーム、ツールなどのレースで好成績をあげた。長距離レースのおもな成績はつぎのとおりである。

アングレーム6位、アングレーム42位、ボルドー5位、タックス13位、ボルドー2位、ポー106位、ボルドー2位 ボルドー白蘭6位。このレースでは参加2456羽中、当日帰りは6羽だけしかなかった。 

◎この鳩はII、JJ、およびKKの父鳩である。

C■DD■ ゛ド・ビアリッツ″B30-4253761 B ♂BBとNNの直仔

パリ通過レースだけを挙げてみると、つぎのとおりである。ツール72位、オルレアン7位、ビアリッツ71位、タックス7位、ビアリッツ1位、ボルドー378位、タックス67位。

◎現在のデルバール鳩舎の数多くの鳩の父鳩であり、祖父鳩である。またA.プリスニールの゛クライネ・ブラウェ″やシャルル・ファンデールエスプトの゛グーデブラウェ″の父鳩でもある。

D■EE■ ゛トウ・タックス″(タックスにて)B31-4244827 B CW ♂

◎BBとNNの直仔。すばらしい種鳩であり、レーサーでもある。おもな成績はつぎのとおり。

オルレアン66位、シャトロー37位、ツール152位、シ・ヤトロー309位、シャトロー60位、ボルドー25位、タックス2位、ボルドー105位。ドールダン6位、オルレアン52位、ポワチエ4位、タックス14位、ポワチエ161位。タックス80位、アングレーム40位、ドールダン68位、ビアリッツ25位、同d.N10位、ナルボンヌI位、同d.NI位、サンパンサン2位、同d.−NI位。サンバンサン109位。この鳩はパリ以遠のレースで何回も優勝しており、そのうえケルン(西独)の国際オリンピアードで2位を獲得している。

◎現在'のデルパール鳩舎の多くの鳩の父鳩であり、また祖父鳩でもある。

E■FF■゛ド・バリオレ″B19〔32年生まれ〕−61035BW♂

◎BBとNNの直仔。すばらしいレーサーであり種鳩。成績はつぎのとおり。

タックス67位、ルールド158位、ビア。リッツ209イ立、ボルドー16位、アングレーム21位。サンバンサン21位、サンバンサン31位、ナルボンヌ2位、同地区2位、サンバンサン13位、サンバンサン83位。

◎この鳩はデルバール鳩舎の多くの優秀な鳩の父鳩。祖父鳩であった。
GG ゛ド・バルセロナ″B31-4244529 BW 合 BBとNNの直仔で、卓越したレーサーであると同時に種鳩でもあった。バルセロナN36位、ボルドー10位、ビアリッツN24位、ルールドIN14位、同N5位、ポー76位、ビアリッツN9位、ナルボンヌN2位、サンバンサン41位。

◎この鳩はモーリス・デルバール鳩舎の数多くの優秀な鳩の父鳩であり。祖父鳩であった。

F■HH■ ゛クライネ・ゲシエルフテ″B 32-4293562BC ♂

◎現在のモーリス・デルバール鳩舎の多くの鳩の父鳩であり、祖父鳩である。 BBとNNの直仔O破格といえるほどの価値のあるレース鳩、種鳩である。おもな成績はつぎのとおり。

オルレアン37位、ツール82位、アングレーム10位、ビアリッツN9位、ボルドー206イ立、タックス4位、ボルドー3位、ビアリッツN16位、サンバンサン4、3、10位、同1、1、1位O(2位を70分引き離す)。ナルボンヌN9位。
 1947年、この鳩は16歳でなお仔鳩を作出した。二百フランまでのプールを7回も獲得し、ナショナル最優秀鳩とみなされたのである。

G■II■゛グーデ・ゲシエルフテ″B 30-4253765 BC ♂

◎CCと00の直仔で、超一流の種鳩でありレース鳩でもある。

成績:、アングレーム33位、ボルドー2位、アングレーム1位、ポワチエ87位、アングレーム2位、アングレーム258位、リボルヌ179位。同4位、アングレーム18位、ボルドー7位、サンバンサン3位、アングレーム9位である。

◎この鳩舎の数羽の鳩の父鳩であり、祖父鳩である。

H■JJ■゛ディツケ・ゲシエルプテ″B 30-4253766BC ♂ 

◎CCと00との直仔で、超一流の種鳩でありレース鳩である。成績はつぎのとおり。

ボルドー74位、タックス11位。ルールド61位、ダヽソクス43位、ルールド16位、同4位、ボルドー306位、ボルドー1位、ビアリッツ297位、ナルボンヌ65位、同N18位、サンバンサン131位、同92位。

◎いくつかの鳩舎に、父鳩祖父鳩として数多くの鳩を送り出している。

I■KK■゛ド・デルビー″(ダービー)B33-2226416BC ♂

◎CCと00の直仔。すばらしい種鳩であリレース鳩でもある。成績はつぎのとおり。

アングレーム103位、同13位、同92位、同2位。ボルドー25位。リボンヌ179位、同29位。同4位。

◎現在の鳩舎の数羽の鳩の父鳩であり祖父鳩である。

J■MM■゛ド・プリンセス″ B 25-2111418 L B C♀ 

◎同ヒロンセ市のV、ポルトワ鳩舎作の雌鳩で、ボルドー2位入賞鳩の姉妹であり、同じくボルドー1位鳩の娘にもあたる。注目にあたいする超一流の種鳩である。

K■NN■ B28-2523831 B C W ♀ 

◎メッヒエレンのデプレーテル直系で、すばらしい種雌鳩。この血統数羽の最優秀鳩の母親であり、前述BBとのあいだに産まれた仔鳩は、すべてチャンピオンである。

L■00■゛グーデ・ドンケレ・クヴエークスター″B27-4177550 DC ♀ 

◎ロンセ市のV.ポルトワ鳩舎より導入した優秀な雌鳩。

M■PP■゛クライネ・フラウエ″B29-4311693 B♀

◎BBとNNのあいだの娘で、注目すべき種鳩。数羽の雄鳩とのあいだに、チャンピオン鳩をうみだしている。

N■QQ■゛ヴィツトフレツク″(白斑)B32-4293561BC ♀

◎BBとNNの娘。この偉大なカップルの直系の優秀な雌鳩。

O■RR■゛ウィツトペン″B29-4225444 B CW ♀

◎同じくBBとNN直系の優秀な雌種鳩。
P■SS■゛クライン・ジユウエール″(小宝石)B32-042741 LBC ♀

◎ルーボウ市のファンアウトリーヴエ鳩舎より導入したすぱらしい雌種鳩で、あるレースで別荘を勝ちとったゆえに、゛ヴィラ″とよばれる鳩の仝姉妹である。1938年にサンバンサンで優勝した。

Q■TT■゛グーデ・クヴエークスター″B33-4149991BC ♀ 

◎ロンセ市のA.デロウフロイ鳩舎より導入。たいへんすばらしい種鳩で、同鳩舎のグーデ・プラウエほか数羽の優秀鳩の母親である。

(つづく)

 ■種鳩とレース鳩の系譜■    2020年11月2日(月) 4:47 修正
■A■゛フルインオーホ″B38-4422374 B ♂■
 
○父鳩は、有名な種鳩ペアーBBとNNの直仔で、゛ド・バルセロナ゜(GG)。゛ド・バルセロナ゜は、前述のようなすばらしい成績をおさめている。

○母鳩は、ヴィラの娘゛クライン・ジュウェール″SSである。(編集部注:SSの項ではヴィラの全姉妹と書かれ、混乱がみられる)この母鳩はすばらしい種鳩で、つぎのような若鳩を作出している。

@ B46-4235634  L B C 名 ドールダン22位、ヴァンドーム264位、同58位、ツール67位、同8位、シャトロー188位、同32位。

A B46-4235604 B ♀ ドールダン、ヴァンドーム、ツールの1歳鳩レースで入賞している。

■B■゛グローテ・リヒテ″B 39-4464904 L B C ♂■

○父鳩は、GGと00の直仔である゛ドーデルビー'(KK)優秀な成績をおさめた価値あるチャンピオン埼であり、種鳩である。

○母鳩は、゛グーデ・クヴェークスター”(TT)で、すばらしい種鳩であり、直仔にJのほかつぎの鳩がいる。
・B41-4235641 シャトロー・スーティアン48位、シャトリーNEB{アンダンテ・ベルジ}総合優勝。

■C■”ドンカーオーホ″(ダークアイ)B39-4469161 B ♂■

○父鳩ばブラウエ・ボンデ{灰刺}(FF)で、あの有名な種鳩ペアーBBとNNの直仔。ナルボンヌN2位、サンバンサンN21位などの成績を挙げている。

○母鳩はヴィラの娘゛クライネ・ジュウェール″SS。この雄鳩は、Aの父鳩の兄弟と、Aの母鳩から作出されたAの全兄弟であり、近親交配の秀れた一例である。この雄鳩自身も多くの優秀な鳩を作出している。

■D■ ゛ド・バリオレ″B42-214 B CW ♂■

○父鳩は、あの不屈の゛クライネ・ゲシェルプテ”'HHの直仔。1939年にはサンバンサンNレースで優勝しており、すべてのナショナルレースで10回も5位までに入賞している。

○母鳩は、゛グローテ・ゲシェルプテ″B39-2359795というJJとTTの娘である。JJはクライネ・ブラウエ(クライネ・ゲシェルプテの兄弟)の直仔であるから、CCと00の種鳩ペアーの孫鳩ということになる。この鳩にとって父母両血統共通の祖父鳩にあたる鳩の兄弟であるタックスと同じく、すばらしい種鳩であり、デルバール鳩舎のみならずほかの鳩舎にも傑出した鳩を送り出している。

■E■゛ディツケ・ブラウエ″B41-196962 B ♂■

○父鳩はベルギーきっての最優秀鳩HHのクライネゲシェルプテ。

○母鳩はジェラーズベルゲンのヘクトール・デズメット鳩舎の灰の雌で、同鳩舎のクライネ・ブラウエの娘にあたり、すばらしいレーサーであると同時に種鳩。1936年一年だけでもこの雌は、つぎのような成績をあげている。ノヨン16位、コノレベイユn位、ドールダン23位、同2位、ヴァンドーム5位、クレイル13位、同1位、直仔には、スプリンター号や、ヴァンドーム優勝の雌がいる。

この灰の雄の母鳩は、ホーボーケンのハヴェニット鳩舎より導入したオリジナル・ハヴェニットである。この雌の姉妹で゛シェール″とよばれた鳩は、超一流のすばらしい種鳩で、1946年のデズメットの競売でヽ19000フランで売られたのである。

■F■B39-4459370 BC ♂■

○父鳩は世界的に有名なレーサーであり、種鳩である゛クライネ・ゲシェルプテ″HHで、1年間で563マイルのナショナルレースに2回も入賞したのは、この鳩だけであった。2回とも2000羽以上の鳩が参加していたのである。

○母鳩はIIの娘で、このIIはクライネゲシェルプテの兄弟であるあのクライネ・プラウエの直仔である。すばらしいレーサーというだけでなく、前述00のグーデ・ドンヶレ・クヴェークスターとともに、種鳩としても優秀であった。

■G■゛シユリンメ″(狡猾なヤツ)B42-192 B ♂ ■

○父鳩ばブラウエ・ボンデFFで、クライネ・ゲシェルプテ、クライネ・ブラウエの兄弟である。この父鳩も、つぎのようなかずかずのすばらしい勝利を誇っている。ナルボンヌINおよびN総合2位、サンバンサン13位、同21位、ボルドー16位、アングレーム21位。彼はやはりBBとNNの直仔である。

○母鳩は、゛グーデ・クヴェークスター″TT。この゛シュリンメ″は、デルバールのもっともお気に入りの一羽で、゛タックス'Kの全兄弟であり、戦後のベルギー鳩界のもっとも優秀な鳩の一羽である。1947年には、タックス3位、モントーバン7位、そしてカルカソンヌ22位という成績をあげている。シュリンメの直仔B43-45146は、1947年にカルカソンヌ41位。モントーバン87位に入賞している。シュリンメはナショナルレースに。立派な鳩を送りだしており、デルバール氏によれば。この血筋はたぶん彼の鳩舎でもっとも優秀な血筋であろうということだ。

■H■B38-4390947 BC ♂■ロンセ市のジョセフ・ポルトワ鳩舎より導入したBCの雄。

○父鳩は、純デルバールの種鳩ペアーからきているG.フアンブッツェル鳩舎よりの雄鳩。

○母鳩は、ウェーバーのT.レーヴィス鳩舎の雌鳩で、彼のグーテ・ゲシェルプテの娘である、トゥーリー2位 アングレーム1位(2位を14分引き離す)などの成績で、この雌の母親は、スタッサールで父親はタックス優勝の直仔にあたり、母親はサンバンサン3位の娘である。

 この鳩H自身は、J.ポルトワ鳩舎で1937年にボルドーNEBで総合優勝しだボルドー″の兄弟である。この鳩は種鳩としては、デルバール鳩舎でもっとも成功した鳩で。多くの実績のある鳩を輩出している血筋である。

■I■゛ド・ゲポツトローデ″B45-457285 PB ♂■

○父鳩は後述の゛ド・タックス″Kで、FFとTTの直仔である。この鳩にはFFのプラウ・ボンテの特徴がよくでているのがわかる。兄弟鳩に優秀な鳩がいなくとも、種鳩としては優秀なケースがしばしばみられる。プラウ・ボンテと、アクセス、オート・タックス、クライネ・ブラウエ、クライネ・ゲシェルプテの場合などのように。プラウ・ボンテは、ナルボンヌIN2位ほかの成績をあげているか、この時のナルボンヌレースでは、オート・タックスか優勝しているのである。

○母鳩はAの娘の灰の鳩だが、GG(バルセロナ)の血筋をとおして、あのふるい種鳩ペアーの血が流れているのである。母方の父親からはTTの血筋をひいている。

 この灰の雄はすばらしい種鳩で、1947年には数多くの鳩の父親となっている。またこの鳩はB46-4235626の父でもあり、ドールダン15位、ヴァンドーム254位、同55位、ツール246イ立 同26位、ドールダン6位、シャトロー24位などの成績をほこり、フライインククラブ主催の展示会の300K以上飛翔鳩の成鳩雄鳩クラスでも1位となった。この雄鳩は、まさにこの世界でも本当のチャンピオンである。

■J■ B41-196981 L B C ♂■

○父鳩はBで、前述のようにKK゛ド・デルビー″の直仔である。したがってCCのクライネ・ブラウェと、00のグーデ・ドングレ・クヴェークスターの筋である。母鳩はあの有名なオート・タックスEEの孫娘である。

○母親(EEの孫)は、デルバール氏の戦前の系統の直系である。゛タックス″は、゛クライネ・ゲシェルプテ″や゛クライネ・ブラウエ″とともに。鳩レース史上かつてないグループである。

 いうまでもなくこのJは、たいへん価値のある種鳩で、ドールダン24位。シャHコー23位、ヴァンドーム628位、同89位、ツール280位、同26位の成績をもつB46-4235622の父親である。この薄い灰胡麻の雄は、1947年にオルレアン68位、アングレーム34位、同7位、オルレアン13位。コニャック578位、同47位という成績であった。

■K■゛ド・タックス″B41-114881 B ♂■

○父鳩は、クライネ・ゲシェルプテとクライネ・ブラウエの兄弟の゛プラウ・ボンテ″FFである。

○母鳩は、優良な雌種鳩であるTT。
 
この鳩は、戦前のベルギーでももっとも優秀な鳩の一羽であり、ツール13位、アングレーム31位、ツール51位。アングレーム175位、タックス3位、カルカソンヌ22位、モントーバン7位に入賞している。

■L■゛ド・スタンダード″B42-208 BLKC ♂■

○父鳩は、クライネ・ゲシェルプテHHの直仔であり、

○母鳩はグーデ・ゲシェルプテIIと、クライネブラウエPPのあいだの娘で、この雌はデルバールの古いペアーBBとNNの娘である。

 この鳩はすばらしいレーサーであると同時に種鳩でもあり、ドールダンからコニャックNレースまで翔びコニャックN34位、モントーバン4位の成績をあげた。
 ナショナル・フライインク・クラブ主催のナショナル品評会で、600K(375マイル)以上のレースに入賞している成鳩雄鳩クラスの1位に選ばれている。

■M■゛ド・クライネ・ブラウエ″B45-457227 B♂■

○父鳩はクライネ・ゲシェルプテの直仔゛ディッケ・ブラウエ”

○母親はN(次項)て'゛タックス″Kの妹。

 この鳩は真の種鳩であり、またすばらしいレーサーであった。ヴァンドームでは6700羽中444位、238位のほか、コニャック59位、ボルドー11位、ドールダン104位に入賞している。

■N■B41-196986 B ♀■

○父鳩は。自身チャンピオンであるあの有名なFF゛バリオレ″で、゛タックス″、゛ビアリッツ”、”クライネ・ブラウエ”、それに゛クライネ・ゲシェルプテ″など一連の兄弟チャンピオンの兄弟である。

○母鳩は。゛グーデ・クヴェークスター″TTである。

■O■゛ショーネ・フラウエ″B42-209 B ♀■

○KやNの全姉妹で、たいへん優良な種鳩。

■P■B42-202 B ♀■

○父鳩ばヘングスト″Zで、ドールダン。タックス優勝の゛リヒテ″B 36-4822149の直仔。

○母鳩はN。

 この雌鳩は、二度と得がたい優秀な種鳩で、ロイヤル・フライインク・クラブの品評会で、成鳩雌の部で第2位に選ばれている。

■Q■B44-348728 B L K C ♀■

○父鳩は、あのナルボンヌN総合優勝、サンバンサンN総合優勝の世界的に有名な゛ダックス″EEの直仔である。この鳩はまたケルンの国際オリンピアード品評会で、2位に入賞している。

○母鳩は、クライネ・ゲシェルプテHHの娘。

 この鳩はデルバール鳩舎でも最優秀の2羽から近親交配で作出された鳩である。

■R■B43-320325 B C ♀■

○エーフェレのジョルジュ・ゴッセンス(グーゼン)鳩舎から選ばれてきたもので。同鳩舎の゛クラック”の娘である。Bとつがいになり、シャトロー優勝鳩を作出している、まさに価値ある雌種鳩である。

■S■ BCの♀■

○父鳩ばバリオレ″D。

○母鳩ばディッケ″T。

ここでもまた近親交配の良い例を見ることかできる。この鳩は、立派な子孫を残したすばらしい雌種鳩であった。
■T■゛ディツケ″B41-114865 B C ♀■

○父鳩は、゛クライネ・ゲシェルプドHH。

○母鳩はジェラーズベルゲンのヘクトール・デズメット氏作の灰の雌で、スプリンターの姉妹にあたる。

■V■B41-196962 L B C ♀■

○父鳩は、デルビーとグーデ・クヴェークスターの直仔゛グローテ・リヒデB。

○母鳩はTである。

 注目にあたいする優秀な種鳩。

■Z■゛ヘングスト″B 39-4459366 B ♂■

○父鳩は、ノヨンからタックスまでの入賞鳩゛リヒテ″。

○母鳩はC.フアンデールエスプトより導入。同鳩舎の最優秀鳩の直仔で。オルレアンR1位のほか、アングレーム(ブリュッセル)では強い向かい風の中で優勝している。この日のレースで良い成績をあげたフランドルの鳩はこの一羽だけであったか、のちに合衆国へ身売りされてしまった。(つづく)

※以下、現在資料調査中です。

 新連載■イレブンの「Epigenetics」」研究ノート■◇◇◇◇ 序 ◇◇◇◇  イレブン  2020年10月30日(金) 21:14
修正
愛鳩家の私たちは、おそらく、一般の人々以上に遺伝に関する経験を多くの持ち、従って遺伝に関する知識や考えを多く持っているとイレブンは思っています。今、遺伝学の最前線で熱い議論を呼び起こしているこの「エピジェネティクス」は、ブラッドスポーツとも云われる「レース鳩」の世界にいる愛鳩家の私たちにとっても見逃すことの出来ない新展開を引き出す重要な鍵になっていくのではないかとイレブンは考えています。

僅か数日前、手元と取り寄せていた書籍に目を通していた時、「獲得遺伝子」の文字が飛び込んできました。そして、その文章を中に「エピジェネティクス」という聞き慣れない言葉に初めて出会いました。

今まで全く知らなかった「エピジェネティクス」という語の意味するところを知るために「検索」を使って、手当たり次第に情報を収集してくなかで、遺伝学の領域で使われているこの言葉は、とてつもなく大きな発見ではないかと云うことが次第に分かってきました。

早速、中尾光春著『驚異のエピジェネティクス』と仲野徹著『エピジェネティクス−新しい生命像を開く』を注文していたら今日届きました。今はまだざっと目を通しただけですがどうも、これはとんでないほど大きな発見のような気がしてきました。

この「Epigenetics」という発現システムの存在を踏まえると今までスッキリしたいなかった数々の遺伝上の謎が解かれていくのです。
そして、レース鳩の様々な理論に当てはめると幾つもの符合する事実が思い起こされるのです。

この新連載『イレブンの「Epigenetics」」研究ノート』では、遺伝学について全くの門外漢のイレブンが、レース鳩の系統確立という観点から、最新の遺伝学の最大のテーマとなっている「Epigenetics」への研究の足跡を綴っていく内容です。主に、「Epigenetics」関連の文献を調べ、その理論の理解に必要な内容やレース鳩の系統確立論に関係があるような記述の抜粋・引用となる思います。可能なところは考察も加えていく予定ですが、基本的にはイレブン自身の研究の為のコーナーと考えていただければと思っています。

興味がある方は目を通していただければ幸いです。ご意見等もレスいただければ励みになります。

随時、文献の引用を加えていく計画です。

この研究ノートの最初に次の言葉を掲載して今後の研究の励みにしていきたいと思います。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇−Column 「次世代の研究を拓く」−中尾光春ー◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 アレイ(※1)技術や高速シークエンス(※2)という先端技術が進歩して,遺伝子やエピゲノムに関する生命情報が蓄積しつつある.今まさに,私たちの生命と病気の解明について本格的にチャレンジできる時が来ている.つまり,研究そのものが,最も面白く,まさに旬のところにある.若い学生や研究者が自由な発想と気概をもって取り組まれることを期待したい.

 ある公開講座において,[どうしたら.やりたいことが見つかるのか]と,ひとりの高校生が研究者側に尋ねた.自分探しの途中にある学生の多くがもっている疑問であろう.年配の研究者が先輩から聞いたとして,次のように話された.[本気でやれば,好きになる.本気でやれば,できることがある.そうして,本気でやっていると,助けてくれる人が現れる」.

 きっかけは何であろうと.好奇心をもったことに専念していたら,ひとりの研究者になっていたという感じだ.私たちか生きる現代は先の見えにくいものであるが,起こってもいないことを先回りして心配して,挑戦しないことは避けたい.むしろ,「何とかなる」の精神で当たってみることで,将来への活路が拓けてくる.(中尾光春『驚異のエピジェネティクス』P206より引用)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 ■イレブンの「Epigenetics」」研究ノート■001◇◇◇◇中尾光春「まえがき」・「あとがき」◇◇◇◇◇【出典:中尾光春『驚異のエピジェネティクス』、2014年6月1日発行、羊土社、)】 ◇◇◇◇◇   イレブン  2020年10月31日(土) 1:40 修正
最初に「まえがき」と「あとがき」を引用します。

短い文章ですが、ここだけを読んでも「エピジェネティクス」が遺伝学上いったいどんな位置にある発見であるかというあらましが分かってきます。

中尾光春教授がここで取り上げている日本人の身体の変化の事実は、多くの人が素朴に一度は疑問に思っていたことではないでしょうか。

イレブンも口にこそ出しませんでしたが、ずいぶん以前から不思議に思っていたことです。

こうした素朴な疑問の解明をゲノム解析という最新の遺伝学の見地から説明してしまうことが出来るのがこの「Epigenetics」」が切り開いてくれた遺伝の世界なのです。

そして、その研究は、まだ始まったばかりなのです。この「スネークパパの部屋」もようやく最新の遺伝学情報に接点を持つ事が出来たようです。面白くなってきました。

以下に、抜粋した文章を掲載していきます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

●子どもや若者の中に,顔立ちは端正,背が高く足長で,スタイル抜群の人がいる.そういう人か増えてきたという感覚である.テレビや映画の中の特別な存在ではなく,ふつうに街を歩く人,ふつうの学生,言わば,私たち自身においてである.

●人類の歴史の中で,こんなに短い間に,目に見えるように,ヒトは変わるのだろうか.もしもそうだとすると,現代人は,ヒトとして大きな変化の時代に生きているということである.

●生来もっている「生命のプログラム」とは何であろうか.本書は,この究極の謎に迫ろうとするものである.人類が,その進化の中で,長い時間をかけて獲得してきたDNAを「ゲノム」とよんでいる.ヒトがヒトであるために,私たちは,共通のゲノムをもっている.これが,ゲノムは設計図であるといわれるゆえんである.ヒトのゲノム上には,約2万5,000個lの遺伝子があることがわかきた.|ゲノム」を辞書に例えるならば,「遺伝子」はそこに書かれた単語のようなものである.ところが,単語を無闇やたらに並べても意味をなさないであろう.辞書の中から単語を選んで,文法に従って,意味のある文章をつくることが肝要なのである.

●そう考えると,ゲノム上にある遺伝子を選んで使うという,「遺伝子の使い方」が重要なのではないか.どんなタイミングや状況で使うか.どういう組合せで使うのか.そして,この遺伝子の使い方が変更されることがあるのだろうか.これこそが,「エピジェネティクス」とよばれる新しい考え方の核心である.

●ヒトがヒトであるためには,このプログラムは,安定に“維持"されなければならない.その一方で,生活環境に応答して,柔軟に“変化"する必要もある.しかも,プログラムに異常が起これは,病気の発症につながる可能性もあるのだ.このように,「生命のプログラム」とは,維持と変化が表裏一体になったものである.あたかも流れる水が澄んでいるように,変化することで安定に維持されているようだ.

●生命体は,基本的に「種の保存」という方向性をもっている.もっていると意識に上らないほどに,本能に近いものである.地球上に現存する生物は,子孫を増やすことで,繁栄してきた.これができなくなると,その種は消滅していく。

●生活環境の変化に応じて,もっとも急速に変化を遂げるのが,生物の外観と生殖に関するものといわれている.

●生物種は,環境因子に適応するために,ゲノムの印づけを変えることで,<エピジェネティック>に変わるのではないか.こう考えると,私たちは,新しい生活環境,脳にインプットされた情報などに応じて,自分自身,そして次の世代を質的に変化させる可能性があるのかもしれない.例えば,親の脳が希望する形質を,自分の子のゲノムに刷り込む.そして,子世代もその方向に適応していく,ということだ.これに要する時間は,案外,長いようで,短いのかもしれない.

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

■リンク■熊本大学発生医学研究所「細胞医学研究所」
http://www.imeg.kumamoto-u.ac.jp/bunya_top/medical_cell_biology/

 ◇◇◇◇「まえがき」◇◇◇◇◇【出典:中尾光春『驚異のエピジェネティクス』、2014年6月1日発行、羊土社、P3より引用)】   中尾光春  2020年10月31日(土) 3:03 修正
 旧交のある小児科医が集まったときに,ひとりかこう切り出した「最近,若い人のスタイルが変化してきた?」幾人かかうなずいた.おそらく,そう感じている方も少なくないのであろう.まもなく戦後70年,徐々に身体的な変化が目に見えるようになってきた気もする.ものの見方というか,考え方もそうかもしれない.実際に,日本人は変わってきたのだろうか.

 子どもや若者の中に,顔立ちは端正,背が高く足長で,スタイル抜群の人がいる.そういう人か増えてきたという感覚である.テレビや映画の中の特別な存在ではなく,ふつうに街を歩く人,ふつうの学生,言わば,私たち自身においてである.

 人類の歴史の中で,こんなに短い間に,目に見えるように,ヒトは変わるのだろうか.もしもそうだとすると,現代人は,ヒトとして大きな変化の時代に生きているということである.

 こう考えている時に,文部科学省による平成24年度「学校保健統計調査」の中に,興味深いデータを見つけた.次のページのグラフを見てほしい.8歳,11歳,14歳,17歳の時の体格〔上から身長,体重,座高〕について,祖父母世代(55年前),父母世代(30年前),子世代(現在)を比較したものである.この全国的な調査によると,男女ともに,体格の平均値は,祖父母,親,子の順に高くなっている.確かに体格はよくなってきている.

 やや意外であったのが,この体格の仲び幅は,祖父母世代から父母世代の間で大きく,父母世代から子供世代の間では,少し伸びた程度であることだ.しかも,成長がほぼ完了する17歳の時では,父母世代と子世代の問の差はほとんどなくなっている.スタイルのよさは,子世代の若者に目立つと思っていたが,実は,その父母世代が獲得した特徴というわけである.祖父母から父母の世代間で起こった変化が,父母世代から子世代に伝えられている.掘り下げてみると,これは科学的にどうしてなのだろう.

 もう少し私たち自身のことを考えてみよう.食べる,動く,眠るというのは,いつもの活動であるが,私たちの身体の中では,目には見えないところで,数多くの細胞や遺伝子が必死に働き合っている.1つ1つの細胞が小さな生命をもっていて,この細胞がすべて合わさったものが私たちひとり分の生命になっているのだ.何とも不思議な現実である.

 「ヒトは,単細胞だった?」その通り,元をたどれば,誰でも1個の細胞であった.1つの受精卵として誕生し,それが60兆個もの細胞に増えて,ヒトひとりの身体がつくられている.そして,成長の中では,大体に同じ時期に,立って,歩いて,言葉を聞いて,話すようになる.学習しながら,知識や社会性を段々に身につけていく.

 それでは,人生の終わりについては,どうであろうか.いわゆる平均寿命が示すように,多くの人がその生涯を終える大体の時期がある.その終わり方も,病気を患うとするならば,がん,心疾患,肺炎,脳血管疾患が主な要囚になっている.要するに,人生の中身は違っても,ヒトとしての生涯の枠組みは,誰でもおおむね同じと考えられるのである.

 このように,ひとりひとりに,生まれてから生涯を閉じるまでのラフな予定が準備されている.これを「生命のプログラム(プログラム・オブ・ライフ)」とよぶことにしよう.細胞の集合体としての私たちを運命づけるものである.生命あるものは,一生の間に基本的なイベントがいつ頃起こるのか,大まかに決まっているようだ.このプログラムというものは,いわば,自分の過去であり,現在であり,これからの未来のようでもある.

 私たちの「生命のプログラム」は,生まれつきにすべて決まっているのか? 実はそうではないらしい.食事,運動,嗜好などの生活環境によって,この内なるプログラムは徐々に書き換えられることがわかってきたのである.その際に,プログラムが誤って書き換えられると,メタボや糖尿病のような生活習慣病,がん,脳の病気の発症につながるという考え方が有力になってきたのだ.つまり,このプログラムがどのように働くかで,私たちの在り方が決まってくるというのである.こう考えると,先に述べた日本人の体格の変化について,祖父母から父母の世代間で起こったプログラムの変化が,父母世代から子世代に伝えられたのではないかと想像することもできる.

 では,生来もっている「生命のプログラム」とは何であろうか.本書は,この究極の謎に迫ろうとするものである.人類が,その進化の中で,長い時間をかけて獲得してきたDNAを「ゲノム」とよんでいる.ヒトがヒトであるために,私たちは,共通のゲノムをもっている.これが,ゲノムは設計図であるといわれるゆえんである.ヒトのゲノム上には,約2万5,000個lの遺伝子があることがわかきた.|ゲノム」を辞書に例えるならば,「遺伝子」はそこに書かれた単語のようなものである.ところが,単語を無闇やたらに並べても意味をなさないであろう.辞書の中から単語を選んで,文法に従って,意味のある文章をつくることが肝要なのである.

 そう考えると,ゲノム上にある遺伝子を選んで使うという,「遺伝子の使い方」が重要なのではないか.どんなタイミングや状況で使うか.どういう組合せで使うのか.そして,この遺伝子の使い方が変更されることがあるのだろうか.これこそが,「エピジェネティクス」とよばれる新しい考え方の核心である.

 これから,私たちがもっている「生命のプログラム」について,一緒に考えてみたい.まだわかっていないことが多いので,1つの結論にまとまるものではない.しかし,世界中で最先端の研究が大容量で進んでいるので,驚くべき結果がいつも発表されている.そのため,私たちの生命観に触れる情報やアイデアが満ち溢れている.本書が,生命の不思議な真実について分かち合う一助になれば,この上ない喜びである.

2014年4月 中尾光善

 ◇◇◇◇中尾光春「あとがき」◇◇◇◇◇【出典:中尾光春『驚異のエピジェネティクス』、2014年6月1日発行、羊土社、P206より引用)】  中尾光春  2020年10月31日(土) 21:39 修正
□あとがき□

 本書では,私たちの「生命のプログラム」について,“エピジェネティクス"という研究の最前線をお話ししてきた.新しい分野で日進月歩の途中ではあるが,生命と病気の本質にかかかることから,その全休像の理解に迫りたいと思ったからである.ヒトがヒトであるためには,このプログラムは,安定に“維持"されなければならない.その一方で,生活環境に応答して,柔軟に“変化"する必要もある.しかも,プログラムに異常が起これは,病気の発症につながる可能性もあるのだ.このように,「生命のプログラム」とは,維持と変化が表裏一体になったものである.あたかも流れる水が澄んでいるように,変化することで安定に維持されているようだ.

 やや脇道にそれるが,生命体は,基本的に「種の保存」という方向性をもっている.もっていると意識に上らないほどに,本能に近いものである.地球上に現存する生物は,子孫を増やすことで,繁栄してきた.これができなくなると,その種は消滅していく.

.・私たちの日頃のおしゃれ,美容,ヘアースタイル,ファッションなど,自分の見た日やその魅力を追求する背景には,種の保存が働いているとみてよい.ヒトはその知能が高く,趣味や趣向,美的感覚,仕事柄,年齢など装飾する要素は多いが,その根本の幾分かには,種の保存がかかわるであろう.
 植物・昆虫から魚類・鳥類,そして哺乳類に至るまで,ほぼ例外なく,雌も雄も相手を惹きつけるように進化してきた.

 鮮やかな色,奇抜な形,行動パターン,鳴き声,匂いなど,様々な手段を使ってアピールするのだ.生命体にとって,然るべく優先度が高いのは,種の保存,すなわち,子孫を残すという生殖にあるからである.このため,生活環境の変化に応じて,もっとも急速に変化を遂げるのが,生物の外観と生殖に関するものといわれている.

 生物種は,環境因子に適応するために,ゲノムの印づけを変えることで,<エピジェネティック>に変わるのではないか.こう考えると,私たちは,新しい生活環境,脳にインプットされた情報などに応じて,自分自身,そして次の世代を質的に変化させる可能性があるのかもしれない.例えば,親の脳が希望する形質を,自分の子のゲノムに刷り込む.そして,子世代もその方向に適応していく,ということだ.これに要する時間は,案外,長いようで,短いのかもしれない.本書のまえがきで,子世代,父母世代,祖父母世代で,現代人は変わってきたのかと問いかけた.「生命のプログラム」が変化したならば,日本人の体格は変わるであろう.しかも,その変化は,世代を超えて引き継がれるであろう.確かな回答を導き出すには,もうしばらくの時間と研究が必要のようである.

 本書をまとめるうえで,羊土社の間馬彬大氏に貴重なアドバイスをいただきました.心から感謝の意を表します.また,植田奈穂子氏,波羅仁氏,川治豊成氏,熊本大学発生医学研究所の細胞医学分野の各位から多くの意見を受けましたことに深謝いたします.
                             中尾光善

 ■学問的文献資料■◇◇◇◇ 「ラマルクに対する後世の評価」垂水雄二◇◇◇◇ 【出典:垂水雄二『進化論物語』、2018年2月26日発刊、バジリコ株式会社、P56より引用)】  イレブン  2020年10月28日(水) 4:05
修正
現在、資料収集のために連載を中断している『OPEL BOOK 2020』の中で、話題となった「獲得遺伝子」に関する資料が、昨日読んでいた文献の中に出ていたので研究資料として掲載しておきます。

近年、飛躍的な早さで研究が進んでいる遺伝学に関する問題は、イレブンのような門外漢では、中々正確な情報を踏まえて書くことが難しいジャンルの一つです。そのため、踏み込んでいくのも難しい側面があります。そうした意味からも、イレブンは、できるだけこうした分野の最新の文献に目を通すようにしていますが、今回のように関心のあることに遭遇することは極めて希なことです。

『OPEL BOOK 2020』では、J.L.Opelが1羽の鳩にあれほど幾度も長距離レースの記録回数に挑戦させていった理由として、以前から「獲得遺伝子」を意識してのことではないかという考えがあったことに触れていました。しかし、この獲得遺伝子ついては、現在では、否定的な見解が通説になっているのでそれ以上踏み込んだ議論はできませんでした。しかし、最新の研究でまた、その「獲得遺伝子」の存在の可能性がでてきたらしいのです。

それが、「エピジェネティクス」とよばれる遺伝子発現メカニズムです。検索したらこの分野の文献が結構沢山出版されていることが分かってきました。レース鳩の系統確立に極めて関係があるジャンルなのでこの方面の研究もこの掲示板で進めたいと考えています。

ご意見・感想等、レスいただければ幸いです。

◇◇◇◇本文より抜粋◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

●とはいえ、完全に否定されたかに見えた獲得形質の遺伝について、近年ささやかな復活の兆しか見られる。ラマルク説を決定的に否定した分子生物学のその後の発展が、ヒトゲノム計画以降の詳細な遺伝子発現メカニズムの解析を可能にし、その中でエビジェネティクスという後天的な遺伝子発現調節・修飾機構か明らかになってきた。驚くべきことに、その後天的な遺伝子修飾の一部が遺伝性をもつことかわかってきた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


■エピジェネティクス(英語: epigenetics)フリー百科事典『ウィキペディア■

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9

■ほぼ日の学校講座「ダーウィンの贈りもの T」
https://www.1101.com/gakkou_darwin_yokoku/2019-04-03.html

■エピジェネティクスとは?例を挙げて分かりやすく解説■
https://syuyu.work/what-is-epigenetics-your-current-action-influences-future-generation





 ■ラマルクに対する後世の評価■  垂水雄二  2020年10月28日(水) 4:09 修正
 時が経つとともに、無脊椎動物分類学者としてのラマルクの功績は忘れられ、進化論の先駆者、それも獲得形質の遺伝を主張する「用不要説」の提唱者としてのみ、人々の記憶にとどめられることになったのもまた、ラマルクにとって不幸だった。
 ダーウィンの自然淘汰説が、メンデル以降の遺伝学の発展により総合説として洗練されるとともに、20世紀において獲得形質の遺伝は否定され、ラマルク説は正統的な進化論から排斥された。しかし、ダーウィン説に反対する陣営から、ラマルクの名は不死鳥のように、時折頭をもたげるのである。

 ダーウィン主義に対して、生物学の事情に疎い多くの人々が抱く違和感は、進化か偶然任せで、生物の主体性を認めないことにある。人間がそのような無情なプロセスを経て進化したと認めるのは、自らの尊厳か損なわれるような気かするからかもしれない。それに対してラマルクは、生物の側に変化の主体性を認め、努力や教育の進化的な意義を認める。このような違和感を進化の理論として主張するのか、ネオ・ラマルク主義と呼ばれるものである。

 ネオ・ラマルク主義の一つの潮流は、進化の原動力として生物の主体性を認める定向進化説である。この説は、エドワード・コープやヘンリー・オズボーンのような古生物学者
によって提唱された。ウマやソウの化石を年代順位に並べてみると、一定の方向性か見られることからの推論であった。表面的には、まるで特定の方向に向かって進化していくように見えるから、内的な動因を想定したくなるのだ。しかし、後にゲイロード・シンプソッが明らかにしたように、連続しているように見える化石も、実際には多様に枝分かれをした系統の化石を、恣意的に並べたにすぎなかった。また、牙や角が巨大化し過ぎて絶滅した種の存在を、抗いがたい進化的傾向の証拠として定向進化説を主張する学者もいたが、現在では性淘汰のランナウェイ仮説によって巨大化を説明できる。いずれにせよ、定向進化を裏付ける生物学的なメカニズムが見つからないため、いまやこの説を唱える学者はほとんどいない。

 もう一つのネオ・ラマルク主義の潮流は、獲得形質の遺伝を主張するものである。そもそも、1900年にメンデルの法則か再発見されるまで、遺伝のメカニズムについては何もわかっていなかったため、獲得形質か遺伝するかどうか科学的に説明することができなかった。それゆえ、多くの進化論者か獲得形質の遺伝を肯定していた。他ならぬダーウィンでさえ、その可能性を否定しなかったし(それどころか、『人間の由来』の第1版の序で、わざわざ用不用の遺伝的重要性を強調している)、本書の後の章で述べるハーバート・スペンサーもエルンスト・ヘッケルも獲得形質の遺伝を認めていた。集団遺伝学と自然淘汰説を統合した総合説の誕生と、その後の分子生物学の発展によって、遺伝の分子的なメカニズムが明らかになったことにより初めて、獲得形質の遺伝は科学的に否定されることになったのだ。

 しかし、より適応的な変異をもつ個体かより多くの子孫を残すことによって進化か起きるとするダーウィン説よりも、個体の適応的な変異が遺伝的に累積されていくことによって進化か起こるというラマルク的な見方の方が、直感的には受け入れやすい。ダーウィン的な進化は普通、人間の一生のような短時間には見えないからでもある。日常的に生物を観察している生物学者がラマルク的な見方に魅力を感じることは責められない。それゆえ、ダーウィン説を認めながらも、獲得形質の遺伝もあるのではいかと思っている「隠れラマルク主義者」は今でもたくさんいるような気がする。実際に、サンバガエルで穫得形質の遺伝を証明しようとしたカンメーラーを初めとして、これまで数多くの生物学者が獲得形質の遺伝を証明しようと試みてきたか、それらはことごとく失敗してきた。

 にもかかわらず、ネオ・ラマルク主義か現在でもでも一定の人気を保っているのには、歴史的な事情もある。第3章および第4章で述べるように、進化論は生物学の理論としてよりも、むしろ進歩史観、帝国主義・植民地主義を補強する理論として社会に受け入れられたという事情かある。自然淘汰による最適者生存説は弱肉強食の論理に置き換えられ、優越者による劣等者の支配を正当化する論拠とされてしまった。これは本来のダーウィン説とは似て非なるものであるか、ここからダーウィン主義か権力者の主張であり、遺伝的決定謡であるという誤解が生まれた。

 平等な社会を希求する政治的なリベラル派や、教育や学習の効果を重視する社会科学者たちが、一握りの優秀者を進化の原動力であるとするダーウィン主義よりも、個々人の努力の集積によって社会か進化するというラマルク的な進化観に親和性をもっのには、こうした歴史的背累かある。しかし、改めていうまでもないか、ダーウィン説は生物進化を説明できるいまのところ最も矛盾の少ない理論であるが、社会の進化を説明する理論ではない。それは科学理論の誤用である。平等な社会を希求する人々は、ネオ・ラフマルク主義のような誤りであることかわかっている生物学の理論に依拠するのではなく、自らの社会学的な理論をもって対抗すべきなのである。

 とはいえ、完全に否定されたかに見えた獲得形質の遺伝について、近年ささやかな復活の兆しか見られる。ラマルク説を決定的に否定した分子生物学のその後の発展が、ヒトゲノム計画以降の詳細な遺伝子発現メカニズムの解析を可能にし、その中でエビジェネティクスという後天的な遺伝子発現調節・修飾機構か明らかになってきた。驚くべきことに、その後天的な遺伝子修飾の一部が遺伝性をもつことかわかってきた。もちろん、これはラマルク主義的な進化の証拠ではないが、獲得形質の遺伝か絶対的に存在しないわけではないという意味では、一度は完全に消え去ったラマルクの灯火を、小さな豆ランプのような形で現代に甦らせるものと言えなくもない。
 ともあれ、ラマルクの恨みは、ラマルク主義を擁護することによってではなく、ラマルクの業績を彼が生きた時代の中で正当に評価することによってしか晴らされないはずである。

※画像資料挿入:イレブン

 エピジェネティクス:関連資料  イレブン  2020年10月28日(水) 4:29 修正

 エピジェネティクス:関連資料  イレブン  2020年10月28日(水) 4:49 修正

 【エピジェネティクス:関連資料】■学問的研究資料■◇◇◇◇ 社会的環境がもたらす生物学的反応:エピジェネティクス◇◇◇◇ 【出典:松島倫明『WIRED』https://wired.jp/より引用)】    2020年10月29日(木) 5:06 修正
米イリノイ大学のジーン・ロビンソン教授は2009年に発表した論文で、“育ち”が遺伝子に与える影響について実験を行った。彼が注目したのは、非常に気性が穏やかなイタリアミツバチと、集団で人を刺し殺すこともある獰猛なアフリカナイズドミツバチ(以後キラー・ビー)だ。

ミツバチ類は高度な社会性をもつ昆虫で、それぞれの役割は階層により成り立っている。これらのミツバチの見かけにほとんど変わりはないが、キラー・ビーには自分のテリトリーを守るため、非常に攻撃的になるという性質がある。そこで研究チームは、それぞれの幼虫を孵化一日目で別種の巣に移し、2種類のミツバチがどのような性格に育つのか、という実験を行った。

ロビンソンの以前の実験で明らかになっていたのは、孵化したばかりの幼虫ならば、別種でもそれぞれの巣に受け入れられるということ。そして“養子”に出されたイタリアミツバチは、養い親のキラー・ビーと同じようにキレやすく攻撃的になり、逆にイタリアミツバチに育てられたキラー・ビーは、育ての親に倣っておとなしくなるということだった。


ロビンソンは、年を重ねたキラー・ビーがより攻撃的になる性質を受け、警戒フェロモンという“環境的な刺激”が、個体をより凶暴化させることに注目。詳細な遺伝子解析の結果、キラー・ビーの5〜10%の遺伝子は警戒フェロモンに反応し、護衛、兵隊、食料調達などの役割を決めていたことを突きとめた。

驚くことに、キラー・ビーの警戒フェロモンに晒されて育ったイタリアミツバチの遺伝子も、これに影響を受けていたのだ。生まれもったゲノムの塩基配列はもちろん変わっていなかった。しかし、イタリアミツバチは警戒フェロモンの影響により、温厚から獰猛な性格になるように、「遺伝子のスイッチ」が大きく切り替わっていたのである。

環境によって変化する遺伝子のスイッチ。このコンセプトは1942年にコンラッド・H・ウォディングトンにより初めて提唱され、「エピジェネティックス」と呼ばれている。二重らせんで成り立っているDNAや、DNAが巻き付いているヒストンたんぱく質を、有機分子が後天的に化学装飾(DNAのメチル化やヒストンのアセチル化)するもので、これが親から受け継いだ遺伝情報をオンにしたりオフにしたりと調節しているのだ。


この有機分子はひとたび化学装飾が起こると、長い間、時には一生付着することとなる。最近の研究では、ライフスタイル、食生活、社会的変化、環境汚染、また心理的な変化によっても、エピゲノムが変化することが明らかになっている。

遺伝子と環境の間。氏と育ちの隙間。そこにエピジェネティックスが作用する。そして環境からの情報を取り込むことで生じた一部のエピジェネティクスは、なんと次世代へと遺伝することが明らかになってきたのだ。

 ■研究論文の概要■ ” Honey bee aggression supports a link between gene regulation and behavioral evolution(ミツバチの攻撃性は、遺伝子調節と行動進化の間のリンクをサポートします)”[米イリノイ大学教授:ジーン・ロビンソン]    2020年10月29日(木) 5:14 修正
概要

著名な理論は、動物の表現型は遺伝子調節の進化的変化によって生じると述べていますが、この理論が行動の進化にどの程度当てはまるかは不明です。「自然と育成」は、遺伝子発現に対する遺伝的および環境的影響を伴うことが理解されているため、行動表現型、すなわち攻撃性に対する環境的影響が、遺伝子発現の変化を介して遺伝的差異に進化した可能性があるかどうかを研究しました。ここでは、ミツバチのマイクロアレイ分析で、遺伝形式の脳発現を持つ攻撃関連遺伝子も環境的に調節されていることを示しています。ヨーロッパのミツバチ(EHB)亜種と比較して、非常に攻撃的なアフリカナイズドミツバチの間で、何百もの遺伝子の脳に発現の違いがありました。警報フェロモン(攻撃性を誘発する)への曝露に応答して、および老いも若きミツバチを比較した場合(攻撃的な傾向は年齢とともに増加する)、同様の結果がEHBで得られました。これらの3つのマイクロアレイ実験から生成された遺伝子リストの有意な重複がありました。さらに、3つすべての遺伝子リストの遺伝子のプロモーターに同じシス調節モチーフのいくつかが統計的に濃縮されていました。攻撃性は、遺伝的、加齢、または環境(社会的)要因のいずれが原因で発生するかに関係なく、非常に堅牢な脳分子シグネチャーを示します。ミツバチのさまざまな程度の攻撃的行動の進化における1つの要素は、警報フェロモンへの応答を媒介する遺伝子の調節の変化に関係しているようです。

 ソフトバンク3年ぶりリーグ優勝!!  イレブン  2020年10月27日(火) 21:56
修正
ソフトバンクがリーグ優勝しました。3年ぶりです。

圧倒的な選手の層の厚さ、そして、チームとしてのまとまり、そして、勝利への執念、清々しい見事な優勝でした。

試合中の解説者の「努力しても勝てないことはあるが、勝った人で努力していない人はいない」との一言が心に残りました。

コロナ禍で、例年とは全く違う状況下でも、キチンと結果を出すホークスの凄さを感じました!

 ■■『Piet de Weerd 研究』029■■  [ピート・デヴィート回想録029「デルバーの輝き」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年4月号 )  イレブン  2020年9月18日(金) 4:19
修正
Piet de Weerdの回想録では、最初にピートの理論を述べた後、鳩界に誕生した数々の銘系を一つ一つ取り上げ、その系統の成立過程のなかで自分が直接見てきたそれぞれの銘鳩・銘血ががどのような鳩だったかを様々なエピソードも加えながら綴っています。さらにアーレン・ドンクのヤンセン系との相性やヤンセン系とどのような関係があったのかについてピートさんの深い洞察が加えられています。

Piet de Weerdが最初に取り上げたのは、Dr.Bordeauxの系統でした。ブリクー系は、世界中で「看板を変えながら」今日も鳩レース界を席巻しているピートさんが云うとおり「世界最高の系統」です。

この『Piet de Weerd 研究』で、ブリクー系を取り上げたのは8月15日のことでした。この「世界最高の系統」について、もう1ヶ月近く関連資料の徹底的に調べ上げてきましたが、やっと一段落しました。

Piet de Weerdが、次に取り上げているのは、デルバール系です。デルバール系の成り立ちとその伝播について、ピートさんの様々なエピソードも織り交ぜながら深い洞察を加えて語っています。

ではデルバール編の入りますね。

 ■ロンセの巨人モーリス・デルバー■  Piet de Weerd  2020年9月18日(金) 4:50 修正
 (この項前号より続く) 私は地上での鳩の天国、ベルギーを何度も旅行しました。戦前はそもそも鳩とは何であるかを学ぶために、戦中および戦後は、様々な依頼主の注文を受けて鳩を買い入れるために、国の内外の20件に及ぶ日刊誌や週刊誌に載せる記事を書くために、そしてフランドルやワロン地方で何千、何万という鳩を調べ、掛け合わせるために。私か最後にこの仕事をやめたとき50年間が過ぎており、その間に私は30万羽の鳩を扱いました。

 私は文字通り半生を鳩に捧げました。かつてディーストのギローム・スタッサールトは鳩のことしか考えず、鳩のこと以外は語らない自分の息子について言ったように「ズボンも理性も」

 ■1944年から1946年に■    2020年9月18日(金) 4:51 修正
◎20回のベルギー旅行◎

 シェフ・オーメンスと私は1944年から1946年にかけて、2度にわたって侵攻、占領されたベルギーを約20回旅行しました。その目的は一つは鳩が激減したオランダを助けるため、もう一つは自分たちのためにアントワープで新しい系統を確立するのに必要な種鳩を手に入れることでした(これは1940年からオーメンス、ファン・タイン、デ・ウェールトの組み合わせで行っていました)。

 戦争が続いている間、私たちはたいてい自転車に乗ってシェルデの破壊された港町に行き、そこで鉄道に乗り換え、必要な限りどこまでも行ったものです。私たちの頭の上を多数の爆弾が飛んで行きましたが、人間というものは何にでも慣れるものです。爆弾が落ちて道路に大きな穴があいたときなどは、自転車を背中にかつぎました。それは楽な旅行ではありませんでした。

 天候の悪いときは特にそうです。けれども、それらは忘れがたい思い出と結び付いています。雨や寒さの中に道路わきに立ってヒッチハイクを試みたり、音と臭いがひどい、ぼろぼろの満員バスに乗って移動したりしました。重いトランクとバスケットを持って延々と歩いたこともあります。

 ある晴れた冬の日の朝、私たちは自転車に乗って気分よくブレダからウィヘレンに行きました。そこで老いたアルトゥール・デ・クリッベルのもとに泊まり、鳩舎の横の屋根裏部屋に寝ました。このアルトゥールについては、別の機会に詳しく書くつもりです。彼は確かにそれだけの値がありますから。

 翌日、空は黒ずんで今にも降りだしそうでした。それでも私達は黒パン半切れと焼いたベーコンを胃袋に詰め込んで、狭い街道を口ンセに向かいました。アールスト付近でブリュッセルとベンドを結ぶアウトバーンを横切ったとき、霧雨が降り始めました。霧雨は、東フランドルの丘陵地のがたがたの道路に沿って約50キロメートル進むあいだじゅう降っていました。そして山の麓のオウデンアールデに着いたときは、霧雨は正真正銘の豪雨になりました。
 私たちは山の上に続く自転車専用道を徒歩で上りました。ロバのように重い荷物を背負って坂道を一時間進むと、眼下の谷間にロンセが見えました。両側に樹木を植えたきれいな舗装道路が真っすぐ下まで延びていました。私たちはまるで濡れ鼠のようになって、ヤン・ファン・ナッサウストラートに住むデルバーの家にたどり着きました。

 モーリスは家にいませんでした。彼はフランスとの国境を少し越えた小さい町で自分の鳩を展示するために出ていたのです。折しもドイツのフォン・ルンシュテット将軍は、アルデネンに最後の奇襲攻撃を仕掛けようとしていました。彼の衰退した軍隊の前衛舞台は泥と雪の中をバストーニュとアルロンに向かって進軍していました。

 ●連合軍の補給部隊●    2020年9月18日(金) 4:51 修正
 人々は路上で肩をすくめながら話していました。私たち二人は、トラックと大量の補給物資の間を行進する連合軍の兵隊と同じように、みすぼらしい身なりをして、無関心でした。まるで蟻塚のように人々は休みなく動き回っていました。1日24時間、どんな天候のときもです。レインコートから雨をしたたらせた憲兵が、休みなく行軍する隊列の交通整理をしていました。誰も私たちと同様にそれに興味を示しませんでした。

 私たちは鳩のために来たのです。それが私たちの旅行の目的であり、使命でした。デルバー夫人とそのチャーミングな娘ギスレーヌにとっても、表の出来事を少しも気にかけずに、私たちを温かく迎え、服を乾かしてくれました。赤々と燃える暖炉の上には、湯気が立ち込めました。

 ある人がオートバイに乗って、私たちが来たことをデルバーに知らせに行きました。この親切な人は、日曜日の朝早く、わざわざ自分の鳩をもって来て、私たちに見せました。その日はあっというまに過ぎました。そして翌日の早朝、(彼は前の晩どんなに遅くとも、翌朝寝坊することは決してありませんでした)世界チャンピオンが戻って来たのです。当時、彼以上にこの名に値する人物はいませんでした。


 ●「ピジョンスポーツのジャック・デンプシー」●    2020年9月18日(金) 4:52 修正
 よく話題に上ったモーリス・デルバーは、当時最も成功した長距離レースマンです。彼は無敵の長距離系を保っており、ブリクーやデュレイに匹敵する成績を上げていました。彼はピレネ・レースのチャンピオンでした。破竹の進撃で頂点に立ち、1935年から1940年にかけてその記録は破られることがありませんでした。彼の最大のライバルは、ペルレンヘー、ダース、デルヴィンキール、デュサルダインなど、彼自身の純系の鳩を使ったフライターでした。

 他の系統と交配させることもありました。デルバー系は純粋な品質を豊富に備えていたので、どんな系統でも交配可能でしたが、その筆頭はヤンセンです。このような交配は、戦後特にオランダとドイツで大きな成功をおさめました。

 デルバーは温和な青年の模範でした。肩幅が広く、いかにも健康そうで、スポーツマンらしいがっしりした体格と、はつらつとした顔に筋張ってたくましい首の持ち主でした。知らない人は彼のことを染色工場のオーナーというよりも、競輪の選手か長距離ランナーと思ったことでしょう。彼は節度をもって天賦の才を享受する術を心得ているという印象を与えました。

 夏は鳩レースを行い、冬は大型野獣の狩りをしました。アルデンヌの猟師たちは、彼を自分たちの仲間とみなしていました。彼はイノシシのなかでも特に雄イノシシをねらいました。彼はカービン銃のコレクションを持っていました。それはエチオピアでライオン狩りをしたセロー・モースティーのウィリー・ヘルマン夫人のコレクションにも劣りませんでした。モーリスーデルバーは並ぶ者のない狙撃兵だったのです。

 ■デルバーの傑出した3点■    2020年9月18日(金) 4:52 修正
 デルバーの鳩は次の3つの点で傑出していました。輝く目、比類ない完璧な頭部、そして馬鹿力。その他の点ではごく普通のトリで、おとなしく、幾分不格好で、まるで自分の力をもて余している優しい熊のようでした。粗野ではありませんが、鼻の肉付きが少ないのが目立ちました。流線型や空力学的な体型ではありませんでした。

 力がみなぎっていましたが、彼らは自分の力を慎重に使うことを心得ていました。レース籠のなかでもファイタータイプの鳩と掛かり合うことなく、餌と水に近い場所を取り、寝るときはできるだけ片方の翼の上に体を横たえました。

 目と筋肉と鋼鉄の神経、それがモーリスーデルバーの秘密です。彼の鳩は実に豊富な血と持久力をもって飛びます。正しく餌をやり、十分体を休めたなら、そのパワーは限界を知りませんでした。いったん空中に飛び出したら、機関車のように群れを引っ張らずにはいられません。競輪選手ヘリット・シュルテが彼の全盛期に道路の上で見せたようにです。

 ライバルが力尽きて倒れるまで容赦なく引っ張るのです。胸骨を横切る太い筋肉は引き締まり、しかも良質の天然ゴムのように弾力的でした。「クレイネ・リヒテ」を掴んだとき、それは汗をかいて濡れていました(鳩には汗腺がないにもかかわらずです)。非常にコンディションがよく、そのままバスケットに入れて、逆風のサン・バンサンレースに出場させられると思えたほどです。

 ■デルバーの目覚ましい活躍■    2020年9月18日(金) 4:53 修正
1935年アンタント・ペルジュ主催のダックスNで、デルバ−は2位、7位、11位、13位の成績をおさめました。デルバーがレースに出したのはこの4羽だけでした。自信のあった多くのフライターは、この結果に愕然としました。デルバーはアールストから3羽の鳩をアングレームNに出場させて、1位、2位、3位を独占しました。放鳩日に帰還した鳩もこれらの鳩だけでした。その日はうだるように暑く、しかも激しい逆風が吹いていたのです。私の知る限り、この記録はまだ破られていません。

 1937年には地中海のナルボンヌNに6六羽の鳩を送りました。いずれも兄弟や半兄弟でした。彼は系統の確立にあたり年齢や血縁関係には注意を払わず、ヤンセン流の近親交配を行ったのです。このときの成績は1600羽中優勝、2位、4位、5位、9位、18位でした。

 今とは時代が違っていました。ポケットに3マルクも持っていれば金持ちだったのです。しかも、そんな人は多くいませんでした。ブリーダーは鳩の餌を買う金にも不自由していました。経済危機に見舞われ、節約が至上命令でした。デルバーは1938年にアンタントーペルジュ主催のサン・バンサンNに六羽出場させ、優勝、3位、5位、13位および17位を取りました。

 当時オランダで最強の長距離フライターだったローゼンタールのフェルディナンド・シュールは叫びました。「なんてこった。我々の鳩はみんな糞か。下品な言い方ですみません。けれども、あの男は我々全員をまるはだかにしてしまうでしょう。」

 戦後、モーリス・デルバーは濃密な近親交配で作り出した同じ系統の鳩を持っていました。越冬した鳩を持っていなかったヘクトール・ベルレングーは、早くも1944年にデルバーから20羽のヒナを手に入れました。彼は鳩舎で自分の気に入ったトリを探すことが許されました。

 そのなかに1949年のバルセロナーN優勝鳩「ブラウエ・ベルテン」という純系デルバーの母親がいました。父親も純系でした。、私はこのトリが12才のときにブリュッセルのオークションで獲得しました。このほかに「フーデ・グレイゼン」の母親と、1944年のメス鳩2羽も手に入れました。

 ■地域に広がるデルバーの銘血■    2020年9月18日(金) 4:53 修正
 「ベルテン」の母親はステーンベルヘンのヤンーアールデン系の基礎鳩の全姉妹でした。このデルバー鳩は、ブレダのハーゲデイクでデグフロイ・ヴァン・ヴィングネと交配しました。これはシャルル・ヴァンデレスプト経由のデルバー鳩でした。ヤン・アールデンが1845年に得たヒナは素晴らしく、彼はその後これ以上の鳩を手にすることがありませんでした。

 このメス鳩は後に「38」と「49」の祖母になりました。このメス鳩と最初に掛け合わせた鳩は、ハルステレン在ティースチエ・ストークの純系デルバー鳩でした。名前は「クランケ」でした。それはトーレンのウアーゲマーカーとミッデルハルニスのコニピウスが口ンセから持ち帰ったものだったと思います。

 私自身はその場に居合わせませんでした。ステーンベルヘンのデルバー系の第3の基礎鳩はエッテンのL・デッカースの鳩でした。ゼーウス・フランデーレンの二人の住人、ブルーテのスターフ・デュサルダインとブレスケンスで家畜商を営んでいたゲイスのブラム・ヴァン・ゲイスは、デルバーのところに行き、そこで気に入ったものを全部持ち帰りました。特にスクープはそれらの鳩を使って奇跡を起こしました。タックスNで三回優勝したのです。

 エイントホーフェン近郊のゼールストに住むタバコ製造業者フランス・バーゼルマンスは、欲しいと思ったものはすべて手に入れました。彼は戦前からそうだったのです。

 モーリス・デルバーは鷹揚な人物で、気の毒な人に同情せざるを得ないたちでした。彼は「ノー」と言うことができませんでした。

 ロビンフッドのように大金持ちは貧乏人に施すべきだという考えでした。そういう人々に彼は自分の鳩を捨て値か無償で与えました。私はあるとき、この鷹揚さは報われず、たわわになったスモモの木からスモモを振り落とすように、たくさんの良い鳩をばらまくことができなくなる時がやってきた、と書いた事があります。

 1947年、彼は長距離と超長距離でベルギー公認ナショナルチャンピオンになりました。そして1948年だったと思いますが、リエージュでサンバンサンNに出場し、北西の風をついて2位になりました。これで彼はひと財産得ました。

 私かお祝いの電話をかけると、息子のミックが「パパは転んでもう少しで死ぬところだった」と言いました。彼は鳩舎の階段の下で昏倒していましたが、ピジョンタイマーはちゃんと押してありました。階段は高く急なうえ、踏み板が擦り減って滑りやすくなっていたのです。
           (この項次号へ続く)

 ■■『Piet de Weerd 研究』030■■  [ピート・デヴィート回想録030「デルバー系の軌跡」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年5月号 )  イレブン  2020年9月18日(金) 4:56 修正
Piet de Weerdは、この第30回の回想録で、デルバー系の系源について論究しています。そして、そこから明らかになった事実と考察を端的に次のように述べています。

●こうして見ると、モーリス・デルバーのような人物は、多かれ少なかれDr・ボムやDr・ブリクーと同じ血筋を開拓していたことがよく分かります。こうしたすべてのことを子細に見ると、カレル・ウェッゲは、20世紀全体を通して長距離系に不滅の刻印を残した人物でした。ごく少数のエリートファミリーが大規模な国内レースを支配するというのは、いまでも通用するテーゼなのです。

●デルバーは後に近親交配主義者となりましたが、初期は交配もかなり多く行いました。特にエスピエールのエドゥアール・ラッソンやロンセのジェフ・ポルトワの鳩と掛け合わせました。後にはこれにブリクーも加わりました。

イレブンは、ここでも、「ウエッジュはウエッジュで」の原理を想起してしまいます。ピートさんの頭の中では、このことをハッキリと認識した上で、各系統の成立と発展の経過を語っているように感じます。

 ◇地域に広がるデルバーの銘血(前号より続き)  Piet de Weerd  2020年9月18日(金) 5:03 修正
 彼が当時持っていた2羽の最良の鳩は「ボン・ブルー」とその息子「バロン」でした。彼は私に「バロン」の妹をわずかばかりの紙幣で譲ってくれました。この鳩は、ワッケンの食肉業者アルベルト・ベーケラントの鳩舎で、ウィールスベーケにある我々の鳩舎から出たヒューケンスとヴァンーリールの「ストレーク」と掛け合わせました。その子供はバルセロナーNで2位になりました。

 デルバーは「私か熱心に見ていた」と言って、赤い羽色のメス鳩、バーゼクル在ダハイヴエの「ローデ・バルセロネ」の娘と「バロン」の別の妹を私にくれました。赤のメス鳩は「700」と呼ばれ、同腹のまだらの妹がいました。

 その息子のデルバー鳩は1959年か1960年のシーズン末期、それも9月1日だったと思いますが、アングレームNで6000羽中優勝したデルバーを生みました。

  「700」はブリクーとデルバーという黄金の組み合わせから生まれました。デルバーとヤンセンの交配も、特にオランダの数多くのトップフライターの鳩舎で大きな成功をおさめました。が、こちらの組み合わせはずっと簡単でした。なぜならば、第一級のヤンセンはブリクーよりもはるかに多く出回っていたからです。

 ■デルバー系の起源■    2020年9月18日(金) 5:04 修正
 デルバー系はどこから由来しているのでしょう。天から降ってきたものでないことだけは確かです。この系統の起源を探ろうとすると、今から80年ほどさかのぼらなければなりません。第一次大戦前、若いDr・ブリクーはワロニェン地方のジョリモンという村落で、「敵を壊滅させるための武器」を鍛造していました。

 フランドル地方のアルデンヌで、クワレモン、クルースペルク、エデラーレといった地名が周遊旅行で有名になったころ、モーリス・デルバーの父オスカル・デルバーは、ピジョンスポーツの世界で輝かしい名声を確立しました。83歳になった父オスカルはすでに70年前に大型の長距離レース鳩を持っていました。それはパリ周辺を席巻した「ブラウェ・ウィール」でした。オスカルはこの鳩をサン・バンサンに出場させました。

 当時はまだ、レースカレンダーにはサン・バルサン・ドウ・テュロセとフルネームで載っていました。それは1913年、第一次大戦が始まる前の年のことでした。このころの勢力地図は現在のものとは違っていました。

 西フランドルの農民は、まだそれほど優勢ではありませんでした。しかし「ウィール」
は国内で4位になりました。もし戦争がなければ、おそらくもっと良い成績を上げていたことでしょう。戦争中はこの鳩を使って繁殖を行いました。しかし不幸にも「ウィール」の名声はドイツ人の耳にも入りました。

 1918年のある忌まわしい日、ドイツ軍の軍用車が家の前に止まりました。そしてドイツ人は鳩を全部車に積み込んで、ドイツに持ち帰ってしまったのです。その時、このトリの羽一本再び見ることがあろうとは誰も信じませんでした。彼らは地獄の門の前でも、自分たちが盗まれたものを取り戻したことでしょう。

 ■系統の改良を求めて■    2020年9月18日(金) 5:06 修正
 1918年戦争が終結すると、すぐに彼らはラインラントに進駐していた連合軍と連絡を取り、奇跡的にも6羽の鳩を見つけたのでした。そのなかには「ブラウエ・ウィール」の5羽の娘が含まれていました。

 これらの鳩はメヘレン近郊のプッテを拠点とするデプレーター系と掛け合わせました。正確に言うと、プッテはメヘレンからバイスト・オプ・デン・ペルクとハラールに向かう国道沿い、以前から最高の鳩がいたコーニンクスコーイクトとリールからそれほど遠くない所に位置しています。

 私はデプレーターの娘はカレル・ウェッゲとシモン・フランク(ハラール)の鳩と比べて全く遜色ないと間いていました。それが本当で、しかも適切な鳩であったなら、この交配によって系統は劣化するよりも改良されたでしょう。

 このほかにも最高クラスの鳩かロンセにやって来ました。ブリュッセルの強力なレースマン、モレールスの鳩、レーデペルク(ゲント)のフランス・デローフの系統、そしてガヴルのドントという人物の鳩。それから2年後、ロンセのA・ヴァン・オッペンスの二羽の素晴らしい種鳩(ポルトワ・ラッソン系)と、ウアレール・ポルトワ(ヨゼフの父)のトリがラインを強化しました。

 フランス・デローフが誰で、どこから来たかについて、サス・ヴァン・ゲンターの退役軍人グスト・マルキニーより良く知っている者はいません。彼は第一次大戦前にフランスと頻繁に鳩を交換していたのです。それらの鳩は、純系のデンデルモンデのドゥ・リーダース(ウェッゲードゥ・ヘル、パウル・シオンの鳩(すべて世界のトップクラスでした)、そしてレール・ノールの市長ジュリアン・コミン(ヴァンデルデーウェッゲーヴァ −・ツヘ)でした。また、フランス自身は国際家禽審査員をつとめていました。

 彼の友人にはオブウェイクのジーン・ヘイヴァールト(ウェッゲ)やベヴェーレン・アウデナールデのヘンリ・クリステインス(ウェッゲ)がいました。忘れてならないのは、モエルスから程近いアートレイケのデピュイッそしてデヴリーントです。

 こうして見ると、モーリス・デルバーのような人物は、多かれ少なかれDr・ボムやDr・ブリクーと同じ血筋を開拓していたことがよく分かります。こうしたすべてのことを子細に見ると、カレル・ウェッゲは、20世紀全体を通して長距離系に不滅の刻印を残した人物でした。ごく少数のエリートファミリーが大規模な国内レースを支配するというのは、いまでも通用するテーゼなのです。

 デルバーは後に近親交配主義者となりましたが、初期は交配もかなり多く行いました。特にエスピエールのエドゥアール・ラッソンやロンセのジェフ・ポルトワの鳩と掛け合わせました。後にはこれにブリクーも加わりました。

 ■デルバー系の基礎を築いた鳩■    2020年9月18日(金) 5:07 修正
 ポルトワは1920年代に素晴らしいメスの種鳩「プリンセス」を持っていました。苛酷な地区レースにおいてぶっちぎりで優勝した「ボルドー」の娘です。その息子で「プリ
ンセス」と同腹の兄弟は、同レースで2位になりました。これで明らかでしょう。「プリンセス」はモーリス・デルバーのもとで「金の卵」を産んだのです。デルバーはヘクトル・デスメ、シャルル・ヴァンデレスプト、オスカル・デヴリーントとも掛け合わせました。

 特に言及に値するのは、フラマン語の名前を持ったフランス人愛鳩家フェリックス・ヴァン・ユートリーヴェ(ルーベー)のメス鳩です。デルバーは彼の有名な「サン・バンサン」の妹を手に入れました。「サン・バンサン」は「ヴィラ」というニックネームが付いていましたが、それはメキシコの盗賊の首領から取ったものではなく、このトリがピレネーINで優勝して小ぎれいな別荘を獲得したからです。

 つまり、それは「絨毯たたき」や「手ぼうき」とはいささか違っていました。モーリスに言わせると、このヴァン・ユートリーヴェの鳩はまさに自分のタイプでした。当時モーリスは、ベルギーよりもフランスのレースに多く出ていたのです。

 ポルトワの67−4034217について少し書きますと、このトリは1972年にブリーフNで優勝し、同年サン・セバスチャンINで5位に入りました。マールケグールのドゥ・メルリェールのもとで、このオス鳩の孫80−4321030はアルジェントンNで2141羽中優勝しました。

 ヒュースケンス=ヴァンーリールが20年後にそうであったように、1928年にモーリス・デルバーは2組のカップルを持っていて、次々とチャンピオン鳩を生み出していました。そのカップルとは、
(1)「ウィッテペン」26−2204993
(2)「ゲーデ・クウェーカー」28−4199357
(3)「プリンセス」25−211114118
(4)「デプレーター」28−2523831です。(2)の「ゲーデ・クウェーカー」は (1)と(3)の息子です。モーリスがこのカップルから、(2)と(4)でしたように鳩舎一杯のヒナを作らなかったのは悔やまれます。もし彼がこの2組のカップルに数多くの子供を生ませ、それらを互いに交配させたなら1937年の記念すべきナルボンヌレースでのように、長年にわたってすべての国内レースを制することができたでしょう。というのも、これらの鳩にかなうものはなかったからです。

 デルバー系の基礎を築いたこれらの有名な種鳩、すなわち2羽のオス鳩と2羽のメス鳩のうち、レースに出場したのは1羽だけで、その他はレース籠に入ったこともありませんでした。その1羽とは、(1)の「アウデ・ウィットペン」です。このトリがかなり純粋な血筋を備えていたことは、それらの兄弟の 「ヤボット」、「ウィッテニューゼ」なども偉大なチャンピオンであったという事実によって裏付けられます。

 ■■『Piet de Weerd 研究』031■■  [ピート・デヴィート回想録031「デルバーの基礎鳩」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年6月号 )  イレブン  2020年10月24日(土) 5:19 修正
秋レースが始まる頃から中断していた『Piet de Weerd 研究』を再開しています。この『Piet de Weerd 研究』は愛鳩の友誌で、10年間に渡って長期連載された「ピート・デヴィート回想録」を元に関連資料を可能な限り掲載して「回想録」の全てを引用しながら進める研究です。

関連資料については、取りあえず資料のみを追加掲載する形で進めることにしています。数年後、イレブンが時間がとれるようになったら、それらの資料も関連させながら、考察を加えて整理していく考えです。そして、この掲示板に新しく研究室を立ち上げ、閲覧しやすいように編集する予定です。

それまでは、掲示板に定期的に掲載していくので、過去の分を読むのが面倒な状態が続きますが、ご容赦願います。

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では、ピートさんの回想録のデルバー系編に戻りますね。

このピートさんの回想録では、全体の約1/4に当たる回想録1〜回想録25までに、自身の鳩理論をかなり詳しく展開しています。それ以降は、実際に自分が見てきた世界の銘系の形成過程の紹介を通して自身の鳩理論を検証するような展開になっています。その中心軸は、系統確立における濃密な近親交配の重要性です。

ピートさんが世界最高の系統と位置づけているブリクー系の次は、このデルバール系を対象にあげています。その形成過程において基礎鳩の出所や系統確立の過程での濃密な近親交配をどのようにしていったかということを語っています。

ヤン・アールデン系の元にもなっているデルバール系についてピートさんの重要な記述が続きます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇回想録31の抜粋◇◇◇◇◇◇◇◇◇

●「ビアリッツ」は濃密な近親交配により3羽のワンダーバードを生みました。いずれも 1937年生まれです。その内の1羽はプリュッセル銀行の頭取、ワーテルローのアドルフ・プリスニエの手に渡りました。別の一羽はメスでしたが、ヘクトル・ベルヘンヘーに買い取られました。彼は東フランドル地方のアスペラーレ村の村長職をつとめる農民で、体重1000キログラムの赤いまだら牛を飼育していました。3羽目はオーステンデのシャルル・ヴァンデレスプトのもとに行きました。

●モーリスは1945年にコールトレイクで行われたオークションの開会の挨拶のなかで、「シャルル・ヴァンデレスプトはその鳩をどうすべきか知っていた」と語りました。シャルルはこれを自分の「ベルギー・オランダ」の娘とクロスし、アウデンブルグのヴァンデヴェルデを主体とする自分自身の系統の枠内で、”デルバー長距離系”を確立したのです。その結果、この歴戦の闘士は数十年もの間、海岸のチャンピオンたちの猛攻を退けることができたのでした。

●「ビアリッツ」は他の鳩よりも大きく重い体つきをしていました。これほど力の強い鳩に出会うことはめったにありません。このようなトリは良いメス鳩に恵まれさえすれば、鳩舎をチャンピオンでいっぱいにします。

●最後に、デルバーがどのような作出方針でこれらのワンダーバードを生み出したか検討するのは興味のあることです。彼はどのようなメス鳩と配合して、このような成績を達成したのでしょうか。その作出にほとんど失敗がなかったことがお分かりでしょう。

●ここで注目すべきは、一度そのような鳩を手に入れた者にとって、近親交配は交配よりも容易であり、しかも近親交配は交配よりも良い鳩を生み出す確率が高いということです。

●父親の学校で経験を通して学んだモーリス・デルバーは、多くの場合、すでに良い鳩を生んでいることを確認できる、かなり高齢のメス鳩と掛け合わせました。

 ■デルバーの6羽の銘鳩■  Piet de Weerd   2020年10月24日(土) 5:44 修正
■「クライネープラウエ」「ビアリッツ」

 (2)と(4)のカップルから、他のトリより優秀な6羽のオス鳩と3羽のメス鳩が生まれました。(*注・編集部 1928年にモーリス・デルバーがもっていた2組のカップルの内の1組。
○(2)=「ゲーデ・クウェーカー」28−4199357、
○(4)=「デプレーター」28−2523831)

 これらの鳩をA〜Fで呼びましょう。Aは、「クレイネ・ブラウエ」です。

 私はこのトリを見たことはなく、少なくともかつてこの鳩を掴んだという記憶はありません。モーリス・デルバーはこの鳩を厳しく育てました。というのも、この鳩はパリの空で非常に速く飛ぶことができたからです。この鳩が年老いてから、ようやくモーリスはその手綱をゆるめました。

  「クレイネーブラウエ」の成績は、アングレーム6位、ボルドー5位、タックス13位、ボルドー2位、ポーIP2位、ボルドー2位。そして1935年ベルギー・オランダ間のボルドー・インターナショナルで2456羽中5位。このレースで放鳩当日に鳩舎に帰還したのは6羽だけでした。

 それは太陽が照りつけ、強い逆風のなかでのレースでした。このときはシャルル・ヴァンデレスプトが、ベールトーンのオス鳩「ベルギー・オランダ」で優勝しました。ラベーウとヴァンプルアーネの鳩舎を築き、若くして死んだウェーヴェルヘムのジュール・ヴェルモーは2位に入りました。私はカットレイス、デピュイト、ドゥグフロイ、あるいはアステンの老カミール・ヴァン・デン・アペーレも、このデルバーとクロスしたと思います。

 この奇跡のペアから生まれた2番目のオス鳩、Bは有名な「ビアリッツ」です。私は「ビアリッツ」は、ナルボンヌーNで優勝した「ダクス」とともに、「クレイネ・プラウエ」に劣らないという印象をいつも抱いていました。

 「ビアリッツ」は濃密な近親交配により3羽のワンダーバードを生みました。いずれも 1937年生まれです。その内の1羽はプリュッセル銀行の頭取、ワーテルローのアドルフ・プリスニエの手に渡りました。別の一羽はメスでしたが、ヘクトル・ベルヘンヘーに買い取られました。彼は東フランドル地方のアスペラーレ村の村長職をつとめる農民で、体重1000キログラムの赤いまだら牛を飼育していました。3羽目はオーステンデのシャルル・ヴァンデレスプトのもとに行きまし た。

 モーリスは1945年にコールトレイクで行われたオークションの開会の挨拶のなかで、「シャルル・ヴァンデレスプトはその鳩をどうすべきか知っていた」と語りました。シャルルはこれを自分の「ベルギー・オランダ」の娘とクロスし、アウデンブルグのヴァンデヴェルデを主体とする自分自身の系統の枠内で、”デルバー長距離系”を確立したのです。その結果、この歴戦の闘士は数十年もの間、海岸のチャンピオンたちの猛攻を退けることができたのでした。

 モーリスはドールニク近郊のプランダインの町長で食肉業者のオジェール・デルヴァンクイールに、1949年バルセロナINで2位になったオス鳩の息子を譲りました。このときの優勝はベルレンヘーの純デルバー「ブラウエ・ベルデン」でした。「ビアリッツ」自身はパリの南で、ごくのんびりと暮らしていました。

 一度「ビアリッツ」がレースに出たときは、天候上の悪条件を克服しなければなりませんでした。「ビアリッツ」はオルレアンで7位に入りましたが、その日は屋根の上のスズメがフライになって落ちてくるほどの猛暑だったのです。「ビアリッツ」はその傑出した兄弟と比べると大きな賞を二度しか取っていません。タックス7位とビアリッツ1位です。マドリッドのレースにも出場しませんでしたが、もし出ていたなら断トツで優勝したことでしょう。

 「ビアリッツ」は他の鳩よりも大きく重い体つきをしていました。これほど力の強い鳩に出会うことはめったにありません。このようなトリは良いメス鳩に恵まれさえすれば、鳩舎をチャンピオンでいっぱいにします。

 ■「ダックス」「バリオレ」「バルセロネ」    2020年10月24日(土) 20:26 修正
 1949年に「極めて苛酷な」バルセロナINで優勝した「ブラウエ・ベルデン」についてはすでに触れました。これは一度ヘクトル・デスメの鳩舎で見たことがあります。1952年か1953年だったと思います。
 ヘクトルはこのトリは繁殖が難しいと嘆いていました。彼は「私の『ブロクトレイン』のように、古風なホーレマンスがいたらいいのだが、今ではもういない」とこぼしました。私は彼と家のなかに入り、一緒にコーヒーを飲みました。そのとき私は彼にこう言いました。
 「アーレンドンクのヤンセンのことを考えてみたまえ。まだ数も多く、毎年半ダースのスーパーピジョンを生み出している。ヤンセンとだったら系統を問わず、どんな種鳩でも見違えるような結果を生む。」

 彼の答えは「そうだな、考えてみるよ」でした。ヘラルド・ヴァンヘーも考えました。でも、彼は決断したのです。アウト・トゥルンハウトのヴァン・ミールトの「ウィッテコップ」がその成果でした。これは多くの例のなかのほんの一例にすぎません。

 Cはデルバーの「ダックス」です。「ダックス」は華麗な白ゴマのオス鳩で兄弟の「バルセロナ」とともに最も美しくスマートで、中距離でも大変な力を発揮しました。私は一生に数多くの卓越した長距離鳩を掴んだと誇張なく言うことができますが、その中でも最も強い印象を与えて私の精神の眼の前を通過した鳩と言えば、この「ダックス」が筆頭にあげられます。

 「ダックス」は1938年、ライン川沿いのゴーデスペルクで行われたピジョン・オリンピアードでも2位に入賞しました。アンリ・バレがこの「ダックス」を一度も写真におさめなかったのは残念です。

 代表的な翔歴を挙げると、ダックス2位、ドゥルダン6位、ポアティエ4位、ダックス14位、ビアリッツ3位、ドゥブラージュN10位、ナルボンヌNおよびIN優勝、サンーバンサン2位、ドゥブラージュN優勝。「ダックス」の子孫はヨーロッパ中にいます。
 モーリスは、どんなに金を積まれても「タックス」だけは売ろうとしませんでした。「タックス」は1945年冬にモーリスの鳩舎で死にました。

 Dは「バリオレ」です。オールドリング19−61305を付けていましたが、生まれたのは1932年です。「バリオレ」はメス鳩のような頭をしたオス鳩でした。「バリオレ」と「ダックス」は羽色を除けば眼、表情、骨格の点で瓜二つでした。主な翔歴は、ボルドー16位、アングレーム21位、サン・バンサン21位、ナルボンヌNおよびIN2位、サン・バンサン13位、サン・バンサン21位です。「バリオレ」の子孫も、国内の様々なチャンピオンの鳩舎で見出すことが出来ます。

 Eは鉄の骨格をもった華麗なブルーバード「バルセロネ」です。品質とデザインの点で、私かこれまでに見た最も美しいオス鳩でした。

 「バルセロネ」の翔歴はバルセロナ4位、ボルドー30位、ビアリッツ2位、ルルドN14位およびIN5位、ポー9位、ビアリッツN9位、ナルボンヌNおよびIN4位、サン・バンサン12位、ナショナル5位などです。

 以上挙げた長距離と超長距離での卓越した成績は、すべてたった一組のカップルから生まれた鳩によって達成されたものなのです。


 ■「クレイネ・リヒテ」    2020年10月24日(土) 20:27 修正
 最後のハイライト、Fは「クレイネ・リヒテ」32−4293562です。デルバーのシンボルともなった有名な鳩です。このオス鳩は17歳になったと思います。このトリが何羽の息子や娘を生んだのか、およそ見当がつきません。1950年には間違いなく50羽ないし60羽いました。これらの鳩も、それらを手に入れた鳩舎の基礎鳩になりました。
 ステーンベルヘンのヤン・アールデンもその一人でした。デルバー系はオーメンス=ドウ・ウェールトの1945年生まれの基礎鳩、ストックの「クランケ」、そしてエッテンのC・デッケルスのオス鳩を経由して、ステーンベルヘン系のなかに受け継がれています。
 ブレダのメス鳩は、デルバーの「ビアリッツ」を源鳩としウィンヘネのドゥグフロイ兄弟を経由した「クレイネ・リヒテ」の孫です。

 「クランケ」の筋肉の感触から判断すると、困難な長距離で常に上位に入賞したアステンのカミール・ヴァンーデン・アペーレの系統が入っています。ヴァン・デン・アベーレは1935年の記念すべきベルギー・オランダで6位入賞を果たしました。

 F(クレイネ・リヒテ)の代表的な翔歴を掲げると、ボルドーIP12位、アングレー
ム10位、シャトールー10位、アングレーム2位、ビアリッツ17位、ナショナル9位。このほかサンーバンサンの成績は4位、3位、10位、2位、優勝、ナショナルで2位に2時間10分の差をつけて優勝。

 デルバーは、「ひと財産かせぎ出したクレイネ・リヒテは、この国で最高のメス鳩とみなすことができる」と言いました。

 最後に、デルバーがどのような作出方針でこれらのワンダーバードを生み出したか検討するのは興味のあることです。彼はどのようなメス鳩と配合して、このような成績を達成したのでしょうか。その作出にほとんど失敗がなかったことがお分かりでしょう。
 ここで注目すべきは、一度そのような鳩を手に入れた者にとって、近親交配は交配よりも容易であり、しかも近親交配は交配よりも良い鳩を生み出す確率が高いということです。

 父親の学校で経験を通して学んだモーリス・デルバーは、多くの場合、すでに良い鳩を生んでいることを確認できる、かなり高齢のメス鳩と掛け合わせました。ここで、それらの最良の鳩を紹介しましょう。

 ■デルバーの素晴らしい種鳩たち■    2020年10月24日(土) 20:29 修正
 (1)ハイネ・セント・ピエールで行われたアレクサンダー・シャルドンという人物のオークションで買った1934年生まれの灰のメス鳩。1928年生まれの「ヴュー・グリ」と高齢のメス種鳩「ドウ・シュレイヴァー」(ラウフ)の娘で、父母ともブリクーの流れを引いていました。

 この鳩に関連して、ラボゼーのDr・レジューヌの迷い鳩をコリン経由で手に入れたルソー・ヴァン・ジェメッペ、デュレイと共同で仕事をしたフラスネスのヴァンデヴェルデス・ヴァン・ムーラルト、それに西フランドルの靴職人カストン・レイラントの名前が聞かれました。

 レインラントはブリュッセルに移り住みましたが、鳩界では「靴の底やかかとに力いっぱい釘を打ちつけるように、ライバルの頭を叩く」と言われたものです。シャルドンの灰色のメス鳩は「クレイネ・リヒテ」とクロスして、優秀なヒナを生みました。

 このカップルの娘を、半ブリクーの「フーテ・グレイゼ」とクロスしました。ここから戦後スペインの最高のレーサーに数えられる、ヘクトル・ベルレンヘーのあの素晴らしい「グレイゼ」が生まれたのです。私はその母親と「ベルテン」の母親を買いました。いずれも1944年生まれのデルバーのメス鳩でした。しかし、私かこれらの鳩を入手できたときには、それらはすでに11歳になっていました。
           (この項次号へ続く)

 ■■『Piet de Weerd 研究』032(1)■■  [ピート・デヴィート回想録032前編「スティッヒエルバウトの系源」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1998年7月号 )    2020年10月25日(日) 1:32 修正
この回想録032は、デルバー-系のまとめ部分が冒頭に入っており、その後はピートさんが取り上げた3番目の系統ステッケルバウト系の話へと添加していきます。そこで回想録の抜粋もそれが分かるように前編と後編に分けて編集することにしました。

 ■デルバーの素晴らしい種鳩たち■※この項前号より  Piet de Weerd   2020年10月25日(日) 1:34 修正
(2)ウィンヘネのドゥグフロイ兄弟の「フェイネン」から生まれたメス鳩。この鳩は当時長距離で鳴らしたエスピエールの農民、ウアルジェこフッソンのメス鳩とクロスさせました。ラッソンはこの優良な鳩をレール・ノールの市長ジュリアンー・コミンからFに入れたのでした。

(3)1932年生まれのメス鳩「プティ・ビジュ」。デルバーはこのトリを友人のフランス人、フェリックス・ファン・ユートリーヴェからfに入れました。これはユートリーヴェが所有していた愛称「ヴィラ」の姉妹です。

(4)ロンセのドゥルヴロイ鳩舎の優良なメス挿鳩。小ぶりのニワトリほどもある大きい青で、9歳のときにデルバーはコルトレイクのオークションで買いました。

(5)ベンド近郊アステネのカミール・ヴァン・デン・アベーレ(牧畜業者)系の2羽のメス鳩。ヴァン・デン・アベーレは有名な長距離フライターで、この2羽は老メス嗚「ウィトガー・ビアリ″ツ」の子孫です。このメス鳩の兄弟は1952年ウーセルヘムのシリール・ノーマン鳩舎にカルカソンヌ・ナショナル2位人賞をもたらしました。

(6)ヘラールズペルヘンのヘクトル・デスメのメス鳩。ブリクー=ハーヴェニス系(トゥスヘール)。

 ■最高の交配デルバー×ヤンセン■  □   2020年10月25日(日) 1:36 修正
 私の意見では、「クレイネ・リヒテ」は1944年にドゥルヴロイのメス老鳩との間に最良のヒナを生みました。このときシャルル・ヴァンデレスプトみずからこれらの鳩を買うために駆けつけました。しかしモーリス・デルバーはこう言いました。
 「だめだ。私が買う。君はその後で自分の気に入ったものを何でも買ったらいい。」
 けれども老鳩「デプレター」に次ぐ最高の種鳩と言えば、「フート・プラウ」35−4202076Wでした。

 このメスは「クレイネーリヒテ」や「タックス」の息子たちと濃密な近親交配を行いましたが、そこから生まれたトリは、ほとんどすべてが優秀でした。しかしそれらは大方売られるか、贈られてしまいました。

 デルバーの鳩はオランダ中であらゆる系統や優秀なレーサーと掛け合わされました。最高の掛け合わせの一つは、レイェンのアルフォンス・メッツァールス鳩舎で行った有名なヤンセン鳩、「18」あるいは「19」とのものです。ここからサンドフォールドの歯科医ヴァン・ドウ・ミューレンを経由して「メーウ」が生まれました。この鳩はヘルモントのDr・リンセンの鳩舎を一躍有名にしました。

 「メーウ」の羽色に見られる過剰な「白」は、ヤンセンに由来するものではありません。なぜならば、アーレンドンクでは組織的に淘汰されてこの色は存在しなかったからです。デルバーの「グックス」は白ゴマです。モーリスはそういうことには全然執着しませんでした。もし四角い鳩が最高だったとしたら、彼は丸い鳩を作るのに無駄な時間を費やすことはなかったでしょう。

 私はDr・リンゼンの鳩舎では、クラックの「ズーン・ヴァン・トゥウィンティフ」が一番好きでした。それはどんな鳩とも交配させることができました。が、それ自身は交配によって生まれたのではなく、純粋なアーレンドンクのヤンセンでした。

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