「335310号は並河鳩舎において作出されたアイザクソン・オベル系であるか巣立ち後,銘鳩となるまでにこの鳩ほど転々と飼主か変った鳩も稀であるが,たまたま飯田守男氏(京都)が入手し,不充分な管理のもとに作出した直仔にて北陸コースを何回も駆使し1000粁を帰還させたが,秋季300粁レースにて全京都唯一羽帰り優勝し,翌日は孫境が唯一羽帰還。
後続の帰還鳩か皆無のため,その後のレースは実施不能となり,最終600粁レースまでの賞金を300粁の時点で全額独占,並河氏をはじめ,参加者一同が唯唖然としたという事例がある。
誉田鳩舎でこの抜群の優秀性に着眼して導入を考えたところ,時すでに遅く飯田氏の手を離れ所有者を転々と変えていたが,同氏はどうしても断念できず,3年問にわたり執拗に飯田氏に働きかけ,数年経過後飯田氏が再度入手するや,多数の希望者があるなかで,平素の友情からやっと長年の念願かかない,種鳩として迎えることか出来たのである。
入手後直ちに繁殖を始めるべく,交配の相手として56年にすでに335310の兄鳩(※注イレブン:56-77052トクトウ号のこと)を並河氏から導入していたので,この系統にて近親交配を試み,多数作出した直仔群のうち,各交配ごとの最優秀鳩が左記の写真A。B。C。Dである。これらの4羽は,335310号が老鳩にて繁殖不能の現在,誉田鳩舎の貴重な種鳩である。
誉田鳩舎と広島鳩界の幹部諸氏とは昭和26年頃からの交際が続いているが,同鳩舎が335310号を所有していることを知った広島の諸氏のうち,同鳩界きっての゛名コンサルタント″藤田雅昭氏と石田実男氏が,再三,並河鳩舎と誉田鳩舎を往復したすえ,強引に懇願その執念と熱意に根負けした誉田氏か遂に昭和39年2月,断腸の思いで手離した。
石田実男鳩舎で繁殖か開始されるや,直仔が41年1000粁優勝(山陽地区)他1000粁5羽,42年1200粁優勝(連合会),43年日本鳩界初の超長距離1400粁優勝(連合会)と優勝を重ね,42年には敢闘鳩舎として酉日本2位を獲得しているが,335310号直仔群のみを連年継続して駆使し,3年連続優勝した一面からその優秀性を評価すれば,全国1位と称しても過言ではない。
335310系にて43年,日本鳩界初まって以来の超長距離1400粁成功の木本典生氏,石田実男氏,武田節男氏,その他広島において,誉田鳩舎より出たこの系統の恩恵を受けている鳩舎は多数あるか,この系統にて今日の広島鳩界を発展に導いた陰の功労者として作出者もさることながら,協力した誉田鳩舎の功績も,広島境界史上lにさん然と銘記されるであろう」
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