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 《系統研究》【OPEL BOOK 2020】010 《 原本『THE OPEL BIRDS』by A.S.Johnstoneの解読》:第3章■Performance Birds(代表記録鳩)■》○全文復刻引用資料『THE OPEL BIRDS』(P28〜P45より引用》  イレブン  2021年8月16日(月) 2:35
修正
第3章では、オペル鳩舎の「Performance Birds(代表記録鳩)」の詳細が記述されています。

従来、オペル系研究の中で一番重視されてきた章です。ここを詳細に系統一覧表に整理することが出来れば、J.L.OPELがどのような系統確立理論を持っていたかと言うことについて考察が出来ることになります。

A.S.JohnstoneがここでOPEL系の「Performance Birds(代表記録鳩)」として挙げている121羽については、当然、その選出に、J.L.OPEL自身の考えが反映されたものです。半世紀に亘るオペル系の主軸となっていった代表鳩の系統構成を整理していくことでオペル系の主要ラインが明らかになってくるので、これまでのも多くの方がこの「Performance Birds(代表記録鳩)」の章の解析に挑まれていたようです。(この『OPEL BOOK 2020』の第1章に掲載したオペル系関連資料を参照してください)同時に、この121羽の記録に目を通していくとOPEL BIRDSの鳩達の類い希なる能力の優秀さが伝わってきます。日本でも、困難な地域での長距離レースになると必ずオペル系が頭角を表してくるのも当然のような気がしてきます。

この章の解析については、オペル系ファンのイレブンもいずれしっかり時間をとって挑戦したいと考えています。

では、翻訳文を掲載しますね。

尚、この章も翻訳ソフト版なので、まだ、不明瞭な箇所も結構残っていますが、そのまま掲載します。随時、校正編集を重ねて行く予定です。

 『THE OPEL BIRDS』P28    A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 2:54 修正
■Performance Birds(代表記録鳩) ■

■代表記録鳩 1■【AU 15 5986 B.C.C】. は、1915年9月にリファレンスAとEから交配されました。1915年9月に文献AとEから交配されました。文献Aから交配された最初の鳥は、F 2042 I Slate C.C., MOld Slate." 500マイルを3回、600マイルを1回飛行しました。Fsr diploma Club. 600マイル、1917年、610.84ヤード、クラブの2日目に家に帰った唯一の鳥:2ndディプロマクラブ、2nd.ディプロマMCCA.、100マイル。1919年、1505.56ヤード。3561羽、186ロフト。

■代表記録鳩 2■【AU 16 B 2340 B.C.C】.はリファレンスBとCから交配されたもので、500マイルを3回、600マイルを2回飛行。ディプロマ・クラブ2位、190マイル。1917, 1342.07 yards: 2nd diploma Club, 18th diploma MCCA., 600 miles, 1918, 580.14 yards, クラブの2日目に2羽だけが帰ってきた,

■代表記録鳩 3■【AU 16 B 2349 B.C.H】., リファレンスAとFから交配された。クラブ・ディプロマ2位、400マイル。1917 年、155 羽、16 ロフト。

■代表記録鳩 4■【AU 16 B 2351 B.H】., Reference A and F. から交配. 南西400マイルから西500マイルに飛び、1917年西500マイルで2つ目のディプロマを獲得, 580.1 7ヤード, 2日目には2羽しか帰らなかった: 500マイルと600マイル(1918年):1st diploma Club. 1919年、500マイル。770.70ヤード、185羽、25ロフト。

■代表記録鳩 5■【 AU 16 B 2353 B.C.C.】) リファレンスBとCから交配された。第2回ディプロマ・クラブ、200マイル、1919年、1221.18ヤード: 第1回ディプロマ・クラブ、500マイル、657.82ヤード: 第2回ディプロマ・クラブ、第12回ディプロマ・MCCA、600マイル、1920年、553羽、92ロフト。

■代表記録鳩 6■【 AU 16 B 2393 B.C.C.,】 リファレンスBとCから交配されました。1st diploma Club, 100 miles, 1917, 1344.83 yards: 第4回ディプロマ・クラブ、300マイル、1918年、145.51ヤード:第2回ディプロマ・クラブ、第3回ディプロマ・MCCA.、100マイル、1920年、1322ヤード、1775羽。96ロフト。

■代表記録鳩 7■【AU 17 G 1828 B.C. 】リファレンスAとFから交配されました。600マイルを3回飛行。ディプロマ・クラブ4位。500マイル。1919年、744.40ヤード。185羽 25 ロフト:3rd ディプロマ・クラブ。600マイル 1919年、498.22ヤード、52羽。11ロフト:第2回ディプロマ・クラブ。3rd ディプロマ MCCA., 500 マイル, 1920, 973.53 ヤード, 840 羽, 79 ロフト.

 『THE OPEL BIRDS』P29      A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 3:03 修正
15時間以上も翼に乗っていて、同じ日にコンコースに帰ってきたのは6羽だけ。
■代表記録鳩 8■【AU 17 G 1829 B.H】 リファレンスAとFから繁殖、No.7のネストメイト姉妹。500マイルを3回、600マイルを3回飛行。1919年600マイルでディプロマ・クラブ1位、753.76ヤード、52羽、11ロフト、1920年600マイルで1202.136ヤード。

■代表記録鳩 9■【AU I 7 G 1843 B. C】は、リファレンスAとFから交配された。

■代表記録鳩 10■【AU 17 G 1863 R.C.C.】 基準BとCから交配 500マイルを4回、600マイルを2回飛行 1st diploma Club, 10th diploma MCCA., 200 miles, 1918, 1359.01 yards, 3477 birds, 187 lofts; 1st diploma Club, 2nd diploma MCCA., 200 miles, 1920, 1106.22 yards, 1655 birds, 90lofts.

■代表記録鳩 11■【AU 17 G 1864 B.C.H】Reference B and C. から交配されたもの。1864 は彼らの AU 15 6069 B.C.C. と交配され、このペアから MCCA 21 6460 B.H. が生まれ、J. L. Opel 氏に若くして贈呈されました。6460は500マイルを2回飛び、1923年の100マイルでは1093.08ヤードでMCCAの7位に入賞している。5673羽、190ロフト。MCCA 21 6460 B. H. はその後ストックされ、参考資料 I として記載されている。

■代表記録鳩 12■【AU 17G 1868 B.H】は、リファレンスAとFから交配されました。500マイルを3回、600マイルを3回、1,000マイルを1回。

■代表記録鳩 13■【AU 18 D 1877 B.C.H】 参照番号AとGから交配 500マイルを3回、600マイルを1回飛行。

■代表記録鳩 14■【AU 19 O 7720 B.C.C】 参照番号H-lとH-2から交配された。500マイルを3回、850マイルを1回飛行しました。クラブで1位、「MCCA」で4位、100マイル。第1回ディプロマクラブ、第4回ディプロマMCCA、100マイル、151.74ヤード、483羽、199ロフト、第2回ディプロマクラブ、第18回ディプロマMCCA、1919、150マイル、1043.80ヤード、3966羽、195ロフト。

■代表記録鳩 15■【AU 19 O 7773 B.C.C】 リファレンスAとGから交配された。500マイルで4位のディプロマ・クラブ。1920, 859.23 ヤード. 189羽、26ロフト:第5回ディプロマ・クラブ、第13回ディプロマ・MCCA、300マイル。1920年、1197.98ヤード。2371羽、97ロフト。

■代表記録鳩 16■【AU 19 O 7793 B.C.H】, リファレンス D と E から交配. クラブ」で2位、「MCCA」で3位、「Y.B.」で200マイル、1919年、1286.91ヤード、2333羽、195ロフト、「I.S.ディプロマ」取得。


 『THE OPEL BIRDS』P30  A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 3:13 修正
クラブ、第4回ディプロマMCCA、300マイル^s、Y.B.、1919年、988.04ヤード、921羽、93ロフト。

■代表記録鳩 17■【AU 19 O 7794 B.C.C】, リファレンスAとGから交配された。1,000マイルは1回。1923年、コリントン・クラブの特別レースで10羽が参加し、850マイルで2位の賞金と賞を獲得。1921年、1068.79ヤード、6553羽、293ロフト。1921年、100マイル、1068.79ヤード、6553羽、293ロフト、1921年、200マイル、1231.86ヤード、367羽、1925年、200マイル、1414.51ヤード、2709羽、109ロフト、6歳の時、クラブの3番目のディプロマ、MCCAの1番目のディプロマ。

■代表記録鳩 18■【AU 19 0 7795 B.C.H】Reference A and G 6Th diploma 300 miles, 1922, 164 birds, 26 loftsから交配。1922年、164羽、26ロフト、Messrs.Hiller & Brewer, Baltimore, Md.に寄贈。

■代表記録鳩 19■【AU 19 T 3000 B.C.C】 リファレンスDとEから交配. 第4回ディプロマ・クラブ、100マイル、1920年、1312.70ヤード。372羽、23ロフト。第2回ディプロマ・クラブ、第5回ディプロマ・MCCA、260マイル、1920年。1102.83ヤード、1656羽、90ロフト;第6回ディプロマ・クラブ。400マイル、1920年 1023.79ヤード。241羽、23ロフト。

■代表記録鳩 20■ 【AU 20 B 1204 B.C.H】パフォーマンス10と18から交配されました。500マイルを2回飛行。1920年、Y.B.500マイルレースで814.22ヤード、269羽、60ロフトで5位、1921年、クラブ400マイルレースで778.77ヤード、178羽、16ロフトで3位。

■代表記録鳩 21■【AU 20 B 1228 B.C.Whft.H】 リファレンスDおよびEから交配。

■代表記録鳩 22■【AU 21 A 4502 R.C.H】 パフォーマンス10と13から交配されました。500マイルを2回飛行。I st diploma Club, 1st diploma MCCA., 300 マイル. Y.B., 1921, 1379.38 yards, 2966 birds, 221 lof+s; 3rd diploma Club, 300 miles, 1922, 1206.82 yards, 248 birds. 24ロフト。

■代表記録鳩 23■【AU 21 A 4551 B.C.H】リファレンスAとGから交配され、500マイルを飛行。MCCAで5位、100マイル。1922, 1516.61ヤード, 7574羽, 274ロフト.

■代表記録鳩 24■【MCCA 21 6567 B.C.H】"Lady Leeds." リファレンスAとGから交配され、500マイルを11回飛行。6位は?MCCA. 特別レース、500マイル。1923年、751.41ヤード、15羽、27ロフト、MCCA.1位、2位。特別レース、500マイル。1923, 1077.91

 『THE OPEL BIRDS』P31    A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 3:15 修正
ヤード、95羽、27ロフト、8位 MCCA特別レース、500マイル、923年、8 18.86ヤード、I I鳥、27ロフト、I stディプロマI st MCCA. スペシャル'レース、500マイル、1924年、844.71ヤード、89羽。20ロフト、3位ディプロマ2位MCCA。スペシャル・レース、500マイル、1924年、690.i4ヤード、76羽、16ロフト、2ndディプロマ3rd MCCA. 特別レース。500マイル、1924年、I148.45ヤード、65羽、17ロフト。

■代表記録鳩 25■【MCCA 21 6575 B.C.H】リファレンスH-lとH-2から交配。500マイルを5回、600マイルを3回飛行。600マイルを3回飛行。クラブ」で3回目のディプロマ取得。MCCAの15番目のディプロマ。300マイル、Y.B., 1921,1289.57ヤード、2966羽。221ロフト、第2回ディプロマ・クラブ、第31回ディプロマ・MCCA、500マイル、1922年、1144.00ヤード。4908羽、241ロフト: 39THディプロマMCCA.は、400マイル、1923年、1128.69ヤード、3942羽、190ロフト、5thディプロマクラブ。23th ディプロマ MCCA., 300 miles, 1924, 1725.15 yards, 3 189 birds, 154 lofts; 2nd ディプロマ Club, 7th ディプロマ MCCA., 500 miles, 1925, 843.16 yards, 1549 birds, 101 lofts.

■代表記録鳩 26■【MCCA 21 6591 B.H】 Reference D and E から交配 500 マイルを 6 回、同日に 4 回、560 マイルを 1 回飛行。3rd diploma Club, 100 miles, 1921, 1277.24 yards, 406 birds, 17 lofts, 29th diploma MCCA., 100 miles, 1922, 1078.17 yards, 5673 birds, 190 lofts: 34th diploma MCCA., 200 miles, 1922, 1075.43 yards, 5107 birds, 191 lofts; 1st diploma MCCA. 191ロフト:第1回ディプロマMCCA.特別レース、マウント・エアリー(ジョージア州)から500マイル。1925年、4:35:17 A.M.を記録、2日目。953.78ヤード、29羽、9ロフト:1週間後、第1回ディプロマMCCA.を取得、オーガスタからのスペシャルレース。2日目に4:38:27 A.M.を記録、33羽、8ロフト。

■代表記録鳩 27■【MCCA 22 6925 B.C.C】 パフォーマンス2と4から生まれました。500マイルと600マイルを飛行。1923年、500マイルと600マイル、S.W.コース、1924年、500マイルと600マイル西、56^とS.W.1.000マイル、1925年、2回目のディプロマ600マイル西、854.32ヤード、32羽、10ロフト、1926年、500マイティ西、560マイルS.W.コース。シカゴで売却。1927年、111.

■代表記録鳩 28■【MCCA 22 6943 B.C.C】 パフォーマンス2と4から交配されました。500マイルを6回、600マイルを2回飛行。1924年の500マイルでは、1090.35ヤード、2414羽、145ロフトで30位、1926年の500マイルでは、501.89ヤード、1727羽、106ロフトで27位、L.G.レバン・シングル・ノミネーション・カップで優勝。

■代表記録鳩 29■【MCCA 22 6951 B.C.C】リファレンスAとGから交配された。4685 羽, 191 Lof+s. アール・M・ヘンダラー(デル・ウィルミントン)に贈呈。

 『THE OPEL BIRDS』P32      A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 3:24 修正
■代表記録鳩 30■【MCCA 23 111 B.C.C】 は、AU 21 C 256 B.C. とパフォーマンス 3 から交配されました。25tb diploma MCCA., 500 miles, 1924, 1051.50 yards, 2414 birds, 145 lofts; 1st 'dipFoma Club, 4th diploma MCCA., 600 miles, 912.43 yards. 206羽,. 26ロフト。256はJohr> Noeller氏によって繁殖されました。バッファロー。2272の種親は、N. BarkerとGitsの血を引いています。3042はBarkerの血を組み合わせています。デレズ、ジュリオン、ギッツ。

■代表記録鳩 31■【MCCA 23 120 B.C.H】はリファレンスH lとH-2から生まれました。500マイルを3回、560マイルを1回飛行。

■代表記録鳩 32■【MCCA 23 147 スレート H】パフォーマンス 10 と 13 から生まれました。500マイルに2回、600マイルに2回出走。クラブ」で2位、「MCCA」で5位の成績を収めました。100マイル、1924年、1547.53ヤード。3925羽 155 ロフト 彼女の妹 MCCA 22 6926 R.C.H. は同じレースで MCCA 30th ディプロマを獲得。

■代表記録鳩 33■【MCCA 24 3060 B.C.C】 パフォーマンス2と4から交配。500マイルを4回、600マイルを2回飛行。3rd diploma Club, 300 miles, 1925, 1670.23 yards, 469 birds, 20 lofts; 2nd diploma Club, 4th diploma MCCA. 100マイル、1926年、1287.55ヤード、2845羽、108ロフト。1928年、フィラデルフィアのチャールズ・ハブ氏に贈呈される。1930年にMr.Opelに返却される。1933年、カトンズビル・ロフトに落ち着いていたのを失った。

■代表記録鳩 34 ■【MCCA 24 3064 B.C.H】 リファレンスAとIから交配されました。1925年、560マイルのチャタヌガ・ナショナル・レースで143.1ヤード、624羽、162ロフトでDLLセクション2位、1926年、500マイルのMCCAで22位、515.49ヤード、1727羽、106ロフト、2日目に報告された25ロフトから34羽のみ、1927年に500マイルを飛行。

■代表記録鳩 35 ■ 【MCCA 24 3065 Slate C.H】 リファレンスAとIから交配された。1995羽、123ロフト、500マイルを飛行。ウエスト、1925年に2回。

■代表記録鳩 36 ■ 【MCCA 24 3069 B.C.C】 参照 D と G から交配。560マイルを1回達成。第4回ボルチモア・チャタヌーガレースで優勝。ボルチモアでは3日目に4羽しか報告されなかった。

■代表記録鳩 37■ 【MCCA 25 3318 B.C.H】、リファレンスNとOから交配。I st diploma Club, 2nd diploma MCCAr 200 miles, Y. B., 1925, 1382.29 yards. 2256羽、107ロフト。

■代表記録鳩 38 ■ 【MCCA 25 3325 B.C.H】 パフォーマンス 10 と 13 から交配されました。500マイルを飛行。クラブで1位、「MCCA」で9位の成績を収め、100マイルを達成。1925, 1283.70ヤード, 3004羽, 113ロフト.

 『THE OPEL BIRDS』P33  A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 3:39 修正
■代表記録鳩 39■【MCCA 25 3334 B.C.H】パフォーマンスIと22から交配。26 D 97 R.C.C. (Logan, by Johnstone)と交配し、MCCA 27 3223 1st diploma 500マイル西へ。
マイル西で、2羽だけが同じ日にホームインしたとき、1110.50ヤード、58羽10ロフトでした。同じ日に飛来したもう1羽の鳥はジョー・コトメアでした。3334はRob.McCoyに贈られました。マッコイ。

■代表記録鳩 40■ 【MCCA 26 4420 B.C.C】 パフォーマンス15と25から交配されたものです。500マイルを5回、560マイルを2回、600マイルを1回、クラブでは2位、MCCAでは10位の成績。

■代表記録鳩 41■ 【MCCA 26 4422 B.C.C】 パフォーマンス27と37から交配されました。MCCA 26 4422 B.C.C. パフォーマンス27と37を交配。100マイルY.B.レース、1926年、1301.67ヤード、2946羽、112ロフト。

■代表記録鳩 42■【MCCA 26 4425 B.C】リファレンスAとIから交配され、500マイルを飛行。多くの優秀な鳩を産んだことから、おそらくリファレンスの一羽に数えられるべきでしょう。

■代表記録鳩 43■【MCCA 26 4428 スレート C.H】パフォーマンス 10 と 13 から交配されました。クラブ6位、MCCA17位、100マイル、1928年。1057.25ヤード、223羽のI型鳥、87のロフト。

■代表記録鳩 44■【MCCA 26 4433 B.C.H】ファレンス N および O から交配されました。第22回ディプロマMCCA、100マイル、1926年。260.08ヤード、2946羽、2ロフト: 第1回MCCAフューチュリティレース、200マイル、1926年、1183.15ヤード。12羽、3ロフト。

■代表記録鳩 45■ 【MCCA 26 4445 B.C.H】 パフォーマンス15と25から交配されました。500マイルを10回飛行。ボルチモア・チャンピオンシップ・コンバイン7位(500マイルレース、1927年、1049.26ヤード、492羽、27ロフト、35ロフトから38羽のみが同日に報告された)、ボルチモア・チャンピオンシップ・コンバイン44位(500マイルレース、1928年、1047.08ヤード、432羽、11ロフト。同日、48ロフトから68羽の報告がありました。43位 ボルチモア・チャンピオンシップ・コンバイン500マイル・レース(1929年)。1025.02ヤード、569羽、142イオ杆、58ロフトから84羽が同日に報告された。4446はボルチモアで3つのレースを同じ日に飛んだ唯一の鳥;14位 MCCA.レギュラー500マイルレース、1929年、794.01ヤード、1929羽。1929年のレギュラー500マイルレースでは794.01ヤード、1929年の鳥は14ロフト、1931年のレギュラー500マイルレースでは1200.53ヤード。193羽、136ロフト、このレースでシングルノミネートカップを獲得、100マイルレースの前に1羽がノミネートされる。

 『THE OPEL BIRDS』P34    A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 5:11 修正
■代表記録鳩 46■ MCCA26 4450 B.C.C. パフォーマンス30と34から交配された。500マイルを4回飛んだ。11th diploma MCCA., 500 miles 1928, 849.63 yards, 922羽, 71 lofts. 4450は1928年の秋に死亡。

■代表記録鳩 47■MCCA 26 4454 Silver C. パフォーマンス 10 と 13 から交配されました。500マイルを8回、560マイルを1回、600マイルを1回飛行。I st diploma Club, 1st diploma MCCA., 100 miles 1929, 1839.99 yards, 2747 birds, 115 lofts. 1

■代表記録鳩 48■ MCCA 26 4463 B.C.C., Reference N and O から交配される。I st diploma Club, 5th diploma MCCA. 200マイル、1929年、1602.58ヤード、2678羽、115ロフト。プライド・オブ・ボルチモア "の兄弟で、パフォーマンス49.

■代表記録鳩 49■ MCCA 26 4464 B.C.H. "プライド・オブ・ボルチモア "はリファレンスNとOから交配されました。1928年、チャタヌーガ・ナショナル・レース(560マイル)で、1432.05ヤード、1038羽、276ロフトで、全区間優勝。

■代表記録鳩 50■ MCCA 26 4499 B.C.H. パフォーマンス2と4から交配されました。200マイル飛んだ。素晴らしい生産者であるリファレンス・バードの中に入るべきでしょう。

■代表記録鳩 51■MCCA 27 3241 B.C.H. パフォーマンス I 7 と 26 から交配されました。500マイルを3回、560マイルを1回、600マイルを1回飛行。第7回ディプロマ・ボルチモア・チャンピオンシップ・コンバイン300マイル・ヤングバードレース、1431.26ヤード、671羽、154ロフト;第15回ディプロマ・MCCA.400マイル、1928年、1631.89ヤード、1326羽、84ロフト。注:妹のMCCA 28 2547 Slate C.H.は1928年のBaltimore Championship Combine 300マイルのヤングバードレースで7位入賞。2547は1928年12月に死亡。

■代表記録鳩 52■MCCA 27 3255 R.C.H. は、パフォーマンス 10 とリファレンス P から生まれました。クラブ」で3位、「MCCA」で8位の成績を収め、1929年、1129.07ヤード、2330羽で400マイトを達成。I 12ロフト;第17回ディプロマ・ボルチモア・チャンピオンシップ・コンバイン、500マイル、1929年、1039.53ヤード、569羽、142ロフト、58ロフトが同日に鳥の報告をした;1週間後、このレースの入賞者31名がI stスーパー・チャンピオンシップ・レースに出場し、3255がI 108.14ヤードで優勝した;第28回ディプロマ・MCCA.、200マイル、1931年、1533.24ヤード、3256羽。I 37ロフト; 3位 MCCA.、600マイル、1928年、744.90ヤード、42羽、10ロフト。 *

■代表記録鳩 53■ MCCA 27 3256 B.C.C. パフォーマンス28から交配されたもの。

 『THE OPEL BIRDS』P35      A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 5:22 修正
と31。14thディプロマMCCA.の200マイル。1928年、1186.92ヤード、2113羽。85ロフト。第1回ディプロマMCCA.600マイル、1928年、757.98ヤード、42羽。10ロフト。

■代表記録鳩 54■ MCCA 28 2537 B.C.C. パフォーマンス46と44から交配されました。500マイルを5回、600マイルを1回飛行。600マイルを1回飛行。

■代表記録鳩 55■. MCCA 28 2546 R.C.C. パフォーマンス 10 とリファレンス P を交配 500 マイルを 6 回、600 マイルを 1 回飛行 MCCAの23番目のディプロマ、500マイル、1930年、1189.52ヤード。1931年、136ロフトの鳥。

■代表記録鳩 56■ MCCA 28 2551 B.C.H. パフォーマンス15と25から交配。500マイルを飛行。200マイルのフューチュリティレースで2位。1928. 1070.99ヤード。51羽、18ロフト。

■代表記録鳩 57■MCCA 28 2552 8.C.C. パフォーマンス10とリファレンスPから交配されたもの。1086.57ヤード、915羽。48ロフト。

■代表記録鳩 58■ MCCA 28 2590 R.C.C. パフォーマンス10とリファレンスPから交配されました。600マイルを1回。

■代表記録鳩 59■ AU 28 HF 3610 B.C.H. 性能28と31から交配されました。シカゴのCari Zimmer氏に送られました。HLは若駒の頃。6勝したディプロマ シカゴ・コンコース また、ベン・デベイツ・スペシャル・ダービー・レース(300マイル)にも勝利。1928年、ジマー氏のために

■代表記録鳩 60■ MCCA 29 No.18 R.C.Spl.H. Perform^ ance 10 と Reference P から生まれました。600マイルを1回飛行。200マイルでI st diploma Club, 3rd diploma MCCA. 1930. 1930 年、200 マイルで 1226.95 ヤード、3 179 羽、141 ロフト、1931 年、300 マイルで 27 位、1365.63 ヤード、3205 羽、138 ロフ ト。

■代表記録鳩 61■ MCCA 29 No.20 B.C.H. パフォーマンス15と25から交配されました。500マイルを16回、560マイルを1回、600マイルを2回飛行。1930年、MCCA 500マイル・スペシャルレースで3位、2位、875.24ヤード。214羽、41ロフト 41 ロフト:19th ディプロマ MCCA 500 マイル・レギュラー・レース。1931年、1135.36ヤード。2478羽、132ロフト;6位 第5回MCCA 500マイル・スペシャルレース、1931年、782.08ヤード。94羽、23ロフト、37+h位 MCCA. 600マイル 1932年、829.57ヤード、644羽、63ロフト、9位 第4回MCCA 500マイル・スペシャル・レース、1932年、1233.05ヤード、100羽、25ロフト、20位 第2回MCCA 500マイル・スペシャル・レース、1933年、612.97ヤード、113羽、35ロフト。35ロフト; 13位 第1回MCCA 500マイル・スペシャル・レース。1934年、760.29ヤード、201羽、52ロフト。

 『THE OPEL BIRDS』P36  A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 5:32 修正
■代表記録鳩 62■MCCA 29 No.41 B.C.C. リファレンスMとパフォーマンス44から交配されました。ヤングバードとして303マイルを飛行し、1929年には150マイルでディプロマ・クラブ3位、1930年には同日に500マイル、560マイルのチャット・ファノガ・ナショナル・レースで全部門44位、1931年には同日に500マイル、560マイル、1932年には500マイルを2回、600マイルを達成した。

■代表記録鳩 63■ MCCA 29 No.69 B.C.H. Performance 48 と 50 から生まれた馬。1929年、プログレッシブ・クラブのオープン400マイル・ヤング・バード・レースで、912.02ヤード、44羽、12ロフト、3時間以上の差をつけて優勝。1930年には、同日500マイルを3回走り、ソシアル・クラブのワンバード・ビクトリー・レースで、1111.26ヤード、37羽、37ロフト、1930年同日500マイルで優勝。

■代表記録鳩 64■ MCCA 30 271 I B.C.C. パフォーマンス36と49から交配されました。1931年に500マイルと560マイル、1932年に500マイルと600マイルを飛行。1932. 1932年、A.Piefert氏に贈呈される。1936年にオペル氏に返還された。

■代表記録鳩 65■ MCCA 30 2755 B.H., Reference S and T. から繁殖。1931年、クラブで1位、MCCAで400マイルで1位、I 390.32ヤード、2760羽、135ロフト。

■代表記録鳩 66■MCCA 30 2759 B.C.H., パフォーマンス 33 とリファレンス J から交配. 500 マイルを 9 回、560 マイルを 1 回、600 マイルを 3 回、700 マイルを 2 回飛来. MCCA の 18 位、400 マイル、1932 年、1296.76 ヤード。2322羽、124ロフト、第9回ディプロマMCCA、600マイル、1933年、995.18ヤード。420羽、49ロフト;1位ディプロマMCCA.、700マイル、1934年、596.35ヤード、19羽、6ロフト;6位MCCA.、700マイル、1935年 390.15ヤード。51羽 13ロフト。

■代表記録鳩 67■ MCCA 30 9999 B.C.C., パフォーマンス 36 ©nd 49 から交配されました。500マイルを3回、600マイルを2回飛行しました。クラブのディプロマ1位、MCCAのディプロマ3位。1931年、600マイルを同日に飛行、同日に4羽のみ帰宅、320羽、37ロフト、クラブ1位のディプロマを獲得。12番目のディプロマMCCA.は、300マイル、1932年、1172.51ヤード、3000羽、137ロフト。カトンズビル・ロフトとの決着で敗退。

■代表記録鳩 68■ MCCA 3 I 5626 B.C.H. はパフォーマンス 33 とリファレンス J から生まれました。1932年、第1回MCCA 500マイル・スペシャル・レースで8位(859.19ヤード)。196羽、50ロフト、14位 第3回MCCA500マイル・スペシャル・レース。1932. 1360.60ヤード、95羽、22ロフト;8位ディプロマ MCCA.の600マイル。1933年 995.74ヤード、420羽、49ロフト、このレースで姉のパフォーマンス66と一緒にホームイン。

 『THE OPEL BIRDS』P37    A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 10:58 修正
■代表記録鳩 69■MCCA 31 5690 はパフォーマンス 33 とリファレンス J を交配したものです。1932年、1208.50ヤード、2380羽、134ロフトで行われたMCCA 500マイル・レギュラーレースで14位。Performance 66と168の姉妹。

■代表記録鳩 70■ MCCA 32 493 B.C.C. パフォーマンス42と45から生まれました。500マイルを5回(うち3回は同日)、600マイルを1回飛行。

■代表記録鳩 71■MCCA 32 1910 B.C.C., パフォーマンス 58 と 61 から生まれた. 500マイルを5回、560マイルを1回、600マイルを2回飛行。1934年のグレート・イースタン・チャンピオンシップ・レースで、ディプロマ・ボルチモア5位。ボルチモアの出荷時には、29のロフトがあった。クラブのディプロマ1位、MCCAのディプロマ15位、300マイル、1936年、1416.01ヤード、3836羽、189ロフト、MCCAのディプロマ7位、600マイル、1936年、888.83ヤード、595羽。69ロフト。

■代表記録鳩 72■MCCA 32 1933 B.C.C. パフォーマンス42と45から交配されました。500マイルを3回、560マイルを2回飛行。1933年、チャタヌーガ・ナショナル・レースで、ボルチモア9位、全部門69位、560マイル。759.26ヤード、1144羽、287ロフト、9位 1934年MCCA500マイル特別レース3位 813.71ヤード、78羽、22ロフト、2位 ボルチモア、全セクション8位 1934年チャタヌガ・ナショナル・レース560マイル 1041.20ヤード、828羽、244ロフト。パフォーマンス74の弟。

■代表記録鳩 73■MCCA 32 1937 B.C.C. リファレンスWとXから交配され、500マイルを2回飛行。パフォーマンス78の弟。

■代表記録鳩 74■MCCA 32 1983 B.C.H. "The Holden Hen" パフォーマンス 42 と 45 から交配されました。500マイルを5回、560マイルを1回飛行しました。I st diploma Club. 11 番目のディプロマ MCCA:100 マイル、1933 年、1548.85 ヤード、3394 羽、153 ロフト;4 番目のディプロマ 1st MCCA 500 Special. レース、1933年、1401.38ヤード、175羽、43ロフト、ボルチモア1位、全セクション4位。1934年、S:C.のスパータンバーグで行われたグレート・イースタン・チャンピオンシップ・レース(400マイル)、1130.03ヤード、1832羽、405ロフト、3位ディプロマ・Cl'ub、9位ディプロマ・MCCA、500マイル・レギュラー・レース(1934年)、1197.49ヤード、2784羽、171ロフト。171ロフト、このレースでE.R.ホールデン・シングル・ノミネーション・カップを獲得。各ロフトは100マイルレースの前に1羽の鳥を指名してこのトロフィーを争う。

■代表記録鳩 75■ MCCA 32 1987 R.C.H.、リファレンスQとRから交配された。

■代表記録鳩 76■ MCCA 32 1998 B.C.C. パフォーマンス15から交配されました。

 『THE OPEL BIRDS』P38  A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 19:59 修正
500マイルを3回、600マイルを2回飛んだ。600マイル、1934年、956.57ヤード、636羽、85ロフト。1998年に交配された時、彼の種牡馬は13歳でした。

■代表記録鳩 77■MCCA 32 9297 B.C.H. パフォーマンス15とリファレンスTから交配されました。ヤングバードとして200マイル飛行しましたが、おそらくリファレンスの中に入るべきでしょう。

■代表記録鳩 78■MCCA 33 9906 は、リファレンス W と X から生まれました。300 マイル、1935 年、1268.39 ヤード、1897 羽、206 ロフト、200 マイル、1938 年、1212.30 ヤード、4745 羽、227 ロフト、14th ディプロマ・チャタヌガ・ナショナル・レース。560マイル、1935年、1360.50ヤード、1115羽、264ロフト;19thディプロマ・チャタヌガ・ナショナル・レース、560マイル、1936年、959.97ヤード、1132羽、279ロフト;18thディプロマ・チャタヌガ・ナショナル・レース。1937年、560マイル、800.09ヤード、22番目のディプロマ・チャタヌガ・ナショナル・レース。1938年には560マイル、1018.59ヤード、385羽、157ロフト。

■代表記録鳩 79■MCCA 33 9913 R.C.H. リファレンスQとRから交配され、1934年と1935年に500マイルを飛行。1933年、ボルチモア・チャンピオンシップ・コンバイン300マイル・ヤングバード・レースで8位、12 15.09ヤード、377羽、104ロフト。991 3はPerformance Birds No.85とNo.86の姉妹です。

■代表記録鳩 80■MCCA 33 9916 B.C.H., Bred\ Performance 42 and 45. 500マイルを4回、560マイルを2回飛行しました。I st diploma Club, 2nd diploma I st MCCA 500 mile Special Race, 1935, 1091.50 yards, 107羽, 29ロフト, 同日に報告されたのは11ロフトの17羽のみ。

■代表記録鳩 81■MCCA 33 9966 B.H.、パフォーマンス33と77から交配。ヤングバードとして200マイル飛行した後、ストック用に使用。9969の姉妹はJ.S.Brewerに提供され、1936年に500マイル、3082羽の成績で第1クラブ、第2MCCAに選ばれました。9969は5775 B.C.H.の妹で、G.Streck-fusに贈られ、彼の10734 B.C.C.は1940年のMCCA 500マイル・スペシャル・レースで1位を獲得したのです。

■代表記録鳩 82■MCCA 34 5748 B.C.C., Reference S and U.FIown 500マイル4回、560マイル4回、700マイル2回の繁殖。26位 ボルチモア500マイル選手権レース(1935年)1181.43ヤード、141羽、34ロフト;9位 MCCA.700マイル(1937年)828.80ヤード、74羽、14ロフト;8位 MCCA.700マイル(1938年)。534.57ヤード、55羽、10ロフト。

 『THE OPEL BIRDS』P39    A.S.Johnstone  2021年8月16日(月) 20:05 修正
■代表記録鳩 83■MCCA 34 5757 B.C.C.、リファレンスV-1とV-2から交配。500マイルを7回飛行。3位 MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1936年) 795.74ヤード、221羽、54ロフト、29ロフト 報告なし;9位 MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1935年) 847.04ヤード、147羽。35ロフト。

■代表記録鳩 84■MCCA 34 5766 B.C.H., Reference S. and U.から交配 500マイルを11回、600マイルを1回飛行。1st ディプロマ 2nd MCCA 500 mile Special Race, 1935, 743.52 yards, 119羽, 33ロフト: 4th ディプロマ 2nd MCCA 500 mile Special Race. 1936年、798.05ヤード。145羽、34ロフト。

■代表記録鳩 85■ MCCA 34 5770 R.C.C., リファレンスQとRから交配。500 マイルを 10 回、560 マイルを 1 回、600 マイルを 7 回、700 マイルを 4 回飛行し、すべてのレースで合計 21,000 マイルを飛行しました。クラブで3位、MCCAで6位、600マイル、1936年、893.14ヤード。1936年、600マイル、893.14ヤード、595羽、69ロフト、I st Baltimore、19th all sections, Chattanooga National Race. 560マイル、1938年、1026.16ヤード。385羽、157ロフト;4位 MCCA.700マイル、1939年、394.91ヤード、32羽、8ロフト;3位 diploma MCCA.700マイル。1940年、952.63ヤード、76羽、14ロフト、1941年、861.37ヤード、44羽、8ロフト、7歳の時にMCCA.700マイルの2位のディプロマを獲得。稀に見る優良なストックバードであることを証明した。パフォーマンス86」の同胞。

■代表記録鳩 86■ MCCA 34 5771 B.C.C. リファレンスQとRから交配されたもの。第1回MCCA 500マイル・スペシャルレースで15位。1935年、1053.50ヤード、107羽、29ロフト、同じ日に17羽しか帰らなかった;29位 MCCAレギュラー500マイルレース。1935年、889.97ヤード、2674羽、205ロフト、14羽のみが同日に帰宅。第2回MCCA 500マイル・スペシャル・レースで2位のクロック・バード、1935年、709.13ヤード、9羽、33ロフトを記録。5771は同日、チャタヌーガ・ナショナル・レース(560マイル)で報告されたオペル氏の3羽目の鳥。1935年、1112.41ヤード、1115羽、264ロフトのレースで、彼の順位はわかりません。5771は、1936年の400マイルレースから10月まで出ていたが、脚が2本折れていたことと、翼の調子が悪かったことを証明して戻ってきており、もちろんその後引退した。

■代表記録鳩 87■IF 34 LPC 303 B.C.H. "Black Eyes, 1 "は、デトロイトのウィルミントンに住むアール・ヘンダーラー氏から、若くしてオペル氏に贈られたものです。ヘンダラー氏のオリジナル血統書によると、303の種牡鳩はバスティンとスタサートの血、種牝鳩はヴァンデヴェルデとハベニスの血を引いています。3O3の記録: - 500マイルを11回、600マイルを1回飛行。

 『THE OPEL BIRDS』P40  A.S.Johnstone  2021年8月17日(火) 1:20 修正
マイル、1回。15th ディプロマ MCCA. ヤングバードとして 150 マイル。1934年 1018.25ヤード、4268羽、204ロフト、29番目のディプロマMCCA.で400マイル 1935年 1189.15ヤード。2325羽 209ロフト; 2nd diploma 2nd MCCA 500 mife Special Race, 1936, 808.28 yards, 145 birds, 34 lofts.

■代表記録鳩 88■ MCCA 35 3765 B.C.H.、リファレンスV-1とV-2から交配。500マイルを3回、600マイルを1回飛行。第33回MCCAディプロマ、300マイル、1937年。1299.66ヤード、4123羽。205ロフト。

■代表記録鳩 89■ MCCA 35 3770 Slate C.H.、パフォーマンス 62 と 49 から交配、500 マイルと 560 マイルを飛行。18 番目のディプロマ、全部門で獲得。チャタヌガ・ナショナル・レース、560マイル、1936年、960.21ヤード、1152羽。279ロフト、このレースでパフォーマンス78と同居し、2羽で全部門の18位と19位を獲得しました。1937年、Md.BaltimoreのH.Asendorf氏に贈呈。

■代表記録鳩 90■MCCA 35 3787 B.C. パフォーマンス 72 と 81 から生まれました。1936年に500マイルと560マイルを飛行。1937年、Md.ボルチモアのG.バック・フィッシャー氏に贈呈されました。1941年、フィッシャー氏がすべての鳥を処分したため、オペル氏に返却された。3787は、パフォーマンス91の「ショートレッグス」の同胞です。

■代表記録鳩 91■ MCCA 35 3788 B.C.C. "Short Legs"、パフォーマンス72と8から交配]。500マイルを10回、600マイルを2回飛行。25ih diploma MCCA., 100 miles, 1939, 1629.20 yards, 4364 羽, 21 2 ロフト.

■代表記録鳩 92■ MCCA 35 3802 B.C.C. パフォーマンス 70 と 63 から交配されました。500マイルを4回、560マイルを1回、600マイルを2回飛行。600マイルを2回飛行。1936年、1101.14ヤード、3082羽で開催されたレギュラー500マイルレースで、MCCAの20番目のディプロマを獲得。182ロフト。ケロッグ博士に献呈。マサチューセッツ州ボルチモア。1940.

■代表記録鳩 93■ MCCA 35 3812 B.C.C., リファレンスV-lとV-2から交配。500マイルを3回、600マイルを1回、700マイルを1回飛行。MCCA.4位、700マイル、1936年、973.95ヤード。90羽;10ロフト、MCCAレギュラー500マイルレースで14位。1937年、1067.24ヤード、3650羽。201ロフト、このレースでは79ロフトで報告なし。12位 第2回MCCA500マイル特別レース、1937年 1161.11ヤード、236羽、54ロフト。

■代表記録鳩 94■MCCA 36 9781 R. C. C. はパフォーマンス 9 I と MCCA 35 3767 R. C. H. (Reference Q and R. から交配) 500 マイルを 6 回、600 マイルを 2 回、700 マイルを 2 回飛行。

■代表記録鳩 95■MCCA 36 9800 B. C. H. (パフォーマンスから交配)。

 THE OPEL BIRDS』P41  A.S.Johnstone  2021年8月17日(火) 1:27 修正
■代表記録鳩 96■ MCCA 36 9820 R.C.H. パフォーマンス52と61から生まれました。500マイルを2回飛行しました。9820はパフォーマンス71の姉妹で、リファレンスZ.の "The Jones Cock. "と2年間ペアを組んでいました。

■代表記録鳩 97■MCCA 36 9822 B.C.C. パフォーマンス86と80から交配されました。500マイルを4回、600マイルを3回飛行。1938年の600マイルレースでは、86のロフトから614羽が参加し、7羽が同日にホームインしました。9822は2日目の午前1時45分にボルトワイヤーのベルを鳴らしてロフトに入ったが、2日目の午前3時40分(日の出の1時間前)まで計測されず、2日目の次の鳥と1時間以上の差があり、1168.25ヤードでMCCAの8位入賞。

■代表記録鳩 98■ MCCA36 9825 B.H.、パフォーマンス70と63から交配された。500マイルを7回、600マイルを1回、700マイルを1回飛行。第27回MCCA賞、400マイル、1937年、1298.10ヤード。3932羽。201ロフト;34位ディプロマMCCAレギュラー500マイルレース、1939年、1250.22ヤード、3I38羽、204ロフト;4位MCCA、700マイル。1940年、908.17ヤード、76羽。14ロフト。

■代表記録鳩 99■ IF 36 BCR 1116 B.C.H. パフォーマンス 54 と MCCA 33 9932 B.C.H. (パフォーマンス 48 と 50 の交配) 500 マイルを 6 回、560 マイルを 2 回、600 マイルを 1 回飛行しました。600マイルは1回。ボルチモア3位、チャタヌーガ・ナショナルレース560マイル(1937年、904.40ヤード)、全区間6位、MCCA500マイル・スペシャルレース(1937年、1074.72ヤード)、0.191羽、ディプロマ3位。46ロフト。1116はR.マッコイ氏に贈呈。ボルチモア。1941年、Md.

■代表記録鳩 100■ MCCA 37 1803 B.C.C. パフォーマンス91と87から交配されました。500マイルを5回、600マイルを2回、700マイルを1回飛行。700マイルを1回飛行。

■代表記録鳩 101■パフォーマンス101。MCCA 37 1804 B.C.C. パフォーマンス91と87から交配。MCCA 37 1804 B.C.

■代表記録鳩 102■MCCA 38 9408 B.C.H. パフォーマンス54と74から交配。500マイルを7回飛行。1939年、MCCA 500マイル特別レースで5位、3位、1305.04ヤード。140羽、36ロフト; 2nd diploma Pigeon Fancier's Social Club 500 mile Special Race(1941年、1135.58ヤード)。93羽、29ロフト、同日に5羽のみ帰還。

■代表記録鳩 103■ MCCA 38 9410 B.C.H. 「パフォーマンス」から交配されました。

 THE OPEL BIRDS』P42  A.S.Johnstone  2021年8月17日(火) 1:34 修正
97年と98年。500マイルを5回、600マイルを1回飛んだ。1939年、第2回MCCA 500マイル・スペシャル・レースで6位(615.42ヤード、238羽、60ロフト)、MCCA 300マイルレースで42位(1939年、1461.53ヤード、4195羽、212ロフト)、クラブ500マイルレースで3位(1941年、1435.18ヤード、314羽、19ロフト)。

■代表記録鳩 104■ MCCA 38 9411 B.C.H. パフォーマンス101と84から交配されました。500マイルを6回、600マイルを4回、700マイルを1回飛行。第28回ディプロマ MCCA. 200マイル、1939年、1583.62ヤード、4364羽、211ロフト;第4回ディプロマ MCCA. 600マイル、1940年、903.02ヤード、716羽、86ロフト;第11回ディプロマ MCCA. 600マイル、1941年、909.01ヤード。1941年、909.01ヤード、1057羽、100ロフト;9位ディプロマMCCA.600マイル、1942年、1025.00ヤード、1191羽、121ロフト;22位MCCA.600マイル、1943年、851.99ヤード、510羽、77ロフト。

■代表記録鳩 105■MCCA 38 9425 Blk.C.C. V-1とV-2から交配されたもの。500マイルを7回飛んだ。第33回MCCAディプロマ、400マイル。1939年、1181.96ヤード、3823羽、205ロフト、1940年、1200.06ヤード、140羽、40ロフト、第2回MCCA500マイル特別レースで5位の成績。

■代表記録鳩 106■ MCCA 39 8436 B.C.、パフォーマンス70と88から交配。500マイルレースに4回出走。クラブ」で2位、「MCCA」で41位、「ヤングバード」で300マイル。1939年、53 1.89ヤード、3858羽、211オブザーバー、このレースでは同日に16羽しか帰れなかった。

■代表記録鳩 107■MCCA 39 8451 R.C.H. パフォーマンス 85 と 95 を交配。500マイルを5回、600マイルを2回、700マイルを2回飛行し、1940年のMCCA500マイル特別レースで20位、1236.12ヤード。8位 MCCA、700マイル、1940年、741.74ヤード、76羽。14ロフト、7位のMCCA.は700マイル、1941年、704.49ヤード、44羽。8ロフト; 8位は1942年の第1回MCCA 500マイル・スペシャルレースで、1123.22ヤード、321羽、76ロフト、同日に帰宅したのはテレビ/20羽のみ。3451は非常に素晴らしい個体。

■代表記録鳩 108■ MCCA 39 8452 B.C.H. 参照番号 Z とパフォーマンス 96 から交配されました。500 マイルを 5 回、600 マイルを 3 回、700 マイルを 2 回飛行した。MCCA の 1st ディプロマ、700 マイル。1942 年、71 2.82 ヤード、33 羽、10 ロフト、1943 年、700 マイル、579.26 ヤード、46 羽、10 ロフトで MCCA の 7 位。

■代表記録鳩 109■ MCCA 39 8466 B.C.H. パフォーマンス 64 と 74 から交配。500マイルを6回、600マイルを1回飛んだ。

■代表記録鳩 110■ MCCA 40 4323 B.C.は、パフォーマンス70から生まれました。

 THE OPEL BIRDS』P43    A.S.Johnstone  2021年8月17日(火) 1:46 修正
と88です。500マイルを4回、600マイルを2回、700マイルを2回飛んだ。MCCAで2位、700マイル、1942年、689.41 8ヤード、38羽、10ロフト。

■代表記録鳩 111■ MCCA 40 4355 B.C.H. パフォーマンス 91 と 87 から交配されました。500マイルを6回、600マイルを1回飛んだ。

■代表記録鳩 112■. MCCA 40 4360 B.C.C. , パフォーマンス 70 と 88 を交配。500マイルを6回飛行。600マイルを3回、700マイルを5回飛行しました。MCCA.3位、700マイル、1944年、657.06ヤード、59羽、13ロフト。

■代表記録鳩 113■ MCCA 41 9104 B.C.C. パフォーマンス 106 と 109 から交配されました。500マイルを9回、600マイルを3回、700マイルを4回飛行。クラブで2回目のディプロマ取得。23 番目のディプロマを持つ MCCA は、500 マイルのレギュラーレースで、1942 年、1093.58 ヤード、3674 羽、199 ロフト、このレースの 105 ロフトは当日の報告がない。

■代表記録鳩 114■ MCCA 41 9116 B.C.H. は、リファレンス Z とパフォーマンス 107 から交配されました。500マイルを7回、700マイルを2回飛行。6ナハ・ディプロマ 3rd MCCA 500 mile' Special Race, 1942, 782.65 yards, 21 ! 54ロフト; 3rd diploma I st MCCA 500 mile Special Race, 1943, 871.51 yards, 184 birds, 44 lofts:MCCA 5位, 700 miles, 1943, 690.06 yards, 46 birds. 10ロフト:5位のMCCA.700マイル、1944年、589.26ヤード。59羽、3ロフト; 20位 MCCA 500マイル レギュラーレース 1945年 578.35ヤード 2005羽、156ロフト。このレースの2日目に54羽が記録しました。101ロフトは報告なし。9116はPerformance115の同胎姉妹です。

■代表記録鳩 115■MCCA 41 9117 R.C.C. リファレンスZとパフォーマンス107から交配されました。500マイルレースに15回出場(1942年、1943年、1944年、1945年、1946年に各3回)。184羽、44ロフト。5位のディプロマ 第2回MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1943年)1038.83ヤード、170羽、46ロフト、同日に5羽のみ帰着。9位の第3回MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1943年)。828.59ヤード。828.59ヤード、95羽、27ロフト、1位 2位 MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1944年)1082.44ヤード、187羽、441ロフト、同日報告されたのは8羽のみ、1位 2位 MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1945年)1230.20ヤード、111羽、27ロフト、同日報告されたのは17羽のみ、15位 1位 MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1946年)1230.95ヤード、95羽、25ロフト、9位 2位 MCCA 500マイル・スペシャル・レース(1946年)。694.50ヤード、94羽、23ロフト、彼の全妹。MCCA 41 9173 B.C.H., 867.87 ヤードでこのレースに優勝、T.ワトキンス氏のために、1st diploma 3rd MCCA 500 mile Special Race, ,1946. 1946年、805.09ヤード、60羽。16ロフト。

 THE OPEL BIRDS』P44      A.S.Johnstone  2021年8月17日(火) 1:50 修正
■代表記録鳩 116 ■ MCCA 42 762 B.C.C. パフォーマンス 86 と 80 を交配 500 マイルを 4 回、600 マイルを 2 回、700 マイルを 2 回飛行 MCCA の 12 番目のディプロマ、600 マイル、1944 年、753.75 ヤード。406羽、67ロフト; 5th diploma MCCA.、600マイル。1945年、783.64ヤード、244羽、33ロフト、4位MCCA.、700マイル。1945, 482.13ヤード, 60羽, 12ロフト.

■代表記録鳩 117 ■ MCCA 43 864 R.C.C. パフォーマンス115と111から交配。500マイルを7回飛行。1944年第1回MCCA 500マイル・スペシャル・レースで20位(773.43ヤード、245羽、55ロフト)、1944年第3回MCCA 500マイル・スペシャル・レースで8位(1122.99ヤード、100羽、27ロフト)、1945年第2回MCCA 500マイル・スペシャル・レースで4位(1212.41ヤード、111羽、27ロフト)、彼の種牡馬(パフォーマンス(15))がこのレースで優勝。

■代表記録鳩 118 ■ MCCA 43 884 B.C.H.、パフォーマンス71と107から生まれた。500 マイルを 4 回、600 マイルを 1 回、700 マイルを 1 回飛行した。2nd diploma MCCA., 700 mites, 1944, 684.93 yards, 59 birds, 13 lofts.

■代表記録鳩 119 ■ MCCA 44 1742 B.C.H. パフォーマンス 110 と 107 から交配されました。500マイルを5回、600マイルを1回飛行した。18th ディプロマ MCCA., 300マイル, 1945, 1097.36ヤード, 2283羽. 161のロフト。パフォーマンス120」の妹です。

■代表記録鳩 120 ■ MCCA 44 1743 B.C.H. パフォーマンス 110 と 107 を交配しました。500マイルを3回、600マイルを1回、700マイルを2回飛行した。I st diploma MCCA. 700マイル、1945年、659.00ヤード、60羽、13ロフト、2日目8:51P.M.を計時、3日目2:42:20P.M.を次の鳥が計時。第1回ディプロマMCCA、700マイル、1946年、690.48ヤード。26羽、8ロフト。

■代表記録鳩 121 ■ MCCA 46 3 10 B.C.H. パフォーマンス112と118から交配されました。1946年、ヤングバードとして400マイル、第2回ソーシャルプール優勝。1946年、ヤングバードとして400マイル、第2回ソーシャル・プール優勝:第1回ディプロマ・クラブ。1947年、500マイルのレギュラーレースで、MCCA5位入賞。1285.67ヤード、1892羽。125ロフト; 1st diploma 3rd MCCA 500 mile Special race 1947, 858.32 yards. 55羽。14ロフト、8位ディプロマ MCCA。第1回500マイル・スペシャル・レース(1948年)570.38ヤード、154羽、38ロフト、2日目に報告された12羽のうち、彼女はこのレースでオペルの2番目のクロック・バードでした。310は同じ日にOpelの2番目のクロックバードでした。

※以上、第3章■Performance Birds(代表記録鳩)■翻訳終了

 在来系の原鳩を訪ねて(その5)日本レース鳩協会参与 堀場[金市]郎西川系の原鳩 (愛鳩の友71年3月号P120〜121)  イレブン  2021年8月15日(日) 3:33
修正
在来系の原鳩を訪ねて(その5)日本レース鳩協会参与 堀場[金市]郎
西川系の原鳩 (愛鳩の友71年3月号P120〜121)

●鳩は葬式に関係していた●

――西川系についてお話し下さい。

■堀場■西川系というのは私もよく分からないんですよ。ただ、記録が全然なくて早いと云うことだけが分かっているんですね。この系統は、大正8年、中陸から払い下げられた鳩から出ていることは間違いないところです。

――年齢的には今西さんとどちらが上ですか。

■堀場■西川宗七といいますが、今西さんより少し下です。京都の人でそうれん屋です。――そうれん屋で鳩を飼っていたんですか。

■堀場■昔は鳩も葬式に関係していたんですね。昔の葬式は行列がずーっと歩いて行ってその時の供養のため、放鳥といいましてね。鳩をカゴからパッと放す風習がありまして、今でも当時の立派なカゴが残っていますよ。その頃、今西小三郎というカゴ屋がいまして、この人が京都の鳩界の草分け的存在になっていたんです。明治20年代から仔をとっていたといいますからね。まあ、この前後の鳩は土鳩よりチョットましだというかんじだったわけです。

 それが、中陸から払下げを受けてから格段に進歩した。もちろん、西川さんは在来系もずいぶん手がけていましたし、たくさん買ってもいますが――。京都では中陸からのは来下げ第1号が西川さんだったんですね。羽数は2羽でした。

 西川系に記録が全然残っていないのは、まあ、その頃のことでしたから珍しくはないのですが、西川さんが文盲だったせいなんです。中陸への払下げの申請も知り合いのも農林技師に書いてもらったという話が伝わっています。

 そのほかではっきりしているのは、基礎鳩がクリだったことです。このことは中陸がフランスから鳩を入れていた事実と、宇津木系の基礎鳩もクリで、中陸の系列に入ることから、これは確認されるのです。

●クリの値が上がった理由●

――中陸は意識してクリを放出したのでしょうか。

■堀場■それはなんとも言えませんが、当時はあまり色にはこだわらない時期でしたね。フランスのクリと言えばシオンを連想しますが、2羽の払下げを受け、その仔を取り出して、出したところよく飛ぶし、よく帰るので、皆びっくりしちゃった。今聞くと嘘みたいな話ですが、先に金(かね)を預けておかないと、鳩を預けてくれないんですよ。おまけに高い鳩でね、当時の金(かね)で一腹30円ですから、今の貨幣価値に換算すると、10万円ぐらいになりますか。しかも、前金でね。

 その頃は競り市があって、どこでもいろいろなものが買えたのですが、西川さんのおかげで、どこでも、クリの値が上がってしまったんですよ。しかも、それが土鳩であっても上がったんですよ。

――掘場さんは宗七さんをご存じだったのですか。

■堀場■知っていました。宗七さんも知っていましたが、その弟に西川丑之助というのがいまして、私はこれ親しかったわけです。

――宗七さんはいつ亡くなったのですか。割合早かったのですか。

■堀場■早かったほうですね。60でしたから。その後は丑之助が継いでいます。

●売れた契約条件は地獄でも●

――宗七さんの人柄は。

■堀場■正直で良い人でしたよ。若い時に宮相撲に出ていたというだけあって、体格も大きくて、チョット向う意気が強くて。しこ名は”放れ駒(はなれごま)”と言っていたそうです。

――掘場さんが西川系の鳩を手がけられたのは何時頃からですか。

■堀場■昭和9年からです。それ以前はいろいろな鳩を飼ってみましたが、駄目でしたね 。その前後ですよ。日本伝書鳩協会ができて、そろそろクリが盛りを過ぎてゆく時代は。成績の面では別に衰えたという兆候はなかったのですが、何しろ買上をしてくれなくなりましてね。

――そうするると、西川さんの全盛期というと。

■堀場■やはり大正ですね。先にお話ししたように、前金で、しかも最高値の仔がどんどん売れたのですから。

この時の契約条件は地獄です。いわゆる売った鳩が戻ってきたら返さな。そのままになってしまう。極楽というのは、戻ってきたら小米何升か持って挨拶に行けば返してもらえるというような契約ですが、西川さんの鳩は、一番厳しい地獄で契約してドンドン売れたのですから、まあ、全盛期でしたね。

――羽色はクリということですが、タイプとしてはどんな感じですか。

■堀場■羽は非常に良かったですね。長さがありましたし、まあ、今西ほどではないにしても、面積も十分で、とにかく良い鳩でした。骨格は中型でしたね。

 特別警報 ずっと雨が降り続いています  イレブン  2021年8月14日(土) 11:18
修正
昨日からずっと雨が降り続いています。近所でも、あちこちの道が通行止めになっており、浸水しているところも多いようです。幸い、イレブンの家は小高い丘のところにあるので水の心配はありません。

ともかく雨が収まるまで家でじっとしています。いつもより、鳩舎の掃除に時間をかけています。


 《系統研究》【OPEL BOOK 2020】009 《 第2章 原本『THE OPEL BIRDS』by A.S.Johnstoneの解読:ACTU■Reference Birds(基礎種鳩)■》○全文復刻引用資料『THE OPEL BIRDS』(P13〜P27より引用》  イレブン  2021年8月8日(日) 16:33
修正
ACTU■Reference Birds(基礎種鳩)■では、『THE OPEL BIRDS』のP13〜P26までの全13ページに亘って詳細に記述されています。オペル系の基礎種鳩A〜Zまでの28羽の詳細な解説部分の翻訳です。

実はこの部分の翻訳をするまで、A.S.Johnstoneの『THE OPEL BIRDS』でこの部分が一番力点が置かれている著書だったと言うことがイレブンには分かっていませんでした。

この「Reference Birds(基礎種鳩)」に目を通すと、A.S.Johnstoneが、極めて優れた能力を持つオペルバードがどこから生まれてきたのかという系統的な根拠を説明するところに一番の力点を置いていたことが伝わってきます。

オペル系が英国のローガン系を基礎においていることはよく知られていることですが、具体的にローガン系のどのラインが繋がっているのかについてはあまり知られていないように思います。この「Reference Birds(基礎種鳩)」に目を通すと、その点についてかなり詳細な記述がなされています。

我が国でのこれまでのオペル系研究では、この部分に焦点を当てた論文が極めて少ないように思います。

イレブンとしては、後日、この「Reference Birds(基礎種鳩)」の章の翻訳文を基に、ローガン系とのつながりについて、オペル系の系統的な探求を試みたいと思っています。

ともかく、このACTU「Reference Birds(基礎種鳩)」の内容は、オペル系ファンにとっては、極めて興味深い内容となっています。では、翻訳を始めます。

※尚、翻訳ソフト版ですので、不明瞭な箇所が残っていますが、ご容赦願います。随時、校正・編集し、内容の充実を図って参ります。何かご教示いただける点かありましたら、メール、掲示板等でご指導いただければと思っております。

 『THE OPEL BIRDS』P13+EXPLANATION(説明)  A.S.Johnstone  2021年8月8日(日) 17:05 修正























■基礎種鳩 A■ F (14) 20421 スレート・チェック・コック、【OLD SLATE:オールド・スレート号】

1914年にA.S.ジョンストンによって繁殖されました。1915年7月4日、ワシントンD.C.からボルチモアMd.のMr.J.L.Opelに贈呈される。

SIRE-E ('06) 8243 B. C. C.は、300マイルを飛行し、以下の兄弟である。
:E 8242 B. C. C.は300マイル
;J ('02) 3987 B. C. C.は500マイルを3回飛行し、ヤングバードとして5thディプロマ100マイル、6thディプロマ100マイル、オールドバードとしてI stディプロマ500マイルを獲得
;M ('03) 3766 B. C. H. 。M ( 03 ) 3766 B. C. H. は、500 マイルを 3 回飛行し、1904 年に 4 番目のディプロマ 500 マイル、1905 年に 3 番目のディプロマ 200 マイルと 3 番目のディプロマ 500 マイル、1906 年に 3 番目のディプロマ 500 マイルを獲得、
M ( 03 ) 3705 B. C. H. は、500 マイルを 3 回飛行し、1906 年に 2 番目のディプロマ 500 マイルを獲得、
P ( 04 ) 2744 Dark C. H. は、500 マイルを 2 回飛行し、1905 年に 2 番目のディプロマ 400 マイル(330.68 ヤード)を獲得、
R ('01 )1782 B. C. H. は未調教。
E 8243は、600マイルを2回飛行し、1901年にI st diploma 600マイルを獲得した。G (*99)17023 Dark C.C.と、600マイルを2回飛行し、1901年に4th diploma 600マイルを獲得したA ('98) 24707 Sla+e C.H.から交配されました。
G 17023は、1897年に600マイル飛行したT ('96) 3364 B.C.と、1899年に200マイル飛行したK ('97) 16680 B.C.H.を交配したもので、その後はストックとして保管されていました。

A24707は、500マイルを4回、600マイルを1回飛行し、いくつかのディプロマを獲得したWF 1097 B.C.C.と、同日に400マイルを2回飛行したOB 10 R.C.H.から交配されました。

T 3364は、J.W.ローガンから輸入されたOB I 16 B.C.C., "Beau Brummel, "と、J.W.ローガンから輸入されたI 8-H-95-N 15 B.H., "Dutchess,n "から交配されました。

K 16680はL 7686 Slate C.C. "Argyle "から交配されました。ブルーリボンは、1895年に400マイルのディプロマと500マイルのフライング(ワシントンD.C.のヘンリー・ダーリング博士が繁殖・フライング)を行い、J.W.ローガンから輸入した18-H-95-N15 B.H. "Dutchess "を使用。

OB10は、J.W.ローガンから輸入された18-X-94-B16 R.C.C.、"A.O.B. "とJ.W.ローガンから輸入された18-H-95-N17 B.C.H.、"Frau Frau "から交配されました。

F 2042 IのDAMは、300マイル飛行したL ('05) 9360 B.H.で、以下の姉妹がいます。500マイルを2回、3回目の500マイルはM 3766 B.C.H.と同じディプロマ、

J ('02) 3 138 B.C.は500マイルを3回、1906年に600マイルのディプロマを獲得、V ('1900) 5349 B.C.は1901年に3回目のディプロマ500マイルを獲得し、600マイルを飛行した。

L 9360は、897年に600マイル飛行したT ('96) 3364 B.C.C.と、200マイル飛行したK ('97) 16680 B.C.H.から交配されたもので、その後ストックされました。

T 3364は、J.W.ローガンから輸入されたOB I 16 B.C.C.「Beau Brummel」と18-H-95-から交配されました。

■EXPLANATION(説明)■

若いファンやスポーツを始めたばかりの人の中には、リスト・ペディグリーに慣れていない人もいるのではないかと思い、ここでは基準鳥類の拡大交配をリストアップする手順の概要を説明します。

そこで、最初の基礎鳩である基礎鳩Aの血統を通常の血統書の形で使用します。同じ鳥/そのバンド番号と色と性別が示されています。
リスト・ペディグリーに掲載されている通りです。

※系図挿入

まず最初に、上の図(通常の血統書)では、血統書の記載手順に沿って、鳥はNo.1から14番までの番号をつけていますが、これは血統書の記載手順をわかりやすくするためです。

次に、No.1の両親であるNo.2とNo.3が登場します。そして、No.2の両親であるNo.4とNo.5。そして、No.3の両親はNo.6とNo.7です。

その後、同じ方法で、サイアー側の繁殖をずっと続けます。次に、リファレンスAのダムであるNo.8から始めます。そして、No.8の両親であるNo.9とNo.10。そして、No.9の両親はNo.11とNo.12です。そして、No.10の両親はNo.I 3とNo.14です。

ダム側の交配も同じように続けられます。このように、リファレンス・バーズを何年にもわたって改良してきたことを本の形で説明するためには、リスト・ペディグリーが必要だったことがよくわかります。

 『THE OPEL BIRDS』P14  A.S.Johnstone  2021年8月8日(日) 17:37 修正
J.W.ローガンから輸入した「ダッチェス」のN15 B. H. K 16680は、L 7686 スレートCから交配されたC."Argyle" リファレンスAの "OLD SLATE "は、"Dutchess "に4系統、"Beau Brummel "に2系統、"A.OB "に1系統、"Frau Frau "に1系統、"Argyle "に2系統の枝分かれをしていることに注目してください。

上記のローガンは、1894年と1895年にワシントンDCのハリー・K・ブリス氏が輸入したものである。

ブリス氏は1901年末にその鳩を、当時ワシントンD.C.の18th and Bennings Road, N. E.に住んでいたチャールズ・F・ラパート氏に譲渡した。

1908年、ラパート氏はその鳩を譲渡し、彼のコレクションの中から最も優れた26羽が、ワシントンD.C.の1427 Newton St, この26羽のうち12羽は、G I 7023 & A 24707とT 3364 & K 16680の2つのクラックペアから直接繁殖されたものです。

ペア(G 17O23f end A 24707)は26羽の中に含まれていました。また、エーテルペアのコックであるT 3364もいましたが、彼はもう卵を産まなくなってしまいました。

G 17023とA 24707は、ワシントン州の3組のソックリさんの中で、最も多くのディプロマ受賞者の両親、祖父母にあたると言われています。

■基礎種鳩B■ 【AB (' I) 23400 Red Check Cock】, Mr. J. L. Opel, Baltimore, Md. によって繁殖され飛行。

1911年ヤングバードとして200マイルで2位、300マイルで1位、1912年には200マイルで2位、300マイルで2位、500マイルと600マイルを飛んだ。

SIRE- SA ( 08 ) 30680 R.C.C. は、1910年に3rd diploma 400マイルとI st diploma 500マイルを同日に獲得。30680はEZ ('06) 19786 R. C. C.から交配されたもので、500マイル飛行しました。

またTY ('07) 20420 B. C. H.はヤングバードとして200マイル飛行しました。ダム-SA ('08) 8335 B. H. は、Mr.Jos. Oakes によって繁殖されました。J. Trenton, N. J. で繁殖し、Mr. 1910年にディプロマ200マイルで1位を獲得し、同日に400マイルを飛行しました。

8335は、同日に500マイル飛行したTY(07)17208 B.C.「Major Delmar」と、ヤングバードとして同日に300マイル飛行したTY('07)17217 B.C.H.を交配したものです。

■基礎鳩C■  【US ('10) 40787 B.C.H.】 1910年にワシントンのA・S・ジョンストンで繁殖されたもの。

D. C .Mr. J. L. Opel, Baltimore. Md.のJ.L.Opel氏に若くして提供された。400マイルでディプロマ3位、500マイルで飛行した後、ストックされました。

SIRE-E(06 8243 B.C.C.(参考出品Aの種牡鳩「OLD SLATE」)。DAM-L (05) 9395 R. C. H. 300マイル飛行しました。

9395はP ('04) 2716 R. C. C.とP ('04) 2715 B.C.H.から交配されました。2716はNA ( 98) 15111 Slate C. C.から交配され、300マイルと500マイルを飛んで3位のディプロマを獲得しました。

 『THE OPEL BIRDS』P15   A.S.Johnstone  2021年8月8日(日) 17:51 修正
2715は、フィラデルフィアのジョン・シェフェイド氏が繁殖したA ('98) 2348 B Whf十-C.と、参考A「OLD SLATE」の種牡鳩であるR ('01) 1782 B.C.H.を姉妹とする8243を交配したもので、15111はL7686 Slate C.C.を交配したものである。

【アーガイル】【ブルーリボン】のディプロマ400マイルと500マイルを飛んだ1895と、500マイルを4回、600マイルを1回飛んだS('93)17049 B. C. H.。

OB10は、J.W.ローガンから輸入された18-X-94-B16 R.C.C. "A.O.B. "と、J.W.ローガンから輸入された18-H-95-N17 B.C.H. "Frau Frau "を交配しました。

2348(シェパード・コック)は、1898年に同じ日に500マイル飛んだK(97)532 B. C.と8回目の外交で同じ日に500マイル飛んだT(96)361 B. H.から生まれました。

532は、1898年に100マイルで第3位、500マイルで第7位に入賞した「ムーンライト」から生まれました。

361 は B.C.C. 312 と F. ('95) 29853 B.C.S. H:8th ディプロマ 600 マイル、304 羽が出場しました。312 は C ('94) 859 B.C. と S ('93) 308 B.C.H. から交配され、29853 は C ('94) 881 B.C. と 203 B.H. から交配されました。

308は、"トレントン "と "ブライト・アイ "から交配されました。881は、"Dandy Jim "とニューホール・ヘンから交配されました。

203は2 14 "Grit "と366 "Moonlight "から交配されました。

資料C(40787)は資料Aの「OLD SLATE」の半妹で、4本の線または枝でブルー・ローガン・ヘンの「Dutches」、2本の線でブルー・チェック・ローガン・コックの「Beau Brummel」、3本の線または枝でレッド・チェック・ローガン・コックの「A.O.B.」、3本の線または枝でブルー・チェック・ローガン・ヘンの「Frau Frau」、3本の線または枝でスレート・チェック・コックの「Argyle」を辿っていることがわかります。

■基礎種鳩D■【AU 16 H 7813 スレート C. C. 「ワイルド・スレート」】 A. S. ジョンストン氏作出。

ワシントンD.C.からボルチモアMr.J.L.Opelに贈呈。
SIRE - E ( 06 ) 8243 B. C. C.は、基準Aの "OLD SLATE. "と基準Cの40787 B. C. H.の種牡鳩です。

DAM - QCCA R 2249 B. H.は、フィラデルフィア州のMr.Char'es Hubによって繁殖されました。

2249は、M 2943 B. C. C.から交配されました。' Speed Boy." 3日目のディプロマは300マイル、500マイルを2回(1回は同じ日)。2日目に600マイル、そしてRP I 6609 B. C. H.は200マイル飛行しました。2943はK 2386 B. C. C.から交配されたもので、I st diploma ! 2943はK 2386 B. C. C.から交配されたもので、雨の中を400マイル飛行した後、US 31434 B. C. H.から交配されたもので、400マイル飛行しました。

2386はTY 8088 B. C. C.とSA 5853 Blk.C.から交配されました。Whft. H. 8088は、A 14191 B. C. Whft.から交配されました。8088はA 14191 B.C.Whft.C.とNH 3716 B.H.から交配されました。5853はNO42796 BK Whft.C.から交配されました。5853は、500マイル飛んだNO42796 Bk Whft.C.と600マイル飛んだBY5953 B.C.H.から交配されました。

RP I I 6609は、C.E.L.ブライアントが交配した1905年のI 50 B.C.C.と、ヤングバードとしてバースに飛来した08 6802 B.C.H.から交配されました。150は、GR 7から繁殖されました。

(つづく)

 『THE OPEL BIRDS』P16     A.S.Johnstone  2021年8月9日(月) 3:10 修正
"The Young Orleanist "と呼ばれ、150のダムはグルーターズの最終セールのLot 7X17 arから生まれました。

6802は、ボルドーまでの多くの賞を受賞した "The Sweep"(Vander Haegen)と、イギリスのノースウィッチに住むJ.Bancroftのペア(23と24の血)から生まれたミーリー・デルモットヘンを交配しました。

「ワイルドスレート」は、リファレンスAとリファレンスCの異母兄弟で、同じ種牡鳩から生まれました。

彼は、ブルー・ローガン・ヘンの "ダッチェス"、ブルー・チェック・ローガン・コックの "ボー・ブランメル"、レッド・チェック・ローガン・コックの "A.O.B."、ブルー・チェック・ローガン・ヘンの "フラウ・フラウ"、スレート・チェック・コックの "アーガイル "と、2つのラインまたはブランチに分かれています。

■基礎種鳩 E■. 【AU 14 48540 B.C.H.】 A.S.ジョンストン作出 ワシントンD.C. ボルチモアMr.J.L.Opelに贈呈されました。

SIRE- R ('01) 2146 B.C.C., "Hard Cash" 1st diploma 100 miles and flown 500 miles. 2146は、A ('98) 2348 B. Whft.から交配されました。

ハードキャッシュ "のダムは T ('96) 8779 B. C. H. で、C. A. Mahr が "【トレントン】 "と "【ブライト・アイ】 "から交配したもので、ヤングバードとして 200 マイル飛行し、1896 年にワシントン D.C.の W. H. Keyworth のために Ist ディプロマ 150 マイルを獲得しました。

48540のDAM、リファレンスEは、A.S.ジョンストンが繁殖したAU I A 3898 B.C.H.であり、3898はリファレンスA、C、Dのサイヤーの近親兄弟であるE('06)8242 B.C.C.とD('09)20157 Blk. C. H. は、ニューヨークのモートン社が繁殖したものです。

20157は、1907年にヤングバードとして200マイル走ったY ('07) 25010 B. C. C.と、パ州イーストンのE.B.ライマー氏が英国ヨークシャーのジョン・アーサー・ローズから輸入した3272 Grizzle H.から交配されました。

25010は、500マイルを4回、同日に3回、600マイルを3回走ったC 19236 R. C. C.と、1906年にヤングバードとして300マイル走ったE I 1235 B. H.から交配されました。

I 1235はA 22200から交配されたもので、同日500マイル、V 11132はヤングバードとして300マイル、同日2回目のディプロマ400マイル、4回目のディプロマ500マイルを記録しました(22200と11132は1回目のディプロマ500マイルを記録した "Billy Compa "の両親です)。

22200の種親はEC 91-27 S "Fred G "で、シカゴの1stディプロマを取得しました。11132の種牡鳩はK 58965 "【Grcuse Legs】 "


■基礎種鳩 F■. 【AU 14 23659 Blue Hen】 flown 100 miles as a Young Bird.
リファレンスF. AU 14 23659 Blue Hen, ヤングバードとして100マイル飛んだ。

■基礎種鳩G■【AU 15 6109 Blue Check Hen】、1916年に500マイル、1917年に600マイル飛行した。リファレンスFとG(姉妹機)は、Md.BaltimoreのMr.Jos.Hillerによって繁殖され、Md.のMr.J.L.Opelに贈呈されたものである。

SIRE- US (' 10) 8 I 88 B.C.C., 500マイルを2回、600マイルを1回飛行。8つのディプロマ(1位6個、2位2個)を獲得しました。

8188は次のように交配されました。


 『THE OPEL BIRDS』P17  A.S.Johnstone  2021年8月9日(月) 3:40 修正
TC ( 02 ) 42310 B.C.C. は 500 マイル、BY ('05) 7448 は 400 マイル飛行しました。

42310は、H.カサールが交配したR ( 01 ) 33517 B.C.C.と、H.カサールが交配したR ( 01 ) 32822 B.C.H.から交配されました。

GA ( 01 ) 15978 B.C.C., "Colonel Sanfprd." から交配された 7448 個のワイルドカード。1st diploma 300 miles と NH (1900) 35294 B.H. (1st diploma 500 miles) を交配。

33517 は、NA (98) 8032 B.C.C. "Meses "を交配したもので、J. H. Morrison, Elizabeth. N. J. と NH (1900) 35303 B.C.H. を交配し、ヤングバードとして 200 マイルを達成しました。

32822 はモリソンが交配した NA ('98) 8030 B.C.C., "Honest Tom "と、NA ('98) 7995 Blk. C.H., "Bessie", by Morrison. 15978は、モリソンが交配したNA('98)7996B.C.C.「Colonel」と、

モリソンが交配したNA('98)8039B.C.H.とを交配したものです。35294は、NA ('98) 7993 B.C., "Goner", by Morrison, とNA ('98) 8036 B.C. H., "My May.", by Morrisonから交配されました。

8032はK('97)41 B.C.C.とK('97)42 B.H.から交配された35303はNA('98)7996 B.C.C.の「Colonel」(モリソン交配)とNA('98)8024 B.C.H.の「Little Wonder」(モリソン交配)から交配されました。

8030は、K ('97) 39 Blk.C.C.とK ('97) 38 B.C.H.から交配されました。7995は、C.A.マールが交配したT ('96) 2 1658 R.C.C.と、K 20とK 43の姉妹であるT ('96) 2 1664 R.C.H.から交配されました。

7996は、T('96)8604 B.C.を交配したものです。200マイル、T('96)8630 B.C.H.から交配されました。

8039はT ('96) 21652 Blk.C.C.とT |'96) 459 B.C.H.から交配されました。

7993はT ('96) 8878 S.B.C. "Newark "とT ('96) 21695 B.C.H. "Little Egypt." から交配されました。

8036はK(*97)2 I B.C.C.とK('97)19 B.H.との間に交配されたもので、K19は500マイルのグランドチャレンジレースを制しました。1898. また、1898年のメトロポリタン・コンコース・アソシエーション・レースの500マイル、1268.56ヤード、456羽が出場してファースト・オナーに輝いた。

K41は、モートンの有名なイースト・ニューアーク系統の19251アッシュCと5241アッシュHから生まれました。K42は、500マイルを3回達成したスレートCと "リトル・マギー "から生まれました。

7996は、T('96)8604 B.C.から交配された。200マイル、T('96)8630 B.C.H.から交配されました。8024はT ('96) 8677 B.C.C.から交配されたもので、T.フレッド・ゴールドマンが交配したものです。

8024は、ニューヨーク州ブルックリンで、輸入デルモットCと「ネッドR」の娘から交配されたT ('96) 8650 B.C.H.と、ゴールドマンが輸入ヴァンクッツェムCと輸入プレティンクス・ヘンから交配したT ('96) 8677 B.C.C.から交配されました。

K ('97) 39 は、"Admiral"(500 マイルを 2 回)と "One Eye"(500 マイル)から交配されました。

21658 は、"ダンディジム"("トレントン "の兄弟である "サーバー "の息子)と、"トレントン "の孫娘である "レディセントクレア "との間に交配されました。

21664は "Noah "とR.C.H. "Little Maggie "から交配されました。8604は同日500マイルの "サクソンG "の孫、"ブラックベル "から交配されました。8620は "Saxson G. 2nd "と輸入された1047 B.H.から交配されました。

 『THE OPEL BIRDS』P18  A.S.Johnstone  2021年8月9日(月) 3:58 修正
オファーマンCと、反対側に27.50ドルしたプレティンクスHがあります。

21562は「サーバー」の息子と「トレントン」の娘から交配されたもので、輸入されたビスマルクの「」とメイトから459はムーンライトの系統でした。

8878は「トレントン」と「ブライト・アイ」から交配されました。

21965は「ノア」と「リトル・マギー」から交配された。

K 21は "Admiral", 500 miles twice (from "Professor" and "Little May") and "One Eye", - (from "Florine" and "Little Cuba. )

K 19は輸入されたVan Cutsem C.と向こうで27.50ドルもしたPletinck H.を交配したものです。

DAM of Reference F and G-PB ( 09) 7 140 B.C.H., bred by P. A. Bland,. Baltimore, Md. 7140は、TY ('O7) 5705 Blk.C.C. "Colonel Mt.Airy "から交配されたもので、同日に500マイル。I 169.12ヤード、PF ( 03 ) 91 7 B.C.H. 。"Lady Teiman"、同日500マイル。

5705は、NA ( 98 ) 7996 B.C.C., "Colonel "とTC ( 02 ) 31977 Blk. C.H., Black Lizzie」です。

917は、R ('01) 33515 Blk.C.Whft.C.から交配され、NO ('99) 896 Blk. C.H., Feiman Hen," 同日500マイル、Go.ldman系統。

7996は、T ('76) 8604 B.C.C.とT j'96) 8630 B.C.H.から交配されたもので、3 1977は、NA ('98) 8027 Blk. C.C. "Black Hilf "とNA ('98J 8026 Blk.C. Spl.H. "Splash Hen.")から交配されました。

33515は、NA(98)8027 Blk.C.C. "Black Hill "とNA(98)8026 Blk.C.Spl.H., "Splash Hen "から交配されました。

8604は、"Saxson G "と "Black Belle "の孫から交配されました。

8630は "Saxson G, 2nd "と1047 B.H.から、8027はT(96j 217?8 R.C.C.とK(97)7032 B.C.Spl.H.から、8026はT(96)21649 B.C.C.と.K('97)20 B.C.H.から、21738は "MeekinJ 500マイルを2回、"Base Ball. "から交配されました。

7032は "Gov.Hill "から500マイルを4回、輸入されたP.デイリス・ヘンを交配しました。' Gov.Hill "はF.P.Pepinが所有していました。N.J.のエリザベスが所有していたもので、この国で最も優れたストックバードの一つとされています。

21649は、"Thurber*"の息子と "Paint Pot "の雌鳥から生まれました。「ペイントポットは有名なWhitleyの鳩です。

K 20は "Noah "と "Little Maggie "の交配種。リファレンスFとGの血を引く鳥は、1898年以来、ボルチモアのレース鳩の歴史の中で大きな役割を果たしてきた。

■基礎種鳩H-1■【AU 18 D 1986 ブルー・チェック・コック】 未調教 SA (' 10) 30680 R.C.C. (基礎種鳩Bの種牡鳩)と AU 16 B 2349 B.C.H. (基礎種鳩AとFから交配されたパフォーマンス・バードNo.3)から Mr.J.L.Opel によって繁殖された。

1986 は AU 19 O 7772 B.C.C. の兄弟で、2nd diploma MCCA., 100 nniles, 1920, 1322.66 yards, 1775羽, 96 lofts. また、AU 18 D 1867 B.C.C.の兄弟で、500マイルを3回、600マイルを1回達成。クラブ」で2位、「MCCA」で15位の成績を収め、400マイルを達成。1920年、1038.96ヤード。988 羽、85 ロフト:第 4 回ディプロマ・クラブ、400 マイル。1921年、774.74ヤード、178羽、18ロフト。

 『THE OPEL BIRDS』P19  A.S.Johnstone  2021年8月9日(月) 4:09 修正
■基礎種鳩H-2■【AU I 8 D 1989 Blue Hen】, untrained, Mr. J. L OpelがMessrs. Hiller & Brewer.によって繁殖されたAU I 3 14217 B.C.C.から繁殖されたもので、基礎種鳩Iのサイヤーである【AU 6069 B.C.C.】の全弟。 1989年のDAMは、A. S. JohnstoneがR ( 01) 2146 B.C.C.から繁殖された【AU 15 1953 B.C.H. ハード・キャッシュ】と基礎種鳩Aの【OLD SLATE】の全妹であるAU 14 28458 B.C.H.です。Hard Cash "の詳細については、基礎種鳩Eの種牡鳩を参照してください。

1989年はAU 17 G I 847 B.C.H.(4th diploma Club, 27th dipioma MCCA., 200 miles, 1918, 1331.30 yards, 3477 birds, 187 lofts)の妹です。AU 17 G I 848 B.C.(2nd ディプロマ・クラブ、400マイル)の姉妹でもある。672.74ヤード、166羽。I 8 ロフト、第 2 回ディプロマ・クラブ、第 20 回ディプロマ・MCCA、500 マイル。1918年、850.54ヤード、1681羽。175ロフト

■基礎種鳩 I■【 MCCA 21 6460 ブルー・ヘン】(Messrs Hiller & Brewer, Baltimore, Md.)が作出。若くしてJ.L.Opel氏に贈呈されました。

100マイル、200マイル、300マイル、500マイルを走破。SIRE-AU 15 6069 B.C.C.はヤングバードとして200マイルを飛び、1916年と1917年には500マイルを同日に飛び、1916年には400マイルで4位、1917年には500マイルで2位のディプロマを獲得したが、同日に帰ってきたのは5羽だけであった。ヒラー&ブリューワーの600マイルの同一日の鳥の種親であり、数人の優勝者の種親でもある。

6069は、PB ( 09 ) 7 103 B.C.C. (P. A. Bland, Arlington, Md.)から交配されたもので、ヤングバードとして200マイル飛行しました。

7 103はEZ ('06)677 I B.から交配された。7 103はEZ ('06)677 I B. C., "Colonel Arlington/" ヤングバードとして150マイル飛行し、PF ('03)917 B. C. H., Lady Teimman/' 500マイル飛行しました。

240はEZ(06)12606 B. C.とPB('09)65674 B. C. Spl.H.から交配された677 Iは、NA('98)7996 B. C. C. "Colonel "のヤングバードとしての150マイルと、TC ( 02) 3 1977 Blk. C. H. "Black Lizzie "から生まれたもので、500マイル飛んだ。

917は、R j'OI) 33515 B恨.C. Whft.C.から交配されました。C.とNO('99)896 Blk.C.H. "Teiman Hen "から交配されたゴールドマン系で、同日に500マイル飛行しました。

12606 は GA ('01) 45653 Slate C. C., "Augusta" から交配されたもので、500 マイルを 2 回飛行し、NH ('1900) 32037, "Miss Jennings/" W. Jennings によって交配されたもので、500 マイルを飛行しました。

65674 は BY ('05) 42273 B. C. C. から交配されたもので、BY 52320 Blk. C. Whft. 7996はT ('96) 8604 B. C. から交配されたもので、200マイル飛行し、T 8630 B. C. H. から交配されたものです。

31977は、NA('98)8027 Blk.C.から交配されました。C.C. "ブラック・ヒル "とNA 8026 Blk. Spl. H., 33515はNA 8027 Blk. C.C. "ブラック・ヒル "とNA 8026 Blk. C. Spl. H., "Splash Hen." から生まれました。

45653 は NA ('98) 12083 と NO ('99) 46825 から交配されました。

32037 は、Baker C. (両親は E. F. Baker, Baltimore, Md. によって輸入されました)と Blue Hen (W. Jennings のチャンピオン 500 マイル・ヤングバードの妹)から交配されました。


 『THE OPEL BIRDS』P20    A.S.Johnstone  2021年8月9日(月) 4:25 修正
43373 は GA ( 01 ) I 5984 から交配されたもので、同じ日に 500 マイル、HC 108. 同じ日に500マイル、1010.42ヤード。

52320は "Lawnmower "とGrandmotherから交配されました。8604は「サクソンG」の孫から交配されたもので、同日500マイル、「ブラックベル」。8630はSaxon G. 2ndと1047 B. H.から交配されたもので、輸入されたOfferman C.と向こうで27.50ドルしたPletinckx H.から交配されたものです。

8027はT ( 96 ) 21738 R.C.C.とK ( 97 ) 7032 B.C.Spl.H.から交配されたもので、8026はT 2 1649 B.C.C.とK ( 97 ) 20 8. C. H. I 2083はF ('95) 524とF 526から交配されました。

46825は、K J 97)5433とT(96)29892から交配された。

15984はNA ( 98 ) 8027 Blk.から交配。C.C.「ブラック・ヒル」とNA 8026 Blk. Spl.H.「スプラッシュ・ヘン」。

108は、NA 7993 B. C. C.から交配されました。"Goner "とNA8036 B. C. H. "My May." を交配。''Lawnmower''はNA 8027 Blk.C.から交配された。

C. C. "Black Hill "とNA 8026 Blk. C. Spl. H. スプラッシュ・ヘン」です。Grandmother」はK 5443とT 29892から交配されました。基礎種鳩 I の DAM は AU I 7 G I 864 B. C. H. で、J. L. Opel によって繁殖され、500 マイルを 2 回飛行した後、1c Hiller & Brewer に贈呈されました。1864はパフォーマンスバードNo.I I.と記載されており、リファレンスBとCから交配されました。

■基礎種鳩J■【AU 22 E 2258 Red Check Hen】, pure Logan.
■基礎種鳩K.■【AU 22 E 2259 レッド・チェック・コック】、純粋なローガン種。

2258と2259は兄弟姉妹で、1922年にカイロ州ルイビルのチャールズ・ハイツマン氏から若くして購入したものです。

基礎種鳩Jは、1930年にA.S.ジョンストンがオペル氏に贈呈したものです。SIRE-NURP 631 R.C.C. ヤングバードとして128マイル飛行しました。イギリスで開催されたショーのベスト・バードで1位と特別賞を受賞。

J.W.ローガンの "1445 "R.C.C.とJ.W.ローガンの "1370 B.C.H.(わずかなフリル) "を交配したもので、1914年に2度海峡を渡り、1917年にはスコッチロードで260マイル飛行しました。

【1445】"は1914年にポンズで485マイル飛んだ "I 106 "B.C.C.から交配されたもので、"I 158 "B.C.Pd. H.t.は1912年に海峡を渡り、大成功を収めました。

【1370】"は1913年にレンヌで優勝した11197'B.C.C.から交配されたものです。【1106】"は "1033"("1150 "の兄弟)から交配され,"1158 "は "1019 "と "1021"("1150 "の姉妹)から交配されました。

【1197】はシェルドンのミーリーヘンの息子「9727」と "504 "から交配されました。(28とBから) "1128 "は "831 "と,"8O3 "から交配された。

基礎種鳩JとKのDAMは、ハイツマンが繁殖した純粋なローガンのAU 2 I 2 105 B. C. H.でした

 『THE OPEL BIRDS』P21      A.S.Johnstone  2021年8月9日(月) 4:32 修正
2105は、I st Staffordと4th Stockport Fed.の勝者の種牡鳩であるJ.W.Loganが交配した「114」B.C.C.と、J.V/が交配した「62」B.C.H.から交配されましたローガンです。

「114」は、1917年に268マイル飛行した "1559 "B.C.C.と、1917年に85マイル飛行した "1631 "B.C.Pd.H.から交配されました。H.から生まれたもので、1917年には85マイル飛行しました。

「1559 "は "1029 "R.C.C.から交配されたもので、1913年にセント・マレンヌで467マイルの勝利を収めました。

1913年、"1117" B. C. Whft. H.は1913年にマレンヌを飛行しました。「1631 」は "1355"B.C.C.から生まれたもので、1914年に2回チャンネルを通過し、1917年と1918年に270マイルを飛んだほか、640マイルを飛んだ "1303 "B.C.H.があります。

「1853」は、"1150 "のBlk. C.Whft. 1912年にチャンネルを3回通過し、1913年には3rd Marennesj 467マイルを制しました。"1640 "は "1192 "と "11508 "から生まれたB.C.H. "1840 "は、"1639 "B.C.C.、("1133 "と "11226 "と "1611 "からの繁殖で、Drk. C. Pd. H.は、1920年にMr.Loganのために467マイルのMarennesで2位を獲得しました。

■基礎種鳩 L.■【N ('20) 5875 ブルー・チェック・ヘン】は、ワシントンD.C.のA.S.ジョンストンが繁殖し、飛行させたものですが、同じ日に1回、翌朝に600マイルを2回飛行させました。

彼女はジョンストンが繁殖し、ワシントンD.C.のH.D.コペンハーゲンが飛行させたIF 23 430 B.C.C.のダムでした。

430は1925年のチャタヌガ・ナショナル・レースで全区間3位、1927年のチャタヌガ・ナショナル・レースで全区間1位を獲得しました。

2252は、イギリス・ノリッチのブロークンクロスに住むS.P.グリフィス氏が交配したRP 14 465 B.C.と、イギリス・ポーツマスのG.W.スカダン氏が交配したHP 12 802 B.C.H.から生まれました。

465 は RFV 10 5871 B.C.C. から生まれ、ナントで 2 位、レンヌで 1 等賞、2542 B.P.H. を獲得しました。5871は、マレンヌで活躍した5456(デルモット!)と4363から生まれました。

2542はグリフィスの有名な "A Cocq. "から交配されました。B. C. Whft. C.と565のB.C.Whft. H. I I (2) は "Old Jansen" を交配したもので、ウェッゲから直接購入し、400マイルを飛行しました。

5986 はミーリー・ギッツから生まれ、「ドランド」の種牡鳩であり、ミランデを2回飛行し、クリンのウェッゲ・ペアの娘です。

5456 は、ブルー・デルモットのペアから生まれました。4563は、マレンヌを2回飛んだ39 I 5と、純粋なデルモットの4167から生まれました。565はナントに飛来した963 R.C.C.とB.C.Pd.から交配されました。H., 6th Bordeaux, 590 miles. 5875のDAMはAU 16 D 3055 B.C.H.で、Mr.Dismer, Washington氏が繁殖した AU 16 D 3055 B. C. H. です。

(つづく)

 『THE OPEL BIRDS』P22  A.S.Johnstone    2021年8月10日(火) 5:34 修正
3055は、ディスマーが交配した12-1092 B.C.C.と、ミズーリ州ボルチモアのW.W.ホワイト・ジュニア博士が交配したAU II A 638 B.H.を交配しました。

1092は、イギリス・ブラックプールのトム・テイラーが交配したHP 09 TA 154 R. C. C.(純デレズ)と、トム・テイラーが交配したHP '09 TA 209 B. C. H.(純ギッツ)から交配されました。

638は、テイラーが交配したHP '03 33 B.C.と、テイラーが交配したH. P. 08 I I B.H.から交配されました。

154は、トム・テイラーの有名なデフレズペア、No.14 R. C. C.「ジュピター」とNo.8 B. C. H.「ヴィーナス」から交配されたもので、いずれもMons.デレズが交配したものです。デレズ。

209はトム・テイラーの古いNo.11Iギッツ・ペアから生まれたもので、'05年SB 71 G B. C. "First Aid "と'06年HP 3902 B. C. H.の妹である "Aye Aye "と "Farewell "は、ボルドー発594マイルのナショナルレースで1着と2着になっています。

33はテイラーのバーカー・ペアから生まれたHDG 38 "The Old 151 B "で、1st Ripon. ニューキャッスル4位、バーウィック1位、HP'07 589 B. C. Pd.

H.は、当時最も価値のあるバーカー雌鶏のひとつです。

111は、テイラーの古いNo.9ギッツのペア、'03 SB 10 Mealy C.と'03 SB 23 B.H.から交配されたもので、Mealy Hen "Loraine "の両親です。3902はトム・テイラーのオールドNo.10ギッツのペアから。2004年のS 19 B. C.と1904年の522 B. C. H.は、Cとクイーンの血を引いています。オールドNo.10のペアはMons.Gitraからの直系です。

■基礎種鳩 M■【IF 23 CCC 472 レッド・チェック・コック】 A・S・ジョンストン氏が繁殖し、ミスターJ・L・オペル(ボルチモア、ミズーリ州)に贈呈されました。

SIRE-RP I 3 4685 B.C.C. 英国ノースウィッチ、ブロークンクロスのS.P.グリフィス氏から輸入されたもの。Mr. Charles Hub, Philadelphia,Pa. これはハブの有名なグリフィス・ペアのコックであり、後に古い仲間とともにA・S・ジョンストンに贈呈された。

4685はGriffithsのために178マイルを飛び、RPX '10 2856 B.C.C.とRPX '04 8955 B.C.H.から交配されたもので、1455は1914年グレート・ノーザンの3羽目、4093は1914年マレンヌの4羽目を産みました。

2856は、14th Great Northernを制したMarennes所属のRP 15151 "Old Mealy. "と、B. C. Whft.所属のRP 462から生まれました。

H.はヤングバードとしてバース、グランビル、チェルトナムに出走。

8955は1900 N 206 Blue C.から交配されました。8955は、ラーウィックで活躍した1900年のN 206 Blue C. 'Pickering's Edw.VII'と、バーウィックで2位になりサーソで活躍した1899年のGHS 263 B. C. H. 'Royal Gem'から生まれました。408マイル。472のDAM、基礎種鳩Mは基礎種鳩J、2258 R.C.ローガンH。

■基礎種鳩 N■【MCCA 24 3097 B. C.C】.は未調教で、基礎鳩AとIからJ.L.Opel氏が繁殖しました。

■基礎種鳩 O■【IF 24 C 9292 B. C.C】は、A. S. ジョンストンによって繁殖され、J. L. オペル氏に若鳩として贈呈されました。9292 は基礎種鳩K と L から交配されました。


 『THE OPEL BIRDS』P23    A.S.Johnstone    2021年8月10日(火) 5:46 修正
■基礎種鳩P■ 【QC 24 C 4516 ブルーチェックヘン】、チャールズ・ハブ氏作出。フィラデルフィア Pa. 4516はA.S.ジョンストンに贈呈され、ハブ氏の許可を得てJ.L.オペル氏に贈呈されました。

種牡鳩- QCCA A 808 B. C. C.は、1921年のクエーカー・シティ・コンコース300マイル・ヤングバード・フューチュリティレースで優勝しました。808は、QCCA P 397 B、C、・I st Quaker City Concourse 300 mile Young Bird Futurity Race 1919とQCCA L 277 B. C. H.から交配され、I st Quaker City Concourseでヤングバードとして150マイル、同日に500マイル、600マイル飛行して優勝しました。

5693はヤングバードとしては未調教でしたが、1916年にハブ氏が3回目の400マイルを達成した後、1917年にI st Club, 2nd Concourse 400マイルで74羽、74ロフトで優勝しましたが、最初の500マイルは午後5時53分でした。彼はR 2234(R 2249の姪で、Reference,D, "Wild Slate "のダム)を5:58:29で計時し、第7コンコース、I 273羽を獲得した;500マイルのスポーティングレースでR 5693を戻した。R 5693を500マイルのスポーツレースに出走させ、1羽1ドルで、104羽、41ロフト、5時56分30秒に優勝しました。

R 5693は、300マイルのQCCAヤングバードフューチュリティで1918年に1位、1919年に1位を獲得した2頭のダムで、それぞれ異なる鶏と交配されました。彼女は、1921年にQCCA Young Bird Futurityで300マイルを獲得したI stの孫にあたります。R 5693は、S.P.グリフィスが交配したRP 14 565 B.C.とHP 12 802 B.C.H.から交配されたもので、このペアについては参考文献のSire of Reference Lに詳細が記載されています。

Reference Q. IF 28 C 87 I 3 Red C. C.. bred by A. S. Johnstone from Reference K and L. Presented to Mr. J. L. Opel.
■基礎種鳩Q■【IF 28 C 87 I 3 レッド C. C.】 A. S. ジョンストンが基礎種鳩KとLから繁殖したもので、Mr.J. L. オペルに贈呈されました。
Reference R. MCCA 27 3300 Blue Check Hen, bred by Mr. J. L. Opel from Reference A and I. Flown 500 miles twice, a winner 2nd money twice in Social Club 200 mile Special Races. 1927. ,
■基礎種鳩R■【 MCCA 27 3300 ブルー・チェック・ヘン】(Mr.J.L.OpelがReference AとIから交配) 500マイルを2回飛行し、ソシアル・クラブの200マイル・スペシャル・レースで2回2等賞を獲得。1927.
Reference S. MCCA 28 2600 Slate Cock, trained only 50 miles. Bred by Mr. Opel from Reference A and I. 2600 was the last bird bred from Reference A, "Old Slate," then twelve years old.
■基礎種鳩S■【.MCCA 28 2600スレート・コック】、わずか50マイルで調教されました。2600はリファレンスAの「オールド・スレート」(当時12歳)から繁殖された最後の1羽です。

Reference T. IF 29 D No. 20 Blue Check Hen.
■基礎種鳩T■【IF 29 D No.20 ブルーチェックヘン】。
Reference U. IF 29 WDC 887 Blue Check Hen. Reference T and U were sisters, both unflown. Bred by A. S. Johnstone and presented to Mr. J. L. Opel. SIRE—QCCA P 2206 B. C. C., bred by Mr. Charles Hub, Philadelphia, Pa. Presented to A. S. Johnstone as a youngster,
■基礎種鳩U■【IF 29 WDC 887 ブルーチェックヘン】。リファレンスTとUは姉妹で、どちらも未飛来。

A. S. Johnstoneによって繁殖され、J. L. Opel氏に贈呈されました。SIRE-QCCA P 2206 B. C. C.は、パ州フィラデルフィアのチャールズ・ハブ氏が繁殖したものです。A. S. Johnstone氏に若葉の頃に贈呈。

 『THE OPEL BIRDS』P24      A.S.Johnstone    2021年8月10日(火) 5:55 修正
依頼を受けてハブさんに返却しました。暫く飼育した後 P 2206はジョンストンに返却されました。P2206はレースに出ることはありませんでしたが、偉大な生産者であることを証明し、他にも多くの種を残しました。

QCCA O 7202 B. C. H. は、ヤングバードとして300マイル、1923年には500マイルを飛行しました。1924年にはフィラデルフィア・チャンピオンシップ・クラブの500マイルレースに出場しました。5月24日のレースではデイバードは出ませんでしたが、6月21日のレースでは7202が4:36:52 P.M.で1位を記録しました。ハブ氏はこのレースで1位、2位、3位を獲得し、チャンピオンシップ・クラブのアベレージ・スピードを獲得しました。7202のダムはQCCA R 5693 B.C.H._で、Reference L.の種牡馬の妹であり、ハブ氏の500マイルのスポーツレースの勝者でした。

P2206はハブ氏の "Lady Huqhes "の兄弟でした。1916年のクエーカー・シティ・コンコース500マイルレースで1着、1918年のクエーカー・シティ・コンコース500マイルレースで2着になった馬の兄弟でもあり、大ヒットとなりました。P2206は、イギリスのノースウィッチにあるブロークン・クロスのS・P・グリフィス氏が交配したRP I 3 4685 B. C. C.を78マイル飛行させたものです。

イギリス、レンヌで飛行したRP I 3 515 B. C. H. から生まれました。S.P.グリフィス氏が繁殖し、飛行した358マイル。このペアはハブ氏の有名なグリフィス・ペアで、RP 14 465 B.C.とともに、わが国に送られたグリフィスの血を引く最高の種鳩であったと思われます。

4685 は RPX 10 2856 B・C・H と RPX 04 8955 B・C・H から交配されました。

2856 は 15151 "Old Mealy" と RP 462 B・C・Whft. H. 8955 は "Pickering's Edw. VII" と "Royal Gem." から交配。515はRPMD10 3828 B.C.C.とRPMD10 4100 B.C.H.から交配されたもので、459の実姉には2度のグレート・ノーザン、マレンヌがいます。1913年と1914年に優勝。

3828は9046と1710から交配されたもので、有名な515 HenとMoss Cockの血を引いています。4100 は 580 と 369 のブルー・コックとオールド・クレイ・ヘンとの間に生まれました。

基礎種鳩TとUのDAMは、IF 26 WDC 2081 B.C.H.で、J.H.ホルミード氏からA.S.ジョンストン氏に贈られました。2081 は、S. P. Griffiths 氏が繁殖した NURP Z 3481 B. C. と、ラッシュデンの Charles Clark 氏が繁殖した NURP 22 CC 2001 B. C. H. から交配されたもので、607 "Premier" と、グレート・ノーザン・ウィナーを 2 回受賞した Griffiths 氏の 459 の娘である I486 から生まれました。3481と2001は、J.H.ホルミードがS.P.グリフィスから輸入したものです。

Reference V-1. IF 31 WIL 690 Blue Check Cock, bred by Earl M. Henderer, Wilmington. Del. Presented to Mr. J. L. Opel. The original pedigree shows the parents of 690 were bred by Mr. Lewis F. Curtis, the Sire of Stassart and Bastin blood, the Dam of Bastin blood.

■基礎種鳩V-1■【IF 31 WIL 690 ブルー・チェック・コック】、Earl M. Henderer, Wilmington, Bred. Del. J. L. Opel氏に贈呈されました。オリジナルの血統書によると、690の両親は、スタッサールとバスティンの血を引く種牡鳩であるルイス・F・カーチス氏が繁殖したものです。
Reference V-2. MCH 32 1557 B. C. H., bred by Earl M. Henderer. Wilmington, Del. Presented to Mr. J. L. Opel. The original Henderer pedigree shows the Sire of 1557 as being bred by Mr. Lewis F. Curtis from an imported Havenith pair, the Dam of 1557 being bred by Mr. Curtis from an imported Vandevelde pair. Reference V-l and V-2 bred some good pigeons, and this blood, crossed with Mr. Opel's own birds, bred good pigeons.
■基礎種鳩V-2■【MCH 32 1557 B.C.H】. Earl M. Henderer 氏が繁殖したもの。デル州ウィルミントン J.L.Opel氏に贈呈されました。

オリジナルのヘンダーラーの血統書によると、1557 の種牡鳩は輸入されたハベニスのペアからルイス・F・カーティス氏が繁殖したもので、1557 の種牝鳩は輸入されたヴァンデヴェルデのペアからカーティス氏が繁殖したものです。リファレンスV-lとV-2は良い鳩を産んでおり、この血をMr.Opel自身の鳥と交配すると良い鳩が産まれました。


 『THE OPEL BIRDS』P25        A.S.Johnstone    2021年8月10日(火) 6:18 修正
■基礎種鳩W■【W. IF 3 I WDC 3489 B. C. Whft. C.】】 は、A. S. Johnstone によって繁殖され、J. L. Opel 氏に贈呈されました。

2206は基礎種鳩 TとUの種牡鳩で、詳細は基礎種鳩 TとUを参照してください。

3489 の DAM は 【IF 29 WDC 641 B.C.H】で、J.H.ホルミード氏から A.S.ジョンストン氏に贈られました。

641 は、S. P. Griffiths が繁殖した【NURP 21 L 3241 B.C.C】. と、Rushden の Charles Clark が繁殖した 【NURP 20 CC 2001 B.C.H】. を交配しました。

3241 は、1920 年のグレート・ノーザン第 1 戦を制した RP 18 G 1093 B. C. C.と、1913 年と 1914 年にグレート・ノーザンを 2 回制した RP 08 459 B. C. H.を交配しました。

2001は、1戦1勝の607 "Premier "と、S.P.グリフィスが6979と459から交配したグレート・ノーザン2勝の* I486から交配されました。

■基礎種鳩X■【 MCCA 29 43 I Slate C. H.】 は、J.L.オペル氏が基礎種鳩S. "OLD SLATE "の最後の息子とパフォーマンス49 "Pride of Baltimore "を交配したものです。
Reference Y. MCCA 35 38 14 Drk. C. Hen, bred by Mr. J. L. Opel from Reference Q and R, and is sister to 5770 R. C. C., Performance 85.

■基礎種鳩Y■【MCCA 35 38 14 Drk. 】基礎種鳩スQとRからJ.L.Opel氏によって繁殖されたC.ヘンで、パフォーマンス85の5770 R. C. C.の姉妹です。


■基礎種鳩Z■【MCCA 37 10001 ブルー・コック、「ジョーンズ・コック」】、ミスターL.K.ジョーンズ(ミズーリ州ボルチモア)が繁殖したもの。

若くしてJ.L.Opel氏に献上。500マイルを10回、600マイルを1回、700マイルを2回飛行し、以下の順位を獲得。第40回ディプロマ500マイルMCCAレギュラーレース。1939年、1244.58ヤード、3138羽、204ロフト;1940年、1026.14ヤード、76羽、14ロフト;1940年、700マイルのMCCAレースで優勝。76羽、14ロフト; 3位 700マイルMCCAレース、1941年、759.08ヤード、44羽、8ロフト。700マイルで優勝した8452 B.C.H.、500マイルで3つのディプロマを獲得した9116 B.C.H.、9117 R.C.C.、749 R.C.C.の種牡鳩となる。

SIRE- MCCA 30 5443 B.C.Whft.C. は、5444 の近親兄弟で、ジョーンズ氏のクリッパークラブで 300 マイルと 400 マイルのレースに勝ちました。5443 は MCCA 29 3513 Blk.C. と交配しました。5443 は MCCA 29 3513 Blk.C.から交配されたもので、彼の姪はヤングバードとして 300 マイルで 2 位を獲得し、MCCA 28 964 B.C.H. はクラブで 1 位、MCCA 400 マイルで 2 位を獲得しました。

351 3 は、【MCCA 24 7082 Blk. 964】 と 【AU 22 AFC 897 B.C.Whft.C. 】から交配されたもので、827 R.C.C. (3684 "The Shamir Cock" の血統書を参照)の兄弟であり、ICC 2 I 1064 B.C.H. は 300 マイル飛行したもので、Baltimian の Joe Kotmair によって交配されました。

7082はMCCA 21 9154、ハンセンヌ、GTN 20 I 152から交配されました。Hansenne-Soffle. 2041 は以下から交配されました。
【MCCA 3 17 Blk.C.C.】 と 【ICC 21 1064 B.C.H., 】Soffle-Black Hi 11-Barker, 897 は W. A. Hersey が作出した N 43 Mealy C・と AU 16 A 6262 B.C.Whft.H. から交配されたもので、500マイル飛んだ。

1064 は LM 27544 Soffle-Black Hill と QCCA 4956 B.C.H., Barker から交配されました。

DAM-MCCA 28 940 B.C.H.は、L.K.ジョーンズによって繁殖されました。姉の2018は300マイルのチャンピオンシップレースで4勝目を挙げ、別の姉の966はクラブ2位、MCCA300マイル6位、別の姉の9439はジョーンズの600マイルでクラブ1位、MCCA9位を獲得しています。940はMCCA22 4506 B.C.Whft.C.(400マイル飛行)とMCCA24 1391 B.C.H.(400マイル飛行)から生まれました。4506は、300マイルで2位になったB 33287 B.C.C.と、ジョー・コトメアが交配したICC 21 1064 B.C.H.から生まれました。

 『THE OPEL BIRDS』P26          A.S.Johnstone    2021年8月10日(火) 6:23 修正
DAM-MCCA 28 940 B.C.H.は、L.K.ジョーンズによって繁殖されました。姉の2018は300マイルのチャンピオンシップレースで4勝目を挙げ、別の姉の966はクラブ2位、MCCA300マイル6位、別の姉の9439はジョーンズの600マイルでクラブ1位、MCCA9位を獲得しています。940はMCCA22 4506 B.C.Whft.C.(400マイル飛行)とMCCA24 1391 B.C.H.(400マイル飛行)から生まれました。4506は、300マイルで2位になったB 33287 B.C.C.と、ジョー・コトメアが交配したICC 21 1064 B.C.H.から生まれました。
P26
1391 は MCCA 23 2797 Blk.C.C. と HP 14707 B.C.H.から交配されました。33287 は SA 57109, Colonel-Black Hill-Denver と PGF 25, Trenton-Chester から交配されました。

1064 は LM 27544 Blk.C.C., Soffle-Black Hill, と QCCA 4956 B.C.H., Barker から交配されました。2797 は MCCA 9808(Faultless blood)と IF 22 GNY 233(Hansenne)から交配されました。17407 は LB 7553, Colonel-Torrent, と US 32629 から交配されました。Faultlessの血を引いています。


 『THE OPEL BIRDS』P27      ■BREEDING CHART(交配チャート)■       A.S.Johnstone    2021年8月10日(火) 10:45 修正
―典型的なオペルの交配(成功した例)―

XXと表示されている鳥の系図は、106本の線または枝を辿ると106系統の枝がブルー・ローガン・ヘンの "ダッチェス "へと続きます。

ブルー・チェック・ローガン・コック "Beau Brummel "に53の系統または枝。

赤チェックのローガン・コック "A.O.B. "への43の線または枝

青いチェックのローガン・ヘン「フラウ・フラウ」に43ラインまたはブランチ。

(ACTU終了)



 TOKYO2020 侍ジャパン悲願の金メダル!やりました!!  イレブン  2021年8月8日(日) 4:18
修正
昨夜は、家族そろってテレビの前に釘付けでした。野球決勝戦、侍ジャパンVSアメリカ、悲願の金メダル!!

TOKYO2020のハイライトの一つでしょうね。

1871年(明治4年)に米国から日本に初めて「Baseball(ベースボール)」が伝わり、丁度150年後にオリンピックの場で金メダルをとることが出来たことに、感慨深いものを感じました。

侍ジャパン、万歳!! 

コロナ禍の中で、人々に幾度も勇気と元気を与えてくれた『TOKYO2020』も今日でいよいよ閉会式です。あっという間の17日間でした。 

 TOKYO2020 閉会式 『何もしなければ何も残らない』  イレブン  2021年8月10日(火) 4:41 修正
TOKYO2020が閉会しました。17日間という短い期間でしたが、この間、世界中で紛争や戦争も中断され、オリンピックの映像が世界中に流れました。

大会組織委員会の武藤事務総長の「大きな観点ではコロナ対策は機能したと思う。世界的なイベントを開催したという事実は大きく一つのレガシーだと思う」という発言にイレブンも共感しています。

閉会式で、世界中のアスリートが笑顔で集っている姿を見て、人類の可能性を実感しました。いつの時代にか、本当に紛争や戦争がない地球になることが出来るのではないか、そんな思いになれました。

昨日、テレビを見ていて、コメンテーターの方がオリンピック中止論を盛んに喧伝していた朝日新聞に対して、『何もしなければ何も残らない』という痛烈なコメントを述べていました。これが、TOKYO2020の数々の映像を通して、毎日毎日、勇気と元気をもらった多くの国民の素朴な実感ではないかと思います。

アスリートを含む全ての大会関係者の皆様に心から感謝したいと思います。

TOKYO2020『ARIGATO』!!

 □  イレブン  2021年8月10日(火) 4:59 修正
・・

 ■源流系 キープセークライン2021年作出鳩■  イレブン  2021年8月7日(土) 8:38
修正
『OPEL BOOK 2020』連載を再開していますが、今年はオペル系キープセーク号のラインの作出鳩が生まれています。J.Louis.Opel没後60年経った今も、オペル系の特徴を色濃く残した鳩たちが誕生しています。

 ■  イレブン  2021年8月7日(土) 9:02 修正

 《系統研究》【OPEL BOOK 2020】008 《 第2章 原本『THE OPEL BIRDS』by A.S.Johnstoneの解読》○全文復刻引用資料『THE OPEL BIRDS』(表紙+P1〜P11より引用》  イレブン  2021年8月5日(木) 15:32
修正























□THE OPEL BIRDS□
繰り返し勝利を再生産するレース鳩のファミリーの系譜と詳細な性能

by A.S.Johnstone

 第2章 原本『THE OPEL BIRDS』by A.S.Johnstoneの解読》を始めるに当たって  イレブン  2021年8月5日(木) 15:57 修正
「オペルブック」の原本『THE OPEL BIRDS』by A.S.Johnstoneの解読を始めます。

A.S.Johnstoneがまとめた『THE OPEL BIRDS』については、今や、幻の本といっても過言ではないでしょう。世界中の古本屋にもどこにもこの本は存在していません。ネットでの調査では、アメリカの大学の図書館に1冊だけ保管されているようです。

実は、イレブンは中学生の時、この『オペルブック』(日本オペル系研究会刊の『THE OPEL BIRDS』のこと)を購入して持っていたのですが、友人が貸して欲しいと言われて貸したのを最後に手元の戻ってこなかった苦い思い出があります。

現在、我が国でこの本を所蔵されている方も、極めて少ないだろうと思われます。

昨年、この《系統研究》【OPEL BOOK 2020】の連載を始めたとき、掲示板をご覧の方から、ご自身の研究資料としてこれまで大切に保管されていた「オペルブック」及びそれに関する資料を送っていただき、久々に目を通すことが出来ました。

原本『THE OPEL BIRDS』の内容は、何か理論的なことが述べられているわけではなく、オペル鳩舎の歴代の種鳩や代表的な活躍鳩の画像等が整理されている内容です。しかし、そのデータの底には、一切の商業ベースを廃した正確な記録が見事に編集されており、半世紀に及ぶオペル系の形成の歴史が記されています。一鳩舎の半世紀近い記録が一切の虚飾もなく整然と整理されているところにこの『THE OPEL BIRDS』の歴史的な稀少価値があるとイレブンは思っています。

オペル系は、J.Louis.Opelが没して60年経った今も、その強い遺伝力を残しながら生き続けています。その秘密を探ることが出来る唯一の貴重な資料がこの A.S.Johnstone著の『THE OPEL BIRDS』です。その全貌がこの「スネークパパの掲示板」で明らかなってくると思います。

原本の画像と翻訳ソフトによる翻訳文を掲載して、イレブン自身の研究の資料としていく考えです。興味がある方だけご覧いただければ思っています。

 ■賛辞■  A.S.Johnstone  2021年8月5日(木) 16:08 修正
偉大な人物であり、偉大な愛好家であったJ.ルイ・オペル氏に。
その品位と誠実さは、日常の出来事ではありません。
ハプニングです。
また、彼のハトの家族であるOpel、
また、彼の鳩の家族であるOpelBirdsにも、彼らがレース鳩の中で認定されて 今日のレース鳩の世界で、彼らが認定され、ニッチを割り当てられるように。


 ■はじめに■  A.S.Johnstone  2021年8月5日(木) 16:21 修正
この文章は、ある特定のレース用鳩のファミリーについて完全に記述したもので、おそらく、適度な収入があり、真摯な努力と献身、そして常識を備えたファンシャーが成し遂げられることの一例として役立つでしょう。

私たちは、他の偉大なファンシャーを侮辱したり、誰が優れているか、誰が悪いかなどの論争に参加しようとはしません。誰にも恨みはなく、鳥を売ることもなく、金銭的な計画も一切ありません。

使用されているデータは、卒業証書、印刷されたレースレポート、モニュメント・シティ・コンコース・アソシエーションが毎年発行しているイヤーブックと何度も照合されていますので、ここに記載されている事実に対する異議や反論を恐れることなく進めていきます。

  ■ The Founding(創生期)■  A.S.Johnstone    2021年8月5日(木) 16:36 修正
J.ルイス・オペル氏のヒルトップ・ロフトは、1910年頃、ミズーリ州ボルチモアのリーズ・ストリート3140番地に設立されました。この場所で、鳥たちは非常に順調にレースをこなし、最短距離や最長距離のレースポイント、西部や南西部のレースで、多くの好成績を収めました。

1932年には、現在の場所であるミズーリ州カトンズビルに移転しました。カトンズビルは、ボルチモア市の境界線から西に数キロメートル、フレデリック・アベニューからチェリーデールロードを南に少し行ったところです。

当時、多くのロフトがボルチモアの西地区と飛行ルート上に位置していたので、前者の方がレースには有利だった。現在、そして数年前から、モニュメンタル・シーティ・コンコース・アソシエーションに関連するロフトは、ボルチモア西部にはほとんどありません。

キャトンズビルのロフトは、飛来線のかなり北側に位置し、ドラッグからも離れています。鳥は群れをなす性質があるので、線上の適切な位置でキャトンズビルに向けて飛び立つように仕向けるのは、ほとんど不可能なことだ。

オペル氏の発言をよく耳にしますが、ほとんどの場合、私の鳥はわずかに南東から帰ってきます。帰還コースはオペルロフトから南西にあります。これは明らかに不利なレースであり、彼の鳥は、より長い距離で、より難しい日に、多かれ少なかれ自分の力を発揮するのです。

オペル氏が最初に所属したクラブはWest End Clubで、その後Irvington Clubとなり、1912年にはLiberty Clubに加入し、現在もそのメンバーとなっています。

1918年からはMonumental Ciiy Concourse Associationに所属し、同協会のOld Bird Raceを欠場したことはないと聞いている。私はここで、モニュメンタル・シティ・コンコース・アソシエーションが提供する競争以上に熱心な競争が、今日のアメリカに存在しているとは思えないと述べたいと思います。ボルチモアの愛好家たちは、警戒心が強く、勝つことに貪欲なタイプで、良い鳩を持っています。

ICO、200、300、400、500、600マイルのレースに加えて、500マイルの特別レースを3回、700マイルのレースを開催している。過去には5つの500マイル特別レースが開催されたこともある。

 □    2021年8月5日(木) 16:44 修正
完璧なレース天候のために鳥を捕獲するのではなく、一般的には、通過する可能性が半々であると考えられる場合には、指定された日に放たれる。彼らのコンボイヤーであるE.R.ホールデン氏は、自身もファンであり、長年この役割を務めており、その能力には誰もが信頼と尊敬を寄せている。

スペシャルへのエントリーは、各レース1ロフトにつき5羽までとなっており、優秀な鳥以外は送られてこないと考えてはいけません。このトロフィーを獲得した鳩は、各レースでオーナーが最初に戻ってきた鳩であったことが何度もあります。スペシャルレースでの競争は、前のレースが低速度、中速度、高速度のいずれであったか、またリターンの問題など、前のレースの性質に多少左右されます。

最初のスペシャルは一般的によく争われ、残りの2つのスペシャルも、ファンが事前に不愉快なシリーズに遭遇していない限り、よく争われます。700マイルレースは、ほとんどのファンシャーが越えようとしない障害のようだが、それでも良い鳥はこのレースにも出る。

さて、話はオペルのロフトに戻ります。オペル氏は血統にこだわりがあり、ここに掲載されているパフォーマンスバードを読めばわかるように、最後まで使い続けられる鳥に傾倒している。

彼は、新しい鳥を受け入れたり、ロフトに加えたりすることには非常に消極的で、いわば「自分で育てる」ことを好んでいるようだ。他の愛好家のロフトに良い鳩がいないわけではなく、彼にはそれが可能であり、また快く受け入れている。

ただ、彼はハトの「コレクター」ではないのだ。彼はよく観察し、所有者とその鳩との密接な関係を信じている。彼は、自分の鳥の繁殖とレースに関するすべてのことを厳密に記録しており、これにより、この記事を書くためのデータの検索が非常に簡単になりました。

オペルロフトは、2エーカーの美しい敷地の南端にある大きな納屋の2階の一角に建てられています。ロフトは南を向いていて、まだ建物が建っていない素敵な国の素晴らしい景色を眺めることができます。

ダボで仕切られた3つの大きなセクションがあり、それぞれのセクションには、鳥が自由に水浴びや水飲みができるように、水道のある鳥小屋があります。風通しは理想的で、南に3つ、東に1つの窓がありますが、安静にしている鳥はすきま風にさらされることはありません。床は砂の絨毯で覆われており、毎週ふるいにかけられ、糞が取り除かれる。

 □    2021年8月5日(木) 16:48 修正
鳩にとってはまさにパラダイスのような環境だ。日曜日はロフトへの訪問日のようで、季節の変わり目には、午後になると少年たちがルーに敬意を表して立ち寄り、鳥たちの様子をうかがっている。

あっという間に人が集まり、木陰の快適な席に移動してセッションが始まる。多くの鳩の知識が披露され、人はすぐに、自分がすべてを知っているわけではないという結論に達する。

長い付き合いのファン同士の間に存在するファ・テントの感情が表面化し、このスポーツを今日のようなものにするための、長年の楽しい付き合いを振り返ることになるのだ。

しかし、良いことは長くは続かない。あっという間に帰国の時が来て、少年たちは次の訪問が遠くないことを期待して旅立っていった。

※画像:REFERENCE L N 5875 B. C. H

 ■Description and Characteristics of the Opel Birds(オペル鳩の説明と特徴)■    2021年8月6日(金) 4:09 修正






















色は、ブルー、ブルーチェッカー、ライトレッドチェッカー、たまにシルバーがある。ブルー・チェッカーでは、プライマリー・フライトの中に、時折、1つまたは2つのホワイト・フライトが現れるが、たいていは片方のウィングにしか現れない。

実際、参考Aの「オールドスレート」の血を引く鳩は、ボルチモアやワシントン周辺では「ブルー・チェッカー」として知られていましたが、ブルーも頻繁に現れ、スレートやスレート・チェッカーもたまに見られました。

ここでは、リファレンスA「オールド・スレート」の異母姉妹と異母兄弟である2つのリファレンス・バード、CとDを取り上げますが、この3つはすべて同じ種牡鳩から繁殖されたものです。

実際、リファレンスCは、この血統で初めてオペルのロフトに導入された鳩であり、オペル氏が「オールド・スレート」を導入する前に26個のディプロマを獲得した種牡鳩でした。

リファレンスDの "ワイルドスレート "は、ダムから受け継いだ極度の野性味からその名が付けられたもので、非常に良い鳩を産んだが、ミスター・オペルは彼が自分の顔に向かって飛んでくることに耐えられなくなったため、彼の命は短かった。

次に、3羽のヒラー雌鳩、2羽のブルー、1羽のブルー・チェッカーがいたが、これらは参考鳥F、G、Iと呼ばれている。

この時点で、パフォーマンス・バード10、I863 R.C.C.は、リファレンスIのダムの同居人であり、いくつかの異なる鳩で優れた種牡鳩であることを証明しました。

他の多くの優秀な鳩の場合と同様に、彼の子孫のすべてがパフォーマンスバードに掲載されているわけではありませんが、私たちの方針として、現在のオペルのロフトの住人に関係のある鳩に限定して説明しています。

3羽のヒラー・ヘンは、リファレンスAの「オールド・スレート」と交配された年の順にペアを組み、その子はほとんどがブルーとブルー・チェッカーで、たまにスレートやスラット・チェッカーもいました。

オペル氏の最高の鳩のいくつかは、この3つの交配の結果です。
数ヶ月前に彼と話をした時、彼は1926年頃にこれらの鳩を処分したことを深く後悔していましたが、これは彼が当時アメリカのレース鳩ニュースに掲載した広告の結果でした。

彼らの兄弟や姉妹は、レースや繁殖においてまさに宝石のような存在であり、今日のオペルバードの血統の中にも頻繁に見られます。

ここでは、2羽のリファレンス・バード、〇〇とQ、兄弟姉妹、そしてハーフ・ローガンの誘導を取り上げます。

リファレンスOは、リファレンスAと私の息子であるリファレンスNとペアを組み、リファレンスQは、リファレンスAと私の娘であるリファレンスRとペアを組み、どちらの交配も大成功を収めました。

リファレンスQはレッド・チェッカー・コックで、ロフトには5世代にわたって彼の血が流れており、彼の導入によりレッド・チェッカーやシルバーがより多く見られるようになりました。

私たちはここで、オペルバードのファミリーとしての最終的な分析において、ローガンの血が圧倒的に多いことに注目します。他にも本物のソースからの良い鳩がその役割を果たしています。

別の場所に繁殖チャートがあり、ほとんどの場合、オペル氏の繁殖方法が示されており、オペルの鳥が元のローガンに遡る回数が示されています。要約すると、オペル氏が導入した鳥はどれも大した賭けではなく、彼はマスターブリーディングの真の天才なのです。

オペルの目は非常に表現力が豊かで、生まれ持った資質を無言で語っているようなタイプです。

オレンジ、ルビーがかったレッドオレンジ、明るい色合いのパール、暗い色合いのパールなど、さまざまな色があり、明るいパープルがわずかに見えることもよくあります。

若いオペルの目は、生後6ヶ月を過ぎても色とタイプが定まらず、おそらく什器が安全に分類されるだろう。全体的に見て、私が見つけたオペルの目のタイプは人が望むものであるが、パフォーマンスの高い鳥の中で、ある色やタイプが他よりも優勢であるとはあえて言わない。

タイプとコンフォメーションは満足できるほど良好である。鳥の大きさは中くらいで、小さすぎることはない。平均的なハトの家族よりも顕著に、2年間かけて成長し、成熟した姿になる。

体はコンパクトにまとまっていて、良質の羽毛が豊富にあるのに、とても浮力がある。このタイプは、直系の交配であっても、1〜2世代は永久に消えないようです。私はそのタイプが子孫に受け継がれることを知っています。

 □    2021年8月6日(金) 4:13 修正
満足した家庭環境から生まれた、ゆったりとした静かな鳩の家族だが、旅先では不屈の精神を身につけている。まさにアメリカのレーシングピジョンのダイナスティであり、それぞれの世代が相応の成功を収めている。



※画像□ パフォーマンスNo. 49 MCCA 26 4464 B.C.H.□
"ボルチモアの誇り"
1928年チャタヌーガ・ナショナル・レースで優勝(I st, All sections)。

 再開!!『OPEL BOOK 2020』 by eleven  イレブン   2021年8月5日(木) 3:09
修正
丁度1年ほど前にイレブンは次のような文を書き残していました。

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J.Louis.Opelが亡くなったのは、1961年8月1日76歳の時でした。A.S.Johnstoneはそのことを「突然の死」だったとのべています。J.Louis.Opeが死の直前、鳩友に語った「私が死んでも、オペル系は永遠に生きている」との言葉は、この21世紀の今日にあっても強い響きをもって伝わってきます。

2020年6月28日に開始したこの『OPEL BOOK 2020』の連載も、出来れば、J.Louis.Ope没後60年となる明年2021年8月1日までには完成させたいと思っています。

2020年は人類史上21世紀の人類が初めて経験した新型コロナウイルスによる「パンデミック」が起き、長く人々の記憶にとどめられる年となりました。日本の私たちにとっては、楽しみにしていた「東京オリンピック2020」が開催されるはずの年でもありました。

明年の8月1日には、東京オリンピックをテレビで観戦出来ることを願いながら、この連載に取り組んでいきたいと考えております。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

まさに今「TOKYO 2020」の熱戦を見ながら、J.Louis.Opel没後60年の命日を迎えました。

この『OPEL BOOK 2020』の内容については、昨年、相当集中して連載を行い、第1章、第3章、第4章はほぼ完了していました。

この「第2章 原本『THE OPEL BIRDS』 by A.S.Johnstoneを解読する」だけが手つかずの状態にありました。その内容は以下のように計画していました。

○『オペル・ブック』挿入資料の解説
○『THE OPEL BIRDS』の原本全文(英文)
○『THE OPEL BIRDS』の全文翻訳及び解説
○『THE OPEL BIRDS』の分析資料の全て

実はこの「○『THE OPEL BIRDS』の原本全文(英文)」と「○『THE OPEL BIRDS』の全文翻訳及び解説」の段階で作業が頓挫していました。本掲示板読者の方から、貴重な『THE OPEL BIRDS』資料を提供頂いていたのですが、その資料の文字をイレブンが使用していたOCRソフトでは『THE OPEL BIRDS』原文の英文が読み込めなかったのです。

こうなると鮮明な原本の著書その物を手に入れるか、全文を手打ちで入力するしかないと思いあぐねている内に時が過ぎていきました。

ところが、今回、先日より連載しました『【Pigeon Geographies】翻訳版』の作業を通す際に使用した英語専用のOCRソフトを使うと見事に『THE OPEL BIRDS』資料の英文を読み取ることが出来たのです。その時使用したのはそのOCRソフトの体験版だったので、他のイレブンが所蔵している英文の著作の読み取りもテストしましたら、全ての著作の英文を完璧に読み込む優れものでした。そこで、そのソフトを取り寄せることにし、明日には、届く予定です。

翻訳ソフトも以前使用していたはGooGle翻訳より格段と優れた翻訳力を持つソフトも手に入りました。先ほどの『【Pigeon Geographies】翻訳版』は全てそのソフトで翻訳作業を行っています。

こうした事情の変化があり、なんとか1年前に構想した「第2章 原本『THE OPEL BIRDS』 by A.S.Johnstoneを解読する」の作業を再開する目処が経ちました。

我が国の超長距離時代に多大なる影響を与えたJ.Louis.Opelの『没後60年の記念事業」として(ちょっとオーバーですが……)この8月に『THE OPEL BIRDS』の全文掲載及び全文翻訳文の掲載を行いたいと思います。

そして、当初予定していた下記の目次で新たに「『OPEL BOOK 2020』研究室」をこの掲示板に設置し、オペル系研究の際に自由に閲覧出来るようにしたいと考えております。

オペル系ファンの皆様、長らくお持たせしたした。『OPEL BOOK 2020』 by elevenを再開します!!

 ◇◇ 『OPEL BOOK 2020』 目 次  ◇◇    イレブン  2020年7月6日(月) 2:14   イレブン   2021年8月5日(木) 3:17 修正
第1章 オペル系系統調査の公開資料の全て 

※この章は、新たな資料が入手出来次第、随時追加していきます。

○全文引用資料(1)「オペルはいまも生きている」
○全文引用資料(2)「オペル系は永遠に生きている(1)」
○全文引用資料(3)「オペル系は永遠に生きている(4)」
○全文引用資料(4)「故オペル氏の最高遺作リッピー号の生涯」
○全文引用資料(5)「リッピー号とブルーキング号」
○全文引用資料(6)「並河ラインA系におけるオペル系の役割」」
○全文引用資料(7) 対談『アメリカ系研究 オペル系』 小栗和雄 ゲスト 中沢勝巳

第2章 原本『THE OPEL BIRDS』 by A.S.Johnstoneの解読

○『THE OPEL BIRDS』の原本全文(英文)
○『THE OPEL BIRDS』の全文翻訳及び解説
○『オペル・ブック』挿入資料
○『THE OPEL BIRDS』の分析資料の全て

第3章 オペル鳩の全貌(フォトギャラリー)

○日本に導入されたJ.L.Opel作のオペル鳩
○ビール兄弟・マッコイ・ユーベル等各鳩舎のオペル鳩
○日本で活躍したオペル鳩

第4章 「WeggeはWeggeと」の原理とオペル系


 《系統研究》 『OPEL BOOK 2020』 by eleven、連載開始!!  イレブン  2020年6月28日(日) 6:05
修正
■はじめに■

待望の?オペル系の系統研究を始めます。

タイトルを『OPEL BOOK 2020』としました。幻の名著『オペル・ブック』の名にあやかって、タイトルとしました。

『オペル・ブック』とは、オペル系の系統確立者J.Louis.Opelの僚友A.S.Johnstoneが,1949年に発刊した『THE OPEL BIRDS』の日本オペル研究会版の名称です。

原本『THE OPEL BIRDS』は全64ページの小冊子ですが、日本のレース鳩研究の第一人者である並河靖が「この書物は研究すればする程、沢山の新事実を私たちに提供してくれます」と絶賛の紹介文を記しているほどの名著です。

オペル系を研究する上で、『オペル・ブック』すなわち『THE OPEL BIRDS』はそれほど重要な書物なのですが、現在それを入手するのは不可能です。ネットで検索しても唯一1カ所アメリカの図書館に所蔵されているだけでした。(コピーを送ってもらうことは出来そうです)

今回、オペル系の研究連載を始める際、この『オペル・ブック』の名を冠し、さらに、J.Louis.Opelが没して60年になろうとしているこの2020年にこの作業を取りかかったことを記憶にとどめるべく『OPEL BOOK 2020』としました。

J.Louis.Opelが亡くなったのは、1961年8月1日76歳の時でした。A.S.Johnstoneはそのことを「突然の死」だったとのべています。J.Louis.Opeが死の直前、鳩友に語った「私が死んでも、オペル系は永遠に生きている」との言葉は、この21世紀の今日にあっても強い響きをもって伝わってきます。

2020年6月28日に開始したこの『OPEL BOOK 2020』の連載も、出来れば、J.Louis.Ope没後60年となる明年2021年8月1日までには完成させたいと思っています。

2020年は人類史上21世紀の人類が初めて経験した新型コロナウイルスによる「パンデミック」が起き、長く人々の記憶にとどめられる年となりました。日本の私たちにとっては、楽しみにしていた「東京オリンピック2020」が開催されるはずの年でもありました。

明年の8月1日には、東京オリンピックをテレビで観戦出来ることを願いながら、この連載に取り組んでいきたいと考えております。

これまでと同様、連載中は、様々なご意見・感想等を頂けると嬉しいです。ご愛読宜しくお願いしますね。



 ◇◇ 『OPEL BOOK 2020』 目 次  ◇◇  イレブン  2020年6月28日(日) 16:42 修正
『OPEL BOOK 2020』 の内容としては、次のような構想で進む予定です。現時点で収集できるオペル系関係資料を可能な限りまとめたいと考えています。

第1章 オペル系系統調査のすべて

○全文引用資料(1)「オペルはいまも生きている」
○全文引用資料(2)「オペル系は永遠に生きている(1)」
○全文引用資料(3)「オペル系は永遠に生きている(2)」
○全文引用資料(4)「故オペル氏の最高遺作リッピー号の生涯」
○全文引用資料(5)「リッピー号とブルーキング号」
○全文引用資料(6)「並河ラインA系におけるオペル系の役割」」

第2章 原本『THE OPEL BIRDS』 by A.S.Johnstoneを解読する

○『オペル・ブック』挿入資料の解説
○『THE OPEL BIRDS』の原本全文(英文)
○『THE OPEL BIRDS』の全文翻訳及び解説
○『THE OPEL BIRDS』の分析資料の全て

第3章 オペル鳩の全貌(フォトギャラリー)

○日本に導入されたJ.L.Opel作のオペル鳩
○ビール兄弟・マッコイ・ユーベル等各鳩舎のオペル鳩
○日本で活躍したオペル鳩



 《系統研究》【OPEL BOOK 2020】001   第1章 オペル系系統調査のすべて○全文引用資料(1)『オペルはいまも生きている◇◇オペル系確立から、現在日本での活躍を探る◇◇』(『愛鳩の友』1976年1月号P150~P155より引用》    2020年6月28日(日) 20:16 修正
 オペル氏が銘鳩を育んだアメリカの東海岸、大西洋岸にあるボルチモアと、アジア東側にある日本とは、雨が降れば比較的長雨になるなど、気象条件的に類似した点が多い。
 その点て、オペル氏が改良して作りあげてきた、長距離にネバリがある鳩は、日本の愛鳩家が長距離を狙うための要素として、必要なところではないだろうか。
 オペル系は、オペル氏が生涯をかけて作りあげた、大傑作であろう。

 ■ローガン系を源鳩に    2020年6月28日(日) 20:18 修正
 オペル系とは、故・J・L・オペル氏(1889〜1961年)によって確立された系統である。
 オペル氏は、アメリカの東海岸、大西洋岸にあるボルチモア市に生まれ、終生この土地に暮した。
 その72年の生涯のうち、なんと51年間の長い歳月を、鳩と共に送ったのである。
 このようにオペル氏によって、長い間育まれ、確立された系統であるが。このオペル系にも無論源鳩がある。

 オペル系の源になった系統は、イギリスのローガン系である。
 このローガン系は、イギリスのJW・ローガン氏によって、1870〜1924年の約半世紀にわたって確立された系統である。
 また、ローガン系は、イギリスにおいて最も歴史が古く、イギリスのほとんどの主流をなしていた系統である。

 当時、地元イギリスにおいては、長距離の好成績鳩の血統を調査したところ、そのほとんどにローガン系の導入が見られ、あるいはローガン系が基礎になっている場合が多かった、ということである。
 さらに、ローガン系が、アメリカ鳩界においても活躍していたことは事実である。

 オペル氏は、この歴史ある優秀なローガン系を基礎鳩に選び、独自の配合法によって、51年間の長い歳月をかけて、オペル系を完成してきたのである。

 ■オペル系はこのように確立された    2020年6月28日(日) 20:25 修正
 氏は非常に血統を重んじたが、この血統とは、「最後まで飛びつづける優秀な鳩の一族」でなくてはならなかった。その血統を作り出すために、氏は独特の”オペル配合法″という近親交配を重ねることから始めた。

 そして、そのオベル系をさらに発展させたのは、1918年に、故・A・S・ジョンストン氏(オペル系のよき理解者であり、親友でもあった。後に、オペルーブックを編集したのもこの人である)より贈られた ”オールド・スレート号″である。この1924年生の”オールド・スレート号”は、オペル系最大の基礎鳩となったのである。

 この”オールド・スレート号”は、!ジョンストン氏の作出によるものであるが、やはり3分の2以上のローガン系の血を引いている(系統書参照)。

 また、この系統に見られる通り、この基礎鳩自体、ジョンストン氏がローガン氏より輸入した、【97HN15】を4ヵ所に持つ近親であることがわかる。この第一の基礎鳩はほとんど【6460】と配合され、オベル鳩舎において、生涯16羽の長距離記録鳩を作出している。

 誌面の都合でその成績は載せられないが、その直仔16羽の記録の合計(800キロ以上)は、800キロ45回、1000キロ19回、1120キロ3回記録、とすばらしい成績を残している。その直仔の中で【7773号】【4425号】【3300号】の3羽の血統は、現在まで伝わっているのである。

 オペル鳩舎の銘鳩を挙げれば限りがないが主な基礎鳩として、オペル氏作の【0017−1863B♂】、これはオールド・スレート号につぐ基礎鳩である。

 また、【34−5770号RC♂】は、オペル氏自身の使翔によっても延公認飛翔距離が、3万3600キロという銘鳩で、後半期の代表種鳩になった【9117】も、この【5770】の孫である。そして後に、遺作となった超銘鳩の2羽【リッピー号】と【ブルーキング号】の父、母の血統に、この【5770】の血を見ることができる。

 この【リッピー号】と【ブルーキング号】の系統をたどると、【オールド・スレート号】の20重の近親であるから、このオールド・スレート号に4重に導入されている【97NH15】は、84ヵ所に入ってくるすごい近親である。

 このように、独特の″オペル配合法″にょって、51年問、多くの銘鳩を作り続けたのである。

 オペル氏が作ったこれらの銘鳩やその成績を挙げれば膨大なものであり、限りないが、1949年にジョソストン氏によって出版された″オペル・ブック″によると、「1915〜48年までに、800キロ以上の記録鳩110羽、その110羽の総合記録回数は、800キロ538回、1000キロて124回、1210キロ42回で、合計704回」という数に上っている。

 オペル氏は、その後も死去するまで飛ばし続けたが、オペル鳩舎の詳細な知識を持っていたジョンストン氏も亡くなり、正確な数字はわからない。しかし、残っている資料等から調査し、推測すると、長距離記録鳩は200羽、その記録回数は、千数百回となる。また、オペル氏の遺言により、唯一の後継者となったビール兄弟の話を総合すると、実際には800キロ以上を2500回以上記録しているのではないか、ということである。

 これはあまりに大きな数字であって、アメリカの地理、気象条件が良いから、と考えるかもしれない。しかし、実際にレースの成績を見ても、日本と変わりはなく、長距離レースになると、1〜2割の帰還率である。

 アメリカの協会の一つである。MCCA”(オペル氏か所属していた)では、専門の放鳩者がいて、放鳩に関するすべての権限を持っている。そして、MCCAの規定にょり、悪天でも決定日には放鳩される。また、MCCAが主催するスペシャル・レースにおいては、平等を保つために、1鳩舎からの参加は5羽と制限される。

 そのため、性能の悪い鳩は自然と参加させす、特に優秀な癩を参加させるようになった。
 ときには、3回のレースの平均最高分速で争うレースも行なわれる。あるいは、そのシーズンにおける全レースの各鳩合の最高分速を合計して、レース回数で割り、最高分速鳩舎を選定することも行なわれた。しかし、ほとんどのレースの場合は。アパラチア山脈とい5大山脈を横断しなければならない。

 オベル系は、このような中で作り出されてきたのである。

 ■オペル配合の当り交配    2020年6月28日(日) 20:43 修正
 オペル系は、前述したとおり。幾重もの近親交配によって確立されてきた系統であるか、その中でも、やはり当り配合がある。

 まず、「オールド・スレート号×6460号」と「8713号×3300号」の二つの基礎配合かある。そして、最高の当り配合は、「5770号×9800号」、「5771号×9916号」、それと「9117号×1751号」の3つの配合である(リッビー号の系統参照)。

 その中でも、一番最近の配合である「9117号×1751号)は、オペル愛好者にとって貴重な存在であろう。なぜならば、この配合の孫に当る鳩こそ、銘鳩【リッピー号】と【ブルー・キング号】である。

 また、系統書を見てもらえばわかるが、リッピー号とブルー・キング号は、この配合のみならす、前記の9つの配合全部を合わせもっているのである。

 ■これかオペル系の特徴    2020年6月28日(日) 20:53 修正
 では、オペル系とはどのような特徴を持っているのであろうか。

 オペル系の最大の特徴は、前述したように、非常な近親交配の連続によって形成されてきたというところにあるだろう。世界には多くの系統があるが、オペル系のように長年にわたり、計画的に作り上げられたものは少ない。また、このような近親によって、完全に一つの系統に作られたものも他に例かないであろう。

 長い間の近親交配のためか、体は全全般的に小型である。羽色は、大体においてで灰、灰胡麻、薄い栗胡麻か多く、時には灰栗に出る。この場合、片方の一枚か二枚の翼に、白刺が出ることがある。

 眼色は、いわゆる石目(銀目)と柿目が主に出る。この柿日の場合、多少薄く出ることが多いようだ。

 体は小型で、容堅も立派とはいえないが、オペル系の最大の長所は、”利巧な鳩″ということである。

 これは、オペル氏が近親、あるいは戻し交配で長年かかって作り上げた結果であろう。
 他の系統の場合、主流、支流系などか多いか、オペル系の場合は、すべて先祖が同じであって、支流などはない。

 また、前述のとおり、非常な近親で作り出されているため、強い遺伝力を持っている。
 そのため、他の異血鳩と交配しても、一代目や二代目では、オペル系の特徴か強く受け継がれてしまう。


 ■オペル系とオペル鳩舎    2020年6月28日(日) 20:59 修正
 ところで、オペル氏とはどんな人であったのだろうか。
 氏は常に、「鳩は私の恋人であり、人生の喜びを与えてくれる唯一のものである」と言い、一生涯結婚することなく鳩と共に過したのである。
 また、今まで鳩界に言い伝えられてきたオペル氏が死の直前に、鳩友たちに残した「わたしか死んでも、オペル系は永遠に生きている」という言葉は、彼の作り上げた系統に、彼自身かどれだけ自信を持っていたかをものかたっている。

 オペル鳩舎は、首都ワシントンから北へ30マイルぐらい行った、メリーランド州ボルチモア市にあり、鳩舎は、2エーカー(約2500坪)の南側、納屋の2階に造られていた。

 鳩舎の前面には障害物がなく、すべての樹木を切り払ってあった。
 鳩舎の内部は三つに分けられ、水道か引かれていた。
 床には白い砂をまき、毎週一回その砂をこし、糞を取り除いていた。
 このように、オペル氏が鳩を恋人として、また子供のように長年暮してきたが、彼は結婚をしなかったため、このオペル系を継がせる子供がいなかった。

 そこで彼は、自分の確立したオペル系を、もっとも信頼できる後継者として、ビール兄弟に、自分の死後すべての鳩を引き取ってくれるように、遺言を残したのである。
 また、オペル氏は自分の系統を確立することが最大の満足であり、生前は鳩を売ることはなかった。
 そのため、オペル系が日木へ入ることはなかった。(アメリカの他の鳩舎から、多少導入されたかしれないか、直接は入っていない)
 ビール兄弟も、オペル氏の遺言どおり、鳩を売ろうとはしなかった。
 しかし、その後日本からの熱心な交渉の末、導入されることになる。

(つづく)

 ■オペル系.日本での活躍はいかに!!昨春(1975年)オペル系を使翔した大レース入賞者に閲く!  イレブン  2020年6月29日(月) 4:17 修正
 さて、このようにオベル氏が、51年間もの長い歳月をかけ、非常な近親によって作り出されたオベル系が、日本に導入されて以来、どのような活躍を見せているのであろうか。

 また、オペル系の持つ真の強さとは、いったいどのようなものであろうか。
 そこで、本誌か昨年9月号で行なった、50年度春季犬レースヒ位入賞鳩(鳩舎)に対するアンケート調査を振り返って見ると、
 「アンケート総数150余の中で、系統の数は、103系統にものぼる。
 オペル系は、その中で5番目である。つまり、昨春の大レースの入賞率も5位以内」ということである。
 今回は、アンケートにもとづき、昨春オペル系を使翔し、活躍した方々に、意見を聞いてみた。

 ◇佐賀連合会・石原喜博氏◇《75年、西日本稚内GN九州地区1700キロ総合優勝》    2020年6月29日(月) 4:18 修正
 オベル系の特徴は、なんと言っても利巧さにある。わたしの場合、データーに基づいて導入したが、ネバリかおり、全般的に長距離に向いている。

また、悪天レースの時になると強く、分速800〜1000メートルまでならよいか、好天で分速が出る場合にはよくないようである。オペル氏自身が淘汰に淘汰を重ねて、作り上げただけあって、なにしろ生命力が強い。

 昨年優勝した″マリア号″の祖父(オペル系)を友人か持っているか、このトリは現在18歳で、まだヒナが取れるのである。であるから、全滅レースでも、もしかしたら、と思わせるようなネバリを感じさせる。

 鳩体自休は、かわいらしいトリが多く、手にスッポリ入る。オペル系で好きな点は、筋肉が柔らかく、弾力性かあることで、この柔らかさはいくら飛ばしても疲れないということである。

 また、オペルは遺伝力が強いといわれるが、4分の1でも肉質、体型はオペルの系統に出るようだ。わたしの鳩舎は、ほとんど全部にオペルが、2分の1〜4分の1入っていて、羽色は栗が多く、目は明るい色が多く出る。

※画像イレブン挿入

 ◇備後東部支部・杉本修三氏◇《75年、全日本CH(西)稚内1400キロ総合優勝》    2020年6月29日(月) 4:19 修正
 オペル系は、特に長距離を狙う場合によい。世界中には、いろいろな系統があるが、わたしはもっとも秀れたものはオペルであると思うし、また好きである。わたしの場合は、1000キロ以上のレースか多いので、かなりの期待ができる。

 オペル系は広島の方の飛び筋を入れ、その他のオペルと配合し、自分で近親にしている。

 体がしっかりしているものは少なく、オペルを使うならば、系統的にしっかりしているものを使う。オペル系の一番の特性として、遺伝力が強く、オ。ヘルの利巧さが遺伝すれば、長距離に向く。また、オペル系は頭脳的に秀れたトリが出やすい系統である。

※画像イレブン挿入

 ・    2020年6月29日(月) 4:19 修正
※画像イレブン挿入

 ◇守口連合会・宮本祥男氏◇《75年、西日木稚内GN近畿地区1300キロ総合3位、西日本GP長万部1000キロ総合6位、共にオペル系が2分の1》    2020年6月29日(月) 4:20 修正
 オペル系は、特に長距離を狙う場合によい。世界中には、いろいろな系統があるが、わたしはもっとも秀れたものはオペルであると思うし、また好きである。わたしの場合は、1000キロ以上のレースか多いので、かなりの期待ができる。

 オペル系は広島の方の飛び筋を入れ、その他のオペルと配合し、自分で近親にしている。
 体がしっかりしているものは少なく、オペルを使うならば、系統的にしっかりしているものを使う。オペル系の一番の特性として、遺伝力が強く、オ。ヘルの利巧さが遺伝すれば、長距離に向く。また、オペル系は頭脳的に秀れたトリが出やすい系統である。

◇守口連合会・宮本祥男氏◇《75年、西日木稚内GN近畿地区1300キロ総合3位、西日本GP長万部1000キロ総合6位、共にオペル系が2分の1》

 昨年、西日木稚内GN近畿地区千 三百キロ総合三位、西日本GP長 万部于キロ総合六位、共にオペル 系が二分の一

 関西の場合、とにかくオベル系が入っていると、1000キロ以上のレースでは圧倒的に強い。また、安定性かおり、安心して出せる。オペル系を導入した理由は、1000キロレースで勝ちたいと思い、当時関西の飛び筋であったオペル系を入れた。

 69年から1000キロレースに出しているが、1回も失敗はしていないし実績かある。
 オペル系は近親できているから、きゃしゃな感じがするか、本当のオペルは、小さいがまとまっている。また、遺伝力は強いが、その中の弱さをカバーするために、他の系統を入れている。

眼色は石目が多く出る。1000キロ以上でよく飛んだトリ、飛ぶトリは、石目が多いようである。オペルは長距離、悪天に強いか、スピードだけで争うレースや、当日レースでは不利である。やはり翌日レースで、確実に帰すということであるが、スピードも出ないことはないように思う。

オペルの場合は、純系で引いていくと、良いトリと悪いトリが極端であり、悪いトリが多く出る確率が高いようである。

 主翼は弾力かおり大変よいが、筋肉は、欧州のトリに比べると多少おちるようである。
 また、雌の方がよい成績を出しているようであるか、とにかく、長距離には圧倒的に強い系統である。

しかし、オペルであっても、トリを見なくては駄目である。オペル系の場合、羽色は栗と灰系統が多いが、配合する時にも、同羽色のものは避けるべきであろう。

 ・  イレブン  2020年6月29日(月) 5:02 修正

 ◇徳島連合会・平川勝利氏◇ 《75年、四国地区N総合優勝、同総合5位、共にオペル系 》    2020年6月29日(月) 5:07 修正
 オペル系を導入した理由は、徳島地方の飛び筋であるからだ。 オペルは、若でも早く飛ばせるようなトリで、中、長距離に向いているようである。 わたしの場合、他の系統と配合し(以下資料調査中)


 再開『OPEL BOOK 2020』  イレブン   2021年8月5日(木) 2:21 修正
『OPEL BOOK 2020』を再開します。

 ■研究資料■Kate Whiston 【 Pigeon Geographies Thesis】翻訳版No.004:『Chapter 7 Feathered Athletes: (第7章 Feathered Athletes 羽根つきのアスリート)』■  イレブン  2021年7月29日(木) 3:09
修正
第7章 Feathered Athletes 羽根つきのアスリートでは、イギリス鳩界において、ピジョンスポーツというものがどのように形成されていったのかについて論述されています。

レース鳩の血統に関する議論やメンデルやダーウィンの遺伝学の理論を踏まえた論争など現代のレース鳩の理論を理解する上でも実に興味深い内容となっています。

画像資料も結構貴重な資料が掲載されていますので、この第7章については全文を掲載することにしました。

興味がある方だけお読みいただければと思います。

 ■Delineating Athleticism and Framing Fitness (アスレチックの線引きとフィットネスのフレーミング)■  Kate Whiston   2021年7月29日(木) 3:09 修正
鳩の長距離レースを支える社会的・物流的構造によって、レーサーとその鳥は密接に結びついた。これらの鳥はレーサーによって賞賛され、レーサーは繁殖と訓練を通してその能力を理解し磨こうとし、NHUの目的の言葉を借りれば、「ホーミング鳩の改良」に貢献した。このように、19世紀の畜産業者のように、鳩レースの選手たちは「改良された」動物を作るために、鳥の物理的性質を形成しようとしたのである。

1902年の『The Racing Pigeon』誌に掲載されたDixon's Gravel社の広告では、レース用の鳩を次のように定義している。

「動物の世界では、家を愛する心が培われた最高のタイプである。あらゆる生物の中で最も優れた肉体的活力を持つ。純粋で完璧な健康と活力を体現している」(RP, 1902 (9(380):1))。

誇張された表現や熱意は、広告から期待されるものかもしれませんが、実際には、レース用のハトに対する情熱や賞賛として解釈されることもあります。ウィリアムソン(1978)が説明するように、広告には文化が反映されており、既存の社会的規範を利用して、それを製品を売る手段に変換している。

実際、Dixon's Gravelの広告で使われている言葉は、レース用の鳩の能力を誇張しているように見えるかもしれないが、『The Racing Pigeon』誌に掲載されている多くの手紙や記事を反映している。また、レース鳩が鳥類のアスリートであると信じている基準のいくつかを反映しています - 帰巣能力、体力、健康、そして戦略的なトレーニングと繁殖 - これらはそれぞれこの章で取り上げられています。

しかし、レース鳩の定義は、主観的で一過性のものであった。鳩の運動能力は、一方では内面的、不可視的、科学的に計算されたものであり、他方では外面的、有形的、パフォーマンス的、予測不可能なものであった。しかし興味深いことに、美学はレース用の鳩を定義するのにも一役買っており、展覧会や絵画、写真などでレーサーたちは「美」の定義の中での運動能力の位置づけについて議論を交わしていた。

人間のアイデンティティを求める闘いとして、長距離鳩レースは、人間と動物の娯楽が社会をどのように描くかを明らかにする。鳩は、飼育・訓練したレーサーの体現者となり、彼らの創意工夫のシンボルとして評価された(Johnes, 2007)。また、レーサー自身も同様に鳩によって定義された。このような相互の関係をよりよく理解するには、鳩レースに関わる実践を調査することが必要である。

レース用の鳩の飼育、訓練、準備には、レーサーが自分の鳥に抱いていた敬意と称賛の念が反映されており、また、スポーツを実践する上での実用主義、標準化、規制も反映されているようだ。 本章では、鳩レースの選手たちが「アスレチック」の概念をどのように構築したかを考察し、羽の生えたアスリートを生み出すために、肉体的にも比喩的にも鳩を(再)形成し、(再)定義し、動物スポーツにおける人間と動物の共同構成の複雑さを明らかにする。

 ■7.1 体育会系の飼育について■  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 3:15 修正
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、レース用の鳩の飼育は「The Racing Pigeon」などの本で注目されていました。運動能力を養うことは、鳩レースをする人たちにとって困難なことであり、彼らは自分たちの鳥を理解するために、目に見えるものだけでなく、それ以上のものを見なければならなかった。

レース用の鳩は身体的に優れていなければならないが、鳩の能力の源は外見ではなく、ほとんど外見によらないものであることが多い。競走者たちは、鳥の外見や身体的能力を鳥の内面にマッピングし、特定の肉体的・精神的特性がどのように継承され、選択的繁殖によって洗練されるのかを理解したいと強く望んでいたようだ。

鳥類選手の育成方法を理解するために、レーサーたちはダーウィンやメンデルの科学理論と格闘していたのです。このように、鳩レースの選手たちは、鳥の命と体に関わり、繁殖の「芸術」と「科学」の両方に関わっていたのです。

 ■7.1.1 デザインによる繁殖■  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 3:17 修正
「ローガン(1924:15)は「伝書鳩で成功するためには、非常にこだわって飼育する必要がある」と書いています。レーサーたちは、ダーウィンの言う「愛好家の目」を信じ、そのような直感や専門知識は長年の詳細な研究からしか得られないと信じていました。

その結果、彼らは鳥と多くの時間を過ごし、ロフト(図7.1)は観察と出会いの空間となりました。The Racing Pigeon』誌のあるレギュラーコラムニストは、自分の鳥の近くにいることで、レーサーたちは「鍛えられた目」を養い、自分の鳥に対する高い感受性と理解力を持つようになったと説明している(RP, 1916 (35(1739):55))。

レーサーの細部へのこだわりは、精神的に、あるいは非公式に書き留めたり、血統書に記録したりすることで、記録に反映されました。血統書はいくつかのメーカーが製造していましたが、「ファンシャーのためのロフト記録書の最も古い例」は、1898年にアルフレッド・オスマン(「スクイルズ」として)が出版したものです(R. Osman, 1997:9)。

オスマンは「鳥を訓練する段階や繁殖に関して、記憶を頼りにしている人が多かった」と説明しており、ポケットサイズの本は「実用性」を重視して作られたものだった(Squills Diary, 1909:3)。彼のSquills Diary、Stud Book、Training Register、Almanackは非常に人気があったと彼は主張しているが、出版数は印刷されていない。

どのくらいのレーサーが血統書を使用していたかは明らかではないが、書籍や『The Racing Pigeon』の記事では、レーサーが繁殖計画を立てるために繁殖とトレーニングの記録を残し、鳥を売るときに血統を証明することを定期的に推奨していた。

図7.2は、ある血統書に記入された記録の一例ですが、残念ながら所有者は不明です。各ページには、交配したペアに番号が振られており、それぞれの特徴、系統、両親について詳しく書かれています。また、子孫、「仕事」(トレーニングやレースなど)、「処分」(売却、紛失、死亡など)についても詳細に記されていました。つまり血統書はロフトの伝記であり、各項目は鳥の「価値」を定義し、その人生を決定づけるものであり、本全体としては鳩レースのレーサーを定義し、その方法を正当化し、評判を高めるものである。

後述するように、レーサーは遺伝について完全に理解していなかったため、繁殖は予測不可能でコントロールできないものでした。そこで、記録を残すことで、繁殖を方法論的、計算的、管理的なものにしたのです。

1902年、The Racing Pigeon誌の編集部は「Famous Pigeons I Have Known(私が知っている有名なハトたち)」と題した一連の記事で、歴史上最も成功したハトたちの祖先とパフォーマンスについて詳しく紹介した。これはおそらく、4年後にオスマンが完成させたプロジェクトの前身である。1906年、オスマンは初の国別血統表を作成した。この血統表には、「この国でスポーツが始まって以来、一般に公開されたすべての有名な鳩や系統の詳細」が記載されていると主張していた(Osman, 1924:18)。

同年に発行された『Squills Diary』では、こう説明している。「このアイデアは...この国で知られている有名な鳩の歴史を最新のものにするためのものです。毎年発行される『SQUILLS' ANNUAL』には、将来的にその年に最も成功した鳥の情報が掲載されることを期待しています......証明されたレース鳩とそのパフォーマンス、系統の詳細、所有者と飼育者の名前が記載された信頼できる記録です」(Squills Diary, 1906 [pp63 in R. Osman, 1997] )。

最初の血統登録簿には379羽の鳥が記載されていたが、その中には22羽のローガンの鳥を筆頭に、ロイヤル・ロフトの鳥や、メッシュー・ハンセンヌやデルモットなどのベルギーのブリーダーの鳥も含まれていた。しかし、興味深いことに、オスマンは成功したブリーダーとして知られているにもかかわらず、自分の鳥は一羽もリストに含まれていなかった。

しかし、この血統登録簿は、権威ある年間登録簿となり、レーサーたちはオスマンに、自分の鳥の詳細を掲載してほしいと手紙を出した。つまりオスマンは、「有名な」鳥とその所有者のリストを作成することで、競馬ファンの間に想像上の秩序を作り出したのである。血統登録簿に掲載された鳥は、ほとんど有名人の地位を与えられたようなものだ。同様に、鳥の所有者は、その鳥の功績と明確に結びついており、1939年の『Squills Diary』への寄稿広告が示すように、見返りとして「名声」を得ることができた(図7.3)。

とはいえ、オスマンは血統記録が誤解を招く恐れがあると警告していた。これらの貴重な鳥たちは、実際の能力よりも「可能性」のために、「文字通り......かすかに汲み上げられ」、過剰に働かされ、過剰に交配されていたのです(RP, 1899 (3(101):460) )。別のレーサーが書いたように、「紙が多すぎて鳩が足りない」こともありました(RP, 1916 (35(1736):8))。このように、ハトを血統記録に還元することで、ハトが固定されているように見せかけ、パフォーマンスに対する誤った安定感とコントロールを提供していたのである。


   Kate Whiston     2021年7月29日(木) 3:49 修正
ロフトのスペースは、鳥たちの動きを調整して交尾を助けるために使われました。個々の鳥はそれぞれの巣箱を持っていましたが、相手が決まると、鳥たちは一緒になって「ペア」になり、コードで囲まれた区画か別のロフトに入れられました。

Barker(1913:83)は、2月から3月にかけての繁殖を推奨し、繁殖後すぐにはレースに出られないことを明らかにした。Barker(1913:83)は「繁殖とレースの利益は、多くの点で正反対であると考えられる」と説明している。しかし、The Feathered Worldのレース担当記者は、これはハトが交尾する「自然な」時期ではないと強調した。

我々がどうしようと、鳥たちは我々が課す不自然な制限に従うことを拒否するだろう」と、レーサーたちは陶器の卵を使って「不都合な」時期に鳥たちの交尾を止めようとしたと報じている(FW, 1916 (54(1389):185))。このように、鳩レースの選手たちは、鳥の自然なリズムを変え、鳥の体をコントロールして操作することを目的とした生物政治的な行為として位置づけられている。

レーサーたちの選択的な繁殖方法には、選手たちを慎重に組み立てるという、強いデザインの要素が含まれていました。レーサーの中には、まるで自分の鳥がコレクターであるかのように語る人もいて、特定の交配のために、あるいは「血統を完成させる」ために、特定の属性を持った鳥を探していることが多いのです。

繁殖には大きく分けて3つのアプローチがあります。近親交配(親、子、兄弟との交配)、系統交配(祖父母、孫、叔父、叔母、甥、姪との交配)、そして交配(関係のない鳥との交配)です。

近親交配は非常に人気があり、後に説明するように「系統」の生産に使用されます。しかし、ほとんどのレーサーは、ダーウィンの実験で示されたように、近親交配はレース用の鳩に障害を与える可能性があることに同意していました(Osman, 1910)。

例えばBarker (1913:189)は、近親交配は「体格の低下、体質的な活力の欠如、そして...繁殖力の低下」を引き起こすと主張した。 一方、『The Racing Pigeon』誌の連載コラムニストは、交配はダーウィンが提唱した「雑種の活力」の概念と一致し、「子孫の活力と生命力の向上」を促すと説明している(RP, 1927 (46(2318):295))。当時、鳩レース関係者は繁殖に関する科学的な議論を知り、それに参加していたようだ。新聞の常連投稿者の一人はこう書いている。

実際、ダーウィンの選択に関する研究は、あるコラムニストが「レース用のハトを飼っている人にとっては、身近なテーマである」と主張していた(RP, 1910 (24(1194):471))。

20世紀初頭、生物医学の進歩により科学界でメンデル主義が「再発見」されると、鳩レースの選手たちも、運動能力がどのように遺伝し、その結果、選択的交配によって制御できるかを検討していました。

『The Racing Pigeon』誌はメンデル主義に関する科学論文を読者に向けて発表することもあったが、あるレーサーはメンデルの理論について「よく言及されるが、ほとんどの人にはほとんど理解されていない」と述べている(RP, 1916 (35(1750):207))。

実際、科学界でのメンデル主義の受け入れ方は様々で、科学者や数学者の中には、普遍的に有効であることを示すことができないと信じていたメンデルの法則に対して、エドワード朝の強い抵抗がありました(Sloan, 2000)。また、この時代、メンデル主義は「ダーウィン進化論における変異の役割をめぐる既存の議論の中で」受け入れられ、科学者や鳩の愛好家たちは、この2つの理論を両立させることに慎重になっていたことも考慮しなければなりません(Sloan, 2000:1070)。

鳩のレースをする人の中には、メンデルの法則は自分たちの鳥には適用できないと主張する人もいましたが、Osman(1924:34)は次のように述べています。「メンデルの法則は実現可能に聞こえるかもしれませんが、実際のブリーダーがそれを実践してみると、遠い祖先への回帰がそれ自身の方法を持っていることに気づくのです」。

したがって、鳩レースの選手たちにとっては、メンデルの遺伝はダーウィンの回帰によって否定されることになり、彼らの交配におけるロック鳩の出現への「回帰」が説明できると信じられていたのである。他のレーサーたちは、レース用の鳩は「複合種」(RP, 1916 (35(1749):195))であり、アントワープのクミュレットやリエージュのスメルなどのベルギー種と、ドラグーン、タンブラー、ホースマンなどのイギリス種が融合したものであるため、メンデルの法則は適用できないと主張した(Tegetmeier, 1871)。そのため、メンデル説は「レース用鳩のブリーダーにとっては、実用的な利用価値は全くない」と考えるレーサーもいた(RP, 1911 (26(1296):397))。

鳩レースとメンデルの関係を最も密接に結びつけたのは、論争の的となりながらも一般的に行われていた「色の交配」でした。競走者の中には、特定の色の鳥の方が運動能力に優れていると考える人もいて、一部の空想鳩のブリーダーのように、白や淡い羽は退化していて「活力」がない証拠だと主張していました。

つまり、色は「内的なフィットネスの外的なサイン」であると主張する人もいた(The Homing Pigeon Annual, 1913:35)。色が運動能力を示すと信じている人たちは、色が遺伝するならば、それに付随するとされる運動能力の質も遺伝することを証明しようとした。

1911年の『The Racing Pigeon』誌には、「Colour Inheritance and Colour Pattern in Pigeons(鳩の色の継承と色柄)」と題した論文が掲載された。この論文では、彼らが行った繁殖実験の詳細を、「優性色」と「希性色」に分けて集計している。メンデルの原理を用いて、彼らは次のように述べている。

「銀は青の希釈色である。青は銀に対して優性である(すなわち、自己の色である)チェックはそれがない場合に対して優性である(すなわち、自己の色である)。グリズルはチェックに対して優性である。ミーリーの赤は白に対して明らかに優性である。白とグリズルは出会ったときに結合する。赤は白と同じようにグリズルと結合する」。


 □  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 3:58 修正
メンデル遺伝を応用することで、子孫の色や模様を予測する証拠が得られた一方で、ほとんどのレーサーは、色が能力を示すという考えは「誤り」だと考えていました。

大多数のレーサーは、「良い鳥は、良い馬のように、決して悪い色ではない」(RP, 1899 (2(38):9))と同意していたが、オスマンは警告した。「長距離用の鳥の系統を作りたいと思っている真のファンシャーは、美的観点から問題を研究しない」(RP, 1916 (35(1749):194))と警告している。

その代わりに、彼は独自の「色の理論」を持っており、次のように述べています。「色を失った鳥は、貧弱で、遅くて......並以下だ」(Squills, 1909:8)。このように、カラーブリーディングは、遺伝的な能力を目に見える形で確認したいという鳩レース関係者の願望と、それによって生じる緊張感を表していた。

1939年、トレシダー博士は『The Racing Pigeon』誌に、「著名な遺伝学者」で「専門家」であるアーレンド・ハゲドーン(Arend Hagedoorn, 1885-1953)の『Animal Breeding』という本のレビューを掲載した(Theunissen, 2014:55)。

彼はレーサーたちに、メンデル遺伝学者に通じる言葉で、近親交配は「潜在的な変動性」を減少させ、「ヘテロ接合体の交配の可能性を高め、その結果、凹みが生じ」、「退化」につながると説明した(RP, 1939 (70(2963):133))。しかし、密接な近親交配は、「純粋な」動物を生み出し、「我々が望む、必要とする特性」を保証するという利点もあると付け加えた(RP, 1939 (70(2963):133))。後述するように、これがレース用の鳩の系統を作るための理論だったのである。

Tresidderのレビューでは、メンデルの思想が明確に取り上げられています。彼は「メンデルの法則」を「このスポーツには細部にわたって適用される」と主張しました(RP, 1939 (70(2963):133))。このように、鳩レースの選手たちは、一般的な科学的議論に様々な形で関わっていたが、同時に自分たちの練習を通して独自の知識を生み出そうとしていたのである。

レーサーたちは、羽毛の生えた脚、目の色、キールの形など、鳩のある種の特性が遺伝することを認めていた。しかし、彼らがダーウィンのように苦労したのは、鳩の先天的な特徴と、環境の影響や遺伝子の突然変異によって得られた特徴を分けることだった。

The Homing Pigeon Annual (1915:7)によると、鳩の繁殖において、鳥は「我々の知識の現段階では、ほとんど何も知らない法則や力に左右される」と説明されている。鳩レース関係者は科学的な繁殖について十分に理解しておらず、実践する手段もなかったが、ダーウィンやメンデルの理論を利用しようとは思わなかったのだろう。それでも、レーサーたちは自分たちの観察と経験に基づいて、徹底した方法論と計算に基づいた交配を実践していた。

オスマンは「理論では健全な系統の鳩は作れない......何年もかけて努力するしかない」と警告している(RP, 1916 (35(1751):213))。多くの成功したブリーダーは、「試行錯誤による知識」を得ていることを認めており、「自分の技術を他人に伝える」ことができないことが多かったようです(RP, 1930 (51(2478):263))。

鳩レースの選手たちは、自分たちの経験や、羽の色、目の色、体の形などの視覚的な遺伝の指標に大きく影響され、科学的な理論を自分たちのスポーツに最適な方法で解釈していたようです。

 ■7.1.2 鳩の血統■ 鳩の血統とは?  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 4:05 修正
競走馬の繁殖方法の中心には、血統書の使用が促進され、純血種の家畜やファンシー・ブリーディングに関連する威信や権力と同様に、血統や先祖へのこだわりがありました。これは貴族的なものと解釈することもできるが、より正確には、より遠くへ、より速く飛べる鳩を作ろうとするレーサーたちが、この動物のスポーツを組織化し、発展させようとしたものと解釈することもできるだろう。

レースで成功した鳩の血統は『Squills Dairies』や『The Racing Pigeon』などの本に掲載され、レースの成功を説明するために詳細な家族の歴史が書かれている(図7.4)。ローガン(1924:69)が書いたように、大多数の鳩レース関係者は「血統にうるさい」人たちであり、オスマン(1924:18)は「血統と出世がなければ、家畜の飼育は純粋な宝くじだ」と付け加えている。

血統書に基づく繁殖は、計算された方法論に基づいて行われ、遺伝した資質に基づいて鳥の身体的パフォーマンスを「固定」し、再現しようとするものでした。あるレーサーは「血統は整理されたデータである」と書き、「事実を言葉と数字に置き換えたものであり、公式である」と述べています(RP, 1918 (37(1873):267))。

多くのレーサーは、書かれた血統書を運動能力の保証と見なしており、あるレーサーは、鳥は「これまでに行ったことと、将来的に期待されることの両方で評価される」(RP, 1898 (1(33):533))と述べ、また別のレーサーは、血統書は「鳩の期待値を理解するための鍵」(RP, 1918 (37(1873):267))であると付け加えた。

競走者たちは、成功のチャンスは無限にあると信じ、自分が繁殖させた鳥は、自分のロフトの将来の可能性のほんの一部に過ぎないと考えていたのです。鳩の近親者に基づいて、想像力に富んだ競技者としてのアイデンティティが予想され、構築されていった。

The Homing Pigeon Annual (1916:49)に掲載された記事では、「個々の鳥には、その先祖すべての産物が詰まっている」と述べている。鳥を定義する上で血統が非常に重要であったため、鳩を販売する広告では、鳥そのものについては何も書かれておらず、代わりに飼育していた鳩のペアに焦点が当てられ、販売される鳥の個性が失われていた。

このことは、1907年にMr Thorougoodが作成したカタログ(図7.5)に示されている。ソーグッド氏は「このスポーツの初期のパイオニアの一人」と言われており、「500マイラー」を繁殖・販売することで長距離レースを「稼げるビジネス」にした人物である(RP, 1920 (39(1980):600))。

 □  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 4:07 修正
彼のカタログで販売されている鳥は「スキーカー」(生まれたばかりの鳥)であるが、カタログには鳥の両親(「ペア」と呼ばれる)の功績と祖先が詳細に記載されており、これらの若くて実績のない、そして匿名の鳩の「価値」はその血統から推測される。しかし、これは『The Racing Pigeon』に掲載された古い鳥の広告の多くにも当てはまり、通常は各鳥の主な功績の後に血統書が記載されていた(図7.6)。

血統に細心の注意を払うことで、レーサーたちは「一貫した結果が得られる系統を作り上げる」ことを目指した(Osman, 1924:18)。系統は何世代にもわたって近親交配を繰り返すことで作られ、「純血」と呼ばれる「血」で結ばれた鳥の異なる家族やサブタイプを作り、標準化した。鳩レースの選手たちが血統にこだわるのは、当時の優生学の研究者たちと同じである。彼らは系図の研究を通じて、「過去を受け継ぐ問題」と「将来の世代を計画する楽観的な可能性」に関心を寄せていたのだ(Bashford and Levine, 2010:10)。

このように、すでに説明したファンシーピジョンのブリーダーと同様に、ピジョンレーサーの実践と見解は、優生学の動機と言葉に似ていた。レーサーは「完璧な」アスリート、至高の「レース」の鳥の繁殖をコントロールし、改善しようとしたのである。

運動能力の鍵は、世代を超えて受け継がれ、近親交配によって標準化されるとレーサーたちは信じていたのです。近親交配がもたらす健康上の脅威を認識していたにもかかわらず、オスマン(1910:33)は、「巧みなブリーダー」は「どれだけ近親交配をして、どれだけ近親交配をしないか」を知っていたと説明しています。

しかし、それぞれの系統は、最初は他の系統を合成したものであり、運動能力は異種交配によってつなぎ合わされ、その後、近親交配によって純化された。何をもって「純粋」とするかは議論の余地があり、あるレーサーは「広告では、鳥は常に純粋であると表現されているが、そのようなものであるという主張はほとんどない」(RP, 1916 (35(1741):89))ことから、「純粋さの基準」を訴えていた。

ウォーマード(1907)は、最も完成度の高い系統は「王朝」の称号を得ることができると主張し、その言葉はおそらく血統書付きの繁殖に伴う気取りを反映している。英国で最も評価されている系統は、ほとんどのレーサーがローガン系統であると認めていましたが、すでに明らかになっているように、彼の鳥は主にベルギー産でした。

ロンドン・コロンバリアン・ソサエティの創設者であるジョン・デイによると、ベルギーのレース鳩は1850年代に「飛行能力に優れている」という理由でイギリスに輸入され、イギリスの長距離レース鳩の開発に利用されたという(FW, 1898 (18(446):34))。

デイはファンシーピジョンも飼い、ピジョンクラブ、NPS、USHCのメンバーでもあったが、ベルギーのレース用ピジョンについてはかなりの研究を行っていた。「Osman(1924:20)は、「イギリスの系統の基礎は、ほとんどすべてベルギーの系統に基づいている」と主張している。ベルギー系統の価値が高かったため、英国産の鳩の広告にはベルギーの血統を誇示するものが多く(図7.7)、


 □  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 4:18 修正
『The Racing Pigeon』誌には定期的にベルギーの血統に関する記事が掲載されていた。Osman(1924)は、ベルギーの鳥類とそのレーサーを4つの地理的なグループまたは「ファミリー」に分類した。オスマンは、イギリスで最も有名で評価の高いベルギー鳩はヴェルヴィエ家に属し、特にオスマンの意見では「ベルギー史上最高の長距離レーサー」であるムッシュー・アレクサンドル・ハンセンヌが育てた鳩には、上述のオールド86(RP, 1898 (1(30):482))が含まれるとした。最後に、ブリュッセル家の鳥は、リエージュ鳥とアントワープ鳥の交配種である。ブリュッセル出身のレーサーには、ムッシュ・グルーターズがいて、彼の記事には「彼のチャンピオンが得た大成功によって、その名声が正当化された」と書かれています(RP, 1923 (42(2105):141))。

列車には、それを作ったレーサーの名前が付けられ(例:「Osmans」、「Logans」、「Hansennes」)、彼らの繁殖の成果を認め、彼らの評判と鳥の評判を結びつけていた。これは間違いなく、レーサーとその鳥の共同構成を最も明確に表現したものだった。鳩レースは、あるコラムニストが、レースファンシーの中で社会的地位を得るために「優位性を求めての熾烈な争い」であると述べている(RP, 1904 (12(562):458))。

鳥はレーサーに「多くの成功と名声」をもたらし、運動能力の高さと製作者の評判を体現する存在になったとオスマンは書いている(RP, 1925 (44(2242):785) )。このように、血統書は羽毛のメンバーとそれを作ったレーサーの両方を定義し、レーサーとハトのアイデンティティーを密接に結びつけていた。

レーサーのロフト全体が彼らの名前と同義である一方で、いくつかの個々の鳥は彼らの創造者とより密接に結びついていました。ある系統の代表として個々の鳥を選び、その例として表彰台に乗せることで、血統書が構築する想像力豊かな運動能力を再確認することができたのです。

例えば、オスマンは、Mr Thorougoodは「常に彼の有名なストック牝犬26Aと一緒にいて、このロフトの基礎となっている」と述べています(RP, 1899 (2(52):228))。実際、ソローグッド(1907)のカタログの裏表紙には、この鳥とレーサーの共同生産の様子が描かれており、26Aの写真が誇らしげに飾られている(図7.9)。

Thorougood氏自身(1907:5)も彼女を「私のロフトの母」と表現しており、彼女の成功がいかに彼自身の評判と密接に関係しているかを物語っている。このように、ソーグッド氏と26Aの両者は、この関係によって再構成され、両者のアイデンティティが絡み合っていくのである。このように、レース鳩とそのオーナーの伝記は、共同で構成されているのである。

 □  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 4:23 修正
レーサーたちは定期的に、鳥を賢明に繁殖させ、訓練(セクション7.2参照)することに熟練し、工夫を凝らしていることを強調していた。「チャンピオンを生み出すために鳥を交配させるにはブリーダー側の技術が必要である」とオスマンは書いているが、「それを否定することはできない」(RP, 1911 (26(1291):331))。

『The Racing Pigeon』誌に掲載されたレース結果は、意図的ではないかもしれないが、ハトのレーサーの優先順位を高めることに貢献していた。結果は一般的な「ニュース」や関心事として発表され、レース後にクラブハウスですでに発表されていたようだが、通常は「勝者の速度よりも数少ない速度」が記載されていた(Squills, 1912:14)。

結果の「価値」は、距離、天候、競技者数などの詳細が含まれていることで強化された。したがって、結果の公表は、スポーツに関する部分的な物語を構築した。スポーツに関する部分的な物語を構築し、人間の功績を強調したのです。

レーサーが自分の鳥のパフォーマンスの手柄を主張するのはごく普通のことだったし、少なくとも彼らの言葉にはそのような意味が含まれていたようだ。鳥の広告は、レーサーの「ロフト」の総合的な成果を強調することが多く、個々の鳥の成功からは切り離されている。その一例が図7.11に見られるように、まるでレーサー自身がレースを飛んだかのような鳥の広告である。
「1913年、私は49位のオープンレースに出た」(Squills Diary, 1915:53)。

この広告では、非常に実用的で根拠のある言葉を使い、手入れの行き届いた、秩序のある組織化されたロフトを暗示している。「この広告では、非常に実用的な証拠に基づいた言葉が使われており、手入れの行き届いた、秩序立った、組織化されたロフトを暗示している。同様のレトリックは、鳥を販売するほとんどの広告で使用されており、広告は通常、手紙や記事で使用される情熱的で熱心な説明ではなく、鳥のパフォーマンスや血統を簡単に明記している。

図7.11の広告に掲載されている写真には、レーサーの鳥が一羽も写っていないのが目立つ。これは珍しいことではなく、他の広告では販売する鳥の親の写真が代わりに掲載されており(図7.7および7.8参照)、外観よりも血統と性能が重要であることを示唆している。しかし、この章で明らかになったように、このような区別をするのは難しい。

 ■7.1.3 有名なもの、忘れられたもの ■  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 4:27 修正
常に成功を収めた鳥は「チャンピオン」や「エース」と呼ばれた。しかし、「チャンピオン」という言葉は使い古されており、その定義についてのコンセンサスが得られていないため、使用価値がほとんどないとレーサーたちは懸念していた。

書籍やピジョン・プレスは「有名な」ピジョンを特定し、それらを「セレブリティ」と呼んだ。例えば、Barker (1913:177)は「How to Breed "A Champion"」と題した章で、2羽のOsmansと2羽のLogansを含む40羽の成功例を挙げ、「鳩の歴史を作るのに貢献した」と主張した。

しかし、印象的な血統や純粋な系統が求められるため、実際には大多数のレース鳩はこれらの物語から除外されており、有名な親戚や自身の成功、あるいは著名なオーナーのおかげで書籍や鳩専門誌に登場するだけである。

つまり、ここで語られているのは少数の鳩だけであり、その他の鳩、つまり、あまり知られていないオーナー、あまり重要な功績を残していない鳩、控えめな血統の鳩については、これらの資料からはほとんど知ることができない。

「チャンピオン」の反対側には「失敗」があり、期待されたことを達成できなかった鳥たちがいた。The Racing Pigeon』誌では、個々の「失敗」についてはほとんど触れられていないが、レーサーたちは成績不振の鳩をどうすべきかよく議論していた。

興味深いことに、鳩自身が成績不振の責任を問われることはほとんどなく、その責任は鳩の所有者が負うことになる。「このようなケースの大半は、繁殖と調整に関する最も基本的なルールを破ったことに問題がある」と、あるレギュラーコラムニストは述べているが、これは飼い主の「管理の誤りに対する自らの盲目さ」に起因するものである(RP, 1905 (15(713):956))。運動能力の高い鳩とは何か」という議論は、「優れたレーサーとは何か」という議論でもあったのである。


Ogdens(1931年)のシガレットカードは、サッカーのトレーディングカードに有名選手が描かれているのと同じように、レースに参加していない人々に鳥類のスーパースターとして描かれていた。シリーズの5分の2以上(42%)は、特定の人物の功績を取り上げており、裏面にはレースキャリアや血統をまとめた詳細が記載されている(図7.12)。

「チャンピオン」の反対側には「失敗」があり、期待されたことを達成できなかった鳥たちがいた。The Racing Pigeon』誌では、個々の「失敗」についてはほとんど触れられていないが、レーサーたちは成績不振の鳩をどうすべきかよく議論していた。

興味深いことに、鳩自身が成績不振の責任を問われることはほとんどなく、その責任は鳩の所有者が負うことになる。「このようなケースの大半は、繁殖と調整に関する最も基本的なルールを破ったことに問題がある」と、あるレギュラーコラムニストは述べているが、これは飼い主の「管理の誤りに対する自らの盲目さ」に起因するものである(RP, 1905 (15(713):956))。運動能力の高い鳩とは何か」という議論は、「優れたレーサーとは何か」という議論でもあったのである。

レーサーの選択的繁殖は、交配のために慎重に鳥を選ぶだけでなく、「処分」のためにも選ばれていた(図7.13)。競走者は現実的で、経済的・実用的な理由から、また鳥の健康を守るために、ロフトに入れる鳥の数を制限していた。あるコラムニストはこう警告した。

「過密飼育は常に危険であり、その結果、雰囲気が悪くなり、不潔になり、穀物や水が汚され、鳥が不快な思いをするのは避けられない」(RP, 1918 (37 (1878):307))。

ダーウィンのマルサスの競争理論のように、ロフトには収容力があり、これ以上人口が増えると鳥に害を与えるという平衡点があったのです。その結果、ほとんどの鳩レース関係者は定期的に「除草」を行い、あるレーサーの言葉を借りれば「ゴミの除去」を行っていた(RP, 1923 (46(2340):726))。

彼らはこのことを非常にオープンにしており、血統、トレーニングパフォーマンス、レース結果、換毛パターン、一般的な気質などを慎重に考慮した上で、淘汰する鳥を選択する最良の方法について話し合っていた。しかし、鳥を殺すための方法は暗黙の了解となっていた。

「適者生存」という言葉は、1860年代に社会的ダーウィニストのハーバート・スペンサーが使った言葉ですが、レーサーたちは、レースが「自然に」鳥を淘汰する方法を説明するためによく使っていました。あるコラムニストは、シーズン中に行われる競技が「自分(レーサー)が行うよりもはるかに効果的な方法で」弱い鳥を排除するのに役立っていると信じており(RP, 1904 (13(608):324))、また別のコラムニストは「我々のスマッシュの多くは、それ自体が不幸中の幸いであることを証明するだろう」と認めています(RP, 1905 (15(700):120))。

レースは、レーサーの視点から見ると、ロフトの人口に対するマルサスの「ポジティブ・チェック」のようなものでした。しかし、農夫が家畜を飼うように、これは必ずしも鳥を生きた対象として無視することを意味するものではなく、レーサーが喜んで鳥を殺すことを意味するものでもありませんでした。『The Feathered World』誌のレース担当記者は、楽観主義であれ同情心であれ、ほとんどのレーサーは「もう1シーズンだけ危険を冒そうとする粘り強さのかすかな火花」を常に探しており、「ダフ屋を飼う」ための言い訳をしていると説明している(FW, 1908 (39(1009):633))。

実際、この章で紹介するように、レーサーが自分の鳥に思いやりを感じていたことを示す証拠があります。レーサーは自分の鳥を大切にし、多くの時間とお金を投資していました。したがって、鳩レースの中心であるケアと虐殺の間にはパラドックスがあり、レーサーは慎重な注意と厳しい無神経さを同時に示していたのである。

  ■7.2 Embodying Athleticism(アスレチックを体現する) ■  Kate Whiston     2021年7月29日(木) 4:47 修正
最も綿密に監視された繁殖であっても、その結果は予測不可能な部分があるため、レーサーが鳩のレース能力を示す視覚的なマーカーを求めたことは、おそらく驚くべきことではありません。鳩レースをする人たちにとって、自分たちの鳩が肉体的にフィットしていて、回復力があり、信頼でき、タフであることは重要なことであり、おそらく彼ら自身の道徳的、肉体的な期待を反映しているのだろう(Ditcher, 1991; Johnes, 2007)。

彼らは、体力や運動能力は「紙に書くのが非常に難しい量」(RP, 1916 (35(1736):8))であることに同意し、単に「良い鳥に顕著な知性の明確でない表情」(RP, 1918 (37(1858):140))を持つ鳥がいることを認めていた。ある社説はこう説明している。

「適した鳩は、適していない鳩とはチョークとチーズのように違います。色はくすんでいて、目は元気がなく、羽毛はヤマアラシのように逆立っていて、ロフトでぼんやりしている不適格な鳥を見たことがあるでしょう...では、適合した鳩を思い浮かべてください。羽根はなめらかで、通気口はしっかりしていて、肉は乾燥していて固く、目はダイヤモンドのように輝いている......まるで喧嘩相手を探しているテリアのように......戦闘態勢だ」(RP, 1922 (41(2060):259))。

そのため、レーサーが鳥の健康状態を判断する際には視覚的な情報が重要となるが、ほとんどのレーサーは、鳥が健康そうに見えても「疲れる旅や非常に長い距離のレースの疲労に耐えるだけの身体的な健康状態」ではないことを認識していた(RP, 1916 (35(1753):236))。

健康とフィットネスはレーサーにとってほとんど目に見えないものであり、内面的な状態は必ずしも目に見えるサインを伴わない。さらに、外見上の特徴がレースに適している鳩もあれば、単なる装飾品のようなものもあり、両者の区別は常に歪んでいた。

「Osman (1910:149)は「長距離レースでの成功は、鳥の体格にかかっている」と書いている。競走用の鳥の最適な体形については、それぞれのレーサーが異なる定義をしていたが、基本的な機能的特性については概ね一致していた。これらの羽毛アスリートの体はレーサーたちに高く評価されており、レーサーたちは彼らを機械のようだと表現していた。例えば、Barker (1913:46)は、蒸気機関に例えている。

「鳩の体内では、摂取した食物が体内で燃焼して熱と力を生み出し、体の各部を動かす筋肉を作動させる...炭素と水素が燃焼して熱とエネルギーを生み出す」。

と、機械に例えて、ハトの体が鍛えられ、操作され、しかもパワフルであることを表現した。レース用のハトの大きさについては大きな議論があり、「大きくて力のある鳥は、小さい鳥よりも逆風と戦うのに適している」という意見がある一方で、「小さい鳥は、その大きさに比例して、大きい鳥と同じくらい力があるかもしれない」と主張する人もいた(RP, 1916 (35(1778):524))。

つまり、大きさとはプロポーションと均衡のことであり、鳥は空中でバランスを保ち、浮力を得ることができるのである。平均的なレース用の鳩は、体重が16oz. (平均的なレース鳩の体重は16オンス(1ポンド)で、「中型」だったと報告されている(Cope Bros.、1926年、No.17)。しかしレーサーたちは、成功した鳩にはあらゆる形や大きさがあることを認めていた。

一部のレーサーは、ハトの体の生理機能(特にサイズ)は飛行ルートの地理的条件によってある程度決定されると考えていた。あるレーサーは「ルートが難しいほど鳩は小さくなる」と述べている(RP, 1916 (35(1763):370))。

したがって、彼らは環境の影響が鳩の能力に影響を与える可能性を認識していた。たとえば、『The Racing Pigeon』誌の連載コラムニストは、スコットランドのレース用ピジョンを次のように表現している。例えば、『The Racing Pigeon』誌の常連コラムニストは、スコットランドのレース用ピジョンを「軽くて風通しがよく、自由で気楽、そして驚くほど強い小さなピジョン......小さな猿」(RP, 1916 (35(1763):353))と表現している。一見、スコットランドの丈夫さについてのありきたりな分析のように見えますが、彼はその議論を地理的に組み立てています。彼は、「スコットランドの鳥は、フィニッシュが厳しく、コースが難しいため、体格が抑えられている」と主張し、スコットランドの鳥はイギリスの鳥よりも小さくて強いとしています(RP, 1916 (35(1763):354))。全てのレーサーが同意しているわけではないが、別のレーサーは鳩のサイズは地理的に段階的に変化していると示唆している。

「ヨークシャーや北部では大きな鳩は育たず、小さな鳩が育つ。これらの鳥を極北に移植すると、2シーズン後には目に見えて小さくなっているだろう」(RP, 1916 (35(1763):370))。

 □  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 3:51 修正
さらに、レース用の鳩の特徴として注目されたのが、その羽毛である。羽根は鳥を「ハンサム」に見せる効果がある一方で、レーサーたちは鳥の健康状態を示すものだと信じていた(The Homing Pigeon Annual, 1913:34)。あるレーサーは「豊富な羽毛...絹のような光沢のある豊かな質感の羽毛...これは健康の代名詞」と説明しているが、しばしば健康状態を示すものと勘違いされていた(The Homing Pigeon Annual, 1913:4)。

この羽は機能的でもあり、雨や霧の中でも鳥を助けてくれる油性を備えていた(Logan, 1924)。レーサーたちは「完全な」翼の重要性を強調し、その結果、換羽期(9月〜12月)は「レース用の鳩が最大限のケアを必要とする期間......一年の中で最も重要な時期」となった(Barker, 1913:147)。

多くのレーサーは自分の鳥の換羽を注意深く研究し、個々の「フライト」(羽毛)が抜け落ちる正確な順序を知り、温度、換気、食事、交尾を調整して換羽を遅らせるようにした。

羽根の成長と鳥の一般的な健康状態には微妙な関係がある」と『The Racing Pigeon』誌のあるコラムニストは書いており(RP, 1908 (21(1023):334))、不完全な換羽は、羽根を再生する際に血液供給に負担がかかるため、健康と体力の低下を引き起こす(Osman, 1910)。レース用の鳩の羽は、健康と運動能力にとって重要であると同時に、観賞用の機能も持っている。

『The Racing Pigeon』誌の常連寄稿者の一人は、特定の羽の色、頭の形、目の色などの美的嗜好が「誤り」であるため、レーサーは「それほど正確でも科学的でもない」と論じた(RP, 1904 (12(563):490))。前述のカラーブリーディングは、美学と運動能力の区別を曖昧にするものでした。同様の美学的理論として、目の色の理論、つまり「目の研究」があり、白目や真珠色の目は鳥を弱くするとされていた。

この説は特にベルギーで流行し、あるベルギー人レーサーはこう説明しています。目は魂の鏡だと考えられている......系統の真正な印鑑......対象者の系譜を示す文書だ」と説明しています(RP, 1923 (42(2100):27))。

しかし、イギリスのレーサーたちの多くは懐疑的で、ある社説にはこう書かれていた。「しかし、我々は様々な色の目を持つ鳥がレーサーとして同じように成功しているのを見てきた」(RP, 1923 (42(2102):68))。しかし、ほとんどのレーサーにとっては、鳥の目が「きらめくような輝き」を放っていることが重要であり、「金属的な輝き」は健康で活発であることを示していました(RP, 1923 (41(2100):27))。

さらに、外見と能力を混同した例として、一部のレーサーが「地元のコブ」と呼んでいたものがある。これは、額が突出していることで脳が大きく、その結果として知能が高いことを示していると考えられていた。

優れたレース鳩には、「脳を保持する能力を示す、きれいなカーブを描いた頭蓋骨」が必要だと考える人もいた(RP, 1904 (13(612):397))。この理論は、19世紀に科学界と一般社会の両方で人気があり、論争の的となった骨相学における人間の分類と類似しています(Parssinen, 1974; DeMello, 2012)。

Boyd and McWilliam (2007)によれば、ヴィクトリア朝の科学は、地質学と生物学、そしてメスメリズムと骨相学を含む広い範囲をカバーしていました。Parssinen (1974:2)によると、骨相学の基本は、「個人の心理的特徴は、脳内の制御器官の大きさや割合によって決まる」という信念であり、それは頭蓋骨の形状によって示されていました。

これは、「身体的特徴から個人の性格を推測できるという前提で、長年にわたって確立されてきた大衆的伝統の最新の現れ」であったと付け加えている(Parssinen, 1974:7)。骨相学は19世紀半ばには強い批判にさらされたが、それでも20世紀初頭には世間の議論、そして実際に鳩レースの選手たちにも影響を与え、後には「人の犯罪性を判断したり、人種的な優位性や抑圧を正当化するため」に使われるようになった(DeMello, 2012:247)。このような人間の外見に対する魅力は鳩レースの練習にも反映されたが、1905年の『The Racing Pigeon』誌のコラムニストはこう書いている。

「教育を受けた人々の間で骨相学が魔術や水晶占いなどと同じようになってしまった今日、鳩の頭の大きさ、形、輪郭が脳の大きさや質を示す信頼できる指標になると考える人がこれほど多いとは驚きです」(RP, 1905 (14(642):5) )。




 ■7.2.2 レース用ハトのコンディショニング■  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 3:56 修正
「スポーツ選手が成功するかどうかは、次の2つの点にかかっているとオスマンは書いている。

人間の運動能力に関するこの記述は、レース用のハトにも同様に適用できると彼は考えたのである。肉体的にも精神的にも鳩を準備することで、レーサーたちは「コンディション」と呼ばれる健康とフィットネスの完璧な状態に持っていくことができると主張した。

コンディションとは、目に見える具体的な美学でもある。羽根の光沢や目の輝きだけでなく、飛翔中の動きやハンドリングしたときの感触からも、レーサーたちはコンディションを判断していた。「適切な状態であれば、鳥は手の間をすり抜けていくような性質を持ち、頭を上げ、目を輝かせて離陸のチャンスをうかがっている」と社説に書かれている(RP, 1899 (2(49):179)

コンディションは、ほとんどの場合、入念な準備、ケア、トレーニングの結果であり、レーサーは運動能力の高い鳥を育てる「匠の技」としての重要性を常に強調していた(The Homing Pigeon Annual, 1915:13)。

コンディションを整えるのは大変なことですが、それだけにレースでの成功はレーサーにとってやりがいがあり、評価も高くなります。コンディションに影響を与える要因として最もよく挙げられるのが食事で、各レーサーはエンドウ豆、タレ、豆、トウモロコシ、大麦などを季節ごとに組み合わせていた。また、食品メーカーも栄養価の高い既製の混合飼料を販売していた。

例えば、1930年の『The Racing Pigeon』誌に掲載されたPictor社の「Keepfit Mixture」(図7.14)の広告は、鳩レースの選手が自分の鳥に適した餌を選ぶ責任があることを強調し、Pictor社の餌が羽のある選手の「エンジンに火をつけ」、成功を約束することを示唆している。

1938年のHindhaughs社の餌の広告(図7.15)では、レースに勝つことの栄光を表現している。この広告は、レースで優勝した鳥が家に帰るときに「まっすぐな道」を通ってほしいというレーサーの願望を利用し、彼らの製品が成功への確実な道であることを示唆している(RP, 1938 (67(2890):172))。

太陽がトウモロコシを「銀のように」照らすというイメージは、レース参加者がヒンドホーの餌を鳥が獲得するお金に結びつけることを促し、広告はそれに対応して、自社製品を購入したレース参加者に特定のレースで賞品を提供した(RP, 1938 (67(2890):172) 。)

しかし、この広告には、レース用の鳩のコンディションを整えるための他の条件も記されていた。「十分な運動、清潔さ、きれいな水、きれいな食べ物、新鮮な空気」(RP, 1938 (67(2890):172))。このように、鳩用品の広告には、鳩レースの背景にある慣習や哲学が反映されているのである。


 □  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:02 修正
また、砂利や塩ブロック、「天然」のトニックなどの栄養補助食品も、鳩の健康を保つためにレーサーたちが使用していた。Liverine社は『The Racing Pigeon』誌で最もよく宣伝されていた健康補助食品会社のひとつで、1935年の広告では、ハトに代わって一連の漫画がハトの求めるものを示唆していた(図7.16)。

一部のレーサーが使っていた機械のようなメタファーとは対照的に、これらの広告はハトを生き物としてとらえ、ハトの健康の弱さとレーサーのケアへの依存を描いている。また、衛生や健康の重要性といった現実的な関心事を利用し、広告はレーサーの実践を反映すると同時に、製品の必要性を作り出すことでレーサーを形成している。

一方、『Homing Pigeon Annual』誌(1910:52)の記事では、一部のレーサーが鳥のパフォーマンスを不正に向上させるために、「謎の『赤い瓶』」と呼ばれる製造された薬を使用していたことが示唆されている。

この習慣がどれほど広まっていたかは不明だが(調べた他の資料にも記載がなかった)、この記事では、刺激物は鳥を「より疲労し、疲弊させ...神経と筋肉は弛緩し、体は...寒さに耐えるのに適した状態ではなく...感覚は...鋭敏ではない」と警告している(The Homing Pigeon Annual, 1910:52)。

レーサーの道具箱の最後の道具は、鳥の世話をするために利用できる様々な器具で、運動能力の高い鳥をレース用の状態に構築し維持することができました(図7.17)。

器具の中には、バスタブ、ネストパン、スクレーパー、餌と水のホッパーなど、衛生面や快適性を確保するために使用されるものもあれば、巣箱、止まり木、飼育箱、ケージ、偽卵、トラップ(ロフトへの入り口)、ネット、ウィングロックなど、鳥のロフト内の空間利用や行動を調整するものもありました。

鳩レースの選手たちは、鳥のコンディションを整える際に、「それぞれの対象の異なる特性に細心の注意を払い」(RP, 1899 (2(47):154))、「それぞれの鳥の優れた点を研究し」(RP, 1916 (35(1765):375))たという。あるコラムニストはこう説明している。

「真の鳩の管理とは、個々の鳩を正しく管理することである...ロフトの中の一羽一羽を、単に群衆の一羽としてではなく、独立した個人として捉え、扱うことである...一羽の鳥を、独自の小さな特異性、長所と短所、好き嫌い、欠点と失敗、美点、そしておそらく悪点を持つ、感覚的な存在として絶対的に認識することである」(RP, 1927 (46(2340):726))。

あるレーサーは、ロフトを「秩序ある...ハトの軍隊」と表現した。レーサーは、どの鳥が「ある攻撃方法に最も適していて、別の攻撃方法に最も適している」ことを知っているので、訓練され、統制され、指導されていた(RP, 1910 (24(1163):5))。

Ogdens(1931年、No.46)のシガレットカードには、「競走馬が最も得意とするコースや、スポーツ選手が得意とする距離があるように、鳥によって適したレースが異なる」と書かれていた。競走馬が最も得意とするコース、スポーツ選手が得意とする距離と同じように」と書かれていた。

その結果、レーサーたちは個々の鳥を観察し、「彼らの小さな動きをすべて理解する」ことを学んだ(『The Homing Pigeon Annual』1910:52)。これには鳥との親密な関係が必要で、「ハトの中」で多くの時間を過ごし、彼らの信頼を得る必要があった(RP, 1916 (35(1765):375))。

競走者たちは鳥を識別するためのシステムを考案した。ほとんどのレース鳩は、固有のリングナンバー、生まれた年(例:Old 86)、またはロフト内で割り当てられた番号(例:26A)で呼ばれていた。しかし、中には名前を付けられた鳥もいた。繁殖や訓練の残酷な実用性とは対照的な、曖昧な思いやりのある行為である。

例えば、「Old Billy」、「Albert」、「Teddy」、「Spearmint」、「Mumpy」、「Primrose」のように、生まれたときからペットのような名前が付けられているものもある。また、既存の、あるいは希望するレース特性を反映した記述的な名前を与えられた。

Gallant」、「La Concorde」、「Gold Finder」、「Iron Duchess」、「Sensible」、「Finisher」、「Reliance」、「Consistence」、「Savage」、「The Rapid」など、既存の、あるいは希望するレース特性を反映した記述的な名前が付けられたものもあった。一方、レース鳩の中には、「The Pons Cock」、「Rome I」、「La Rochelle」、「Cheltenham」、「Wanstead Wonder」など、レースで活躍した後に、レースの開催地にちなんだ名前が付けられたものもあった。

このように、彼らのアイデンティティーはパフォーマンス的なものであり、彼らの功績が彼らのアスレチック能力を決定づけていたのです。一方で、もっと感傷的で意味のある名前を付けられた選手もいました。それにはストーリーがあります。例えば、オスマンのオールド・ビリーを父に持つ鳥は、1892年にスコットランドで行われたレースの後、「モーティフィケーション」という名前が付けられました。

レース中に大怪我をしてモーティフィケーション(壊疽)になってしまったが、オスマンは逆に彼を看護して次のレースシーズンに向けて健康を回復させたという。このように、鳩レースに参加する人たちは、冷酷なまでに現実的な方法で仕事用の鳩を管理することが多いが、一方でレース用の鳩に対しては、愛情を持って接していたのである。

 ■7.2.3 レース用ハトのトレーニング■   Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:06 修正
レーサーたちは、鳥を「改良」し、レースに向けて準備し、レーサーがどの鳥をレースに出すかを選択するためのトレーニングの重要性を常に強調していた。彼らは、鳥を上手に調教するためには多くの技術と知識が必要だと主張し、あるレーサーはそれを「鳩のブリーダーとスポーツマネージャーの芸術」と呼んだ(RP, 1933 (58(2666):394))。

これにより、人間との関係の重要性が強調され、鳩の肉体的・精神的能力が切り捨てられた。あるコラムニストは、「訓練の目的は、鳥を我々が言うところの "コンディション "に持っていくことであり、体のすべての器官の "スーパーフィットネス "のようなものだ」と書いている(RP, 1933
(57(2638):276)). 彼はこう続けた。

「余分な脂肪とすべての老廃物を取り除き、筋肉を調整しなければならない......フィットネスの建物を建てるための強固な基礎として、健康でなければならない......私たちは鳥を肉体的な意味で訓練するだけでなく、精神的にも訓練しなければならない」(RP, 1933 (57(2638):276))。

つまり、トレーニングは、レーサーが肉体的にも精神的にも運動能力の高い鳥を「作り」、自分の「状態」をコントロールするためのプロセスであり、生政治的なプロジェクトだったのである。しかし、トスの調教はレーサー自身に自信を与え、彼らの努力や方法、リスクを正当化するものだったとも言えます。訓練は鳥が生後2〜3ヶ月のときに始まり、説明されているように、距離を伸ばして連続して「トス」を行うものだった(Tegetmeier, 1871)。

レーサーたちは、北と南の両方の道を飛ぶのは彼らを混乱させると主張して、常に同じ方向に鳥を飛ばした。トスは「飛球線」に沿って行われ、レース当日にレーサーが鳥に歩かせたい直接のルートであり、最後のストレッチは理論的にはどのレースでも同じである。

このようにして、レーサーは鳥たちの空中での動きを構成し、彼らの直線的な帰路は、ロフトからリベレーション、ロフトへと、ほとんどサーキットのようになった。鳥たちは、「Old Hand」(ND:60)が言うところの「行動パターン」を形成するために、定期的な運動とトレーニングを行い、このプロセスを子犬のトレーニングになぞらえていた。したがって、鳥の体のリズムは、規律あるアスリートを生み出すために、指示された日課に合わせて修正されたのである。

 □  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:12 修正
レース用の鳩を訓練する際には、鳥を飼いならすことが重要であり、ロフト内のレーサーとの交流を容易にするために、鳥の行動を修正した。初期のレーサーの中には、神経質な鳥はホーミングに向いていると考えていた者もいたが(Brent, 1859)、20世紀になると、成功したレーサーの多くは「鳥をできるだけ飼いならす方が成功につながる」と考えるようになった(RP, 1904 (13(627):250))。

あるコラムニストは、レーサーはペットとの関係になぞらえて、「自分の声や自分の存在に鳥を慣れさせる」ことを勧めている。「多くの人は......紡績会社がタビーやカナリア、オウムに愛情を注ぐように、自分の鳥に話しかけている(RP, 1904 (13(627):250))。

オスマンは、レースをする人は「鳥に自分のことを知ってもらい、すぐに手に来るように教える...習慣にする」ことに同意し、レースをする人の中には、幼鳥の頃に手で餌を与えたり、口から餌を与えるように教えたりする人もいた(図7.18、図6.14も参照)(RP, 1918 (37(1872):257))。

このように、『The Racing Pigeon』の記述は、鳩レースの選手とその鳥の間に密接な関係が生まれたことを示唆している。鳥の生来の臆病さが取り除かれ、レーサーと鳩の間に信頼関係が築かれ、それが鳩レースの成功には欠かせないものとなったのである。しかし、中には飼いならすことに抵抗し、自由意志を示したり、捕獲を逃れたりする鳩もいたという。

ハトは「生まれつき簡単に学べる能力を持っている」(RP, 1939 (69(2942):162))とレーサーたちが認めていたにもかかわらず、アスリートになる方法を教え込まれたのである。鳥が直接家に飛んでくるように教えるために、レーサーたちは食べ物を「鳥を完全にコントロールできるようにする」ための道具として使い、早く帰るための動機付けを与えた(RP, 1904 (13(627):251))。

またレーサーは、鳥が生まれながらにして持っている故郷への愛着や帰りたいという気持ちを利用して増幅させるために、さまざまな「トリック」を使い、鳥を「自然に興奮」させようとした(RP, 1933 (57(2626):193))。

親心を刺激するために人工卵を使ったり、嫉妬心を煽るために2羽の雄と1羽の雌をペアにしたり、欲求を刺激するために「ウィドーフッド」と呼ばれる雄と雌の鳥を別々に飼ったり、鳥が巣を守るように巣箱の仕切りをシースルー素材に変えたりする人もいました。

レーサーは「自然な」反応を刺激する一方で、彼らが鳥を置く状況は媒介された「不自然な」ものだった。このように、飼育されているハトの行動は操作され、習慣が変わり、「自然な」行動はさまざまに消去されたり、利用されたりしたのである。

レーサーの証言の中には、鳩とレーサーが協力し合ってトレーニングを行っていたというものがある。The Homing Pigeon Annual』誌の記事(1915:5)では、このスポーツは「人間と鳥の努力の組み合わせと協力の直接的な結果であり、鳥とその所有者の間に存在する完全な理解によって保証されている」と示唆している。

このように、レース用の鳥を準備する練習は、レーサーとその鳥がお互いに同調することで、相互に変化する可能性があるのです。The Racing Pigeon』誌の常連寄稿者は、レースをする人は鳩を理解するために鳩のように考える必要があると主張したが、同時にレースをする人は「自分の鳥に自分の精神性を吹き込むために、何らかの思考伝達の方法を使うべきだ」とも主張した(RP, 1918 (37(1872):258))。

オスマンは、「互恵関係が成功の鍵」であり、「平等な関係...公正な取引...相互の同情、相互の助け合い、相互の理解」であるとしています(RP, 1927 (46(2340):726))。したがって、鳩レースに関わる関係はパートナーシップやチームであり、生み出されるアスリートは野生と家畜の自然の組み合わせである。

飼育下では、レース用のハトは訓練されてアスリートに育てられ、レーサーは個々の鳥と家畜としての「レース用のハト」の両方を「体系的に形成」した(RP, 1904 (13(618):494))。しかし、あるレーサーが指摘したように、鳥は「人工的な環境」で訓練されていたため、「生まれ持った才能を十分に発揮する」ことができなかった(RP, 1905 (14(653):222))。

それにもかかわらず、多くのレーサーは自分の鳥がまだ「野生の本能の多く」を持っていることを認めており、レーサーはそれに合わせようとしていました(RP, 1918 (37(1841):4))。




 ■7.3 Understanding a Racing Pigeon (レース用ピジョンの理解)■   Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:14 修正
一部のレーサーが「第六感」と表現したホーミング能力は、レーサーの鳥に対する定義を覆し、驚きと畏怖の念を抱かせた(RP, 1939 (70(2980):313))。

鳩レースの選手たちは、鳩のホーミング能力は「訓練によって完璧にすることができる」と信じて一致していたが、この能力の背後にある仮説的なメカニズムについては、選手たちの間で意見が分かれた(RP, 1905 (14(642):9))。

実際、科学者たちもコンセンサスを得るのに苦労し、レース用の鳩は神秘的な謎に包まれていたのである。ハトの方向転換やナビゲーションの能力を理論化することで、レーサーたちは肉体的な成功に貢献する精神的な資質を理解しようとしたが、目に見える手がかりがないため、レーサーたちは自分の鳥の能力を真に利用したり磨いたりすることができなかった。その結果、レースの結果を完全にコントロールすることはできず、自分の鳥を賞賛し、尊敬することになったのである。

ホーミング能力を定義する試みは、レース用の鳩を「自然な」動物、知的な俳優、勤勉な学生、強力な観察者として再定義した。一方で、レース用の鳩の空中生活を再定義し、鳩が空中空間を利用する方法を理論化した。競走鳩のホーミング能力を説明する理論が多様化していることは、ホーミング能力自体が多様な性質を持っていることを示唆している。

実際、能力には個体差があり、他にも未知の要素があることを示唆している。議論の中には地理的な要素も含まれており、レーサーたちはハトが風景を地図に描いて移動する方法を理論化し、ハトに地理的な意識を持たせていた。鳩に与えられた責任の度合いは、鳩の能力を説明するために用いられた説によって異なり、レース用の鳩がレースの結果に積極的に影響を与えることを認める説もあり、レーサーの優位性をある程度弱めるものであった。
レーサーの優位性をある程度弱めることができると認める説もある。

  ■7.3.1 Instinct vs. Intelligence(本能vs.知性)■   Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:23 修正
レース鳩の復活には「天性の本能」が大きく影響していると多くのレーサーが考えていた。しかし、トレシダー博士は「本能」という言葉を使いすぎることを非難し、「この能力に関するあらゆる説明を避けるために...使われている」「説明できないものにレッテルを貼るために使われている」と述べている(RP, 1905 (14(643):23))。

「本能」説を批判するレーサーたちは、その関連性を否定するために、この言葉の科学的な定義を用いました。ダーウィンの友人でもある進化生物学者ジョージ・ロマネスクが1882年に発表した論文『Animal Intelligence』を引用し、『The Racing Pigeon』誌のコラムニストは、「本能」とは次のようなものでなければならないと説明した。

本能とは、「同じ種のすべての個体が、同じ適切な状況下で同じように行うことができる」ものでなければならないと説明している(RP, 1904 (13(635):788))。帰巣能力は、すべてのハトでも個人でも「同様に行われる」ことはないと主張するレーサーもいた。

また、「本能」の定義の多くは「理性を持たずに行動する自然な衝動」としているが、これはレース用の鳩のホーミング能力に対する完全なアンチテーゼであると多くの人が主張していた(RP, 1902 (8(342):258))。もしこれが本当ならば、鳩のパフォーマンスは安定したものになり、レーサーが入念な飼育と訓練に力を注いでも無駄になってしまうだろう。

また、本能を重視するあまり、ハトの知能、学習能力、判断力などが軽視され、多くのハトレース関係者がこれを賞賛し、評価していたようです。あるコラムニストによると、20世紀初頭、哲学や科学の世界では、人間と動物を切り離すために、動物の知能という考え方が重要になってきたという。彼は、「動物の知性が人間の知性に似ているという可能性には嫌悪感がある」と主張し、動物は本能を利用し、知性は優れた人間特有の能力であると考えられていた(RP, 1905 (14(643):22))。

実際、あるレーサーは本能を「生命の驚異のひとつ...多かれ少なかれ感覚のある下等な生命を制御するもの」とし、「人間の選択を支配する知性」とは対照的なものとしている(RP, 1926 (45(2273):385))。このように、「自然な本能」を支持するレーサーは、おそらく意図的ではないにせよ、自分たちは鳥とは別の存在であり、鳥よりも優れているという考えを強めたのである。

代わりに、ハトが合理的で知的であると提案した人たちは、ハトに意図性があると提案して、これに異議を唱えました。このことは、人間と自然との関係についてのより広い哲学的な問いに通じており、本能と意図によって決定される人間と動物の区別というデカルトの概念に挑戦しているのです。

それにもかかわらず、ハトは知的な推論を行っているという仮説は、レーサーの間で人気があった。例えば、Tegetmeier (1871:98)は「帰巣機能は観察と知性にのみ依存するという確固たる信念」を持っていた。

OsmanとLoganもハトが「考え」、「判断」できると信じており、Logan (1924:18)はハトを「知的動物の中で非常に高い位置にある」としている。つまり、ハトにはレースの結果を左右する決断力があると考える人もいたのだ。

例えば、あるレーサーは、年老いた鳥は「狡猾になり、長いレースでは過度に力を発揮しないが、若い鳥は経験不足と不安から全力で飛ばす」と考えていた(RP, 1933 (57(2638):276))。それにもかかわらず、ハトが知性を欠いているように見える出来事が定期的に起こっていた。最もよく言われるのは、ハトがロフトを越えて飛んだときで、レーサーたちはこれを「オーバーフライ」と呼んだ。オスマンは、「鳥には考えるセンスがない」と思われることもあったが、一方で「鳥は驚くべき知性を持っていることを証明した」と述べている(RP, 1916 (35(1750):204))。

Logan's (1924:57) Handbookの第2版では、あるレーサーが、ハトは意識的に特定のルートを選んで飛んでいると主張し、「人間が難しい問題に直面したときに不可能を排除するのと同じように」と述べている。レーサーたちは鳥の飛行ルートを仮定し、鳥と環境との相互作用を解釈しながら、レース用のハトを論理的で分別があり、気象や地形の問題を認識しているとし、地理的な意識を持っているとしたのである。

したがって、鳩の知能についての議論は、レーサーの地理的理解と、それが彼らの実践をどのように形成したかについて、多くのことを明らかにしている。このスポーツは、ある種の地理的知識を同時に利用し、生み出し、「飛翔線」の想像上の地理を作り出しているのである。

すでに述べたように、鳩レースの選手たちは、挑戦と危険のバランスの観点から、北と南のどちらの道が最適かを議論した。しかし、彼らの議論は本質的に地理的なものであり、レーサーたちは鳥が避けようとすると思われる特定の障害物を特定した。あるレーサーは、鳥は海岸を「抱きしめる」ことを学ぶと提案し(RP, 1916 (35(1763):353))、別のレーサーは、丘、山、谷、水域を避けて「必ず直進する」と主張した(RP, 1935 (61(2726):7
3))。

20世紀初頭の例では、ヨークシャーのレーサーたちが、南東から飛ぶか南西から飛ぶかで意見が分かれたという。ヨークシャーのクラブでは南西ルートが最も一般的だったが、このルートでは鳥たちが最も広い海峡を通過しなければならないため、選手たちは不満を抱いていた。

南東ルートの支持者は、海峡を渡る距離が短いことを評価する一方で、このルートの土地の起伏は鳥にとって有利であり、「丘が全くない」ことは、西のペニン山脈を通過するよりも困難ではないと主張した(RP, 1920 (39(1945):31))。

それにもかかわらず、ヨークシャーに向かうどちらのルートでも低速度が出ることがあった。平坦な南東ルートでの低速度は、あるレーサーが「ハトの心理......真の砂漠の上を長い間、退屈な単調さで移動すると、鳥の脳がひどく落ち込む」と説明している(RP, 1920 (39(1945):32))。

このようにして、ハトの知性と管轄権が前面に押し出された。鳩レースの選手たちは、自分たちの鳥のルートについて想像力豊かな地理学を構築することで、空中と地上の空間を明確に結びつけ、鳥たちの空の旅は、周囲のものだけでなく、下にあるものにも影響を受けることを示唆している。このようにして、ピジョンレーサーたちの実践と、レース用ピジョンの空中-地理的な生活についての理解を深めることができたのです。

鳩の知能と同義ではないが、記憶力と学習能力が関係している。あるコラムニストはこう説明している。「我々の鳥は家に帰るまでの道のりを教えられなければならない......その人生とキャリアは、慎重にレッスンを重ねていくものだ」(RP, 1904 (13(637):820) )。

これにより、トレーニングの重要性がさらに強調され、暗にレーサーの影響力も強調されている。多くのレーサーは、ハトが山、丘、谷、湖、海岸線などの目印を使って航行すると信じていた。これは、鳥が地理的環境に慣れることを目的とした「飛翔線」に沿ったトレーニングトスから覚えたものだった。

これに関連して、鳥の長距離を見る能力が注目された。霧の中で視界が悪くなるとロスが生じ、速度が低下するというのが一般的なレーサーの意見だった。しかし、他の理論と同様に、霧の中で鳥がホーミングするという、この理論を否定するような出来事もあった。

実際、『The Homing Pigeon Annual』誌(1913:17)の記事によると、レース用の鳩は視覚だけではなく、空気抵抗や温度、匂いや音などの空中の変化を感じ取り、読み取り、解釈する能力もホーミングには重要であるとされている。

それにもかかわらず、テゲトマイヤー、ローガン、オスマン、トレシダー博士など、鳩レースの最も著名な人物の何人かは、レース用の鳩は視覚や観察と記憶を組み合わせて帰り道を探しているという考えを強く支持していた。このことは、放鳥直後の鳥の行動、つまり鳥が旋回し、「身近なもの」から方向性を得ているように見えることから確認できるとする意見もあった(Tegetmeier, 1867:276)。

1939年に『The Racing Pigeon』に寄せられた「H.O.D.」と署名された手紙では、鳥は「試行錯誤理論」を用いていることが示唆されている(RP, 1939 (69(2948):237))。この手紙によると、ハトは高空を飛ぶことで約70〜80マイル先まで見ることができるという。

図7.19は、鳥がどのようにして飛ぶべき方向を見極めているかを示したもので、空中にいる鳥の空間的な行動を表している。レースのために解放されたとき(C点)、鳥たちは自分のロフト(A点)はもちろん、以前のトレーニングトスの場所(B点)さえも見ることができないほど遠くにいました。

そこで手紙では、鳥は周囲が見慣れない場所だと気づくまでは一方向(D)に飛び、自分の位置を認識するまでは別の方向(EとF)に飛んでみることを提案しました。これはもちろん、ハトにそれなりの知能があることを前提としており、合理的な判断ができ、大きな責任を負っていることを示している。これはレース鳩の定義を覆すものであり、レースへの貢献度を示すものでもある。

このように、ホーミング理論には、レース鳩に影響を与える地理的・環境的要素が考慮されていた。実際、レーサーたちの議論は、環境が動物の進化に与える影響についてのダーウィンの哲学を反映したものであり、前述のレース用の鳩のサイズに関する議論などがそれにあたる。

さらに、オスマンが「ローカリティ」と呼んだ、鳥がその土地の環境に慣れることについての説明も明確な例である。たとえば、イギリスに輸入された高性能のベルギー鳩は、新しいロフトでは飛ぶのが遅いと、レース関係者からよく言われていた。

オスマンはこう説明する。「各地域の鳥たちは何世代にもわたって、気温、天候、餌、土壌などの条件に慣れ親しんできた」とオスマンは説明する(RP, 1899 (3(105):516))。

このように、レースで成功する鳩は周囲の地理的条件によって形成され、その帰巣能力と成功は、潜在的にこれらの条件に限定されていたのである。鳩レースというスポーツは、この時期に学術的な地理学者の間で行われていたのと同じような議論に参加していたのです。19世紀後半の地理学的思考は、ダーウィン的なメタファーに彩られ、地理学者たちは進化に影響を与える環境的・社会的な影響を発掘し、議論していました(Livingstone, 1992)。


 ■7.4 Racing Pigeons on Display(レース用ハトの展示会) ■  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:31 修正
オフシーズン(冬)には、ファンシー・ピジョン・ショーや家禽・農業ショー、あるいはレース用に特別に開催されたショーなどで、鳩レースの選手たちは自分の鳥を展示した(図7.20)。そうしないと、鳥は「次の春まで全く忘れられてしまう」とオスマンは述べている(RP, 1899 (3(91):320))。

最初のレース用鳩の展示会は、1880年代にロンドン・コロンバリアン・ソサエティとマンチェスター・フライング・クラブという2つの大きなレースクラブが主催したと言われているが、後者は「非常に急進的なステップ」と考えていた(RP, 1905 (15(740):931))。

ファンシーピジョン・ショーのレース鳩のクラスは、「レース鳩」「ワーキングホーマー」「フライングホーマー」「レーシングホーマー」などの名称で呼ばれていた。鳩は年齢、性別、飛行距離によってクラス分けされたが、ショーによっては色別のクラスもあった。

Ure(1886)は、レース用の鳥はファンシーショーでは非常に一般的で、19世紀後半にはエントリーの半分を占めることもあったと述べています。しかし、サンプル年のデータによると、クリスタル・パレス・ショーとデイリー・ショーにおけるレース用の鳩のエントリー数は、エントリー総数の1%から10%程度であった。

この数字は小さく見えるかもしれないが、これらの大規模なショーでは30以上の鳩の品種がクラス分けされており、レース用の鳩のエントリーはファンシー品種よりも多かったのである。1933年には、The Feathered Worldへの手紙で、ファンシーショーでのレース用ピジョンの数が「増えている」ことが示唆された(FW, 1933 (89(2308):376))。

鳩レースをする人たちは、鳩が移動することによるストレスや負担を避けるために、地元のショーに参加することを好んでいたようである。そのためか、『The Racing Pigeon』誌にはレース用鳩のショーの広告やレポートは比較的少ない。

同紙や『The Feathered World』に掲載されたレポートの詳細は一貫していないが、入手可能なエントリー数を見ると、レース用ピジョンに特化したショーのエントリー数は約30から400を超えており、マンチェスターF.C.のアニュアルショーのような大規模なショーには1,000以上のエントリーがあったことがわかる。

1シリングと6ペンスが一般的な入場料のようだ」とオスマンは書き、「各クラスの賞品は12セント、6セント、3セント......12クラス以下......[そして]いくつかの特別賞」、たとえば彼の新聞社が提供した「Racing Pigeon fivers」などを挙げている(Squills, 1912:24)。ローガン、オスマン、トレシダー博士など、鳩レース界で最も著名な人物がショーの審査員を務めた。

レースが制限されていた第一次世界大戦中は、娯楽を維持し、ロフトが「囚人の博物館」になるのを防ぐ手段として、地元でのレース鳩のショーが推進された(RP, 1914 (1662-63):290)。

戦争とショーの関係は、1928年11月にオスマンが、戦時中の伝書鳩サービス(CPS)の活動を称えるために毎年恒例の「オールド・コムレイズ・ショー」を創設し、彼の死後も息子が引き継いでいるが、参加費、オークション、販売で得た資金はロンドン病院に寄付された。

出場者や参加者は、CPSの仲間、レーサー、兵士、将校などであった。毎年、1,000羽以上の鳥がエントリーし、審査の後、レースとイブニング・ディナーが行われました。ヨーク公爵(後のジョージ6世)は第1回のショーに参加しており(図7.21)、鳩のショーに参加した最初の王室メンバーであると言われている。

1899年に開催されたデイリーショーのレポートでは、「各地のファンシャーが集まり、意見を交換したり、個人的な友人関係を築いたりしたが、そうでなければ決して実現しなかっただろう」と説明している(RP, 1899 (3(99):435))。

実際、レース関係者がナショナル・フライング・クラブの結成について最初に話し合ったのは1897年のショーであり、『The Racing Pigeon』誌のある社説は「このスポーツが大きな恩恵を受けている他の多くの良い組織は、ショーでの会合の結果である」と述べている(RP, 1925 (44(2238):717))。

ショーはまた、「鳥とスポーツを一般の人々に紹介するための立派な、そしてほとんど唯一の機会」(Squills, 1912:23)でもあるが、The Racing Pigeon誌には来場者数は掲載されていない。

その一方で、これらのショーがスポーツに悪影響を与える可能性もありました。ショーペンは鳥たちにとって「自然な」空間ではなく(Barker, 1913)、レーサーたちは鳥たちの健康とレース能力を懸念していた。「旅の疲れと、暖房や換気の悪い部屋での1日か2日の監禁が相まって、遅かれ早かれ鳥の体質に影響を与えるだろう」とオスマンは警告している(RP, 1899 (3(91):320))。

ショールームの環境は、レース用の鳥にとって有害だと言われていた。「暑さ、(タバコの)煙、ショールームの埃、小さなパンキンに入った水、ペンの床に置かれた餌、これらすべてが将来の鳩のキャリアに悪影響を与える」とある論説は書いている(RP, 1925 (44(2251):935))。

レース用の鳩を展示する行為は、あるレーサーが「間違いなく......儲かるビジネスだ」と主張し、レーサーの金銭欲がスポーツを脅かしていた(RP, 1902 (9(432):844))。また、オスマンは、鳥を見せすぎて、運動能力の高いレース用の鳩を「単なるプリン」にしてしまい、レースでのキャリアを失ってしまったと説明している(RP, 1905 (14(654):233))。

さらに、後述するように、レーサーの中にはショーペン用に特別にレース用の鳩を繁殖させる者もいた。The Racing Pigeon』誌のあるコラムニストは、次のように述べている。「我々のスポーツに関連して、レース鳩のショーイングほど意見の相違を生み、時折激しい論争を巻き起こす問題はない」(RP, 1911 (27(1346):439) と述べている。) これらの展示会では、レース用の鳩の「居場所」についての議論が行われ、鳩のアイデンティティが再び争われることになった。

 ■7.4.1 Beautiful Athleticism (美しいアスレチック )■   Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:35 修正
レース用の鳩は、その美的感覚の違いから、ファンシー用の鳩と同様に、定義も体形も変幻自在であった。テゲトマイヤーは、ライエル(1887)の『ファンシー・ピジョンズ』に掲載された2枚のスケッチでこれを説明している(図7.22)。

最初のスケッチは「強さと耐久性を示すような頭部の構造...不条理に誇張された派手な点の傾向はない」(Lyell, 1887:367)。これこそがショーペンで勝つべきタイプだと、テゲトマイヤーは信じていたのです。

彼の2枚目のスケッチは、自分の展覧会で優勝した鳥を描いたもので、「確かにハンサムな鳥だが、私の意見では前者には及ばない」と述べている。20世紀になると、レース用の鳩の展示は、あるレーサーがまとめたように、「理想的なレーサーについて、非常に多くの多様で全く反対の意見があるという単純な理由から、我々の偉大なスポーツに関連する最も複雑な問題であろう」(図7.23)としている(RP, 1904 (13(618):496))。

このような意見の多様性は、鳥の体形の多様性にも反映されており、ローガンは「同じような鳥はほとんどいない」と断言している(RP, 1902 (8(330):38))。

レーサーたちの間では、「細かな点をどれだけ重要視しているか」(Barker, 1913:157)について意見が分かれていたが、ショーペンのレース用鳩は、シンメトリー、バランス、コンディション、力強さなど、フィットネスや飛行能力に関連した身体的特徴を持つべきだという点では、ほとんどの人が同意していたのである。そのため、ショーの報告書には、入賞した鳩の機能的な特性が簡潔に記載されていた。

例えば、1899年のデイリーショーのレース鳩に関するローガンのレポートでは、「知的な顔つき」「きれいにまとまっている」「非常に健康そう」「翼の飛びが良い」「全体的に働き者」「素晴らしい状態」「良い肩」「良い羽」「全体的に対称的に構築されている」「キビキビした良いスタンプ」「良い目」「力強く構築されている」「均整のとれた」「均等なバランス」などの表現が使われている(RP, 1899 (3(99): 435)).

あるコラムニストは、「ショーバード」とは、「ハンサムで、均整のとれた、コンディションの良いレース用の鳩に過ぎない」(RP, 1911 (27(1364):716))と説明した。しかし、レース鳩の最も重要な資質であるスピード、持久力、そして知性は、見た目だけでは判断できないとレーサーたちは心配していた。オスマンは、レーサーたちが「表面の下にある "未知の "要素の正確な性質を見極めることができない」と嘆き、能力と外見を一致させることに苦労していた(RP, 1905 (14(648):117))。

ショーの明らかに視覚的な性質は、レーサーの運動能力やフィットネスの定義に疑問を投げかけ、それを外見的な品質とみなし、彼らが血統的な繁殖に注意を払っていたこととほとんど矛盾していたのです。当然のことながら、一部のレーサーにとってショーはハトの運動能力を不正確に評価するものだった。

 □  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:40 修正
レース用の鳩はショーペンのために「準備」しなければならない。オスマンはこう説明する。

「彼は鳥に餌を与え、コートがよく似合うように治療している......これらの特別に準備され、うまく調整された鳥は、彼(審査員)の目を引くために店の窓に飾られているアトラクションなのだ」(RP, 1925 (44(2238):717)

鳥のワタリ、足、羽はきれいにされ、餌は監視され、曲がった羽はまっすぐにされた(Baker, 1913)。レーサーたちは「元気な真の兆候」を示すと信じる美的特徴に注意を払っていた(FW, 1907 (36(930):739))。

このような美的な「仕上げ」は、高級鳩の出品者には軽蔑されていたが、レース鳩にとっては「不自然な」処置であることを認める人もいたが、鳩レース関係者には受け入れられたようだ。飼いならされ、教え込まれたレース用の鳩は、パフォーマーとなり、その美学はショーペンのために振り付けられた。The Feathered World』誌のレース担当記者は、鳥は「直立していなければならない......一行ごとに『見てくれ、準備はできている』とはっきり言ってくれれば、ほとんど注目を浴びることになる」と説明した(FW, 1907 (36(933):859))。

その結果、オスマンは「熟練した出品者は、鳥がペンの中でポーズを取れるようにするために、多くの時間と思考を費やす」と書いています(RP, 1925 (44(2238):717))。

準備はもっと非合法的な形でも行われ、一部のレーサーはファンシーピジョンの出品者と同じような、しかしそれほど極端ではない方法で鳥を「偽装」した。たとえば、ロンドン・コロンバリアン・ソサエティのショーで、オスマンはこう言った。

「白いハンカチを使って......人工的な色を大量に拭き取ることができました......深みのある色を与えて鳩の美しさを増すために、(目の)セレスの周りに丁寧に塗ったのです」(RP, 1916 (35(1738):40))。

また、メイクアップ・アーティストのように、レーサーたちが「真っ白に見せるために、準備したチョークでワタリを粉状にする」という手紙もあった(RP, 1930 (52(2507):377))。

このような「舞台裏」での行為は、鳥の美的感覚や認識されている「美しさ」を調整する表面的なものではあるが、ファンシーピジョンの展示者が行う改造ほど一般的ではなく、残酷なものでもないとオスマンは強調する。

レース用の鳩の展示会では、レーサーたちは「運動能力」だけでなく「美」についても議論することになる。鳩レース関係者の間で比較的よく使われていた言葉に「ハンサムはハンサムのまま」(RP, 1899 (3(100):445))というものがあり、あるコラムニストによれば、これ以上美しいものはないと信じられていた。

「レース用に最適に作られた鳩......不必要な部分を一切排除した美しいシンプルなフォルム、優雅な身のこなし、鋭く聡明な頭と目、美しい羽毛」(RP, 1904 (13(611):378))。

このことは、Parson(2007)の「機能美」の概念を反映しており、鳥の美的特徴はその機能と結びついている。しかし、ショーは同時に、機能を否定する矛盾した「美」の定義を動員した。

レーサーの中には、意図的にショー用の鳥を飼育し、その「美」は、目、羽、ワトル、目の間隔、頭の形、色などの装飾的な、つまり機能的でない美的特徴によって決定されていた。前述したように、レーサーの中には、運動能力を示すとされるこのような美的特徴にこだわりを持つ者もいましたが、ショーペンという場では、このような美的嗜好は実用的な判断を妨げてしまいます。

美に対するより機能的なアプローチの提唱者たちは、「プリティ」という言葉を使って、このような表面的なアプローチを軽蔑し、自分たちのアプローチとは別のものとしていた。オスマンは「世界中のどんなプリティさも、試練のレースで鳥を帰すことはできない」と述べている(RP, 1905 (15(739):896)

また、あるレーサーは「肉体的な完璧さ」と「見かけの美しさ」には大きな違いがあると説明し(RP, 1904 (13(614):430))、別のレーサーは「美しさは肌で感じるものだ」と主張しました(RP, 1904 (13(616):465))。このように「美」の定義が2つに分かれているため、『The Racing Pigeon』誌のある常連投稿者は

The Racing Pigeon』誌のある常連投稿者は、「いわゆる『ショーバード』とは、通常のレース用鳩とはまったく別のものだと想像する傾向がある」と書いている(RP, 1911 (27(1364):716))。The Feathered World誌のレース担当記者は、「2つのはっきりとした明確な形」があると説明している。それはショーペン用の「なめらかさとふくよかさ」と、レース用の「バランスと筋肉質」である(FW, 1907 (36(930):739))。


 ■7.4.2 ‘Likeliest Flier’(「最優先フライヤー」について) ■  Kate Whiston     2021年7月30日(金) 4:49 修正
ショーでのレース鳩のクラスには、「飛行したかどうか」や「訓練したかどうか」とも呼ばれる「最も飛ぶ確率が高い」クラスが含まれることが多い。これは議論の余地があり、レーサーの中には特別に飼育されたショー用の鳥を出場させる者もいた。

『The Racing Pigeon』誌への手紙では、こうした鳥を「詐欺師」と呼び、あるレーサーは「製造された雑種[s]」と呼んでいた(RP, 1911 (27(1364):716))。

オスマンやローガンをはじめとする著名なレーサーたちは、このような行為を積極的に控えていたが、それでも比較的よく見られ、1908年にはあるレーサーが次のように主張していた。1908年のあるレーサーは「ショーペンで勝っている鳥の大半は、この目的のために飼育されている」と主張している(RP, 1908 (21(1046):682))。

レース用の鳩は、このような甘やかされて育ったショー用の鳩にはほとんど勝ち目がなかった。しかし、『The Racing Pigeon』誌は、冬の間に「その年に距離を飛んだ鳩は、完全に脱皮できない」ことは「明らか」だと書いている(RP, 1935 (62(2769):333))。

競走鳩はNHUにフェアプレイの優先順位をショーにも適用するように訴えたが、1932年のクリスタル・パレス・ショーでトレシダー博士は、「飛翔」クラスに出品された鳥のうち、本物の競走鳩はわずか10%程度だと推定した。

レース用の鳩のショーでこのような矛盾をなくすためには、おそらく出品物をレースに出すしかなかったのでしょう。初期のレース用鳩のショーでは、Tegetmeierがこれを推進し、審査後に出品鳩を解放したと言われている(Lyell, 1887)。

しかし、これでは出走範囲が限定されてしまう。レーサーたちは冬の間、自分の鳥を長距離に飛ばしたくなかったのだ。レーサーたちが望んでいたのは、「善意のレーシングマンの所有物である、善意のレーシングピジョンに賞品が与えられること」だったと『The Racing Pigeon』誌は書いている(RP, 1910 (25(1250):586))。

彼らの関心は、レースに勝つことで名声を得たレーサーだけがショーペンで表彰されるべきであり、彼らの名声は鳥のスポーツ的な空中での功績の上に築かれるべきだということだった。第5章で述べたように、ショーペン専用のレース鳩の飼育やファンシー種との交配が、新しいファンシー種のホーマーの形成につながっていたのだが、ファンシー派とレース鳩派の両方から「タイプとファッションの熱狂」と批判された(RP, 1905 (14(668):507)。

ある社説では、派手なポイントのために繁殖させたことで、キャリアー、アントワープ、ドラグーンなど、それまで「純粋で汚れのない働き者」だった馬たちが運動能力を失い、長距離レースでは「まったく価値のない」馬になってしまったことをレーサーたちは知っていました(RP, 1899 (3(98):419))。

ショーホーマーは、「本物の良さをすべて犠牲にして作られた」(RP, 1899 (3(98):419))というのがレーサーたちの意見で、あるレーサーは「現代の化け物」または「ニセモノのホーマー」と呼んだ(RP, 1899 (3(101):467))。ファンシーピジョンの出品者も懸念を示し(第5章参照)、ラムリー牧師は次のように説明している。

ファンシーピジョンの出品者も懸念を示し(第5章参照)、ラムリー牧師は次のように説明している。「ファンシャーが飛翔力のために自然の構造を自由に変えようとしたり、頭蓋骨や体の形成にある種の対称的なプロポーションを加えたり要求したりすると、芸術が自然に取って代わってしまう」と説明し、「ホーマーという誤った呼び名で、すでに長い間ファンシーピジョンのリストが存在する」と主張した(FW, 1891 (5(126):406))。

鳩レースの選手たちは、展示会のためだけに飼育された鳥は、実績のある鳩と比較して展示するのではなく、「本来の場所」で展示する必要があると主張した。

RP, 1905 (15(736):825))一方、Ure (1886:70)が主張するファンシーピジョンマンは、レース用の鳩は「ショーベンチにはふさわしくない」と考えていた。このような議論は、ショーが一つのフロンティアを形成したことを示唆しており、ショーペンという空間が品種を「ふさわしい」か「ふさわしくない」かを決定している。

レース用の鳩をショー用に特別に繁殖させることに対するレーサーたちの懸念の核心は、歴史が繰り返され、その結果、鳩が飛翔能力を失う可能性があるということだった。ある社説はこう警告している。

「主に仕事のために飼われている動物をショーに出すことは、彼らの実用性を損なう大きな危険があるはずだ......ショーは、産まない鶏、地面に着かないテリア、移動できないハクニー......ジャンプできないハンター......帰らないホーミングを生み出してきた」(RP, 1899 (3(100):445))。

あるレーサーは「真のワーキングホーマーの品位を保つ」ことが重要だと説明し(RP, 1905 (15(736):825))、ある常連コラムニストは「どんなことがあっても、実用性を装飾のために犠牲にしてはならない」と述べています(RP, 1911 (27(1364):715))。

このような背景から、いくつかのショーでは「距離」クラスも開催されており、75マイル、100マイル、200マイル、300マイル以上といった、前のシーズンに参加者がレースに参加したことのある距離が規定されていました。しかし、1902年の『The Racing Pigeon』誌では、「『最もよく飛ぶ人』のクラスに比べて、証明された労働者のクラスがどれほど劣っているかは驚くべきことである」と報告されている(RP, 1902 (9(402):366))。

実際、入手可能な数字を見ると、クリスタル・パレスやデイリーショーでの「最もよく飛ぶ」クラスのエントリー数は最大または2番目に多く、レース用鳩のエントリー数の3分の1から半分を占めていた。

さらに、オスマンは「ショーの主催者が飛行距離を確認する際に、あまりにも注意が払われていない」ことを嘆き、レース証明書、翼印、レースマーク、さらにはレースレポートを偽造することで、レーサーが簡単に不正行為を行えるようになっていた(RP, 1905 (14(652):186))。

1923年になると、デイリーショーに出品されるレース用の鳩は、公認のレースリングをつけることが義務づけられたと言われているが、それでもレーサーたちは、ほとんどのショーがショー用の鳥を阻止することをほとんどしていないと不満を漏らしていた。当時のレース鳩のショーは、運動能力の高い「働く」鳥の展示としてデザインされていたが、運動能力の高さを示すというよりはむしろ隠していた

(つづく)


 ■7.4.3 Standardising Racing Pigeon Aesthetics (レース用ピジョンの美学の標準化) ■  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 3:45 修正
見た目と感触だけを頼りに、オスマンはショーでレース鳩を審査する際に「ある種の直感」があったと述べている(RP, 1905 (14(648):117))。あるコラムニストは、審査員の任務は「せいぜい厄介で感謝のないもの」だと書いています(RP, 1911 (27(1346):439))。

審査員は、「自分の意見では、おそらく良いレーサーであることに加えて、自分が手にしたときに体と羽の状態が最も良いと思われる鳥に賞を与える」ことを期待されていました(RP, 1910 (25(1234):363))。しかし、出品者と同様、審査員にも自分のタイプや好みがあり、レーサーたちはそれを「ペットの流行」(RP, 1902 (9(432):844))や「ドロドロした説明のつかない好み」(RP, 1908 (21(1029):422))と蔑んでいました。

鳩レースの展示会におけるこの予測不可能な要素は、自分たちのスポーツを遂行するために、管理、標準化、正確さを追求する鳩レース選手たちを不安にさせるものであった。あるレーサーはこう説明する。

「しかし、ショーペンでの勝利は、意見の表明に過ぎず、議論の余地のない事実ではない」(RP, 1899 (2(52):227))。

ショーでのレース鳩の審査に一定の基準を設けるべきかどうかは、あるコラムニストが「果てしない論争の種になる」テーマだと書いている(RP, 1911 (27(1346):440))。基準が作られるとすれば、羽毛、サイズ、頭、翼、尾、キール、状態など、「飛行目的に最も適した」特徴にポイントを与えるべきだとレーサーたちは主張した(FW, 1903 (28(710):235))。

公式な基準は作成されていないようですが、1888年にはマンチェスターの
Columbarian Society(ファンシーピジョン協会)が1888年にレーサーが言及した唯一の基準を作成した。この協会は「働く鳥としての資質を念頭に置く」ことを誓っており、飛翔に関する特性を非常に高く評価している。「頭部...先端から後頭部までの水平距離は2.5インチ、くちばしの先端から目の中心までは1.5インチ、その他の特性は比例している...コンパクトな体格...スマートで特徴的な外見」(RP, 1908 (21(1045):662))。

しかし、この規格には美的側面も含まれており、「真珠色または非常に明るい赤の目」と規定されており、周囲の毛は「目の周りの羽と同じ色合い」とされています(RP, 1908 (21(1045):662))。協会が作成したイラスト(図7.24)は、『The Racing Pigeon』誌の読者から、体が「深すぎて短い」、頭が「小さすぎる」、キールが「広すぎる」、翼が「短すぎる」と批判された(RP, 1908 (21(1045):662))。

一部のレーサーは、ショーの結果を規制し、展示される鳥がレース用の品種に似ていることを保証するためには、規格が唯一の方法であると主張した。一方で、成功したレース鳩の外見が様々であることから、一定の基準を設けることの無意味さを強調する人もいた。

あるコラムニストは、スタンダードは「人工的」で「非常に有害」であり、鳥の特定の見方を構築し、外見に基づいて再定義するものだと警告した(RP, 1905 (14(644):41))。実際、オスマンは「フライングホーマーの判定基準の作成に参加しないかと何度も誘われたが、...いつも断っていた」(RP, 1905 (14(668):507) )という。

彼は「審査員が...想像上の不可能な理想ではなく、レース用に作られた鳥に賞を与え、アスリートとして判断されるのを見たい」と考えていた(RP, 1905 (14(652):186))。また、別のレーサーは、スタンダードで定義された「理想」ではなく、「有用な現実」を繁殖すべきだと付け加えています(RP, 1908 (21(1051):766))。Dr. Tresidderは、ダーウィンの観点から、スタンダードはレーサーが恐れる「退化」や飛行能力の喪失につながる可能性があると警告した(RP, 1939 (70(2963):133))。このようにして、ショーペンの中のレース用の鳩は、非常に不確かなアイデンティティを持ち、運動能力や美的感覚に関する議論の場となったのである。


 ■7.5 Picturing Athleticism (アスレチックを描く)■  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 3:48 修正
鳩レースの選手たちは、自慢の鳩を絵画や写真に描くことで、美的な問題にも取り組んだ。これらの鳩の肖像画は、『The Racing Pigeon』や書籍の中で、記事や広告に添えられた説明用や図解用として使用された。

描かれた鳩はレースでの成功と輝かしい血統を誇り、フィットネスとアスレチックを強調する「テキスト」として機能した。このように、レースで成功したハトは、空想上のハトのように、また、当時の家畜や競走馬のように、肉体的にも比喩的にも芸術作品となり、賞賛されるアスリートとして、また人間の誇りとして展示されたのである。

様々なメディアで描かれたレース鳩は、見ることと知ることの密接な関係を示し、不在の鳥を存在させ、目に見えない能力の兆候を目に見えるものにしました。このように、レーサーたちは見た目と身体能力の間に複雑な関連性を持たせているのである。鳩レース選手の運動能力の定義と理解は、したがって、彼らの鳥の芸術的表現によって同時に表示され、(再)生産された。

 ■7.5.1 Painting Athleticism (絵画のアスレチック性)■  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 3:53 修正
『The Racing Pigeon』に掲載された絵画の複製はあまり一般的ではなかったが、レースで成功した鳩の肖像画は、鳩の成功を祝うものとして高く評価されていたようで、一部のレーサーは優勝した鳥を専門の画家に油絵で描いてもらっていた。そのような鳩は「その名誉を十分に得ており、それに値する」と書いたレーサーもいた(RP, 1910 (25(1260):735))。

実際、レーサーの中には、自宅やロフトに油絵のコレクションを飾っている人もいて、鳥の運動能力と人間の熟練した技術の両方を讃えて、お気に入りの鳥を描いていたという。

例えば、『The Racing Pigeon』誌は1902年に「Famous Pigeons I Have Known(私が知っている有名なハト)」と題した一連の記事に添えて、ムッシュ・ギッツの「有名なハト」であるドンケレンの依頼された肖像画を複製している(図7.25)(RP, 1902 (8(366):655))。

Mons. 記事によると、ギッツ氏は亡きドンケレンを偲んで、この肖像画の原画を「自分の聖域に」保管していたという(RP, 1902 (8(366):655))。肖像画には、ロフトの閉塞感から離れた鳥の姿が描かれており、フランス語とオランダ語で「Male noir écaille, dit den Donkeren 1875-1885」(「べっ甲の黒いオス、これはドンケレン1875-1885」)と書かれた石が添えられていた。

この石には、10年間のキャリアの中でドンケレンが残した最高の業績と「プリ」(賞)が刻まれており、レース鳩がレースキャリアによって定義されることを示している。

『The Racing Pigeon』誌に掲載されるカラー画像は珍しく、付録や特別号にのみ掲載されていた。ホイル氏が描いた「ロイヤル・メッセンジャー」が1935年のそのような付録に選ばれたということは、この鳥とその肖像の両方の重要性を示唆している(図7.26)。

ホイル氏の絵の主題は、ジョージ5世のジュビリーを祝うレースで最初に帰還した鳥で、その鳥の所有者は「このユニークな達成」を祝うために絵を作らせたのである(RP, 1935 (62(2749):19))。ホイルが選んだのは、ロフトで直立して警戒している鳥の姿で、家畜、そして実際に空想上のハトの肖像画に似たスタイルである。

同紙はこれを「我々がこれまでに見たレース鳩のカラー写真の中で最高のものであることは間違いない」(RP, 1935 (62(2749):19))とし、ホイルを「彼の素晴らしい仕事」(RP, 1935 (62(2750):35))と評価した。


 □  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 3:55 修正
しかし、一部のレーサーにとっては、絵画は十分に生き生きとしたものではなかったようだ。『The Racing Pigeon』誌に寄せられたある手紙には、絵画は「鳥の本当の輪郭を表していない、硬すぎる」と書かれていた(RP, 1898))。また、別のレーサーが「フェイバリット」と名付けられた鳥の油絵の写し(図7.27)を送ってきたが、これは「非常に誤解を招きやすい」もので、「注文に応じて作られたような印象を与える」と批判している(RP, 1904 )。このように、絵画は固定された、安定した、やや定型化された運動能力の錯覚を引き起こし、ある意味ではレーサーが血統書付きの繁殖に夢中になっているのと似ている。

しかし、絵画の中で鳩の運動能力が静的に表現されているのは矛盾していて、彼らの運動能力や空を征服する能力を捉えることができない。しかし、『The Racing Pigeon』ではあまり取り上げられていないことから、レーサーにとっては鳥のパフォーマンスの方が重要だったのかもしれない。

 ■7.5.2 Photographing Athleticism (7.5.2 アスレチックの写真撮影)■  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:00 修正
19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけて、新聞に写真が使用されることは非常に稀であったが、 The Racing Pigeon に掲載された写真の複製は、絵画よりも一般的であり、実際、The Feathered World よりも一般的であった。

しかし、『The Racing Pigeon』の価格を抑えるために使用された低品質の紙のため、写真の複製は粒状になり、カラー写真は光沢のある付録や特別版に限られていた(図7.28)。

この新聞は、「価値のある鳥だけ」の写真を再現することを誇りとしていたため、一方的で想像力に富んだストーリーを伝えていた(RP, 1904 (13(614):429))。つまり、収録された写真はすべてモデルとなる鳥であり、アスレチック性を強調し、アスレチックなレース用ピジョンを想像的に構築するために使用されたのである。これらの写真はショーに出展されることもあり、あるレーサーは「優れた作品と魅力的な観点からの展示物の配置」にメダルを授与したと説明している(RP, 1905 (15(729):674))。

『The Racing Pigeon』に掲載されている写真の大半は、プロが撮影したクローズアップ写真で、レースレポートや記事、広告などで鳥の血統や成績と一緒に掲載されています。これらのポートレートは、独立した鳩専門の写真家に依頼されて撮影されたもので、レーサーが記念品や宣伝のために使用していました。

例えば、いくつかの主要なレースの優勝鳥は、「THE RACING PIGEONの招待でロンドンに送られ、写真に撮られ、新聞に掲載された」(RP, 1930 (52(2512):416))。写真によるポートレートは、絵画と同様、レース用の鳩が直立して片側を向いているのが常であった。ある手紙によると、鳥たちは「警戒していて、すぐにでも飛び立とうとしている」ように描かれていて、これは鳥たちの飛びたいという気持ちや能力を表しているという。

「これは本能を表している」と断言する手紙もあった(RP, 1904 (13(620):513))。しかし、レーサーたちはどのようにして鳥にポーズをとらせたのか、写真撮影のために鳥の姿を「準備」したのかについては明らかにしなかった。ファンシーピジョンの写真と同様に、レース用ピジョンのプロの写真の背景は、鳥の存在感を損なわないように、常に無地である。

『 The Racing Pigeon』に掲載されている写真の大半は、プロが撮影したクローズアップ写真で、レースレポートや記事、広告などで鳥の血統や成績と一緒に掲載されています。これらのポートレートは、独立した鳩専門の写真家に依頼されて撮影されたもので、レーサーが記念品や宣伝のために使用していました。

例えば、いくつかの主要なレースの優勝鳥は、「THE RACING PIGEONの招待でロンドンに送られ、写真に撮られ、新聞に掲載された」(RP, 1930 (52(2512):416))。写真によるポートレートは、絵画と同様、レース用の鳩が直立して片側を向いているのが常であった。

ある手紙によると、鳥たちは「警戒していて、すぐにでも飛び立とうとしている」ように描かれていて、これは鳥たちの飛びたいという気持ちや能力を表しているという。「これは本能を表している」と断言する手紙もあった(RP, 1904 (13(620):513))。

しかし、レーサーたちはどのようにして鳥にポーズをとらせたのか、写真撮影のために鳥の姿を「準備」したのかについては明らかにしなかった。ファンシーピジョンの写真と同様に、レース用ピジョンのプロの写真の背景は、鳥の存在感を損なわないように、常に無地である。

 □  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:03 修正
『The Racing Pigeon』の誌面で非常に重要な役割を果たしたプロの鳩写真家が2人いた。LythamのHedges氏は、創刊以来、新聞の広告や記事に写真を提供し(図7.29)、Barker(1913)の『Practical Guide』にも写真を提供した(図7.30)。

彼の家族が経営する「Messrs. D. Hedges & Sons」は、彼ら自身が経験豊富な鳩レースの選手であり、彼らの4羽の鳩は1906年にオスマンの最初の全国血統登録簿に登録された。1870年に鳥や犬の写真家として商売を始めた彼らは、1933年には「H.M. the Kingの任命された写真家」となっていた(RP, 1933 (57(2629):159))。


 □  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:04 修正
ヘッジスはバーミンガムにあるW・クロウ(Mr. W. Crow)の新聞『The Homing Pigeon』のオフィスで、動物写真のスタジオを所有・運営していた(図7.31)。

ヘッズの広告には、動物が一晩滞在するための「資本的な宿泊施設」があると書かれており、完璧な写真を撮影するプロセスには時間がかかることが暗示されていた(The Homing Pigeon Annual, 1915:32)。この広告では、写真の質と被写体への配慮の両面でヘッジスが高く評価されていることが述べられているが、これは比較的高額で、12枚の写真で21シリングとされている。

 □  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:09 修正
1930年代以降、「ムスト」の写真は、「The Racing Pigeon」の記事や広告(図7.32)、「Squills Diaries」(図7.33)にも定期的に掲載された。1930年代を通じて、Musto氏は特定のレースで優勝した鳥を撮影するために新聞社に雇われていた。彼の写真は新聞に印刷され、「贈呈用写真」としてマウントされ、鳥の所有者に1羽1.5ポンドという比較的高額な料金で販売されたのである。

『The Racing Pigeon』誌に掲載された手紙や記事では、プロが撮影した写真は、レーサーがその鳥を認識し、その例から学ぶのに十分なリアリティがあると称賛されている。常連のコラムニストは、「優勝した鳩のリアルな写真は、常に『The Racing Pigeon』の重要な特徴である」と書き、「そうでなければレースファンのエリートと接触できない何百人ものファンシャーに、素晴らしい教育的効果を与えている」と述べている(RP, 1905 (15(713):956))。

このことは、一部のレーサー(おそらく最も貧しい人々や地理的に離れた場所にいる人々)にとって、新聞が成功したレース用の鳥についての知識や認識を導くということを意味していた。しかし、これらの写真は、目に見える運動能力と目に見えない運動能力の間にある本質的な対立を(再)暴露し、レーサーたちが繁殖のための視覚的なガイドとして解釈するよう誘惑し、その結果、視覚的な美しさに基づいて鳥の確かなレース能力を判断することになる。

それにもかかわらず、写真の正確さを前提にすることに慎重なレーサーもいました。例えば、オスマンは、ソーグッド氏の26A(図7.34)の写真は「この有名な雌鳥を適切な瞬間に捉えている」ため、一目でそれとわかるが、ソーグッド氏の「No.896」(図7.34)の写真は「正当に評価されていない......彼は見た目ほど胸が狭くない」と述べている(RP, 1899 (2(52):228))。

レーサーの評判と彼らの競技用の鳥との間には強い関連性があるため、写真は実物に近いものであることが重要でした。1908年、あるレーサーは、レーサーが「カメラは嘘をつかない」と信じているのは間違いだと述べ、「異なる角度から撮影すると、同じ対象物でも全く異なる印象を与える」ことが可能だと警告しました(RP, 1908 (21(1043):632))。

しかし、『The Racing Pigeon』の読者が写真の正確性や信頼性をこのように吟味することはほとんどなかった。このことから、鳩の運動能力に関する議論では、時に強い美学的主張がなされることもあるが、レーサーたちは外見を優先していなかったことがわかる。視覚は媒介され、文化的に構築され、誤解を招く可能性があり、その結果、実用的な鳩レーサーはパフォーマンスと血統によってレース用の鳩を定義したのである。例えば、レーサーの個人的な血統書には、レーサーが自分の鳥の写真を挿入するスペースがありませんでした。

 □  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:14 修正
プロの鳩のポートレートが非常にフォーマルなスタイルであるのとは対照的に、『The Racing Pigeon』には、手紙や記事に添えられた、より身近な状況、特にロフトや庭などの国内の日常空間にいる鳥を写した写真も掲載されている(図7.35)。

これらの写真は、非常に具体的な出会いを描くために適切なタイミングで撮影されたものかもしれないが、それにもかかわらず、「作られた」ものではないように見える。実際、これらの写真は、レーサーが自分の鳥に誇りを持ち、自分のスポーツの写真を撮ることに熱心なレーサーの姿を反映していると解釈することができる。実際、同紙はレーサーの写真撮影を奨励し、1899年にはカメラメーカーと提携して鳩レース選手に格安のカメラ(図7.36)を販売し、「他の新聞社が夢にも思わなかったこと」と伝えている(RP, 1899 (2(54):268))。


 □  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:18 修正
鳩レース選手のプライドと情熱を利用して、1930年5月、The Racing Pigeonは「スナップショット・コンペティション」(図7.37)を開始し、その年の残りの期間、選手は個人的な(アマチュアの)写真を送るように呼びかけ、毎週半ギニー(10s.6d)の賞金が与えられた。このコンペを始めた社説には、「今日では、ほとんどの人がカメラを所有している」と書かれており、レーサーたちに「ハトだけでなく、このスポーツに関連した面白い出来事や、地元のファンシャーやそのロフトの写真」を送ってほしいと訴えている(RP, 1930 (51(2482):339))。

送られてきたアマチュアの写真には、ロフトや屋外で日常生活を送っている鳥たちの姿が写っていた。掲載された写真の中には、1羽のハトだけでなく、複数のハトをクローズアップしたものや、人間が写っていないものはなく、このスポーツにおける人間とハトの出会いが強調されています。実際、入賞した写真の大半は、父親が飼っていた鳥と子供が写っており、ペットとまではいかないまでも、ある程度家族の一員であることを示唆している(図7.38)。レーサーが鳥と一緒に写っている写真は、たいてい日常的な作業を描いており、鳩のレーサーが鳥の世話をする上で重要な役割を果たしていたことを改めて示している(図7.39)。

これらの日常生活の写真は、プロのポートレートでは失われてしまったレース用の鳩の物理的および隠喩的な移動性を捉えており、レーサーと彼らの鳥との協力関係を示していると言える。


 □□  Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:20 修正
このようにして、アスレチックは、人間が鳥をコントロールすることによって達成されるものであると同時に、種族間の協力と信頼によって達成されるものであると考えられるのです。

このような写真は、レース用の鳩を、飼い主と密接な関係にあり、飼いならされ、よく世話をされ、「ペット」に近い存在でありながら、努力と工夫の産物であると定義しているのである。30

 ■7.6 Conclusion(おわりに) ■   Kate Whiston     2021年7月31日(土) 4:25 修正
本章では、McManus and Montoya (2012:400)がスポーツを通して「動物、人間、環境の共同構築」と呼ぶものを探った。

鳩レースの選手たちは、計算された繁殖、細心の注意を払った世話、厳格なトレーニングを通して、自分たちの道徳的・肉体的な期待を反映したレース用の鳩を生産し、「改良」するための青写真を見つけようとした。レーサーは彫刻家となり、完璧な「アスリート」を作り上げ、「鳥を作るのは人間だ」という言葉を繰り返していた(Logan, 1924:3)。

レースに関わる実践は、レーサーと彼らの鳥との間の関係を構築した。この関係は、家畜化に対する興味深い挑戦を提起し、家畜化の定義を拡大するものである。レース用の鳩は、飼いならされていると同時に自立しており、ロフトの一部であると同時に個人でもあり、使い捨てであると同時に名誉を与えられており、労働者であると同時にパートナーでもあり、機械であると同時に動物でもあり、ショー用であると同時にアスリートでもありました。

鳩レースの選手たちは、愛着と離反の度合いが異なることを示し、働く動物は曖昧で逆説的な理論的空間を占め、人間の生活に密接に溶け込んでいるという主張を裏付けている(Nast, 2006; Griffin, 2012)。

その後の関係はレーサーとハトの両方を変え、両者はほとんど切り離せない関係になり、スポーツは人間と鳥の両方の成果を体現するパフォーマンスになった。 実際、鳩レースの選手たちは「レーサー」という言葉を、人間と羽毛の競技者の両方を指す言葉として使い分けていた。

Ditcher(1991:序文)が主張するように、「チャンピオンのファンシャーと彼の鳥の間には相互関係がありました。どちらも一人では成功しない」のです。つまり、ピジョンレーサーが自分の熟練した技術を強調する一方で、鳩もまたスポーツに大きな影響力を持ち、結果に対する責任を負っていたのだ。

実際、鳩の運動能力の中にはコントロールできないものや理解できないものもあり、鳩レース関係者は遺伝やホーミング能力に関する科学的議論に参加していたが、完全に理解することはできなかった。つまり、レース用の鳩は、レーサーと密接に結びついていると同時に、レーサーとは明確に分離しているのである。この魅力的なスポーツに加えて、「機能」と「美」が曖昧になり、美的な問題に驚くほど深く関わっていたことも事実です。

レース用の鳩の展示会やその美学についての議論は、このスポーツが行われている組織や厳しさのさらなる延長線上にありました。レーサーたちは興味深い美意識を持っていた。彼らの主観的な好みや美的な視線は、レースの実施において重視されていた標準化、管理、フェアプレーを大きく揺るがすものだった。

レース用の鳩は、「自然」と「人為的」な力が組み合わさったものであると結論づけることができる。競走鳩は、科学と芸術を融合させた「アスレチック」の定義に基づいて、物理的にも比喩的にも組み立てられた構造物だったのです。つまり、鳩レースとは、単に羽を持つアスリートの肉体的な戦いではなく、「運動能力」や「芸術性」の定義を競い合う戦いだったのです。「運動能力」や「美しさ」、さらにはレーサー自身の定義を競うものだったのです。

(以上第7章、翻訳完了)

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