この「”眼科”尾内氏大いにまくしたてる」は1976年の秋9月の記事です。
尾内一郎さんは、1967年春広島鳩界が1000kレースで68羽参加30羽記録という大記録を打ち立てた際、広島にすぐさま訪れています。そしてそこで見た広島鳩界の鳩作りのレベルの高さに驚嘆し、その鳩理論の奥にある「眼の理論」の存在を知り、毎年足げ来広島に訪れ「眼の理論」を研究したと、後年語ってます。
当時から尾内一郎さんと言えば鳩界ジャーナリズムによく登場されていた著名な人物だったので、当然、いろんなところで眼に関する発言をされるようになっていました。
この記事によると、そうした経緯の中で、同じ関東の著名な競翔家大沢清孝さんが尾内一郎さんのことを”眼祖”と呼び、「怪しげな理論」を吹聴する「教祖」のような人物のように評価したことが、どうもこの「論争」の火だねになったようです。
確か、イレブンの記憶では、大沢さんは「眼」なんかで鳩が飛ぶ・飛ばないなどいうのは「まやかし」というような批判を明確にされていたように記憶しています。
こうした背景もあって尾内一郎さんが「愛鳩の友」社の編集員に語った内容だけに、それまで、あまり踏み込んで語られていなかった眼に関する理論がこの記事には、掲載されています。
実は、イレブンも、この「スネークパパの部屋」を立ち上げた2004年、今から17年前、この大沢さんのような考えをお持ちの方から、眼の理論の存在に対して批判的な意見をいただいたことを記憶しています。
その時、関東方面にはこの大沢さんのような考え方が伝統的にあるんだなと感じたことを記憶しています。そして、その背景には、様々な日本鳩界の歴史の形成の特質が働いていようにも感じていました。この問題は、また、いずれどこかで触れていくことになると思っています。
さて、この「”眼科”尾内氏大いにまくしたてる」で尾内一郎さんが述べている眼の理論を、先ずはじっくり見ていきましょう。今、テーマとなっている「油性粒子」の問題についてもキチンと触れています。
イレブンはこの論文には、眼の理論を考えていく上でいくつもの重要な観点が述べられていると思っています。
最近は、こうした「熱い議論」が交わされることが少なくなっているようですね。お互いずいぶん「大人」(老齢化)になっているからなんでしょうけど……。
この「”眼科”尾内氏大いにまくしたてる」を読むと、当時の鳩界が熱気盛んな「熱い時代」だったことも思い起こさせます。 |