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ようこそ、「スネークパパの掲示板」へ。お気軽に投稿いただければうれしいです。(『スネークパパの部屋』管理者イレブン)

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 【2021年作出鳩G】21-00302BC♂ 21/3/10生 (源流モスクワU号×モスクワパール号)  イレブン  2021年7月22日(木) 15:43
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 【2021年作出鳩F】21-00301B♂ 21/3/10生 (源流モスクワU号×モスクワパール号)  イレブン  2021年7月22日(木) 15:37
修正

 【2021年作出鳩E】21-01717BC♂ 21/3/12生 (源流ダンディー号×モスクワレガシー号)  イレブン  2021年7月22日(木) 15:28
修正

 【2021年作出鳩D】21-00416B♂ 21/ 6/17生 (SSブルー号×秘蔵岩田クイン号)  イレブン  2021年7月22日(木) 15:17
修正

 【2021年作出鳩C】21-00415BC♂ 21/ 6/17生 (SSブルー号×秘蔵岩田クイン号)  イレブン  2021年7月22日(木) 15:14
修正

 【2021年作出鳩B】21-00413B♀ 21/ 6/17生 (ゴールデンモンスター号×源流クイン2世号)  イレブン  2021年7月22日(木) 15:10
修正

 【2021年作出鳩A】21-00397RC♂ 21/ 5/24生 (20-00553×帝王5718号)   イレブン  2021年7月22日(木) 15:05
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 【2021年作出鳩@】21-00379B♂ 21/ 5/18生 ( 源流クーガー×源流光輝クインU号)    イレブン  2021年7月22日(木) 14:59
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 ■研究資料:中島国治『0の理論』■◇◇◇◇第9章 スピードのベース”月のサイクル”◇◇◇◇◇【出典:中島国治『サラブレッド 0の理論』――人間の予想を裏切る「血と本能」の秘密――』、2003年12月5日発行、KKベストセラーズ、P247〜P270より引用)】  イレブン  2021年7月17日(土) 2:21
修正
◇◇◇◇第9章 スピードのベース”月のサイクル”◇◇◇◇◇

この中島国治さんの『サラブレッド 0の理論』――人間の予想を裏切る「血と本能」の秘密――』の引用作業を進めている合間に、この本が現在いくらぐらいになっているのかをネットで調べたらなんと2万円近くする価格になっていてびっくりしました。

イレブンがこの本を購入したのは、確か10年近く前だったので、ネット上にもまだたくさんこの本が古本として流通していてかなり廉価だったように記憶しています。

知らないうちに話題の本になっていたんですね。かなりの値段ですが、この連載を期に購入される方もおられるかも知れません。ネット上でもあとわずかしか出回っていないようですので、そのうち全く手に入らなくなる可能性が大きいようです。

そうなると、こうして掲示板に引用資料として掲載しておくことも貴重な資料的価値があることになると思いました。

さて、この「第9章 スピードのベース”月のサイクル」ではいよいよ牝馬の遺伝の問題が論究されていきます。書かれていることは馬の牝の理論ですが、レース鳩の繁殖経験を積み重ねてきている私たちの実感していたのことが文章として随所に登場してきます。愛鳩家の間で口伝されてきた理論といくつも重なってきます。

どのように捉えるかは、人それぞれであっていいのですが、話題としてはとても興味をそそる内容になっているようにイレブンは思っています。

では、研究資料としての引用作業を続けますね。感想をいただければ幸いです。




 ■種付け時の体調が”質”を左右する■    2021年7月17日(土) 2:45 修正
最後に残ったのが’質”の遺伝である。

 繁殖牝馬が仔に伝える遺伝の中でも”質‘の遺伝はもっとも重要なものだ。運動神経、反射神経、俊敏性など、競走馬の生命ともいえるスピード面を”質″が握っているからだ。

 良好な”質”が遺伝されるかどうかは、繁殖牝馬が排卵する卵子の状態による。卵子の活性値には太陽のサイクルも影響するが、それだけではない。もっとも本質的に、優性な卵子であるかどうかが重要になってくる。女という性は、母親の胎内に生命を宿したその時点で、その生涯を通じて排卵する卵子の何百倍もの数の卵子を自らの子宮に蓄えるものである。

 私がいう月のサイクルというのは発情のサイクルであり、発情には、本物の”発情”と、偽の”発情”がある。・艮好に”質”を遺伝する卵子とは、優性の卵子で、それはその卵子が排卵されたときの発情が、”本物の”発情であったときの卵子なのである。つまり、”質”の遺伝において見なければならないのはボトムラインの母系代々の種付け時の体調である。

 イギリスの馬産家の間でいわれる教訓に、           ’
《善い発情で種付けし、しかも配合的にも理にかない、そのうえ、一度で受胎した仔馬でなければ名馬にならない》
 というものがある。フェデリコ・テシオの著書の中にも記されている有名な言葉である。

 

 ・・・    2021年7月17日(土) 2:46 修正
1877年、イタリアのナポリで、カヴァリェーレ・ジニストレッリという人物が、シニョリーナ(Signorina)という名の牝馬を生産した。その牝馬は華々しい成績を収めた。大種牡馬セントサイモン(St.Simon)の仔で、ミドルパークSの勝ち馬である。

 1882年に明け6歳で引退したシニョリーナが繁殖牝馬となるべく牧場に戻ると、ジニストレッリ氏はミトペルパークSの勝ち馬にふさわしい当代一流の種牡馬を彼女にあてがったが、彼女の生む仔どもはいずれも成績らしい成績を上げることなくターフを去っていった。彼女も次第に歳を取り、前年不受胎に終わったシニョリーナが1904年、馬主のジニストレッリ氏に付き添われて、当時のりリディング・サイアーのアイシングラス(lsinglass、Blandfordの直祖父)がもつ種馬所へと歩いていく途中であった。

 そこへさっそうと現れたのがB級種牡馬のシヤルルー(Chaleureux)である。種牝馬というのも名ばかりで、大方はあて馬ばかりやらされていたシヤルルーだったが、ニューマーケットの路上で、2頭は出会うなり相手の匂いを嗅ぎあい、もう一歩も歩こうとしなかった。お互いの飼い主がいくら引っ張っても何の効果もなかった。
『シニョリーナもついに恋をしたか』とジニストレッリ氏は思った。欧米では一流繁殖牝馬には一流の種牝馬を交配することが習わしで、一度でも二流や三流の種牡馬を交配すれば繁殖牝馬の価値も二流、三流に格落ちしてしまう。けれども、生物学者であり心理学者でもあったジニストレッリ氏は。ここでとても粋なはからいをする。

 「それならば君たちの想いを遂げさせてやろう」と、その場(路上)で両馬が重なり合うことを許したのである。このときの種は見事にシニョリーナの体にとまった。彼女が11か月後に生んだ牝馬はシニョリネッタ(Signorinetta)と名付けられた。

 ジニストレッリ氏が可愛くてたまらないシニョリネッタを、当時の専門家たちは種付けの由来から公然と軽蔑の目で見ていた。しかし、シニョリネックはイギリス・ダービーに勝ち、2日後に行なわれたイギリス・オークスまでも連覇してしまう。ダービーとオークスを連覇した牝馬は1780年に競走体系が整備されて以来の歴史で、本馬と1861年生まれのプリンクボニイ(BlinkBonny、アスワン、リヴァーマンの先祖)の2頭しかいない。無名の種牡馬シャルルーは、この一度の路上の恋によって名誉あるイギリス・ダーピー、オークス馬の父として、競走史に永遠に名を列んだのである。


 ・・・    2021年7月17日(土) 2:51 修正
 さて、ジニストレッリ氏は当然のことながら2年後に再び同じ配合を試みた。1907年に生まれたシニョリネックの全妹が、スターオブネープルス(Star of Naveles)である。 ゛
 スターオプネープルスはとても美しい牝馬で、専門家の評判も高く、高額でせり落とされた。けれどもこの馬は6蔵まで走って結局一度も勝てなかった。

 同じ父と母をもつこの姉妹が。一方はダービー、オークスを勝ち、一方は末勝利に終わる。どうしてなのか。これを単なる偶然と片づけることができるだろうか?

 そう決めつけることは簡単だが、あまりにも安易な考え方である。シニョリネックは馬自身の情熟に由来する発情で生まれた。その情熱は本質的に、善い、強い、速い子孫を残そうという、種族保存の本能に他ならない。いわば本物の発情である。それに対して、スターオプネーブルスは人間の都合や欲望に由来する仔どもである。本物の発情ではなかった。
 その差が如実に示されたのである。

 いかに強いサラブレッドの生産にとって、その発情の本質を見極めることが重要であるかがわかるだろう。
 だが、いつもいつもこのように劇的にはいかない。悲しいことにサラブレッドは経済動物である。ある程度人間の都合と日程を優先して種付けが行なわれることはやむを得ない。が、それでも、絶対に本当の発情で種付けすることが望ましいのである。

古今東西を問わず優秀な馬産家はあて馬で発情の善し悪し、つまり、卵子の善し悪しを判断し。最良の発情で種付けし、多くの名馬を生産してきた。昔はこの伝統的な手法で最良の発情を見分けられる多くの名人がいたが、小岩井農場の高橋勝四郎氏は、その中でも名人中の名人であった。だからこそ、
 「今日ダービー馬を受胎して帰る」
 という彼の言葉を誰も法螺とは聞かなかったのである。もちろんそれは結果的に真実になってしまったが。

 だが、名人とてしょせんは人間であって馬でも神様でもない。にせものの発情を本物と見誤ることもある。しかも名人はその秘伝を人に語らない。秘伝は名人の死とともに墓の中にしまいこまれるのが常であった。しかも優性卵を与える発情は毎年同じ日には硯れてこない(この理由は後ほど明らかになるであろう)。

 けれども月のサイクルを知ることで、本物の発情がいつくるのか、それを読みとることが可能になる。あるいはその馬の生年月日を知ることでその馬のスピードがどれほどのものかを推察することができる。


 ■ 繰り返す″女性期間″と″中性期間″■    2021年7月17日(土) 2:58 修正
 月は地球の衛星である。月は年間を平均すれば29・5日単位で地球の周りを一周する。その中で。1週間というのは月のサイクルの最小単位である。地球上のどこでも月は頭上に輝いて、毎日毎日とその姿を変えていく。その目立った変化は、新月、上弦、満月、下弦という順序ではほぼ7日ごとにおこる。助物の排卵は月のサイクルに従い、7の公倍数になっていることがほとんどだ。人間の排卵は4週間、約28日周期で、馬の場合は3週間の約21日である。卵生動物の卵がふ化に要する時間もそのほとんどが週単位である。この7日間に日月と木火土金水という五星を当てはめた七曜暦の起源は紀元前2世紀頃に始まったといわれる(編集部注・『暦の百科事典』、新人物往来社、1986年刊)。

 文明が誕生して以来我々の単位は7日である。これは7日という単位が人間も合めた生命体にとっていかに本質的であるかということの証左である。週単位というのはあらゆる地球上の生物のリズムの基本単位であり。またこれは月のサイクルが特に牝からの遺伝に重要な意味をもっているということの間接的な理由になり得ると思う。

 この地球上のあらゆる牝は月の影響を大きく受けている。牝の子宮は重力、または光によって伝えられる月のサイクルを感じ、生まれ落ちたときに一定数が用意されている卵母細胞の中から特定の一つをピックアップし、受胎可能な状態にまで育てる。それが排卵である。だから、月のサイクルが発情のサイクルなのだ。その発情が月のサイクルのどこに当たっているのかを知れば、その発情が”本物″であるかどうか、さらにその卵子の″貿‘が優性であるかどうかまで数学的に見極められることになる。サラブレッドの華麗なスピードは月のサイクルの恵みなのだ。

 繁殖牝馬はその年齢、生まれた月日により種付けすべき期間が一意的に定まり、その期間の中にたった一度だけ優性卵が排卵される。そのことに気づいているのは、ごく一部分の優秀な馬産家だけであろう。

まず、種付けすべき期間とは何か、それはいつ訪れるのか、ということを考えよう。
 元来繁殖牝馬には繁殖シーズンの最中であるにもかかわらず、発悄すら示さない期間というものがある。馬の発情と一般的にいわれている繁殖シーズンとは何も関係がない。春を繁殖シーズンだと勝手に決めつけているのは人間の都合で、馬には1年中すべてが繁殖シーズンである。というのも、受胎すれば牝馬の血液は中性になり、走力を回復する。つまり自分の身が危険に晒されなくてすむからだ。

 だから、繁殖シーズンを離れて生まれた名馬はざらにいる。たとえば天皇賞馬のアサホコである。昭和34年(1959)の8月8日にヒカルメイジを種付けされ、生まれた仔馬だった。
 この季節外れの種付けの理由を、
 「あまりにいい発情だったので種付けした」
 と、後に盛田牧場の場長は語っている。このいかにも経験を積んだ場長の素晴らしい判断が天皇賞馬を作ったのである。
 もちろん、冬に生まれる名馬もいる。たとえばテスコポーイ、ゲイタイム、ゲインズボローなどは1月生まれである。

 考える、という武器をもつ人間には天敵はいない。人間の女性が男性より少しばかり体力やスピードが劣っても生命が危険に晒されることはない。だから人間の女性たちにはいつでも性の楽しみを享受できるような仕組みを神様が与えた。

 けれども、馬は常に発情しているわけにはいかない。このことはすでに何回も述べているが、天敵から逃げ続けることが種族を保存する唯一の手段である馬にとって、常に発情状態であることは必然的に自らを滅ぼすことになる選択である。

 血液のPHが中性の期間、牝馬は牡となんら変わらないスピードで走ることがてきる。逆に、血液のPHが酸性となる発情期間には、牝馬の走力は衰える。だからその期間が必然的にかぎられることになるのだ。

 さて、馬の生殖機能の変化は、すでに書いてきたように2か月単位である。女性期間(十)と中性の体質の期間(一)が2か月単位で交互に牝馬に訪れ、十十−−十十−−十十− −というようにサイクルする。

 牝馬の発情(排卵)周期は21日(=3週間、19〜23日までの幅はある。その内訳は発情前期3日、発情期2〜11日、発情後期3〜5日、発情休止期6〜10日。編集部注・『畜産ハンドブック』、講談社刊、1981年)だから、一度の女性期間あたり約3回の排卵がある勘定になる。だが、2か月の女性期間の中で、優性卵が排卵されるのはたった一度、それは基本的に初期の発情である。というのも、いち早く妊娠して中性状態になることが優先されるからだ。

 ・・    2021年7月17日(土) 3:07 修正
 この牝馬の2か月単位の体調のサイクルを、全体の約70パーセントを占めるノーマル・パターンの牝馬について左ページの図に示す。ノーマル・パターンとは、先祖代々がこの女性期の発情の中で種付けされて世代を継承している牝馬の場合のサイクルである。

 その馬の誕生日に14日を加算した日付けを起点に、左右に1か月ずつ、全体的には2か月ごとのパターンを描いて広がっていくことになる。プラスすべき14日というのは卵巣細胞が働くようになるまでのタイムラグである。

 なお、ここでは生年月日にプラス14日した日を起点にしてあるが、これはあくまでもその繁殖牝馬が出産予定日通りに生まれた場合で、出産予定日よりも早まることも遅れることもあるから、変わり目には多少の誤差を生ずる。

 というのも、本当に重要なのは出産日ではなく受胎した日なのである。ただ、受胎した日を証明することはできないので、我々は出産予定日からそれを逆算する。つまり出産予定日に1か月を足した日にちを種付け日と予想する。

 馬産に直接関係のない読者にとっては出産予定日のデータを入手することは困難であろうが、馬券の購入にこの知識を応用する分には、多少の誤差には目をつぶっても差し支えないはずだ。逆に、馬産者の皆さんにはできるかぎり厳密であろうとする努力を貫いていただきたい。

 約3割の牝馬は逆のパターンを示す(左ページ下)。これは自分の世代に至るまでの過程で発情の周期が逆転し、それを継承してしまったものだ。牝馬は仔馬を生むとその9〜10日後に最初の発情を迎える。この初回発悄が逆パターンであったにもかかわらず種付けされると生まれた牝馬が逆パターンを受け継いでしまう。ただし、このような繁殖牝馬だからといってよい競走馬を生めないかというとそうではない。

 ・・・    2021年7月17日(土) 3:08 修正
 モンテオーカンは、この逆パターンをもった繁殖牝馬である。彼女は昭和42年(1967)4月29日生まれであるから、14日分を加算し、起点は5月13日になる。満九歳の昭和51年5月1日にシーボーグを種付けしたが、このときが女性期間の初期に当たっていることは左図から明らかである。

 彼女は昭和52年(1977)4月1日に鹿毛の牡を出産する。昭和52年6月22日には同じくシーボーグを種付けし、これまた女性期間の初期の発情である。昭和53年5年29日に鹿毛の牡を生む。
 この全兄弟は、兄がモンテプリンス、弟がモンテフアストで兄弟ともに天皇賞馬になった。

 ところで、前ページの図の上下をじっと見比べているとひじょうに重要なことに気づくはずだ。それは、前年度に女性期間であった月日が、翌年は常に中性期間へと逆転していることだ。これが、牝馬の発情は毎年同じ期間に現れないと先ほど述べたことの理由である。前年度チャンピオンだった牝馬が、翌年度にチャンピオン・シップをディフェンディングできない理由として、これまでに述べた事実にもつながる。

 さて、ここまでわかったことをまとめてみよう。牝馬には中性期間と女性期間が2か月単位で交互に訪れること、優性卵が排卵される発悄で種付けすべきであるということ。優性卵は女性期間の比較的初期に排卵されること。

 だが、これだけではまだ不十分なのである。なぜ不十分なのか、といえば、現実にサラブレッドを作るうえで、私自身がこれだけの知識ではまだ優性卵を与える発情の条件を卜分に見抜くことができなかったからだ。実をいうとここまでかと思った。先にいく道が見えなかった。切歯扼腕(せっしやくわん)して、目の前に立ちふさがる壁を乗り越える道を探した。

 解決策をあまりにも激しく求めるあまり、私はしばしば見当違いの道をさまよい歩いた。だが、常に立ち帰ったのが、サラブレッドを支配する月のサイクルであった。サラブレッドのスピードというものが繁殖牝馬によって決定される以上、秘密はかならず月のサイクルの読み方にある。そう払は思った。きっととても近いところにある。そしてその秘密は、まるで秘めやかな恋人のように、私に解読されるのを待っているに違いないのである。

(この章つづく)

 ■″質″の遺伝力を最高潮にする一本のライン■  中島国治  2021年7月17日(土) 6:28 修正
その最小のサイクルは週の単位をなす7日である。旧約聖ぶの『創世記』には、
《神が6日のうちに天地万物を創り、7日後に休んだ》         。
 とある。私のテーマは、月のサイクルのミニマムの7日が、太陽の大きなサイクルとどのような接点をもっているか、それを結び付けることであった。

カレンダーをにらみながら考えに考える日々を続け、ある日、ありとあらゆるサラブレッドの受胎日を種付け日から求め、あるいは出産予定日から逆算し、畳一畳分もある手製のカレンダーに書き込んでいった。最初はなんの規則性も見出せなかった。それらはてんでにぱらぱらの日付けの上に分散し、私をあざ笑っているかにも見えた。

手製のカレンダーが真っ黒になるころ、そこにわずかに濃淡が見えた。まるで水墨画で描かれた、川の流れのように、である。その中から逆に末勝利馬の受胎日を一つ一つ消していった。するとカレンダーの濃淡がもう少しはっきりし始めた。今度は1勝馬の受胎日を消した。濃淡はもはやちゃんとした傾向といっていいほどのものになっていた。そしてついに、オープン馬の受胎日だけを残すそのカレンダーに、1本のラインがくっきりと浮かび上がったのである。それはカレンダーに1、8、15、22、29と縦に並ぶラインであった。それを表したのが次のページの図のフォームである。

 つまり、太陽暦の1か月をアベレージ30日と考える。すると月のサイクルである29.5日との間に差が半日分生まれる。したがって、この半日を修正するだけでよかったのである。そしてx日は、馬の場合にはすべてが15日である。xを15とすれば、x+7は22、x+14は29、x−14は1、x−7は8、その誤差は(+)2日、(−)1日である。

 このライン上で、繁殖牝馬の発情、すなわち”質”の遺伝力は最高潮になる。その発情が4月にあろうと5月にあろうと、かならずこのライン上で世代交代されて名馬は生産される。それ以外の発情はすべてにせ物である。つまり、太陽暦における日付けが重要なのである。地球が太陽の周りを一周する間の、どの辺の位置にあるかが重要なのである。

 ・・    2021年7月17日(土) 6:32 修正
 現在日本には1万8000頭の繁殖牝馬がいるが、その中で三世代以上にわたる優性卵を受け継いでいる繁殖牝馬は、払の計算では1400頭少々にすぎない。というのも、世代交代の間に一つの劣性卵が挟み込まれてしまえば、それはまた1からの出直しだからである。そこから四世代後でなければ名馬は生まれてこない。

 だが逆に、この法則を熟知すればまったくの凡牝系からでも名馬は生産できる。
 フェデリコーテシオはネアルコの祖母キヤツトニップ(Catnip)を75ギニーで購入し、リボーの祖母バルバラブリーニ(Barbara Burrini)を350ギニーで購入している。テシオがキャツトニップを購入する1年前に競り落とされた(イペリオンの祖母ゴンドレッテ(Gondolette)が,1500ギニーだったことからも。これらの馬の評価の低さがわかるだろう。

 こうした安馬をテシオは一世代で一流の繁殖牝馬に作り上げた。というよりも、機が熟するのを注意深く見守っていた。この法則を知らないものにとっては、テシオの手際はまったく魔法のように見えたことだろう。

 近年ぱっとしない眠っていた牝系から急に名馬が出たり、突然栄え始めたりする理由がこれである。このように牝系が栄枯盛衰を繰り返すことをテシオは”波動現象″という曖昧な言葉で呼び習わしている。
 きて、ここで繁殖牝馬は競争成績が優秀なそれよりも、あまり走っていないそれのほうが名馬を生む確率が高いことに注意を促しておきたい。

 フェデリコーテシオはこの事悄を、
《牝馬は神経的エネルギー(Energa Nervosita)を競走によって消耗する。そのエネルギーが再び蓄積されるまで良馬は生むことができない》
 というように説明している。

 だから、優性卵を四世代受け継いで優秀な競走馬として活躍してしまった繁殖牝馬よりも、三世代を継いで競走馬としては花開かなかった繁殖牝馬のほうがむしろ名馬を出せるようだ。

 同じ理由で、競走成績が一流の繁殖牝馬は高齢で名馬を生むケースが多い。もちろんそれまでに消耗していた″神経的エネルギー″が再蓄積されるからだ。
 この蓄榊にはかなりの年月を要する。トーストは17勝をあげた名牝であったが、彼女がダービー馬ラッキールーラを生んだのは15歳であり、シニョリーナがシニョリネッタを生んだのは19歳のときである。

 けれどもかなりの競走能力を示した牝馬がすみやかに引退した場合は別である。ツシアルトウショウはオークス2着で引退し、約1年の休養をはさんで繁殖生活に入ったが、仔出しは良好で4頭の重賞ウイナーを出した名牝である(後に詳述)。

再びミホノプルポンに戻る。カツミエコーが受胎したのは5歳の6月22日である。これは出産予定日が6歳の5月22日であるから、前年の同じ日付の1か月前と考えて受胎日を逆算したものだ。まさしくx±7nのフォーム上にある。

 少なくとも母親が受胎したときの卵子の状態に関しては合格点が与えられる。さらに、ハイフレームがカツミエコーを受胎したのは14蔵の6月15日(出産予定日15歳5月15日)、カミヤマトが(イフレームを受胎したのは8歳の6月15日(出居予定日九歳5月15日)、コロナがカミヤマトを受胎したのは15歳の5月8日(出産予定日16歳の4月8日)である。

 なお、受胎日と出産予定日では、月が変わるだけで日付けは同じだから、このフォームには単純に出産予定日を当てはめて考えればいい。
 もしミホノブルボンの母系のボトムラインの出産予定日を当てはめれば、四つの世代交代が完全なサイクルに従い、一本の糸のように繋ぎ合されていることがわかるだろう。
 つまり、ミホノブルボンは”質’的遺伝も完全なのである。

 ■ミホノブルボン、毛色のミステリー■    2021年7月17日(土) 6:42 修正
さて.ここで″太陽のサイクルに月のサイクルが割り込んだ”遺伝であるEX・Pについて解説する。

《牡が遺伝に関与する形相のバリエーションは太陽のサイクルをもって支配する。しかしごくまれなケースで月も支配に加わることがある》
 テシオの共同経営者であるインテーザ公爵の著書の中にこういう記述がある。この記述はまさしくEx・Pについて述べたものだ。

 Ex・Pとは〃形・。相″の遺伝である。だから主に影響を与えるのは種付け時の種牡馬、繁殖牝馬の馬の年齢だが、まれにその種付け日の月日が″形’”相‘の伝わり方に影響を与えることがあることはすでに述べた。

 Ex・Pとは単純にある馬の種付け日がその父馬の誕生口と一致している場合に起こる硯象で、その仔一代だけ、種牡馬の”形”。相”がそのまま迫伝される。その仔の次の世代にはその”形”相″は伝わらない。

 ミホノブルボンの母馬のカツミエコーが青毛である理由がこれである。カツミエコーの青毛は一代限りの遺伝であるため、ミホノブルボンにその青毛は伝わらず、栗毛に出たわけだ。
 
シヤレーの両親では、父親のリュティエがホモの鹿毛馬、母親のクリシアナ(Chrisiana)かくれ栗毛の繁殖牝馬であった。

 毛色には人間の血液型と同じようにホモとヘテロがある。たとえば、鹿毛という毛色にもホモとヘテロがあり、ほとんどの鹿毛はヘテロの鹿毛である。ホモ鹿毛で有名な秤廿馬にライジングフレームやヒンドスタンがいる。

デュールもおそらくホモ鹿毛である。ホモというのは鹿毛以外の毛色の遺伝子をもたないことを意味し、ヘテロというのは鹿毛以外の毛色の遺伝了ももっているが、自分の毛色は鹿毛である場合を指す。

これは人間の血液型に、同じB型でもBB型とBO型の両方があって、BB型の血液の持ち主はB型の遺伝子しか伝えず、BO型はB型とO型の両方を伝えられることと同じ仕組みである。

 ホモ鹿毛の種牡馬の仔は、大部分が鹿毛で、鹿毛以外はすべて黒鹿毛、青鹿毛、青毛、芦毛のいずれかであり、栗毛はI頭も生まれてこないのに対し。ヘテロの鹿毛の種牡馬からは栗毛の仔も生まれてくる。

 ・・・    2021年7月17日(土) 6:43 修正
さて、リュティエの数字(活性値)は0・5と劣性で、もしリュティエの鹿毛がホモでなくヘテロの鹿毛の種牡馬だったならば、その仔のシャレーは母親の形相、すなわち母方の祖母の父ヒルゲイル(活性価1,75)の形相を引いて栗毛で生まれてくるべき馬である。

 だが、ホモ鹿毛の種牡馬の仔は、その父の遺伝が劣性であってもまず鹿毛を引いて生まれてくることが多い。ということは、シャレーは栗毛の因子をもった青鹿毛の種牡馬ということになる。この栗毛がヒルゲイルに由来するものであるということは、シャレーの母の父ダブルジャンプも活性値1・00でヒルゲイルまりも劣性であり。不存の先祖であるという事情による。

 こうしてシヤレーは青鹿毛に出たが、依然として栗毛の因子ももっており、掛け合わされた相手方の(イフレームもホモの栗毛の牝馬だから。カツミエコーは普通なら栗毛で生まれてきて当然だが、シヤレーの誕生日の日付けと種付け日(受胎日)が一致したためにシヤレーの毛色がそのまま遺伝されたことになる。
 
 ただし、Ex・Pに月の一致は必要なく、日付けだけが一致していればよい。
 シヤレーの生まれた日は22日であるから、3月ならば21日、ヨーロッパ産は日付け変更線の閔係で1日前の20日、2月ならば19日である。2月は28日で3月31日との差の3日を減算するのが平年の差であるが、1976年は閏年であるから2日を減算し19日である。日本ならば22日で、これらの日に種付けした場合にはEx・Pということになる。

そしてシヤレーからの隔世遺伝を受けるとなればすべてが栗毛で生まれてくるということになる。
 さて、ここでミホノブルボンの配合についてまとめてみよう。
 まず、四世代の父系がエクリプス系、ヘロド系、マッチェム系、エクリプス系と、3種の父系を使った最高の組み合わせで。知的素質に優れた傑作である。

 さらに同父系の父1・25と四代父O・75との差が0・5と開いていることがより一層血の浄化に役立っている。ミホノブルポンの頭脳の素晴らしさは、四世代とも別々の数字(1・25、I・5十a、0・25、0・75)であることによる。
 また、意的素質の面では、ネアルコ系の父であるが。それが劣性に遺伝しているために彼の悍性は優れて統領性も得ている。

(以上第9章引用)

 ■研究資料:中島国治『0の理論』■◇◇◇◇第8章 生体活性を波動する”太陽サイクル”◇◇◇◇◇【出典:中島国治『サラブレッド 0の理論』――人間の予想を裏切る「血と本能」の秘密――』、2003年12月5日発行、KKベストセラーズ、P229〜P246より引用)】  イレブン  2021年7月16日(金) 3:06
修正
◇◇◇◇第8章 生体活性を波動する”太陽サイクル”◇◇◇◇◇

サラブレッドの理論である中島国治さんのこの「0の理論」のベースになっている考え方は、キチンとした検証をしなければレース鳩の理論にそのまま転用することは出来ませんが、その考え方の視点としては、かなりの類似点があるように思います。

本章では「太陽サイクル」が遺伝における生体活性にどのように関わってくるかをサラブレッドの名馬の実例を基に理論が展開されています。前章で触れてあったように、この太陽や月の「波動」はあらゆる動植物の生命体に影響を与えていることは、すでに多くの科学的な検証で明らかになっている事実です。

そのことを前提に考えてこの章を読んでいくと、レース鳩の遺伝の場合も、この中島さんのような検証が可能であれば、何らかの遺伝の法則が存在すると考えるのに無理はないように思えるのですが……。

様々な議論が出来そうですね。感想等の投稿をお願いしますね。

ネット上でもずいぶん以前からこの「中島理論」に対しては賛否両論が存在しています。イレブンも一応そうした意見にも目を通しているのですが、これだけ議論されているということは、そこに何かあるからとも考えています。レース鳩の眼の理論も同様ですので、話題としても面白いのではないでしょうか。どのように考えるかは、これもまた、人それぞれあっていいというのがイレブンの基本的な立場です。


第7章、第8章と掲載してきましたが、次の第9章「スピードのベース”月のサイクル”」まで掲載しないと中島理論のおおよその全貌が見えてこないようですので第9章も数日内に掲載することにしました。

【中島国治 プロフィール】
昭和10年東京生まれ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒。芸大在学中にイタリアに留学し、サラブレッド血統配合の真髄に触れる。帰国後、独自に構築した血統理論を完成し、日本の生産界に絶大な影響力をもつに至る。馬券収支でオペラのコンサートを開催したことは知る人ぞ知る逸話である。平成5年に出版した『血とコンプレックス』(小社刊)は競馬ファンはもとより競馬に携わる多くのプロの人たちに衝撃を与えるとともに、血統についての考え方に多大な影響を及ぼした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『サラブレッド0の理論 人間の予想を裏切る「血と本能」の秘密』より
※中島国治さんはすでに故人となられているようです。(調査中)

 ■太陽のサイクルとは何か■  中島国治  2021年7月16日(金) 3:14 修正
 まず、ある1頭のサラブレッドの遺伝の全容を知るうえで最低限必要なのが、四代血統表である。遺伝は直接と間接の二つに大別できるが、直接遺伝は四世代で構成され、五代目より先の先祖は間接的に隔世遺伝の対象になる場合のみ関係してくると考える。基本は四世代ということを念頭に置いて欲しい。

 232ページに示す血統表は平成4年(1992)の皐月賞・ダービー馬であるミホノブルボンのもので、五代目までの先祖名が記されている。

 種牡馬の名前の下の数値は精子の活性値、繁殖牝馬の数値は卵子の活性値、卵子の活性値の合計が料的遺伝値である。これらは太陽のサイクルから求められる。太陽のサイクルから逆算して牡牝両方の生殖細胞の活性を数値化したものである。

 さあ、この先に論を進めるためには。いよいよここで太陽のサイクルとは何かについて、全容を改めて知ってもらう必要がある。

 フェデリコ・テシオのメモには《Minimo al Massio e un Cicolo deI Sole, el Questo cicolo Ci Vuolo anni=ミニモ(最小)からマッシモ(最大)までが太陽のサイクルで,このサイクルには8年を要す》と書かれていた。太陽のサイクルはその最小単位が満4年である。それを日数に変えると1461日である。その満4年を二つ重ねた満8年、2922日をもってサイクルが完成する。前半の4年が生体エネルギーの劣性期([−]、lnferiore)、後半の4年が優性期([+]、Dominante)で、この8年で生体は一つのボトムと一つのピークを体験する。そしてその現象を[+][−][+][−]……というふうにサイクルしていく。

 ここまでは比較的簡単にわかった。だが、その先がわからなかった。書いてしまえばそうむずかしいことではない。だが、どこが起点なのか、そしてそのサイクルをどのように体系化したらいいのか、ただそれを突き止めるだけでも私は人生の大半を費やさねばならなかった。したがって、ここから先は私のオリジナルである。

 起点は、その個体が受胎した日から数えて1年後(出産予定日の約1か月後)からである。馬の在胎期間は約11か月であるから、出産日から数えると1か月後になる。というのも、仔馬の細胞は生まれ落ちるやいなや自立するわけではく。生まれてしぱらくは母馬の細胞の働きの影響が残っているからである。まだ母馬の細胞の働きが残っている期間が1か月というタイムラグなのだ。

 交配期日は種付け台帳に記載されており、また出産予定日は種牡馬特集号などに明記されている。起点からスタートした生体の活力は少しずつレベルを上げていき、満8年後にその頂点に達する。

 ・・・  ・・  2021年7月16日(金) 3:16 修正
235ページの図を見ていただきたい。私は劣性期と優性期の中間点(Centro)を1.00とし、下限(Minimo)を0と定め、上限(Massimo)を2.00と定めた。もちろん、遺伝の影響力を目に見えるように数値化するためである。

 その数値2を太陽のサイクルである8年で割れば、1年当たりの生体の活力の上昇度が出る。すなわち、0.25である。半年なら0.125あり、―か月なら0.20833となる。春の繁殖シーズン(4か月)でも、最初と最後では数値は0.083233と変化している。

 起点の0から少しずつ上昇してきた生体の活力は8年をもって上限の2に到達する。そこから下降準備期間に入り、馬の場合では約4週間後には0に戻る。私の調査結果では、この4週間の下降準備期の間、細胞の活力は、ピークの2よりもさらに強まる。つまり2十″である。

 このピークの時期(満8歳、16蔵の直前)で繁殖牝馬の卵子は一世一代の働きを示しており、この時期に卵子が受胎すると、名馬の生まれる確率がひじょうに高まる。

 たとえば、テシオが生産したリボー(16戦全勝のイタリアの名馬)はこの卵子で受胎している。我国では、メジロマックィーン、シンボリルドルフ、カツラギェース、グリーングラス、ウィンザーノット、ライトカラー、エルプス、ウイニングチケット、ピワ(ヤヒデ、タップダンスシチーなどがそれに当たる。ただ、生産者の多くはこの太陽のサイクルを知らず、単にまぐれ当たりにすぎないのはひじょうに残念なことである。

 また、牝系のポトムラインにおける繁殖牝馬の受胎時の卵子が、3回の世代交代の間に少なくとも1回2.00の数値をもっていた場合もおうおうにして名馬の出る土壌となる。たとえばトウショウポーイ(2回の世代交代が2.00)、ハワイアンイメージ(2回)、ライスシャワー(2回)、クライムカイザー、ミホノプルボン。シンコウラプリイなどがあげられる。

 以上述べてきた数字は北半球産馬を対象とした数値で、南半球から見た場合には秋仔である故に0.125ずつ減算する。また南半球から北半球産を見た場合0.125ずつ加算する。


 さて、もう一度図に戻ろう。三角形の底辺に並ぶ数は馬の年齢を表しており、1日盛りは満1年で、8年ごとにサイクルしていく。0から2.00まで、縦軸に示された数値はその馬の生殖細胞(精子または卵子)の活性値である。三角形の底辺の種牡馬または繁殖牝馬が生殖にかかわった年齢から縦にまっすぐ線を引き、斜めの線にぷつかったところの縦軸の数値が、受胎が行なわれたときの生殖細胞の活性値ということになる。

 ミホノブルボン(生年1989年)が受胎したときのマグニテュード(生年1975年)の年齢は、1989−1975‐1=13
 13歳であった。ミホノプルポンの生年からさらに1を引いているのは、ミホノブルボンが母馬の胎内にいた11か月を約1年と概算し、その分を引いて受胎した年を算定しているためである。そこからさらにマグニテュードの生年を引くと。マグニテュードの種付け時の年齢が出る。

 さて、13歳という年齢における、精子の活性値を図で見ると1.25という数字になる。同様の計算によりミホノブルポンの母カツミエコーが受胎したときのシャレーは6歳で。そのときの精子の活性値は1.5十a、ハイフレームが受胎したときのユアハイネス(9歳)の精子の活性値は0.25、カミヤマトが受胎したときのライジングフレーム(11歳)の精子の活性値は0.75であった。

 この中でもっとも活性値の大きいのがシャレーの1.5+αである。端数が出ているのは、シャレーがヨーロッパ産馬で、生まれが4か月以上早いということを考慮した分の補正値である。いずれにせよシャレーの遺伝が優性となって、他の牡馬の先祖は劣性となる。すると劣性となった先祖がもっていた”形””相”面の遺伝はすべて消える。いったん劣性となった先祖の”形””相”が、その子孫に伝わることは絶対にない。

 もちろんミホノプルボンの父馬であるマグニテュードのもつ遺伝もすべて消える。また、種牡馬になったミホノプルボンの中にはすでにマグニテュードは不存の先祖なのだから、仔どもにその″形””相”を伝えることはない。この規則に例外は絶対ない。第3章をもう一度読み直して欲しい。この法則があるが故に、父系の影響力が切れた種牡馬というものが存在するのである。


 ■”被遺伝世代深度”で隔世遺伝の対象先祖がわかる ■  ・・  2021年7月16日(金) 3:18 修正
ではどのような伝わり方をしているのか?
 この時の遺伝の仕方については一意的な法則が支配している。つまり、受胎が行われた時点で牡の精子の活性値が、牝の持つ父系三世代(父、母の父、祖母の父)のいずれの数値よりも優性であった場合、その数値の差が開くほどに奥の先祖にまでさかのぼって遺伝の影響力ぷとになる。これによって遺伝の奥の深さがわかるのである。

 どこまでの先祖が隔世遺伝の対象になるかを仮に被遺伝世代深度と呼ぶことにししよう。被遺伝世代深度を計算する式は、
 被遺伝世代深度H(交配する牡の活性値−三代前までさかのぼった牝の父系の最大数値)÷0.25で表される。

 このとき、被遺伝世代深度の一世代分というのは活性値にして0を超えて0.25までの差に当たる。つまり、1年の間に活性値が上昇する範囲である。

 被遺伝世代深度の数字は切り上げ算で計算する。ということは、たとえ微差でも両者の差が0.25の倍数以上の数字になった場合には世代数は増える。逆にその差が一世代分に満たない場合、つまり被遺伝世代深度が1未満の場合には交配する牡の形相を受けて遺伝することになる。だから、もしマグニテュードの精子の活性値よりも母の先祖の種牡馬の精子の活性値のほうが高くても、差が0.25より小さかったなら、ミホノブルボンはマグニテュードの”形””相”を遺伝したことになる。
 逆に、母の先祖の数値が父を一世代分上回っていたために母を通じて”形””相”を遺伝したわけだ。

 牡の活性値が牝のもつ父系三世代のいずれかの数値よりも低かった場合、牝のもつ父系三世代の中で最優性の先祖の活性値と牡のもつ活性値が開けば開くほど、父親の遺伝力が弱いわけであるから、それを補う意味で、活性値の差の分だけ奥の先祖が引っ張り出されてくる。つまり、被遺伝世代深度の範囲内での最優性先祖を隔世遺伝することになる。

 ミホノブルボンの場合、父マグニテュードよりも母の父シヤレーのほうが活性値が高く、その世代差は。
 (1.5十α)−1.25=0.25十α
 である。

 0.25は1年分の差であるが、十αで2年目に入っていることにより、被遺伝世代深度は二世代分となり、二世代目までの最優性先祖の”形””。相”を隔世遺伝することになる。となるとそれはシヤレーである。つまり。ミホノブルボンの遺伝において考える必要があるのはシャレーおよびシャレーの先祖だけである。

 この血統表の中には記されていないが。今述べた方法でシヤレーの先祖の数値を丹念に調べるならぱ、彼が受けた隔世遺伝の対象となる先祖(種牡馬)が判明する。シヤレーの父リュティエ(Luthier)の精子の活性値は0.5、シャレーの母の父のダブルジャンプ(DoubIJump)の活性値は1.0、祖母の父ヒルゲイル(HillGail)の活性値が1.75 で,祖母の父ヒルゲイルが優性、父リュティエおよび母の父ダブルジャンプは不存の先祖ということになる。

 さらに、
 1.75−0.5(リュティエの活性値)=1.25
 であり、1.25は五世代分に相当するから、シャレーから五世代さかのぼづた先祖までの範囲で隔世遺伝ができる可能性が生きているということになる。血統表を見ると三代さかのぼったところに活性値1.75のヒルゲイルが現れる。活性値が1.75ということはほぼ最高の値に近く、最優性先祖と考えて十分だ。

 つまり、ミホノブルポンはアメリカ産のケンタッキー・ダービー馬であるヒルゲイルの"
形""相"を、間接的に隔世遺伝したことになる。いかにもアメリカン・タイプといえるミホノブルボンの体型はここに由来する。

 被遺伝世代深度は特に配合を行なうときに有効である。というのは、望みの先祖の形相を自由自在に引っ張り出せるからだ。

 ところで、注意深い読者の中にはミホノブルポンの毛色に疑問をもたれた方がいるのではないだろうか。ミホノプルボンの毛色は栗色である。父のマグニテュードの毛色は鹿毛。それを遺伝していないことはいいとして、母のカツミェコーは青毛、ミホノプルボンがその”形””相”を受け継いでいるはずのシヤレーは青鹿毛である。

 なぜか?
 その理由はシヤレーが栗毛の囚子をもっている青鹿毛の種牡馬であるために、ミホノブルボンに栗毛を隔世遺伝をしたのである。

 カツミェコーの青毛はシヤレーのEx・Pである。Ex・Pとは太陽のサイクルに月のサイクルが割り込んだときに起こる現象で、仔一代だけに種牡馬の”形”"相"をそのまま遺伝する。したがって次の世代にその"形""相”を伝えることはできない。つまり、カツミェコーの仔は今後も青毛、青鹿毛は生まれない。

 ごくまれに牡馬の遺伝にも月のサイクルが絡んでくる、と前に述べたが、それに当たるケースである。Ex・Pについての解説はここではこれにとどめておき、牝馬の遺伝の項口で、月のサイクルの解説を終えた後に改めて取り上げることにする。


 ■競走馬の体力を決める"料的遺伝数値"■  ・・  2021年7月16日(金) 3:20 修正
次に見るべきは、"質”"料"の遺伝である。先ほども述べたように、これらの遺伝は父親からは伝わらず、母親からのみ伝わるので、牝系を通じて伝えられてきた遺伝も種牡馬に突き当たった時点で完全に切れる,ということは、ミホノブルボの血統表の中でマグニテュードの牝系、シャレーの牝系、ユアハイネスの牝系、ライジングフレームの牝系……などは、”質””。料”の遺伝に関しては最初から考慮する必要がない。見なければならないのはカツミエコー、ハイフレーム、カミヤマト、コロナ。秀節……と続くボトムラインだけである。

 まず、太陽のサイクルが関与する”料”の遺伝から見ていこう。”料”イコール、その馬がもっているベースの体力とだいたい考えてよい。それは、馬の受胎時の卵子の活性が決定する。卵子の活性は太陽のサイクルによって上下するため、受胎時の活性が重要になるのだ。受胎時の卵子の活力は一生を通じてその馬の細胞の活性、つまり体力を決定し、さらにその馬が牝馬の場合にはそれは遺伝される。

 母馬が仔にそれを伝えるときには、祖先の”料”へまたは活性値のベースに、さらにその母馬自身の、受胎時の卵子の状態によって異なる活性値がプラスされることになる。つまり”料”の遺伝は、遺伝を伝える代々の牝馬の、それぞれの活性値の総和として表される。
 
 これを見るために、私は牝系のボトムラインを四代にわたって見ていくことにしている。すなわち、四代母から曾祖母へ、曾祖母から祖母へ、祖母から母へ、母から仔馬へ、と四度にわたる世代交代の際の、それぞれの卵子の数値の合計が”料”的遺伝数値である。

 この数字も太陽のサイクルを表した235ページの図から同じように求められる。’料”的遺伝数値を式で表すと、

 ”料”的遺伝数値=
  D(仔が受胎したときの母の卵子の活性値)
 十C(母が受胎したときの祖母の卵子の活性値)
 十B(祖母が受胎したときの曾祖母の卵子の活性値)
 十A(曾祖母が受胎したときの四代母の卵子の活性値)

 のようになる。
 仔の数値はD十C十B十Aであるが、その仔が繁殖牝馬となった場合には、次の世代はE(孫が受胎したときの仔の卵子の活性値)十D十C十Bとなり、Aは圏外となる。その馬が料的遺伝数値の大部分をAに負っているような場合、仔までは強くても、孫の代になると一気に弱くなってしまうわけだ。

 卵子の活性値のセンターは1.00であるから、”料”的遺伝値の平均は1・00×四世代で、4・00となり、これが一般的な競走馬の体力の目安となる。最低の0の数値を母馬から遺伝した仔であっても、A十B十Cまでである程度の数値が達成されていれば差し支えないわけだ。

 ミホノブルボンの場合、母カツミエコーがミホノブルボンを受胎したのは満5歳で、そのときの卵子の活性値は1.25、祖母ハイフレームが母カツミエコーを受胎したときは満14歳で、そのときの活性値は1.5、曾祖母カミヤマトがハイフレームを受胎したときは満8歳で活性値は2.00(カミヤマトとハイフレームの出産予定日はともに5月15日であった。ということはカミヤマトが8歳になった時点で受胎したので。まだ活性値は2のままである)、さらに四代母コロナがハイフレームを受胎したときは満15歳でそのときの活性値は1.75である。

 これら総和が″料’的遺伝数値であり、1.25十1.5十2.0十1.75で6.50となる。

 この数字はミホノブルボンがひじょうに強大な体力をもっていることを示している。戸山式のハードトレーニングに耐えられるミホノブルボンの体力はこの数字によって保証されている。もし他の数値の少ない馬で同じ真似をしたら、たちまち壊れてしまうことは理の必定である。
 前ページの図はミホノプルボンの牝系の”料‘的遺伝数値の移り変わりを示したものだ。
 ちなみにこの図から。カツミエコー自身の肉体の力は自分の先祖の四代分の6.75となり、そのクレジットは5.25である。つまり、もし彼女が最低の0数値を与えても、5.25と平均を大きく上回った体力を有する仔が生まれてくることがわかる。

(以上第8章)

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