◇◇◇◇第8章 生体活性を波動する”太陽サイクル”◇◇◇◇◇
サラブレッドの理論である中島国治さんのこの「0の理論」のベースになっている考え方は、キチンとした検証をしなければレース鳩の理論にそのまま転用することは出来ませんが、その考え方の視点としては、かなりの類似点があるように思います。
本章では「太陽サイクル」が遺伝における生体活性にどのように関わってくるかをサラブレッドの名馬の実例を基に理論が展開されています。前章で触れてあったように、この太陽や月の「波動」はあらゆる動植物の生命体に影響を与えていることは、すでに多くの科学的な検証で明らかになっている事実です。
そのことを前提に考えてこの章を読んでいくと、レース鳩の遺伝の場合も、この中島さんのような検証が可能であれば、何らかの遺伝の法則が存在すると考えるのに無理はないように思えるのですが……。
様々な議論が出来そうですね。感想等の投稿をお願いしますね。
ネット上でもずいぶん以前からこの「中島理論」に対しては賛否両論が存在しています。イレブンも一応そうした意見にも目を通しているのですが、これだけ議論されているということは、そこに何かあるからとも考えています。レース鳩の眼の理論も同様ですので、話題としても面白いのではないでしょうか。どのように考えるかは、これもまた、人それぞれあっていいというのがイレブンの基本的な立場です。
第7章、第8章と掲載してきましたが、次の第9章「スピードのベース”月のサイクル”」まで掲載しないと中島理論のおおよその全貌が見えてこないようですので第9章も数日内に掲載することにしました。
【中島国治 プロフィール】 昭和10年東京生まれ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒。芸大在学中にイタリアに留学し、サラブレッド血統配合の真髄に触れる。帰国後、独自に構築した血統理論を完成し、日本の生産界に絶大な影響力をもつに至る。馬券収支でオペラのコンサートを開催したことは知る人ぞ知る逸話である。平成5年に出版した『血とコンプレックス』(小社刊)は競馬ファンはもとより競馬に携わる多くのプロの人たちに衝撃を与えるとともに、血統についての考え方に多大な影響を及ぼした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 『サラブレッド0の理論 人間の予想を裏切る「血と本能」の秘密』より ※中島国治さんはすでに故人となられているようです。(調査中) |
■太陽のサイクルとは何か■ 中島国治 2021年7月16日(金) 3:14 |
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まず、ある1頭のサラブレッドの遺伝の全容を知るうえで最低限必要なのが、四代血統表である。遺伝は直接と間接の二つに大別できるが、直接遺伝は四世代で構成され、五代目より先の先祖は間接的に隔世遺伝の対象になる場合のみ関係してくると考える。基本は四世代ということを念頭に置いて欲しい。
232ページに示す血統表は平成4年(1992)の皐月賞・ダービー馬であるミホノブルボンのもので、五代目までの先祖名が記されている。
種牡馬の名前の下の数値は精子の活性値、繁殖牝馬の数値は卵子の活性値、卵子の活性値の合計が料的遺伝値である。これらは太陽のサイクルから求められる。太陽のサイクルから逆算して牡牝両方の生殖細胞の活性を数値化したものである。
さあ、この先に論を進めるためには。いよいよここで太陽のサイクルとは何かについて、全容を改めて知ってもらう必要がある。
フェデリコ・テシオのメモには《Minimo al Massio e un Cicolo deI Sole, el Questo cicolo Ci Vuolo anni=ミニモ(最小)からマッシモ(最大)までが太陽のサイクルで,このサイクルには8年を要す》と書かれていた。太陽のサイクルはその最小単位が満4年である。それを日数に変えると1461日である。その満4年を二つ重ねた満8年、2922日をもってサイクルが完成する。前半の4年が生体エネルギーの劣性期([−]、lnferiore)、後半の4年が優性期([+]、Dominante)で、この8年で生体は一つのボトムと一つのピークを体験する。そしてその現象を[+][−][+][−]……というふうにサイクルしていく。
ここまでは比較的簡単にわかった。だが、その先がわからなかった。書いてしまえばそうむずかしいことではない。だが、どこが起点なのか、そしてそのサイクルをどのように体系化したらいいのか、ただそれを突き止めるだけでも私は人生の大半を費やさねばならなかった。したがって、ここから先は私のオリジナルである。
起点は、その個体が受胎した日から数えて1年後(出産予定日の約1か月後)からである。馬の在胎期間は約11か月であるから、出産日から数えると1か月後になる。というのも、仔馬の細胞は生まれ落ちるやいなや自立するわけではく。生まれてしぱらくは母馬の細胞の働きの影響が残っているからである。まだ母馬の細胞の働きが残っている期間が1か月というタイムラグなのだ。
交配期日は種付け台帳に記載されており、また出産予定日は種牡馬特集号などに明記されている。起点からスタートした生体の活力は少しずつレベルを上げていき、満8年後にその頂点に達する。
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・・・ ・・ 2021年7月16日(金) 3:16 |
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235ページの図を見ていただきたい。私は劣性期と優性期の中間点(Centro)を1.00とし、下限(Minimo)を0と定め、上限(Massimo)を2.00と定めた。もちろん、遺伝の影響力を目に見えるように数値化するためである。
その数値2を太陽のサイクルである8年で割れば、1年当たりの生体の活力の上昇度が出る。すなわち、0.25である。半年なら0.125あり、―か月なら0.20833となる。春の繁殖シーズン(4か月)でも、最初と最後では数値は0.083233と変化している。
起点の0から少しずつ上昇してきた生体の活力は8年をもって上限の2に到達する。そこから下降準備期間に入り、馬の場合では約4週間後には0に戻る。私の調査結果では、この4週間の下降準備期の間、細胞の活力は、ピークの2よりもさらに強まる。つまり2十″である。
このピークの時期(満8歳、16蔵の直前)で繁殖牝馬の卵子は一世一代の働きを示しており、この時期に卵子が受胎すると、名馬の生まれる確率がひじょうに高まる。
たとえば、テシオが生産したリボー(16戦全勝のイタリアの名馬)はこの卵子で受胎している。我国では、メジロマックィーン、シンボリルドルフ、カツラギェース、グリーングラス、ウィンザーノット、ライトカラー、エルプス、ウイニングチケット、ピワ(ヤヒデ、タップダンスシチーなどがそれに当たる。ただ、生産者の多くはこの太陽のサイクルを知らず、単にまぐれ当たりにすぎないのはひじょうに残念なことである。
また、牝系のポトムラインにおける繁殖牝馬の受胎時の卵子が、3回の世代交代の間に少なくとも1回2.00の数値をもっていた場合もおうおうにして名馬の出る土壌となる。たとえばトウショウポーイ(2回の世代交代が2.00)、ハワイアンイメージ(2回)、ライスシャワー(2回)、クライムカイザー、ミホノプルボン。シンコウラプリイなどがあげられる。
以上述べてきた数字は北半球産馬を対象とした数値で、南半球から見た場合には秋仔である故に0.125ずつ減算する。また南半球から北半球産を見た場合0.125ずつ加算する。
さて、もう一度図に戻ろう。三角形の底辺に並ぶ数は馬の年齢を表しており、1日盛りは満1年で、8年ごとにサイクルしていく。0から2.00まで、縦軸に示された数値はその馬の生殖細胞(精子または卵子)の活性値である。三角形の底辺の種牡馬または繁殖牝馬が生殖にかかわった年齢から縦にまっすぐ線を引き、斜めの線にぷつかったところの縦軸の数値が、受胎が行なわれたときの生殖細胞の活性値ということになる。
ミホノブルボン(生年1989年)が受胎したときのマグニテュード(生年1975年)の年齢は、1989−1975‐1=13 13歳であった。ミホノプルポンの生年からさらに1を引いているのは、ミホノブルボンが母馬の胎内にいた11か月を約1年と概算し、その分を引いて受胎した年を算定しているためである。そこからさらにマグニテュードの生年を引くと。マグニテュードの種付け時の年齢が出る。
さて、13歳という年齢における、精子の活性値を図で見ると1.25という数字になる。同様の計算によりミホノブルポンの母カツミエコーが受胎したときのシャレーは6歳で。そのときの精子の活性値は1.5十a、ハイフレームが受胎したときのユアハイネス(9歳)の精子の活性値は0.25、カミヤマトが受胎したときのライジングフレーム(11歳)の精子の活性値は0.75であった。
この中でもっとも活性値の大きいのがシャレーの1.5+αである。端数が出ているのは、シャレーがヨーロッパ産馬で、生まれが4か月以上早いということを考慮した分の補正値である。いずれにせよシャレーの遺伝が優性となって、他の牡馬の先祖は劣性となる。すると劣性となった先祖がもっていた”形””相”面の遺伝はすべて消える。いったん劣性となった先祖の”形””相”が、その子孫に伝わることは絶対にない。
もちろんミホノプルボンの父馬であるマグニテュードのもつ遺伝もすべて消える。また、種牡馬になったミホノプルボンの中にはすでにマグニテュードは不存の先祖なのだから、仔どもにその″形””相”を伝えることはない。この規則に例外は絶対ない。第3章をもう一度読み直して欲しい。この法則があるが故に、父系の影響力が切れた種牡馬というものが存在するのである。
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■”被遺伝世代深度”で隔世遺伝の対象先祖がわかる ■ ・・ 2021年7月16日(金) 3:18 |
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ではどのような伝わり方をしているのか? この時の遺伝の仕方については一意的な法則が支配している。つまり、受胎が行われた時点で牡の精子の活性値が、牝の持つ父系三世代(父、母の父、祖母の父)のいずれの数値よりも優性であった場合、その数値の差が開くほどに奥の先祖にまでさかのぼって遺伝の影響力ぷとになる。これによって遺伝の奥の深さがわかるのである。
どこまでの先祖が隔世遺伝の対象になるかを仮に被遺伝世代深度と呼ぶことにししよう。被遺伝世代深度を計算する式は、 被遺伝世代深度H(交配する牡の活性値−三代前までさかのぼった牝の父系の最大数値)÷0.25で表される。
このとき、被遺伝世代深度の一世代分というのは活性値にして0を超えて0.25までの差に当たる。つまり、1年の間に活性値が上昇する範囲である。
被遺伝世代深度の数字は切り上げ算で計算する。ということは、たとえ微差でも両者の差が0.25の倍数以上の数字になった場合には世代数は増える。逆にその差が一世代分に満たない場合、つまり被遺伝世代深度が1未満の場合には交配する牡の形相を受けて遺伝することになる。だから、もしマグニテュードの精子の活性値よりも母の先祖の種牡馬の精子の活性値のほうが高くても、差が0.25より小さかったなら、ミホノブルボンはマグニテュードの”形””相”を遺伝したことになる。 逆に、母の先祖の数値が父を一世代分上回っていたために母を通じて”形””相”を遺伝したわけだ。
牡の活性値が牝のもつ父系三世代のいずれかの数値よりも低かった場合、牝のもつ父系三世代の中で最優性の先祖の活性値と牡のもつ活性値が開けば開くほど、父親の遺伝力が弱いわけであるから、それを補う意味で、活性値の差の分だけ奥の先祖が引っ張り出されてくる。つまり、被遺伝世代深度の範囲内での最優性先祖を隔世遺伝することになる。
ミホノブルボンの場合、父マグニテュードよりも母の父シヤレーのほうが活性値が高く、その世代差は。 (1.5十α)−1.25=0.25十α である。
0.25は1年分の差であるが、十αで2年目に入っていることにより、被遺伝世代深度は二世代分となり、二世代目までの最優性先祖の”形””。相”を隔世遺伝することになる。となるとそれはシヤレーである。つまり。ミホノブルボンの遺伝において考える必要があるのはシャレーおよびシャレーの先祖だけである。
この血統表の中には記されていないが。今述べた方法でシヤレーの先祖の数値を丹念に調べるならぱ、彼が受けた隔世遺伝の対象となる先祖(種牡馬)が判明する。シヤレーの父リュティエ(Luthier)の精子の活性値は0.5、シャレーの母の父のダブルジャンプ(DoubIJump)の活性値は1.0、祖母の父ヒルゲイル(HillGail)の活性値が1.75 で,祖母の父ヒルゲイルが優性、父リュティエおよび母の父ダブルジャンプは不存の先祖ということになる。
さらに、 1.75−0.5(リュティエの活性値)=1.25 であり、1.25は五世代分に相当するから、シャレーから五世代さかのぼづた先祖までの範囲で隔世遺伝ができる可能性が生きているということになる。血統表を見ると三代さかのぼったところに活性値1.75のヒルゲイルが現れる。活性値が1.75ということはほぼ最高の値に近く、最優性先祖と考えて十分だ。
つまり、ミホノブルポンはアメリカ産のケンタッキー・ダービー馬であるヒルゲイルの" 形""相"を、間接的に隔世遺伝したことになる。いかにもアメリカン・タイプといえるミホノブルボンの体型はここに由来する。
被遺伝世代深度は特に配合を行なうときに有効である。というのは、望みの先祖の形相を自由自在に引っ張り出せるからだ。
ところで、注意深い読者の中にはミホノブルポンの毛色に疑問をもたれた方がいるのではないだろうか。ミホノプルボンの毛色は栗色である。父のマグニテュードの毛色は鹿毛。それを遺伝していないことはいいとして、母のカツミェコーは青毛、ミホノプルボンがその”形””相”を受け継いでいるはずのシヤレーは青鹿毛である。
なぜか? その理由はシヤレーが栗毛の囚子をもっている青鹿毛の種牡馬であるために、ミホノブルボンに栗毛を隔世遺伝をしたのである。
カツミェコーの青毛はシヤレーのEx・Pである。Ex・Pとは太陽のサイクルに月のサイクルが割り込んだときに起こる現象で、仔一代だけに種牡馬の”形”"相"をそのまま遺伝する。したがって次の世代にその"形""相”を伝えることはできない。つまり、カツミェコーの仔は今後も青毛、青鹿毛は生まれない。
ごくまれに牡馬の遺伝にも月のサイクルが絡んでくる、と前に述べたが、それに当たるケースである。Ex・Pについての解説はここではこれにとどめておき、牝馬の遺伝の項口で、月のサイクルの解説を終えた後に改めて取り上げることにする。
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■競走馬の体力を決める"料的遺伝数値"■ ・・ 2021年7月16日(金) 3:20 |
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次に見るべきは、"質”"料"の遺伝である。先ほども述べたように、これらの遺伝は父親からは伝わらず、母親からのみ伝わるので、牝系を通じて伝えられてきた遺伝も種牡馬に突き当たった時点で完全に切れる,ということは、ミホノブルボの血統表の中でマグニテュードの牝系、シャレーの牝系、ユアハイネスの牝系、ライジングフレームの牝系……などは、”質””。料”の遺伝に関しては最初から考慮する必要がない。見なければならないのはカツミエコー、ハイフレーム、カミヤマト、コロナ。秀節……と続くボトムラインだけである。
まず、太陽のサイクルが関与する”料”の遺伝から見ていこう。”料”イコール、その馬がもっているベースの体力とだいたい考えてよい。それは、馬の受胎時の卵子の活性が決定する。卵子の活性は太陽のサイクルによって上下するため、受胎時の活性が重要になるのだ。受胎時の卵子の活力は一生を通じてその馬の細胞の活性、つまり体力を決定し、さらにその馬が牝馬の場合にはそれは遺伝される。
母馬が仔にそれを伝えるときには、祖先の”料”へまたは活性値のベースに、さらにその母馬自身の、受胎時の卵子の状態によって異なる活性値がプラスされることになる。つまり”料”の遺伝は、遺伝を伝える代々の牝馬の、それぞれの活性値の総和として表される。 これを見るために、私は牝系のボトムラインを四代にわたって見ていくことにしている。すなわち、四代母から曾祖母へ、曾祖母から祖母へ、祖母から母へ、母から仔馬へ、と四度にわたる世代交代の際の、それぞれの卵子の数値の合計が”料”的遺伝数値である。
この数字も太陽のサイクルを表した235ページの図から同じように求められる。’料”的遺伝数値を式で表すと、
”料”的遺伝数値= D(仔が受胎したときの母の卵子の活性値) 十C(母が受胎したときの祖母の卵子の活性値) 十B(祖母が受胎したときの曾祖母の卵子の活性値) 十A(曾祖母が受胎したときの四代母の卵子の活性値)
のようになる。 仔の数値はD十C十B十Aであるが、その仔が繁殖牝馬となった場合には、次の世代はE(孫が受胎したときの仔の卵子の活性値)十D十C十Bとなり、Aは圏外となる。その馬が料的遺伝数値の大部分をAに負っているような場合、仔までは強くても、孫の代になると一気に弱くなってしまうわけだ。
卵子の活性値のセンターは1.00であるから、”料”的遺伝値の平均は1・00×四世代で、4・00となり、これが一般的な競走馬の体力の目安となる。最低の0の数値を母馬から遺伝した仔であっても、A十B十Cまでである程度の数値が達成されていれば差し支えないわけだ。
ミホノブルボンの場合、母カツミエコーがミホノブルボンを受胎したのは満5歳で、そのときの卵子の活性値は1.25、祖母ハイフレームが母カツミエコーを受胎したときは満14歳で、そのときの活性値は1.5、曾祖母カミヤマトがハイフレームを受胎したときは満8歳で活性値は2.00(カミヤマトとハイフレームの出産予定日はともに5月15日であった。ということはカミヤマトが8歳になった時点で受胎したので。まだ活性値は2のままである)、さらに四代母コロナがハイフレームを受胎したときは満15歳でそのときの活性値は1.75である。
これら総和が″料’的遺伝数値であり、1.25十1.5十2.0十1.75で6.50となる。
この数字はミホノブルボンがひじょうに強大な体力をもっていることを示している。戸山式のハードトレーニングに耐えられるミホノブルボンの体力はこの数字によって保証されている。もし他の数値の少ない馬で同じ真似をしたら、たちまち壊れてしまうことは理の必定である。 前ページの図はミホノプルボンの牝系の”料‘的遺伝数値の移り変わりを示したものだ。 ちなみにこの図から。カツミエコー自身の肉体の力は自分の先祖の四代分の6.75となり、そのクレジットは5.25である。つまり、もし彼女が最低の0数値を与えても、5.25と平均を大きく上回った体力を有する仔が生まれてくることがわかる。
(以上第8章)
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