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ようこそ、「スネークパパの掲示板」へ。お気軽に投稿いただければうれしいです。(『スネークパパの部屋』管理者イレブン)

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 杉本33号  KY  2020年7月5日(日) 7:05
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ようやく杉本41号の血統が判明しました、自分が思い込んでいたのとは違い父がなんと33号母が大森ゴードン系の備前羽幌号の直子でした、鳩王号から続く長距離ライン凄いですね、更に41号のラインが当地で1000K以上の難レースで多数優勝しています、遺伝力がすごい。なおまだ写真の方は見つかっていません。

 杉本修三鳩舎と田槇利行鳩舎の回相談  イレブン  2020年7月5日(日) 15:45 修正
先日、全盛期の杉本修三鳩舎に訪問して、当時の代表鳩を実際に手にしたという方から、お話を聞く機会がありました。やはり杉本33号は、素晴らしい鳩だったとのことでした。

 その方は33号の両親も手にされたそうです。矢島さん作の父親が抜き出て素晴らしい鳩だったそうです。33号自体はこの父親の影響も多く受けていたとの回相談でした。33号は、広島在来の中枢の銘鳩とアイザクソン・オペルの銘鳩鳩王号ラインの結晶のような鳩だったのでしょうね。

岡山の田槇さんの備前系は有名な大森ゴードンと広島在来の当たり配合で誕生した系統ですね。ゴードン系もまたオペル系と同じローガンに行き着きますから、アイザクソンオペルと同じ系統構成になってきますね。

イレブンも学生の頃、田槇鳩舎に訪問したことがあります。広島在来の素晴らしい鳩たちがいたことを今も覚えています。SSだと思います。

33号の直仔41号のラインが、KY様の地域の長距離難レースで多数の優勝鳩を輩出していても当然なのかも知れませんね。

41号の脚環番号や翔歴は判明しているのでしょうか。よかったら教えてください。画像をイレブンの方でも調査したいと思います。

 備前系基礎鳩【備前号】   イレブン  2020年7月5日(日) 16:05 修正

 ■■《系統研究》【OPEL BOOK 2020】002■■ 第4章 「WeggeはWeggeと」の原理とオペル系  (1)「ウラン鳩導入によって誕生した主なる系統鳩 《シヤルル・ウエッジュ系》」関口龍雄(『鳩と共に70年』より引用) からの考察    イレブン  2020年7月4日(土) 5:01
修正
深澤昌樹様より、貴重な資料提供をいただいたお陰で、イレブンが始めたオペル研究の核心部分に当たる研究が一気に前に進みました。それは、オペル系が「シヤルル・ウエッジュ系」とどのように繋がっている系統なのかという問題です。

ここが明らかになると、我が国へのオペル系導入によって生まれた数々の超長距離鳩誕生の系統的理由が説明できるようになるとイレブンは考えているのです。【OPEL BOOK 2020】の主要テーマです。

そのことは、深澤昌樹様より教えていただいた資料と、ここで掲載する関口龍雄先生が書き残された「□ウラン鳩導入によって誕生した主なる系統鳩 《シヤルル・ウエッジュ系》」を合わせ読み整理すると一気に明らかになってきます。では、全文を引用しますね。

 □ウラン鳩導入によって誕生した主なる系統鳩 《シヤルル・ウエッジュ系》□  関口龍雄  2020年7月4日(土) 5:50 修正
 系統鳩の始祖はウラン(Ulen)鳩であるが、この鳩の導入によって多くの系統鳩と称される鳩か誕生した。その中で父とも帝王とも称せられるのかウエッジュ系である。

 ウェッジュ(Wegge)はアンヴェルス(Anversois:Anvers)のリエールに住んでいた有名な愛鳩家であるが、1850年頃、アンヴェルスの二人の愛鳩家の鳩を入手したのが最初であった。

 そのうちの一人は薬種商でシュイック(M.Scheyck)という人で,もう一人は学校長でドヴレム(Devrembe)という人であった。ドヴレム(Devrembe)の鳩は優秀で、彼がモン・ド・マルサンのレースで優勝したのは実にこの鳩に負う所が多大であった。また、この鳩の子孫は優秀な成績をあげていた。

 アンヴェルスの愛鳩家は、以前はキュルビュッタン鳩、スメルル(Smerles)鳩、プチ・ブーラン鳩、カリエール鳩、オウル鳩 等を交配してレースに参加していたが、この時代からは、ウラン(Ulen)鳩の導入か一種の流行になってきたため、アンヴヱルスの鳩舎でウラン(Ulen)鳩が混入されていない鳩舎を発見するのは困難であった。

 このことに就いて、フェリス・ジゴー(Felix Gigot)※(1)は「愛鳩家の成功不成功によって、ウラン(Ulen)鳩が混入しているかいないかを区別することができた」と述べている。以上の理由から。ドヴレムの鳩にもウラン(Ulen)の血液が混人されていると判断してもよいであろうと思う。

※(1)『大系統の研究(The study of Grand Families)』の著者アンリー・ジゴー(Henri Gigot)の父。著書に有名な『EYES OF THE GREAT FAMILIES = THE ORIGINAL EYE SIGN BOOK』がある。

 シャルル・ウェッジュは約100羽の鳩を飼育していた。どの鳩もどの鳩も立派な鳩で、品評会会に出品すれば全鳩入賞すると思われる鳩ばかりであったが彼は品評会には出品することをしなかった。ウエッジュは良鳩を判別する優れた才能を持っていたいたと言われていた。彼の鳩は、雨天でも、逆風でも常に優秀な成績を納めていたことは愛鳩家の等しく認めるところであるが、彼自身も、400粁以上のレースに良好であると言っていた。

 同時代のジッツ(Gits)が近親繁殖を極端に嫌っていたのに反し、彼は近親繁殖をしていた。ウエッジュ(Wegge)の鳩は近親繁殖によって体格等の退化することは殆どなかった。

 英国のオスマンが、ベルギーの有名鳩舎を訪問した際に、ウエッジュ(Wegge)の鳩はアンヴヱルスで一番大型の鳩で、立派な鳩であると書いている。彼の研究によれば、ウエッジュ(Wegge)鳩は、リエージュ種(Liegios:Lieges) や、ヴェルヴィエ種(Verviers)との配合は失敗に終わる。ブラッセル種(Brussels)、アントワープ種とのは配合は成功すると書いている。

一般にウエッジュ(Wegge)種の鳩は、血液の交流が全くない鳩に対しては、良好な配偶者とはならないのである。ウエッジュ(Wegge)はウエッジュ(Wegge)と交配せよと言われている理由はそこにあると思う。

 ■ウエッジュの基礎鳩    2020年7月4日(土) 6:15 修正
1 【灰色老鳩雌】

 この鳩は1897年のウエッジュ(Wegge)の売立には、既に不妊の理由で売立には出品されなかったが、プラッセルのルイス・デルヴォーに贈与された。

2 【栗色老種鳩雄】

 この鳩は、ヴィユー・ベール(老灰栗)とヴェンドームの妹との息子鳩。

3 【小さい黒雄】

 この鳩は、モン・ドーマルソンの国内レースで35位に入賞した有名な灰雄の息子で、灰の兄弟の栗は、同日のレースに優勝した。この栗の系統は後日、ジュール・ジアンセンとフェリス・ジゴーの鳩舎に導入された。

4 【ヴェンドーム(灰雄)】

 ウエッジュの【ヴェンドーム】は、当時の愛鳩家でその名を知らぬ者はいなかった程の名鳩であった。現在でもその名を知っている愛鳩家はいるであろうと思う。

 この鳩はウェッジュ(Wegge)の代表的な鳩で、彼の基礎鳩1と3との息子である。2年間種鳩としていたか、1895年にレースに参加し、その年に4回優勝して一躍有名となった。ウエッジュ(Wegge)は、この鳩にヴェークマンの売立の時に購入した【ウランの灰の雌】を配合して基礎鳩を作出した。

5 【老鳩胡麻雌】

 この鳩は、種鳩としてもレース鳩としても最良の鳩であった。レース成績は、オークで13位。バイヨンヌで4位、トローザで17位、ビルバオで3位に入賞した。

6 ウェッジェ(Wegge)の入手したウラン鳩

 ウェッジュ(Wegge)の入手したウラン鳩は、1890年のヴェークマンの売立の時に購入した【栗のヴェークマン[Rouge Vekemans]】と、【ウランの灰の雌】であった。

 【栗のヴェークマン[Rouge Vekemans]】はウランの【名鳩ロー】の仔で、最良の鳩であった。この鳩の仔鳩は、当時の愛鳩家に多くの成功をもたらした。【ウランの灰の雌】は、栗色の鳩との交配か最適であった。

 ■ウエッジュ(Wegge)系の特徴    2020年7月4日(土) 21:09 修正
 ウエッジュ(Wegge)の鳩は、現代鳩の特徴を代表していると言ってもよいと思う。体格は偉大で優美である。アンヴェルス産の大型鳩の欠点である体毛の貧弱さかなく、羽毛が豊富である。

 当時、ベルギー各地方の有名愛鳩家の鳩か晩熟であるのに反して、早熟である。2、3才にならなければレースに参加出来なかった愛鳩家も、ウエッジュの鳩を導入することによって、当才でもレースに参加出来るようになった。その上、大型で、優美な鳩に改良することができた。

 然しながらウエッジュ(Wegge)の鳩は、どの系統の鳩とも良く配合され良鳩を作出されるとは限らない。ウエッジュ(Wegge)の鳩は、ウエッジュ(Wegge)の血液か混入された鳩とは良い結果か得られるので、当時の愛鳩家仲間では「ウエッジュ(Wegge)はウエッジュ(Wegge)と交配せよ」との合言葉合が流行した。

 ■ウエッジュ(Wegge)の眼について    2020年7月4日(土) 21:12 修正
 ウエッジュ(Wegge)の眼についてはアンリー・ジゴーが、【ヴェンドーム】の孫鳩に就いて研究している。それによれば、瞳の外輪か顕著な輪廓をもっていて、他の鳩にはこれ以上完全にはっきりしている鳩は発見しにくい、と書いている。

 アイサイン(コリレーション)は発見か困難であるが、この系統の鳩には特に重要であるので、拡大鏡を使用しなければならない。コリレーション(アイサイン)とは瞳孔の周囲にある非薄な暗灰色のすしで、瞳孔の影よりも少しはっきりしている。

 ヴェンドーム系のコリレーションは菲薄で発見か困難であるが、ウエッジュ(Wegge)系の最良鳩を所有していると言われているジュール・ジアンセンの銀眼鳩も同様に、コリレーションの発見は困難であるとアンリー・ジゴーが書いている。この鳩の光彩の第1の環はオレンジ色で幅狭く、第2の環は薄い赤色でエビ茶色に変化している。

 ■【ヴェンドーム】とはどんな鳩か    2020年7月4日(土) 21:13 修正
 【ヴェンドーム】は頑強な鳩で、強大な胸をもつ脚の短い鳩で、頭部は丸く強く雄大な雄鳩であった。嘴は普通であったが、鼻瘤は老鳩であってもわずかに発達している程度で、眼環はこの系統には無いようであった。

羽毛は多量で、滑らかで、翼はウラン鳩よりは幅が狭かったが、羽毛は毛の毬という感じであったと、アンリー・ジゴーが書いている。

 勇気と不撓不屈とはこの系統の傑出した特徴で、困難なレースに特に期待できると思う。

□羽色について

 この系統は灰ニ引が標準羽色であるか、灰胡麻の鳩もいた。灰二引は、第ニの翼帯上に1つか2つの黒点を発見することかあるが、これは翼を開いてみないと判明しない場合が多い。

□目の色について

 ヴェンドーム系の目には銀目と橙色との2種がある。コリレーションは明瞭であるが、橙色の目の鳩の第2の光彩の環は、むしろ薄い赤褐色と言ったた方が良いとジゴーか述べている。


 ■ヴェンドーム以外のウエッジュ(Wegge)系統について    2020年7月4日(土) 21:16 修正
 ヴェンドーム系と他のウエッジュ(Wegge)系統とはかなり異なっている。

 他の系統は、ヴェンドームとは異なって、光彩の第1の環は第2の環まで広がって、灰色から段々と黄色に近づいて行く。第2の環は鮮明な赤エビ茶色になる傾向かある。

 眼以外の特徴は、ヴェンドームとはかなり異なっている。鼻瘤かより発達していて、嘴はより艮く幅広く、羽毛は宵富であるが胡麻が主である。

 栗と灰栗は栗の老種鳩の血統を現し、全体としてはヴヱークマン系に再度近づきつつあるが、ウラン鳩の特徹である骨格や大きさを持続している訳ではないとジゴーか述べている。

 ■ウエッジュ(Wegge)鳩の白刺毛について    2020年7月4日(土) 21:17 修正
 ウエッジュ(Wegge)系のに刺毛は、ヴェークマンの血統によるものと考えられるか、特に、栗色の鳩は白い翼か、稀ではあるが、頭部に白刺毛がある。ジゴーの言によれば、この刺毛は、灰老種鳩とヴェークマンの栗によってできたものであるとのことである。

 ■ウエッジュ系の伝播  イレブン  2020年7月4日(土) 21:24 修正
 シャルル・ウエッジュは1897年に死去した。彼は生存中あまり愛鳩を手放さなかった。併し、シェールベークの女婿ジュール・ジャンセンにだけには、自鳩舎と同様に良鳩を出していた。従って、ジャンセンはウエッジュ(Wegge)の最良鳩の後継者ということができる。

 □ジュール・ジャンセン [Jules. Janssens]の入手種鳩□  イレブン  2020年7月4日(土) 22:10 修正
1 【小さい栗雄】

 この鳩はウエッジュ(Wegge)の有名鳩で、栗老種鳩とヴェークマンの売立でウエッジュ(Wegge)が入手した灰雌との息子である。

2 【ヴェークマンの栗[Rouge Vekemans]の息子の胡麻】

 この鳩は勇壮なレーサーで、鳩群の改良に大いに役立った。

3 【モン・ド・マルサンの優勝鳩[銘鳩Mont de Marsen]の息子】

 この鳩は最初のウエッジュ型で、グルータとの交配によって、彼は最良の品質の鳩を得ることかできた。

 □フェリス・ジゴー[Felix Gigot]の入手種鳩□    2020年7月4日(土) 22:27 修正
 フェリス・シゴー[Felix Gigot]は、ジャンセンの親友であったため。ウエッジュ(Wegge)の良鳩を屡々入手することかできた。

1 【ヴェンドームの息子】

 この鳩はジゴー[Felix Gigot]の鳩舎に入ってから沢山の賞を得た。最後のレースは。1897年のダックスのレースで第3位に入賞したが、賭金を得たために優勝鳩と同額の賞金を得ることができた。

2 【ヴェークマンの栗の息子】

 ウェッジュの手で飼育されたこの鳩の系統は、ベルギーは勿綸のこと、諸外国へも種鳩として導入された。世界的に有名であったブラッセルの老灰栗は。実はこの鳩の娘鳩であった。

3 【灰の雌】

 灰老種鳩の仔。ウエッジュ(Wegge)鳩舎産。
 
4 【灰雌ヴェンドームの妹】

 この鳩は、ウエッジュ(Wegge)が兄妹交配で基礎鳩とした鳩である。
 ウエッジュ(Wegge)は鳩舎を移転した時、馴致か困難であると予想して、鳩舎係のギュイヨーム・コッケルベルグがやめた時に一緒にもたせてやった鳩である。

 ジゴー[Felix Gigot]はこの鳩を、ショードア売立で、グルーターと一緒に入手したものである。その後この鳩は。モレンベークのウェルカンの鳩舎で生涯を終えた。

5 【モン・ド・マルサンレースの優勝鳩の息子】

 この鳩は、ジュール・ジアンセンから入手した。

6 【栗種鳩の娘】

ジャンセンから入手した鳩である。


 ■シャルル・ウエッジュの死後■  イレブン  2020年7月4日(土) 22:29 修正
 ウエッジュの死後の売立で、その持鳩は各地の有名愛鳩家の手に渡り、その額は当時の額で二万フランにも達したとのことである。

 ランカシャーのアンダーソンは、「英国のローガン鳩の基礎鳩となったブラッセルのN・バー力ー[N.Barker]はウエッジュの大売立前に、ウエッジュ夫人から、羽の灰雄を入手している」「ローガンはウエッジュの最後の売立でW2、W5を買った。W2はヴェークマンの仔で、W5はヴェンドームの息子である」と書いている。

 ドクター・アンダーソンはまた、「今日のウエッジュ系は。昔のように大きくはないが大型鳩である」とも書いている。

 このアンダーソンの報告で注意しなければならないことは、N・バーカーの鳩はローガンの基礎鳩となったが、それは、ウエッジュの売立前の1887年のことであって、その主なる鳩はグルーターであったということである。N・バーカーかウエッジュ鳩を入手したのはその後であった。

 N・バーカーは、1889年に全鳩をローガンに売ったが、グルーターとウエッジュとは良い配合相手である。


 ■ウエッジュの大売立で鳩を入手した愛鳩家    2020年7月4日(土) 22:32 修正
 ウエッジュ死後の売立で、彼の鳩を入手した有名愛鳩家のリストかあるので、原語のまま次に記してみた。





【以上、全文引用終了】

 ※この【追加資料】引用文に編集・考察を加えます。   イレブン  2020年7月5日(日) 4:16 修正
 ここに全文引用した【追加資料】□ウラン鳩導入によって誕生した主なる系統鳩 《シヤルル・ウエッジュ系》□ は、『鳩と共に70年』に集録された第2章に当たる「レース鳩の祖先」という章の中の第4項 に当たる「ウラン鳩導入によって誕生した主なる系統鳩」の最初の節「シヤルル・ウエッジュ系」の部分の全文引用です。

 全文引用の部分は同書のP67からP80までの13ページ分の内容です。しかし、あくまでここに書かれているのは本書の第2章に当たる「レース鳩の祖先」というP23からP127というおよそ100ページ に亘って記述された論文の一節にすぎません。

 論文というのは、ある程度の論理展開を踏まえた文章のことです。なのでで、少なくともその1節を記述する際は、その節以前の記述された論考や語彙の概念を踏まえて書かれているものです。故に、その一節を理解するためには、その節以前の内容を踏まえなければ,書かれていることの理解が十分できないことになります。

 特に、この関口龍雄先生の「レース鳩の祖先」の章は、歴史という時間軸を踏まえて記述されている内容なので、例え1節の内容の理解であっても、その節の前述部分だけでなく、論文全体の理解が必要な文章になっているとイレブンは感じています。

 そこで、チョット時間が掛かるかの知れませんが、この【追加資料】□ウラン鳩導入によって誕生した主なる系統鳩 《シヤルル・ウエッジュ系》□ には、引用文に編集・考察を加えることにしました。

 まずは、現在のように脚環番号が無い時代の記述なので、特定の鳩の名称が「ウランの栗雌」などと言った記述になっている部分に【  】を加え原文表記も加えることにしました。更に、人物名も[  ]の中に原文表記することにしました。そして、必要に応じて※脚注を挿入するすることで理解しやすいように編集したいと思います。この場合の原文表記や脚注は、「レース鳩の祖先」の章で引用している記述によるものです。

 細かな作業ですが、徐々に読みやすく変わっていくと思います。しばらくは、「ただいま編集中」の引用文としてお読みくださいね。

 ■■『Piet de Weerd 研究』005■■  [ピート・デヴィート回想録005「戦禍の日々」(『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》 (出典:『愛鳩の友』1996年4月号 )  イレブン  2020年7月4日(土) 2:42
修正
[ピート・デヴィート回想録005]第5回「戦禍の日々」では、第2次世界大戦末期のピートさんの回想シーンから始まります。ピートさん達が戦禍の中のアントワープ市内を走り回った際に乗っていた自転車、「ダンデム自転車」(二人乗り用自転車)の画像を探してみました。

※左画像:丁度こんな様子でピートさん達は戦時下の街を走り回っていたのでしょうね。

ピートさん達がドイツ軍の爆撃で焼け野原になった街をこの自転車に乗って鳩を見て回っている様子を思い浮かべると、なんとも言えない懐かしい「共感」が生まれてきます。レース鳩に魅せられた私たち「鳩キチガイ」同士しかわかり合えない世界なのかも知れません。

ピートさんは、この第5回「戦禍の日々」で、大戦末期のアーレンドンクのヤンセン鳩舎の鳩たちのことを書き綴っていきます。

 [ピート・デヴィート回想録005]  第5回 「戦禍の日々」    2020年7月4日(土) 2:46 修正
ベルギーは勿論のこと、世界中で最初にヤンセンの鳩を買ったのはこの私ではないかと思いますし、何しろ、ヤンセンの系統について初めて記事を書いたのは紛れもなくこの私でしょう。当時私はヤンセンを評価した事についての様々な批判を受けましたか、その後何百という鳩舎の人々が私か正しかった事を身をもって証明してくれました。

 1940年、ベルギーに第2次大戦の戦火が広がった頃、アーレンドンクのヤンセン鳩舎には40羽のトリがいました。もう少し厳密に言えば、42羽のトリがいたのです。
 そのうち、半数のトリはブリュッセルにいた友人に預けられ、残りの過半数のトリが後のヤンセンの伝説を築くのに貢献する事になったのです。

 ■寸土を争う戦い    2020年7月4日(土) 3:37 修正
 連合軍によるベルギー解放(※1)への作戦は着々と進められ、ブリュッセルも間もなく解放されました。が、ドイツ軍は抜目のないやり方で逆襲してきたのです。
 私は、1944年の12月の事態(※2)がどれほど酷く、ひどいものであったかを読者に理解してもらえたらと思います。あの忌まわしい出来事を……。

 それはとても湿気が多く、酷く寒い冬の日でしたが、夕方になるにつれ空には晴間がのぞき星も輝きはじめました。我々は二度も進行方向を失いましたが、ブーム(※3)の港にようやく到着しました。私達はタンデム自転車(※4)に乗って水たまりのあるでこぼこ道を走ってみました。ルーペル(※3)のあたりには錨を下ろした大型船や快速艇、ライン川下り船のようなタイプ等のいろいろな船が停泊していました。また岸に沿って、まちがっても修復されず、2度と航海できないような壊れ船が無残な姿で置かれていました。

 いつしか天気は素晴らしく回復し、穏やかな日となりました。それはまるで、我々が後にしてきたアントワープでの爆撃音や、何本もの帯になって空を照らしだすサーチライト、敵機を一機も逃さないほどに激しく打ち出された対空射撃砲の砲弾の雨の事などを忘れてしまいそうな程の静けさでした。川に沿った一帯は平和に満ちていました。空には何万という星が宝石のように散りばめられ、月はその微笑みを浮かべた姿を、波もない静かな川面に映し出していました。

 ホワイト・ブリゲイド軍と呼ばれたベルギー地下組織軍の活躍には感動したものです。ルーペルに架かる橋はまだ無傷で、2ヶ月前の「熱い9月の日」と呼ばれた日の、ドイツ軍をベルギーから退散させた時の爆撃の被害をも逃れました。ホワイト・ブリゲイド軍は
この勝利に沸きました。

 ブーンから来たある船長が私達に感動的な話をしました。それは「勝利者の秘密」とでも題されそうな代物で、思わず情景を再現できそうなほどのドラマチックなものでした。

 「八月のある暗い夜、ルーペルの地理に精通したホワイト・ブリゲイド軍のファンデプランクという男がルーペルの泥川に飛び込み、地雷地帯を流れる川面で流れに身を委ねながら、遂には橋げたにたどり着き、彼は口に街えていた鋏を使ってドイツ軍によって仕掛けられた爆弾のワイヤーをを二つに分断し、それを仲間に知らせるという業をやってのけたというのです。軍の同僚は橋は安全でアントワープの入口にあるブームとルーペルを繋ぐルートが確保できた事を同盟軍にも確信させ連合軍の前進を助けた」という話です。

 それによって、マックレラー将軍率いるカナダ軍第一師団の戦車隊が進攻を開始し、爆撃機の編隊は彼らの最強の武器にてドイツ軍を一掃する作戦に出ました。シャーマン戦車隊は砲弾を下ろしながらブリュッセルからウィルフールデやビルブロークヘ向かって前進を始めました。橋はそのままの形で残りました。戦車隊が重苦しいエンジンの轟音を響かせながら近づいては走り去って行きます。

 ドイツ軍はいたずらに橋を爆破しようとしルーペルの岸沿いに兵士を分散させ、反撃しましたが無駄な抵抗でした。

 至近距離においての戦闘は猛烈で、戦車隊の最前線部隊は激しい戦いのなかで爆撃を受けました。戦いの轟音はひどくなるばかりです。ピルプロークの通りを走り回る戦車は目の前にあるものすべてを破壊し、銃口から火柱を吹きつづけました。もう誰もそれを止める事はできませんでした。その数分後戦車の最初の一台が橋を渡りました。

 ドイツ軍はここで大変なパニックにみまわれたのです。ここかアントワープの運命の分かれ道でした。同日、最初のカナダ陸軍かケイセレイとアストリッドスクェアに到着し、ドイツ軍の総勢が集結していたのにも関わらず数台の戦車によってアントワープは解放されたのです。

 ドイツ軍は埠頭をどんな犠牲を払っても最後まで守り抜こうとしました。私達の記憶が正しければこの日が「狂った月曜日」と呼ばれた日です。この日ドイツ軍をノックアウトしたのは英国陸軍第二師団司令官マイルス・デンプシー中将でした。

 私の盟友ジョリス・ファン・ベルグがこの話を聞いたとき、私にこう言いました。

 「英国国営放送がたった今伝えていたんだが第6艦隊率いる司令官ジーン・タネイ提督か昨日の朝トウキョウを爆撃したらしい!」

それは我々にとっては朗報でした。(※イレブン注:1945年3月8日の東京大空襲のことのようです。調査中)


 ■ブリュッセルのヤンセン鳩    2020年7月4日(土) 3:56 修正
 ブリュッセルの戦火の被害は軽微でした。数週間後、英国陸軍モンゴメリー元帥が部隊をアルンヘムに進め、アーレンドンク村の損害も少なく済みました。

 ジェフ・オウメンスと私はバイクに乗り、ベルギー中、鳩を捜し回っていました。その頃はフォン・ロンステッド陸軍元帥がアルデンヌ(※5)で最後の戦いに挑まんとしているところでした。…寒さ厳しく、霧と雪の、全く酷く想像を絶する天候の中で…。

 時を同じくして我々『自転車をこぐ二2の騎士』はブレダからクルイスベルグとエデレールのクラモントの壁を越え、クワレンモントを抜け、ロンスのモーリス・デルバールのもとへ向かっていたのです。当時こんな熱心なオランダ大は我々以前にはいなかったはずです。かのデュサルダインでさえそこまではしなかったろうし、もし誰かいるとすればリーレやルーベイから来る数人のフランス人くらいなものだったでしょう。


 モーリスーデルバールが私達にしてくれたアドバイスというのは大変寛大で素晴らしいものでした、私は彼が当時の長距離における最高の鳩舎だと信じています。ステーンベルヘンのヤン・アールデンはこの恐るべき血統を逆上るメス鳩の血続から自己の血統をファン・トゥーインとオウメンスの手助けを受けなから確立したのです。私達はデルバールのトリを選びだす事にかけては非常に上手くいったと思いますか、別の優秀な血統については多くの大切な時間を無駄にしてしまったようです。例えば、それは「アーレンドンクのヤンセン」。この素晴らしい血統へ我々はもっともっと目を向けるぺきだったと思っています。


ブリュッセルから来た一人の男(残念ながら ら名前を思い出せない)が戦時中20羽のヤンセンのトリを管理していたデハーンという名の男について話してくれた事があります。

 当時、デハーンはヤンセンの貴重なトリを所持し、まるで王様のような気分でいたそうです。彼は金属製のゲージを作り、自宅の夕イル張りの屋根裏ににそれを据えつけたのでした。それは確かに利口な方法だったと思います。何故ならこうしてトリ達は5年間の戦争の間、隠して置ける事になるはずだったのですから。しかしトリ達は光と日差し、風と雨をも必要としていました。そしてある時、デハーンは大変な悲劇を招いてしまいます。

 ある天気の良い日、誤ってヤンセンの20羽のトリを1羽残らず逃がしてしまったのです。ゲージは一枚の羽さえも残っていませんでした。彼は一瞬にして全てを失ったのです。


 ……さて、これが私か聞いた話です。しかしそれが事実であったのかどうか私には証明する事はできませんが、彼にとってみれば人生の中で何という一日になってしまったのでしょうか。確かに信じられないような出来事でした……。

 ■デニス・ファンデルリンデンとアルベルト・コウエンベルフ    2020年7月4日(土) 3:57 修正
 私のブリュッセル時代、ヤンセンが既にその彼らのトリのスピードの優秀性にて自分たちの名を揚げようとしていた頃の話。噂ではありましたがデニスーファンデルリンデンという男がヤンセンの失踪鳩を捕まえ、そのトリで自己の血統を作り上げてしまったという事を聞いた事があります。彼は、最も短期間で誰よりも早く飛ぶことができた人だと言われます。

 私はファンデルリンデンのトリを見に出掛け、発見しました。そこで出会ったのは見事に純のヤンセン・バードだったのです。私はこんなトリを今までに見た事がありませんでした。それは自分の目を疑う程、素晴らしいトリでした。テニスはそのトリを正当な方法で手に入れ、しかもそれがどんなに価値のあるものなのかちゃんと知っていました。

 私はそれと同じ(イレペルのトリを別のある一鳩舎で見た事があります。ブリュッセルのスハラーベーク、スプール通り72番のアルベルト・コウェンペルフがその人です。彼はレースでトップ入賞を重ね、自動車さえも手に入れてしまったのです。(次号へ続く)

 ■■『Piet de Weerd 研究』004■■  [ピート・デヴィート回想録004『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》  イレブン  2020年7月4日(土) 2:39
修正
※[ピート・デヴィート回想録004『DIE BESTEN TAUBEN UND ZUCHTER DER WELT Piet de Weerrd』ドイツ語版翻訳》の記事が、イレブンの回想録の切り抜きファイルに入っていませんでした。どこかに挟み込んでしまっているようなので,後日、見つかり次第、掲示板のここのレスにアップします。しばらくお待ちください。

 Gits系の鳩  深澤昌樹  2020年7月3日(金) 12:57
修正
シャルル ウェッジの貴重な資料 有難う御座います。
ウェッジのBendome という鳩は重要な鳩なんでしょうね!
ローガン氏の19番の鳩の翔歴は、Marenmes放鳩地からのナショナル レースに於いて放鳩日当日の夜8時23分到着(夏のヨーロッパの陽は長い)2277羽中31位
父 ウェッジのバンドーム
母 オールド86とローマI の子
登録番号22番らと帰還(22番も同レース参加)距離740キロ
(463マイル)
ところでオールド86の母親はまGitsの鳩です。
添付写真 6番参照願います。

 ローガン氏のスクイルへの登録鳩  深澤昌樹  2020年7月2日(木) 22:55
修正
ちょうど日本の鳩界が50周年の頃
英国では、100周年の書籍が100Years of Superstars を発刊されていました。小生英検2級程度の実力ではとても理解できませんが英国から直接取り寄せました。

1979年に麗峰系こと渡辺好夫氏鳩舎へ訪問して色々と話しを聴かせて頂きその麗峰氏が英国の鳩は海峡を渡って帰還するので注文していると話されていた事から英国の鳩に興味を持っていました。

英国の鳩界の歴史は、第一次、第二次世界大戦の最中でもレースを中断される事なく行われていた事に流石大英帝国の傘下にあったからこそ鳩レース継続できたんだなぁとこのスクイルの書物から考察されるのが1890年代には700キロレースで当時帰還が争われていた事です。

Longest day race

血統をスクイルへ公表した19番の雄鳩Sire がウェッジの鳩でしょうか!ローガンの本筋ローマIやオールド86の血筋とクロスされているとうかがえます!

 勝手ながら画像を縦にしました。  イレブン  2020年7月2日(木) 23:12 修正
この掲示板では、画像サイズが大きい画像をと4つ並べてしまうとレスのワク自体が広がりすぎる欠点がありますので、新しいレスに移し替え、勝手ながら画像を縦に変更しました。申し訳ございません。

それにしても貴重な資料ですね。【OLD86】のこれほど鮮明な画像は初めて目にしました。

リストの19番 【1898ー9838 J.W.Logan】の記述部分だけ拡大しました。

「Wegge`s Vendome」とあるのでウエッジュの銘鳩ヴェンドーム号のラインと言うことでしょうね。ローガンの【Old86】と【Rome T】はヴェンドームのラインから生まれていると言うことなのでしょうか。

このウエッジュ系について関口龍雄先生が著書「鳩と共に70年」で詳しく紹介されていますので後日引用しますね。関口先生は相当このヴェンドームのラインについて関心を持たれていたようです。

一気に核心部分に研究が進みそうです。

 Vendome号関連資料  イレブン  2020年7月2日(木) 23:58 修正

 重要資料  イレブン  2020年7月3日(金) 5:10 修正
後日、詳細な解説を加えますが、ウエッジュ死後の売り立て(オークション)鳩を導入した愛鳩家の一覧です。(『鳩と共に70年』P80より引用)

 100Years of Racing P  深澤昌樹  2020年7月2日(木) 8:31
修正
100 Years of Racing Pigeon
この本には、ローガン氏が初期の頃に登録した鳩の血統があります。例えばローマIやオールド86 シャルル ウェッジから導入された鳩などなど
それらの鳩群のどの筋の鳩がジョン ルイス オペル氏へ譲渡れたのか興味ありありです。自宅へ戻ったらローガン氏がレジストレートさした鳩群のリストを掲載させて頂きます。

 ズバリ、オペル系研究の核心部分です。  イレブン  2020年7月2日(木) 22:47 修正
ウエッジからの流れは、イレブンの系統研究の問題意識の核心部分です。ウエッジから見るとオペル系と相性がよいとされた系統は、全て、戻し交配になるのではないかと考えています。ウエッジからローガンそしてオペルといった系統の流れが検証できれば、いろんなことが一挙に整理できてしまうとさえ思っております。

貴重な資料でしょうが、公開宜しくお願いします。

 スクイルス  深澤昌樹  2020年7月1日(水) 21:25
修正
世界記録表示

 読みにくいので画像を縦にしました。  イレブン  2020年7月2日(木) 4:25 修正
1997年の世界記録が整理されているんですね。

 スクイルス  深澤昌樹  2020年7月1日(水) 21:21
修正
スクイルスのイヤーズブックは、
添付写真の通りです。世界の鳩レース協会の連絡先(日本の含む)世界のレースレコードも掲載されています。カレンダーも取材した鳩舎も

 とても参考になりました。  イレブン  2020年7月2日(木) 4:18 修正
深澤昌樹様

「スクイルスのイヤーズブック」、とても参考になりました。ネットで検索すると過去の画像資料が次々と出てきて、並河靖がこの本を手にしていた理由が分かるような気がしました。海外の系統研究を進める際の重要な情報源だったんでしょうね。

特に4番目の画像の書籍、『100YEARS of SUPERSTARS』の内容には興味をそそられますね。表紙左上の小さな画像はJ.W.Loganの基礎鳩【OLD 86】のようですが……。

よかったら、『100YEARS of SUPERSTARS』の内容を掲示板に公開して頂けませんか。

イレブンは、先ほどアマゾンにスクイルスの『Secrets of Long-Distance Pigeon Racing 』のペーパーバックが出ていたので早速注文してみました。イギリスの鳩界雑誌『スクイルス』関連の出版物のことを教えて頂いたことで、資料調査が一段と進むような気がしています。ありがとうございました。

※画像を縦に直しました。

 杉本33号  KY  2020年6月30日(火) 12:38
修正
33号の画像ありがとうございました、もう1羽41号という鳩がいます、確か1100K総合優勝父が台湾の鳩かと記憶しています、この血統が当地でGP1000KGN1100Kで優勝等大活躍しました、申し訳ありませんがこの鳩の画像があればお願いします。

 杉本41号は調査中です。  イレブン  2020年6月30日(火) 21:58 修正
1100K総合優勝の杉本41号という鳩は、まだ見つかりません。継続して調査しますね。取りあえず、他の杉本修三鳩舎の1100K優勝鳩の画像をアップしておきますね。

 ・  イレブン  2020年6月30日(火) 21:59 修正

 杉本42号ならありましたが……。  イレブン  2020年7月1日(水) 19:02 修正
心当たりの範囲で調べてみましたが、42号はあったんですが、41号は見つかりません。しばらくお待ちくださいね。

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